断罪されるヒロインに転生したので、退学して本物の聖女を目指します!

オレンジ方解石

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29.アリシア

「イサーク? 本当にお前か?」

 鋼色の髪の青年が、眼鏡のレンズの奥の目をみはる。

「夜分に失礼します、ニコラス。相談があって来ました」

 月が高く浮かんで、灯りが豊富な富裕層でも「そろそろ寝るか」と言い出す時分。
 私とルイス卿はグラシアン聖神官に案内され、ノベーラ宰相バルベルデ侯爵邸に来ていた。
 あの王立学院の入学式の日に、

『愚鈍な平民の奨学生風情が、分不相応な野心に目がくらんで我々を篭絡しようとは、舐められたものだ。なにかあれば即報告するよう、生徒達には命じてある。くれぐれも行動には気をつけることだ。セレス嬢には指一本、触れさせないぞ』

 と言い捨てた、眼鏡の青年の家である。
 あの時より、さらに理知的な大人っぽい雰囲気が増した青年が、私達を玄関に入れる。

「こんな夜更けに、どうした。お前はロドルフォと一緒に、セルバ地方にいるはずだろう。戻ってくる、という知らせは聞いていなかったが」

 宰相の邸宅だけあって、玄関ホールは立派だった。吹き抜けの天井から下がるシャンデリアに火が灯っていない事実が、私達の訪問がいかに予定外で非常識なものか暗に物語っている。

「なんの知らせもなく、こんな時間に申し訳ありません、ニコラス。なにぶん急な用件で」

「気づいたら、この邸の前でした」とは言えない。

「そちらは…………」

 ニコラス・バルベルデは友人の背後を――――同行していた私とルイス卿、それから魔王ビブロスを見やる。私はともかく、ルイス卿と魔王は初対面のはずだ。

「夜分の訪問をお許しください、バルベルデ卿。ルイス将軍の娘、ヴィヴィアナと申します。大公陛下より女騎士の位を賜っております」

 ルイス卿は騎士の礼節をもって自己紹介した。
 ビブロスは他人事のようにそっぽを向いている。

(名乗って!!)

 私は心の声を飛ばすが、魔王に聞こえた様子はない。

「この男性ひとは放っておいてください。夜分に失礼します、大神殿所属の聖神官アリシア・ソルです」

「アリシア・ソル――――」

「お会いするのは二度目ですね」

「たしかに。入学式以来か」

 私はちょっと皮肉を含んで告げたが、相手はまったく動揺した風はない。

「ニコラス。お願いがあります」

 私とバルベルデ卿の空気が険悪になるのをさえぎるように、グラシアン聖神官が切り出す。

「稀覯本を持っていたら、何冊か譲ってほしいのです。むろん、あとで謝礼はします」

 グラシアン聖神官の言う『謝礼』は金貨や宝石、絹などの高級品のことだろう。
 思えば、ビブロスもこういう品で妥協してくれれば、私達がここまで苦労することもないのに『図書館の魔王』を名乗るだけあって、彼は本以外の対価は頑としてうけとろうとしない。

「事情がありそうだな。私の部屋に来い」

 ニコラス・バルベルデは友人を含む私達を、自身の私室へと導く。
 令息につき合ってまだ起きていた侍従が、来客にあたたかい飲み物を用意するため厨房へ向かった(正直、申し訳ない)。

「本なら、私のものは、だいたいここにまとめてあるが――――」

 案内されたのは、彼個人の書斎だった。さすが、宰相にして侯爵のご令息だけあって、個人で書斎を持っているのもすごいし、その書斎が私の部屋よりずっと広いのもすごい。
 なによりすごいのは、壁だった。端から端まで本棚が置かれて、色も厚みも大きさも多様な背表紙がぎっしり詰まっている。
 ビブロスがさっそく本棚に歩み寄った。

