恋愛騎士物語4~孤独な騎士のヴァージンロード~

凪瀬夜霧

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7章:邪神教連続誘拐殺人事件

2話:美しき被害者(ファウスト)

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 夜明け前の墓地に、それはまるで一つの作品のように存在した。

「これは、また……」

 霊廟が並ぶ一角に彼はいた。あつらえた白い衣服を纏い、血のように赤い薔薇を一輪胸の上に抱いた少年はまるで眠っているようだった。
 頬には赤みがあり、唇もふっくらとバラ色をして、髪は香油で梳かれていた。
 だが、少年の時は止まっている。雪のように白い肌は死化粧をしているだけで熱はない。
 そしてその少年を飾るように白い花が周囲を飾り、棺の中を思わせた。ご丁寧に枕までしているのだ。

 未明の見回りで神父が見つけたこの遺体を囲み、ファウスト、シウスは異様なものを感じていた。
 現在はエリオットが簡単な検死をしている。

「死因は失血死です。腕と、手首とに縄の跡があります。おそらく吊して、踝に穴を開けて血を抜いたのだと思います」
「全身か?」
「ほぼ。死亡後も抜いたのでしょう、その位軽いです。あと、死後に臓器を取っていますね。一つは心臓。そしてもう一つは右目です」

 衣服を脱がせ傷を確認し、丁寧に縫合された部分を開いたエリオットが言う。そして、閉じられている目も確認している。確かに閉じた右目だけ落ちくぼんで見える。

「まるで悪魔崇拝じゃ」
「悪魔崇拝?」

 聞き慣れない言葉にファウストは首を傾げる。三十年近く生きているが、そのような者達がいるという話を聞かない。本では読んだ事があるが。
 シウスは静かに頷く。そして、哀れな被害者に十字を切った。

「悪魔を崇拝し、生け贄を捧げる事で願いを叶えてもらう。そういう目的で怪しげな儀式をしていた時代があった。そうした者達が生け贄に好むのが、血や心臓じゃ」
「本では読んだ事があるが、聞いたことがないぞ」
「当然ぞ。現在は教会が固く禁じており、犯せば罪となる。取り締まりも厳しい事から、今ではおいそれとそのような事をする者はおらぬ。こんな派手な事、しかも死体を教会の墓地に放置するなど、とても出来ぬのだよ」

 ではこの犯人は余程捕まらない自信があってこんな大胆な事をしたのか。

 何にしても、面倒な事がまた起ころうとしている。ランバートの事も心配だというのに、厄介な事が重なっていく。
 気苦労の絶えないファウストは溜息をつき、軽く頭を振った。


 未明の事件について墓地周辺の聞き込みや現場の痕跡を調べる事、犠牲となった少年の身元を調べる事などを師団長を呼んで分担し、部屋に戻ってきたのは起床時間くらいになっていた。

 部屋に入ると、ベッドの中でランバートが静かに眠っている。倒れたまま、結局一晩寝倒している。
 側に寄って髪に触れた。汗ばんでいたり、寝苦しい様子もない。気持ち良さそうに隣で眠っている。
 それでもあんな事があった直後だから、一人にする気にはなれなかった。

 触れていると不意に身じろぎ、やがて目を開ける。それにどれだけ安堵したか。もしかして目が覚めないかもしれないと、不安に思っていたのだ。

「おはよう」
「おはよう? あれ? 俺、どうしてファウストの部屋で寝てるんだ?」

 顔色も普通で、変わった様子はない。周囲を見回し、疑問そうにしている。

「えっと、ゼロス達と飲みに出かけたまでは覚えてるんだけどな。飲み過ぎて記憶飛んだか?」
「え?」

 考え込んでいるランバートの発言に、ファウストは言葉を無くした。彼の言葉に違和感があったからだ。

「ランバート、覚えてないのか?」
「え? 何を?」
「……お前、昨日人に会わなかったか?」

 まさかだ、そんなはずはない。ゼロスやチェスターの話からも、ランバートはその人物をちゃんと認識しているはずだ。記憶にないなんて、そんな筈はないんだ。
 だが、ランバートはとても疑問そうに考え込んでいる。本当に、本気で知らない表情だ。

