恋愛騎士物語4~孤独な騎士のヴァージンロード~

凪瀬夜霧

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4章:リッツ・ベルギウス失踪事件

2話:ベルギウス家の優雅な晩餐(リッツ)

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 晩餐の日、予定の時間よりも三〇分は早くリッツは実家へと到着した。それというのも商人の父は時間にとても厳しいのだ。

 リッツの父、アラステア・ベルギウスは外見的にはニコニコしている。だが腹の底では損益勘定がかなりある。どちらにつくのが今後の利益になるのか、それを考える人だ。
 だが同時に働いてくれる従業員に対しては寛大で、不正にはもの凄く厳しい。厳格であると同時に慈悲深い一面もある。総じて読めない人だ。

「お帰りなさいませ、リッツ坊ちゃま。旦那様はまだですが、キャロラインお嬢様はお戻りですよ」
「ただいま。これ、お土産ね。姉貴は談話室かな?」
「有り難うございます。お嬢様は談話室ですが、ご案内いたしますか?」
「あぁ、いいよ。自分で行く」

 長年仕えてくれている執事にお土産のレッグチキンを渡す。下町にあるビル爺さんの所の肉だが、アラステアはこれが思いのほかお気に入りなのだ。一瞬「買収」とか不穏な事を言ったが、職人を困らせないでくれとリッツが言うと「そうだな」と身を引いてくれた。
 正直、ヒヤヒヤしたのだ。

 本邸に足を運ぶのは久しぶりだが、懐かしいというよりも緊張感がある。いい思いでもあるのだが、大人になってからはちょっとしんどい事もおおかった。
 そうして談話室につくと、リッツに少し似ている髪色と瞳の女性が、既にワインを片手にしていた。

「あら、リッツじゃない。久しぶりね」
「キャロル姉貴も久しぶり。旦那と上手くいってるわけ?」

 とても砕けた感じで問いかけると、リッツの姉キャロラインは満面の笑みで頷いた。

 二年程前に同じ商人の男の元に嫁いだ姉キャロラインは、元からの活発な性格を生かして今も商売をしている。主に女性目線での商品の開発がメインで、健康食品の輸入や化粧品の開発をしている。
 旦那も生粋の商人なので、キャロラインの商品を売り込んだりしながら商売をしているそうだ。王都でも話をきく。
 唯一の悩みは子宝に恵まれない事らしいが、お互い忙しくしているのだから仕方がないだろう。

「あんたは順調そうね、リッツ。甘ったれのあんたが意外な商才を持ってたって、旦那や父さんと話してるのよ」
「どうせ俺は甘ったれだよ」

 ふて腐れて向かい側に座れば、すかさずワインが注がれる。それを飲み込み、リッツは子供みたいにふてくされた。

「まぁ、いいことじゃない。独立して家を出るなんて言い出した時には、本当に驚いたけれどね」
「軌道に乗るまでは血反吐吐く思いだったよ。親父からは突き上げにあうしさ。あの笑顔を見るのがもの凄く怖かった」
「それでも台頭するまで待ってくれたじゃない」
「まぁ、それは意外だった」

 当時を思い出して、リッツは苦笑した。
 アラステアは従業員には優しいのだが、一方で家族には厳しい。リッツは胡散臭い笑顔のままに散々に罵られた。無能と言われた事は数知れず、甘いと言われるのは数時間おきだったこともある。
 それでも自分のやり方は変えたくなかったし、このやり方で父を見返してやりたかった。それが今、かなっている。

 独立した当時、リッツは資金をアラステアに借りた。無期限無利子という無茶な条件でだ。
 当然通らなかったが、取り立てを十年待ってくれる事にはなった。その間に結果を出せなければ家に帰って返済しろという。
 ここでチャラにしないのがやっぱり父だ。そしてリッツはちゃんとその間に返済したのだった。

「とろろで、今日なんの集まりかあんた聞いてる?」

 ワインを飲みつつチラリとこちらを見るキャロラインに、リッツは首を竦めて苦笑する。その様子に目の前の彼女は溜息をついた。

「やっぱり?」
「表向きは久々に家族で食事がしたいだろ?」
「それを信じるわけ?」
「まさか。誰かがなにかしたのかな?」

 溜息をつくリッツはドキドキだ。最近父から何かを言われた事はないが、時々食事会と称して集められて微妙な圧力や爆弾を落とされる事がある。普段言わない分だけ、こういう時は怖いのだ。

「私はすこぶる順調よ」
「俺も順調だよ」
「そうなると兄さんね。次は何をやらかしたのやら」

 溜息をつき、一気にワインを飲み干すキャロラインにリッツは苦笑する。そしてひっそりと溜息をついた。

 リッツの兄フランクリン・ベルギウスは、いい意味では慎重、悪い意味では几帳面な人物だ。大胆な事は出来ない小心な性分で、マニュアル通りというやつだ。
 こういう人だって商売に向いていないとは言えない。厳格に手堅く商売をするにはこの手の人がいいんだろうと思う。
 ただ、父アラステアとはあまり相性がよくない。というよりは、父が鬼才なんだろう。父曰く、「大胆さが足りないし、人間観察が足りない」ということらしい。
 そしてリッツにとって一番気を使う部分だ。リッツ自身は家を継がないと宣言して家を出て独立したのだが、兄としてはいつ弟が下克上するか分からない。
 昔は静かながらも面倒を見てくれた兄が大人になってリッツを避け始めたのは、人懐っこいリッツにとっては悲しい事だった。

「あんたも苦労するわね」
「俺も女の子になりたいな。彼氏にお願いして、養子にでもしてもらえないかな?」
「あら、一人に絞ったの?」
「うん。すっごく幸せだよ」

 ふと浮かんだグリフィスの顔を思い浮かべると、自然と笑みが浮かぶ。荒っぽいのだろうし、ぶっきらぼうな所はある。けれど優しいし、たまに照れたりすると可愛いと思う事もある。何より夜の相性がすこぶるいい。
 グリフィスと付き合うようになってより商売は上手くいくようになった。性欲で悶々とする事がなくなり、安息日前日を楽しみに仕事に励むことができる。最近はグリフィスが来る日、ルフランが夕食を気合を入れて作るようになった。

「だらしない顔。寿退社じゃないけれど、そのうち貰ってもらったら?」
「本当に反対しないね、姉貴。普通彼氏がいますって言ったら止めるんじゃない?」
「あんたも父さんと同じ、決めたら譲らないんだから無駄よ。私、無駄な事はしない主義なの」

 それでもキャロラインはニヤリと笑い、素直に「おめでとう」と言ってくれた。


 約束の一〇分前には父アラステアと兄フランクリンが屋敷に戻り、程なく家族だけの食卓となったのだが……アラステアはやはり笑顔が怖い感じだった。
 キャラメル色のショートの髪に、青い瞳。見た目だけはとにかく若く、これで五〇代は詐欺だと思う。
 この外見を比較的受け継いでいるのがフランクリンだ。キャラメル色の髪に青い瞳で、眼鏡をかけている。物静かでやや俯く事が多い気がした。

「リッツは最近、随分頑張っているね」

 前菜を食べながら何気なく言われ、リッツは視線を上げる。そしてそれとなく笑みを浮かべた。

「たまたまだよ。それに相変わらずの慈善事業だろ?」
「お前なりの人心掌握に見えて来た。まぁ、甘いとは思うがね。顧客も増えたそうじゃないか」
「手堅くやってるし、無理はしてない。吊しはあまり作らずに完全オーダーだしね」
「評判が高くて、私も鼻が高いよ」

 ニッコリと言われて頷く。珍しく褒めるなと、やっぱり警戒がある。この人が他人を褒める時は、何か裏にある時だ。

「キャロラインは最近どうだい?」
「今まで通りよ。女性目線での商品開発やサービスを始めようとしているわ」
「それが当たるとは、正直思っていなかったんだがね」
「あら、お金を稼ぐのは男性だけれど、それを使うのは女性よ。当たらないわけがないわ」

 自信満々のキャロラインに苦笑するアラステアは満足そうにワインを飲み込む。そして視線をフランクリンへと移した。

「お前は最近、上手くいかないね」

 その言葉に、フランクリンはビクリと怯えたように震えた。また何かしらやらかしたのだろう。だからこそ顔を上げられないのだ。

「交渉に失敗して、大口を逃した。私の跡を継ぐなら、狙った商談を確実にものにしなければいけないと何度言ったら分かってくれるんだい?」
「申し訳、ありません」

 一瞬、ナイフを握る手に力が入ったように思えた。
 兄は父の厳しい英才教育を受けてきた。型にはまった経営手法をベースにしてきたぶん、想定外の事に弱い。そして優しい人なんだ。
 リッツが五歳になる前に母が病気が亡くなった。父は一年の大半を家にいなかった。そんな時、リッツを大事にしてくれたのが兄のフランクリンだった。
 夜に不安で泣くと一緒に寝てくれた。描いた絵を一番に褒めてくれたのも彼だった。商品にならない芸術に興味のない父を説得してこの趣味を続けさせてくれたのも、フランクリンの計らいがあったからだ。

 そんな兄が変わったのは、跡取りとして英才教育が始まってから。リッツを、避けるようになった。
 分かっている、同じ家に同じ男児として生まれたのだから、跡取り争いに巻き込まれる。フランクリンは後継者として必死に勉強していた。その中で、リッツの存在は微妙な引っかかりだったに違いない。

 だからこそリッツは早々に独立した。兄の脅威には、なりたくなかったのだ。

「マニュアルでは交渉は上手く行かないと、何度言ったんだろうね。相手を観察しつつその場の機転をきかせなければ思うような商談は取れない。こちらの要求ばかりを押し通そうとしても上手くはいかないんだよ」
「申し訳……」
「あの、さ。せっかく家族で集まったんだし、そういうの無しにしようよ」

 どんどん空気が悪くなる。それに耐えられなくなって、リッツは笑って遮った。
 一瞬、アラステアの冷たい視線を感じたがこれに怯んじゃいけない。あくまでも笑顔を崩さないのがいいのだ。

「それもそうだ。ところでリッツ、最近ジェームダルともやり取りがあるようだね」
「え? あぁ、うん。ランバートを通してあちらの陛下と少し知り合って……」
「ランバートか。彼とも仲良くやっているかい?」
「それは勿論」
「最近騎士団でも地位を上げている。このまま仲良くしておくんだよ」
「あぁ、うん」

 やっぱり、損益勘定だ。つまりアラステアにとってランバートは有益なパイプなのだ。
 友人をそんな風には見たくない。思うが、それを口にしても父には響かない。分かっているから、口には出さない。

「ジェームダルの新王と親しいのかい?」
「無償提供した服を気に入ってもらえて、その関係であちらの重臣の婚礼衣装を発注してもらったんだよ。まだ縁としては薄いけれど、これを気に入ってもらえればまた御用があるかもしれない」
「お前は本当に、意外な才能があったものだね」

 ニッコリと満足そうに笑ったアラステアは、ふと視線をフランクリンへと移した。

「フランクリン、お前しばらくリッツにつきなさい」
「え?」
「ちょ、親父!」

 虚を突かれたようなフランクリンが固まる。そしてリッツも驚きに声を上げた。
 だがアラステアは大真面目なのだろう。自分の考えが正しいと言わんばかりだ。

「リッツの持つ交渉力や観察眼を学んできなさい。お前、このままじゃ私の補佐は出来ても家を任せる事はできないよ」
「!」

 フランクリンの怯えた表情に、リッツも思わず睨み付ける。これでは兄が散々だ。プライドだって、ズタボロじゃないか。

「リッツ、ジェームダルへ向かうのはいつだい?」
「明後日にでも……」
「フランクリン、同行して見識を広めておいで。ついでに商売になりそうなものを見つけてくるといい。スパイスに関してはこちらも現在取引を開始したが、もっと面白いものが彼の国にはあるだろう」
「親父!」
「いいんだリッツ!」

 押し殺した声に、リッツの舌は止まる。そうしてリッツを見るフランクリンはとても弱い視線で笑った。

「出来の悪い兄で、申し訳ない。よろしく頼めるか?」
「兄貴……」

 こんなの、見たくない。けれどここで同行を断ったら、それこそフランクリンの立場がない。
 考えた挙げ句、リッツはこの申し出を受ける事にした。けれど心中はとても、複雑なものだった。

 その夜、実家に泊まることにしたリッツは寝付けずにいた。ずっと、晩餐の時のアラステアとフランクリンが気になっていた。
 胸の中がモヤモヤする。そんな状態で廊下を歩いていると、ふと父の私室から明かりが漏れていた。
 珍しい事だ。時刻は十一時を回っている。父は忙しくても食事と睡眠はしっかりと取っている。良い商談はベストなコンディションでなければできないという考えからだ。

 そっと中を覗くと、一人ソファーに深く座ってブランデーを舐めるように飲み、家族の肖像画を前に置いている。そしてとても、寂しそうな顔をしていた。
 肖像画には、家族の絵がある。多分、母が生きている最後の肖像画だ。五歳の自分と、兄と姉と父と。母の誕生日に毎年描いてもらっていたものだ。
 父と母は政略結婚だったらしい。父とは五つも離れていて、可愛らしいお嬢様だった。没落した彼女の家を援助する代わりの婚姻だったらしい。
 けれど父は母を愛していた。そして母も父を愛していた。母が亡くなった時、仕事人間だった父が一ヶ月も仕事を放棄したのだ。子供ながらに、苦しかった。
 その後はずっと、父は仕事に打ち込んでいた。けれど大事な時には必ず側にいて、子供の話は真剣に聞いてくれたのだ。

「リッツだね」
「!」
「おいで、たまには話そう」

 突然声をかけられて驚いたが、こうなっては逃げられない。そっと入って、ドアを閉めた。

 父はなんだか弱い顔をして肖像画を置いた。そしてリッツにもグラスを出し、酒を注いだ。

「親父、さっきのあれはさ!」
「分かっている」

 苦笑したアラステアは優しい顔をしている。それがとてもちぐはぐで、なんだか混乱させられる。

「兄貴を奮起させたいのかもしれないけど、追い詰めすぎだよ。あれじゃ兄貴が辛い」
「分かっている。けれど、今のままじゃあの子は家に潰されてしまう。私が厳しくしなければ、誰があれを育てられるんだい?」

 そんな風に言われたら、言葉に迷ってしまう。アラステアの言う事は間違ってもいないのだ。

 寂しそうに肖像画を見るアラステアは、ちょっと弱く見える。他人に見せることのない表情に不安がこみ上げてくる。何か、あったのだろうか。

「あの、さ」
「お前が継ぐと言うなら、さっさと任せてみるんだがね」
「継がないって言ったじゃないか」
「分かっている。お前を跡取りにとは考えていないさ。それでも、思ってしまう。フランクリンは少し丁寧に育て過ぎてしまったのかな。いい意味で素直だ。けれど、この世界はそれだけじゃ事が足りない」

 グラスの中身を僅かに舐めて、また考え込む。こんなアラステアは、初めて見た。

「これが普通の商売人なら、このままでいい。だがベルギウス家という家はそうはいかない。商業の流れを感じ読み取り、国内の物流が滞らないようにそれなりに監視していく必要がある。同時に極端な貧富は国を転覆させる。違法な流れも出来れば断ちたいが……ここはジョシュアなんかも関わるからね」

 「舵取りが難しい」と、アラステアは言う。リッツもそう思う。そして今のフランクリンでは、力が足りない事も。

「お前ぐらい頭の回転が速く、人間観察ができて機転が利けばいいんだけれどね」

 苦笑したアラステアは、それっきり黙ってしまう。その姿を、リッツはどこか気の毒に見てしまった。

「俺でよければ、兄貴を助けるよ」

 思わず言うと、アラステアは少し驚いて、次にククッと笑った。
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