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エーファ
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【性暴力を書いた部分があります。その部分が始まる前に注意喚起いたします。】
・・・・・・・・・・・・・・
「王宮内に育児室を作れないかしら。」
「え?ヨハンとレギーナの子どもの?」
ハーレニーとハインリヒが、王宮の廊下を早足で歩きながら話している。
「誰の子どもでも、預かってもらえる育児室よ。ヨハンと話していたんだけど、ヨハンも私も子供の頃、兄弟や親戚の子守りをしてて、一人で一人の子どもを見るより、二人で二人の子どもを見る方が楽だって、意見が一致したのよ。育児室の場所の確保、設備の用意、何より子守りの人材確保が大変なんだけど。」
「でも今は、ルカム王国との石炭採掘の共同事業の話を詰めてしまわないか?ハーレニーは昨日寝てないじゃないか。」
「ハインリヒもでしょ?ルカム王国との友好が深まっている今が共同事業を始める絶好の機会なのはわかってる。でも、育児室だって早く準備するとそれだけ楽だわ。もう既に育児室の需要はあると思うのよ。」
「確かに今、王宮で妊娠中、子育て中の人が多いからな。よし、子育て中の人の意見を聞きとって、子どもを持たない人の意見も聞いておこう。」
「ええ、私になら、子どもを持つ気が無い人も意見が言いやすいだろうし。」
「ハーレニー、君は僕との子どもを産む気は無い?」
ハインリヒが甘えるような目でハーレニーを見上げると、ハーレニーは真っ赤になって逃げて行った。この頃ハンレニーは、ハインリヒに迫られると、言い訳せずに、取り繕わずに、ただ逃げる。ハインリヒはハーレニーの逃げて行く姿を目で追いながら、『詰めが甘かった、次は必ず』と、可愛い上目遣いから、獲物を追う鷹の目になった。
国王フレデリクと宰相カールが、国王の執務室で、
「フランツ・ベルク先生の最新の本、やっと読めたよ。」
「この頃、本を読む暇も無いね。」
と話していると、ハインリヒが入ってきた。
「あ、ハインリヒさん、ベルク先生の最新の本、読んだ?」
「まだなんです。」
「さすがのハインリヒさんも、今は本を読む暇、無いよね。今日は何の話?」
「ルカムとの石炭採掘と、育児室新設について相談なのですが。」
ハーレニーと話していたことを、ハインリヒが提案する。
「ルカムとの件は朝もらった資料通りに進めてください。育児室新設は、ぜひお願いしたいですね。」
「承知しました。」
「ところで、ハインリヒさん、ハンレニーさんとはその後どうですか?」
「なかなか苦戦しております。あれだけの才女で、腕っぷしも私より上となりますと、どう陥落させれば良いのか。」
「才女で腕が立つ人を陥落したと言えば、ヴィーレさんでしょう。相談してみたらいかがでしょう。」
と、王宮警備を統括するヴィーレを呼んだ。
「ヴィーレ先生は、エーファさんをどう陥落させたのですか?」
「え?」
「ハインリヒさんがハンレニーさんをあと一歩のところで、攻めあぐねているのです。」
「ああ、なるほど、しかし私の場合、ハインリヒさんと違って、拒絶されていましたので、当たって砕けろとばかりに、突撃を繰り返しました。ハーレニーさんは、もう受ける気になっておられるように見受けます。甘い雰囲気に照れているだけなのでは。」
「ヴィーレさんはどのように突撃して成功されたのですか?」
ハインリヒがすがるように尋ねた。
「それが、謎なのです。ある日、」
ヴィーレが言い淀む。
「ある日?」
三人が同時に尋ねる。
「絶対にエーファに知られないようにしてくださいよ。もしここであなた方に話したことで、妻が逃げだしでもしたら、あなた方を地獄の底からでも恨みますからね。」
「もちろん他言しません。」
三人が堅く誓った。
「私が何度も何度も求婚していたある日、エーファの寝室に誘われたのです。」
「?」
「エーファは、しつこい私を一度満足させて、諦めさせようと思ったからかもしれません。」
