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「…………ここは…………」
瞼を開けた。光が目を刺すことはなかった。
夕方だろうか。見えたのは、薄闇に包まれようとする天井。造りから察するに、かなり頑丈な建物の一室だ。
「目が覚めたか」
リリーベルが視線をむけると、安堵をかみしめるような笑顔を浮かべた、黒髪赤眼の青年の美貌があった。
「…………アルベルテュス…………?」
「俺は紅の一族だが、『神に感謝したい気持ち』とは、こういう気分のことかな。目覚めてくれて良かった」
「目覚める…………?」
「貴女は第十三位との戦いで傷つき、気を失ったんだ。覚えていないか?」
覚えていた。
リリーベルは、兄代わりと信じていた人の目的と本性を知った晩の出来事を思い出す。
「私…………生きているのですか?」
自分でも、もう駄目だと覚悟したのに。
「貴女自身の若さによる回復力と、白騎士として鍛えてきた体力、それから聖水のおかげだな」
アルベルテュスは説明していく。
「貴女の肉体は、かなり聖化が進んでいた。あの魔物に食われかけても、表面はともかく、芯までは聖化が無効化されていなくて、俺の紅魔術による治癒をうけつけなかった。だから血を止めたあとは、とにかく聖水をかけて飲ませて、貴女自身の治癒力と、魔力に対する浄化力に頼ったんだ」
「私の…………」
リリーベルはアルベルテュスを見あげる。
「…………少し、声が変わっていませんか?」
「気にしなくていい。口内と喉が、少し焼けただけだ」
自身の白い喉をさするアルベルテュスを、リリーベルは不思議そうに見つめる。
意識を失ったリリーベルに聖水を飲ませるため、魔物であるアルベルテュスが口の中を火傷しなければならなかったというのは、今、教える必要はない。
リリーベルは顔をどうにか左右に動かして、室内を見渡す。
広くて清潔な一部屋だ。リリーベルが横たわっているのも、大きな寝台の上らしい。
「…………ここは…………どこですか?」
「どこだろうな?」
リリーベルはアルベルテュスを見た。
「あなたも知らない場所なのですか? 聖殿内の部屋ではなさそうですが…………」
「知ってはいるが、貴女には教えたくない」
「なぜ?」
「場所がわかったら、貴女は帰ろうとするだろう? まあ、わかっても、娘の足ではそうそう帰れない場所だが」
リリーベルはアルベルテュスの言葉を反芻し――――その意味を理解するにつれ、霞がかっていた思考が急激に覚醒していく。
「ここはどこです?」
「教えない」
ふたたび、今度は真剣な口調で訊ねたが、赤い瞳の青年は笑ってかわすだけだった。
その瞳に、甘く悪戯っぽい光がまたたき出す。
リリーベルは冷や汗が流れた気がした。
「帰ります」
起きあがろうとするが、起きあがれない。
アルベルテュスが邪魔しているのではなく、全身に力が入らないのだ。腕を動かそうとするだけで、多大な筋力を必要とする。
「無理はしないほうがいい。人間の肉体は、回復にも時間がかかるんだろう?」
「帰ります! こうしてはいられません、すぐに聖殿に…………」
「帰る必要はないし、帰す気もないな」
アルベルテュスは笑って、リリーベルの横たわる寝台に腰かけてきた。
リリーベルは悲鳴をあげかける。
「帰りますったら! ここがどこか、教えてください!! 一人でも帰ります!!」
「まあ、そう言わず」とは魔物は言わなかった。
「駄目だ。貴女は俺の妻だろう? 俺の許しなく、俺のそばを離れないでくれ」
なんとか起きあがろうとするリリーベルの体を、おおうようにアルベルテュスの長身が迫ってきて、彼女を寝台に戻す。
目覚めたばかりの体調を気遣ってか、アルベルテュスは体重をかけてはこなかったが、毛布一枚をへだてて伝わってくる彼の体の形や質感、ぱさりとリリーベルの胸の上に垂れた長い艶やかな黒髪の匂いに、リリーベルは絶叫したい思いにとらわれる。
「違います! いつ、私があなたと結婚したんです!!」
「俺のものになると言った」
「言っていません!!」
「いいや」
頬を真っ赤に染めたリリーベルの顔を楽しそうに愛しそうに見おろして、アルベルテュスは断言する。
「俺に貴女の死体を与える、と」
リリーベルは記憶をさらう。