「誰だ、あの男は」

 バルベルデ卿が当然、グラシアン聖神官に訊ねる。

「それが、私もよく知らなくて。ソル聖神官いわく、本を扱う商人だそうですが…………」

「本屋か?」

「正確には、図書館の主だよ。本の取引はしているけれど、新刊はむろん、古書や稀覯本も多く扱うという点では、古書店にもちかいかな」

 背表紙の列から視線を外さず、ビブロスはバルベルデ卿に説明する。手は本に触れていない。

「本の内容ジャンルは不問。歴史書、哲学書、魔術書に図鑑や詩集、料理本、大衆小説でもかまわないし、文字で記されているなら、記録や書簡の類も受けつけている。言語は問わない。楽譜はものによりけりだ。ただし印刷本は価値を低く設定してある。大量に流通しているからね。著者直筆の原本を最高に設定してある」

 バルベルデ卿が不審のまなざしで私を見た。

「図書館の主です。ただ、対価を本に限定しているだけです。金貨や宝石は受けつけません」

 嘘は一切ついていない。が、バルベルデ卿は嫌悪と不審に眉根を寄せた。

「話を聞くだけで怪しい人間だな。大神殿で貧民の癒しに邁進し、セルバの砦でも危険を顧みずに負傷兵の治療にあたっている、と報告をうけていたが、やはり性根は変わっていないのか。分不相応な野心など抱くから、わかりやすい怪しげなうまい話に飛びつくことになる」

 ルイス卿が眉をつりあげ、私も「む」と、入学式での彼の台詞がよみがえる。
 グラシアン聖神官が止めようとしたが、逆にバルベルデ卿の矛先は友人にまで向けられた。

「お前もお前だ、イサーク。こんな怪しい女の怪しい話に引っかかるなど、枢機卿であるお前の父上が知れば、さぞ落胆されるぞ。今夜のことは内密にしておく。すぐに帰れ」

「待ってください、ニコラス」

「失礼ですが、今のお言葉は聞き逃せません」

 ルイス卿が進み出た。

「アリシア様は大神殿で多大な功績をあげ、ブルカンの街の神殿やセルバの砦でも同様に大勢の命を救われた、まさに聖女候補に挙げられるにふさわしいお方です。たとえ侯爵令息、宰相令息といえども、今の暴言は許せません。撤回と謝罪を求めます」

「待ってください、ルイス卿」

 私は焦った。
 ルイス将軍家は武官としては名高いし、由緒もある家柄だが、バルベルデ侯爵家に目をつけられて無事でいられるとは思えない。まして現在のバルベルデ侯爵は宰相だ。
 だがルイス卿は引き下がろうとはせず、ニコラス・バルベルデも彼女をにらみかえしてくる。

「野心家を野心家と評して、なにが悪いと? 聞けば、幼い頃から『有名になりたい』と公言して、はばからない人柄だったとか。むしろ『野心家』以外の表現が見つからないが?」

(あっ、うーん。それは)

 眼鏡を直しながらルイス卿に返したバルベルデ卿の指摘に、私も反論の余地を失う。『有名になりたい』と、子供の頃から口に出していたのは事実だ。

「まあ、その点は否定しませんけれど」

「そんな、アリシア様」

「でも、あれは『訊ねられたら言う』程度で、積極的に言いふらしていたつもりはないです。なんというか、噂が独り歩きしている感がなくもないですね」

 聖神官見習いということで、悪い意味で落差ギャップが大きくて印象に残りやすかったのかもしれない。「あんな子が聖神官になって大丈夫?」みたいな。

「そもそも、何故そんなに名誉を求めるのです?」

 グラシアン聖神官から初歩的な質問をされ、私は返答に迷う。
 有り体に言って、私が有名になりたいのは魔王ビブロスのため――――せいだ。
 彼に対価の返済という形で渡している日記は、書き手の私自身が有名になればなるほど価値が上がる。そして私自身も、ビブロスに認めてもらいたい。
 が、それを正直に明かすには照れがある。

「いろいろ事情がありまして…………」

「僕に、金銭で言うところの『借金』をしている状況だからね」

 視線は背表紙に固定したまま、ビブロスが助け船(?)を出してくれた。

「彼女が有名になってくれないと、僕が困るんだよ。聖女アリシア・ソルの直筆の日記だから価値があるのであって、ただの一般人の雑な日記に価値はない。取引したのは八年前なのに、いまだに返済が滞っている」

「…………っ」

 一度に三人の視線にさらされ、私は羞恥が頬にのぼる。
 魔王はさらに追い打ちをかけてきた。

「彼女と常に一緒なら、ちょうどいい。君からも、彼女がちゃんと日記をつけて功成り名遂げるよう、見張ってくれないかな、女騎士殿。放っておくと、すぐ日記をさぼる」

「ルイス卿まで巻き込まないで!」

 戸惑いを浮べて、ルイス卿は私とビブロスを見比べる。

「失礼ですが、アリシア様。あの方と、どのような取引をされたのでしょう? 返済が滞っているというのは、本当ですか? 八年もかかるなんて、どれほどの取引を――――」

「いやあの。滞っているのは事実ですけど、変な取引ではなく、恩人でもあって…………」

 ルイス卿の生真面目な視線を直視できず、ごにょごにょ口ごもる。

「恩人? なにか恩を受けたのですか? 八年も前に?」

「ええまあ。…………死にかけていたところを、助けられた恩が…………」

 するとルイス卿が今まで以上に細い眉をつりあげ、魔王に体ごと向き直った。

「失礼ですが、図書館長殿。アリシア様の説明は事実ですか?」

「図書館長。良い響きだね、事実だよ」

 ビブロスも背表紙から視線を外して、こちらをふりかえる。ちょっと機嫌良さそうなあたり、本気で『図書館長』という呼び方に気をよくしたのかもしれない。

「八年前、アリシア・ソルは僕に命を助けられ、その対価を本で払うことを約束した。けれど平民の孤児となった彼女に、稀覯本なんて用意できないのは明らかだ。それで『有名になることで、自身の日記に価値をつける』という条件で話がついたんだ。直筆の日記や書簡も、対価としてうけつけているからね」

「な…………」

 驚きの声はルイス卿か、それともグラシアン聖神官か。

「それはあんまりではありませんか? 館長殿! アリシア様は十六歳。八年前といえば、八歳でしょう? 八歳の幼子の命を助けるのに、対価を要求とは。大人なら無償で助けるのが、人の道というものでは!?」

「ル、ルイス卿!」

 私は(もっと言ってやって)と心の隅で思いつつ、騎士道精神を発揮するルイス卿の剣幕に、魔王が反発するのではないかと、ひやひやする。

「あいにく人間ではないからね。成人はしているけれど」

 図書館の魔王は、変わらず雪夜の空気をまとっている。

「人になんと言われようと、僕とアリシア・ソルの間では契約が成立している。そして成立した以上は、必ず履行する。こちらが要求を叶えた以上、子供だろうが地の果てまで逃げようが、対価は絶対に払ってもらう。それが僕の掟で在り様だ。他者に口は、はさませない」

 確固たる口調。
 私はげっそりと脱力する。

「あなたという方は…………!」

 私はルイス卿の袖を引く。

「落ち着いてください、ルイス卿。この件については、私も納得しています。要は、私が有名になって日記をつけつづければ、いつかは完済できるはずですから」

「ですが、アリシア様」

「その話は本当ですか? ソル聖神官」

 割り込んできたのはグラシアン聖神官だった。
 私はうなずく。

「それでいいのですか?」

「いいもなにも。八年も前に決まったことなので、今更どうにもなりません」

「ですが」

「毎日、日記をつけるだけです。それと、今までどおり癒しをつづけていれば、なんとかなると思います。色々あったけど…………私はやっぱり、あの時、この男性ひとに助けられて、良かったと思っているんです」

 たんに「生きていて良かった」というだけではない。本当の理由は口には出せないけれど。
 でもやっぱり、あの時ビブロスに会えたことは後悔していないのだ。

(対価の返済を迫られるだけの関係だとしてもね!!)

