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第二章 極寒の王国~ハイランド王国編~
第三十五話 万鉱窟と揺るぎなき炉心
しおりを挟む──白炎の揺らめく星炉宮。その炉心〈フォージ・コア〉の脈動を背に、巨大な転移門が静かに開かれた。
剛鉄と黒曜石を編んだような門は、星炉の熱と金属の歌を背に、まるで異世界への入口のように口を開けている。門の先に広がるのは、創造されたばかりの新たな階層──地下九階層 万鉱窟『ザルグヴェイン』。
「ここが……地下九階層、万鉱窟『ザルグヴェイン』か。」
ギムロックが低く唸るように言葉をこぼす。その声すら、鉱壁に反響し、深く長く尾を引いた。
彼らの目の前に広がるのは、天井知らずの鍾乳空洞。その中心には、巨大な鋳造炉を備えた多層構造の工廠群が塔のように連なっている。構内を縦横に走る搬送路、浮遊する鉱石運搬台車、壁面に無数に穿たれた採掘坑。空気中には微細な金属粉が舞い、光源魔石の明滅が星のように洞窟内を照らしていた。
「空間そのものが鼓動している……まるで、地底の心臓みたいだな。」
ラステンが手のひらを岩壁にあてる。微かな振動が絶え間なく続いており、それが生き物の脈動のように感じられた。
「ここには地中深く眠っていた、遠古の魔力鉱脈が集まっている。しかもただの鉱石じゃない。この層の岩肌は魔力伝導率が極めて高く、魔術炉や魔装具の素材としては最高級とされている。」
ベルデンが興奮を隠しきれず、目を輝かせる。
「この『ザルグヴェイン』は鍛冶屋と魔導工匠の夢が詰まった地。鍛冶の理想郷さ。」
ギムロックがにやりと笑い、隣でベルデンが肩をほぐす。
「問題は……その素材が、どれだけ手強いかってことだな。」
足元を踏みしめるたび、地脈から湧き上がるかすかな鉱音──それは金属そのものが呼吸しているかのような律動だった。
オべリスの声が静かに響いた。
「第九階層、全層を構成する“生きた鉱脈”。地殻の意志とも呼ばれる場所さ。」
「鉱脈が……生きてる?」
ルーデンが思わず問い返す。
「そう。ここでは、鉱石は採掘されるものではなく、育ち、芽吹き、淘汰される。“鉱石たちの生態系”とでも言えば近いかな。」
「……これが『ザルグヴェイン』……まるで地そのものが生きてるみてぇだ。」
ギムロックの呟きに、ベルデンも頷く。
「鉱石が勝手に成長してるなんて……まるで意思を持ってるようだ。」
そのとき、岩の裂け目からふたりの影が現れた。ラステンとモグラルだ。
「モグッ!」
モグラルは跳ね回り、ラステンは無言のまま周囲の岩壁を見渡す。胸の魔石コアが脈打ち、空間の鉱脈と共鳴していた。
「おう、こいつらがいりゃ、採掘は万全だな。」
ギムロックが満足そうに笑う。
「これでようやく……星炉宮を本気で使えるってもんだ。」
素材のすべてが揃っている。未知の鉱石と、呼吸する鉱脈、鉱精たちの眠る空間。ここは、鍛冶師たちの原料庫であり、試練場でもある。
ギムロックとベルデンは、モグラルとラステンを引き連れ、はるか奥へと歩みを進めた。
その背中に、新たな創造の火種が宿り始めていた。
ギムロックたちが足を踏み入れた先は、天井知らずの広大な鍾乳空洞の一角。そこには巨大な柱のように伸びる金属結晶群が立ち並び、その一本一本が、まるで心臓のようにかすかに脈動していた。
「まずは、こいつの根元を掘ってみよう。」
ギムロックは腕をまくると、鉱鎚型の魔術具を腰から外した。柄に刻まれたルーンが淡い橙光を放ち、空気が軽く震える。ベルデンは側面の岩肌に手を当て、岩脈の走向と魔力の流れを測る。
「……やはり、流れてる。この層自体が魔力の樹のような構造になってるみたいだな。どの岩も“どこか”へ繋がってる。」
「地脈か……この空洞全体が、ひとつの生命体ってわけか。」
ギムロックがひとつ息を吐き、魔鎚を振り下ろす。岩に打ち込まれた瞬間、金属音ではなく、まるで太鼓のような低音が空洞全体に鳴り響いた。反響が連鎖し、周囲の岩肌が震え、地の奥から幾筋もの光脈が浮かび上がる。
「……こいつは……!」
ベルデンが目を見張った。岩の内部から浮かび上がったのは、透き通るような青銀色の鉱脈──〈蒼耀鉱〉と呼ばれる魔力増幅鉱だ。しかも、自然結晶ではあり得ないほど均質で整った構造。
「通常の採掘場じゃ、こんな純度のものは滅多にお目にかかれねぇぞ。」
ギムロックが無言でうなずき、懐から取り出した魔術炉精製用の封刻器を岩肌に押し当てた。装置の魔力が鉱石に触れると、蒼耀鉱はみるみるうちに表層を変化させ、採取しやすい形へと“自発的に”変質していく。
「……こいつ、こっちの意図を読んで応じてるのか?」
「生きてる、ってのは……誇張でもなんでもなかったんだな。」
そのとき、岩影からモグラルが跳ねるように現れた。鼻先を動かしながら、ラステンの隣にぴたりと並ぶ。
ラステンは無言で手を掲げると、胸の魔石コアが再び輝きを強めた。それに呼応するように、地面に這う鉱脈の一部がふっと浮き上がる。ラステンの魔力と鉱石が“共鳴”していた。
「接続した……?」
オべリスが静かに呟く。
「ラステンのコアが、この層の地脈と繋がったんだ。これで、より深部の構造まで視られるようになる。」
「それに応じるように鉱石が動く……素材が育ち、呼吸する。こりゃまさに“地底の森”だな。」
ギムロックの目に宿った光は、かつての戦鍛の記憶と重なっていた。
「この地脈を使えば……星炉宮の炉心〈フォージ・コア〉も、今まで以上の出力を引き出せる。問題は、それに見合う素材と設計が揃うか、だ。」
静かに深く、空洞がまた一つ、低く鳴った。
『ザルグヴェイン』は彼らに牙を剥くことなく、ただ待っている。己を試し、使いこなす者の到来を。
そして今、その火種が、静かに点り始めた。
ギムロックたち一行が進む鉱脈路は、徐々に天然の坑道から人工の支柱が混じる区域へと変化していった。岩盤に沿って黒銀の導線が縦横に走り、所々に魔力結晶が浮遊する──まるで、地脈そのものが意思をもって形を整えたかのようだった。
「おい、見ろ……あれ、動いてねぇか?」
ベルデンの声に全員が足を止めた。坑道の奥、光源魔石のまたたきの中に、ゆっくりと蠢く巨大な影が見えた。鋼線のように編まれた四肢。背中に金属鉱を積み、まるで装甲車のような風貌を持つその存在──
「……あれが、アイアンクローラーか。」
ギムロックが呟いた。外殻は黒鉄と銀鉱の複合構造。眼のように煌めく魔石が複数、頭部と胸郭に埋め込まれている。
ラステンが一歩前に進み、胸の魔石コアを淡く脈動させた。すると、アイアンクローラーの眼が光り、彼に気づいた様子を見せる。次の瞬間、意外な動きが起きた。
──アイアンクローラーが、膝をついたのだ。
「……お辞儀、してる?」ルーデンが目を見開いた。
アイアンクローラーは静かに、体を低くしたまま魔石を震わせる。その振動は、一定の律動を刻んでいた。どこか、言語に近い構造を持つような──
「こいつ……挨拶してる。まるで、ここに来た俺たちを受け入れてるみたいだ。」
ベルデンの言葉に、ラステンが小さく頷く。彼の魔石コアが淡く共鳴し、アイアンクローラーの背に積もった鉱石の一部が緩やかに地面へ落ちた。赤鉄鉱、蒼輝鉱、そして見慣れぬ淡金色の鉱片……いずれも高品質な素材だ。
「贈り物、ってわけか。」
ギムロックが目を細める。「こいつら、ただの鉱獣じゃねぇ。鉱脈そのものの意思──鉱精って呼ぶのがふさわしいな。」
その言葉に、オべリスが少しだけ口元を緩めた。
「この層の鉱精たちは、ある意味でこの空間の守護者でもある。意志を持ち、鍛冶師や工匠たちと共に働くこともできる。だが……選ぶんだ。誰に鉱石を託すかを。」
「だから試されたわけか。」
ベルデンがアイアンクローラーに目を向けると、その背中の鉱片がもう一度小さく振動した。
「面白え……鉱石が“選んでくる”なんてな。これじゃあ、鍛冶師の腕も心も、嘘はつけねぇな。」
ギムロックが大きく息を吐き、手を差し出した。アイアンクローラーはゆっくりとその手に頭部を近づけ、ひとつの鉱石を置いた。透き通るような白銀の鉱──“晶霊銀”。魔導具の核にも使われる極めて希少な素材だ。
「……これで、ようやく星炉宮に火が入る。」
ギムロックが呟く。鉱精と共に歩むことを選んだその瞬間、彼らの鍛冶の物語が、ようやく真に始まったのだった。
アイアンクローラーが導くまま、ギムロックたちは鉱脈の奥深くへと足を踏み入れていた。壁面に刻まれた自然の地殻文様は魔力を帯び、微かに発光している。周囲にはいくつもの小さな鉱精たちが顔をのぞかせ、ラステンの魔石コアに興味を示すように集まってくる。
「こいつら、ラステンに反応してるみてぇだな。」
ギムロックが顎をしゃくった先で、ラステンの足元を囲うように、粒状の鉱精たち──鉄紋石や霊晶岩の幼体らしき存在──がゆっくりと蠢いていた。
「鉱脈に宿る精霊ってのは、魔石の波長で仲間を見分けてんのかもしれないな。」
ベルデンが鉱壁に耳を当てると、そこからわずかに地鳴りが響いてきた。規則的で、どこか生き物の呼吸のような鼓動。
「まるで、深層が目を覚ましたみたいだ……。」
そのとき、地面の奥から、ゆっくりと揺れるような光が放たれた。地中に埋もれていた巨大な魔力鉱──黒曜鋼晶が自発的に発光し、アイアンクローラーがその周囲に佇む。
「……あれは……自分から姿を見せたのか?」
ベルデンの声に、ギムロックが頷いた。
「間違いねぇ。こいつは眠ってたんだ。俺たちが来るまで、ずっとな。」
ギムロックは手早く工具を取り出すと、黒曜鋼晶に触れた。鉱石は拒むことなく、彼の接触を受け入れるように柔らかな音を立てて脈動する。
「鉱石の鼓動が……伝わってくる。」
ギムロックは声を落とした。
「こいつはただの鉱物じゃねぇ。願いを、記憶してる。」
「願い……?」
ラステンが首をかしげると、オべリスが静かに応じた。
「この『ザルグヴェイン』に存在する“生きた鉱脈”は、かつて数多の匠や精霊たちが刻んだ願いの記録でもある。それは刃を生む意志であり、守る力への渇望だ。」
ベルデンが黒曜鋼晶の側面に見つけた亀裂に触れた。
「これは……かつての武具の記憶? いや……。」
「鉱精たちが伝えてきた、願いの残響だろうな。」
ギムロックが静かに答える。
ラステンが周囲の鉱壁に掌をあてた。魔石コアが共鳴し、岩盤全体が呼吸するように微振動を起こす。すると、小さな鉱精たちが再び姿を現し、ラステンの足元に集まってくる。
「やっぱり……鉱脈も、鉱精も……言葉を持ってる。これ、共鳴だ。」
ラステンの声に、オべリスは静かに頷いた。
「鉱精たちと交感する素質があるのかもしれないね。」
ギムロックとベルデンが顔を見合わせる。
「鉱精たちが語るってんなら──こりゃあ、鍛冶もただの技術じゃ済まねぇな。」
ギムロックは黒曜鋼晶の断面を丁寧に切り出し、小さな鉱精の一体に渡す。鉱精はそれを抱くように受け取り、深く頷いたような動きを見せた。
「やっぱり、こいつらも伝えるんだな。」
ベルデンの声には、微かな敬意が宿っていた。
この『ザルグヴェイン』は、単なる鉱山ではない。鉱石と、鉱精と、かつてここを訪れた者たちの「祈り」が複雑に重なり合う、ひとつの生態系なのだ。
「ここでしか、打てねぇ武具がある。」
ギムロックの目が静かに燃える。
「ただの剣じゃねぇ。ここで生まれるのは、きっと……“生きている刃”だ。」
その言葉に、『ザルグヴェイン』の空気が微かに共鳴するかのように、坑道全体が温かな鼓動を返した。
──彼らの前に、まだ見ぬ試練と創造の光が広がっていた。
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