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4、嫁ぐことになりました
(成程ですね。美人の威力です。破壊力がありました)
クロヴィスの微笑みに、周りにいた者たちですら顔を赤らめた。自分たちの主人が朗らかに笑んだだけなのに、周囲がざわめいたのである。
その顔はすぐに真顔になり、微笑みは消えてしまったが。
パーティに出席すれば女性が群がる理由が分かるというものだ。
(でも、わたくし耐性がございます。王子様とやはり似ていらっしゃるのですよね)
フローラン王子の美貌にも令嬢が群がっていたが、王子の場合その美貌を武器にしていた風がある。
(あの方は要領が良いですからね)
フローラン王子の方が含んだ笑いを見せるので、時折嫌な予感などするのだが、クロヴィスに至っては素直で誠実な笑みに見えた。
「わあああーっ」
「しっかり捕まっていろ」
クロヴィスは雪が止んで晴れ間が広がった日、アルベルティーヌを誘ってくれた。
寒いからとコラリーに暖かいコートやズボン、ブーツまで用意してもらい、もこもこの格好でドラゴンに跨がる。少しでも寒さが凌げるようにと、ドラゴンの背の鞍の上にはふわふわの毛皮が張られていた。
クロヴィスは何も言わなかったが、前に見た時に毛皮はなかったように思う。相変わらず視線をしっかり合わせようとはしないが、気にはしてくれたのだろう。
ドラゴンが羽を一振りすると体が浮くような感覚になる。上昇すると風が冷たく、風の強さで後ろに押されるほどだったが、後ろにいたクロヴィスがそれを支えてくれた。
クロヴィスは手綱を引き、風に乗ってゆっくりと旋回する。
「お城があんなに小さく見えます。あれは街でしょうか? あ、湖が見えます!」
「怖くないか?」
「怖くないです。とても美しいですね。空の上から眺めるとこんなに遠くまで見られるんですね!」
都から来る途中、領土に入ればずっと森の中だった。小さな村ですら通ることなく、見えるのは木々の生えたうっそうとした景色だけ。
空からは領土が一望できるほど良く見える。この高さから見る風景は圧巻で、天気が良いため遠目にある山々まではっきり見えた。
「あれが鉱石のある山だ。あれを欲しがるものは多い」
示された先にある稜線はなだらかで、その隙間に小屋がいくつか建てられている。あの小屋のある場所が採掘場のようだ。
(かなりの数がありますね。国の財政を数十年賄えるとまで言われているのですから、それは喉から手が出るほど欲しくもなるのでしょう)
山の向こうは隣国で、国境を守る大切な要所でもある。空からの監視は必要不可欠で、入り込む魔獣も退治し、ドラゴンの生育にも騎士の育成にも力を入れなければならない。
国にとっても重要で、それなりに信頼のある者に任せたい場所だろう。後継者がいなくなればこの領土は争いの種になる。王子が気にするだけあった。
空から見れば土地の形状が良く分かる。人によってはこの景色を記憶して、侵略方法を考えることができるだろう。
(こうやって領土を空から見せてくれるということは、少しは歩み寄ろうとしてくれているのでしょうか)
「寒いか?」
「いえ、大丈夫です! とても美しいですね! 雪が積もっていますから、なおさら幻想的です!」
「……湖に降りてみるか?」
「よろしいのですか!? 是非!!」
アルベルティーヌの返答に、クロヴィスは急な風圧を受けないように、ゆっくりと下降した。
そうして、湖だけでなく、街や鉱山にまで連れて行ってくれたのだ。
「へっくち!」
「大丈夫ですか。アルベルティーヌ様。こんな寒い時期にドラゴンで案内なんてすれば、風邪を引くに決まっているでしょうに。いくら厚着をしていても、空の上では体感温度が全く違うのですから」
さすがに空の散歩は長すぎたか。城に戻った頃にはアルベルティーヌの体は冷え切り、寒すぎて風邪を引いてしまったようだった。
外は既に暗く、雪が降り始めている。ドラゴンに乗っている間は気付かなかったが、気温も低くなっていたようだ。
「へくち!」
「さあさ、お休みになってください。体を温めて」
熱もあるか、コラリーが額を濡れタオルで冷やしてくれる。
帰ってくるなりくしゃみを連発したので、クロヴィスが慌ててコラリーを呼んでくれた。コラリーが子供に叱るようにクロヴィスを叱り、クロヴィスは何をしていいのか分からないとオロオロしていた。
後で医師を呼ぶように大声を上げていたのが聞こえたが、きっと驚かせてしまったのだろう。
「女性と空を飛ぶことなどありませんから、女性の体が男性より弱いことに気付いていないのですよ。まったく」
「コラリー。わたくしがクロヴィス様にお願いしたのです。怒らないでください」
「ええ、ええ。あんなに慌てて医師を呼んでいましたからね。とにかく休んでください。ドラゴンに乗るのは体力もいりますから、疲れたでしょう?」
体が重く感じるのはそのせいだろう。鍛えている騎士たちとは違い、アルベルティーヌは鍛えてもいない。風圧を受け続けていれば疲労があって当然だ。