「でもヴィーレ先生は、そのような遊び人に見えないですよね。」
「私も、軽い気持ちで求愛していると思われたのかとがっかりしましたが、誘われて断れるほど余裕は無かったので、夢のような気持ちで誘いに乗りました。」
「エーファさんが男性に慣れていたとか?」
「それが全く、エーファは自分から誘っておいてガチガチに緊張していました。」
「ですよね、エーファさんはどちらかと言えば、男性に壁を作っていたような。」
「その後、頑なに結婚を嫌がるエーファをアグネスさんが説得して、外堀を埋めて、王命を出してもらって、なんとか結婚までこぎつけました。」
ヴィーレが王宮から帰宅すると、珍しくエーファがソファーでうたた寝をしていた。ヴィーレは、エーファにそっと近づき、エーファの寝顔を堪能していると、エーファが気づいて飛び起きる。
「失礼しました。お帰りなさいませ、ヴィーレ。」
「ただいま、エーファ。起こして済まない。」
「いえ、お出迎えもせず。」
「そんなの良いよ。子供を授かると眠くなるそうじゃないか。昨夜もうなされてたんだから、寝ていなさい。」
エーファの笑顔がこわばった。
「あ、ごめん。うなされてることを言わない方が良かったのかな。」
エーファが困った顔になった。
「あ、だめだ、間違えた、うなされてることに気づいちゃだめだったのか。」
エーファの目が泳ぎ出した。
「お腹の子に触るよ?落ち着いて、」
と、ヴィーレが優しくエーファを抱いて、ソファーに座らせる。
「申し訳ございません。夜中に起こしてしまっていたんですね。今まで何度も。」
「・・ああ、結婚当初は毎日だったけど、その後はずっと静かで、最近またうなされてる。」
エーファは、深くため息をついた。
「すべて把握されていたのですね。隠し通せているつもりでした。」
「すべてじゃないよ。エーファは隠すのがうま過ぎて、私が知ってることは、君のほんの一部だ。」
「そんなことはございません。あなたは軍に勤め、護衛を長年されておられるので、小さなことにも気づかれてしまいます。私はあなたから隠すことを、早々に諦めました。」
「だったら良いのに、エーファの心の中を少しでも知りたいな。」
「私はすべてを諦めることで平穏に生きておりましたのに、あなたに出会ってから、女の幸せとやらに欲を出しました。私からいちばん遠かった幸せです。うなされるのは仕方ない、自業自得です。」
ヴィーレは、初めて心の内を話してくれたエーファを見つめた。
「ヴィーレ、そんなに見られると、穴があきます。」
と、ヴィーレの腕をほどいて、食事の用意をしようとする。
「エーファ、私は食事は済ませてきたから。」
と、今度は、エーファを強く抱いてソファーに横たえた。
「南の地方の果物をいただいてきたよ。」
と、ヴィーレが手早く果汁を絞る。
「エレオノーラさんがご懐妊された時、カールさんが取り寄せたそうだ。今、フランツィスカさんもこれでつわりを和らげているそうで、私にも持たされた。」
と、果汁をエーファに渡した。
「美味しい」
と、エーファが一気に飲み干した。
「もっと作ろう。」
ヴィーレが張り切って、また次の果実に手を伸ばす。
「いえ、今はこれでお腹がいっぱいになりました。あなたは、その携行食を食べてしまってください。」
と、エーファが言った。
「私こそ、エーファにすべて把握されてるからなぁ。」
と、見えないよう、こっそりかじっていた軍の携行食を、皿に乗せて食卓に運んで食べ出した。
「この時間に帰って来て、食事を済ませられていたはずはございませんから。」
「フレデリクさんもカールさんも、早く家に帰れって、うるさくて。」
「ありがたいことでございます。」
「今王宮はベビーブームで、どの夫婦も、妊娠出産のケアや、子供の世話で、王宮は人手不足なんだ。大急ぎで補充人員を育てているところだけど、見通しが甘かったとフレデリクさんたちが慌てて、退官した官僚や護衛を呼び戻しているところで。それに、フォルスフッド王国の男は皆、愛妻家であると路線変更したから、男は皆、家政や育児に参加しようとしていて、あたふたしてるんだよ。」
「あなたは、もともと全部できております。」
