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2杯目 2年目の夏
12 合宿②
しおりを挟む鳥のさえずりが、穏やかな朝を告げている。窓から差し込む光が、畳の部屋を柔らかく照らしていた。
僕は、目覚まし時計が鳴るよりも早く目が覚めた。都会の朝とは違う、清々しい空気と、どこか懐かしい匂いに満ちている。
部屋から出ると、温かいパンを焼く香ばしい匂いが漂ってきた。リビングに向かうと、そこには福田先輩の祖父母がにこやかに迎えてくれた。
「おはよう!昨日はよく眠れたかい?」
おじいさんは優しい笑顔で、おばあさんは「さあさあ、朝ごはんを食べなさい」と温かいお茶を差し出してくれた。
朝食のテーブルには、焼きたてのパンと、新鮮な野菜で作られたサラダ、そして手作りのジャムが並んでいる。どれもが愛情と温かさに満ちていて、僕たちの心を温めてくれる。
「福田さんのおじいさん、おばあさん、ありがとうございます!」
入野さんが、弾けるような笑顔で挨拶をする。
「いやいや、若い人たちが来てくれて、こっちも元気をもらってるよ!」
おじいさんが嬉しそうに笑った。
朝食をとりながら、僕たちは今日の課題について話した。
「今日の午前中は、各自で短編小説の執筆ね。お昼を食べた後、一度進捗を発表してもらうから。」
菊乃井先生の言葉に、みんなの表情に、かすかな緊張と、それに勝る意気込みが浮かんだ。
入野さんは、パンを頬張りながら「よーし、頑張るぞー!」と気合を入れている。宝条も、いつもより真剣な顔でパンをかじり、ノートを片手に何かを考え込んでいた。
朝食を終え、僕たちは部室代わりの広間に集まった。畳の部屋には、各々がノートやペン、そしてアイデアの詰まったカバンを広げている。
「じゃあ、執筆開始!何か困ったことがあったら、遠慮なく言ってね。」
福田先輩の合図で、静かな執筆時間が始まった。
僕は、ノートを開き、頭の中にあった夏祭りの物語のプロットを見直した。昨夜、皆と話した内容も参考に、登場人物のキャラクター設定や、物語の展開を練り直していく。
福田先輩は、自分の作品のアイデアを練りながら、時折僕のノートを覗き込んでくれる。
「平岡くんの書く小説、情景が目に浮かぶから、もっと色々な物語を書いてみてほしいな。」
福田先輩からのアドバイスは、いつも的確で、僕の背中をそっと押してくれる。
しばらくすると、古本さんが唸りながらペンを止めた。
「うーん……なかなか筆が進まないや。最初の部分が、どうしても納得いかなくて。」
古本さんの言葉に、一文字さんも「私も、なんだかテーマがまとまらなくて……」と困ったように呟いた。
集中して書き進めていたはずの空気が、少しずつ停滞し始めた。
そんな僕たちの様子に、入野さんが立ち上がった。
「みんな、ちょっと休憩しない? 外のピアノ、弾いてみない? あれ、福田先輩のおばあちゃんが昔使ってたんだって~!」
入野さんは、庭の片隅に置かれた古いアップライトピアノを指差した。
「ピアノ……?」
宝条が興味深そうに目を向ける。
「そう!なんか、弾いてみたら気分転換になるんじゃないかなーって!」
入野さんは、そう言うと楽しそうにピアノの蓋を開けた。古くて少し黄ばんだ鍵盤を、彼女の指が滑る。ぎこちない音色だが、どこか楽しそうに、メロディーを奏で始めた。
その音色に、僕たちは自然とピアノの周りに集まった。
「うわー、すっごい懐かしい音だね!」
一文字さんが感嘆の声を漏らす。
「やっぱ、難しいねー、これ。宝条、なんか得意なの?」
入野さんが宝条に尋ねる。
「俺? 俺はバスケしかしてこなかったから、こういうのは全然。でもさ、上手くいかない時って、むしろチャンスじゃね?」
宝条が、意外にも真剣な表情で言った。
「バスケも、上手くいかない時の方が、どうすればいいか、色々考えるだろ?諦めずに粘り強く挑戦し続けるのが、大事なんだよ。そしたら、いつか絶対に、壁は越えられるから。」
その言葉に、僕はハッとさせられた。
元バスケ部エースだった宝条の言葉には、重みがあった。
「……宝条、いいこと言うね!」
入野さんが、そう言って宝条の肩を叩く。
僕たちは、入野さんのピアノの音色と、宝条の言葉に励まされ、もう一度、それぞれの執筆へと戻っていった。
夕食前、僕たちは各自が書いた小説の進捗を発表することになった。
「みんな、どうだった?少しでも書けたかな?」
福田先輩が、優しい声で尋ねる。
「僕は、なんとかプロットを完成させられました。あとは、ひたすら書くだけです。」
僕はそう言って、ノートを見せる。
宝条は、スケッチブックに、小説のイメージイラストを描きながら、ストーリーの骨組みを話してくれた。
「俺は、バスケの試合で怪我をした主人公の話を書こうと思ってる。…で、なんか、その主人公が、絵を描くことでまた新しい自分を見つける、みたいな。」
宝条の発表に、みんなが感心したように頷く。
入野さんは、まだ書き始めていないようだったが、朗読イベントで読んだ『おおきな木の物語』の続編を書いてみたいと、楽しそうに話してくれた。
「平岡くんの朗読、よかったから、続き、読んでみたいと思ったんだー!」
入野さんの言葉に、僕は嬉しさがこみ上げてきた。
それぞれが発表し、意見を交換する。
「もっとこうしたら、面白いんじゃないか?」
「そのキャラクターの気持ち、もっと具体的に書いたらどうかな?」
励まし合い、時には真剣な議論を交わすうちに、部活の絆が深まっていくのを感じた。
僕は、皆の意見を聞くうちに、自分の夏祭りの物語にも、新たな光を見つけた。
孤独な少年が、夏祭りの夜に特別な出会いをする物語。
その出会いの後に、彼はどう変わっていくのか。その変化を、もっと丁寧に描きたい。
入野さんとの出会いが、僕を変えてくれたように。
夕食と入浴を済ませ、僕たちは縁側に出ていた。夜の帳が降り、あたりには虫の声だけが響いている。
電気を消すと、そこには満天の星空が広がっていた。
都会では決して見ることのできない、無数の星々が、僕たちを優しく見守ってくれているようだ。
「うわー、すっげぇ……。」
誰からともなく、感嘆の声が漏れる。
僕たちは、ただ静かに、夜空を見上げていた。
一文字さんが「なんか、この星の数みたいに、夢とか希望ってたくさんあるんだね」と呟いた。
その言葉に、みんながそれぞれの思いを語り始める。
「私、将来は美容師になりたくて。たくさんの人のおしゃれを手伝いたいな!」
入野さんは、満面の笑顔で言った。
宝条は、「俺は、プロの画家になって、自分の絵で人を感動させたい」と、珍しく真剣な口調で語る。
僕は、みんなの言葉に、静かに耳を傾けた。
(僕の夢は、なんだろう……)
星空の下、僕は、心の中で自問自答する。
「…僕は、みんなの心を動かすような物語を書きたい。それが、僕の夢です。」
僕がそう言うと、入野さんが「いい夢だね、平岡っち!」と微笑んでくれた。
みんなで夢や希望、これからのことを語り合う時間は、かけがえのないものだった。
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