クロヴィスは気にしてくれていたが、楽しすぎていつの間にか無理をしていたようだ。
(恥ずかしいですね。またはしゃぎすぎてしまいました)
クロヴィスに謝らなければ。何度か大丈夫かと気遣ってくれていたのに、美しい景色や初めて乗るドラゴンに興奮して、自分の体調の変化に気付かなかったのだから。
「アルベルティーヌは、大丈夫か?」
「クロヴィス様。今、お休みになるところですよ」
「薬を持ってきたのだが……」
「あら、まあ」
ノックの音が聞こえたかと思えば、クロヴィスが部屋に入ってきた。持ってきた瓶から琥珀色の液体を注いでくれる。
「申し訳ありません。体調が悪いことに気付かず」
「気にしなくていい。とにかくこれを……」
渡された小さなグラスを手に取って、アルベルティーヌはそれを口に含んだ。
飲み込むと喉にカッと熱が残り、胃を通り過ぎていくのが分かる。
「ちょっと、お待ちください!? クロヴィス様、何を飲ませたのですか!?」
「気付け薬だが?」
「ば、な、何なさっているのです!? アルベルティーヌ様!?」
ふわふわと浮いている気がするのは、ドラゴンに乗って風に吹かれている感覚が残っているからだろうか。
目を瞑れば空に浮いているような気がした。
「お酒ではないですか!!」
「だ、ダメなのか??」
「ダメに決まっているでしょう!! アルベルティーヌ様!? アルベルティーヌ様!! もう、クロヴィス様は医師を連れ戻してください!!」
二人の会話が遠くに聞こえて、アルベルティーヌは視界がぼやけるのを感じた。
側でクロヴィスが泣きそうな顔をしている。頭をなでようとして、手を伸ばし、けれどそれをやめた。
(なでてくれて良いのですが。手を引っ込めちゃいました)
「すまない……」
か細い声が届いたが、それに返事をすることはできなかった。
(夢でしょうか。ふわふわしますね)
いつも視線を合わせてくれないクロヴィスが、こちらをじっと見つめている。
変な顔をしていないか、とても心配になるが、頭が働かないのでその瞳を眺めた。
(湖と同じ色なんですね。近くで見ることがないので気付きませんでした)
淡いエメラルドグリーン。冬の湖と同じ色だ。その輝きはあまりに玲瓏で、目を奪われる。
妖精のようだと噂されるほど、その顔の造形や瞳の色、髪の色まで美しい。
その姿に見合った性格ではないと思っていたが、何度か接する上でその優しさにも気付き始めた。
(随分不器用のようですが、元はお優しい方なのでしょう)
「フローランには、婚約を進められないと、手紙を出す。フローランのことだから、婚約に関し噂にならないよう配慮しているだろう。春になって雪が溶けたら、都に戻れるよう、手配をする……」
クロヴィスはぽそぽそと、そんな言葉を連ねた。
言い終えると、一度唇を噛んで顔を背ける。話は終わりだと立ち上がろうとしたが、気後れするように体を揺らした。
「アルベルティーヌ……?」
「なに……、勝手に、おかしなこと言ってくれてるんでしょうか?」
去ろうとするクロヴィスの服の端を引っ張って、アルベルティーヌは何とか声を絞り出す。
頭の中はぼんやりしたままだが、先ほどの言葉は聞こえた。文句の一つや二つ言ってやらねば気が済まない。
クロヴィスが逃げないようにぎゅっと服を摘んだまま、アルベルティーヌは眉を逆立てた。
「あ、……まだ起きない方が良い。熱も高いから」
「ごまかさないで、いただきたいですね……。人が眠っているのをいいことに、好き勝手、お話しして、まったく、やっぱり失礼な方ですよ」
「……、悪いことを、したと思っている」
クロヴィスはしょんぼりとして肩を下ろした。いつもの偉そうな態度はどこへいったか。コラリーに怒られているみたいに、困ったようにして大人しく椅子に座り直す。
「今、わたくしは、ぼやぼやなので、後でまた申しますけれども、騙したことは許せませんし、誠実でなかったと思うのです」
「分かっている」
「分かっているのでしたら、わたくしに誠意ある態度を、なさって」
「だから、春になったら、責任を持って都に帰すと……」
「その、とんちんかんな、すっとぼけた考え方が、腹立たしいのですよ!!」
アルベルティーヌは精一杯の大声を上げた。あまり声が出ていないので掠れていただろうが、服を捻るくらい引っ張って身を乗り出すと、大声を出すために大きく息を吸い直す。
「わたくしに謝り、もう一度初めからやり直す、くらい、おっしゃったらいかがでしょうか!! この、根性なしさんが!!」
「こ、こんじょうなし、……さん……」
「根性なしさんでなければ、へたれさんですよ!!」
「へたれ……」
「幼い頃から、大変だったのは理解いたします、が、わたくしを、その辺のご令嬢と、一緒にしないでいただきたいですよ!! 何事にも、例外が、ございますでしょ!?」
「例外……。例外、ぷは。そうだな。例外が……」
「何が、おかしいのでしょうか!?」
クロヴィスが突然吹き出して笑うので、アルベルティーヌはふらつく頭で何とか起きあがろうとした。しかし目の前が眩んで目が回るので、起きあがることができずにべちゃりと枕に頭を付ける。