「意識を失う前、貴女は俺に『たかが死体ですが、あなたが望むなら、好きなようにお持ちください』と明言した。貴女の体の所有権は俺にある」
リリーベルは困惑した。
「…………私は生きていますよ?」
それともここは、死者の国だろうか。
「生きてはいるが、貴女の肉体にはかわりない。譲渡された以上、貴女の肉体の所有権は俺にある。そして所有権がある以上、俺には貴女の体を好きな場所に置く権利があるはずだ。俺はずっと、貴女をここに閉じ込めたい。聖殿に戻したくない」
リリーベルは真っ青と真っ赤、両方の顔色を行き来した。
「困ります! 私は白騎士ですし…………だいいち、貴女に死体を差し上げると言っても、貴女の妻になることを承知した覚えはありません! 私の心は私のものと、お断りしたはずです!!」
「わかっている。だから、体だけでも所有したい。俺のものにしたい」
アルベルテュスの大きな手がリリーベルの額をなで、長い指が亜麻色の髪を梳いて、唇がリリーベルの耳に触れてくる。
リリーベルは混乱の極致におちいった。
「ちょっと…………!!」
「ひとまず、体を俺にくれ。心は追い追い、少しずついただこう」
青年の唇がリリーベルの首筋に触れる。リリーベルはくすぐったさにふるえた。
「待って…………」
今頃、気がついた。
(私…………鎧を着ていない! 寝間着一枚!?)
「体が完全に回復したら、外を案内しよう。近くに景色の美しい場所がある。それまでは俺の話だけで辛抱してくれ。貴女が望んだとおり、昼も夜も、貴女のためだけに語りつづけよう」
「待って、待って、待ってください――――!!」
リリーベルは目覚めたばかりで力が入らない体を、必死で動かそうとする。
目の前の赤い瞳の青年の楽しそうな顔が、これほど憎たらしく見えたことはない。
とうとう叫んでいた。
「――――私は、あなたなんて大っ嫌いですっ!!」
「俺は貴女に恋してる。貴女が欲しい」
人里を遠く離れた場所でくりひろげられた、人間の娘と魔物の青年の、短くも切実な戦いを知る人間はいない。
開け放たれた窓の外で太陽は西の地平に顔を隠していき、夕星が東の空にまたたく。
ことのほか赤い夕焼雲が朱色に輝き、空いっぱいに広がっていた。
瞼を開けた。光が目を刺すことはなかった。
夕方だろうか。見えたのは、薄闇に包まれようとする天井。造りから察するに、かなり頑丈な建物の一室だ。
「目が覚めたか」
リリーベルが視線をむけると、安堵をかみしめるような笑顔を浮かべた、黒髪赤眼の青年の美貌があった。
「…………アルベルテュス…………?」
「俺は紅の一族だが、『神に感謝したい気持ち』とは、こういう気分のことかな。目覚めてくれて良かった」
「目覚める…………?」
「貴女は第十三位との戦いで傷つき、気を失ったんだ。覚えていないか?」
覚えていた。
リリーベルは、兄代わりと信じていた人の目的と本性を知った晩の出来事を思い出す。
「私…………生きているのですか?」
自分でも、もう駄目だと覚悟したのに。
「貴女自身の若さによる回復力と、白騎士として鍛えてきた体力、それから聖水のおかげだな」
アルベルテュスは説明していく。
「貴女の肉体は、かなり聖化が進んでいた。あの魔物に食われかけても、表面はともかく、芯までは聖化が無効化されていなくて、俺の紅魔術による治癒をうけつけなかった。だから血を止めたあとは、とにかく聖水をかけて飲ませて、貴女自身の治癒力と、魔力に対する浄化力に頼ったんだ」
「私の…………」
リリーベルはアルベルテュスを見あげる。
「…………少し、声が変わっていませんか?」
「気にしなくていい。口内と喉が、少し焼けただけだ」
自身の白い喉をさするアルベルテュスを、リリーベルは不思議そうに見つめる。
意識を失ったリリーベルに聖水を飲ませるため、魔物であるアルベルテュスが口の中を火傷しなければならなかったというのは、今、教える必要はない。
リリーベルは顔をどうにか左右に動かして、室内を見渡す。
広くて清潔な一部屋だ。リリーベルが横たわっているのも、大きな寝台の上らしい。
「…………ここは…………どこですか?」
「どこだろうな?」
リリーベルはアルベルテュスを見た。
「あなたも知らない場所なのですか? 聖殿内の部屋ではなさそうですが…………」
「知ってはいるが、貴女には教えたくない」