「全くできないよ。軍の野営で最低限の自分の世話くらいはできたから、私も、フレデリクさんとカールさんも、他の貴族よりは、ましだけど。」
食べ終わったヴィーレが、素早く片付けてソファーのエーファをそっと抱く。
「私がエーファを好きになったから、うなされることになったんだね。私は、エーファの火傷の手当てをしている時に絶対この人を手に入れると決めたから。」
「え?あの流れるような応急処置をしながら?ですか?」
「ああ。軽蔑してくれ。俺は、俺のせいで、怪我と火傷をさせてしまった君の手当てをしながら君を欲してたんだ。」
「それにしては、冷静沈着に見えましたけど。」
「俺は毎朝エーファの首から肩に薬を塗りながら、君が欲しくなる。」
「え?」
「顔を見ないでくれ。」
ヴィーレは、エーファが見たこともない顔を背けた。言葉遣いも聞いたことがない。
「もう、ぬり薬はほとんど必要無いです。アグネスのぬり薬のおかげで痛みもほぼ無くなりました。毎朝、ひきつれが酷かった時も、薬は自分で塗れましたけれど。」
「知ってる。私が、無理やり塗らせてもらってるからね。」
ヴィーレの口調が少し戻った。
「私が、エーファに求婚し続けていた時、君は『私はそんな大層に扱っていただくような女ではありません。』と言って、君の寝室に呼ばれたことがあっただろう?」
「はい。貴族のご子息で、公爵家の護衛をされている方が、私を欲していると言われた時には耳を疑いました。そんなに私に興味がお有りなら、さっさと満足させて差し上げようと思ったのです。それに私は妊娠できる身体ではないと思い込んでいたので。」
「そうだったのか。なぜそう思っていたのか、教えてもらえないだろうか。」
「世の中には知らない方が良いこともございます。」
と静かに言った。ガシャリと音が聞こえた気がするくらい、心の扉を閉じられた。
「あの時、君の寝室で、君の誘いに乗るべきではなかった。後悔しているよ。婚約して結婚してから君と結ばれていたなら、もう少しエーファの心に寄り添えることができたのかと思う。」
「ですから、そんな大層な手順は必要ないのです。私がもう汚れた身体だったことは、あの時わかりましたでしょう?」
「そんな。君は一点の穢れもなかった。しかし俺は穢れのないエーファに我慢ができなかった。」
「私が望んだのです。それで終わりにできたら良かったのですが、まわりに気づかれ喜ばれてしまって逃げられなくなり、私も自分の欲望のまま、あなたの妻に収まりました。」
「エーファ、私は自分のせいで、人が死んだり上司が片腕を無くしたりして、なぜ自分が生き残っているのかずっと悩んでいだ。そしてエーファが傷だらけになりながら私たちを助けてくれて、己の不甲斐なさに心が折れそうになった。子供の頃から鍛えてきたカールの足もふっ飛んだ。なぜ、私だけ無事に生きているんだろう。それなのに君に執着して、妻にした。妻にしてもまだ執着している。君の心の扉を少しでも開きたい。」
エーファは、しばらく目を閉じていたが、大きな息をはいて、ヴィーレを愛おしく見つめた。
「もう一度、さっきのジュースを飲ませてくださいな。」
ヴィーレは、初めてエーファにおねだりされて、飛び上がって果実を取りに行った。焦ってそこら辺に汁を撒き散らして作ったジュースを、食卓に座って待っていたエーファに渡す。
「ありがとうございます。」
エーファはまた一気に飲み干し、
「隣に座ってもらえますか?顔を見ないでください。上手く話せるか、やってみます。聞きたくなくなれば、教えてください。」
ヴィーレは、音も立てずに座った。
「私が5歳の時です。家にルカムの警察が5人来ました。」
エーファの声が震えてきた。思わずヴィーレがエーファの手を握る。
・・・・・・・・・・・・・・
【性暴力を書いた部分が始まりますのでお気をつけください】
・・・・・・・・・・・・・・