「誰かに会ったかな? 覚えてない。こんな記憶にないほど飲むなんて……少し控えるか」
「……」

 昨日の今日だ、こいつが忘れるなんてあり得ない。ならば本当に記憶から抜けている。
 一体、ランバートの中で何が起こっているんだ。昨日の事といい、今日の様子といい、ファウストは言い知れぬ危機感を感じていた。


 その日の午前、ランバートに書類仕事を頼んだファウストは宰相府の執務室を訪ねていた。

「そうか……何やら根の深い話じゃ」

 ランバートの現状を伝えると、シウスも心配そうに腕を組んで考え込んだ。

「エリオットは、なんと言っておる」
「記憶から消したのかもしれないと。急な失神と、それに関わりそうな人物の記憶だけが抜け落ちている。精神的なストレスか、過去に何かがあってそこに触れそうなものを遮断しているのか。何にしてもこれ以上ストレスをかけないようにして、カウンセリングをすると」
「うむ……」

 深く頷いたシウスの表情は晴れないままだ。

「ラウルの時を思い出すの」
「記憶喪失の一件か」

 シウスは頷き、息をつく。あのことはシウスにとっては未だ消えない痛みのようで、語るも辛いという表情のままでいる。

「精神的ストレスによる記憶障害。ランバートにこれ以上何事もなければよいが、何が起こるか分からぬからな」
「怖い事を言うな。俺はあいつに忘れられたら……」

 そんな事になったら、どうなってしまう? 耐えられる訳がない。シウスのように耐え忍び、側にいる道など選べない。想像だけで、苦しくて息が出来ない。

「加えて今朝の事件じゃ。今回はランバートは不参加じゃな?」
「あぁ、そうする。ただでさえ猟奇的な事件だ、あいつの負担を増やしたくない。暫くは内勤を頼む事にする」
「そうさな、それがよい」
「本当はジョシュア様にお話を伺いたいのだが、時間が取れるか分からないな」
「ジョシュア様に?」

 シウスは疑問そうだが、ファウストは当然といった感じだ。あの人なら、何か知っているかもしれない。

「あの方が息子の事を把握していないなんて事はないだろう。今回の事、何か思い当たる事がないかを尋ねたかったんだ」
「なるほど。では、明日尋ねればよい」
「明日?」

 内政で忙しい重臣に、そう簡単にアポなど取れないだろう。
 だがシウスは苦笑して、「先程な」と意外な話をしてくれた。

「ジョシュア様と、もう一人意外な人がこちらにオファーを出した。私と、お前と、クラウルじゃ」
「意外な人?」
「コーネリウス・アイゼンシュタイン卿じゃ」
「コーネリウス様?」

 思いがけない名にファウストも問い返す。それだけ、コーネリウスが前に出る事は稀なのだ。

 現最高判事にして知の巨人。裁判所という迷宮の奥深くに住まい滅多に顔など出さないミノタウロスがわざわざこちらにアポを取るなんて、一体何の用事なのだろうか。

「どうやら、今朝の事件についてのようじゃ」
「過去、同じような事件を裁判所が扱ったのか?」
「それならば我が家のアーカイブが覚えておるよ。じゃが、今回の様な事例はヒットせなんだ」

 マーロウを指して言うシウスに、ファウストも頷く。彼はある意味変態で、書庫にあるものは書籍から議事録、過去の事件の捜査資料まで全てを把握している。同じような事例があればまず、彼に尋ねればヒットするのだ。

「おそらくじゃが、教会関係じゃ」
「教会? 例の黒魔術か?」
「おそらくな。これほど事件が大事となれば、騎士団が出るが自然じゃ。だが、教会も同じく事件を追って悪魔を滅せねばならぬ。連携を取りたいのやもしれぬ」

 アイゼンシュタイン家は歴代多くの教皇を排出している名家であり、公爵家。その現当主であるコーネリウスが代表で話を繋ぎにきた。そう考えるのは辻褄がある。
 だがそうなると、ジョシュアはどうして来るのだろうか?

