乙女ゲームの悪役令嬢に転生したので闇の『魅了』スキルで攻略対象の男たちをカップリングしていきます

カタリベかたる

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穢れに塗れた陰邪の象徴を戴冠するがよい!

「——こうして二人きりになるのは、いつ以来でしょうか・・・そう、初めてお顔合わせをいただいたあの日以来ですね。」

 ジークが言っているのは、私とジークの初めての顔合わせの日、つまりジークに『魅了』スキルをかけるイベントの時のことだ。確かに、あの時以来、二人きりの状況にはなったことはない。それは当然、私が徹底的にその状況を回避するよう立ち回っていたからなのだが、実はそれだけが理由というわけでもない。そもそも、この世界の貴族の社交界には「未婚の男女が二人きりになるのはよろしくない」という価値観がある。二人きりになりたいからといって簡単にその状況を作れるものでもないし、周囲が二人きりにしたいと思ったところでそうするわけにもいかないのだ。若い男女が二人きりになることがあるとしたら、それは偶然のことであり、偶然ならば仕方がないと皆納得する。裏を返せば、若い男女が二人きりになる状況を皆に納得させるためには、「偶然」を演出する必要がある。実際、婚約話を進めたがっている私の両親(ヴィトン伯爵夫妻)も、機会を見つけては何かと遠回しにけしかけてくるようなことはするが、実力を行使して無理やり私を追い込んだりはしない。「偶然2人きりになる確率が高まる」ような状況に持ち込もうとはするが、2人きりになる場所と時間を具体的にセッティングしてそこにぶち込むようなことはせず、あくまでも外堀を埋めつつ婉曲的に仕向けるといった具合だ。これはつまり、この世界の貴族社会では、若い男女は、出会ってからしかるべき順序を踏み、公認の関係となったところで初めて二人きりになることを許され、さらにその時点で既に婚姻が成立しているか、もしくは婚約により将来の結婚が約束されていることが望ましい、と考えられているということを意味する。だからこそ、男女2人のみならず、周囲の第三者も、それらの手順をこわすような真似はしない。
 なお、この「男女間の関係に順序を要求する」という考え方は、「『魅了』スキルの精神拘束における、固定観念と闇の魔力の拮抗作用」についての推測の根拠の一つとした、「エッチなことしてなければ恋愛もしてないはず」という考え方とも通底している。「エッチなことしてなければ恋愛もしてないはず」という考えは、「エッチなことするのは恋愛してから」という前提に基づいており、その前提は、男女間の関係に順序を要求するからこそ成立する。要するに、いくつも恋して順序も覚えて君も上手くなる必要があるってこと。実況者や配信者のように出会って5秒でおちんぽ挿入とはならない。(←偏見)違うの?まぁどっちでもいいわ。はっきり言ってキョーミ無いし。私、ああいうの見て喜んでる人ってマジで分かんないの。画面の向こう側で、他人がゲームやってたりするの見てて楽しい?あれって結局、テレビで芸能人が内輪ネタで盛り上がってるのを見て喜んでる層と根本的に同じで、そうすることで「仲間に入れてもらってる」と思い込んでヘラヘラ笑ってるだけでしょ。”仲間に入れて下さる方々”が、テレビの向こう側から、スマホやタブレットやPCの向こう側に移動しただけ。親近感商売の金ヅルに過ぎないってところはどっちも同じ。デバイスが変わっても、人間のオツムの程度は大して変わらないってことがよく分かるわ。何はともあれ、この世界においては、男女関係に順序を要求する以上、ただ二人きりになるというだけでもそれなりの手順を踏まなければならず、したがって、その手順をすっとばして男女2人きりになれることは原則として無く、その状況を強制されることもまず無い。2人きりの状況を直接的に強制されることがない以上、要所要所で機先を制して両親の打つ手を潰しておけば、私とジークが2人きりになることはない、ということになる。まぁ実際は割と激しい抵抗もしたんだけどね。とにかく、今このときまでは、ジークと2人きりになる状況は回避できていたのだが、今回はそうもいかなかった。

 さて、前置きが長くなったが、私は今、ジークの執務室にいる。未婚の伯爵令嬢に一人で来いと呼びつける場所をプライベートルームにしなかったあたりは、彼なりに体面を気にしてのことか、それとも他に何かの意図があるのか。
 貴族が執務に用いる大きい机に軽く腰掛けるようにもたれた姿勢で、ジークは続ける。

「あの折は、フランツが大変失礼しました。」

 フランツとは、顔合わせの日にジークと同席する予定だったジークの従弟のことだ。現国王の妹を母親にもち、その母親の嫁ぎ先である隣国の第1王子でもある。王子として外遊中に同盟国であるこの国へと立ち寄り、血縁であるこの国の王族と交流しているのだが、当然それは政治的な目的のもとに行われている外交活動であり、その外交の一環として、私とジークの顔合わせの場に同席する予定だった。そう、あくまで”予定”。実際は直前に、あるトラブルが発生し、フランツは同席できなくなってしまった。その結果私はジークと二人きりになってしまい、私の闇の魔力が発動した、というのがあのイベントの舞台裏である。とは言え、それ自体は原作ゲームの流れに沿っているので想定の範囲内ではあった。ここで重要なのは、フランツの属性である。フランツは現在9歳の美少年。つまりショタ枠だ。(←そこ?)え?あぁ、”属性”って闇属性とか光属性とか火属性とかそっちの属性だと思った?そんなの乙女ゲームやる女子がキョーミあるわけないでしょ。魔法の属性だの相性だので理屈こねくりまわして喜ぶのは、ちょっぴりアタマイイっぽさ醸し出したい系の設定オタクだけよ。あ、だけど”属性”って聞いただけで私と同じ方向の属性だって思っちゃった人も、それはそれで社会生活上問題が無いとは言えないので反省して下さい。とりあえず体育館の隅で3時間正座⭐️そんなことよりフランツ(9歳)である。今これを読んでいるベテラン(←何の?)諸氏はすでにお気づきだろうが、原作ゲームにおけるこのショタ属性キャラは、全年齢版では攻略対象だが、R18版では攻略対象に含まれていない。なぜなら年齢を「9歳」として限定しているから。そう、「登場キャラはすべて18歳以上です」というアレだ。「18歳以上」としておけば制服を着ていようがランドセルを背負っていようがそれは18歳以上のキャラになるから、あんなことをしてもこんなことをしても許される。しかし、「9歳」と明確に設定すると、性的な対象として消費できなくなってしまうのだ……って、それは男性向けゲームの話で、乙女ゲームではそういうあからさまに二枚舌的な言い抜けはあんまりないんだけどね。だいたい、「字面の上だけ18歳としておけば、中身が完全に未成年でもオッケーオッケーwww」っていう考え方は、大人が持つべき社会的責任や倫理規範を完全に逸脱してるわ。私、男オタクのそういうところホントに嫌いだし、それを「みんなでやれば怖くない」的に群れをなしてやっちゃうイカにも日本人的なところ、心底キモチ悪いと思う。それに、男オタクの好むロリと、女オタクの好むショタってちょっと違うのよ。前者は記号的で嗜虐的だけど、後者は詩的で耽美的なの。と言っても最近は、ショタ好きのちょっと特殊な自分アピールとか、ショタという記号で騒ぎたいだけの女オタクも増えてきて、たとえ建前でも昔は明らかにあった「少年の清らかな美を静かに味わい耽溺する」という姿勢がみられなくなってしまったのは多少嘆かわしいところではあるんだけどね。まぁ何にせよ、表現が耽美的であろうがなかろうが、未成年キャラをR18版で攻略対象から外すというのは、法律・倫理・社会的責任の面から考えれば行き過ぎでも無難でもなく全くもって適切な判断だし、作品の物語としての側面から考えても正解だと思うわ。だって未成年キャラに性的シーンを盛り込みたいからってそれを18歳以上に設定しちゃうと、「重ねた齢の少ないことによる精神的未熟さ・無垢さ」という前提がなくなってしまうわけで、それはそのキャラクターの、そこに至るまでの内面的要素がまったくの別物になっちゃうってことだもの。その未成年としての内面をもっていない別物のキャラクターを、さも未成年であるかのような筋書きで構成したドラマに説得力があるのかって話。結局ね、「エロゲーは感動する」とか「ストーリーが練り込まれている」とかいっても、そういうところでわかっちゃうのよ。ストーリーってものに「物語」として真摯に取り組んでるのか、単なる「プロット」としか捉えていないのか、ってことがね。それはさておき、フランツ(9)は原作ゲームが全年齢版かR18かによって攻略対象だったり攻略対象じゃなかったりするんだけど、どちらの場合でもストーリー自体には割と絡んでくるの。「私とジークの顔合わせに同席する」というのもそう。だけど原作では、カトリアーナ(私)が手を回し、直前に一服盛ってフランツを体調不良に追い込み同席できないようにする……カトリアーナちゃんホント極悪よね。子供相手でも容赦ないわ。とにかく原作でのカトリアーナはそういう外道な手段を使って、ジークと二人きりの状況を作り出し、その上で、『魅了』スキルをかける、という展開なわけだけど、これって逆に考えれば、私(カトリアーナ)が何もしなければ、フランツは体調不良にならないし、顔合わせにも同席できることになるわけだから、私とジークが二人きりになることもなく、つまり闇の魔力が発動することもないってことになるはずじゃない?だから私は、フランツに対して何の作為も行わないことにした。大体、私はカトリアーナだけど、原作のカトリアーナみたいに極悪じゃないから、9歳の美少年に一服盛るなんてできない。まぁ、リアルで9歳くらいのガキは割と生意気でムカつくからお仕置きを考えないでもない(←おい)けど、2次元ショタにそんなこと思いもしないわ。ということで、私はフランツ(9)に一切干渉せず、したがって、私とジークが二人きりになることもなく、闇の魔力が発動してジークが『魅了』スキルの餌食になることもなく、結果、私(カトリアーナ)の斬殺エンドは回避される…はずだったんだけど、やっぱりそうは問屋が卸してくれないんだな、コレが。当日、ヴィトン家の屋敷に到着したフランツは、私が干渉しないのをいいことに、乱暴狼藉をはたらきはじめたのね。屋敷の中を走り回る、調度品を壊す、メイドのスカートをめくる……程度ならまだしも、メグの乳を揉みしだくわ、ジョーの尻に顔を埋めるわ、ベスの頭の上にチンコを乗っけて「チョンマゲ」とか、もうやりたい放題なわけ。大体、なんちゃってヨーロッパ風の異世界でチョンマゲってどういうことなの。挙句の果てに、メイド専用の女子トイレに入って、エイミーが用を足した後の温もりの残る便器をペロペロ……って、変態かよ!原作では絶対そんなキャラじゃなかったよね!?そして、その目にあまるご乱行に、ついにセーラがキレて制裁を加え、屋敷から摘み出した、というのがことの顛末。まぁ、それはそれで因果応報ってことで仕方ないんだけど、結局そのせいで私はジークと二人きりになってしまい、闇の魔力が発動しちゃった。ちなみに、さっきも言った通りフランツは隣国の第1王子なので、割と外交問題に発展してパパ上(ヴィトン伯爵)は大変だったらしいわ。ホント、お気の毒(←他人事)。まぁ男性優位社会なんだからそこは男が頑張るところよ。パパ上ふぁいとっ☆

