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第一部
第二十一話 異変〜アルベール〜
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時は一日ほど遡る。
「辺境伯様、この度は誠にありがとうございました」
「我々この御恩に報いるためこれからも精一杯務めさせていただきます」
領民からこんな風に直接礼を言われるのは一体いつ以来だろうか。ここ数年はせいぜい出掛けるとしても、屋敷近くのデインズの街くらいだからな。
自分がなかなか姿を見せない偏屈者だと噂されていることはよく知っている。貴族たちの集まりにも一切参加せず、もちろん夜会にも現れない。人嫌いで変わり者、それが私への貴族からの評価だ。
「私こそ皆には感謝している。これからもよろしく頼む」
貴族たちの噂などどうでも良かった。何を言われようと辺境伯としての仕事をきちんとこなしていれば問題ないだろうと思っていた。
しかし、民たちの表情を見ているとそれだけでは足りない部分があったのだと実感する。私が出向くことが皆の役に立つことがあるのだ。
いつも書類の上でしか知らない民たちの苦しみ。それを直接知ることでこんなにも変わるものなのだな。
ソフィアには感謝してもしきれない。
『夜』は彼女と一晩でも離れることを拒んだらしい。当然といえば当然だ。そもそもアレが私に協力することなどなかったのだから。
しかし、彼女の説得のおかげで視察を行なうことができた。
「アルベール様。この土地の地主が今日の宿として屋敷を提供してくれるそうです」
「わかった」
彼女の生家レスター公爵家を調べるたび、出てくるのは悪い話ばかりだ。
ソフィアが生まれたばかりの頃、まだ私の父が辺境伯だったとき。レスター公爵は家族想いで領民への配慮も行き届いた素晴らしい貴族だった。彼女もまだ以前のような優しい父親に戻ってほしいと願っているように見えた。
そんな公爵が変わったのは、奥方が流行病で亡くなり後妻を迎えてからだ。
現在、公爵家の領地はひどく荒んでいる。どれだけ作物を育てても、そのほとんどを税として奪われ生きるのもやっとの金しか残らない。
民から徴収した税はほとんどが後妻とその連れ子の娘の豪遊に使われている。
領地から他の土地へ逃げ出そうとする民も多い。しかし逃亡が見つかれば容赦なく私刑に処されるため、皆怯えながら働くしかないのだ。
一体公爵は何をしているのだ。なぜそんな女の好き放題にさせている。実の娘を売ってまで……。
ソフィアの淋しそうな笑顔を思い出す。楽しいも、嬉しいも。彼女の笑った顔はどこか悲しげで、ふとしたことで泣き出してしまいそうに見えた。
その顔を見ると胸が締め付けられるような痛みを覚える。元気に振る舞っているからこそ、その姿がとても健気に、可愛らしく見える。
どうしたら彼女が心から笑う顔が見られるのだろう。
『夜』の前で彼女はどんな顔で笑っているのだろう。
「私が『夜』を羨ましいと思う日がくるとはな」
「……?なにか仰いましたか?」
「いや、なんでもない」
* * *
満月の夜、ドゥーロックとトロワが交代で見守るなか『夜』はひたすら眠っていたそうだ。一度も目を覚ますことはなく、静かに夜が明けた。
その静寂は一つの報せによって破られる。
「アルベール様!!」
「どうした?」
夜が明けてすぐまだ身支度も終わらぬうちにドゥーロックが青い顔をして部屋に駆け込んできた。
「ひどい顔だぞ」
「ソフィア様が!!」
只事ではない雰囲気に着替えの手が止まる。
「ソフィア様が、攫われました」
ドゥーロックが話し終わる前に上着だけを羽織り廊下へ出る。
「アンは?!」
「夜のうちに早馬をここへ寄越したあと、デインズの街の警備隊と捜索へ。しかし目撃情報がないため難航しているようで……」
自分の不注意に吐き気がする。無謀でも一緒に連れてくるべきだった。
「我が領内にはいない可能性が高い」
「はい。わたくしもそう思いましたので、早馬で伝言を送りました」
早足で厩舎へと向かう。私のいない隙を狙ったのか。
「相手は屋敷に侵入してきたそうです」
「ハッ、私も舐められたものだな」
厩舎ではすでにトロワが馬を用意していた。
「私は先に戻る。お前たちは挨拶を済ませ次第この地域の警備隊に連絡を」
「すでに済ませております」
珍しくトロワが声を出した。
「助かる、ではお前たちも戻り次第捜索に合流しろ」
「「かしこまりました」」
馬で駆け出し、屋敷へと向かう。思い出すのは見えなくなるまで馬車に手を振ってくれていた彼女の顔だった。
「ソフィア」
レスター公爵の仕業か?いや、娘が狼に襲われても捜索する素振りも見せなかった。
あのマリウスとかいう元婚約者?いや、あの情けない男にこんなことをする度胸はないだろう。
「やはりあの女」
全ての中心に公爵の後妻、ミシェーラという女がいる。公爵家を蝕む毒婦が。
彼女にもしものことがあれば、私でさえ怒りを抑えられない。今晩、彼女がいないと知ったとき『夜』がどんな行動に出るか。