息がしづらくて、はあはあ言っていると、クロヴィスがはだけた毛布を掛け直してくれた。
「アルベルティーヌ。もう眠ってくれ。まだ熱が高い。君の熱が下がったら、しっかり話をしよう」
クロヴィスは優しく頬に触れると、額から落ちた濡れタオルを氷水に浸して、アルベルティーヌの額に乗せてくれる。
冷たさが頭をすっきりさせてくれる気がして、アルベルティーヌはもう一度強くクロヴィスの袖を握った。
「体調が良くなったら、話をしよう」
「……本当ですね? 男に、二言はありません。わたくし、すぐに復活いたしますので、首を洗って、待っていらっしゃいませ」
「はは、分かったから。ゆっくり眠ってくれ……」
握っていた手に触れてその手を毛布の中に入れると、クロヴィスはゆっくり立ち上がった。少し恥ずかしげにして間を置くと、額に乗っている濡れタオルにそっと口付ける。
「そこは、タオルですが?」
「そこはつっこまなくていい……。おやすみ。アルベルティーヌ」
「……おやすみなさいませ」
何時だか分からないが、もう夜なのだろう。クロヴィスはおやすみの挨拶をして扉を開けて出ようとすると、アルベルティーヌに向き直り、もう一度挨拶をして出て行った。
緩やかな笑みは、まるで妖精のように美しかった。
何日寝込んだか。目が覚めてからベッドを離れるまで数日かかり、元気に歩き回れるようになるまでさらに数日かかった。
(すぐ復活すると言っておいて、中々復活できませんでした。体力づくりをしなければいけませんね)
外は相変わらずの雪景色で、部屋の中にいても分かるほど雪深くなっている。
「綺麗ですね。こんな寒さの中、お花をいっぱい見れるとは思いませんでした」
コラリーに連れられて入った場所は植物園で、外の雪景色とは一変した緑の集まる部屋だった。赤やピンクの花、オレンジや黄色の実をつけた果物まである。
「北国ですから花が少なくて、お城に飾る花をここで育てているんですよ。どうぞ、あちらへ」
促されて歩いた先、クロヴィスが花々に囲まれ佇んでいた。
妖精がいると見まがう姿に、アルベルティーヌもどきりとする。
(女性に見えるわけではないのですけれど、まるで絵画のようですね)
花に群がる蜂のように、女性たちがクロヴィスを囲むのも分かる気がする。声を掛けることはできずとも、つい視線を向けてしまうほどの美貌だ。
しかしここにはそんな者たちはいない。クロヴィスはアルベルティーヌに気付くと、小さく笑んで悠然と近寄ってきた。
「体調は大丈夫だろうか?」
「大丈夫です。もう元気いっぱいです」
そう答えただけで、クロヴィスはくすりと笑う。初めて会った時に比べて笑顔が増えたのは勘違いではないだろう。
緩やかな笑みを見るだけで、ほんのりと胸が熱くなるのを感じた。
「先に、お詫びを」
クロヴィスは恭しく首を垂れると、謝罪を口にした。
「別の名を語り、偽ったこと。遠く都からいらした令嬢に対して、誠意のない対応をしたことをお詫びします。遠くから来てくださったあなたを迎える態度ではなかった」
最初から追い出す気だったこと、わざと帰りたがるように仕向けたこと。それだけでなく、嫌がらせまで行う予定だったことを詫びた。
城の皆がそれは止めようと言わなければ、嫌がらせを行使していたと吐露し、深く頭を下げる。
「このような真似をし、今さら何をと言われるだろうが、これだけは聞いていただきたい」
クロヴィスは顔を上げると床に片膝をついた。アルベルティーヌの指にやさしく触れ、端麗な顔をアルベルティーヌに向ける。
「アルベルティーヌ。この城に留まり、私と結婚をしていただけないだろうか」
真剣な面持ちに、アルベルティーヌは息をするのを忘れそうになった。
アルベルティーヌを真っ直ぐ見上げる視線に、偽りはない。
「婚約なしで結婚ということで良いと」
「けっこっ……、勿論、婚約期間は取るつもりだ。そんな急に結婚と言われても、簡単に頷くことなどできないだろうし、婚約期間を持って、お互いの理解を深められればとっ……!」
クロヴィスは焦ったようにまくし立てる。婚約を経て結婚という形を取れればと、顔を真っ赤にして口籠った。
からかってみただけなのだが、可愛らしいと言っても良いだろうか。
恥ずかしいのか、アルベルティーヌを直視できぬとうつむいたが、クロヴィスはもう一度勇気を持ったように顔を上げる。
「返事を、お聞かせ願えないだろうか」
「……謹んでお受けいたします」
アルベルティーヌの返事に、クロヴィスは頬を緩めて笑顔を見せた。
「ふーむ、私の義妹との婚約を断るわけがないと思ったが、もう尻に敷かれているのか?」
「その口は閉じたらどうだ、フローラン」
「私のおかげで結婚を決心できたんだ。喜んで私を迎えたらどうだ?」
「うるさい。うるさい」
クロヴィスはフローラン王子の言葉に耳を貸さないと、顔をよそに向けた。
二人一緒にいると兄弟のようにも見える。フローラン王子の方が若干体はがっしりしているだろうか、肩を組まれてクロヴィスは嫌そうにその手を剥がそうとした。
