忘却の海辺

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さまざまな石

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 何も知らなければ、思わず息をのむほど美しい光景だった。形を保った無垢な雪が朝日を浴びて輝き、村の人々の墓標となった瓦礫の山々を照らしていたに違いない。そこに罪はない。どこまでも続く灰色がかった空が、微かな陽射しを反射している。雲の切れ間から差し込む透明な光の梯子が海原を渡ろうとしている。何もかもが無垢であり、穢れなきものだった。風が吹きすさぶ中、木々もまた雪に覆われ、草原は白銀の世界となっていた。その中にあって、崩れた石工の家は、ただひとつ、雪に埋もれたように佇んでいる。村人たちはきっと安らぎの中で眠っているだろう。だが、その美しい光景の裏には、過酷な冬の厳しさが隠れている。未だ怨嗟に囚われて生きている人間たちにとって、何もかも透き通った世界ほど耐え難いものはないだろう。ロゲルト・オッリは疲れ果てていた。澄んだ川の水に海の魚が住めないのと同じことだ。
 遠い昔に忘れた約束のように、廃墟に光が滲んでゆく。彼は目を閉じて耳を傾け、死者の魂を探し求める。もちろん、何も聞こえない。耳を傾けることは不可能だろう。まるで消えそうな蝋燭のようなものだ。時折、死にゆく獣の呼吸に似た音が聞こえるような気がした。雪に覆われた村はかろうじて見えていた。墓石はところどころ黒く欠けている。彼らはこんな墓を作るために生きていたのだろうか。ロゲルトの声は掠れて虚ろなものになっていた。彼は死者の魂を慰めるための祈りの言葉を憶えていない。ただ、墓を作ることだけが頭にあった。それこそが、自分の魂を最も癒すものだと分かっていた。彼は大いなる冬の日差しの中で、無謀にも墓を作ろうとしていた。全ては黒い影となり、崩れかけた家の姿が二つ、辛うじて輪郭を保っている。私は彼の傍らで黙って立っていた。彼の手は血まみれで、服は裂け、血と泥に塗れている。彼の手は止まることがなかった。私は彼を見つめることしかできない。石切台は壊れ、鑿にはあの夜の拭い去れない血が残っていた。それを見たロゲルトは何を思っただろう。
 そうしたのはお前たちだ。奪うものなどないと言ったのは、お前たちだ。
 冬の太陽が、過行く雪の隙間から死者たちの為に昇っている。小さな枝が折れて、地面の上で乾いた音をたてている。彼らの声が遠くなっていく。
「すまぬ」
 一度そう言ってから、彼の中で何かが決壊したように思えた。彼の目元には雫の流れた跡があったような気がする。ロゲルトはそれを拭おうともせずに、自らの手で墓を作っていた。彼の心は、悲しみに耐えきれずに軋み始めていたのだろう。彼の手が震え、墓が少しずつ傾いていく。だが、それでも彼は手を休めなかった。全ての命を奪い去った男がだ。
「すまぬ、すまぬ。村人たちよ、私は石積みの墓しか用意してやれない」
 ロゲルトは声を震わせながら、涙を流して謝り続けた。その瞬間、彼は私がそこにいることさえ忘れ、苦悩に明け暮れているように思えた。私は、そんな彼に同情しつつも、冷ややかな目で見ていた。私たちは二人とも、それぞれの方法で狂気の中に迷い込んでいた。彼は傷ついた手で作業をしていたが、見るも無残な姿だった。彼は自分が奪った命に苛まれ、死んだ人々の記憶に取り憑かれていた。彼は赦しと平和を祈っていたが、心の底では、決してそれを見つけることはできないと知っていただろう。私もまた、許しがたい気持ちと理解したい気持ちとの間で葛藤していた。しかし心の底では私も、本当の意味での赦しは不可能であると分かっていた。なぜ、村人たちを葬らなければならないのか。なぜ、彼がそれをしなければならないのか。彼もまた、私と同じように、運命から逃れられない小さな人間なのではないか。
 石積みの小さな塔が柔らかな音を立てて倒れたとき、私は何もかもが無駄だったのではないかと思わずにはいられなかった。この墓は忘れ去られ、時間と記憶の彼方に消えてしまうのだろうか。それとも、命の儚さと私たちの行為の重さを、厳粛に思い起こさせてくれる日は来るだろうか。あれが墓だと分かるものはもう私しかいない。まだあの場所に転がっているだろうか。
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