「何やら複雑じゃ」

 溜息をついたシウスに同じく溜息をつくファウスト。
 その時、コンコンとノックの音が響いた。

「誰じゃ」
「ウルバスです。今朝の事件の被害者の身元が分かりました」

 事件の捜査を頼んでいたウルバスが入室し、丁寧に聞き取った調書をシウスに渡す。表情は疲れて、珍しく溜息をついている。

「被害者は上東地区にある教会の孤児で、ブライアンという少年です。年齢は十歳。一週間ほど前から行方が分からなくなり、探していたそうです」
「行方不明の届けは出ておらなんだが?」
「自立の為に仕事先を探していて、数日離れる事もあったそうです。今回もそれかと思っていましたが、流石に長すぎると探し始めていた所だったと」

 教会は出来るだけ早く子供を自立させたい。その為に多くは十四歳を過ぎると将来の仕事先を探しだす。だが、早い子だと自主的に十歳くらいで仕事先を探し出すものだ。おかしな事ではない。

「ますます、黒魔術じゃ。生け贄は穢れ無き者が好まれる。十歳では、普通は穢れはないわな」
「穢れ?」
「処女童貞を好むのだよ。性を知ると穢れとされる。悪魔も邪神も無垢な魂を好むそうじゃ」

 辟易といった様子のシウスにファウストも素直に頷く。隣のウルバスもまた、真剣に頷いていた。

「ウルバス、すまないが同じように失踪している教会の子供がいないかを調べておくれ。他にも生け贄が出ている可能性もある。年齢は十歳前後」
「分かりました」

 敬礼の後に出て行ったウルバスの背中を見送ったファウストは、ますます心労が増えたと大きな溜息をつくのだった。


▼ランバート

 今朝方あった事件の話はちらほら聞こえる。けれどファウストは内勤を言い渡して関わらせてはくれない。それは少し不満だ。
 それに、なんだか気が重たい。ソワソワもしていて落ち着かない。妙に眠い時もあって、珍しく居眠りをしてしまった。

 ファウストの部屋で待っていると、疲れた様子の彼が戻ってくる。

「おかえり」
「ただいま。平気か?」
「何が?」

 これも気になっている。今日は妙に気遣われるのだ。エリオットにも何故か呼び出されて、問診をしたし。定期的な問診と診察だからと言われ、事実基本的な事しかしていないけれど。

 気遣わしい目がこちらを見て、優しい手が頭を撫でる。どうしてこんな顔をするのか、ランバートには分からなかった。

「眠そうにしていたから、疲れているのかと思ってな。急に寒くなったから体がついていかないんだろう」
「平気だよ」

 違和感があるが、具体的には分からない。皆に気遣われる理由が分からない。
 ちょっとムッとして言えば、ファウストは苦笑して額にキスをして、着替えに向かってしまう。
 上着とシャツを脱いだ背中に、ランバートはピッタリと体を寄せた。

「どうした?」
「ん、少し寂しい気がしてさ」

 落ち着かないけれど、こうしていると安心もする。触れている体温が心地よく思える。

「ファウスト、少しだけ」
「だが」
「最近してない」

 素直に拗ねてみせれば、ファウストは穏やかに笑って振り向いて、しっかりと抱き寄せてくれる。その温かさに任せて身を寄せて、ランバートは微笑んでいた。

 ベッドに雪崩れ込んで、互いに誘うようなキスをした。黒い髪に指を梳き入れて抱き寄せるように。
 心得ている唇が肌の上を滑り、甘い疼きをくれる。ランバートも背を擽るように指を滑らせ腰骨の辺りを撫でた。

「んぅ」

 指が乳首を撫で、捏ねるとより気持ち良い痺れが体を疼かせる。もっと欲しくて、たまらない気持ちにする。

「ファウスト……」
「気持ちいいか?」
「んっ、とても」

 激しく求められるのも好きだけれど、こうした穏やかな時間も好き。互いに触れて確かめて進んでいく。
 大きくて、所々が硬い手が昂ぶりを優しく包み触れていく。ビリッと痺れて、自然と声が上がる。首にしがみついて、熱い吐息が漏れていく。期待に先走りが滲んで、ほんの少しいやらし音を立てている。

「そんなに欲しかったのか?」
「そう、かもっ」

 最近眠れない時もあった。誰かに縋りたい気持ちの時も多少はあった。きっと、気持ちが疲れていてファウストを求めてしまうんだ。
 だから今、補充している。体以上に心が満たされるのを知っている。もう何回も、何十回もこうして時を重ねてきたのだから。

 指がゆっくりと後孔へと伸びて、僅かに確かめるようにして触れる。節のある指が優しく中を解した。

――――ね

「!」

 ゾクッと背が冷たくなる。頭の中に響いた声は、誰?

――――んね

「あ……」

――ごめん、ね。ランバート。

「い……いや! いやだ! 怖い、嫌だ!!」

 暗い、怖い、誰か助けて! 悲鳴みたいな声が頭の中いっぱいに広がって響いていく。怖い、触らないで、誰か助けて!

「ランバート!」
「いや!!」

 バタバタと暴れて抵抗する腕ごと抱きしめられる。壊れてしまいそうな心が軋む。息が上手くできなくて苦しい。苦しいから余計にパニックになって暴れた。

「ちゃんと息をしろ! っ!」

 苦しい、ここは怖い、出して、助けて!

 涙が止まらない。その口元に脱ぎ捨てた衣服が軽く当てられる。一緒に胸元を一定のリズムで叩かれる。息が吸えなくて……なのに楽になっていく。

「ぁ…………」

 暗く、ない? ここは、どこ?

「ランバート」
「ファウ、スト?」

 体に伝わるリズムに体がついていって、次第に落ち着いてくる。そうすると、視界がクリアになった。目の前にいる、壊れてしまいそうな顔のファウストが見えた。

 頭痛がする。まるであの夢を見た後みたいに心臓が煩い。怖いという気持ちがまだ、体を強ばらせている。
 けれど、そんなはずはない。ファウストが怖い事をするはずがない。違うのに、どうしても涙が止まらない。

「どう、したんだろう、俺……どうして俺、ファウストを拒んだり……」

 愛してる、抱きしめてキスをして互いの熱を感じていたいと思える。なのにどうして、あんなに怖かったんだ。心臓が止まってしまいそうなほど、怖かったんだ。いつも出来ていたのに。

「ランバート」

 ホッとしたファウストが倒れてきて、体の全部で温めてくれる。これは、ほっとする。気持ちも落ち着いてきている。

「ごめん、俺……どうしたんだろう。あの、もう平気だから」

 続きをしよう。そう言おうと思ったけれど、ファウストはギュッと抱きしめたまま離そうとしない。その体が震えている。それを感じたら、続きなんて言えなかった。

「俺、どこかおかしいのかな?」

 不安がこみ上げて、口に出た。こんなの普通じゃない。夢だけならまだしも、よりにもよってファウストを拒むなんて。

「……ランバート、暫く仕事休んでカウンセリングを受けてくれ」
「え?」

 カウンセリング? いったい、何の話なんだ。

 疑問と不安にファウストを見ると、黒い瞳が苦しげに揺れている。そしてゆっくりと、昨日の話をしてくれた。

「――それじゃ、俺は昨日突然倒れて、その前後の記憶が無いの?」

 俄には信じられない。けれどその人物をゼロスやチェスター、ボリスも認識している。それなら見ているはずだ。なのに、声をかけられた事も姿も覚えていない。

 ファウストは真剣な顔で頷いた。隣り合って座って、水を飲み込みながら項垂れる。自分の体に何が起こっているのか、ランバートは何も分からないのだ。

「体に異常はないらしい。だから、心の問題があるのかもしれないとエリオットが言っていた」
「ラウルの時みたいに?」
「あぁ」

 でも、どうして突然。何か切っ掛けがあったのだろうか。それに、失神の切っ掛けになったらしい人物が関わっているのだろうか。
 夢の中の、あの綺麗な緑の瞳の人は誰? どうして血の涙を流していたの? どうして、苦しそうに謝るの?

 覚えていない。けれど、思い出すのは怖い。あの暗闇は怖い。怖くて、息が出来なくなりそうになる。

「ランバート」
「……こんなんじゃ、皆に迷惑かけるよな」
「そんな事はない。だが俺が心配なんだ」
「うん。……少し、休むよ」

 事件を追っているのに、皆に気遣われながらなんて余計に負担になる。それに何かの切っ掛けでまた突然気を失ってしまったら、足を引っ張る事になる。ファウストにも、心配をかける。

 合理的に考えて出した決断だった。なのにとても苦しくて、悲しくて辛いのは、大事な時に役立たずな自分に対しての叱責だった。
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