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9、迎え
イニャスを保護してから一年の間、彼は子供にされた魔法をどうにかして解こうとしていた。第二妃の呪いのような魔法は解くには時間がかかり、エリアーヌも王宮で古びた魔法の本をあさった。ときに信用のおける商人を使い、古書を探させたりもした。
その甲斐あって、解除の目処が立ち、イニャスは国に戻ることにした。
そのときに約束してくれたのだ。必ず公国の後継者の座を勝ち取ると。
そして、必ずエリアーヌを迎えにくると。
「迎えに来るのが遅くなって、すまない」
「とってもいいタイミングだったわ。丁度私も出るところだったの」
イニャスの再度の謝罪に、エリアーヌは冗談混じりで笑った。
イニャスとの婚約が進むまで、あの王宮で耐えるつもりだった。
何もなければ、存在の薄い第三王女のまま、施設を行き来する生活を行なっていただろう。
エリアーヌは普段、情報を集めるために、メイドの姿で王宮内をうろついていた。ボニーは本当に仕事をしない。だから、エリアーヌは王宮内でも自由に動けた。
ジュリエッタの結婚パーティについても、それで知っていた。そして、エリアーヌの婚約話があることも耳にしていた。それがいつ行われるのかはわからなかったが、願ったり叶ったりだった。婚約破棄の誓約を発動させた方が、エリアーヌには都合がいい。
だから、婚約を確実にした後の、王宮脱出の計画を考えた。イニャスが間に合わないのならば、先に公国に入り待つことも厭わない。そう思っていたから。
一人で公国に向かう。その予定だった。
(入れ替わりにならなくて良かった。せっかく来てくれたのに、私が先に出ていたらと思うと)
お互い、密に連絡ができるわけではない。手紙のやり取りなどはなかった。
エリアーヌができることは、ただひたすら待つこと。公国のために情報を集めること。
苦しさはなかった。必ず迎えに来てくれると信じていたから。
「エリアーヌ、もう一度申し込ませてくれ」
イニャスはエリアーヌの手にそっと触れると、床に膝を突いて顔を上げた。
前にも見た顔だ。真剣で、けれど少しだけ頬が強張って、薄紅色が乗っている。
子供の姿だったイニャスは、エリアーヌをまっすぐに見つめた。
今も同じ。エリアーヌを見て離さない。
「私と、結婚してくれませんか?」
「--もちろんよ、イニャス!」
伸ばされた腕に応えて、エリアーヌはイニャスを抱きしめた。
イニャスだけが、エリアーヌを見て、エリアーヌを必要としてくれた。
誰にも必要とされず蔑まれ、第三王女という名ばかりの立場を嘲笑う者に囲まれていたエリアーヌを。
「あのような誓約が、こんなふうに役立つとは思わなかった」
「でも、そのおかげで助かったわ」
契約書の誓約は、公妃ではなくイニャスの計画だった。王国の一部を手に入れて、魔石を奪う。エリアーヌはただのおまけだったかもしれないが、それでもいい。
打算のある婚約を、本気の告白に変えてくれたのだから。
やっとこの国から抜け出せる。エリアーヌを必要として、外へ出してくれるのだ。
それを叶えてくれたイニャスに、感謝しかない。
エリアーヌはずっと、この日を夢見ていたのだから。
「あの土地も、必ず……」
小さくつぶやいて、エリアーヌはイニャスに抱きしめられたまま、瞼を下ろした。
◇ ◇ ◇
「エリアーヌ、ここにいたのか」
イニャスの声に、エリアーヌは振り向いた。
震えるほど凍える寒さに、イニャスが上質な毛皮のマフラーを巻いてくれる。
城の屋上から景色を眺めながら、エリアーヌは喉の奥まで凍ってしまいそうな空気を吸い込んだ。
あの土地、母親の生まれた、サンテール王国。滅ぼされた国。
城はそのままだが、趣味の悪いタペストリーや成金趣味の調度品が部屋を占領していた。
母親が王女であった頃の面影はない。だが、見たことも会ったこともない祖父母の絵が、倉庫で眠っていた。母親の子供の頃の姿と共に。
