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幽霊の詩
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彼は狩りに出かけては血みどろで帰ってくる。首を絞められ、皮を剝がれて吊るされた一角兎がゆらゆら揺れている。血が滴り落ちた土は赤く黒くなっているが、今更この土地は兎の血を気にはしないだろう。ロゲルトは作業台に腰を下ろして、しばし彼の長弓を無言のまま見つめているだろう。木目に焼け跡の浮かぶ表面は決して滑らかとは言えない。おが屑を払い、指先でそっと触れる。彼はまたすぐに手を離した。それはまだ硬く、もう少ししなりが欲しかった。ロゲルトの青い眼は暖炉の炎を受けてぼんやりと明滅している。弓の弦を整えながら、彼は自分がここにいる意味について考えているだろう。部屋の中は蛇が蜷局を巻いたような薄暗さだった。頭の中で渦巻く疑問の答えはどこにもありはしなかった。この荒涼とした村に来てから、彼の中で何かが変わっていた。それが何かは彼自身にも説明できないが、少なくとも、彼の心の中には今まで存在しなかったものが生まれつつあった。ロゲルトは弓の表面を削ぎながら、何が俺を変えたのか、と自問自答しているだろう。彼の魂はしばしば海から引き揚げられ、村に覆いかぶさるように漂う空白へ、あるいは灰色の砂丘と思い出の中へ沈んでいくだろう。
彼の魂は肉体を離れ、忘却の海辺で海蛇たちと空虚な月を見上げながら漂っているだろう。遠い木々は風に騒ぎ立て、夜露が彼の頬を濡らすような気がした。彼は矢が安定しているかを確かめ、その無駄のない造りと先端の鋭さに感心したように溜息をもらすだろう。自分の努力を証明するような美しさに少しだけ誇らしい気持ちになり、そしてそのような感情を抱いた自分に戸惑っていただろう。弓の製作を続けながら、ロゲルトは自分の過去に思いを馳せずにはいられないはずだ。世界はもっと単純で、生活もそれほど苦しくなかった時代だ。ところが今は何もかもが変わり、逆さまに寄せる波の中で漂流しているような気分になっている。彼は世界の全てを失い、未だ名状しがたいものを探して、一人死者たちの夜を彷徨っている。彼は弓の弦を調整し、凝り固まった筋肉を伸ばす。弓を手に取り、その均整の取れた重さを感じた。
「よし」
彼は斧と弓を並べ置き、腰に手を当てて窓の外を見た。灯と壁と弓によって、彼の世界は形作られる。外は暗く、寒々としていた。遠くから微かに狼の遠吠えが聞こえる。風に窓枠が泣いていた。窓の外では雪がちらつき始め、いずれ吹雪に変わるだろう。ロゲルトはじっと立ち尽くしていたに違いない。彼の眼はふっと曇り、窓硝子は透き通った氷の鏡となるだろう。彼の魂は再び肉体に戻る。彼は扉を開き、夜の闇へと歩き出した。雪は激しさを増していた。ロゲルトは凍った地面に足音を立てながら、村の中を進んでいくだろう。村には誰もいない。生活の跡も残ってはいない。しかし彼には確かにこの時、幽霊の住む別の村が見えていただろう。私の跡も冬の狭間にかき消えていただろう。しかし彼にはこの時、何も知らなかった無邪気な子供達の声が聞こえていただろう。ロゲルトはその晩、雪の中に佇む誰かの足跡を探しているだろう。彼は自分の小屋で眠る弓矢と斧のことを思い出し、この雪が降る村の、今はもうない、あの安らぎに満ちた日々のことを考えるだろう。彼は小屋に戻り、失った人々、行った場所、見たものについて考える。焚き火の前に座り、炎が踊り、揺らめくのをずっと眺めているだろう。
「ここも彼らの世界だったのだろうか?」
雪の降る底のない夜に、ロゲルトはそう考えるだろう。