仲の良さにアルベルティーヌもつい笑ってしまう。
「王子様にはお礼を言わなければなりませんね」
「言いたくないが、アルベルティーヌを勧めてくれたことは、感謝する」
「聞いたか? あのクロヴィスが私に礼を言ったぞ? 天変地異の前触れだな」
フローラン王子のからかいに、クロヴィスはやはり眉を逆立てた。
「アルベルティーヌ、婚約おめでとう。あなたならば大丈夫だと思っていたわ」
祝いの言葉を口にしたのは姉のベアトリスだ。
婚約をして結婚を進めると手紙を出したため、雪が溶けたらすぐに訪れてくれた。
「間を置かず結婚式を上げるのでしょう? 忙しくなるわね」
「お姉様にはまた来ていただくことになってしまいますが、準備ができしだい式を上げるつもりです。クロヴィス様とお話しして決めました。早いうちが良いと」
ベアトリスの頷きに、隣でフローラン王子がクロヴィスをからかうように細目をして口端を上げた。すかさずクロヴィスが眼光鋭く睨め付ける。
「私の想像通り、膝を折ったのか?」
「膝を折る?」
「アルベルティーヌ、何でもない。フローラン、少し黙ったらどうだ?」
「アルベルティーヌ。何かあればすぐに私に言うと良い。私が直々に手を下してやるからな」
フローラン王子がすぐに口を挟む。クロヴィスは何度も目に角を立てたが、フローラン王子は大きく笑った。
「祝いの酒だ。お前たちも好きに飲むといい」
フローラン王子の声で、皆が喜び勇んでワインを口にする。
「あなたはこれを」
アルベルティーヌに酒を飲ませて寝込ませたことが後を引いているか、クロヴィスが酒は飲ませないと葡萄ジュースをよこしてきた。
そんなこともつい笑ってしまう。クロヴィスは案外心配性だ。
「何かおかしかったか?」
「いいえ。ありがとうございます」
気恥ずかしいのか耳を赤くした。そんなところがまた可愛らしい。
その様子をフローラン王子とベアトリスが生暖かい目で見遣るので、クロヴィスはやはり居心地が悪いとフローラン王子を睨み付けた。
「二人の婚約はしっかりと都で宣伝しておいてやろう。間違って馬鹿者どもがここに訪れないようにな。我が義妹が嫁ぐとなれば、二度とおかしな輩は現れないだろう。きっと都でも、妖精が嫁を取ったとか、獣が娘を娶ったとか、噂は流れるだろうが、気にするな!」
一言多い。クロヴィスをどうしてもからかいたいフローラン王子に、クロヴィスが舌打ちをした。
都では、妖精のようなクロヴィスといかつい領主が混在して噂されているようだ。都に行って姿を現さない限り、クロヴィスの結婚は容姿と共に人々の口に上るに違いない。
都のパーティに出席すれば噂は新しくなるだろうが、そんな噂を気にする必要はないだろう。
「あの王子、飲みすぎだ。いつもああやって周囲を巻き込んで騒ぎ立てる」
「でも、楽しそうです」
王子もベアトリスも、騎士たちが飲み食いしようが気にせず混ざって食事を楽しんでいた。
そんなことを言うクロヴィスも顔が赤い。王子に呑まれて酒を多く含んだのだろう。アルベルティーヌも少しだけお酒をいただいて、少々顔が火照るとテラスへ移った。
まだ夜外は寒いか、吐いた息が白くなる。
「都でいかつい領主に嫁いだと噂されても、あなたは気にしないのだろうな……」
「そうですね? 気にすることなどないと思いますが。気にされるのですか?」
「ダニエルに嫁いだと思われるのは心外だ」
気にしているのはそちらか。アルベルティーヌはつい吹き出した。ダニエルを領主だと思っている令嬢は多い。
「そうやって追い出したのは自分だから、気にする方が間違っているが」
「でも、ダニエルさんにはお礼を言いたいです。皆さんもクロヴィス様のために女性たちを追い払ってくれましたら、わたくしここにいられますからね」
クロヴィスは恥ずかしげにして、けれど小さく笑う。
「フローランの思惑通りになったのは悔しいが、あなたに会わせてくれたことは感謝しよう」
そう言って膝を折ると、クロヴィスは胸元から小箱を取り出し、収まっていた虹色に輝く宝石のついた指輪を手に取った。
「辺境のいかつい領主だろうが構わず誠実に物事を判断するあなたに、この宝石を。あなたの前であれば膝を折ることなどたやすい。私の生涯、あなたに尽くすことを誓おう」
結婚式はまだなのに、クロヴィスはその宝石を指にはめると、愛おしそうに指先に口付ける。
まだ顔がほんのり赤いが、酔っているだけではないとからかってやりたい。
「わたくしに捕まったからには覚悟なさいませ。わたくし、生涯離れることなくお側にいることを誓います」
クロヴィスは弾けるように笑い顔を向け、アルベルティーヌを抱き上げた。
誓いの口付けに笑顔でこたえたが、クロヴィスが窓から覗いている影を見付けて、真っ赤になって観衆を散らす。
王子を筆頭に逃げる皆を眺めていれば、クロヴィスがそろりと指先を握ってアルベルティーヌを見つめた。
もう、視線を外すことはないだろう。
わたくし、妖精のような領主様に嫁ぐことになりましたが、どうやら大切にしていただけそうです。
クロヴィスの微笑みに、周りにいた者たちですら顔を赤らめた。自分たちの主人が朗らかに笑んだだけなのに、周囲がざわめいたのである。
その顔はすぐに真顔になり、微笑みは消えてしまったが。
パーティに出席すれば女性が群がる理由が分かるというものだ。
(でも、わたくし耐性がございます。王子様とやはり似ていらっしゃるのですよね)
フローラン王子の美貌にも令嬢が群がっていたが、王子の場合その美貌を武器にしていた風がある。
(あの方は要領が良いですからね)
フローラン王子の方が含んだ笑いを見せるので、時折嫌な予感などするのだが、クロヴィスに至っては素直で誠実な笑みに見えた。
「わあああーっ」
「しっかり捕まっていろ」
クロヴィスは雪が止んで晴れ間が広がった日、アルベルティーヌを誘ってくれた。
寒いからとコラリーに暖かいコートやズボン、ブーツまで用意してもらい、もこもこの格好でドラゴンに跨がる。少しでも寒さが凌げるようにと、ドラゴンの背の鞍の上にはふわふわの毛皮が張られていた。
クロヴィスは何も言わなかったが、前に見た時に毛皮はなかったように思う。相変わらず視線をしっかり合わせようとはしないが、気にはしてくれたのだろう。
ドラゴンが羽を一振りすると体が浮くような感覚になる。上昇すると風が冷たく、風の強さで後ろに押されるほどだったが、後ろにいたクロヴィスがそれを支えてくれた。
クロヴィスは手綱を引き、風に乗ってゆっくりと旋回する。
「お城があんなに小さく見えます。あれは街でしょうか? あ、湖が見えます!」
「怖くないか?」
「怖くないです。とても美しいですね。空の上から眺めるとこんなに遠くまで見られるんですね!」
都から来る途中、領土に入ればずっと森の中だった。小さな村ですら通ることなく、見えるのは木々の生えたうっそうとした景色だけ。
空からは領土が一望できるほど良く見える。この高さから見る風景は圧巻で、天気が良いため遠目にある山々まではっきり見えた。
「あれが鉱石のある山だ。あれを欲しがるものは多い」
示された先にある稜線はなだらかで、その隙間に小屋がいくつか建てられている。あの小屋のある場所が採掘場のようだ。
(かなりの数がありますね。国の財政を数十年賄えるとまで言われているのですから、それは喉から手が出るほど欲しくもなるのでしょう)
山の向こうは隣国で、国境を守る大切な要所でもある。空からの監視は必要不可欠で、入り込む魔獣も退治し、ドラゴンの生育にも騎士の育成にも力を入れなければならない。
国にとっても重要で、それなりに信頼のある者に任せたい場所だろう。後継者がいなくなればこの領土は争いの種になる。王子が気にするだけあった。
空から見れば土地の形状が良く分かる。人によってはこの景色を記憶して、侵略方法を考えることができるだろう。
(こうやって領土を空から見せてくれるということは、少しは歩み寄ろうとしてくれているのでしょうか)
「寒いか?」
「いえ、大丈夫です! とても美しいですね! 雪が積もっていますから、なおさら幻想的です!」
「……湖に降りてみるか?」
「よろしいのですか!? 是非!!」
アルベルティーヌの返答に、クロヴィスは急な風圧を受けないように、ゆっくりと下降した。
そうして、湖だけでなく、街や鉱山にまで連れて行ってくれたのだ。
「へっくち!」
「大丈夫ですか。アルベルティーヌ様。こんな寒い時期にドラゴンで案内なんてすれば、風邪を引くに決まっているでしょうに。いくら厚着をしていても、空の上では体感温度が全く違うのですから」
さすがに空の散歩は長すぎたか。城に戻った頃にはアルベルティーヌの体は冷え切り、寒すぎて風邪を引いてしまったようだった。
外は既に暗く、雪が降り始めている。ドラゴンに乗っている間は気付かなかったが、気温も低くなっていたようだ。
「へくち!」
「さあさ、お休みになってください。体を温めて」
熱もあるか、コラリーが額を濡れタオルで冷やしてくれる。
帰ってくるなりくしゃみを連発したので、クロヴィスが慌ててコラリーを呼んでくれた。コラリーが子供に叱るようにクロヴィスを叱り、クロヴィスは何をしていいのか分からないとオロオロしていた。
後で医師を呼ぶように大声を上げていたのが聞こえたが、きっと驚かせてしまったのだろう。
「女性と空を飛ぶことなどありませんから、女性の体が男性より弱いことに気付いていないのですよ。まったく」
「コラリー。わたくしがクロヴィス様にお願いしたのです。怒らないでください」
「ええ、ええ。あんなに慌てて医師を呼んでいましたからね。とにかく休んでください。ドラゴンに乗るのは体力もいりますから、疲れたでしょう?」
体が重く感じるのはそのせいだろう。鍛えている騎士たちとは違い、アルベルティーヌは鍛えてもいない。風圧を受け続けていれば疲労があって当然だ。
クロヴィスは気にしてくれていたが、楽しすぎていつの間にか無理をしていたようだ。
(恥ずかしいですね。またはしゃぎすぎてしまいました)
クロヴィスに謝らなければ。何度か大丈夫かと気遣ってくれていたのに、美しい景色や初めて乗るドラゴンに興奮して、自分の体調の変化に気付かなかったのだから。
「アルベルティーヌは、大丈夫か?」
「クロヴィス様。今、お休みになるところですよ」
「薬を持ってきたのだが……」
「あら、まあ」
ノックの音が聞こえたかと思えば、クロヴィスが部屋に入ってきた。持ってきた瓶から琥珀色の液体を注いでくれる。
「申し訳ありません。体調が悪いことに気付かず」
「気にしなくていい。とにかくこれを……」
渡された小さなグラスを手に取って、アルベルティーヌはそれを口に含んだ。
飲み込むと喉にカッと熱が残り、胃を通り過ぎていくのが分かる。
「ちょっと、お待ちください!? クロヴィス様、何を飲ませたのですか!?」
「気付け薬だが?」
「ば、な、何なさっているのです!? アルベルティーヌ様!?」
ふわふわと浮いている気がするのは、ドラゴンに乗って風に吹かれている感覚が残っているからだろうか。
目を瞑れば空に浮いているような気がした。
「お酒ではないですか!!」
「だ、ダメなのか??」
「ダメに決まっているでしょう!! アルベルティーヌ様!? アルベルティーヌ様!! もう、クロヴィス様は医師を連れ戻してください!!」
二人の会話が遠くに聞こえて、アルベルティーヌは視界がぼやけるのを感じた。
側でクロヴィスが泣きそうな顔をしている。頭をなでようとして、手を伸ばし、けれどそれをやめた。
(なでてくれて良いのですが。手を引っ込めちゃいました)
「すまない……」
か細い声が届いたが、それに返事をすることはできなかった。
(夢でしょうか。ふわふわしますね)
いつも視線を合わせてくれないクロヴィスが、こちらをじっと見つめている。
変な顔をしていないか、とても心配になるが、頭が働かないのでその瞳を眺めた。
(湖と同じ色なんですね。近くで見ることがないので気付きませんでした)
淡いエメラルドグリーン。冬の湖と同じ色だ。その輝きはあまりに玲瓏で、目を奪われる。
妖精のようだと噂されるほど、その顔の造形や瞳の色、髪の色まで美しい。
その姿に見合った性格ではないと思っていたが、何度か接する上でその優しさにも気付き始めた。
(随分不器用のようですが、元はお優しい方なのでしょう)
「フローランには、婚約を進められないと、手紙を出す。フローランのことだから、婚約に関し噂にならないよう配慮しているだろう。春になって雪が溶けたら、都に戻れるよう、手配をする……」
クロヴィスはぽそぽそと、そんな言葉を連ねた。
言い終えると、一度唇を噛んで顔を背ける。話は終わりだと立ち上がろうとしたが、気後れするように体を揺らした。
「アルベルティーヌ……?」
「なに……、勝手に、おかしなこと言ってくれてるんでしょうか?」
去ろうとするクロヴィスの服の端を引っ張って、アルベルティーヌは何とか声を絞り出す。
頭の中はぼんやりしたままだが、先ほどの言葉は聞こえた。文句の一つや二つ言ってやらねば気が済まない。
クロヴィスが逃げないようにぎゅっと服を摘んだまま、アルベルティーヌは眉を逆立てた。
「あ、……まだ起きない方が良い。熱も高いから」
「ごまかさないで、いただきたいですね……。人が眠っているのをいいことに、好き勝手、お話しして、まったく、やっぱり失礼な方ですよ」
「……、悪いことを、したと思っている」
クロヴィスはしょんぼりとして肩を下ろした。いつもの偉そうな態度はどこへいったか。コラリーに怒られているみたいに、困ったようにして大人しく椅子に座り直す。
「今、わたくしは、ぼやぼやなので、後でまた申しますけれども、騙したことは許せませんし、誠実でなかったと思うのです」
「分かっている」
「分かっているのでしたら、わたくしに誠意ある態度を、なさって」
「だから、春になったら、責任を持って都に帰すと……」
「その、とんちんかんな、すっとぼけた考え方が、腹立たしいのですよ!!」
アルベルティーヌは精一杯の大声を上げた。あまり声が出ていないので掠れていただろうが、服を捻るくらい引っ張って身を乗り出すと、大声を出すために大きく息を吸い直す。
「わたくしに謝り、もう一度初めからやり直す、くらい、おっしゃったらいかがでしょうか!! この、根性なしさんが!!」
「こ、こんじょうなし、……さん……」
「根性なしさんでなければ、へたれさんですよ!!」
「へたれ……」
「幼い頃から、大変だったのは理解いたします、が、わたくしを、その辺のご令嬢と、一緒にしないでいただきたいですよ!! 何事にも、例外が、ございますでしょ!?」
「例外……。例外、ぷは。そうだな。例外が……」
「何が、おかしいのでしょうか!?」
クロヴィスが突然吹き出して笑うので、アルベルティーヌはふらつく頭で何とか起きあがろうとした。しかし目の前が眩んで目が回るので、起きあがることができずにべちゃりと枕に頭を付ける。
息がしづらくて、はあはあ言っていると、クロヴィスがはだけた毛布を掛け直してくれた。