「なぜ?」
「場所がわかったら、貴女は帰ろうとするだろう? まあ、わかっても、娘の足ではそうそう帰れない場所だが」
リリーベルはアルベルテュスの言葉を反芻し――――その意味を理解するにつれ、霞がかっていた思考が急激に覚醒していく。
「ここはどこです?」
「教えない」
ふたたび、今度は真剣な口調で訊ねたが、赤い瞳の青年は笑ってかわすだけだった。
その瞳に、甘く悪戯っぽい光がまたたき出す。
リリーベルは冷や汗が流れた気がした。
「帰ります」
起きあがろうとするが、起きあがれない。
アルベルテュスが邪魔しているのではなく、全身に力が入らないのだ。腕を動かそうとするだけで、多大な筋力を必要とする。
「無理はしないほうがいい。人間の肉体は、回復にも時間がかかるんだろう?」
「帰ります! こうしてはいられません、すぐに聖殿に…………」
「帰る必要はないし、帰す気もないな」
アルベルテュスは笑って、リリーベルの横たわる寝台に腰かけてきた。
リリーベルは悲鳴をあげかける。
「帰りますったら! ここがどこか、教えてください!! 一人でも帰ります!!」
「まあ、そう言わず」とは魔物は言わなかった。
「駄目だ。貴女は俺の妻だろう? 俺の許しなく、俺のそばを離れないでくれ」
なんとか起きあがろうとするリリーベルの体を、おおうようにアルベルテュスの長身が迫ってきて、彼女を寝台に戻す。
目覚めたばかりの体調を気遣ってか、アルベルテュスは体重をかけてはこなかったが、毛布一枚をへだてて伝わってくる彼の体の形や質感、ぱさりとリリーベルの胸の上に垂れた長い艶やかな黒髪の匂いに、リリーベルは絶叫したい思いにとらわれる。
「違います! いつ、私があなたと結婚したんです!!」
「俺のものになると言った」
「言っていません!!」
「いいや」
頬を真っ赤に染めたリリーベルの顔を楽しそうに愛しそうに見おろして、アルベルテュスは断言する。
「俺に貴女の死体を与える、と」
リリーベルは記憶をさらう。
「意識を失う前、貴女は俺に『たかが死体ですが、あなたが望むなら、好きなようにお持ちください』と明言した。貴女の体の所有権は俺にある」
リリーベルは困惑した。
「…………私は生きていますよ?」
それともここは、死者の国だろうか。
「生きてはいるが、貴女の肉体にはかわりない。譲渡された以上、貴女の肉体の所有権は俺にある。そして所有権がある以上、俺には貴女の体を好きな場所に置く権利があるはずだ。俺はずっと、貴女をここに閉じ込めたい。聖殿に戻したくない」
リリーベルは真っ青と真っ赤、両方の顔色を行き来した。
「困ります! 私は白騎士ですし…………だいいち、貴女に死体を差し上げると言っても、貴女の妻になることを承知した覚えはありません! 私の心は私のものと、お断りしたはずです!!」
「わかっている。だから、体だけでも所有したい。俺のものにしたい」
アルベルテュスの大きな手がリリーベルの額をなで、長い指が亜麻色の髪を梳いて、唇がリリーベルの耳に触れてくる。
リリーベルは混乱の極致におちいった。
「ちょっと…………!!」
「ひとまず、体を俺にくれ。心は追い追い、少しずついただこう」
青年の唇がリリーベルの首筋に触れる。リリーベルはくすぐったさにふるえた。
「待って…………」
今頃、気がついた。
(私…………鎧を着ていない! 寝間着一枚!?)
「体が完全に回復したら、外を案内しよう。近くに景色の美しい場所がある。それまでは俺の話だけで辛抱してくれ。貴女が望んだとおり、昼も夜も、貴女のためだけに語りつづけよう」
「待って、待って、待ってください――――!!」
リリーベルは目覚めたばかりで力が入らない体を、必死で動かそうとする。
目の前の赤い瞳の青年の楽しそうな顔が、これほど憎たらしく見えたことはない。
とうとう叫んでいた。
「――――私は、あなたなんて大っ嫌いですっ!!」
「俺は貴女に恋してる。貴女が欲しい」
人里を遠く離れた場所でくりひろげられた、人間の娘と魔物の青年の、短くも切実な戦いを知る人間はいない。
開け放たれた窓の外で太陽は西の地平に顔を隠していき、夕星が東の空にまたたく。
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