その夜は確か、蔦を編んで籠を作っていたはずだ。小さな指が慣れた手つきで格子を編み合わせ、幾何学的で美しい模様を作り出そうとしている。それは子供の手遊びに過ぎない。だが、こうして指を動かし続けている間、私は少しだけ安心する。指先を滑る荒い繊維の束は一揃いの網目を作り出すだろう。その度に出来栄えを確かめる。私は時々手を止め、耳を澄ますことを覚えるだろう。風の音や獣の鳴き声、虫の羽音が雪に乗って響いていただろう。私は窓から身を乗り出すかもしれない。風の強さに短い髪が乱れるのを感じ、頭を振って髪を直しながらもう一度外を見るだろう。その瞬間は私にもかつてそこにあった風景が見えたかもしれない。暗闇に閉ざされた哀しげな村の風景。廃村を歩くロゲルトの姿が見える。彼は雪の上にいつまでも残る、消えない無数の跡を辿って歩いているだろう。心の中に芽吹いた疑念が彼を苦しめ始めている。彼が空を見上げても、月と星は分厚い雲の向こう側にあるだろう。彼の眼はぼんやりと光を帯び、青白く輝いて見える。私の記憶にある村が、徐々に鼠色の雪に覆われていく。
私の心はだんだんと目の前の仕事から遠ざかっていくだろう。日時計のある村の広場を巡り、粉雪の火を過ぎて、エファイマの蛮族がやってきたあの夜へ飛んでゆくだろう。人々の渇き切った叫びが荒涼とした村を満たし、逃げ惑う体から血や涙が降り注いでゆく。私はそれをやがて瓦礫と化す物置の中から、息を殺して見ているだろう。困惑していた蛮行の夜や、瓦礫の中に身を隠す赤い日は、私に恐れ以外の感情を許してはくれなかった。荒れ果てた小屋で籠を編んでいるときにやっと怒りがこみ上げてきても、私は何もすることができないでいるだろう。彼は自分が滅ぼした村で生き延びようとしている。私には頼れる人間も、苦しみを分かち合える仲間もいない。目の前にあったのは仕事と、生き残るためには従わなければならないという現実だけだった。それが嫌でたまらない。しかし、私には何の力もない。他に選択肢がないことは分かっていた。私には食料や家が必要で、それを提供できるのはロゲルトだけだった。私は何の幻想も抱いていなかった。自分は奴隷に過ぎず、僅かな命と引き換えに男の言いなりになることを強いられているのだ、と考えた。私は再び籠を編み始める。自分は哀れまれるだけではない、利用されるだけの無力な子供ではないと思おうとして。風は夜の通りを吹き抜け、冬の飄々とした厳しさを伝えているだろう。雪は瓦礫に積もり、その内いくつかは雪の重みに耐えきれず音を立てて崩れていくだろう。白い煙のような息が立ち上り、やがてもの悲しい霧の中に溶けてゆくだろう。ロゲルトはその夜から、世界に呪われだした。そして私は、世界そのものを呪っていた。
彼の魂は肉体を離れ、忘却の海辺で海蛇たちと空虚な月を見上げながら漂っているだろう。遠い木々は風に騒ぎ立て、夜露が彼の頬を濡らすような気がした。彼は矢が安定しているかを確かめ、その無駄のない造りと先端の鋭さに感心したように溜息をもらすだろう。自分の努力を証明するような美しさに少しだけ誇らしい気持ちになり、そしてそのような感情を抱いた自分に戸惑っていただろう。弓の製作を続けながら、ロゲルトは自分の過去に思いを馳せずにはいられないはずだ。世界はもっと単純で、生活もそれほど苦しくなかった時代だ。ところが今は何もかもが変わり、逆さまに寄せる波の中で漂流しているような気分になっている。彼は世界の全てを失い、未だ名状しがたいものを探して、一人死者たちの夜を彷徨っている。彼は弓の弦を調整し、凝り固まった筋肉を伸ばす。弓を手に取り、その均整の取れた重さを感じた。
「よし」
