【完結】顔だけと言われた騎士は大成を誓う

凪瀬夜霧

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1章

5話 アスナ村魔物化事件(5)

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 だが事態は急変する。本隊がこちらへと合流すべく満身創痍できていたのだ。

「ハロルド副長!」
「クリス!」

 戦場でも明るいオレンジの髪を見つけてクリスは走り寄った。彼もまた酷く疲弊していて、傷も多い。額からは汗が伝っている。それでも僅かに笑みを見せられただけ、この人は強い。

「何が」
「団長が訳の分からない奴と戦ってる。団長の剣が通らない」
「っ!」

 それは……想像できないものだった。
 クリスの中でルークは圧倒的な強さを誇っていて、最強だと勝手に思っていた。だからそんな人が押される姿なんて、想定していなかったんだ。

「それだけじゃない。洞窟の奥は何かしらの研究所で、人と魔物の混ざったのがいたらしい」

 それはきっと、魔物に変えられた人だ。そしてそれはもう、皆が知っているんだと彼らの顔色を見れば分かった。

 助けに、行かないと。魔物相手なら浄化の力は役に立つ。あの人を助ける力になるかもしれない。
 本隊の来た方向を睨み付け、クリスは走っていた。背後で制止の声がかかったけれど聞かなかった。
 心臓が痛い。嫌な予感がする。淀むような空気は凄く濃くて、鳥肌が立つ。
 それでも向かったのは、助けたかったからだ。あの人を失う事を考えられなかったからだ。

 木々をすり抜け、おびただしいオークとオーガの死体を横目に疾走したクリスの目の前に僅かに開けた場所が見える。
 蹲り、苦しげなルークの背中が見える。その体から赤黒い何かが湧き上がっている。心臓が、ギュッと痛くなって手を伸ばす。距離がある。掛からないかもしれない。それでも唱えずにはいられない。

『ピュリフィティオ!』

 銀の光が帯となってルークの体を包み込むと、赤黒いそれは動きを鈍らせる。
 それでも十分じゃない。まだまだ足りない!

 飛び込むように場所へと出たクリスは用意していた魔法を、僅かに見えていた男へと放った。

『ホーリーランス!』

 三本の光の槍が男めがけて放たれる。それを男は飛び退いて避けている。その、僅かに開いた距離に滑り込んだクリスは素早くホーリーシールドを展開すると同時に、問答無用で浄化魔法をルークにかけた。

「団長、しっかり!」

 声を掛けるが、彼は自身の腕を強く抱いて動けないままでいる。爪が腕に刺さって血を流してもまだそうしている。
 黒い光が胸に光る。禍々しいそれは強い穢れだと分かる。
 そっとそこを覗いて……クリスの目は大きく見開かれた。
 心臓の上辺りに真っ黒い魔石が埋まっている。体に根を張るようにその周辺はボコボコと血管のような筋が浮き上がり、どうしたって取れる感じがしない。浄化も、叶うか分からない。
 絶望が支配する。これはもう、二択だ。ルークを殺すか、この人が魔物に成り果てるか。どちらにしても、もう助かる道はない。

 ジワリと、涙が浮かんだ。不意に思い出したんだ、頭を撫でる無骨な手を。硬くて、ちょっと力加減を間違った……温かい手を思い出した。

「殺せ」
「……え?」

 低く声がして、見つめる。ルークは苦しそうにこちらを見上げていた。紫色の瞳は僅かに白目が黒く染まりそうになっている。食いしばる口元が、震えている。

「俺が俺であるうちに、殺せ」
「そんな……そんなの!」
「俺は、魔王になんてっ! ならない!」
「っ!」

 それはあまりに絶望的だ。この胸にある魔石は魔王のものなのか。

 嫌だと、泣きすがればいいのか。そうして事態が好転するならいくらでも泣きわめいて神に祈る。でも、そんなもので世の中は変わらない。絶望は変わらない。分かっている……。
 だから、クリスは剣を抜いてそこに魔力を通した。
 大きく振りかぶる、その剣がこんなに重いなんて、知らなかった。正義がこれほど、残酷なんてくそ食らえだ!

