群青雨色紫伝 ー東雲理音の異世界日記ー

MIRICO

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129 ー仕事場ー

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「さ、ここが私の部屋だよ」
 ヘキ卿はうきうきと理音を部屋に連れた。

 ハク大輔のところと同じく、広い一部屋にどかんと机がある。壁際に調度品や装飾品が並べられているが、本棚も多く並んでいた。そこにぎっしり書物が並べられている。
 失礼だが、ちゃんと仕事部屋に見える。
 しかし、どこか甘い香りがした。香を焚いているのだ。
 さすがヘキ卿。仕事場でもいい匂いがする。おしゃれ番長か。

 部屋にはもう一つ扉があり、隣にもう一部屋があるのがわかった。こちらは部屋が二部屋繋がっていることが多い。理音が気にすると、そこも開けて中を見せてくれた。
 書庫だ。ゆうに学校の図書館くらい軽くある。そこに本棚が並び、書物が並べられていた。
「すごいですね」
「そう?私の部屋は少ない方だよ。部署にもよるね」
 部署と言えば、ヘキ卿が何をやっているか聞いてもいいだろうか。卿って何なの?とか、さすがに聞いたらまずいか。

 まごまごしていると、部屋にノックの音が響いた。ヘキ卿の返事に入ってきた人は、静かに頭を下げる。
「リオン、彼が君に仕事を教えることになるから」
 紹介されたのは、ヘキ卿に比べて若干年が上の男だった。
 コウユウのように落ち着いた、一見優しそうな雰囲気を持っている。おっとりとした柔らかい印象だ。面長の細目で、笑うと目尻のシワが深く刻まれた。
 思ったより年が上なのかもしれない。

「リオンさん、私はメイラクと申します。ヘキ卿の補佐をしております」
 補佐って言えば、結構いい身分の方なのではなかろうか。なのにさん付けで呼ばれると、不思議な感覚だ。ここでさんを付けて呼んできた者など、一人もいない。
「よろしくお願いします」
「ヘキ卿がさぼって、鳥のようにどこかへ飛んで行かぬよう見張るのが役目ですので、リオンさんもぜひ手伝ってください」
 隣でヘキ卿がぎょっとした顔をする。まさかの挨拶に、慌ててかぶりを振った。
「ヘキ卿…そんなさぼるんですか」
「さ、さぼってなんて、今はいないよ」
 今は、である。
 きっとそれは確かなのだろう。そして、真面目に働くように、今も見張られているのだ。
 フォーエンも同じようなことを言っていたのだから、そのふしがまだあるのかもしれない。

「あまり説得力のない言葉ですね。さ、リオンさん。早速手伝ってもらいたいことがあるので、こちらへどうぞ」
「リオン、後で食事を一緒にしよう」
 ヘキ卿の言葉に笑顔で頷いて、メイラクについていく。廊下に出て隣の部屋に入り書類を持ってくると、彼はにこにことそれを理音に手渡した。
 どさりと言うオノマトペがお似合いの、量と重さを持った書類たちである。
 それらは木札ではなく、全て紙だ。手作りの和紙のような厚さの紙を糸で綴じているので、書物と言うべきだろうか。表紙もあるので、製本された本と言っていい。
 それをどさりとくれたわけである。その本の多さに、リオンは顎で落ちないようにそれを抑えた。
「これを書庫へ戻してください。間違えて片付けないように。それが終わったらこの書物を持ってきてくださいね。さ、行ってください」
「わかりました」

 書庫の場所を説明され、頷いて重なった書物を持ったままそちらへと向かう。
 一枚の木札には、持ってくる書物のリストがずらりと書かれていた。同じくらいの量を持ち帰ると思えばいいだろうか。書庫の中は司書のような人がいるらしく、その人に聞けば教えてくれるそうだ。
 その時に、もう一枚の木札を必ず見せるように言われた。
 文字と言うより、紋に見えるそれは、ヘキ卿が必要であると言う証拠になるそうだ。
 それを持っていけば、自由に書庫から書物を借りることができる。図書カードみたいなものである。
 書庫の場所は、この建物から出て、違う建物に行かなければならない。

 メイラクに遠慮はないので、彼は本当にリオンが何者なのかは知らないようだ。
 ヘキ卿なら手心を加えて仕事をよこしそうなので、これくらいならこちらの方がいい。
 のんびりしすぎて変に目立ちたくないし、考える時間はほしくなかった。昼間は何も考えずに仕事に没頭したい。

 結局、トイレから戻った後、フォーエンは何も言わなかった。
 どこか言葉が少なく会話も弾むことはなかったので、それ以上のことは言わず、もらった写真を見ながら、誰が誰なのか教えてもらっただけにとどまった。
 フォーエンに聞いても、何も教えてくれないかもしれない。それがわかっただけだ。
 だからもう聞かないし、それでいいと思っている。
 妙な輩が出ればツワに伝え、それをフォーエンに伝えてもらえればそれでいい。
 ここにいてそう言ったことが簡単に出るとは思えないので、囮として暗殺者と対面したりしない限り、フォーエンに何か用なども出ないだろう。