「無事でいてくれ」
私のため、そして『夜』のために。
「辺境伯様、この度は誠にありがとうございました」
「我々この御恩に報いるためこれからも精一杯務めさせていただきます」
領民からこんな風に直接礼を言われるのは一体いつ以来だろうか。ここ数年はせいぜい出掛けるとしても、屋敷近くのデインズの街くらいだからな。
自分がなかなか姿を見せない偏屈者だと噂されていることはよく知っている。貴族たちの集まりにも一切参加せず、もちろん夜会にも現れない。人嫌いで変わり者、それが私への貴族からの評価だ。
「私こそ皆には感謝している。これからもよろしく頼む」
貴族たちの噂などどうでも良かった。何を言われようと辺境伯としての仕事をきちんとこなしていれば問題ないだろうと思っていた。
しかし、民たちの表情を見ているとそれだけでは足りない部分があったのだと実感する。私が出向くことが皆の役に立つことがあるのだ。
いつも書類の上でしか知らない民たちの苦しみ。それを直接知ることでこんなにも変わるものなのだな。
ソフィアには感謝してもしきれない。
『夜』は彼女と一晩でも離れることを拒んだらしい。当然といえば当然だ。そもそもアレが私に協力することなどなかったのだから。
しかし、彼女の説得のおかげで視察を行なうことができた。
「アルベール様。この土地の地主が今日の宿として屋敷を提供してくれるそうです」
「わかった」
彼女の生家レスター公爵家を調べるたび、出てくるのは悪い話ばかりだ。
ソフィアが生まれたばかりの頃、まだ私の父が辺境伯だったとき。レスター公爵は家族想いで領民への配慮も行き届いた素晴らしい貴族だった。彼女もまだ以前のような優しい父親に戻ってほしいと願っているように見えた。
そんな公爵が変わったのは、奥方が流行病で亡くなり後妻を迎えてからだ。
現在、公爵家の領地はひどく荒んでいる。どれだけ作物を育てても、そのほとんどを税として奪われ生きるのもやっとの金しか残らない。
民から徴収した税はほとんどが後妻とその連れ子の娘の豪遊に使われている。
領地から他の土地へ逃げ出そうとする民も多い。しかし逃亡が見つかれば容赦なく私刑に処されるため、皆怯えながら働くしかないのだ。
一体公爵は何をしているのだ。なぜそんな女の好き放題にさせている。実の娘を売ってまで……。
ソフィアの淋しそうな笑顔を思い出す。楽しいも、嬉しいも。彼女の笑った顔はどこか悲しげで、ふとしたことで泣き出してしまいそうに見えた。
その顔を見ると胸が締め付けられるような痛みを覚える。元気に振る舞っているからこそ、その姿がとても健気に、可愛らしく見える。
どうしたら彼女が心から笑う顔が見られるのだろう。
『夜』の前で彼女はどんな顔で笑っているのだろう。
「私が『夜』を羨ましいと思う日がくるとはな」
「……?なにか仰いましたか?」
「いや、なんでもない」
* * *
満月の夜、ドゥーロックとトロワが交代で見守るなか『夜』はひたすら眠っていたそうだ。一度も目を覚ますことはなく、静かに夜が明けた。
その静寂は一つの報せによって破られる。
「アルベール様!!」
「どうした?」
夜が明けてすぐまだ身支度も終わらぬうちにドゥーロックが青い顔をして部屋に駆け込んできた。
「ひどい顔だぞ」
「ソフィア様が!!」
只事ではない雰囲気に着替えの手が止まる。
「ソフィア様が、攫われました」
ドゥーロックが話し終わる前に上着だけを羽織り廊下へ出る。
「アンは?!」
「夜のうちに早馬をここへ寄越したあと、デインズの街の警備隊と捜索へ。しかし目撃情報がないため難航しているようで……」
自分の不注意に吐き気がする。無謀でも一緒に連れてくるべきだった。
「我が領内にはいない可能性が高い」
「はい。わたくしもそう思いましたので、早馬で伝言を送りました」
早足で厩舎へと向かう。私のいない隙を狙ったのか。
「相手は屋敷に侵入してきたそうです」
「ハッ、私も舐められたものだな」
厩舎ではすでにトロワが馬を用意していた。
「私は先に戻る。お前たちは挨拶を済ませ次第この地域の警備隊に連絡を」
「すでに済ませております」
珍しくトロワが声を出した。
「助かる、ではお前たちも戻り次第捜索に合流しろ」
「「かしこまりました」」
馬で駆け出し、屋敷へと向かう。思い出すのは見えなくなるまで馬車に手を振ってくれていた彼女の顔だった。
「ソフィア」
レスター公爵の仕業か?いや、娘が狼に襲われても捜索する素振りも見せなかった。
あのマリウスとかいう元婚約者?いや、あの情けない男にこんなことをする度胸はないだろう。
「やはりあの女」
全ての中心に公爵の後妻、ミシェーラという女がいる。公爵家を蝕む毒婦が。
彼女にもしものことがあれば、私でさえ怒りを抑えられない。今晩、彼女がいないと知ったとき『夜』がどんな行動に出るか。
「無事でいてくれ」
私のため、そして『夜』のために。
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