38 / 110
2章:王の胎動
26話:別れの前に
しおりを挟む
荒い息が多少収まり、今はベッドの中で静かに抱き合ったまま。ユリエルは温かく逞しい腕の中で瞳を閉じ、離れがたい気持ちに襲われていた。
「痛い思いをさせてすまない」
「構わないと言ったでしょ? エトワール、もう少し」
こうしていたい。
声にしない言葉を察してくれたのか、エトワールは少し強く抱きしめる。こうして肌を合わせていられればいい。互いにそれを思っても口には出さない様子だった。
「リューヌ、何か語ってくれないか? 悲恋ではない、恋人の話を」
乞われ、ユリエルは腕の中で瞳を閉じる。あまりに幸せな話は思い浮かばなかった。けれど一つ、古い話が浮かんできた。
「天女地上に舞い降りたるは、出会いを求め恋を拾いに来たから。男は天女を見初めると、百夜通って彼の女性の心を手に入れた。気持ちを受け、天女は男に真の恋をした。だが、所詮は住まう場所の違う者。時が過ぎ、天女は天界へと戻されてしまった」
「それでは悲恋ではないか」
天界に連れ戻され、離れ離れになった二人。それはまるで今の二人のようだ。だが、ユリエルは柔らかく笑う。そして囁くように、続きを語った。
「天女は地上へと渡る羽を切られ、二度と地上へは降りられぬようになった。だが、想いは募るばかり。心苦しく涙を流す彼女を見かねた天人たちは、彼女に一枚の衣を渡した。それは今ひとたび、地上に降りても戻れぬ衣。だが、彼女に迷いはしなかった。衣を纏い、飛べるとも分からないのに天から飛び降りた。だがそれは不思議と、愛しい男の元へと連れていった。そして二人は、地上で離れる事無く幸せに暮らしたそうです」
声は止まる。ユリエルは普段あまりこうした話をしない。信じていなかったからだ。変わらぬ気持ち、募る想いなど。愛を知らぬままに育ったユリエルは人の心が変わりやすい事を知っていた。口は嘘をつくことも。
だが今、ここに至ってそれは違うのではないかと思った。時にはあるのかもしれない。変わらないかは分からないが、変らずにいたいと願う事。変わらぬ努力をすることを。この話の二人はしたのだろう、想いを変えぬ努力を。
「貴方は私を想い、遠く離れても私の身を案じてくださいますか?」
真剣な眼差しでユリエルは問いかけた。それに、エトワールも確かに頷いた。そしてエトワールも、ユリエルに問いかけた。
「君は俺が帰ってくるまで、待っていてくれるか?」
ユリエルもそれに、静かに頷いた。
「今宵は」
「共にありましょう。少ない時を、分かち合いましょう」
そう言って、二人は再び瞳を閉じて、寄り添うように眠った。残り少ない時間を共有するように。
◆◇◆
それから、更に一カ月が過ぎた。タニスは相変わらず、ユリエルにとってやりづらい状態が続いていた。だがそれでも、更に数人の不正を暴き裁判にかけ、王宮から追い出す事に成功していた。
だが、一つ気がかりがあった。ルルエに送った親書の答えが返ってこないのだ。それだけがずっと気になっていた。
「陛下、難しい顔をなさっておりますね」
クレメンスが言うのに、ユリエルは苦笑するしかなかった。
その時、廊下を慌ただしく走る音がした。そしてその足音の主はノックもせずに扉を開けて、雪崩れ込むようにユリエルの前に出た。
「陛下、大変です! ルルエから」
その言葉に、ユリエルは身を硬くして入ってきたグリフィスの手から手紙を受け取った。それは赤い封筒に入れられている。それが意味する事を、ユリエルは知っていた。
震えながら、ユリエルは封を切る。そして中身を確かめて、深く瞳を閉じた。
「グリフィス、ラインバール平原に急使を送り警戒を最高レベルに引き上げるように伝えろ。クレメンス、使える大型兵器の整備と備蓄の確保。二人は他にも部隊の編制と兵の招集をかけてください。後、ロアールに戦えない兵に青紙を送るように言っておいてください」
「陛下……」
緊張と不安が入り混じる視線を受け、ユリエルは静かに頷いた。とても悲しく、苦しい思いのまま。
『ルルエ国はジョシュ将軍の仇を討つべく、戦の構えを崩さない。共存の道はない』
それは、ルルエからの宣戦布告だった。
かくして王都奪還より数か月、兵の疲弊も癒え切らない中、更に過酷な戦へと事態は発展していったのであった。
「痛い思いをさせてすまない」
「構わないと言ったでしょ? エトワール、もう少し」
こうしていたい。
声にしない言葉を察してくれたのか、エトワールは少し強く抱きしめる。こうして肌を合わせていられればいい。互いにそれを思っても口には出さない様子だった。
「リューヌ、何か語ってくれないか? 悲恋ではない、恋人の話を」
乞われ、ユリエルは腕の中で瞳を閉じる。あまりに幸せな話は思い浮かばなかった。けれど一つ、古い話が浮かんできた。