「よし、ちゃっちゃと終わらせるぞ」
 考えても仕方ないことを考えても、仕方ないのである。
 言われた通りに書物を書庫へとしまうのに、理音は走り回った。
 書庫はそれこそ有名な図書館のように広く、一つの建物全てが書庫となっていた。
 返却には自分の足で探し返さなければならない。それにかなり時間を割いた。
 まずは分類を覚え、その場所を覚えなければならない。書庫に地図はないが、本棚に立て札があるので、それを確認しながら書物を返す。
 図書館のように、借りたら受付に返せばいいわけではない。
 文字が読めて良かったと思う。難しい字が読めない場合、おそらく日本語でも読めない場合だ。だからとりあえず問題はなさそうである。
 とは言え、書庫は広く、本棚を探すのにも苦労がいった。分類の仕方がいまいちわからない。

 ヘキ卿が借りていた書物は、主に催事。季節のイベントだろうか、儀式にかかる祭具の詳細な図式や装飾、その他かかっていた費用。
 つまり、フォーエンのお誕生日会の資料である。
 まだ宴は行っていない。その用意のための資料がもう必要ないのだろう。それらを片しているのだ。
 ヘキ卿がお祭りの幹事なのかどうか。

 そうしてやっと片付けると、今度は借りるものを探す。
 カテゴリー別に本棚が分かれているが、一部の書物は部屋が違った。
 厳重に警備されているか、衛兵がいる。剣を佩いた衛兵だ。
 理音が近づくと、札を出すように言った。
 なるほど、重要書類がある場所は、木札を見せてヘキ卿の許可を得ていることを確認し、中に入るのだ。二重の確認をするのならば、持ち出しに規制がかかっているわけである。

 前の出仕ではなかった仕事だ。こちらの方が重要度が高い仕事が多いためである。
 もらったリストの書物を手に取り、わからなかったら受付の人に聞いた。
 しっかりと整頓されて並べられているので、迷うこともない。
 単純な仕事は楽でいいのだが、これが役に立っているのかはわからなかった。しかし他にできることがないので、単純作業しかさせられないのだろう。
 役立たずである。
 なので、頼まれた仕事はミスなく迅速に行いたい。

 書物整理を終わらせて、次の仕事をもらいにいく。
 さて、部屋に戻るのに、いきなりヘキ卿の部屋に入っていいものか。
 普通ならばメイラクがいる部屋に行き、彼に声をかけるべきだろう。
 しかし、メイラクがいる場所を聞かなかった。失念していた。ここがそもそも駄目なところだと、理音はヘキ卿の部屋の前で唸った。
 作法がさっぱりわからない。

 子供の出仕でも言われた、近くの人に声を掛けて、だが、このヘキ卿の部屋に、ヘキ卿以外の人がいるのか疑問である。
 メイラクは隣の部屋から書類を持ってきたが、理音は部屋に入っていない。だが、そちらに行った方がいいかと思案する。

「うーん」
 ヘキ卿がいいって言ってからいいのか。いや、駄目だろう。そこが駄目なんだって。甘やかされたら駄目なんだって。
 その考えを、ぐるりと一周した時、目の前の扉が開いた。

「お帰りー」
 ヘキ卿である。何だ、お帰りって。
「早かったねえ。さ、入って。休憩しなさい」
「え、いえ」
 ヘキ卿は理音が持っていた、集めた書物をひょいと持ち上げる。
 ああ、それそれ。それだよ、ヘキ卿。
 本来ならヘキ卿にやらせちゃ駄目なやつ!

「お茶を用意してあるから」
 言われて部屋に入ると、先ほどまでなかった机と椅子がある。その机の上にはお茶が用意されていた。
「ヘキ卿…」
 理音は脱力しそうになった。部屋にはメイラクもいたが、気にしないようにと首を振ってくる。いや、気にするよね。
「お茶を飲み終わったら、別の仕事がありますよ。もちろん、ヘキ卿にです」
「えっ」
 ヘキ卿はぎょっと顔をあげる。さもありなん。もうさぼりの口実に使われていると思われているのではないだろうか。

 そして机はもう一卓配置されていた。それは壁際で、小さな机だったけれども、それを見て嫌な予感しかしない。
 理音の視線に、ヘキ卿は笑顔で返す。
「リオンの机は用意したから」
「いやあ…」
 つい、ちらりとメイラクを見やる。
 駄目だよね、それ?の意味で見やったわけだが、メイラクは細い目をさらに細くして、無言を貫いた。

 メイラクは、目をつぶる気だ。
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