リザレクテッド:人類再誕 所有された人間だけど、自由に生きる方法を探してみる

花篝 凛

文字の大きさ
30 / 162
第1部 所有された人間だけど、自由に生きる方法を探してみる

第10章 『リンクの彼方で』 (1)

しおりを挟む
 夕方の空には、まだかすかに光が残っていた。
 だが、ユノの足取りはひどく重たかった。
 倫理管理庁での審理請求は受理されたものの、実質的には“保留”──形式だけの受付。
 求められたのはさらなる証拠、さらなる時間。
 カデルワンは「想定内だ」とだけ言い残し、静かに去っていった。
 けれど、ユノの胸に残ったのは、疲労でも焦燥でもなく、ひたすらな虚しさだった。

 自宅のセキュリティパネルに手をかざす。
 低い電子音とともに扉が開いた。

「……ただいま」

 その声だけが、がらんとした室内に吸い込まれていく。
 ソファには、朝のまま置き去りにされたブランケット。
 靴音を立てずにダイニングへと向かい、冷蔵庫からペットボトルを引き抜く。
 ラベルを剥がすような勢いでキャップを外し、無造作に水を喉へ流し込んだ。

 ──そのとき、背中に微かな気配が走った。

「……帰ったの?」

 振り返る。
 銀の髪が濡れて光っていた。
 袖口には焼け焦げの跡。
 ──アリアだった。

 遺伝子ビーコンのリングが、かすかに赤く光を返す。
 だが、彼女の瞳は真っすぐにユノを見据えていた。
 怯えも、迷いもない。
 ただ、静かな決意だけがそこにあった。

「どうやって……ここに入ったの?」

 低く問うユノに、アリアは僅かに笑みを浮かべて答える。

「ここのセキュリティー、甘い。二重化してなかったから、少し回り道しただけ」
「冗談じゃない。今、君がここにいると知られたら、私も処分される」
「じゃあ、見つからなければいい。──でしょ?」

 アリアは何事もないようにテーブルの端末を手に取る。
 画面には、ユノとカデルワンが裁判所へ向かう映像が繰り返し流れていた。

「……ほんとにやったんだ。提訴なんて、正面から……」
「私がやらなきゃ、リースは戻ってこない」

 ユノの声が鋭くなる。
 けれど、アリアはその剣を受け止めるように目を細めて、静かに腰を下ろした。

「じゃあ、次は──私があんたを手伝う番だね」
「逃亡者が?」
「違う。“次の地点に移動した”だけ。戦う場所を変えたの」

 その言葉に、ユノの視線が微かに揺れる。

「……なら、今度こそ決定的な証拠を掴む。リースにかけられた罪も、事件を捏造した真犯人も──すべて、洗い出す」
「そのために、私もネットに戻る。……もう一度あのノイズに触れる。でも、今度は制御できる気がする。あの“存在”が何を見ているのか、私なら辿れる」

 アリアの瞳に、冷たい炎が宿る。
 それはかつての迷いとは違う、“意思”を持った光だった。

「それは危険な賭けになるよ」
「いいえ、これは賭けじゃない。──希望」

 ユノは息を吐き、ゆっくりと椅子に腰を落とす。
 裁判所では揺らせなかった現実。
 だが今、ここから──静かに、着実に、ひとつずつ崩していくしかない。
 誰にも許されなかった選択肢を、ふたりは今、選ぼうとしていた。


 アリアが、不意に口を開いた。

「──ユノ。お願いがあるの」

 声は落ち着いていたが、そこに込められた緊張は隠せなかった。

「……なに?」

 ユノが眉を寄せると、アリアは一歩踏み出し、真正面から彼女を見据えた。

「私の電脳をスキャンして。できるだけ深層まで──限界まで」

 ユノの手がぴたりと止まる。

「……それ、本気で言ってるの?」
「本気だよ。今の私に、それ以外の選択肢はない」

 アリアの声には一切の迷いがなかった。
 それが、かえってユノを戸惑わせた。

「……アリア、それは──自分の脳を“開く”ってことよ。防壁を外して、記憶も思考も、全部丸裸にするの。深層スキャンは高負荷だし、スキャンログはどこかに痕跡が残る。私が消せても、君自身の中に“何か”が焼きつくかもしれない」

