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疑惑の霊厳洞
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新免武蔵が、晩年熊本に向かい、彼の唯一となる兵法書『五輪書』を記したのは有名な逸話である。
この書は国内のみならず、海外でも翻訳されており、前章で記述したとおり、
「我が道を伝えるに、入門誓約等を好まない」
という武蔵の精神を400年近く経った現代日本どころか、さらに国境を越えて体現しているのだから驚きだ。
それも武道家やスポーツマンならばともかく、むしろ世界を股にかけるビジネスマンに愛読されるという奇妙な側面を持つ。
その理由は、不敗神話を持つ伝説的な兵法家の言葉であるのと同時に、
「時代を超えた普遍的な戦略・哲学」
と解釈され、特に欧米のビジネス層に競争社会を生き抜く知恵として受け入れられたためである。
そんなとんでもない兵法書を武蔵はどこで書いたのか……それは、熊本市の西方、金峰山山麓にある雲巌禅寺の裏山に位置する洞窟の『霊厳洞』とされており、熊本市の公式サイトでもそのように紹介されている。
その根拠は彼の記した五輪書にある以下の文に由来する。
「寛永二十年(1643)の十月上旬頃、九州肥後の地にある岩戸山に登り、天を拜し、観音に礼をして仏前に向った」
「これから書を記すに仏法や儒道の古い言葉を借りたり、軍記軍法の古い事例を用いたりはせず、我が流派の思想や真実を明らかにし、天道と観世音を鑑みて、十月十日の夜、寅の一天に筆を執って書き始めた」
これらの文中にある『岩戸山』という名称と霊厳洞内に安置されている観音像の『岩戸観音』から、
「武蔵は、霊厳洞で五輪書を記した」
という説が定着したのだ。
確かにこの場所は静謐な空気に満たされており、特に雲巌禅寺から霊巌洞に至る岩山を削った細道にある有名な五百羅漢は、熊本の商人渕田屋儀平が、24年の歳月をかけて奉納したと言われ、姿や表情が異なる石仏群が、より神秘的な世界を醸し出している。
しかし、ここで私の捻くれた性がまた疼きだした。
邪馬台国の所在や卑弥呼の真実、さらにはゴッホの死の真相など、世間で定説とされている事柄を疑い、真相を知りたがる癖である。
武蔵が、岩戸山に登ったことに霊感を受け、五輪書を書いたということは事実だろう。
但し、その後霊厳洞に籠ったという事柄はどこにも書かれていない。
おそらく、これは武蔵が生前によく描いていた達磨の絵、つまり、『達磨大使』の逸話からの連想と思う。
本来、達磨とは単なるマスコットではなく、5世紀後半から6世紀前半に実在した中国禅宗開祖のインド人仏教僧である。
彼は、中国各地にて禅の精神を布教した後に揚子江を渡って崇山少林寺に辿り着き、その裏山の洞窟にて壁に向かい、なんと9年間坐禅を続け、悟りを開いたとされている。
その際、あまりにも長い時間座禅を組み過ぎたため、手足が腐り落ち、我々が良く知る現代のダルマの形になったとされているのだが、おそらくこの逸話と武蔵を関連付けた結果、昨今の霊厳洞に籠り、五輪書を記したという逸話が完成したのだろう。
こう考えた時、武蔵は本当に霊厳洞に来たことがあるのか……そんなことすら私は疑い始めてしまったのだ。
執筆には当然長い時間がかかる。
実際彼は、1643年10月10日から開始したのに、晩年となる1645年6月の時点でも五輪書は完成しておらず、草案の段階で愛弟子の寺尾孫之丞に渡されたのだから、こんな洞窟に延々と籠り続けていたはずがない。
武蔵は、肥後熊本藩初代藩主である細川忠利に熊本城下の千葉城屋敷を与えられたとされているため、岩戸山に登った後は、当然そこに戻ってから執筆を開始したと思われるが、実のところ私が興味を持ったのは、彼がどこで五輪書を記したかではない。
天衣無縫の武蔵に対し、地、水、火、風、空に準えた書を書かせるほどに霊感を与えた場所はどこなのか……という点である。
五輪書によると、武蔵は長年修行したことを初めて書き記そうと思い立ち、そのために岩戸山に登ったとあるが、その視点からみると霊厳洞は、私にはイマイチ物足りないのだ。
ちなみに前述の五百羅漢は、武蔵没後150年以上経ってからの産物であるため、五輪書とは無縁である。
この他にも私がそのように考えた根拠として、彼は10月上旬に岩戸山に登り、数日経ってから10月10日に書き始めたという文がある。
霊厳洞のある金峰山は、武蔵が住んでいた千葉城から約11キロメートルの場所であり、標高もせいぜい700メートル弱ということで、徒歩なら一般人でも宿泊して2日、馬などを使えば、1日で往復できてしまうだろう。
そんな近場の緩やかな場所が、彼にそこまでの影響を与えたとは思えないし、登山後4~7日ほどかけてから執筆を開始したという記述についても、どうにも納得いかないのだ。
この時点で私の中では、岩戸山=金峰山=霊厳洞とは考えられなくなり、彼のいう岩戸山は別にあるのではないかという考えが芽生えた。
しかし、決定的な根拠はないため、悶々としながら過ごしていたのだが、そんな時に偶然にも熊本へ出張する仕事ができた。
いつかは、武蔵終焉の地へ訪れたいと願っていた私は、興奮を抑えきれず、今一度五輪書を見返してみた結果、雷に打たれたように気づいてしまったのである。
武蔵に五輪書を書かせるきっかけを与えた真の岩戸山とはどこなのか……
その真実を次章に示す。
この書は国内のみならず、海外でも翻訳されており、前章で記述したとおり、
「我が道を伝えるに、入門誓約等を好まない」
という武蔵の精神を400年近く経った現代日本どころか、さらに国境を越えて体現しているのだから驚きだ。
それも武道家やスポーツマンならばともかく、むしろ世界を股にかけるビジネスマンに愛読されるという奇妙な側面を持つ。
その理由は、不敗神話を持つ伝説的な兵法家の言葉であるのと同時に、
「時代を超えた普遍的な戦略・哲学」
と解釈され、特に欧米のビジネス層に競争社会を生き抜く知恵として受け入れられたためである。
そんなとんでもない兵法書を武蔵はどこで書いたのか……それは、熊本市の西方、金峰山山麓にある雲巌禅寺の裏山に位置する洞窟の『霊厳洞』とされており、熊本市の公式サイトでもそのように紹介されている。
その根拠は彼の記した五輪書にある以下の文に由来する。
「寛永二十年(1643)の十月上旬頃、九州肥後の地にある岩戸山に登り、天を拜し、観音に礼をして仏前に向った」
「これから書を記すに仏法や儒道の古い言葉を借りたり、軍記軍法の古い事例を用いたりはせず、我が流派の思想や真実を明らかにし、天道と観世音を鑑みて、十月十日の夜、寅の一天に筆を執って書き始めた」
これらの文中にある『岩戸山』という名称と霊厳洞内に安置されている観音像の『岩戸観音』から、
「武蔵は、霊厳洞で五輪書を記した」
という説が定着したのだ。
確かにこの場所は静謐な空気に満たされており、特に雲巌禅寺から霊巌洞に至る岩山を削った細道にある有名な五百羅漢は、熊本の商人渕田屋儀平が、24年の歳月をかけて奉納したと言われ、姿や表情が異なる石仏群が、より神秘的な世界を醸し出している。
しかし、ここで私の捻くれた性がまた疼きだした。
邪馬台国の所在や卑弥呼の真実、さらにはゴッホの死の真相など、世間で定説とされている事柄を疑い、真相を知りたがる癖である。
武蔵が、岩戸山に登ったことに霊感を受け、五輪書を書いたということは事実だろう。
但し、その後霊厳洞に籠ったという事柄はどこにも書かれていない。
おそらく、これは武蔵が生前によく描いていた達磨の絵、つまり、『達磨大使』の逸話からの連想と思う。
本来、達磨とは単なるマスコットではなく、5世紀後半から6世紀前半に実在した中国禅宗開祖のインド人仏教僧である。
彼は、中国各地にて禅の精神を布教した後に揚子江を渡って崇山少林寺に辿り着き、その裏山の洞窟にて壁に向かい、なんと9年間坐禅を続け、悟りを開いたとされている。
その際、あまりにも長い時間座禅を組み過ぎたため、手足が腐り落ち、我々が良く知る現代のダルマの形になったとされているのだが、おそらくこの逸話と武蔵を関連付けた結果、昨今の霊厳洞に籠り、五輪書を記したという逸話が完成したのだろう。
こう考えた時、武蔵は本当に霊厳洞に来たことがあるのか……そんなことすら私は疑い始めてしまったのだ。
執筆には当然長い時間がかかる。
実際彼は、1643年10月10日から開始したのに、晩年となる1645年6月の時点でも五輪書は完成しておらず、草案の段階で愛弟子の寺尾孫之丞に渡されたのだから、こんな洞窟に延々と籠り続けていたはずがない。
武蔵は、肥後熊本藩初代藩主である細川忠利に熊本城下の千葉城屋敷を与えられたとされているため、岩戸山に登った後は、当然そこに戻ってから執筆を開始したと思われるが、実のところ私が興味を持ったのは、彼がどこで五輪書を記したかではない。
天衣無縫の武蔵に対し、地、水、火、風、空に準えた書を書かせるほどに霊感を与えた場所はどこなのか……という点である。
五輪書によると、武蔵は長年修行したことを初めて書き記そうと思い立ち、そのために岩戸山に登ったとあるが、その視点からみると霊厳洞は、私にはイマイチ物足りないのだ。
ちなみに前述の五百羅漢は、武蔵没後150年以上経ってからの産物であるため、五輪書とは無縁である。
この他にも私がそのように考えた根拠として、彼は10月上旬に岩戸山に登り、数日経ってから10月10日に書き始めたという文がある。
霊厳洞のある金峰山は、武蔵が住んでいた千葉城から約11キロメートルの場所であり、標高もせいぜい700メートル弱ということで、徒歩なら一般人でも宿泊して2日、馬などを使えば、1日で往復できてしまうだろう。
そんな近場の緩やかな場所が、彼にそこまでの影響を与えたとは思えないし、登山後4~7日ほどかけてから執筆を開始したという記述についても、どうにも納得いかないのだ。
この時点で私の中では、岩戸山=金峰山=霊厳洞とは考えられなくなり、彼のいう岩戸山は別にあるのではないかという考えが芽生えた。
しかし、決定的な根拠はないため、悶々としながら過ごしていたのだが、そんな時に偶然にも熊本へ出張する仕事ができた。
いつかは、武蔵終焉の地へ訪れたいと願っていた私は、興奮を抑えきれず、今一度五輪書を見返してみた結果、雷に打たれたように気づいてしまったのである。
武蔵に五輪書を書かせるきっかけを与えた真の岩戸山とはどこなのか……
その真実を次章に示す。
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