 さて、ジークはフランツのことから話を切り出してきた。こちらの出方を伺っているのかもしれないが、ここから、彼の言うところの「取引」にどう繋げてくるつもりだろうか。なんにせよ、彼のペースに乗せられてはならない。焦りは禁物だ。ここは定石通りに言葉を返しつつ、ジークの手の内を見極めなければ。
 私は、浅いお辞儀をするように少しだけ頭を下げ、彼の言葉に答えた。

「いえ、殿下もあのあとは大変でいらしたでしょう。それに、当家にも不手際がございました。お詫び申し上げます。」

 
 フランツの件についてジークの周辺にどういった問題が生じたのかは私にはわからないが、従弟の引き起こした事件でジークが一切の不問に付されたとも考えにくいので、ここは相手の立場も慮った上で、譲歩して詫びを入れるのが常識的な対応というものだ。それに実際、こちらにも不手際があった。

「フロリアーナ姫のことですか?それは仕方のないことです。」

 ジークは少し肩をすくめるようにして言った。
 フロリアーナは私の歳の離れた妹である。と言っても会ったことはない。本当の名前もフロリアーナではないらしいが、その本当の名前を私は知らない。原作にも出てこないキャラで、隠れキャラでもないし、裏設定にもいなかったと思う。回りくどい説明も面倒なのではっきり言うと、フロリアーナは私の腹違いの妹、つまりヴィトン伯爵が外で作った愛人との間にできた娘だ。……いやもうホントにね。パパ上(ヴィトン伯爵)ってば屋敷では子煩悩の父親みたく振る舞ってたクセに、外ではヤることヤってんのよね。まったく男ってチンコの奴隷だわ。だけど、パパ上の気持ちもまぁ分からなくはない。だってあの母上(ヴィトン伯爵夫人)じゃあね……うん……いや、そのね、エリザベスとオークの件でもそうなんだけど、母上ってなんか嗜好がヘンなのよ。正直、パパ上と母上がどんなプレイをしてるのか、あんまり想像したくない。そのプレイの結果できたのがカストル兄様と私っていうのも割と考えたくない。まぁ性的嗜好は置いといても、なにかにつけて逆上するあの性格では、パパ上も一緒にいて窮屈だろうとは思う。倫理的に許されることではないにせよ、外で息を抜きたかったんでしょうね。息を抜くだけならまだしも一発抜いた上に中で出しちゃったから子供までできてしまったわけだけど。そんな感じでパパ上が外で子供を作ってしまったわけだが、もしこれを母上が知ればどうなるか。まぁ母上じゃなくても普通の女は許さないだろうけど、母上だったらもっと許さないだろう。できた子供をヴィトン家の娘として認めることは絶対にない。それどころか、よりもっと恐ろしいことをやりかねない。母上を知ってる人間なら、誰でもそう予想する。当然、パパ上もそう予想したのだろう。だからずっと愛人とその娘の存在を隠してたの。でね、なんでそのずっと隠してた愛人の娘が、私とジークの顔合わせの場に同席することになったかというとね……うん、これ実は私が悪いのよね。さっきのフランツの話に戻るんだけど、フランツが顔合わせから離脱しなければジークと私の二人きりの状況は発生しないことは、はじめからわかっていた。だからこそ、フランツに不干渉という方針を立てたわけだが、それと同時に、イベント直前では不可抗力で私の望まない方向に話が進むことも想定していたので、原作のストーリー通りフランツが離脱した場合の”保険”として、もう一人、顔合わせの場に誰かを同席させようと思ったの。だけど、それを誰にするかはかなり難しい。フランツだけなら外交活動の一環という理由もあるし、年頃の男女を二人きりにしないという価値観にのっとったものとすることもできる。しかし、ここにもう一人だれかが追加されるとなると、また別の理由が必要になる。さらに、それは顔合わせの場をセッティングした王家またはヴィトン伯爵家から招待可能な人物でなくてはならない。さて、誰がいいだろう?顔合わせは一応、私とジークが二人ひと組でワンセットのペア。まぁ私は望んでないけどね。とにかく私とジークがセットとするなら、フランツとひと組でワンセットになるような人物を同席させるように仕向ければいいのではないか?つまり、フランツと同じ年頃の女の子を、婚約等を前提とした正式な顔合わせではないにせよ、フランツのお友達からはじめるお相手候補として同席させればいいのではないか、と私は考えたの。そこで、フランツと同じくらいの年頃で、ちょうどいい人を探そうとしたんだけど、これがいないのよ。当然、私が実際に歩き回って探すわけにもいかないから、ヴィトン家メイド軍団諜報部……単にメイドの中の耳年増グループをそう呼んでるだけなんだけど、その諜報部を動員して調査(←井戸端会議)を開始した。だけど彼女たちの広範な情報網(←噂話)をもってしても、家格の釣り合う、かつ隣国王家との繋がりを持ちたいと思う貴族の、相応な年齢の御令嬢っていうのがなかなか見当たらなかった。でも、さすがは耳年増よね。正式な貴族の娘ではないとはいえ、条件の近いターゲットの存在をしっかりキャッチしてたの。それがフロリアーナ。つまるところ、屋敷でパパ上(ヴィトン伯爵)の浮気を知らないのは母上だけで、メイドたちにはバレバレだったってことなんだけどね。なんにせよ、そこまで分かれば後はそう難しくない。私はパパ上に直談判した。「妹に会いたい」って。それは、私がジークとの顔合わせでの闇の魔法の発動を回避したいからというのもあったけど、本当に会いたいという気持ちだって勿論あった。腹違いとは言え血を分けた妹だもの。マリーアントワネットだってシモーヌと会いたかったでしょ?それと同じ。パパ上は驚いたわよ。母上にも知らせないようにしていた隠し子の存在を、何故か私が知ってるんだから。だけど、その一方で私の申し出をパパ上はすごく喜んでくれた。その子を正式に家に迎え入れることができず、不遇のまま外に置いておかなきゃならないことをずっと気に病んでたみたい。パパ上は優しい人なの。まぁ、だったらはじめから外で浮気なんてしなけりゃ、そういう不遇の子もできなかったんじゃないの?って気もするけどね。と、あんまりパパ上を責めても、その子の方が気の毒になるだけだからやめときましょうか。浮気の是非はともかく、そこでできた子供に罪はないもの。生まれた子供はだれでもみんな祝福されるべきなのよ。兎にも角にもそういう流れで、フロリアーナを私とジークの顔合わせの場に同席させることになった。流石に「正式に認められていない愛人の娘」という身分のままでは貴族社会的に色々と都合が良くないので、パパ上の知人であるホイ公爵に養女として迎えてもらい、名前も変えて、「ホイ公爵家のフロリアーナ姫」として、顔合わせに招くことになったの。この辺のお膳立てもパパ上は素早かったわ。流石の政治力ね。あとは顔合わせが行われるときを待つだけ。私は闇の魔力の発動イベントを回避できるはずだし、妹とも会える。本当の身分や姉妹の関係にあることは隠したままだけど、妹と会える。どっちかと言えば私は、闇の魔力の発動はもう回避したつもりになってて、妹と会えることが楽しみでそればっかり考えてた気がする。ところがどっこい、これが直前に母上にバレた。その後のことはもう説明しなくていいわよね?私もあんまり思い出したくない。そして当日、フランツも例の件で屋敷から摘み出され、結局、顔合わせで私とジークは二人きりになってしまった。そして闇の魔法が発動。ほんと、踏んだり蹴ったりだったわ。あの時、カストル兄様の介入がなかったら、踏んだり蹴ったりの上に、斬殺エンドのフラグが立ってしまうところだった。
 説明が長くなったが、つまるところあの顔合わせには、王家側からのゲストであるフランツとヴィトン家側からのゲストであるフロリアーナが、どちらもあまりよろしくない理由で、直前に出席キャンセルとなってしまった、という事情がある。フランツはまぁ自業自得だけど、フロリアーナには本当に申し訳ないことをした。私が策を弄して彼女を利用したりしなければ、あんなことにはならなかった。フロリアーナの消息について、私は知らされていない。形の上ではホイ公爵家の養女ということになっているので心配はいらないという父の言葉だけが、ほんの少しの救いだ。
 そのフロリアーナのことを気にかけているかのように、ジークは私に問う。