 アリアは目を伏せず、まっすぐに言った。

「知ってる。でも……もう、“守ってる場合”じゃないの」

 その静かな一言が、空気を張りつめさせた。

「私は……“あの時”の記憶が、一部抜けてる。でも、断片的なノイズの中に、“何か”がいた。輪郭のない存在。触れただけで、また呑まれる気がした。あれが再び私を侵せば、次こそ自分を保てないかもしれない……」

 言いながら、アリアは一瞬だけ目を閉じた。
 けれどすぐに開き、低く続けた。

「もし私の中に、ハッキングの断片が残ってるなら……誰かに、正確に見てもらうしかないの。自分が“私”でいるうちに」

 沈黙が落ちる。
 ユノは黙って、手元のタブレットの電源を落とした。
 わずかに視線を逸らし、ゆっくりと立ち上がる。

「……分かった。やろう。でも私は専門の脳解析者じゃない。正式な許可もない。これは、私個人の責任の範囲でしかない」

 その言葉に、アリアは静かに微笑んだ。

「それで充分。私は──“あなた”に見てほしいの」

 ユノの目がわずかに揺れた。
 だが、それ以上何も言わなかった。
 二人の間に、それ以上の言葉は不要だった。
 この先、目にするのは、闇か、断片か、それとも深い破損か──それでも逃げずに向き合うと、もう決めていた。

 まだ“自分”であるうちに、すべてを確かめるために。


 ユノのベッドルーム。
 照明は落とされ、微光だけが機器の端末を淡く照らしていた。
 アリアはベッドの上に静かに横たわっていた。
 彼女の耳の後ろ──アウラリンクには一本の細いケーブルが接続されている。
 それはユノの端末へと繋がり、まるで思考そのものが有線で共有されているかのようだった。

 ユノは一言も発さず、スクリーンの前に座っている。
 アリアの意識は軽く安定剤で沈められ、すでにスキャン準備は完了していた。

「……始めるよ」

 かすかな駆動音とともに、診断ユニットが作動を開始した。
 脳波と電気信号のデータが無音の奔流となってユノの画面を埋め尽くしていく。
 アリアの記憶のレイヤーが一層ずつ解凍され、静かにその構造をさらけ出していく。

 ──記憶層、整合性:良好
 ──感情パラメータ:軽度の不安定化を検知
 ──外部干渉ログ:あり
 ──識別不能コード:反応中

 ユノの手が、わずかに震えた。

「……来たね」

 スキャン映像の最深部。
 アリアの思考領域、その奥底に──黒い“影”が、まるで神経そのものに絡みつくように、静かに、確実に根を張っていた。

「静かすぎる……潜伏型?」

 ウイルスではない。
 悪性AIとも違う。
 それはあたかも、知性と自律性を備えた存在だった。
 思考の隙間に溶け込み、構造の一部のように擬態している。
 除去しようとする命令はすべて拒否され、アクセスコードも弾かれた。

「応答……ゼロ。干渉コード不在。追跡も不能……」

 ユノは呼吸を抑え、別ルートから再侵入を試みる。
 だが、影は生き物のように一切の反応を返さず、ただそこに“存在”していた。
 しかも──アリアの“人格核”に触れていた。
 まるで彼女の意識と融合し、その一部になろうとしているように。

「……このまま続ければ、精神構造が崩れる……」

 警告が淡く表示された。
 ユノは画面を見つめたまま、唇を噛む。
 そして──決断する。

「アリア……目を覚まして」

 彼女は安定剤の中和指令を送り、スキャンを即座に停止した。
 診断ユニットの駆動が静止し、部屋の中に再び、機械の息づかいさえ消えた静寂が戻る。

 数秒後。
 アリアのまぶたが、ゆっくりと開かれた。

「……終わったの?」

 ユノは小さく首を振り、疲労の滲む声で答える。

「いいえ。……終わってない。むしろ、今が始まりだよ」

 彼女の目は、再びスクリーンへと向けられる。

「あなたの中に、“何か”がいるの。侵入者じゃない。もう……“同化”が始まってる。あなたの一部になろうとしている」

 アリアはゆっくりと上体を起こし、深く息を吸い込んだ。
 その目には、あらゆる感情を押し込めた、覚悟の光が宿っていた。

「……感じてた。ずっと。“誰かがここにいる”って……私の中に」

 ユノは、まっすぐアリアを見つめ返した。
 その視線は問いでも否定でもなく──これからを共に歩むという、無言の宣言だった。


 そこは、アーカイブ保管庫──データの墓場だった。
 誰も見ない。
 誰も手入れをしない。
 ネットの最深部、忘れ去られた記録たちが、無音のまま沈殿している。
 呼吸すら要らない、沈黙の堆積場。

 リセルは、ホログラムの皮を脱いだ。
 “リース”の姿を捨て、真の自分の容姿でその暗い空間に立っていた。
 一つの記録に手を伸ばす。
 思考インターフェースに触れた瞬間、過去が電流のように脳内へ流れ込む。

 映ったのは、色彩の抜けた灰色の部屋。
 整列させられた無表情の子どもたち。
 そして、感情を持たない音声。

「対象個体C群──B群と同様、廃棄決定」
「理由:感情反応過多、外見基準逸脱、実験的所有先にて逸脱行動を確認」

 映像の少女は、笑っていた。
 静かに、カメラの向こうを見つめ、無垢な笑みを浮かべていた。
 その顔が、リセルに“似ていない”のに──あまりに“似ていた”。

 リセルは、笑わなかった。
 笑えなかった。

「……バカみたいに、“いい子”だったくせにね」

 それは、嘲りではなく。
 残酷な現実に置き去りにされた“かつての自分”への、葬送の囁きだった。
 映像は、音もなく終了した。

 記録には「保存なし」のタグ。
 だが、そこには確かに“生きようとした者”が存在した。

 誰も気に留めなかった。
 誰も掘り起こさなかった。
 だから、リセルは顔を変えた。
 名も、過去も、失くした。

「“自分なんていない”って思えば、笑えるから」

 もう一度、ホログラムを起動する。
 映し出されたのは──リースの顔。
 その姿に切り替わると同時に、ふざけた笑顔とウィンクが再現された。

「はいはい、“お望み通り”の所有物でーす」

 外見は完璧に“本物”。
 だが──内側では、怒りも哀しみも、すべて“冗談”に変えて、燃えていた。

 そして、そのカメラの向こうへ向かって──リセルは、囁くように語りかける。

「知ってた? リザレクテッドって、“ただの再生人間”じゃないんだよ」
「中には、人間以上の性能を持った個体もいた。なのに、それは全部──隠された」

 瞳に光を宿し、感情豊かに揺らめかせながら。

「ねえ、真実を知るのって、そんなに怖い? 私は怖くないよ。だって、私は……嘘、ついてないから」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

サイレント・サブマリン ―虚構の海―

来栖とむ
SF
彼女が追った真実は、国家が仕組んだ最大の嘘だった。 科学技術雑誌の記者・前田香里奈は、謎の科学者失踪事件を追っていた。 電磁推進システムの研究者・水嶋総。彼の技術は、完全無音で航行できる革命的な潜水艦を可能にする。 小与島の秘密施設、広島の地下工事、呉の巨大な格納庫—— 断片的な情報を繋ぎ合わせ、前田は確信する。 「日本政府は、秘密裏に新型潜水艦を開発している」 しかし、その真実を暴こうとする前田に、次々と圧力がかかる。 謎の男・安藤。突然現れた協力者・森川。 彼らは敵か、味方か—— そして8月の夜、前田は目撃する。 海に下ろされる巨大な「何か」を。 記者が追った真実は、国家が仕組んだ壮大な虚構だった。 疑念こそが武器となり、嘘が現実を変える—— これは、情報戦の時代に問う、現代SF政治サスペンス。 【全17話完結】

断罪まであと10分、私は処刑台の上で「ライブ配信」を開始した〜前世インフルエンサーの悪役令嬢、支持率100%でクズ王子を逆処刑する〜

深渡 ケイ
ファンタジー
断罪まで、あと10分。 処刑台の上で跪く悪役令嬢スカーレットは、笑っていた。 なぜなら彼女は―― 前世で“トップインフルエンサー”だったから。 処刑の瞬間、彼女が起動したのは禁忌の精霊石。 空に展開された巨大モニターが、全世界同時ライブ配信を開始する。 タイトルは―― 『断罪なう』。 王子の不貞、聖女の偽善、王家の腐敗。 すべてを“証拠付き・リアルタイム”で暴露する配信に、 国民の「いいね(=精霊力)」が集まり始める。 そして宣言される、前代未聞のルール。 支持率が上がるほど、処刑は不可能になる。 処刑台は舞台へ。 断罪はエンタメへ。 悪役令嬢は、世界をひっくり返す配信者となった。 これは、 処刑されるはずだった悪役令嬢が、 “ライブ配信”で王子と王国を公開処刑する物語。 支持率100%の先に待つのは、復讐か、革命か、 それとも――自由か。

最低のEランクと追放されたけど、実はEXランクの無限増殖で最強でした。

MP
ファンタジー
高校2年の夏。 高木華音【男】は夏休みに入る前日のホームルーム中にクラスメイトと共に異世界にある帝国【ゼロムス】に魔王討伐の為に集団転移させれた。 地球人が異世界転移すると必ずDランクからAランクの固有スキルという世界に1人しか持てないレアスキルを授かるのだが、華音だけはEランク・【ムゲン】という存在しない最低ランクの固有スキルを授かったと、帝国により死の森へ捨てられる。 しかし、華音の授かった固有スキルはEXランクの無限増殖という最強のスキルだったが、本人は弱いと思い込み、死の森を生き抜く為に無双する。

無属性魔法使いの下剋上~現代日本の知識を持つ魔導書と契約したら、俺だけが使える「科学魔法」で学園の英雄に成り上がりました~

黒崎隼人
ファンタジー
「お前は今日から、俺の主(マスター)だ」――魔力を持たない“無能”と蔑まれる落ちこぼれ貴族、ユキナリ。彼が手にした一冊の古びた魔導書。そこに宿っていたのは、異世界日本の知識を持つ生意気な魂、カイだった! 「俺の知識とお前の魔力があれば、最強だって夢じゃない」 主従契約から始まる、二人の秘密の特訓。科学的知識で魔法の常識を覆し、落ちこぼれが天才たちに成り上がる! 無自覚に甘い主従関係と、胸がすくような下剋上劇が今、幕を開ける!

戦場帰りの俺が隠居しようとしたら、最強の美少女たちに囲まれて逃げ場がなくなった件

さん
ファンタジー
戦場で命を削り、帝国最強部隊を率いた男――ラル。 数々の激戦を生き抜き、任務を終えた彼は、 今は辺境の地に建てられた静かな屋敷で、 わずかな安寧を求めて暮らしている……はずだった。 彼のそばには、かつて命を懸けて彼を支えた、最強の少女たち。 それぞれの立場で戦い、支え、尽くしてきた――ただ、すべてはラルのために。 今では彼の屋敷に集い、仕え、そして溺愛している。   「ラルさまさえいれば、わたくしは他に何もいりませんわ!」 「ラル様…私だけを見ていてください。誰よりも、ずっとずっと……」 「ねぇラル君、その人の名前……まだ覚えてるの?」 「ラル、そんなに気にしなくていいよ!ミアがいるから大丈夫だよねっ!」   命がけの戦場より、ヒロインたちの“甘くて圧が強い愛情”のほうが数倍キケン!? 順番待ちの寝床争奪戦、過去の恋の追及、圧バトル修羅場―― ラルの平穏な日常は、最強で一途な彼女たちに包囲されて崩壊寸前。   これは―― 【過去の傷を背負い静かに生きようとする男】と 【彼を神のように慕う最強少女たち】が織りなす、 “甘くて逃げ場のない生活”の物語。   ――戦場よりも生き延びるのが難しいのは、愛されすぎる日常だった。 ※表紙のキャラはエリスのイメージ画です。

クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?

青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。 最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。 普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた? しかも弱いからと森に捨てられた。 いやちょっとまてよ? 皆さん勘違いしてません? これはあいの不思議な日常を書いた物語である。 本編完結しました! 相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです! 1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…

処理中です...