「天女地上に舞い降りたるは、出会いを求め恋を拾いに来たから。男は天女を見初めると、百夜通って彼の女性の心を手に入れた。気持ちを受け、天女は男に真の恋をした。だが、所詮は住まう場所の違う者。時が過ぎ、天女は天界へと戻されてしまった」
「それでは悲恋ではないか」
天界に連れ戻され、離れ離れになった二人。それはまるで今の二人のようだ。だが、ユリエルは柔らかく笑う。そして囁くように、続きを語った。
「天女は地上へと渡る羽を切られ、二度と地上へは降りられぬようになった。だが、想いは募るばかり。心苦しく涙を流す彼女を見かねた天人たちは、彼女に一枚の衣を渡した。それは今ひとたび、地上に降りても戻れぬ衣。だが、彼女に迷いはしなかった。衣を纏い、飛べるとも分からないのに天から飛び降りた。だがそれは不思議と、愛しい男の元へと連れていった。そして二人は、地上で離れる事無く幸せに暮らしたそうです」
声は止まる。ユリエルは普段あまりこうした話をしない。信じていなかったからだ。変わらぬ気持ち、募る想いなど。愛を知らぬままに育ったユリエルは人の心が変わりやすい事を知っていた。口は嘘をつくことも。
だが今、ここに至ってそれは違うのではないかと思った。時にはあるのかもしれない。変わらないかは分からないが、変らずにいたいと願う事。変わらぬ努力をすることを。この話の二人はしたのだろう、想いを変えぬ努力を。
「貴方は私を想い、遠く離れても私の身を案じてくださいますか?」
真剣な眼差しでユリエルは問いかけた。それに、エトワールも確かに頷いた。そしてエトワールも、ユリエルに問いかけた。
「君は俺が帰ってくるまで、待っていてくれるか?」
ユリエルもそれに、静かに頷いた。
「今宵は」
「共にありましょう。少ない時を、分かち合いましょう」
そう言って、二人は再び瞳を閉じて、寄り添うように眠った。残り少ない時間を共有するように。
◆◇◆
それから、更に一カ月が過ぎた。タニスは相変わらず、ユリエルにとってやりづらい状態が続いていた。だがそれでも、更に数人の不正を暴き裁判にかけ、王宮から追い出す事に成功していた。
だが、一つ気がかりがあった。ルルエに送った親書の答えが返ってこないのだ。それだけがずっと気になっていた。
「陛下、難しい顔をなさっておりますね」
クレメンスが言うのに、ユリエルは苦笑するしかなかった。
その時、廊下を慌ただしく走る音がした。そしてその足音の主はノックもせずに扉を開けて、雪崩れ込むようにユリエルの前に出た。
「陛下、大変です! ルルエから」
その言葉に、ユリエルは身を硬くして入ってきたグリフィスの手から手紙を受け取った。それは赤い封筒に入れられている。それが意味する事を、ユリエルは知っていた。
震えながら、ユリエルは封を切る。そして中身を確かめて、深く瞳を閉じた。
「グリフィス、ラインバール平原に急使を送り警戒を最高レベルに引き上げるように伝えろ。クレメンス、使える大型兵器の整備と備蓄の確保。二人は他にも部隊の編制と兵の招集をかけてください。後、ロアールに戦えない兵に青紙を送るように言っておいてください」
「陛下……」
緊張と不安が入り混じる視線を受け、ユリエルは静かに頷いた。とても悲しく、苦しい思いのまま。
『ルルエ国はジョシュ将軍の仇を討つべく、戦の構えを崩さない。共存の道はない』
それは、ルルエからの宣戦布告だった。
かくして王都奪還より数か月、兵の疲弊も癒え切らない中、更に過酷な戦へと事態は発展していったのであった。
0
あなたにおすすめの小説
Take On Me
マン太
BL
親父の借金を返済するため、ヤクザの若頭、岳(たける)の元でハウスキーパーとして働く事になった大和(やまと)。
初めは乗り気でなかったが、持ち前の前向きな性格により、次第に力を発揮していく。
岳とも次第に打ち解ける様になり…。
軽いノリのお話しを目指しています。
※BLに分類していますが軽めです。
※他サイトへも掲載しています。
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
完結・オメガバース・虐げられオメガ側妃が敵国に売られたら激甘ボイスのイケメン王から溺愛されました
美咲アリス
BL
虐げられオメガ側妃のシャルルは敵国への貢ぎ物にされた。敵国のアルベルト王は『人間を食べる』という恐ろしい噂があるアルファだ。けれども実際に会ったアルベルト王はものすごいイケメン。しかも「今日からそなたは国宝だ」とシャルルに激甘ボイスで囁いてくる。「もしかして僕は国宝級の『食材』ということ?」シャルルは恐怖に怯えるが、もちろんそれは大きな勘違いで⋯⋯? 虐げられオメガと敵国のイケメン王、ふたりのキュン&ハッピーな異世界恋愛オメガバースです!