イニャスは荒地を手にすると、あっという間にこの土地を攻めた。まさか公国が攻めてくるとは思っていなかったか、管理していた者たちは瞬く間に降伏し、この城は陥落した。
誓約で奪った土地は、エリアーヌの母親の国に隣接していた。僻地にあるその土地を奪うために、わざわざ荒野を欲しがったなど、王は想像していなかった。
魔石が掘られる採掘所も占拠できた。
この場所から魔石の供給が止まれば、魔導武器の製造も難しくなり、そのうち製作ができなくなるだろう。
魔石の供給がゼロになるわけではないが、製造量は確実に落ちるはずだ。
時代は常に変化しつつある。
大国が胡坐をかいている間に、他国は新しい魔法を開発していった。
魔法が魔導武器の下であるという時代は終わり、今や魔導武器より魔法の方が強力なのだと、王は気付いていなかったのだ。
「エリアーヌ、雪が降ってきた。中に入ろう。風邪を引いてしまう……」
イニャスが促しながら、エリアーヌを見つめた。
「どうかした?」
「いや、雪の女神のように見えたから」
急に何を言い出すのか。エリアーヌが頬を赤く染めると、イニャスはゆるりと微笑んで、エリアーヌの髪についた雪を、なでるようにして払った。
「本当だよ。私の美しい女神。君ほど、この土地に似合う者はいない」
この土地、母親の故郷。エリアーヌのルーツである、冷たい雪国。
風が吹いて、雪が舞い、イニャスは飛ばされないようにエリアーヌを抱きしめる。
その暖かさに、涙しそうになった。
エリアーヌは、母親の国を取り戻せれば、それで良かった。
だが、他の者たちはどうだろう。あの国は多くの者たちを蹂躙してきた。魔導武器を製作するための魔石を、その採掘される土地を、公国が奪った。今後、あの国はどんな影響を受けるだろうか。
先の戦いで周囲の国々を黙らせた大国はもうない。昔の土地を奪い返そうと、虎視眈々と狙っている者たちが周囲にいるのだと、気付いているだろうか。
大国が崩れるのはすぐではない。だが、その足音が近付いていることを、彼らは知らぬままでいるのだろう。
「母を死なせた罪は、必ず償うことになるでしょう」
罰を下すのは、エリアーヌだけではないのだから。
その甲斐あって、解除の目処が立ち、イニャスは国に戻ることにした。
そのときに約束してくれたのだ。必ず公国の後継者の座を勝ち取ると。
そして、必ずエリアーヌを迎えにくると。
「迎えに来るのが遅くなって、すまない」
「とってもいいタイミングだったわ。丁度私も出るところだったの」
イニャスの再度の謝罪に、エリアーヌは冗談混じりで笑った。
イニャスとの婚約が進むまで、あの王宮で耐えるつもりだった。
何もなければ、存在の薄い第三王女のまま、施設を行き来する生活を行なっていただろう。
エリアーヌは普段、情報を集めるために、メイドの姿で王宮内をうろついていた。ボニーは本当に仕事をしない。だから、エリアーヌは王宮内でも自由に動けた。
ジュリエッタの結婚パーティについても、それで知っていた。そして、エリアーヌの婚約話があることも耳にしていた。それがいつ行われるのかはわからなかったが、願ったり叶ったりだった。婚約破棄の誓約を発動させた方が、エリアーヌには都合がいい。
だから、婚約を確実にした後の、王宮脱出の計画を考えた。イニャスが間に合わないのならば、先に公国に入り待つことも厭わない。そう思っていたから。
一人で公国に向かう。その予定だった。
(入れ替わりにならなくて良かった。せっかく来てくれたのに、私が先に出ていたらと思うと)
お互い、密に連絡ができるわけではない。手紙のやり取りなどはなかった。
エリアーヌができることは、ただひたすら待つこと。公国のために情報を集めること。
苦しさはなかった。必ず迎えに来てくれると信じていたから。
「エリアーヌ、もう一度申し込ませてくれ」
イニャスはエリアーヌの手にそっと触れると、床に膝を突いて顔を上げた。
前にも見た顔だ。真剣で、けれど少しだけ頬が強張って、薄紅色が乗っている。
子供の姿だったイニャスは、エリアーヌをまっすぐに見つめた。
今も同じ。エリアーヌを見て離さない。
「私と、結婚してくれませんか?」
「--もちろんよ、イニャス!」
伸ばされた腕に応えて、エリアーヌはイニャスを抱きしめた。
イニャスだけが、エリアーヌを見て、エリアーヌを必要としてくれた。
誰にも必要とされず蔑まれ、第三王女という名ばかりの立場を嘲笑う者に囲まれていたエリアーヌを。
「あのような誓約が、こんなふうに役立つとは思わなかった」
「でも、そのおかげで助かったわ」
契約書の誓約は、公妃ではなくイニャスの計画だった。王国の一部を手に入れて、魔石を奪う。エリアーヌはただのおまけだったかもしれないが、それでもいい。
打算のある婚約を、本気の告白に変えてくれたのだから。
やっとこの国から抜け出せる。エリアーヌを必要として、外へ出してくれるのだ。
それを叶えてくれたイニャスに、感謝しかない。
エリアーヌはずっと、この日を夢見ていたのだから。
「あの土地も、必ず……」
小さくつぶやいて、エリアーヌはイニャスに抱きしめられたまま、瞼を下ろした。
◇ ◇ ◇
「エリアーヌ、ここにいたのか」
イニャスの声に、エリアーヌは振り向いた。
震えるほど凍える寒さに、イニャスが上質な毛皮のマフラーを巻いてくれる。
城の屋上から景色を眺めながら、エリアーヌは喉の奥まで凍ってしまいそうな空気を吸い込んだ。
あの土地、母親の生まれた、サンテール王国。滅ぼされた国。
城はそのままだが、趣味の悪いタペストリーや成金趣味の調度品が部屋を占領していた。
母親が王女であった頃の面影はない。だが、見たことも会ったこともない祖父母の絵が、倉庫で眠っていた。母親の子供の頃の姿と共に。
イニャスは荒地を手にすると、あっという間にこの土地を攻めた。まさか公国が攻めてくるとは思っていなかったか、管理していた者たちは瞬く間に降伏し、この城は陥落した。
誓約で奪った土地は、エリアーヌの母親の国に隣接していた。僻地にあるその土地を奪うために、わざわざ荒野を欲しがったなど、王は想像していなかった。
魔石が掘られる採掘所も占拠できた。
この場所から魔石の供給が止まれば、魔導武器の製造も難しくなり、そのうち製作ができなくなるだろう。
魔石の供給がゼロになるわけではないが、製造量は確実に落ちるはずだ。
時代は常に変化しつつある。
大国が胡坐をかいている間に、他国は新しい魔法を開発していった。
魔法が魔導武器の下であるという時代は終わり、今や魔導武器より魔法の方が強力なのだと、王は気付いていなかったのだ。
「エリアーヌ、雪が降ってきた。中に入ろう。風邪を引いてしまう……」
イニャスが促しながら、エリアーヌを見つめた。
「どうかした?」
「いや、雪の女神のように見えたから」
急に何を言い出すのか。エリアーヌが頬を赤く染めると、イニャスはゆるりと微笑んで、エリアーヌの髪についた雪を、なでるようにして払った。
「本当だよ。私の美しい女神。君ほど、この土地に似合う者はいない」
この土地、母親の故郷。エリアーヌのルーツである、冷たい雪国。
風が吹いて、雪が舞い、イニャスは飛ばされないようにエリアーヌを抱きしめる。
その暖かさに、涙しそうになった。
エリアーヌは、母親の国を取り戻せれば、それで良かった。
だが、他の者たちはどうだろう。あの国は多くの者たちを蹂躙してきた。魔導武器を製作するための魔石を、その採掘される土地を、公国が奪った。今後、あの国はどんな影響を受けるだろうか。
先の戦いで周囲の国々を黙らせた大国はもうない。昔の土地を奪い返そうと、虎視眈々と狙っている者たちが周囲にいるのだと、気付いているだろうか。
大国が崩れるのはすぐではない。だが、その足音が近付いていることを、彼らは知らぬままでいるのだろう。
「母を死なせた罪は、必ず償うことになるでしょう」
罰を下すのは、エリアーヌだけではないのだから。
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