「私と弟は隠れました。父と兄が撃たれました。母が押さえつけられ服を破られました。まだ3歳だった弟が声をあげてしまいました。男たちがこちらを見ました。私はそこにあった箱に弟を突っ込んでいました。私が見つかり母と並べられ、男たちに何度も何度も乱暴されました。男たちは血だらけになった私の下半身を見て、『お前はもう孕めないな』と笑いました。男たちはそのまま出て行ったと思います。母はその後、おかしくなって私を連れて川に身を投げました。私はなぜだか、必死で泳いで助かりました。そのうち食べる物が底をつき、弟とローザン領を目指して国を出ようと計画を立てました。逃げる途中、弟は殺されて、私はこの国に密入国しました。」
・・・・・・・・・・・・・・
【性暴力を書いた部分を終わります】
・・・・・・・・・・・・・・
エーファが話し終わると、夫に強く抱きしめられていることに気がついた。
「エーファ、辛いこと話させてごめん。俺が聞きたがったばかりに、ごめん、また私が君を傷つけた。」
エーファは、自分の荒い呼吸にも気づいて、何度も大きく息をした。
「大丈夫です。話してみたら案外、大したことなかったです。もっと一晩中語るのかと思っていましたけど、こんなにすぐに話し終わるくらいのものでした。」
「お願いだ、エーファ、平気なふりをしないでくれ。頼む。」
ヴィーレの悲痛な声に、エーファは、にっこり笑った。
「旦那様、私はお暇をいただきます。」
ヴィーレが固まった。
「私はこの話が知られてしまった時は、離れると決めて、あなたと結婚しました。そう決めないと、どうしてもあなたとの結婚に踏み切れなかったのです。自分の口からあなたに話せて良かった。」
「やめてくれ、俺が悪かった、無理に話させて済まない、何でもするから俺を捨てないでくれ。」
「ヴィーレ、私こそごめんなさい。私は生きていかなければいけません。あの時、母が心中しようとした時、身体が勝手に生き延びようと泳ぎました。守り通したはずの弟が、私の杜撰な計画のせいで殺された時も、そこにいた他の子供たちを連れて逃げ延びました。あなたと出会って、あなたに愛され、今こうして、お腹に子供もいます。自分の図太さに呆れます。ただ、愛するあなたと穏やかに過ごす時間が苦しい。私のわがままをお許しください。」
ヴィーレの全身から力が消えた。
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「王宮内に育児室を作れないかしら。」
「え?ヨハンとレギーナの子どもの?」
ハーレニーとハインリヒが、王宮の廊下を早足で歩きながら話している。
「誰の子どもでも、預かってもらえる育児室よ。ヨハンと話していたんだけど、ヨハンも私も子供の頃、兄弟や親戚の子守りをしてて、一人で一人の子どもを見るより、二人で二人の子どもを見る方が楽だって、意見が一致したのよ。育児室の場所の確保、設備の用意、何より子守りの人材確保が大変なんだけど。」
「でも今は、ルカム王国との石炭採掘の共同事業の話を詰めてしまわないか?ハーレニーは昨日寝てないじゃないか。」
「ハインリヒもでしょ?ルカム王国との友好が深まっている今が共同事業を始める絶好の機会なのはわかってる。でも、育児室だって早く準備するとそれだけ楽だわ。もう既に育児室の需要はあると思うのよ。」
「確かに今、王宮で妊娠中、子育て中の人が多いからな。よし、子育て中の人の意見を聞きとって、子どもを持たない人の意見も聞いておこう。」
「ええ、私になら、子どもを持つ気が無い人も意見が言いやすいだろうし。」
「ハーレニー、君は僕との子どもを産む気は無い?」
ハインリヒが甘えるような目でハーレニーを見上げると、ハーレニーは真っ赤になって逃げて行った。この頃ハンレニーは、ハインリヒに迫られると、言い訳せずに、取り繕わずに、ただ逃げる。ハインリヒはハーレニーの逃げて行く姿を目で追いながら、『詰めが甘かった、次は必ず』と、可愛い上目遣いから、獲物を追う鷹の目になった。
国王フレデリクと宰相カールが、国王の執務室で、
「フランツ・ベルク先生の最新の本、やっと読めたよ。」
「この頃、本を読む暇も無いね。」
と話していると、ハインリヒが入ってきた。
「あ、ハインリヒさん、ベルク先生の最新の本、読んだ?」
「まだなんです。」