「その後、姫はどうされましたか?」

正直、私はジークとの駆け引き云々とはまた別に、フロリアーナの件については触れたく無いので、曖昧に言葉を濁した。

「いえ、なにぶん今は公爵殿下お預かりの身となっておりますので……」

私の言葉に、ジークはやや俯きがちに顔を背けながらため息をつくと、一言、

「——そうですか。」

とだけ答えた。
 フロリアーナの件は、伯爵家のスキャンダルであり、噂が伝わるのも早い。当然、ジークの耳にも入っているだろう。ただ、ジークが見せた素振りはそこはかとなく同情的なものを感じさせ、「よくある話」とでも言いたげな倦厭も垣間見える。それは彼自身が、現国王が最初の妻とその次の妻に先立たれ、さらにその次に結婚した3番目の妻との間に生まれた王子であり、王位継承権をめぐる異母兄たちとの確執など複雑な家庭環境の下で育ったという事情も関係しているのかもしれない。
 しかし、これは同情しているふりをして私を油断させようとする”罠”の可能性もある。むしろ、現在の状況を考えればその可能性が高い。彼の同情的な素振りに気を許してはならない。今、私は目の前にいるジークとの駆け引き、それも私自身の運命をかけた駆け引きの真っ最中なのだ。
 とは言え、駆け引きの主導権をこちらがとろうにも、ジークの真意も目的もまったく掴めていない今の状態では、どの方向に話を転がせばいいのかもわからない。私が別方向に話を逸らせたところで、彼がそれを引き戻してしまえば元も子もない。対話の手綱は完全にジークに握られている。こういう場合は逆に、場を繋ぐつもりでむやみに何かを言おうとしないほうがいい。相手の言葉を引き出すために沈黙を利用するのだ。彼の言葉を受けた私は、軽く頷くように目を伏せ、そのまま視線を床に落とした。
 その場にしばらくの沈黙があった。ジークは顎に手を当て、俯き加減で何かを考えるかのようにしていたが、やがて小さく一呼吸して、再び話し始めた。

「……不思議なものです。ヴィトン伯と言えば、宮廷随一の優れた実務能力をもつ辣腕家として名高い。催しなどを手がければ万事に渡り滞りなく進められ、我が父君たる国王殿下からの信頼も厚い。だからこそ、そちらのお屋敷で顔合わせの儀を行うことになったはずなのですが、何故かあの時だけは直前にトラブルが重なった。そして——」

 ジークは勿体つけるように言葉を区切ると、やや声のトーンを落とす。

「——そして、私とあなたが二人きりになった。」

 ジークは本題に入ろうとしない。これも作戦なのだろうか。私が視線を上げてジークを見ると、彼は反応を見るかのように、じっとこちらを凝視している。一方、私は相槌もうたず、口をつぐんだままジークを見つめかえす。焦ってはならない。今はジークのペースに乗らないことが肝心だ。またしても、私たち二人の間にしばらくの沈黙があり……再び、ジークが口を開く。

「なかなか、私たちくらいの年齢の男女が2人きりになることはないものです。」

 ジークが言っているのは、「未婚の男女が二人きりになるのはよろしくない」というこの世界の価値観のことだろう。それはこの異世界の風習でもあり、貴族のしきたりでもある。ジークがそれを認識していること自体はとりたてて不思議なことではない。ただ、その価値観は”不文律”に近いものであり、ジークがそれをわざわざ抽象化された言葉として述べることについてはやや違和感を覚える。なぜなら、私がこの世界の価値観を言葉にできている理由は、私が前世で『没落貴族の令嬢ですが、婚約破棄した第7王子と氷の貴公子と呼ばれる次期公爵がなぜか溺愛してきますっっっTHE GAME』をプレイしており、この世界をメタ的に認知しているから、というところが多分にあり、この世界に現実に生き、この世界を俯瞰する視点を持っていないジークがそれをできるとも、それをする動機があるとも思えないからだ。
 とはいえ、私がジークにそれを指摘したところで、いま私の置かれている現状がどうなるわけでもなかろう。まだジークの話は核心に触れてもいない。核心とはもちろん”取引”。私の持つ闇の魔力について、何らかの取引をすること。そのために私をここに呼びつけたのだから、それが本題のはずなのだが、ジークはその本題とは全く無関係の「年頃の男女が2人きりになることはよろしくない」という価値観について話している。正直、論旨が見えない。一体何が言いたいのだろう?私を煙に巻いて混乱させようとしているのだろうか?脳裏に疑問の渦巻いている私をよそに、ジークはさらに続ける。

「しかし、あの時は不測の事態が重なり、結果的に2人きりになってしまいました。逆の言い方をすれば、よほど想定外の事態でもない限りは、二人きりになることはまずない、ということでもある。」

 ジークは相変わらず、少し話すたびに少し間隔をあける、という緩慢なテンポを維持している。私がわざと沈黙しているのと同様、ジークも故意に沈黙を作り出しているのだろう。ジークのそれは、断片的にヒントを示すことで私に考える時間を与えているのか、それとも彼自身まだ考えがまとまっておらず、考えながら話しているのか、あるいは、その両方なのか——互いの出方を伺う我慢比べの様相を呈してきた対話がこのまま続くか、とも思われたが、次の言葉でジークはやっと話を動かしてきた。

「なんとかして2人きりになろうとしても、どれだけ手を尽くし策を弄しても、二人になれない時は絶対になれない。はじめのうちは、私もそういうものだろうと思っていた。しかしどういうわけか、何かの拍子に2人きりになってしまうときは、自分では意図していないのに、二人になろうなどと露ほども考えていないのにそうなってしまう。まるで私の意図に反した何か別の意思が、私をその状況に追い込むべく干渉しているかのように。」

(——そう来るのか。)