「アルベルティーヌ。もう眠ってくれ。まだ熱が高い。君の熱が下がったら、しっかり話をしよう」
クロヴィスは優しく頬に触れると、額から落ちた濡れタオルを氷水に浸して、アルベルティーヌの額に乗せてくれる。
冷たさが頭をすっきりさせてくれる気がして、アルベルティーヌはもう一度強くクロヴィスの袖を握った。
「体調が良くなったら、話をしよう」
「……本当ですね? 男に、二言はありません。わたくし、すぐに復活いたしますので、首を洗って、待っていらっしゃいませ」
「はは、分かったから。ゆっくり眠ってくれ……」
握っていた手に触れてその手を毛布の中に入れると、クロヴィスはゆっくり立ち上がった。少し恥ずかしげにして間を置くと、額に乗っている濡れタオルにそっと口付ける。
「そこは、タオルですが?」
「そこはつっこまなくていい……。おやすみ。アルベルティーヌ」
「……おやすみなさいませ」
何時だか分からないが、もう夜なのだろう。クロヴィスはおやすみの挨拶をして扉を開けて出ようとすると、アルベルティーヌに向き直り、もう一度挨拶をして出て行った。
緩やかな笑みは、まるで妖精のように美しかった。
何日寝込んだか。目が覚めてからベッドを離れるまで数日かかり、元気に歩き回れるようになるまでさらに数日かかった。
(すぐ復活すると言っておいて、中々復活できませんでした。体力づくりをしなければいけませんね)
外は相変わらずの雪景色で、部屋の中にいても分かるほど雪深くなっている。
「綺麗ですね。こんな寒さの中、お花をいっぱい見れるとは思いませんでした」
コラリーに連れられて入った場所は植物園で、外の雪景色とは一変した緑の集まる部屋だった。赤やピンクの花、オレンジや黄色の実をつけた果物まである。
「北国ですから花が少なくて、お城に飾る花をここで育てているんですよ。どうぞ、あちらへ」
促されて歩いた先、クロヴィスが花々に囲まれ佇んでいた。
妖精がいると見まがう姿に、アルベルティーヌもどきりとする。
(女性に見えるわけではないのですけれど、まるで絵画のようですね)
花に群がる蜂のように、女性たちがクロヴィスを囲むのも分かる気がする。声を掛けることはできずとも、つい視線を向けてしまうほどの美貌だ。
しかしここにはそんな者たちはいない。クロヴィスはアルベルティーヌに気付くと、小さく笑んで悠然と近寄ってきた。
「体調は大丈夫だろうか?」
「大丈夫です。もう元気いっぱいです」
そう答えただけで、クロヴィスはくすりと笑う。初めて会った時に比べて笑顔が増えたのは勘違いではないだろう。
緩やかな笑みを見るだけで、ほんのりと胸が熱くなるのを感じた。
「先に、お詫びを」
クロヴィスは恭しく首を垂れると、謝罪を口にした。
「別の名を語り、偽ったこと。遠く都からいらした令嬢に対して、誠意のない対応をしたことをお詫びします。遠くから来てくださったあなたを迎える態度ではなかった」
最初から追い出す気だったこと、わざと帰りたがるように仕向けたこと。それだけでなく、嫌がらせまで行う予定だったことを詫びた。
城の皆がそれは止めようと言わなければ、嫌がらせを行使していたと吐露し、深く頭を下げる。
「このような真似をし、今さら何をと言われるだろうが、これだけは聞いていただきたい」
クロヴィスは顔を上げると床に片膝をついた。アルベルティーヌの指にやさしく触れ、端麗な顔をアルベルティーヌに向ける。
「アルベルティーヌ。この城に留まり、私と結婚をしていただけないだろうか」
真剣な面持ちに、アルベルティーヌは息をするのを忘れそうになった。
アルベルティーヌを真っ直ぐ見上げる視線に、偽りはない。
「婚約なしで結婚ということで良いと」
「けっこっ……、勿論、婚約期間は取るつもりだ。そんな急に結婚と言われても、簡単に頷くことなどできないだろうし、婚約期間を持って、お互いの理解を深められればとっ……!」
クロヴィスは焦ったようにまくし立てる。婚約を経て結婚という形を取れればと、顔を真っ赤にして口籠った。
からかってみただけなのだが、可愛らしいと言っても良いだろうか。
恥ずかしいのか、アルベルティーヌを直視できぬとうつむいたが、クロヴィスはもう一度勇気を持ったように顔を上げる。
「返事を、お聞かせ願えないだろうか」
「……謹んでお受けいたします」
アルベルティーヌの返事に、クロヴィスは頬を緩めて笑顔を見せた。
「ふーむ、私の義妹との婚約を断るわけがないと思ったが、もう尻に敷かれているのか?」
「その口は閉じたらどうだ、フローラン」
「私のおかげで結婚を決心できたんだ。喜んで私を迎えたらどうだ?」
「うるさい。うるさい」
クロヴィスはフローラン王子の言葉に耳を貸さないと、顔をよそに向けた。
二人一緒にいると兄弟のようにも見える。フローラン王子の方が若干体はがっしりしているだろうか、肩を組まれてクロヴィスは嫌そうにその手を剥がそうとした。
仲の良さにアルベルティーヌもつい笑ってしまう。
「王子様にはお礼を言わなければなりませんね」
「言いたくないが、アルベルティーヌを勧めてくれたことは、感謝する」
「聞いたか? あのクロヴィスが私に礼を言ったぞ? 天変地異の前触れだな」
フローラン王子のからかいに、クロヴィスはやはり眉を逆立てた。
「アルベルティーヌ、婚約おめでとう。あなたならば大丈夫だと思っていたわ」
祝いの言葉を口にしたのは姉のベアトリスだ。
婚約をして結婚を進めると手紙を出したため、雪が溶けたらすぐに訪れてくれた。
「間を置かず結婚式を上げるのでしょう? 忙しくなるわね」
「お姉様にはまた来ていただくことになってしまいますが、準備ができしだい式を上げるつもりです。クロヴィス様とお話しして決めました。早いうちが良いと」
ベアトリスの頷きに、隣でフローラン王子がクロヴィスをからかうように細目をして口端を上げた。すかさずクロヴィスが眼光鋭く睨め付ける。
「私の想像通り、膝を折ったのか?」
「膝を折る?」
「アルベルティーヌ、何でもない。フローラン、少し黙ったらどうだ?」
「アルベルティーヌ。何かあればすぐに私に言うと良い。私が直々に手を下してやるからな」
フローラン王子がすぐに口を挟む。クロヴィスは何度も目に角を立てたが、フローラン王子は大きく笑った。
「祝いの酒だ。お前たちも好きに飲むといい」
フローラン王子の声で、皆が喜び勇んでワインを口にする。
「あなたはこれを」
アルベルティーヌに酒を飲ませて寝込ませたことが後を引いているか、クロヴィスが酒は飲ませないと葡萄ジュースをよこしてきた。
そんなこともつい笑ってしまう。クロヴィスは案外心配性だ。
「何かおかしかったか?」
「いいえ。ありがとうございます」
気恥ずかしいのか耳を赤くした。そんなところがまた可愛らしい。
その様子をフローラン王子とベアトリスが生暖かい目で見遣るので、クロヴィスはやはり居心地が悪いとフローラン王子を睨み付けた。
「二人の婚約はしっかりと都で宣伝しておいてやろう。間違って馬鹿者どもがここに訪れないようにな。我が義妹が嫁ぐとなれば、二度とおかしな輩は現れないだろう。きっと都でも、妖精が嫁を取ったとか、獣が娘を娶ったとか、噂は流れるだろうが、気にするな!」
一言多い。クロヴィスをどうしてもからかいたいフローラン王子に、クロヴィスが舌打ちをした。
都では、妖精のようなクロヴィスといかつい領主が混在して噂されているようだ。都に行って姿を現さない限り、クロヴィスの結婚は容姿と共に人々の口に上るに違いない。
都のパーティに出席すれば噂は新しくなるだろうが、そんな噂を気にする必要はないだろう。
「あの王子、飲みすぎだ。いつもああやって周囲を巻き込んで騒ぎ立てる」
「でも、楽しそうです」
王子もベアトリスも、騎士たちが飲み食いしようが気にせず混ざって食事を楽しんでいた。
そんなことを言うクロヴィスも顔が赤い。王子に呑まれて酒を多く含んだのだろう。アルベルティーヌも少しだけお酒をいただいて、少々顔が火照るとテラスへ移った。
まだ夜外は寒いか、吐いた息が白くなる。
「都でいかつい領主に嫁いだと噂されても、あなたは気にしないのだろうな……」
「そうですね? 気にすることなどないと思いますが。気にされるのですか?」
「ダニエルに嫁いだと思われるのは心外だ」
気にしているのはそちらか。アルベルティーヌはつい吹き出した。ダニエルを領主だと思っている令嬢は多い。
「そうやって追い出したのは自分だから、気にする方が間違っているが」
「でも、ダニエルさんにはお礼を言いたいです。皆さんもクロヴィス様のために女性たちを追い払ってくれましたら、わたくしここにいられますからね」
クロヴィスは恥ずかしげにして、けれど小さく笑う。
「フローランの思惑通りになったのは悔しいが、あなたに会わせてくれたことは感謝しよう」
そう言って膝を折ると、クロヴィスは胸元から小箱を取り出し、収まっていた虹色に輝く宝石のついた指輪を手に取った。
「辺境のいかつい領主だろうが構わず誠実に物事を判断するあなたに、この宝石を。あなたの前であれば膝を折ることなどたやすい。私の生涯、あなたに尽くすことを誓おう」
結婚式はまだなのに、クロヴィスはその宝石を指にはめると、愛おしそうに指先に口付ける。
まだ顔がほんのり赤いが、酔っているだけではないとからかってやりたい。
「わたくしに捕まったからには覚悟なさいませ。わたくし、生涯離れることなくお側にいることを誓います」
クロヴィスは弾けるように笑い顔を向け、アルベルティーヌを抱き上げた。
誓いの口付けに笑顔でこたえたが、クロヴィスが窓から覗いている影を見付けて、真っ赤になって観衆を散らす。
王子を筆頭に逃げる皆を眺めていれば、クロヴィスがそろりと指先を握ってアルベルティーヌを見つめた。
もう、視線を外すことはないだろう。
わたくし、妖精のような領主様に嫁ぐことになりましたが、どうやら大切にしていただけそうです。
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ありがとうございます😊
わああ。ありがとうございます!