「さすがのハインリヒさんも、今は本を読む暇、無いよね。今日は何の話?」
「ルカムとの石炭採掘と、育児室新設について相談なのですが。」
ハーレニーと話していたことを、ハインリヒが提案する。
「ルカムとの件は朝もらった資料通りに進めてください。育児室新設は、ぜひお願いしたいですね。」
「承知しました。」
「ところで、ハインリヒさん、ハンレニーさんとはその後どうですか?」
「なかなか苦戦しております。あれだけの才女で、腕っぷしも私より上となりますと、どう陥落させれば良いのか。」
「才女で腕が立つ人を陥落したと言えば、ヴィーレさんでしょう。相談してみたらいかがでしょう。」
と、王宮警備を統括するヴィーレを呼んだ。
「ヴィーレ先生は、エーファさんをどう陥落させたのですか?」
「え?」
「ハインリヒさんがハンレニーさんをあと一歩のところで、攻めあぐねているのです。」
「ああ、なるほど、しかし私の場合、ハインリヒさんと違って、拒絶されていましたので、当たって砕けろとばかりに、突撃を繰り返しました。ハーレニーさんは、もう受ける気になっておられるように見受けます。甘い雰囲気に照れているだけなのでは。」
「ヴィーレさんはどのように突撃して成功されたのですか?」
ハインリヒがすがるように尋ねた。
「それが、謎なのです。ある日、」
ヴィーレが言い淀む。
「ある日?」
三人が同時に尋ねる。
「絶対にエーファに知られないようにしてくださいよ。もしここであなた方に話したことで、妻が逃げだしでもしたら、あなた方を地獄の底からでも恨みますからね。」
「もちろん他言しません。」
三人が堅く誓った。
「私が何度も何度も求婚していたある日、エーファの寝室に誘われたのです。」
「?」
「エーファは、しつこい私を一度満足させて、諦めさせようと思ったからかもしれません。」
「でもヴィーレ先生は、そのような遊び人に見えないですよね。」
「私も、軽い気持ちで求愛していると思われたのかとがっかりしましたが、誘われて断れるほど余裕は無かったので、夢のような気持ちで誘いに乗りました。」
「エーファさんが男性に慣れていたとか?」
「それが全く、エーファは自分から誘っておいてガチガチに緊張していました。」
「ですよね、エーファさんはどちらかと言えば、男性に壁を作っていたような。」
「その後、頑なに結婚を嫌がるエーファをアグネスさんが説得して、外堀を埋めて、王命を出してもらって、なんとか結婚までこぎつけました。」
ヴィーレが王宮から帰宅すると、珍しくエーファがソファーでうたた寝をしていた。ヴィーレは、エーファにそっと近づき、エーファの寝顔を堪能していると、エーファが気づいて飛び起きる。
「失礼しました。お帰りなさいませ、ヴィーレ。」
「ただいま、エーファ。起こして済まない。」
「いえ、お出迎えもせず。」
「そんなの良いよ。子供を授かると眠くなるそうじゃないか。昨夜もうなされてたんだから、寝ていなさい。」
エーファの笑顔がこわばった。
「あ、ごめん。うなされてることを言わない方が良かったのかな。」
エーファが困った顔になった。
「あ、だめだ、間違えた、うなされてることに気づいちゃだめだったのか。」
エーファの目が泳ぎ出した。
「お腹の子に触るよ?落ち着いて、」
と、ヴィーレが優しくエーファを抱いて、ソファーに座らせる。
「申し訳ございません。夜中に起こしてしまっていたんですね。今まで何度も。」
「・・ああ、結婚当初は毎日だったけど、その後はずっと静かで、最近またうなされてる。」
エーファは、深くため息をついた。
「すべて把握されていたのですね。隠し通せているつもりでした。」
「すべてじゃないよ。エーファは隠すのがうま過ぎて、私が知ってることは、君のほんの一部だ。」
「そんなことはございません。あなたは軍に勤め、護衛を長年されておられるので、小さなことにも気づかれてしまいます。私はあなたから隠すことを、早々に諦めました。」
「だったら良いのに、エーファの心の中を少しでも知りたいな。」
「私はすべてを諦めることで平穏に生きておりましたのに、あなたに出会ってから、女の幸せとやらに欲を出しました。私からいちばん遠かった幸せです。うなされるのは仕方ない、自業自得です。」
