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30.アリシア
グラシアン聖神官と本心を伝えあうことができて、私は重い荷物を一つ、おろせた気分になった。ルイス卿もほほ笑ましそうに、こちらを見守っている。
「私はもうしばらく、結論を保留させてもらう」
しれっ、と告げたのはニコラス・バルベルデ卿だった。空気読んで。
「鑑定結果が出たよ。なかなか興味深い品ぞろえだ」
魔王も割り込んでくる。
いつもの雪夜のような雰囲気がやや薄れて正直、私といる時より楽しそうだ。面白くない。
バルベルデ卿がかなりの読書家というのは書斎を見れば一目瞭然だが、大貴族の自慢の跡継ぎ息子だけあって、内容もかなり充実しているらしい。
「サムエーレ・カラビの『国政理想論』に、ジューリオ・フラーキの『数理論』。マッテオ・ベッテガの『神秘学』と、トンマーゾ・シパーリの『自然科学』の原書。その他の書写本も、原書にちかい版がそろっている。これなら対価として充分だ」
「そもそも、何を買うつもりなんだ。私が言うのもなんだが、これらはもともと我が家に伝わっていた品に、私が、父や学院の教授達の伝手を借りて集めた品々だ。怪しい品と交換するわけにはいかない」
当然の主張だった。
「これだよ」
と、魔王は例の紙の束をバルベルデ卿に見せてしまう。
「! これは…………!」
二、三枚めくっただけで内容を理解したようで、宰相の息子は瞠目する。
「こんな物を、どこで手に入れた!?」
「本人から直接、対価として受けとった物だよ」
「本人だと?」
「およそ百五十年前、ブルカンの街を統治していたブルカン城伯ブルーノ・デレオンからだ。彼はその文書と引き換えに、セリャド火山の噴火からブルカンの住民を一人でも多く避難させるよう、僕に依頼した。その対価だ」
「あ」と、私は声をあげていた。
「『ブルカンの奇跡』…………!!」
百五十年前、セリャド火山が噴火した際。大多数の住民が無事に避難して、人的被害が異例の少人数に抑えられたという言い伝え。
当時の城伯の卓越した指導力によるもの、と伝えられ、セルバ地方では英雄的扱いを受けているけれど。
「あれって、あなたのおかげだったの!?」
奇跡に等しい避難も、魔王の助力故と考えれば納得がいく。
「ブルーノ・デレオンは大きな望みを持ちながらも、本は、聖典と歴史書と詩集を一冊ずつ所有するだけだった。当時は印刷技術が発明されていなかったため、書物は大変な希少品で、街の金持ちでも手に入れられないのが普通だったからね。ブルーノ・デレオンに差し出せるのは、手持ちの三冊とこの記録だけだった、というわけだ」
ビブロスは私の質問に対して肯定も否定もせず、ただ淡々と商品説明を述べる。
「ブルカンの奇跡については、私も聞いたことがある。街一つが避難し、奇跡的に成功したと。その当時の城伯から直接この文書を受けとったというのは、どういう意味だ? お前は何者だ? そもそも何歳だ!?」
バルベルデ卿の疑問は当然だったし、最後の問いについては、私も地味に知りたかった。
しかし。
「真偽を疑うのは、そちらの自由だ。僕は相応の対価と引き換えに知識や情報、記録その他を提供する。それだけだ。不満があるなら、取引をやめればいい」
てっきり『図書館の魔王』の異名を名乗るのかと思ったが、そうしない。
バルベルデ卿の不審と苛立ちは、ますます深まる。
「あからさまに怪しい。文書自体は本物のようだが、あれを持っている時点で信用ならない」
「たしかにビブロスは怪しいし、ご意見はもっともですけれど。あの文書が手に入らないと、セルバ地方の国境問題が解決しません。いつまでたっても、戦争が終わらないんです!」
「ニコラス、大勢の人命がかかっています。協力してください。あなたの蔵書を譲ってほしいのです。本の対価は、私が払います」
眉間に疑惑のしわを寄せるバルベルデ卿を、私とグラシアン聖神官で説得する。
バルベルデ卿はしばらく唸っていたが、やがて自ら十冊以上の蔵書を手放す宣言をした。
ビブロスから彼の図書館の目録を見せてもらい、そのすべてに本物そっくりの複製本と、内容を正確に書き写した書写本があると知ったからだ。
「手始めにこれと、これと、これ。それからここの列の本、すべて購入したい。原本で手に入れば最高だが、今は書写本で我慢しよう」
「書写本といえど、僕の図書館の本は一言一句すべて正確に書き写してある。写字生が写し間違えていないか、勝手に文章を付け足したり削ったりしていないか、といった心配は無用だよ」
「それはありがたいな」
信用しているのか、いないのか。知的な顔立ちが計算高い表情を浮かべる(たぶん信用していない。誤字脱字をまったく犯さずに書き写せる写字生など、皆無だから)。
「それじゃあ、この棚のここからここまでと――――」
ビブロスの長い指が本棚のあちこちを指さす。
図書館の魔王と宰相子息は一見、真剣な顔つきだが、当人達は楽しく取引している空気が伝わって来て、私もルイス卿もグラシアン聖神官もちょっと呆れた。
(どうせ私は、本にはうといですよ)
でも公都に帰れたら、ちょっとは読めるよう努力してみるべきかもしれない。
「とりあえず、目的の品は手に入りそうで一安心です」
「あとは、どう公表するか、ですね」
ルイス卿が新たな問題を提示してきた。
「ものがものだけに、アリシア様が直接デレオン将軍やセルバ辺境伯に渡せば、必ず出所を問われるでしょう。グラシアン聖神官でも同様です。その場合、どう取り繕いましょう? そちらの図書館長から購入したと明かしますか?」
私は押し黙った。
たしかにビブロスはあまり人前に出したくないというか、公の場に出せない存在である。なにしろ魔王なのだから。しかし。
「出所をはっきりさせないと、記録としての信頼性も落ちますよね…………」
頭を抱えた私に、当の魔王が提案してきた。
「追加で引き受けようか?」
「できるの?」
「誰がどこで発見したことにするか次第だけれど、彼からもらった対価の範囲内で可能だよ」
ビブロスがバルベルデ卿を指さす。「ええと」と私は悩んだ。
「実際に対価を払ったのはバルベルデ卿ですから、卿が発見したことにするのが筋、ですかね?」
「私は当面、国境地帯に行く理由がない。公都で記録が発見されたところで、クエント侯国側は偽造を疑うだけだ。ノベーラ側もクエント側も疑義を抱けない状況で発見されなければ、意味がない。それが叶うなら、私の名は出さなくていい」
バルベルデ卿は明言し、ビブロスも「承知したよ」と請け負う。
私とルイス卿とグラシアン聖神官は、ビブロスの術によって夜明け前に砦に戻り(グラシアン聖神官とルイス卿は移動の記憶を消された)、真夜中の宰相邸での密会はお開きとなる。
ビブロスはあれだけ情報を開示したにも関わらず、気づけば『魔王』の単語は一度も出さずに終わっていた。
そんなこんなで、国境線に関する記録の束は、いったんビブロスのもとに留まる。
どのような形で公表するつもりなのか。私が、やきもきしながら砦を訪れる傷病者の癒しにあたっていた矢先、クエント侯国から休戦交渉を提案する使者が訪れる。
クエント兵の捕虜を癒した聖神官にも、交渉の場への出席の誘いがあった。
「私はもうしばらく、結論を保留させてもらう」
しれっ、と告げたのはニコラス・バルベルデ卿だった。空気読んで。
「鑑定結果が出たよ。なかなか興味深い品ぞろえだ」
魔王も割り込んでくる。
いつもの雪夜のような雰囲気がやや薄れて正直、私といる時より楽しそうだ。面白くない。
バルベルデ卿がかなりの読書家というのは書斎を見れば一目瞭然だが、大貴族の自慢の跡継ぎ息子だけあって、内容もかなり充実しているらしい。
「サムエーレ・カラビの『国政理想論』に、ジューリオ・フラーキの『数理論』。マッテオ・ベッテガの『神秘学』と、トンマーゾ・シパーリの『自然科学』の原書。その他の書写本も、原書にちかい版がそろっている。これなら対価として充分だ」
「そもそも、何を買うつもりなんだ。私が言うのもなんだが、これらはもともと我が家に伝わっていた品に、私が、父や学院の教授達の伝手を借りて集めた品々だ。怪しい品と交換するわけにはいかない」
当然の主張だった。
「これだよ」
と、魔王は例の紙の束をバルベルデ卿に見せてしまう。
「! これは…………!」
二、三枚めくっただけで内容を理解したようで、宰相の息子は瞠目する。
「こんな物を、どこで手に入れた!?」
「本人から直接、対価として受けとった物だよ」
「本人だと?」
「およそ百五十年前、ブルカンの街を統治していたブルカン城伯ブルーノ・デレオンからだ。彼はその文書と引き換えに、セリャド火山の噴火からブルカンの住民を一人でも多く避難させるよう、僕に依頼した。その対価だ」
「あ」と、私は声をあげていた。
「『ブルカンの奇跡』…………!!」
百五十年前、セリャド火山が噴火した際。大多数の住民が無事に避難して、人的被害が異例の少人数に抑えられたという言い伝え。
当時の城伯の卓越した指導力によるもの、と伝えられ、セルバ地方では英雄的扱いを受けているけれど。
「あれって、あなたのおかげだったの!?」
奇跡に等しい避難も、魔王の助力故と考えれば納得がいく。
「ブルーノ・デレオンは大きな望みを持ちながらも、本は、聖典と歴史書と詩集を一冊ずつ所有するだけだった。当時は印刷技術が発明されていなかったため、書物は大変な希少品で、街の金持ちでも手に入れられないのが普通だったからね。ブルーノ・デレオンに差し出せるのは、手持ちの三冊とこの記録だけだった、というわけだ」
ビブロスは私の質問に対して肯定も否定もせず、ただ淡々と商品説明を述べる。
「ブルカンの奇跡については、私も聞いたことがある。街一つが避難し、奇跡的に成功したと。その当時の城伯から直接この文書を受けとったというのは、どういう意味だ? お前は何者だ? そもそも何歳だ!?」
バルベルデ卿の疑問は当然だったし、最後の問いについては、私も地味に知りたかった。
しかし。
「真偽を疑うのは、そちらの自由だ。僕は相応の対価と引き換えに知識や情報、記録その他を提供する。それだけだ。不満があるなら、取引をやめればいい」
てっきり『図書館の魔王』の異名を名乗るのかと思ったが、そうしない。
バルベルデ卿の不審と苛立ちは、ますます深まる。
「あからさまに怪しい。文書自体は本物のようだが、あれを持っている時点で信用ならない」
「たしかにビブロスは怪しいし、ご意見はもっともですけれど。あの文書が手に入らないと、セルバ地方の国境問題が解決しません。いつまでたっても、戦争が終わらないんです!」
「ニコラス、大勢の人命がかかっています。協力してください。あなたの蔵書を譲ってほしいのです。本の対価は、私が払います」
眉間に疑惑のしわを寄せるバルベルデ卿を、私とグラシアン聖神官で説得する。
バルベルデ卿はしばらく唸っていたが、やがて自ら十冊以上の蔵書を手放す宣言をした。
ビブロスから彼の図書館の目録を見せてもらい、そのすべてに本物そっくりの複製本と、内容を正確に書き写した書写本があると知ったからだ。
「手始めにこれと、これと、これ。それからここの列の本、すべて購入したい。原本で手に入れば最高だが、今は書写本で我慢しよう」
「書写本といえど、僕の図書館の本は一言一句すべて正確に書き写してある。写字生が写し間違えていないか、勝手に文章を付け足したり削ったりしていないか、といった心配は無用だよ」
「それはありがたいな」
信用しているのか、いないのか。知的な顔立ちが計算高い表情を浮かべる(たぶん信用していない。誤字脱字をまったく犯さずに書き写せる写字生など、皆無だから)。
「それじゃあ、この棚のここからここまでと――――」
ビブロスの長い指が本棚のあちこちを指さす。
図書館の魔王と宰相子息は一見、真剣な顔つきだが、当人達は楽しく取引している空気が伝わって来て、私もルイス卿もグラシアン聖神官もちょっと呆れた。
(どうせ私は、本にはうといですよ)
でも公都に帰れたら、ちょっとは読めるよう努力してみるべきかもしれない。
「とりあえず、目的の品は手に入りそうで一安心です」
「あとは、どう公表するか、ですね」
ルイス卿が新たな問題を提示してきた。
「ものがものだけに、アリシア様が直接デレオン将軍やセルバ辺境伯に渡せば、必ず出所を問われるでしょう。グラシアン聖神官でも同様です。その場合、どう取り繕いましょう? そちらの図書館長から購入したと明かしますか?」
私は押し黙った。
たしかにビブロスはあまり人前に出したくないというか、公の場に出せない存在である。なにしろ魔王なのだから。しかし。
「出所をはっきりさせないと、記録としての信頼性も落ちますよね…………」
頭を抱えた私に、当の魔王が提案してきた。
「追加で引き受けようか?」
「できるの?」
「誰がどこで発見したことにするか次第だけれど、彼からもらった対価の範囲内で可能だよ」
ビブロスがバルベルデ卿を指さす。「ええと」と私は悩んだ。
「実際に対価を払ったのはバルベルデ卿ですから、卿が発見したことにするのが筋、ですかね?」
「私は当面、国境地帯に行く理由がない。公都で記録が発見されたところで、クエント侯国側は偽造を疑うだけだ。ノベーラ側もクエント側も疑義を抱けない状況で発見されなければ、意味がない。それが叶うなら、私の名は出さなくていい」
バルベルデ卿は明言し、ビブロスも「承知したよ」と請け負う。
私とルイス卿とグラシアン聖神官は、ビブロスの術によって夜明け前に砦に戻り(グラシアン聖神官とルイス卿は移動の記憶を消された)、真夜中の宰相邸での密会はお開きとなる。
ビブロスはあれだけ情報を開示したにも関わらず、気づけば『魔王』の単語は一度も出さずに終わっていた。
そんなこんなで、国境線に関する記録の束は、いったんビブロスのもとに留まる。
どのような形で公表するつもりなのか。私が、やきもきしながら砦を訪れる傷病者の癒しにあたっていた矢先、クエント侯国から休戦交渉を提案する使者が訪れる。
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