 地の果てまでもとりたてる、と言うなら、そうしてほしい。
 すると私の反応を、どう解釈したのか。
 グラシアン聖神官は覚悟を決めた顔つきで、まっすぐに私を見つめてきた。

「申し訳ありません、ソル聖神官。貴女のことをずっと誤解していました。大神殿で『平民出身の、有名になりたがっている見習い』と聞き、てっきり貴族との結婚や、愛人関係を狙う女性とばかり。あの学院には、それを目的とする女生徒も少なからず通っていますし…………聖神官認定は確実とも聞いたので、なおさら認められませんでした。ですが今日、正確な事情を知り、見当違いな解釈で入学式の日に貴女に無礼を働いたこと、ここでお詫びします」

「え」

「ブルカンの街に貴女が来てから今日まで、失礼ながら、ずっと観察していました。貴女は常に傷病者に救いの手を差し伸べることを、第一に考えていた。ただの野心家に、あそこまでできるとは思えません。だからこそ、貴女がどのような人間か、つかみ損ねていたのですが…………事情はわかりました。貴女はたしかに聖神官にふさわしい。貴女を誤解していたこと、それをもとに侮辱したこと、この場であらためて謝罪します。本当に失礼しました」

 グラシアン聖神官は胸の前で腕を交差する神官式のお辞儀で、深く頭を下げる。

「ええ、と。え? え?」

 怒涛の長台詞と急展開だった。
 バルベルデ卿は眼鏡の奥で瞠目しているし、ルイス卿は入学式の件を知らないので首をかしげて、ビブロスだけが何事もなかったかのように本棚の背表紙へ戻っている。

(いや待って、グラシアン聖神官! たしかに癒しはがんばってきたし、有名になりたい理由も知られてしまったけど…………意外と素直というか、ちょっと信じやすくない!?)

 将来の枢機卿として、幼い頃から日常的に神殿に出入りしてきただけに、やや浮世離れしているというか、ちょっと世間知らずなところがあるのかもしれない(後日、これをルイス卿に言ったら「たしかにアリシア様と似たところがおありですね」と、大変予想外で不本意な感想が返ってきた)。

(どうしよう)

 私は十秒ほどうろたえたが、最終的に、こちらもちゃんと向き合うことにした。

「えっと、顔をあげてください、グラシアン聖神官」

 グラシアン聖神官はていねいに本心を明かしたのだ。ならば、こちらもその誠実に応えるべきだろう。

「グラシアン聖神官は、少々勘違いされている気もしますが…………私が名誉を求めているのは事実です。そしてそれ以上に、一人でも多くの患者を癒し、力になりたいと思っています。私はこのまま、聖神官の道をまっとうするつもりです。ですからグラシアン聖神官がそこを疑わなければ、私を同じ聖神官として信用していただけるなら、それ以上のことは求めません。私自身、聖神官として日々最大限に努力を重ねて、ブルカンの街の人々に慕われているグラシアン聖神官の姿勢を、素晴らしいと思います。あ、あと、私はデラクルス嬢と関わり合いになる気は、毛頭ありません」

 長くなったが、これが私の本音だ。

「グラシアン聖神官とは同じ聖神官同士、仕事上の仲間として、うまくやっていきたいと思っています。可能ですか?」

 私はグラシアン聖神官を見た。

「光栄です」

 やわらかく微笑んだイサーク・グラシアン聖神官の、それが返事だった。
 私は、彼の瞳がアクアマリンのような明るい水色だと、はじめて知った気がした。
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