ヴィーレは、初めて心の内を話してくれたエーファを見つめた。
「ヴィーレ、そんなに見られると、穴があきます。」
と、ヴィーレの腕をほどいて、食事の用意をしようとする。
「エーファ、私は食事は済ませてきたから。」
と、今度は、エーファを強く抱いてソファーに横たえた。
「南の地方の果物をいただいてきたよ。」
と、ヴィーレが手早く果汁を絞る。
「エレオノーラさんがご懐妊された時、カールさんが取り寄せたそうだ。今、フランツィスカさんもこれでつわりを和らげているそうで、私にも持たされた。」
と、果汁をエーファに渡した。
「美味しい」
と、エーファが一気に飲み干した。
「もっと作ろう。」
ヴィーレが張り切って、また次の果実に手を伸ばす。
「いえ、今はこれでお腹がいっぱいになりました。あなたは、その携行食を食べてしまってください。」
と、エーファが言った。
「私こそ、エーファにすべて把握されてるからなぁ。」
と、見えないよう、こっそりかじっていた軍の携行食を、皿に乗せて食卓に運んで食べ出した。
「この時間に帰って来て、食事を済ませられていたはずはございませんから。」
「フレデリクさんもカールさんも、早く家に帰れって、うるさくて。」
「ありがたいことでございます。」
「今王宮はベビーブームで、どの夫婦も、妊娠出産のケアや、子供の世話で、王宮は人手不足なんだ。大急ぎで補充人員を育てているところだけど、見通しが甘かったとフレデリクさんたちが慌てて、退官した官僚や護衛を呼び戻しているところで。それに、フォルスフッド王国の男は皆、愛妻家であると路線変更したから、男は皆、家政や育児に参加しようとしていて、あたふたしてるんだよ。」
「あなたは、もともと全部できております。」
「全くできないよ。軍の野営で最低限の自分の世話くらいはできたから、私も、フレデリクさんとカールさんも、他の貴族よりは、ましだけど。」
食べ終わったヴィーレが、素早く片付けてソファーのエーファをそっと抱く。
「私がエーファを好きになったから、うなされることになったんだね。私は、エーファの火傷の手当てをしている時に絶対この人を手に入れると決めたから。」
「え?あの流れるような応急処置をしながら?ですか?」
「ああ。軽蔑してくれ。俺は、俺のせいで、怪我と火傷をさせてしまった君の手当てをしながら君を欲してたんだ。」
「それにしては、冷静沈着に見えましたけど。」
「俺は毎朝エーファの首から肩に薬を塗りながら、君が欲しくなる。」
「え?」
「顔を見ないでくれ。」
ヴィーレは、エーファが見たこともない顔を背けた。言葉遣いも聞いたことがない。
「もう、ぬり薬はほとんど必要無いです。アグネスのぬり薬のおかげで痛みもほぼ無くなりました。毎朝、ひきつれが酷かった時も、薬は自分で塗れましたけれど。」
「知ってる。私が、無理やり塗らせてもらってるからね。」
ヴィーレの口調が少し戻った。
「私が、エーファに求婚し続けていた時、君は『私はそんな大層に扱っていただくような女ではありません。』と言って、君の寝室に呼ばれたことがあっただろう?」
「はい。貴族のご子息で、公爵家の護衛をされている方が、私を欲していると言われた時には耳を疑いました。そんなに私に興味がお有りなら、さっさと満足させて差し上げようと思ったのです。それに私は妊娠できる身体ではないと思い込んでいたので。」
「そうだったのか。なぜそう思っていたのか、教えてもらえないだろうか。」
「世の中には知らない方が良いこともございます。」
と静かに言った。ガシャリと音が聞こえた気がするくらい、心の扉を閉じられた。
「あの時、君の寝室で、君の誘いに乗るべきではなかった。後悔しているよ。婚約して結婚してから君と結ばれていたなら、もう少しエーファの心に寄り添えることができたのかと思う。」
「ですから、そんな大層な手順は必要ないのです。私がもう汚れた身体だったことは、あの時わかりましたでしょう?」
「そんな。君は一点の穢れもなかった。しかし俺は穢れのないエーファに我慢ができなかった。」