 私はジークの言葉に対して無表情を貫いているが、内心ではかなり驚いている。ジークはどうやら、私と同じように「自身の意思に反して状況が一方向に進んでいく」という現象を事実として認識しているらしい。私の場合は、重要イベントの前で必ず起こるあの現象だ。私が原作で予定されたルートを回避するためにどれだけ手を尽くしても、不可抗力によって事態は私自身の望まない方向へと、つまり原作のとおりに進む。私は「悪役令嬢」として転生した者であるということを自覚してからずっと、自身の意思に反してストーリーを一方向へと進める、何か別の大きな力の存在を感じてきた。そして今私の目の前にいるジークも、私と同じように「状況を強制的に一方向へと動かす力」の存在を感じているという。
 ただ、私はその「状況を強制的に一方向へと動かす力」とは、この世界を覆う何らかの因果律のようなものではないかと考えていた。しかしジークは、ここまでの経緯から察するに、恐らく私とは異なる見方をしている。ジークが私をここへ呼び出した理由は、私の闇の魔力に関わる何らかの取引のためだ。ならば、ジークがこの場で話題の対象とする事柄は、闇の魔法に関わるものであるはずだ。ということは、ジークは、「状況を強制的に一方向へと動かす力」というものを闇の魔法と結びつけて考えている、とするのが妥当だろう。つまり彼は、「状況を強制的に一方向へと動かす力」を「闇の魔法の効果」として捉えているということだ。
 その視点は私にはなかった。私は、私の中にある闇の魔力と、ストーリーを一方向へと進める何らかの力は、それぞれが別個の異なるものだと思っていた。しかし、仮にジークの考えが正しいとすると——すなわち、私のもつ『魅了』スキルと、私の運命を一方向へと進める力が、ともに同じく、闇の魔法の効果の一端であるとすると——私は『魅了』スキルが発動するかしないかに関わらず、常に闇の魔力の支配下に置かれているということになる。
 私の心に、これまで感じたことのなかった戦慄が走る。もしかすると、私は今、恐ろしい事実に気付いてしまったのかもしれない。
 
 そんな私の内心の動揺をよそに、ジークがいきなり話題を変えた。

「カストルとはよく二人きりに?」

 突然の方向転換に虚をつかれた私は、考えを整理する暇もなく、ついありのままの事実を述べてしまう。

「いえ、兄はヴィトン家の次期当主でもありますので、何かと多忙で。」

 ところが、それを聞いたジークは失笑まじりに私の言葉を否定する。

「フッ、そんなことはないでしょう。」

 否定される理由がわからない。私は反射的にジークに聞き返す。

「と、仰いますと?」

 私の問いに、ジークは何故か得意げな顔で答える。

「あなた方二人の仲睦まじさを見ていれば、普段から付かず離れずで寄り添っていることはよく分かります。」

 私の方はよく分からない。しかしジークの態度はどういうわけか自信満々で「全てお見通し」といった風情だ。
 ジークにどのように思われようが一向に構わないのだが、私も根が正直者なので、事実と異なることは打ち消しておかねばという衝動がつい首をもたげる。

「家族ですので、食事やティータイムは一緒に過ごしますし、それ以外についても、兄の休暇中などはなるべく家族の時間として大事にするようにはしております。ただ、先ほど申し上げましたとおり、なにぶん兄は多忙で……」

 そんな私の説明も、ジークは軽く手を上げ途中で遮る。

「いやいや、そんなにムキになって否定することはありません。」

「いえ、別にムキにはなっておりませんが……。」

 はぁ?なんなのコイツ……少しイラっときてしまった私ではあるが、ここはグッと堪える。これは恐らく私を怒らせて何かを聞き出そうとする魂胆に違いない。前世で見ていた新聞やテレビの記者とかがよく使っていた手口だ。その手段の是非はともかく、それを用いることについて「本当のことを言わせる」という尤もらしい正義を振り翳す連中を私は信用しない。「怒りにまかせて言ったこと」が「本当のこと」とは必ずしも言えないからだ。そんなものは自己の手口を正当化する欺瞞に過ぎない。久米宏がそういう手をよく使うので好きじゃなかったんだけど、今になってよくよく考えてみると、彼はその手段を正当化するようなエクスキューズをしなかったような覚えがある。説明責任として、なぜその手段を使うかということについての理由付けはしていたけど、「怒りにまかせて言った内容こそが真実」とは言っていなかった(←多分)し、少なくともその手段自体を「正義」と置き換えたりはしなかった。むしろ、そういった手法を用いる彼に対して怒りながらも真摯に向き合った相手への感謝の言葉すら口にしていた。表面的なものだけを見て判断していた私は浅薄だったな、と今更ながら思う。かと言って久米宏を好きになったわけではないが。あ、話は少し変わるけど、久米宏に限らず、「がん治療中の患者の容態が急変して死亡する」っていうケース、最近すごく多いと思わない?昔から一定数存在したのは確かだけど、近頃の例はほとんど急変からの死亡。近いところだと水木一郎もそうだし、上岡龍太郎もそうよね。なんで多くなったか知ってる?そして明らかにそれが多くなっていることが、一般市民に勘付かれないように巧妙に隠されてる理由わかる?まぁ医者という特権階級が独占するパンドラの箱の中身を開けて見ようと思う人はいないし、開けたところで中に希望なんて残ってないけどね。何にせよ、「がん治療中の患者の容態が急変して死亡する」っていうケースが最近非常に多くて、それについて誰も責任をとっていないし、そこには「誰の責任も存在しない」という暗黙の了解が前提として存在し、その前提は、保身と自己愛と権力欲のために責任から逃れようとしてる連中が、「生命」を人質にしたうえで、盲信と服従を人々に強制していることによるものである、ということは覚えといてください。覚えとくだけでいいのよ。騒いじゃダメ。騒ぐとやつらは、それをさらに暗闇の奥深くに隠そうとするし、隠せないと思ったら正当化するためにあの手この手を弄するから。まぁ、それはそれで面白いからやってみろよヘンサチエリートども、って思うところもあるけどね。パッと思いつく、一番わかりやすいやり方は、私のとっている立場を、陰謀論としてレッテル貼ったりとか、反ワクチン界隈と結びつけるとかかしら?だけど私、陰謀の主体となる影の黒幕みたいな個人・組織が存在するなんて一言も言ってないし、思ってもないもんね。それに、反ワクチンの人たちについては、医療によって不幸な結果に至ってしまったことについては心から同情するし、悲しみと怒りをどこに向けていいのかわからないって言う気持ちも理解はするけど、やっぱり批判を構成する論理がなってないと思うわ。医者が採用していない考えを、帰結が異なる可能性だけを理由に、論拠として主張しても「その批判は一般的コンセンサスを得られていない考えに基づいている」または「医師の裁量によってその考えは採用しなかった」で終了なのね。医者どもの欺瞞を突くべきは、そこじゃないのよ。むしろ、そういう筋違いの論理構成で批判すると、逆に医者どもの方が正当であるように印象付けてしまうし、それによって、医者に対する正当な批判までもが十把一絡げに棄却されることになる。つまり、医者の思うツボ。はっきり言って、あの界隈は筋違いであるだけでなく、正当な批判者の足を引っ張ってる。医者からカネ貰ってやってる医者の別動隊なんじゃね?くらいのことは思っちゃうわ。医者を批判してるつもりかもしれないけど、治外法権の特権階級にして日本最大の権力者である医者の権威を、より強化する結果になってるって気付かないのかしら?てか、日本社会そんなの多すぎよ。家父長制vsフェミニズムとかNHKvs迷惑政党とか安倍vs反安倍とか、大体似たような感じよね。まぁなんにしても、もうすでに一方向に動き始めてるから何をやっても、何を言っても無駄。私は異世界に転生しちゃったし、今の私の運命を変えることに精一杯だから、令和の日本社会がどっちの方向に流れていっても、流されるべくして流されてるんだな、それでいいし、それこそが日本らしい在り方ね、としか思いません。ただ私は、その日本の医者どもの有り様を忘れずにずっと覚えてます。公然と権力者として振る舞っている医者も、表向きは善良な振りをしている医者も、全ての医者連中が、聞かれないことは教えない、知られていないことは存在しない、とでも言うように、シレっとした面をして、それが故意によるものとは誰も考えはしないと狡猾に計算した上で、誰かが誰かを死へと追い込んだ事実など無かったかのような態度をとっていた、ということをただずっと覚えている。日本人の多くがそいつらを、絶対権力を持つ治外法権の神様として崇拝し、隷従していたという事実も含めてね。覚えとくくらいイイでしょ?私はどうせもう異世界の人なんだから。それに私は、日本を良くしようとも、社会を変えようとも思ってません。
 さ、それはさておき、ここで私が怒ればジークのペースに乗せられることになる。こういう相手と遭遇した場合は

