群青雨色紫伝 ー東雲理音の異世界日記ー

MIRICO

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26 ー道ー

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 血は固めた方が止まる。
 拭けば更に血が流れるので、拭くことはしない。
 大体拭くものが帯しかない。

 今着ているものは着物一枚。羽織と帯で、中にTシャツと、体操服の短パンを履いていた。
 お風呂も入った後で、夜は少しだけ冷えるので、たまたま羽織を羽織っていた。羽織るだけだと草木に引っ掛けてしまうので、帯も使っていた。これは幸いである。
 Tシャツと短パンでうろついていたら、完全に不審者であろう。変質者だと思われて捕まるかもしれない。
 ふと、捕まった方が楽なのか考える。日本であれば楽で、安全な方法なのだが。
 それをやるには、正直不安が拭いきれない。

 大体、一体誰が理音を狙ったか、だ。
 こちらの人間。つまりフォーエンを接待していた誰かだとしたら、この辺りの警察官など、その接待者に近しい存在かもしれないのだ。いわゆる、癒着的な話である。
 そこでその警察官に助けを求めれば、元の木阿弥。同じように連れ去られることになってしまう。
 では、別の誰かが狙ったとして、その場合は警察官に助けを求めても平気だろうか。
 自分は言葉が話せず、身分を示すものは何もない。
 例えば、フォーエンの名前を連呼してもそれはただの無礼で、彼の元に送られることはない。エシカルと連呼すれば、そこまで連れて行ってもらえるだろうか。
 それだけの対応がなされる国なのかが問題なのだが。
 大体、城に暗殺者が入り込む国である。その国の警察官がどれだけまともに動いているか、はなはだ疑問だった。
 そう考えると、自分自身で逃げるのが一番安心で安全であるように思える。

 ただ、どうやって帰るか。になってしまうわけだが。

「方向がわかればな…」
 それは誰かに聞くしかないだろうか。教えてもらえれば、自分で帰れる。
 それから、あとは水があれば。
 目下の問題は水だ。食事はしないでも歩き続けられるだろうが、水だけは必要となる。
「こっちって、井戸かな…」
 最低限の生活水準すらわからない。

 トイレに行った時は川の水で手を洗ったぐらいなので、もしかしたら川の水を飲むのかもしれない。だとしたら、川と入れ物が必要なのだが。
 とにかく道なりを歩くしかなかった。いつ逃げたのがばれて、追っ手が来るとも限らない。
 こんな時にスマフォが通じて、連絡できれば楽勝なのに。
 現代に生きている人間の、当然な行動。それがここではできない。
 しかし、言う前に手元にスマフォなんてものはないのだが。
 荷物は全て庭の岩影だ。リュックの中に入れっぱなしである。
 使えもしないのにスマフォが恋しくなるとは、現代病すぎる。

「足、いった…」
 余計なことを考えても痛みは引かない。頭も顎も手も足も、じりじり痛んで、それが心を締め付けた。
 一人になる。それが現実になった。一人で放り出される恐怖を、いつか知るだろうと思っていても、いざ来れば、だた怖れしかない。
「泣くな」
 泣いても仕方ないのだ。今はとにかく歩いて、歩いて、フォーエンの元へ行くしかない。
「泣くな」
 泣いても、鼻が出ればかむものがないのである。
 そんなことを考えて我慢する。あ、丁度いい葉っぱがあるわ。
 垂れていた血の塊だけを葉で拭う。ついでに鼻もかむ。

 歩いて、歩いて。すぐに帰れるのだと。
 思い込むことで、泣く心を抑えた。


 森は深く、広く、長く。
 道なりにきたのに、分岐があった。
 右か、左か。
 この分岐を間違えれば、きっと遠回りとなる。

 町の名前は覚えているので、人に聞いて答えさえもらえれば進めるだろう。
 ただ、今は人がいない。

 荷馬車の運転手は、まだ自分がいないことに気づいていないだろうか。もし気づいて、例えば戻ってきたとしたら、この道をどちらか選んでくれるだろうか。
 それを待つべきか、それとも勘で進むべきか。
 木陰で身を隠しながらしばらく考えた。

 歩いて約一時間。その間、この道を通る人間は全くいなかったのだ。
 助けを得ることもできない。
 まだ暑い時期でないからそこまで困窮はしていないが、もし道を間違え、このまま水のない道を進むことになったならば、かなりきついのだ。
 けれどどちらが正解なのか、教えてくれる人間はいない。
「どうする…」
 一時間経った今、誘拐犯は戻ってこない。今でも、誘拐犯は気づいていないかもしれない。もしかしたら、目的地まで気づかない可能性がある。
 それを待っていても仕方がないし、気づかれてまた捕まっても困る。

 どちらへ行くか。

 てんの、かみさまの、いうとおり。

「右で」
 最低限、帰るための町の名前はわかる。それだけを頼りにするならば、どちらを行っても同じだ。
 ならば、行くしかない。まごまごしていると夜である。
 せめて夜までには町に近づきたい。その町が目的の町ではなくとも。
 何と言っても森が深いのだ。もし動物がいて、それが人を食べるような肉食動物であれば、絵も言わぬ恐ろしきことだろう。
 とにかく、町を目指さねばならない。