「私が望んだのです。それで終わりにできたら良かったのですが、まわりに気づかれ喜ばれてしまって逃げられなくなり、私も自分の欲望のまま、あなたの妻に収まりました。」
「エーファ、私は自分のせいで、人が死んだり上司が片腕を無くしたりして、なぜ自分が生き残っているのかずっと悩んでいだ。そしてエーファが傷だらけになりながら私たちを助けてくれて、己の不甲斐なさに心が折れそうになった。子供の頃から鍛えてきたカールの足もふっ飛んだ。なぜ、私だけ無事に生きているんだろう。それなのに君に執着して、妻にした。妻にしてもまだ執着している。君の心の扉を少しでも開きたい。」
エーファは、しばらく目を閉じていたが、大きな息をはいて、ヴィーレを愛おしく見つめた。
「もう一度、さっきのジュースを飲ませてくださいな。」
ヴィーレは、初めてエーファにおねだりされて、飛び上がって果実を取りに行った。焦ってそこら辺に汁を撒き散らして作ったジュースを、食卓に座って待っていたエーファに渡す。
「ありがとうございます。」
エーファはまた一気に飲み干し、
「隣に座ってもらえますか?顔を見ないでください。上手く話せるか、やってみます。聞きたくなくなれば、教えてください。」
ヴィーレは、音も立てずに座った。
「私が5歳の時です。家にルカムの警察が5人来ました。」
エーファの声が震えてきた。思わずヴィーレがエーファの手を握る。
・・・・・・・・・・・・・・
【性暴力を書いた部分が始まりますのでお気をつけください】
・・・・・・・・・・・・・・
「私と弟は隠れました。父と兄が撃たれました。母が押さえつけられ服を破られました。まだ3歳だった弟が声をあげてしまいました。男たちがこちらを見ました。私はそこにあった箱に弟を突っ込んでいました。私が見つかり母と並べられ、男たちに何度も何度も乱暴されました。男たちは血だらけになった私の下半身を見て、『お前はもう孕めないな』と笑いました。男たちはそのまま出て行ったと思います。母はその後、おかしくなって私を連れて川に身を投げました。私はなぜだか、必死で泳いで助かりました。そのうち食べる物が底をつき、弟とローザン領を目指して国を出ようと計画を立てました。逃げる途中、弟は殺されて、私はこの国に密入国しました。」
・・・・・・・・・・・・・・
【性暴力を書いた部分を終わります】
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エーファが話し終わると、夫に強く抱きしめられていることに気がついた。
「エーファ、辛いこと話させてごめん。俺が聞きたがったばかりに、ごめん、また私が君を傷つけた。」
エーファは、自分の荒い呼吸にも気づいて、何度も大きく息をした。
「大丈夫です。話してみたら案外、大したことなかったです。もっと一晩中語るのかと思っていましたけど、こんなにすぐに話し終わるくらいのものでした。」
「お願いだ、エーファ、平気なふりをしないでくれ。頼む。」
ヴィーレの悲痛な声に、エーファは、にっこり笑った。
「旦那様、私はお暇をいただきます。」
ヴィーレが固まった。
「私はこの話が知られてしまった時は、離れると決めて、あなたと結婚しました。そう決めないと、どうしてもあなたとの結婚に踏み切れなかったのです。自分の口からあなたに話せて良かった。」
「やめてくれ、俺が悪かった、無理に話させて済まない、何でもするから俺を捨てないでくれ。」
「ヴィーレ、私こそごめんなさい。私は生きていかなければいけません。あの時、母が心中しようとした時、身体が勝手に生き延びようと泳ぎました。守り通したはずの弟が、私の杜撰な計画のせいで殺された時も、そこにいた他の子供たちを連れて逃げ延びました。あなたと出会って、あなたに愛され、今こうして、お腹に子供もいます。自分の図太さに呆れます。ただ、愛するあなたと穏やかに過ごす時間が苦しい。私のわがままをお許しください。」
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