① 席を蹴って対話を打ち切る
② 努めて冷静に対応する

の二通りの選択肢があるが、私の置かれている現状では、①を採用することは残念ながらできない。ジークは、私がこの対話を打ち切ることができないことまで見越して、冷静な対応のできない心理状態へと追い込もうとしている。しかし、それは逆の言い方をすれば、②を徹底すれば、少なくともジークの思惑に乗ることはない、ということだ。
 相手の魂胆が分かってしまえば腹も立たない。私は、カストル兄様が次期ヴィトン家当主としての務め、学業等々で日々忙しいこと、私自身も貴族の子女としてさまざまな教育を受けており必ずしも時間にゆとりがあるとは言えないこと、さらに、兄様と私のどちらにも従者やメイドが常に付き従っていること、そうでなければ、親子全員の家族でいることが多く、カストル兄様と私が二人きりになることは屋敷にいても極々稀であり、むしろ殆ど無いことを、極めて冷静な態度を保ちつつ説明した。 
 ——ジークは疑り深い顔つきをしていたものの、私の説明を一通り聞き終えると、一応は納得した……ようではあったが、その割に少し不満げな素振りで口を尖らせながら

「ふむ、そうですか。」

とだけ言い、プイっと明後日の方を向いた。
 人が親切丁寧に説明してあげたのに、なんなのその態度……。
 なかなか本題に入らない苛立ちに加え、神経を逆撫でするジークの態度に業を煮やした私は、やや挑発的な問いかけを彼へと向ける。

「……そのようなことで、私をお呼びになったのでしょうか?」

 だが、ジークは私の苛立ちなどどこ吹く風である。またしても態度を変え、睥睨するような視線を私へと送りつつ振り向くと、自身の圧倒的優位に立っていることを強調するような口ぶりで言う。

「これは失礼。しかし、慌てないでください。」

 いや、慌ててないんだけど……コイツほんとに人をイラつかせるプロね。こんなキャラだって分かってたら徹夜で何周も攻略するんじゃなかった。オカズにもしたのになんか悔しい。

「——では本題に戻りましょう。」

 ジークが再び話題を変えた。
 かなり迂遠な回り道をしたが、ついに”本題”のようだ。私は心の中で身構える。
 話すべき内容を頭の中で整理しているのか、ほんのしばらくの間、ジークは目を伏せて考えていたが、やがて顔を上げて私の方を見ると、先ほどよりも、さらにゆっくりとしたテンポで話し始めた。

「先日の顔合わせの儀の前に起きたことについては、先ほどもお話ししました。あなたもよく覚えておいでのようです。あの日は本来、私とあなたは”二人きりになるはずではなかった”。しかし、不測の事態が重なり、結果的に私とあなたは二人になった。しかし、それらは本当に”不測の事態”だったのか?」

 ジークは回答を要求するかのように、私をじっと見つめているが、私は何と答えていいか分からない。「状況を強制的に一方向へと動かす力」が働いている、そして私とジークのどちらもがそれを認識している。そこまではいい。しかし、それによって引き起こされた事態が、「不測の事態であったかどうか」を問うということは、つまるところそれを「誰かが予測していたのではないか」ということであり、さらに「それを仕組んでいたのは誰か」という意味合いをも含んでいる。「状況を一方向へと動かす力」を行使する意思の主体、そんなものの正体が、私に分かるはずがない。分からないからこういう羽目になっているのだ。しかし、私に分かるはずのないそれを、敢えて私に問うということは、もしや、ジークはすでにそれらの正体を掴んでいるということなのだろうか?

 ジークはしばらくの間、私の反応を探るようにしていたが、私が何も言えないことを確認すると、またしても私を翻弄するかのように話題を変えてきた。

「カトリアーナ嬢、あなたは、私と婚約する意思はありませんね?」

 「はい」と言いたいところだが、それは流石に言えない。返答に窮し、私はジークから目を逸らした。そんな私を見て、ジークは口元に余裕の笑みを浮かべながら言う。

「無理に答える必要はありません。その”理由”もすでに私には分かっています。」

 私がジークとの婚約を回避したい”理由”。私が元々この婚約話に乗り気でなかったのは確かだが、今の私は、是が非でもジークとの婚約を回避したいと、心の底から強く願っている。いや、正確には婚約どころではない。ジークの近くにいること自体を避けねばならないと思っている。そしてその”理由”は、ジークのそばにいることによって、私のもつ闇の魔力が発動してしまうことを防ぐため。私が闇の魔力をもつ以上、その発動を防ぐためには、ジークの近くにいるわけにはいかない。それが”理由”——

 ……繋がった。心臓を掴まれたような衝撃が走る。ジークは、私の瞳に秘められた、闇の魔力のことを言っている。あれこれと話題を変えて私を振り回しているように見えるが、彼は着実に私を追い詰めている。

 ジークは少し勿体ぶるように姿勢を変え、私の顔を覗き込むように見た。その視線に射抜かれたように、私は身を硬くする。明らかに彼は、私の中の闇の魔力の存在に勘付いている。誰にも知られてはならない、私の”秘密”——それが今、目の前にいるジークの掌中に握られている。
 ジークはその口元に勝利を確信した微笑を湛えている。沈黙によって生じる緊迫した静寂を敢えて引き延ばそうとしているのか、不自然なまでに何も言わない。それは、絶望感に息をすることすら忘れている私を、嗜虐的にいたぶり、愉しんでいるようにも見える。

 ——そして、その張り詰めた静寂の破られる時がきた。
 ジークが顔つきから笑いが消え、正面から私を見るような姿勢をとる。

「そこで取引です。」

 追い詰められていることを明確に感じる。私には最早、弁解も反駁も許されていない。たとえ許されたとして、私はなんら一言も、それらを述べることはできないだろう。
ジークの狙いがついに明らかにされる時が来た。
私の秘めている闇の魔力。
そして、その秘密を握っているジーク。
ジークは一体私に何を要求するというのか。



「カストルから手を引いてほしい」





 ……。


 ……はい?



「私が気付かないとでも思ったのですか?あなたは、カストルとただならぬ関係にありますね?」

 タダなら……え?

「単刀直入にいましょう。あなたとカストルは恋愛関係にある」

 は?

「何故バレたのか不思議で仕方がない、そんな顔をしておいでですね。」

 私そんな顔してる?ってか、一体何がどうバレてるの?

「よろしい、説明して差し上げましょう。」

 んんん??????
 急転直下の展開に、思考が追いつかない。
 そんな私の様子などまるで意に介さず、ジークは滔々と自説を論じ始めた。

「あなたは私との婚約を避けようとしている。それはあなたに、他の誰かが恋愛対象として存在するからです。違いますか?」

 違いますよ?と私は思っているが、呆気に取られて言葉が出ない。そんな私の様子見たジークが言う。

「図星といったところでしょうか?正直な方ですね。」

 なんでそういう理解になるの???正直者なのは認めるけど。

「では、私がそれに気づいたきっかけをお教えしましょう。私はカストルと二人になろうと……いや、それはまぁ男同士の友情を育みたいたいと思ったからであって、それ以外に理由はない、断じて無いのですが、それはともかく、私がそう思ってもなかなかその機会をつくることができない。それはなぜか?それは私とカストルが二人きりになることを邪魔してくる者がいるからです。では、それは誰か?」

 誰なんですかね?

「私がカストルに会いに行っても、必ずカストルとセットで現れ、私とカストルが二人になることを阻む。逆に、私がカストルと一緒に別荘へきても構わないからと言って誘えば、今度は頑なにそれを拒絶し、カストルを私に近づけないようにする。そうやって、私とカストルの接触を阻止すべく積極的に介入してくる者、それは——。」

 引っ張るなぁ

「——カトリアーナ嬢、あなたです。」

 ……う~ん、いや、あの、それはね、私が屋敷に来たジークの相手をするのは、表向きは婚約者候補ってことになってるし、そもそもそういう名目で来てたんじゃないの?だから、単純に来客への礼儀というか作法というか、両親の意向もあるからそうしてただけで、それにココ(別荘)に来るのを断り続けたのは、私がイヤだったからってことでしかなくて、別にジークとカストル兄様を近づけないようにとかじゃないのよ?何言ってんの、この人???