 涙が止まらないクリスを見るルークの目が、緩く穏やかになる。苦しそうだった口元が笑みに変わる。そんな顔をされたら……この剣を振り下ろさなければならないじゃないかっ。

 グッと奥歯を噛む。手にした剣に力が入る。結界魔法の中、邪魔されないうちに終わらせてしまう。それが、この場に居合わせたクリスの使命だと言い聞かせて。
 足元を固め、気持ちを振り切って魔力を込めたクリスの剣は振り下ろされる。

 はずだった。

「っ!」

 直後、背中側から何かが腹を突き破った。衝撃と、理解が追いつかない事態にクリスは呆然と己の腹を見る。それは捻れた木の根のようで、地中深くから飛び出している。
 動けなかった。視界が揺れて、掠れて力が抜けていく。ダラダラと地面に血が落ちていく。一瞬で頭がクラクラして、剣を取り落としたクリスに追い打ちをかけるように更に木の根が地中から飛び出して、前後左右から腹を突き破った。

「クリスぅ!」

 声がする。それが、遠く思える。突き刺さった根は一瞬で引っ込み、そこから溢れた血はもうどうしたって止めようがない。
 それでもまだ死なない。絶妙に致命傷は避けられていた。命を落とすにはまだ数分猶予があるだろう。

 倒れたクリスを助け起こす大きな手がある。霞んで、もう詳細は見えないけれど必死に名を呼ぶ人がいる。温かなものが、頬を濡らしている。

「はははははっ! いい犠牲となってくれました! 憎いでしょう? その憎しみが貴方を堕とすのですよルーク団長!」

 高笑いが聞こえる。あいつ、最初からこれが狙いで見ていたんだ。

「クリス、しっかりしろ! クリス!」

 声がする。涙声だ。こんなの、目が見えなくたって分かる。
 しくじった……救えなかった……この人に、死んでもらいたくない。違う何かになんて、なってもらいたくないのに。もう、力が何も入らない。

『諦めるのですか?』

 不意に、声が聞こえた。それは耳元のような、胸の奥のような。厳しい女性の声がして、ほんの少し体が楽になる。銀色の光が、導くようにルークの胸元の魔石に集まる。
 震えながらでも、手が持ち上がった。そうだ、まだ諦められない。この人だけでもどうにか、救わないと死ねない。

「ピュリ、フィ……オ」

 微かな声で口にするも、魔力が通わない。僅かな魔力は何の足しにもならない。

「クリス止めろ! 止めてくれ!」

 抱きしめてくる腕が震えている。もう、何も見えない。この目に映っているのは銀の光だけ。諦めるなと、厳しくも励ます誰かの意志だけ。

「ピュリ、フィ、ティオ」

 途切れる声で紡ぐ呪文に、僅かに光が混ざる。それが希望だ。もう少し……もう、助からないならこの命の全部を込めて。この人を、魔王なんかに渡してたまるか。
 魔力が体の底から溢れてくる。全てを燃やすように胸が熱い。未だ禍々しい光を宿す魔石に触れて、クリスは薄く笑みを浮かべた。

 お前に、この人を渡しはしない。

『ピュリフィティオ』

 愛しい言葉を紡ぐように、呪文は魔力と共に魔石を包む。真っ黒なそれは銀の光を吸い込み、徐々にその色を変えていく。赤く黒く呪うような魔力が押さえ込まれると同時に癒されていくみたいだ。
 黒が消えて、光が宿っていく。金色の光がゆっくりと灯って、温かく優しい力を感じる。もう、これは誰かを呪ったりしない。

 やりきった。それを深く感じると共に自分の中が閉じていく。もう、何かを感じていない。安堵と、やり遂げた気持ちと……寂しさがある。でももう、他は残っていないんだろう。

 眠るような穏やかな心地で、クリスはスッと目を閉じた。
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