彼は斧と弓を並べ置き、腰に手を当てて窓の外を見た。灯と壁と弓によって、彼の世界は形作られる。外は暗く、寒々としていた。遠くから微かに狼の遠吠えが聞こえる。風に窓枠が泣いていた。窓の外では雪がちらつき始め、いずれ吹雪に変わるだろう。ロゲルトはじっと立ち尽くしていたに違いない。彼の眼はふっと曇り、窓硝子は透き通った氷の鏡となるだろう。彼の魂は再び肉体に戻る。彼は扉を開き、夜の闇へと歩き出した。雪は激しさを増していた。ロゲルトは凍った地面に足音を立てながら、村の中を進んでいくだろう。村には誰もいない。生活の跡も残ってはいない。しかし彼には確かにこの時、幽霊の住む別の村が見えていただろう。私の跡も冬の狭間にかき消えていただろう。しかし彼にはこの時、何も知らなかった無邪気な子供達の声が聞こえていただろう。ロゲルトはその晩、雪の中に佇む誰かの足跡を探しているだろう。彼は自分の小屋で眠る弓矢と斧のことを思い出し、この雪が降る村の、今はもうない、あの安らぎに満ちた日々のことを考えるだろう。彼は小屋に戻り、失った人々、行った場所、見たものについて考える。焚き火の前に座り、炎が踊り、揺らめくのをずっと眺めているだろう。
「ここも彼らの世界だったのだろうか?」
雪の降る底のない夜に、ロゲルトはそう考えるだろう。
その夜は確か、蔦を編んで籠を作っていたはずだ。小さな指が慣れた手つきで格子を編み合わせ、幾何学的で美しい模様を作り出そうとしている。それは子供の手遊びに過ぎない。だが、こうして指を動かし続けている間、私は少しだけ安心する。指先を滑る荒い繊維の束は一揃いの網目を作り出すだろう。その度に出来栄えを確かめる。私は時々手を止め、耳を澄ますことを覚えるだろう。風の音や獣の鳴き声、虫の羽音が雪に乗って響いていただろう。私は窓から身を乗り出すかもしれない。風の強さに短い髪が乱れるのを感じ、頭を振って髪を直しながらもう一度外を見るだろう。その瞬間は私にもかつてそこにあった風景が見えたかもしれない。暗闇に閉ざされた哀しげな村の風景。廃村を歩くロゲルトの姿が見える。彼は雪の上にいつまでも残る、消えない無数の跡を辿って歩いているだろう。心の中に芽吹いた疑念が彼を苦しめ始めている。彼が空を見上げても、月と星は分厚い雲の向こう側にあるだろう。彼の眼はぼんやりと光を帯び、青白く輝いて見える。私の記憶にある村が、徐々に鼠色の雪に覆われていく。
私の心はだんだんと目の前の仕事から遠ざかっていくだろう。日時計のある村の広場を巡り、粉雪の火を過ぎて、エファイマの蛮族がやってきたあの夜へ飛んでゆくだろう。人々の渇き切った叫びが荒涼とした村を満たし、逃げ惑う体から血や涙が降り注いでゆく。私はそれをやがて瓦礫と化す物置の中から、息を殺して見ているだろう。困惑していた蛮行の夜や、瓦礫の中に身を隠す赤い日は、私に恐れ以外の感情を許してはくれなかった。荒れ果てた小屋で籠を編んでいるときにやっと怒りがこみ上げてきても、私は何もすることができないでいるだろう。彼は自分が滅ぼした村で生き延びようとしている。私には頼れる人間も、苦しみを分かち合える仲間もいない。目の前にあったのは仕事と、生き残るためには従わなければならないという現実だけだった。それが嫌でたまらない。しかし、私には何の力もない。他に選択肢がないことは分かっていた。私には食料や家が必要で、それを提供できるのはロゲルトだけだった。私は何の幻想も抱いていなかった。自分は奴隷に過ぎず、僅かな命と引き換えに男の言いなりになることを強いられているのだ、と考えた。私は再び籠を編み始める。自分は哀れまれるだけではない、利用されるだけの無力な子供ではないと思おうとして。風は夜の通りを吹き抜け、冬の飄々とした厳しさを伝えているだろう。雪は瓦礫に積もり、その内いくつかは雪の重みに耐えきれず音を立てて崩れていくだろう。白い煙のような息が立ち上り、やがてもの悲しい霧の中に溶けてゆくだろう。ロゲルトはその夜から、世界に呪われだした。そして私は、世界そのものを呪っていた。
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