「あなたは私との婚約を何とかして避けようとしている。それと同時に、私をカストルから遠ざけようとしている。それは、あなたが、あなた自身とカストルとの関係を邪魔されたくないからです。……つまり、あなたとカストルは恋愛関係にある、ということ。」

 だからなんでそうなっちゃうわけ???ちょっと理解に苦しむわ。それにそもそも、この世界には兄妹の恋愛という概念はないはず。
 困惑する私をよそに、ジークは相変わらず得意げに自説の開陳を続ける。

「しかし、それを快く思わない人もいる。それはあなた方のお父上、ヴィトン伯爵です。それはそうでしょう。兄と妹の恋愛などという人の道に沿わない非常識なことは誰も想像しない。そしてそれは、許されるものであるはずがないのですから。彼はあなた方二人を引き離すために一計を案じた。政略として私との婚約を進めるよう仕向けつつ、その過程で行われる顔合わせの儀を利用し、私とあなたを二人きりにしようとしたのです。若い男女を二人きりにすれば既成事実ができるとでも思われたのでしょう。あの顔合わせの儀の折に起きた幾つかの不測の事態、あれはヴィトン伯にすれば全て織り込み済み。敏腕政治家として知られるヴィトン伯が自らの主導する催しで不手際を、それも立て続けに引き起こすはずはない。あれは寧ろ、私とあなたを二人きりにするために、最初からああなるようにヴィトン伯爵が仕組んだものと考えるのが妥当でしょう。」

 妥当じゃないと思うよ?ちょっと穿ちすぎでは???パパ上(ヴィトン伯爵)は、私とカストル兄様が恋愛関係にあるなんて思ってないし、実際、私とカストル兄様の恋愛関係なんて絶対ありえないし、そもそも仕事に真面目なパパ上(ヴィトン伯爵)がわざと不手際をやらかすなんて考えられない。まぁ、「二人きりにすればキセージジツができる」みたいなのは、自分の実例(←浮気)もあるから考えそうな気もするけど。

「そこで、この取引です。」

 正直、何がなんだかさっぱりワケがわからないんですけど……まぁとりあえず聞いときましょうか。

「私はあなたとカストルの関係について、一切口外することはしません。また、私があなたに指一本触れることもありません。そのかわり、あなたはカストルから手を引いて欲しい。」

 ……それなんか、私にメリットある?そもそも私とカストル兄様の間には何もないのに、それが取引になるの?
取引って闇の魔力に絡んだ企みとか、そんなんじゃないってコト?じゃあ何の目的で私とカストル兄様を引き離そうとしてたわけ?????
 謎が謎を呼ぶ。そこで私は、ここまでの経緯とジークの展開した主張を踏まえ、彼が何をどう捉えているかについて、改めて検討を開始した。脳みそフル回転。



カチカチカチカチ…………


チーン♪


 一つの推論に辿り着いた私は、ジークへある問いを投げかけた。


「……もしかして、ヤキモチ焼いていらっしゃる?」





 悠久なる時の彼方へと広がる無限の大宇宙——今この空間は、まるでその宇宙の底知れぬばかりの深淵に落ちたかとでも思われるような、永遠の虚空ともいうべき静謐に包まれている。
 ところで”温度計”をご存知だろうか?小中学校の理科の授業で使ったアレだ。温度が上昇すると、球状の基部の赤い液体が膨張し、それが出口を探すように温度計のガラスの管の内部を伝い、液面が上へ上へと登ってくる。その温度計のように、人間の顔が下から上に向かって赤くなっていくという表現は、怒りや羞恥をディフォルメした描写として昔のアニメでも時折見受けられる。

 今、私の目の前でそれが起きた。

 果て無く続くかのごとき深遠なる静謐は突如として破られ、温度計よろしく顔を真っ赤にしたジークが、私に対して憤然と反論を始める。


「ばっババババッ、バカな!そんなわけはない!!!」


 ……。

 ……ビンゴ。ムキになって反論するのは白状してるのと同じ——ってか、そっち?そっちかよ!何かしら闇の魔力に関わる企みがあるのかと思ったら、そっち!?この世界に餅があるのかという疑問はさておき、つまりジークは、カストル兄様が私と恋愛関係にあると誤解して、嫉妬していたということらしい。なるほど、それで全て腑に落ちた。私に対する敵意に満ちた視線、何かにつけて私とカストル兄様を引き離そうとする作為、ジークの様々な振る舞いが、私への「嫉妬」によるものだと考えれば、大方の辻褄は合う。その可能性は考えていなかった。いや、もしや、と思わないところも無いではなかったが、むしろ最初から積極的にルールアウトしていた。なぜなら、ジークが私に対して嫉妬の感情を抱く場合、その前提として、私とカストル兄様の間に恋愛関係があるものと認識する必要があるからだ。しかし、この世界には「兄妹の恋愛」という概念は無い。だから、当然ジークもその概念を持たないはずで、ならばジークは私とカストル兄様が恋愛関係にあるなどと考えるはずもなく、したがってジークが私に嫉妬することなどない、そう思っていた。好きな異性が犬と戯れていたとして、その犬に嫉妬する人間などいない。ヒトと犬の間の恋愛は、そっち系のマニアでも無い限りはあり得ない。それと同じで「兄と妹の恋愛」という概念がない以上、カストル兄様と私がイチャついていても、ジークが私に対して嫉妬することなど無いと思っていた。
 ところが、ジークは私に嫉妬している。それはつまり、ジークは「兄妹の恋愛」という概念を持っていたということだ。これは完全に私の目算が外れていた。いや、その可能性を最初から排除すること自体が間違っていたのかもしれない。ジークは既に、この世界にない「男同士の恋愛」という新概念に目覚めているのだ。ならば、既存の組み合わせではない恋愛の類型もしくは派生として、「兄妹の恋愛」という新概念が彼の中に発生しないとも言い切れなかったはず。頭から無いと決めつけるのではなく、可能性の一つとして残しておくべきだった。私の中にも「兄妹の恋愛はあり得ない」という思い込みがあり、それに縛られた面があることも否定できないが、真実は私の想定していたところを遥か斜め上の方向へと超えていた。
 自分の考え違い(←的外れっつんだよ)うるさいっ!……とにかく取り越し苦労を痛感し、眉間に皺がよる。不安と焦燥に駆られながら散々思案し考え抜いて推理を重ねた結果、たどり着いた真実はコレである。なるべく自身の内心を表情に出さないように心がけている私ではあるが、懊悩から解放された安堵感と無駄な苦悩に時間をを費やした徒労感の入り混じった感情のうねりからなる濁流が、私の心の中を支える黒部第四ダムを踏み越えんとばかりに荒波の如く押し寄せてくる。(←何故に黒四ダム?)別になんでもいいの!滝畑ダムでもアスワンハイダムでもゴーダムでもチャールズブロンソンでも!とにかく、私は今おそらく、なんとも言えない苦虫を噛み潰したような、渋い表情になっているはずだ。そして私は思わず、その渋い面付きでジークを睨みつけてしまった。私に睨みつけられたジークは、一瞬目を剥いて怖気付いたような表情になると、慌てて私から目を逸らし、ブツブツと呟くような言い訳をはじめた。

「ボ……ボクが、なぜ君に嫉妬しなきゃいけないんですか。その理由がわからない……」

 一人称が「ボク」になってるし。ジークが、私に対して「嫉妬」の感情があることを、言葉の上で否定するのは当然だ。私に対している嫉妬しているということは、カストル兄様に対する恋愛感情があると自白しているのと同じだもの。カストル兄様への思慕を隠すためには、そりゃ私に嫉妬していることを認めるわけにはいかないだろう。
 そして彼は、是が非でも認めないとでも言わんばかりに、私に論難を浴びせる。

「と、とにかくだ。君たちはちょっととってもくっつきすぎなんですよ!付き合ってるからってそんな見せびらかすみたいにベタベタすることないじゃないですか!大体、兄妹で恋愛なんかしちゃいけない!そんなこと許されない!絶対にダメなんですっ!!!」

 いや、あんたアホでしょ。大体「ちょっととっても」って、ちょっとなのかとってもなのかどっちよ?恋って男をここまで愚かにするのね。可哀想に……あのね、私とカストル兄様が恋愛関係になるわけないでしょう?まぁ、なりたいっていう気持ち、無くは無いけど、私とカストル兄様は兄妹なの!
 憐憫にも似た感情が、私の中に湧き起こる。正直なところを言えば、ジークが彼自身の主張の中で「兄妹間の恋愛」を頭ごなしに否定したことについて、私が多少の不快感を抱いたことは否めないが、それよりも、この状況にさっさとケリをつけたいという思いが私を突き動かした。
 私は、ジークの誤解を解くため、ヴィトン家の屋敷で私とカストル兄様が置かれている状況、環境から、何度も繰り返し、口説いくらいにしつこく、「私とカストル兄様が恋愛関係になることは絶対にない」ということを説明する。
 ジークは少し半べそをかきながら私の話を聞いていたが、やがて涙目のまま私に尋ねた。

