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目頭が熱い

浦島太郎

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彼はそう。

被害者の一人。

精神障害を患った、数十万人のうちの一人に過ぎない。

当時は隔離が当たり前だった。

措置入院が当然だった。

拘束なんてお手の物。

自由なんてものは、存在することはなかった。

閉じ込められて、十数年。

病にそそのかされ、自傷する友人を見た。

苦しみ耐えられず、自殺する仲間もいた。


「外に出たい。」


彼らを縛るもの。

それはある意味、病でも、場所でもなかった。


彼らを恐れ、差別し、拒絶した。


人間だ。


それは健常者と呼ばれる、
疾患を持たない人間たち。

病の苦しみも、辛さも知らない、
何でもない、ただの人間。

彼らが病院に閉じ込められている間、
のうのうと彼らの欲する自由を、
当たり前のように手にしてきた者たち。


精神障害と診断されたら、
病院に一度入院してしまったら、
もう二度と…。


出てこられる可能性は、
何パーセントあるだろうか。


窓には鉄格子。

病状が悪化すると、鎖と手錠に囚われる。

薄暗くて、冷たくて、光のない部屋に一人ぼっちにされる。


「助けて」と、

「怖い」と、

「外に出たい」と。


いくら叫んでも、誰も来てはくれない。

それが、当たり前の時代だったから。


いつか、いつか出られる。

そう信じて耐えてきた。

辛い日々を乗り越えてきた。

彼は、そう思い続けて約50年、
病と戦い、閉じ込められて生きてきた。

やっと、開放された。

やっと、自由を得たのだ。


懐かしい故郷へと帰った。

すると世界は、何もかもが違っていた。

子供の頃走った、あの川沿いの道は、
分厚いコンクリートに覆われ、草木はない。

よく行っていた駄菓子屋さんは潰れ、
そこには立派な高層ビルが立ち並ぶ。

蜻蛉を捕まえた田園は、
アパートが建設されていた。

切符を買ったあの駅も、
改札口はカードを使うようだ。

なんの面影もない故郷。

まるでそれは別の世界のようで、
全てが変わってしまったことに唖然とする。


「まるで、浦島太郎になったようだ。」


自分が自由を奪われている間、
世界はこんなにも変化していた。

自分が隔離されていた間、
両親はとっくに亡き人になっていた。

葬儀にも出られず、親の死すら知らされず、
なんて自分は、情けないんだ。

そうやって、この世界にただ一人。

取り残された浦島太郎が、ここにいる。



遠い、遠い、昔の話。

浦島太郎は、笑っていた。

幼い、幼い、浦島太郎。

あの時までは。



自由に焦がれ、天を仰ぎ、
この50年の間で失ったもの。

やりたくても出来なかったこと。

叶えられなかった夢。

奪われてきた時間。


生きていれば、きっと、自由になれる。

そう、信じて疑わなかった。

耐えて、耐えて、やっと、手に入れた。

彼の自由は、本物か。


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