女と女 2

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深淵に住まう魔女についてのいくつかの情報

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 目を覚ますと、全身が汗でびっしょりと濡れていた。
 気怠さと共に、吐き気が込み上げる。上半身を起こすことさえできず、寝返りを打った。
 見覚えのない景色と、硬めのベッド。靄のかかった脳が、それらを拒否する。鼻腔を擽る薬草の匂いが、肺で溶けて消えた。
 ────ここはどこだ。
 吐き出す息が熱い。何度か深く呼吸をし、体を起こす。
 体にかけられていた薄い毛布を引き剥がし、起き上がろうとする。
 だが、糸が切れたようにふらりと倒れ、再びベッドに横たわった。
 私は目だけを動かし、ぐるりと辺りを見渡す。
 木造でできた内装は古めかしく、大雨でも降れば壊れてしまいそうなほどだった。
 壁に薬草が吊り下げられており、棚には小瓶が並べられていた。
 簡易的な机と椅子が置いてあり、側には小窓があった。外に広がる曇天の空は、今にも雨を溢しそうである。
 舞い込んだ冷たい風が頬を撫で、目を細める。
「起きたか、小娘」
 その声に、頭から爪先までの神経が研ぎ澄まされる。重たい頭を上げ、声の主を見た。
 銀髪の美しい髪を無造作に一つに結い上げ、ボロ布の様なワンピースを身に纏った女がそこにいた。
 血色の悪い唇と、じっとりと睨みつける、お世辞にも優しそうには見えない目元が特徴的であった。
 目尻の皺から察するに、私の母親より年齢は上だろう。三十歳半ばといったところか。
 気怠そうに息を吐き出した彼女は、ベッド付近にあった椅子へ腰を下ろした。手に持ったトレーを膝に乗せ、コップを私に差し出す。
「飲め。薬草入りの白湯だ」
 震える手でそれを受け取り、口へ運ぶ。心地よい香りが鼻を掠め、心臓が幾分か安らいだ。
 チラリと彼女へ目を向ける。気だるげな瞳で、小窓の外を見つめていた。
 膝の上に乗ったトレーには、ごろりとした肉と野菜が入ったシチューと小ぶりなパンが置かれている。
 隣の器には粉末状の何かが入っていた。きっと薬だろう。
 私は胃の中へ白湯を流し込み、一息つく。
「お前。これ、食えるか? パンだけでも……」
「勝手に、森に侵入してすみませんでした」
 私は冴え始めた脳みそをフル回転させ、目の前の女に謝罪する。深々と下げた頭には、降ってくる言葉も無い。
 顔を上げると、彼女は呆れたように眉を顰め、口をへの字にしていた。
「謝るということは、ここがどのような場所か知っていて、このような愚行に走ったのだな?」
「……はい」
「馬鹿者」
 フンと鼻を鳴らし、彼女はトレーの上に置かれたスプーンを手に取った。
 シチューを掬い、ふうふうと息を吹きかける。冷めてきたところで私の唇へそれを押し付けた。
「食えるか」
「……」
 ぎゅるると聞くに堪えないみすぼらしい音を立てた腹へ流し込むように、目の前に差し出されたスプーンへ齧り付いた。



 私が深淵の森に住まう魔女へ会いに行こうと決心したのは、母が冤罪の罪で処刑された時だ。
 私の母は小さな村で医者をやっていた。自慢じゃないが、私の母は人柄も良ければ、腕も良い。故に、隣の村や街からも患者が訪れるほどだ。
 それにいい顔をしなかったのが別の医者たちだ。
 うちに来ては「一体、どんな色仕掛けで患者たちを誘き寄せているんだ」などと、的ハズレなことを言い、周りへ噂を広めた。
 毎日、男たちがうちへ来ては何かと文句をつけ、母を困らせた。けれど、それでもうちへ受診する患者が減ることはなかった。
 しかし、周りの反応がカイドという男の怒りに触れてしまったらしい。
 彼は松明を掲げ、街の人間を集め、私たちが住まう村へやって来た。
 彼らはうちの前でこう言った。「ここには魔女が住んでいる。火炙りにせねば」と。
 母の腕前はきっと魔術に違いない、と言い出したのだ。
 勿論、今まで世話になっていた村の住人たちは抗議したし、母も抵抗した。
 だが、それは強制的に行われた。
 男たちが母を縛る。虚言を演説しながら松明を掲げ、その火を母につけた。
 ────母は燃えた。
 母の身に纏っていた衣類に火が灯り、つま先から肌を焼かれていく。悲鳴は村に響き渡った。
 周りの人間は呆然と立ち尽くすだけだった。母を縛った街の連中は、「正義は我々にあり」と笑い声を上げていた。
 私は……私はその光景をカーテンに隠れて、窓から見ていた。母に「隠れていろ」と言われたので、家の外に出ることができなかった。
 けれど、それは嘘だ。私は、恐ろしかっただけだ。魔女の娘というだけで殺された少女たちを私は知っていたから。
 私は、とても臆病者だ。
 家にまで母の焦げた臭いが入り込み、鼻腔に張り付いた。
 転げながらも窓際から離れる。何度も胃液を吐き出し、漏れそうになる声を抑え、家の片隅で縮こまり、この悪夢が終わることを願う。
 聞こえる母の悲痛な叫び声が届かぬよう耳を塞ぎ、息を殺した。
 やがて外が静かになり、男たちが街へ帰ったということを知る。
 私は外に転がっていた母の骨を手に握り、家の隅でただ呆然としていた。カーテンで閉ざされた薄暗い家の中、私は虚ろな屍と化していた。
 数分だったのか、数時間だったのか、はたまた数日だったのか記憶に無い。
 その間、様々な人間が私の家へ訪ねては扉越しに心配した。
 私は何も返さなかった。結局は誰も母を救ってくれなかった臆病者だからだ。母に何度も救われたくせに。
 しかし、それは私も同じ────臆病者だ。
 私は震える手のひらの中にある母の骨を見つめる。あんなに偉大な母がこんな姿にされるだなんて。
 悲しみに浸っていた感情は、徐々に怒りへと変化する。
 そんな時、ふと、ある人物が脳裏に浮かんだ。
 深淵の魔女、アイビー。
 彼女は各地で起こった魔女狩りの際、逃げ果せた魔女だ。
 元々彼女は深淵の森に拠点を構えていた。その森は、一度足を踏み入れると帰ることはできないと言われている。
 彼女は時折、街へ降りては人々の助けになることを行う魔女だったらしい。
 だが、魔女狩りにより深淵の森へ姿を消してしまったそうだ。
 私の祖母が子供の頃に起こった出来事らしく、祖母は彼女を良いように言っていたが、周りの人間たちはアイビーを恐ろしい魔女だと言っていた。
 あの森へ立ち入るものは、アイビーの聖地を荒らすも同然。踏み入れれば最後。魔女に呪い殺される、と。
 けれど、私を止めるものはもう誰もいなかった。少ない情報を頼りに、走り出した。
 目的は、深淵の森。
 彼女に、会うために。