大嫌いだったアイツの子なんか絶対に身籠りません!
藤吉めぐみ
BL
国王の妾の子として、宮廷の片隅で母親とひっそりと暮らしていたユズハ。宮廷ではオメガの子だからと『下層の子』と蔑まれ、次期国王の子であるアサギからはしょっちゅういたずらをされていて、ユズハは大嫌いだった。
そんなある日、国王交代のタイミングで宮廷を追い出されたユズハ。娼館のスタッフとして働いていたが、十八歳になり、男娼となる。
初めての夜、客として現れたのは、幼い頃大嫌いだったアサギ、しかも「俺の子を孕め」なんて言ってきて――絶対に嫌! と思うユズハだが……
架空の近未来世界を舞台にした、再会から始まるオメガバースです。
皇帝に追放された騎士団長の試される忠義
大田ネクロマンサー
BL
若干24歳の若き皇帝が統治するベリニア帝国。『金獅子の双腕』の称号で騎士団長兼、宰相を務める皇帝の側近、レシオン・ド・ミゼル(レジー/ミゼル卿)が突如として国外追放を言い渡される。
帝国中に慕われていた金獅子の双腕に下された理不尽な断罪に、国民は様々な憶測を立てる。ーー金獅子の双腕の叔父に婚約破棄された皇紀リベリオが虎視眈々と復讐の機会を狙っていたのではないか?
国民の憶測に無言で帝国を去るレシオン・ド・ミゼル。船で知り合った少年ミオに懐かれ、なんとか不毛の大地で生きていくレジーだったが……彼には誰にも知られたくない秘密があった。
後天性オメガは未亡人アルファの光
おもちDX
BL
ベータのミルファは侯爵家の未亡人に婚姻を申し出、駄目元だったのに受けてもらえた。オメガの奥さんがやってくる!と期待していたのに、いざやってきたのはアルファの逞しい男性、ルシアーノだった!?
大きな秘密を抱えるルシアーノと惹かれ合い、すれ違う。ミルファの体にも変化が訪れ、二次性が変わってしまった。ままならない体を抱え、どうしてもルシアーノのことを忘れられないミルファは、消えた彼を追いかける――!
後天性オメガをテーマにしたじれもだオメガバース。独自の設定です。
アルファ×ベータ(後天性オメガ)
黒とオメガの騎士の子育て〜この子確かに俺とお前にそっくりだけど、産んだ覚えないんですけど!?〜
せるせ
BL
王都の騎士団に所属するオメガのセルジュは、ある日なぜか北の若き辺境伯クロードの城で目が覚めた。
しかも隣で泣いているのは、クロードと同じ目を持つ自分にそっくりな赤ん坊で……?
「お前が産んだ、俺の子供だ」
いや、そんなこと言われても、産んだ記憶もあんなことやこんなことをした記憶も無いんですけど!?
クロードとは元々険悪な仲だったはずなのに、一体どうしてこんなことに?
一途な黒髪アルファの年下辺境伯×金髪オメガの年上騎士
※一応オメガバース設定をお借りしています
鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる
結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。
冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。
憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。
誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。
鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる