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1章
1話 入団式(2)
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◇◆◇
華々しい入団式から数日、クリスはずっとイライラが募っている。
「おい見ろよ、あれ。首席様だぜ」
「相変わらず綺麗な顔してるよな。どんなセコい手を使って首席になったんだか」
宿舎廊下を歩くクリスを避けるようにしながらも陰口を忘れない。これが貴族という生き物の習性なのだと理解はしている。が、腹は立つ!
私闘が禁じられていて良かったな、お前等。そうでなければ今すぐぶん殴る。
大体、媚びて首席になれるわけがない。入団テストは実技や筆記試験、面接、集団模擬訓練なども経て決定されるんだ。まさか試験官全員に尻尾を振って媚びたとでも? 冗談じゃない!
それでも言われる。ひがみがウザくて腹が立ち、思わず睨むと怯えた顔で逃げていく。
そんなに文句があるというなら正々堂々訓練で勝負を付ければいいものを!
思わず溜息が出た。もう数日……いや、物心がついてからずっと溜息が止まらない。
同時に、悔しくて泣きたくなる。何をしても結局はこう言われてしまうのかと思うと、今後の人生が暗く感じる。
騎士団は実力主義だと言われていたのに……あれは嘘だったのか?
「はぁ……」
また溜息。その肩を、誰かがトンと叩いた。
「朝から不景気な顔をしているな、クリスティアン。だが、正面くらいは見ておく方がいいぞ」
低く愉快げな声に驚きパッと顔を上げると、そこに紫眼がある。びっくりして思わず凝視してしまうクリスに、相手は可笑しそうに笑って手を伸ばし、クリスの鼻を摘まんだ。
「ふにゃ!」
「ぷっはは! 面白いが気をつけろ。上官が正面から来ているのに道を譲らないというのは、俺以外だと目を付けられるぞ」
「ルーク団長!」
摘まれた鼻をパッと手で押さえて、何をするんだと思わず睨み付けてしまうが、この人はあまり気にしてもいない。むしろ楽しげに目を細めてポンポンとクリスの頭を撫でた。
「次は俺のところの訓練だ。しっかり励め」
「はい。失礼いたしました」
言いたい事はあるが、この人は最初からクリスを外見では見ていないと分かる。実力を、能力を期待していると分かる。だからか、クリスはルークに対しては一定の信頼を置いている。
誰もがこうであれば、世の中もっと生きやすいのだろうな。
そんな事を思って、そうはならないと諦めもして、クリスは次の訓練へ向かうのだった。
所属が決まっていない新人は、第一から第三までの訓練全てを受ける。
クリスの私的な感触だと、第一はつまらない。
主に近衛騎士で構成された第一騎士団は儀礼ばかりで実がなく、お行儀が良すぎて欠伸が出る。実際、ここを希望する奴はプライドばかりが高く中身がスカスカで、クリスの剣を一合受けただけでよろけた。
次に第二騎士団。ここは基礎訓練の鬼だ。
兎にも角にも走り込み。筋力の強化も忘れない。男の熱気と汗臭さが際立つマッチョの集団はやや引く。
が、実力は間違いない。この国の主力である事は誰の目から見ても明らかだ。
そして現在訓練をしている第三騎士団は少数精鋭のトリック集団。
完全実力主義であり、序列も緩い。だが個々の実力でいけば確実に騎士団トップだ。
主に遠征が多く、魔物狩り専門とも言える仕事内容。そして、一番殉職率が高い不人気部署との事だ。
むしろ望みたい。そういう場所でこそ戦いたい。
思うのだが、所属はこちらの希望を聞いてくれない。団長が目を付けて引き入れてもらえれば、すぐにでも所属が決まる。一般隊員からの転属希望は入団五年目からだ。
「それでは模擬戦を行う。武器を落とす、降伏する、俺が止める。いずれかの条件を満たすまで試合は継続する」
先程とは打って変わって真面目な……ある意味興味のなさそうな目で説明するルークを見て、クリスは気合いを入れる。どうにかしてこの人の目に留まりたい。第三に引き入れてもいいと感じてもらいたい。
そう、願っている。
試合はお行儀良く進む。ほぼ貴族学園で見た感じだ。トリッキーな事をする奴はいない。
そんな中、ようやく回ってきたクリスの目の前にはニタニタ笑う男がいる。短い金髪を撫でつけた、香水臭い男だ。
「やぁ、クリスティアン君。お手柔らかに頼むよ」
嫌みったらしい物言いのこいつをクリスは知っている。
パトリック・エイデン侯爵令息。確か三男だったはずだ。貴族学園でもなにかとクリスに絡み、誘ってきた阿保だ。
そしてこの物言いは、「何かあればパパに言いつけてやる」という奴だ。既に成人している大人の言う事じゃないだろう。
「構え」
静かな声にクリスは剣を構える。パトリックもお遊びみたいな構えをする。それをつまらなそうにルークは見て、「始め!」と声をかけた。
勝負など一瞬だ。トンと踏み込み真っ直ぐに突っ込んでくるパトリックの突きを、クリスは下からの斬撃で払いのけた。
攻撃の重さが違う。たったこれだけでパトリックの剣は持ち上がり、姿勢を崩す。その間抜け面を存分に拝んでから、クリスは素早い蹴りで彼の足元をすくい転倒させ、鼻先に剣を突きつけた。
「止め! 勝者、クリスティアン」
ルークの声に場が静まりかえる。さっきまでは勝者に惜しみない拍手が送られていたというのに、あからさまだ。
まぁ、いつものことだ。訓練場にへたり込んで顔を真っ赤にして睨み付ける阿呆の顔を見られただけで面白かった。
ニタリと凶悪な笑みを浮かべたクリスは剣を収めて一礼し、背を向ける。だが激高したパトリックはその背に向かい剣を構えて突進してきた。
わ! と湧く観衆。予見していたクリスは振り返り応戦の構えを取ろうとした。
だがその間にサッと黒衣が入り込み、パトリックの剣を弾き飛ばした上で顔面をぶん殴っていた。
「試合停止命令違反は大幅な減点だ。しかも背中からとは、騎士としての矜持も持っていないと見える。パトリック・エイデンには減点処分、及び反省文の提出だ」
そう鋭く命じたルークを呆然と見てしまう。少し、格好良く思えたんだ。
振り向いた彼が、今度はクリスをしっかりと見つめる。紫色の瞳が、柔らかく細められた。
「クリスティアンはよくできていた。冷静に相手を見て、少ない手数で無力化できている」
「ありがとうございます」
「お行儀のいい剣だが、今回は相手が力不足だな。もっと強い奴とやれば面白そうだ。このまま鍛錬を続けろ」
そう、真っ直ぐに言ってくれるのは正直……震える程に嬉しかった。
一礼して訓練場から降りる。そこにいる同期の誰もが居心地の悪い顔をしても、クリスは気にもしなかった。
たった一人、実力を認め期待してくれる。その事実の大きさの方がクリスにとっては大事だった。
だが、状況はあまり良くないようだった。
「君は少し、ルールを軽視している部分がある」
突然第一騎士団長室へと呼ばれたクリスが告げられたのは、そんな言葉だった。
一瞬、何の事を言っているのか理解できずに呆然としてしまう。その様子に、第一騎士団長ハーマンは苛立った様子を見せた。
「先日対戦をしたパトリックはエイデン侯爵家の子息だと分かっておるのかね!」
「はい。ですが、れっきとした訓練での事ですが」
「だとしても、爵位が上の者を立てるのが貴族社会の礼儀である!」
……バカバカしくて開いた口が塞がらない。ここは騎士団であって貴族社会とは別の物差しがある。完全実力主義ではないが、接待試合を求められる場でもない。
この男、本当にそれが分かっているのか?
「……お言葉ですが、私の生家であるシーラン家も侯爵位。家の格で言えば同等ではありませんか?」
「家の格ではそうでしょうがね。君は……妾の子だろ」
そう、蔑みの目で問われた瞬間、抑えきれない殺気が噴出した。これにハーマンはたじろぐものの、ニタリと下卑た顔をして見下してきた。
「所詮は卑しい母親の子だ。パトリック君とは生まれながらにして並べるはずもないのだよ。その辺の自覚が足りないと言っているのだ」
……誰が卑しいだと。何も知らないくせに……何が!
手の平に爪が食い込む。奥歯が割れそうなほどに食いしばった。何度も……何度も何度も何度も言われてきた言葉に悔しさが滲む。母は卑しくなどない! 必死に守って、育ててくれたのだ。頑張ってくれたんだ。それを知りもしないで……そんなに身分ってのは偉いのか!
「まぁ、容姿だけは素晴らしいのだから、弁えて生きなさい。そうすれば良い方から目を掛けてもらえるだろう。もちろん私も、君には大いに期待しているよ。素直で、従順に生きなさい」
値踏みする視線が頭の先から足の先まで舐るように絡む。気持ち悪い……もうずっと、男女問わずこんな視線にさらされて生きてきたんだ。こんなもの全てをはね除けられるように、騎士の世界に入ったんだ!
それでも相手は団長だ。ここで問題を起こせば追われる。だから無理やり笑おうと……ただ「申し訳ありませんでした」と言えればいいと、思って顔を上げた。
その時、後ろでドアが開いて、クリスの肩に強い手が触れた。
「俺の訓練に、何か文句があるのでしょうかね? ハーマン伯爵?」
「!」
軽やかに相手を攻撃する声にハッとして振り向く。その先には真っ直ぐハーマンを見据えるルークがいた。
これにはハーマンも腰を浮かせ、冷や汗を浮かべた。そこには確かに恐れがあった。
「いや、そんなつもりは」
「ほぉ? だが、俺の訓練で行われた試合について、こいつは責められていたのだろ? ならば貴殿は、俺の訓練方法にも何かしら思うところがあるとみえる。これは一度、陛下にも話を通し議論しなければならないと思うのだが?」
「いやいや! そんな事は。ただクリスティアンは少々上下の関係を軽視している部分が」
「問題にしているパトリックは同じ新人だ。騎士団における上下でいえば、何も問題はない。ハーマン殿、ここは何処だ?」
「……騎士団だ」
「では、問題ないな。こいつは俺が引き取ろう」
そう言って腕を引かれる。驚きのままその力に従って退室し、そのまま少し一緒に歩いて……手が離れた。
「面倒なのに絡まれたな。あいつはしつこいから、何かあれば俺の執務室に逃げてこい」
「あの!」
そう言って去って行く人の背中に、クリスは声をかけた。足を止めてくれた人に、心からの感謝が込み上げる。プライドを、救ってもらった。
「ありがとう、ございました」
きっちりと礼をするクリスに、ルークは小さく笑って手をヒラヒラさせて去って行く。
その背中が、とても頼もしく見えた。
華々しい入団式から数日、クリスはずっとイライラが募っている。
「おい見ろよ、あれ。首席様だぜ」
「相変わらず綺麗な顔してるよな。どんなセコい手を使って首席になったんだか」
宿舎廊下を歩くクリスを避けるようにしながらも陰口を忘れない。これが貴族という生き物の習性なのだと理解はしている。が、腹は立つ!
私闘が禁じられていて良かったな、お前等。そうでなければ今すぐぶん殴る。
大体、媚びて首席になれるわけがない。入団テストは実技や筆記試験、面接、集団模擬訓練なども経て決定されるんだ。まさか試験官全員に尻尾を振って媚びたとでも? 冗談じゃない!
それでも言われる。ひがみがウザくて腹が立ち、思わず睨むと怯えた顔で逃げていく。
そんなに文句があるというなら正々堂々訓練で勝負を付ければいいものを!
思わず溜息が出た。もう数日……いや、物心がついてからずっと溜息が止まらない。
同時に、悔しくて泣きたくなる。何をしても結局はこう言われてしまうのかと思うと、今後の人生が暗く感じる。
騎士団は実力主義だと言われていたのに……あれは嘘だったのか?
「はぁ……」
また溜息。その肩を、誰かがトンと叩いた。
「朝から不景気な顔をしているな、クリスティアン。だが、正面くらいは見ておく方がいいぞ」
低く愉快げな声に驚きパッと顔を上げると、そこに紫眼がある。びっくりして思わず凝視してしまうクリスに、相手は可笑しそうに笑って手を伸ばし、クリスの鼻を摘まんだ。
「ふにゃ!」
「ぷっはは! 面白いが気をつけろ。上官が正面から来ているのに道を譲らないというのは、俺以外だと目を付けられるぞ」
「ルーク団長!」
摘まれた鼻をパッと手で押さえて、何をするんだと思わず睨み付けてしまうが、この人はあまり気にしてもいない。むしろ楽しげに目を細めてポンポンとクリスの頭を撫でた。
「次は俺のところの訓練だ。しっかり励め」
「はい。失礼いたしました」
言いたい事はあるが、この人は最初からクリスを外見では見ていないと分かる。実力を、能力を期待していると分かる。だからか、クリスはルークに対しては一定の信頼を置いている。
誰もがこうであれば、世の中もっと生きやすいのだろうな。
そんな事を思って、そうはならないと諦めもして、クリスは次の訓練へ向かうのだった。
所属が決まっていない新人は、第一から第三までの訓練全てを受ける。
クリスの私的な感触だと、第一はつまらない。
主に近衛騎士で構成された第一騎士団は儀礼ばかりで実がなく、お行儀が良すぎて欠伸が出る。実際、ここを希望する奴はプライドばかりが高く中身がスカスカで、クリスの剣を一合受けただけでよろけた。
次に第二騎士団。ここは基礎訓練の鬼だ。
兎にも角にも走り込み。筋力の強化も忘れない。男の熱気と汗臭さが際立つマッチョの集団はやや引く。
が、実力は間違いない。この国の主力である事は誰の目から見ても明らかだ。
そして現在訓練をしている第三騎士団は少数精鋭のトリック集団。
完全実力主義であり、序列も緩い。だが個々の実力でいけば確実に騎士団トップだ。
主に遠征が多く、魔物狩り専門とも言える仕事内容。そして、一番殉職率が高い不人気部署との事だ。
むしろ望みたい。そういう場所でこそ戦いたい。
思うのだが、所属はこちらの希望を聞いてくれない。団長が目を付けて引き入れてもらえれば、すぐにでも所属が決まる。一般隊員からの転属希望は入団五年目からだ。
「それでは模擬戦を行う。武器を落とす、降伏する、俺が止める。いずれかの条件を満たすまで試合は継続する」
先程とは打って変わって真面目な……ある意味興味のなさそうな目で説明するルークを見て、クリスは気合いを入れる。どうにかしてこの人の目に留まりたい。第三に引き入れてもいいと感じてもらいたい。
そう、願っている。
試合はお行儀良く進む。ほぼ貴族学園で見た感じだ。トリッキーな事をする奴はいない。
そんな中、ようやく回ってきたクリスの目の前にはニタニタ笑う男がいる。短い金髪を撫でつけた、香水臭い男だ。
「やぁ、クリスティアン君。お手柔らかに頼むよ」
嫌みったらしい物言いのこいつをクリスは知っている。
パトリック・エイデン侯爵令息。確か三男だったはずだ。貴族学園でもなにかとクリスに絡み、誘ってきた阿保だ。
そしてこの物言いは、「何かあればパパに言いつけてやる」という奴だ。既に成人している大人の言う事じゃないだろう。
「構え」
静かな声にクリスは剣を構える。パトリックもお遊びみたいな構えをする。それをつまらなそうにルークは見て、「始め!」と声をかけた。
勝負など一瞬だ。トンと踏み込み真っ直ぐに突っ込んでくるパトリックの突きを、クリスは下からの斬撃で払いのけた。
攻撃の重さが違う。たったこれだけでパトリックの剣は持ち上がり、姿勢を崩す。その間抜け面を存分に拝んでから、クリスは素早い蹴りで彼の足元をすくい転倒させ、鼻先に剣を突きつけた。
「止め! 勝者、クリスティアン」
ルークの声に場が静まりかえる。さっきまでは勝者に惜しみない拍手が送られていたというのに、あからさまだ。
まぁ、いつものことだ。訓練場にへたり込んで顔を真っ赤にして睨み付ける阿呆の顔を見られただけで面白かった。
ニタリと凶悪な笑みを浮かべたクリスは剣を収めて一礼し、背を向ける。だが激高したパトリックはその背に向かい剣を構えて突進してきた。
わ! と湧く観衆。予見していたクリスは振り返り応戦の構えを取ろうとした。
だがその間にサッと黒衣が入り込み、パトリックの剣を弾き飛ばした上で顔面をぶん殴っていた。
「試合停止命令違反は大幅な減点だ。しかも背中からとは、騎士としての矜持も持っていないと見える。パトリック・エイデンには減点処分、及び反省文の提出だ」
そう鋭く命じたルークを呆然と見てしまう。少し、格好良く思えたんだ。
振り向いた彼が、今度はクリスをしっかりと見つめる。紫色の瞳が、柔らかく細められた。
「クリスティアンはよくできていた。冷静に相手を見て、少ない手数で無力化できている」
「ありがとうございます」
「お行儀のいい剣だが、今回は相手が力不足だな。もっと強い奴とやれば面白そうだ。このまま鍛錬を続けろ」
そう、真っ直ぐに言ってくれるのは正直……震える程に嬉しかった。
一礼して訓練場から降りる。そこにいる同期の誰もが居心地の悪い顔をしても、クリスは気にもしなかった。
たった一人、実力を認め期待してくれる。その事実の大きさの方がクリスにとっては大事だった。
だが、状況はあまり良くないようだった。
「君は少し、ルールを軽視している部分がある」
突然第一騎士団長室へと呼ばれたクリスが告げられたのは、そんな言葉だった。
一瞬、何の事を言っているのか理解できずに呆然としてしまう。その様子に、第一騎士団長ハーマンは苛立った様子を見せた。
「先日対戦をしたパトリックはエイデン侯爵家の子息だと分かっておるのかね!」
「はい。ですが、れっきとした訓練での事ですが」
「だとしても、爵位が上の者を立てるのが貴族社会の礼儀である!」
……バカバカしくて開いた口が塞がらない。ここは騎士団であって貴族社会とは別の物差しがある。完全実力主義ではないが、接待試合を求められる場でもない。
この男、本当にそれが分かっているのか?
「……お言葉ですが、私の生家であるシーラン家も侯爵位。家の格で言えば同等ではありませんか?」
「家の格ではそうでしょうがね。君は……妾の子だろ」
そう、蔑みの目で問われた瞬間、抑えきれない殺気が噴出した。これにハーマンはたじろぐものの、ニタリと下卑た顔をして見下してきた。
「所詮は卑しい母親の子だ。パトリック君とは生まれながらにして並べるはずもないのだよ。その辺の自覚が足りないと言っているのだ」
……誰が卑しいだと。何も知らないくせに……何が!
手の平に爪が食い込む。奥歯が割れそうなほどに食いしばった。何度も……何度も何度も何度も言われてきた言葉に悔しさが滲む。母は卑しくなどない! 必死に守って、育ててくれたのだ。頑張ってくれたんだ。それを知りもしないで……そんなに身分ってのは偉いのか!
「まぁ、容姿だけは素晴らしいのだから、弁えて生きなさい。そうすれば良い方から目を掛けてもらえるだろう。もちろん私も、君には大いに期待しているよ。素直で、従順に生きなさい」
値踏みする視線が頭の先から足の先まで舐るように絡む。気持ち悪い……もうずっと、男女問わずこんな視線にさらされて生きてきたんだ。こんなもの全てをはね除けられるように、騎士の世界に入ったんだ!
それでも相手は団長だ。ここで問題を起こせば追われる。だから無理やり笑おうと……ただ「申し訳ありませんでした」と言えればいいと、思って顔を上げた。
その時、後ろでドアが開いて、クリスの肩に強い手が触れた。
「俺の訓練に、何か文句があるのでしょうかね? ハーマン伯爵?」
「!」
軽やかに相手を攻撃する声にハッとして振り向く。その先には真っ直ぐハーマンを見据えるルークがいた。
これにはハーマンも腰を浮かせ、冷や汗を浮かべた。そこには確かに恐れがあった。
「いや、そんなつもりは」
「ほぉ? だが、俺の訓練で行われた試合について、こいつは責められていたのだろ? ならば貴殿は、俺の訓練方法にも何かしら思うところがあるとみえる。これは一度、陛下にも話を通し議論しなければならないと思うのだが?」
「いやいや! そんな事は。ただクリスティアンは少々上下の関係を軽視している部分が」
「問題にしているパトリックは同じ新人だ。騎士団における上下でいえば、何も問題はない。ハーマン殿、ここは何処だ?」
「……騎士団だ」
「では、問題ないな。こいつは俺が引き取ろう」
そう言って腕を引かれる。驚きのままその力に従って退室し、そのまま少し一緒に歩いて……手が離れた。
「面倒なのに絡まれたな。あいつはしつこいから、何かあれば俺の執務室に逃げてこい」
「あの!」
そう言って去って行く人の背中に、クリスは声をかけた。足を止めてくれた人に、心からの感謝が込み上げる。プライドを、救ってもらった。
「ありがとう、ございました」
きっちりと礼をするクリスに、ルークは小さく笑って手をヒラヒラさせて去って行く。
その背中が、とても頼もしく見えた。
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