「……つまり、嫉妬に燃えた男たちがありもしない罪をでっち上げ、お前の母親を殺した、と」
「はい」
「……全く。どの時代にもいるんだな。そういう輩は」
 深淵の魔女は息を吐き出し、空になった食器を片付けるためキッチンへ向かう。その後ろ姿をぼんやりと眺めた。
 「で?」と言われるまで、私はもぬけの殻になっていた。食器を洗っている彼女はこちらを見ずに続けた。
「で、お前は飲まず食わずで死にかけながらも、私の元へ来たというわけだ。目的はなんだ」
 私はこの深淵の森の恐ろしさについてあまり詳しく知らずに、三日三晩、飲まず食わずで彼女の住処を探し回った。
 「この森へは遊び半分で入ってはいけない。凄腕の狩人たちでさえ、帰ってこなかったんだ。絶対に、入ってはいけないよ」。そう母に口煩く言われていたのを、忘れていた。
 いや、忘れていた訳ではない。この森を舐めていた。
 私は、薄れゆく意識の中、必死で魔女の名前を呼び続けた。
「アイビー、アイビー。お願いです、一度でいいから姿を見せて」
 そこから、私の記憶はない。
 見かねた彼女が助けてくれたのだろう。目覚めたら、この場にいた。
 食器を片付ける彼女の背中を見つめる。
「……殺してほしいのです」
「誰を」
「母を殺した連中を」
 アイビーは濡れた手をタオルで軽く拭き、再度、ベッド付近に置いてある椅子へ腰を下ろす。
 軋んだ椅子に構うことなく、アイビーは身を乗り出し私へ顔を近づけた。
「一つ言っておくが、私はお前の母親が殺された元凶だぞ。我々のような魔女がいなければそんな冤罪をかけられずに済んだのだ。お前は私が憎くないのか」
「いえ。一番憎いのは、嫉妬に燃え我を忘れたあの男です」
 まるでペリドットのような瞳が私を見透かすみたいだ。負けじと私も彼女から目を逸らさない。
 やがて根負けしたのか、彼女は息を吐き、椅子に座り直した。
「いいか、小娘。私は容赦しない。ただでさえ、人間嫌いな私に復讐を依頼するなんぞ、街を一つ焼き払えと依頼しているようなものだ。苦しめてじわじわ嬲り殺す。チリ一つ残さない。それでもいいのか。この罪はお前も背負うことになるんだ」
「構いません」
「……分かった。では、代わりにお前は何を差し出すんだ」
「何を……」
 私は、困惑した。
 私には何もない。差し出せる羊も牛もいない。家はオンボロで価値もない。金もない。
 困ってる私に魔女はニタリと笑った。
 ようやく、魔女らしい笑みを浮かべたことに、安堵した。
 なぜなら彼女はどこにでもいるごく普通の女性に見え、魔女の片鱗さえも感じなかったからだ。
 彼女の指先が私の胸元を指差す。
「その、ペンダントを頂こうか」
 彼女が指差したのは、母から受け継いだペンダントだった。私の持ち物の中で唯一、価値がある。
 しかし、それは金目のものになるという意味ではない。私にとって、価値があるという意味だ。
 私はペンダントを握り、彼女を見上げた。彼女はこのペンダントの価値を理解しているのだろう。故にその瞳が意地悪く見える。
 「どうする?」と、首を傾げ、厭らしい笑みを浮かべる。
 私は唇を噛み締めた。
「やってください」
「……ほう。では交渉成立だな」



────


加筆+既存の作品が修正されたバージョンがKindleにて電子書籍で出ています。
読み放題でしたら無料となりますので、もしよろしければお暇つぶし程度に読んでいただけますと嬉しいです。
プロフィールのリンクから、もしくはAmazonで「女と女2」で検索していただけますと幸いです。
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