「八時間走れば、いくつかの町は通ってるはずだし」
 王都からでも何度か町には停まった。その名前を聞きつつ、馬車に揺られていたのだから、道を進めばどこかの町には着くだろう。集落でも充分だ。
「水がアルキ、ほしいのはアルキだけで、アルキ連呼すればくれるかな。水が有料なら困るな」
 ヘルプミーでも習っておけばと後悔する。迷子です。とかでもよかった。
「あとはエシカルを連呼して、どっちか指差して聞いて」
 ぶつぶつ呟いて、足を進める。

 しばらくして、何か呟いて歩くのはやめた。
 喉が乾くのである。

 そんなに暑くないのだが、よくよく考えれば、昨夜から何も飲み食いしていないで歩いているわけで、喉が乾くのは当然なのだ。
 腹が鳴るのは気にしないが、せめて水は口にしたかった。しかし、しばらく歩いていても川らしき音もしないし、水なんてものは目に入らなかった。
 まだ我慢はできる。できなくなる前に、水が飲めるところへ行きたい。
 走るとなおさら喉が乾くので、歩いて進んだ。早歩きしても、体力低下につながると思ったからそれもやめた。水だけでも手に入れば、早歩きをするのだが。
 ジャングルみたいに木の枝から水出るとか、あればいいのに。などと栓なきことを考える。
 歩いているだけなので、何かと考えてしまう。

 なぜ狙われた。とか。いや、前も狙われたから似たような話か。ただ今回は誘拐だったので、殺すつもりがあっても、しばらくは殺される予定ではなかったようだが。
 理音を誘拐して、利益になることがあるのか疑問だが、犯人にも言い分はあるだろう。 
 やはりそこは、自分が女だったという理由が一番であろうか。
 フォーエンから寵愛を受けている(妄想)などの理由であれば、身代金くらい取れると考えるかもしれない。ただその犯人が、どうやってあの庭まで入ってこれたか。になるのだが。
 しかも、ツワと同じ着物を着てだ。協力者がいるとしか思えない事件である。ただし、協力者がその妄想を信じている者に限る。のだが。
 そうでなかったら、誘拐する意味がない。
 やはり接待者が犯人であるか。考えてもキリがないのだが。

 似たようなことをぐるぐると考えていると、理音は音を聞いた。馬車の音だ。とっさに木陰に身を隠す。
 馬車は一台だった。理音が来た方向から来る。
 誘拐犯と同じ馬車か。それはわからないが、後ろが理音が乗っていた荷馬車と同じく、トラックのような形の荷馬車だった。だから、これに助けを求めるのは難しかった。
 間違って誘拐犯に助けを求めるなど、愚かすぎる。だったら見送るしかなかった。
 もし荷馬車の人間が誘拐犯ではないとしても、荷馬車に声をかける勇気はない。リスクを犯すことはできなかった。
 やっと通った人が来たと思えば、荷馬車とは。ついていない。

 そうして再び歩き続けて、次の通過者に出会った。こちらは前から歩いてきた。近づくにつれて男だとわかったが、その人に道を聞くか迷った。
 聞いて誘拐犯に気づかれたりしないか、今更心配になったのだ。もし話しかけたのを誘拐犯が聞いたら、すぐに追いかけて来るだろうか。
 自分は今、ただまっすぐ歩いているだけ。けれど分岐を過ぎてしまった。聞くべきか、否か、判断に迷う。
 けれど賭けに出た。間違っている方が、後々大変なのだから。

 理音は木陰で、通り過ぎようとした男に声をかけた。男は急に森の中から出てきた理音に大層驚いて、明らかに不審者を見る瞳で対応してきた。それは理音がこちらの言葉をしゃべっていないからだろう。
 それも気にせず、町の名を連呼した。それから指を指し、あちらか、それともこちらを行けばいいのかを問う。
 男はそれの意味がわかったか、彼の後方を指差した。分岐は右でよかったようだ。安堵しながらも、アルキ、を言葉にした。
 持っているかどうか。くれるかどうかだ。

「アルキ、持ってますか?アルキ、アルキ」
 男はさすがに嫌そうな顔をした。
 あ、これはくれないな。の顔である。
 これから長旅なのかもしれない。水は貴重なのだろうか。渡して奪われたら嫌だと思っているのかもしれない。
 一口くれるだけでいいのだが、その一口、が言葉にできなかった。
 男は理音を横目に警戒しながら、そそくさと通り過ぎて行く。

「道はわかったから、いいか…」
 男の後ろ姿は、あっという間に遠ざかった。変なのに捕まったと、走って行ってしまったからだ。
 あれを見て思う。
 治安、悪いのかな。
 そこまで露骨に驚いて逃げ出されると、さすがにこちらが不安になってしまう。
 だがまあ、考えても仕方がない。首を振って歩みを進めることにした。

 道はわかったのだから、いいではないか。そう思うことにした。
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