「……ホントに?」

「本当です。」

「……ホントにホント?」

 しつこいわね。

「本当に本当です。」

「ふぅん。」

 ジークは不貞腐れたように口をとんがらかしたまま、横を向いてしばらく考えていたが、私の理路整然かつ論理明快にして粘着執拗な説明に、完全に疑問が払拭され納得がいったようだ。徐々にその表情を緩めていき、やがて私の方へ振り返ると、心の霧が晴れたとでも言うようなにこやかな笑顔、そして無駄に爽やかな口調で、一言こう言った。

「じゃ、いいです。」





 カチン


それが、私の中の何かに触った。

「……何がよろしいのでしょうか。」

「え?」

ジークは驚いた顔つきで私を見ている。
 私は今どんな表情をしているのだろうか。少なくとも、私が普段から心がけている「感情の動きを出さない」というようなものではないはずだ。ジークの様子を見ればわかる。今、私は明らかに、感情が顔に出ている。
 「じゃ、いいです」……ジークはそれでいいのかもしれないが、収まりががつかないのはこちらである。この城に来ることになって、かなり悩んだ。何せ惨殺エンドか、追放エンドか、私の運命がかかっているのだ。はっきりいって夜も眠れなかった。不安は募り、精神は疲弊した。その上、城に来るまで食事をとることすらままならず、肉体的苦痛(←空腹)までもが限界に達していた。その私の苦しみを、「じゃ、いいです」の一言で済ませるの?アンタの勝手な思いこみのせいで、私がどんだけ……

 ———マジ、アッタマ来た!!!

 私は怒りにまかせ、この一連の出来事に対する憤懣を、ジークに向けて叩きつけた!

「失礼ながら申し上げますが、そもそも、兄妹の恋愛などを想像すること自体が、どうかしておいでなのでは?そういった尋常ではない恋愛の形など、誰ひとりとして思いつくことも致しません!そのような恋愛など、普通の一般的感覚を持つ人間であれば、誰も認めることなどない!断じて、一切ない!!あるわけがないのです!!!!その程度のことが、何故お分かりにならないのですか!?」

「え?いや、その……」
 
 激情に駆られ苛烈な主張をもって糾弾する私の勢いに呑まれ、ジークは顔面を蒼白にし、たじろいでいる。
 私は構わず畳み掛ける。


「恋愛とは、血のつながらない男女のするものです!それに反する行いは、絶対に許されることなどない!!そのような、良識に反し、道徳に背き、倫理に悖る恋など、人として許されるわけがないということは、人として当然の道!人として生きるからには、人の道を踏み外して良いはずがありません!そのような、人の道に外れた恋愛に溺れるなど品性下劣!獣畜未満!まったくもって言語道断としかいいようがありませんわ!!!」



<ガーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン>



 なんか効果音聞こえた!?

 八つ当たり混じりの私の主張を聞いて、ジークの顔つきがかわった。
 私は「しまった」と思った。恋愛は、血のつがならない”男女”のするもの、とつい言ってしまった。言葉のアヤだ。私の中に、恋愛は男女間のものだという固定観念が全く無いと言えば嘘になる。しかし、私の真意としては、恋愛というものを特に”男と女”のみに限定する気はなかった。

「恋愛は、血のつながらない”人間”同士でするものです!!」

でもよかったのだが、なんとなくセリフの語呂というかリズム感が良く無いと、私の中のDJカトリアーナが瞬間的に判断してしまい、”人間”ではなく”男女”という言葉を使ってしまったのだ。
 ここで、

「いや、男同士の恋愛がダメって言ってるわけじゃないのよ?」

などとフォローを入れるのも却って不自然。どうしよう……。
 ジークはかなりショックを受けている。まずい。良識に反する、道徳に背く、倫理に悖る、品性下劣、獣畜未満、言語道断、どの言葉がダメ押しになったのかはわからないが、とにかく精神的ダメージが大きそうだ。

 そして、しばらく放心状態だったジークが、不意にポツリと呟やくように言った。

「——出て行け」

「え?」

彼のか細い声をよく聞き取れなかった私は、思わず聞き返す。
 すると、ジークは手元にある机を強く叩き、声を荒げて叫んだ。

「出ていってくれ!!!」

 それは今までに見たことのない、原作でも公式ファンブックでもスピンオフのノベライズでもコミカライズでも、どの媒体でも見ることのなかった、誰にも見せることのなかった、ジークの激しい、そして剥き出しの感情だった。それまで、彼の心の奥底に押し込められていた鬱屈した何かが、私からの罵倒を引き金に爆発したのだ。
 しかし、それは激しい昂りと怒りを孕んではいたものの、決してそのような激しい感情だけに塗りつぶされたものではなかった。そこに垣間見られたものは、怒りなどではなくむしろ悲しみ……放たれた言葉だけではない、微かに震える唇、わずかに濡れた紺碧の瞳までもが、決して癒されることのない深い悲しみの色を湛えていた。
 孤独な彼が誰に伝えることもできず心の奥底に隠し続けていた悲しみ——激しい言葉の裏側に隠された、ジークの抑えきれない”悲しみ”を感じとった私は、言葉に詰まったまま、ただ立ち尽くすことしかできない。
 声にならない叫びが、私とジークだけの空間に木霊する。
 ——そして、それらがやがて退いていき、二人きりの部屋が元の静けさに満たされていくと、ジークはふと我に帰ったかのように落ち着きを取り戻し——いや、落ち着きを取り戻したと見せるように、極めて平静を装いつつ、努めて冷静に、そしてどこか言い訳するように、私に言った。

「——いや、すまない。その……ひとりにして欲しい。」

 ズキリ、と私の胸に鈍い痛みが走る。

「承知いたしました。」

私は目を伏せ、静かにジークの前を通り過ぎる。そして扉の前で深く一礼すると、逃げるようにジークの執務室を出た。
 彼と目を合わせることも、彼の表情を伺うことも憚られた。彼の叫びはあまりにも悲痛な響きを帯びていたから。そんな彼の顔を興味本位で覗き見ることなどできない。





 ジークの執務室から出た私は、どこへ向かうともなく歩く。おそらく無意識に、元いた来賓用の控え室へと向かっているのだろうが、今の私にはその自身の行き先すら判然としてはいない。
 私は一人歩きながら考える。

 ジークを傷つけてしまった。

 その程度で傷つくはずはない?そうだろうか。それは、一般的に認められているかどうかは別にして、「同性間の恋愛感情」というものが一応存在するものと認識されている世界で、その「同性間の恋愛感情」の当事者になりえない者が、当事者になり得ないが故にもつ、お気楽な感想だ。
 この世界には「男同士の恋愛」という概念が存在しない。私は、一応前世の記憶として、BLやホモセクシャルについて、詳しくは無いものの多少の知識はある。とは言え、それらはジャンルとして消費されるレベルの知識であり、現実にあるものからは程遠い。何より私は女である。したがって「男同士の恋愛」の主体にはなり得ない。主体になりえない以上、「男同士の恋愛」は所詮「他人事」である。仮にそこに「共感」が生じたとしても、それはあくまでも「第三者としての共感」であり、「当事者としての共感」と等価のものとは言い難い。女である私は、どれだけ理解しようと努め、そしてどれだけ分かったような振りをしようとも、「男同士の恋愛」については第三者の視点から逃れられないし、それと同時に、「男同士の恋愛」の現実や核心部分を理解できていないことについて、所詮は第三者であるという言い訳に逃げ込むこともまた容易い。
 それに対して、ジークはどうだろう。ジークは恐らく、この世界で主体としての「男同士の恋愛」に目覚めた初めての人間だ。それだけではない。私のように第三者として「男同士の恋愛」を見るのではなく、主体すなわち当事者として「男同士の恋愛」に目覚めてしまったジークにとって、その新概念への覚醒は福音となっただろうか?いや、それはきっと、彼に新たな苦悩を与えるものだったに違いない。それは単に新しいだけではない。「恋愛は男女のもの」とされるこの世界において、「望ましい」とされる価値観、倫理、道徳、常識、良識、規範といったものの多くに違背するであろうことが明らかなものなのだから。
 ジークの中にはさまざまな葛藤があったはずだ。そして今もなおその葛藤の中にいる。だからこそ彼は、設定から逸脱してキャラ崩壊するような仕草や振る舞いを見せているのだ。そして彼は、自身のその本当の気持ちを、誰に知らせることもできず、伝えることも叶わず、誰かに理解してもらえることもない。
 私は一時的な憤懣をぶつけて溜飲を下げるために、煩悶にもがき苦しむ彼の心を踏み躙るようなことを言い放ってしまった。
 
 恋愛とは、血のつながらない男女のするもの

 私はジークにそう言った。私が強調したかったのは、”血のつながらない”というところだ。今になって思えば、それは、私の中にあるカストル兄様への仄かな想いが許されないものであるという、そこはかとない苦しみや悲しみや諦めに似た感情が、形を変えて言葉に出たものであったのかもしれない。しかし、ジークは”男女の”を中心において解釈した。それ自体は誤解によるものだ。しかし結果的にそれは、彼の中にあった「カストル兄様への思い」を「許されないもの」として断じ、そして彼は、私と同じように「苦しみや悲しみや諦めに似た感情」を心に深く焼き付けられた。
 私は、自分自身の心を傷付けた刃物を使って、ジークの心を傷つけた。

 私は、公的な場では貴族の令嬢らしく振る舞うことを心がけており、極力無駄口は叩かないようにしているが、実際の私はそうではない。口が達者とまではいかないが、口数の多い方ではあると思う。そもそも、前世の私からして、決して目立つタイプではなかったものの、所謂おしとやかで大人しいタイプでもなく、よく喋り、よく笑う、ごく一般的な、どこにでもいる普通の人間だった。その、どこにでもよくいる普通の人間が、何の因果か伯爵令嬢に転生してしまい、公的な場ではいかにも貴族らしく大人しくお淑やかな御令嬢を演じることを強要されたなら、私的な場ではその反動が出る。もしかすると、私自身が思っている以上に、普段の私は口数が多いかもしれない。実際、口数が多い分だけ失言も多いし、言葉のアヤで適切ではない言葉を口にすることもしばしばだ。それが本当の私の性格。しかし、その自分の性格を、「性格だから」と正当化して人を傷つける理由にしていいはずはない。
 この世界で、転生者であることを自覚して、「悪役令嬢」を脱却するために自身の内面から涵養するよう心がけてきたつもりだったが、私は自分自身が目指していたような、なりたかったような人間にはなっていなかった。まぁ、今更だし、わかっちゃいたけど。なんだか、事実を突きつけられたように感じられて、自分自身にがっかりする。
 私は自分本位の一時的な感情でジークを傷つけてしまった。そして今、ジークの心の内を思い遣るよりも、自己嫌悪という形をとりつつ、結局は自分のことを考えてしまっている、そんな自分自身の身勝手さにも腹がたつ。後悔と自責が私の心を苛む。

 はぁ……

——ため息がでてしまった。なんだかひどく息が苦しい。こんな自分が転生して別の者になったとして、二回目の人生を手に入れたとして、それで一体何ができると言うのだろう。考えても答えがでない。失望、自嘲、悔恨、絶え間なく打ち据えるそれらの感情に打ちひしがれ、私はひとり古城の廊下を歩く。無限に長く続くかのような薄暗い廊下は、私の心の奥底にある、人間としての心の暗闇に続いているようにも感じられる。その暗がりに飲み込まれるように、私の身も心も闇に堕ちていくのだろうか……。

 行くあてもないみなしごのように、私は暗闇の中を一人とぼとぼと歩く。
 そんな私の前に、遠くから駆け寄ってくる影があった。近付くその影の主を認めると、私の口から、ふと呟くような声が漏れた。

「兄様……。」

 カストル兄様だ。急いで駆けつけたのだろう。少し息を切らしている。その兄様の後ろから、カトリが遅れて追いつく。カトリも息を切らしつつ、そして詫びながら私に言う。

「申し訳ありません。半刻と言われましたが、居ても立ってもいられず……。」

 そうか。待ちきれなくてカストル兄様に伝えにいったんだ。優しいのね、カトリは。カトリの優しさを感じ、私は声も出ない。
 そして、カストル兄様が静かに私に近寄る。

「どうかしましたか?カトリアーナ。」

 カストル兄様も優しい。こんな私にも、カストル兄様は優しい。私に、そんなに優しくしてもらえるような資格があるのか。そう思うと、カストル兄様の優しさが心に刺さって痛い。私の中で堪えていたものが、思わず込み上げてくる。

「カトリアーナ?」

兄様が、怪訝な、そして少し驚いたような声を漏らす。



 私は、カストル兄様の胸で泣いた。


(続く)

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ゲーム会社に勤めていた俺はゲームの世界の『婚約破棄』イベントの混乱で殺されてしまうモブに転生した。 処刑の原因となる婚約破棄を避けるべく王子に友人として接近。 なんか数ヶ月おきに繰り返される「恋人や出会いのためのお祭り」をできる限り第二皇子と過ごし、 婚約破棄の原因となる主人公と出会うきっかけを徹底的に排除する。 最近では監視をつけるまでもなくいつも一緒にいたいと言い出すようになった・・・ やんごとなき血筋のハンサムな王子様を淑女たちから遠ざけ男の俺とばかり過ごすように 仕向けるのはちょっと申し訳ない気もしたが、俺の運命のためだ。仕方あるまい。 クレバーな立ち振る舞いにより、俺の死亡フラグは完全に回避された・・・ と思ったら、婚約の儀の当日、「私には思い人がいるのです」 と言いやがる!一体誰だ!? その日の夜、俺はゲームの告白イベントがある薔薇園に呼び出されて・・・ ーーーーーーーー この作品は以前投稿した「転生悪役モブは溺愛されんで良いので死にたくない!」に 加筆修正を加えたものです。 リュシアンの転生前の設定や主人公二人の出会いのシーンを追加し、 あまり描けていなかったキャラクターのシーンを追加しています。 展開が少し変わっていますので新しい小説として投稿しています。 続編出ました 転生悪役令嬢は溺愛されんでいいので推しカプを見守りたい! https://www.alphapolis.co.jp/novel/687110240/826989668 ーーーー 校正・文体の調整に生成AIを利用しています。

【完結】悪役に転生したので、皇太子を推して生き延びる

ざっしゅ
BL
気づけば、男の婚約者がいる悪役として転生してしまったソウタ。 この小説は、主人公である皇太子ルースが、悪役たちの陰謀によって記憶を失い、最終的に復讐を遂げるという残酷な物語だった。ソウタは、自分の命を守るため、原作の悪役としての行動を改め、記憶を失ったルースを友人として大切にする。 ソウタの献身的な行動は周囲に「ルースへの深い愛」だと噂され、ルース自身もその噂に満更でもない様子を見せ始める。

妹を救うためにヒロインを口説いたら、王子に求愛されました。

藤原遊
BL
乙女ゲームの悪役令息に転生したアラン。 妹リリィが「悪役令嬢として断罪される」未来を変えるため、 彼は決意する――ヒロインを先に口説けば、妹は破滅しない、と。 だがその“奇行”を見ていた王太子シリウスが、 なぜかアラン本人に興味を持ち始める。 「君は、なぜそこまで必死なんだ?」 「妹のためです!」 ……噛み合わないはずの会話が、少しずつ心を動かしていく。 妹は完璧令嬢、でも内心は隠れ腐女子。 ヒロインは巻き込まれて腐女子覚醒。 そして王子と悪役令息は、誰も知らない“仮面の恋”へ――。 断罪回避から始まる勘違い転生BL×宮廷ラブストーリー。 誰も不幸にならない、偽りと真実のハッピーエンド。

BL世界に転生したけど主人公の弟で悪役だったのでほっといてください

わさび
BL
前世、妹から聞いていたBL世界に転生してしまった主人公。 まだ転生したのはいいとして、何故よりにもよって悪役である弟に転生してしまったのか…!? 悪役の弟が抱えていたであろう嫉妬に抗いつつ転生生活を過ごす物語。

悪役令息の兄って需要ありますか?

焦げたせんべい
BL
今をときめく悪役による逆転劇、ザマァやらエトセトラ。 その悪役に歳の離れた兄がいても、気が強くなければ豆電球すら光らない。 これは物語の終盤にチラッと出てくる、折衷案を出す兄の話である。