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1章
5話 アスナ村魔物化事件(6)
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◇◆◇
意識が浮上した時、目の前にはクリスが立っていた。必死に浄化の魔法を掛けている彼を見て、嬉しさが込み上げた。絶望しかない今、最後に彼の顔を見られた事にルーク個人が安堵したのだ。
だが同時に、苦しくもあった。自身の中の荒れ狂うものは止まらない。今少し時間が延びただけだ。
だからこそ、口にしなければならない。
「殺せ」
きっとクリスも事態を理解している。だからこそ、この言葉も理解できる。
それでも目を見開き、動きを止めて小さな声を漏らした人を、ルークは申し訳なく見つめた。こんな後始末を、頼む事になるなんて。
「俺が俺であるうちに、殺せ」
「そんな……そんなの!」
「俺は、魔王になんてっ! ならない!」
「っ!」
クリスは賢い。だからこそ、分かるだろう。もう、救う術などないと。
涙が流れる、その顔を見つめる事がこんなに苦しい。嫌な事を頼んでしまった。やらなければならない状況に、追い込んだ。
それでも剣を抜いただけ、彼は強い。
ルークもまた、何処か穏やかですらあった。彼の手にかかるなら許してやれる。悪くない人生だって思える。
だが、事態は一変した。
剣を振り下ろす寸前、地中から飛び出た刃がクリスの体を串刺しにした。飛び散った血飛沫がルークの顔にも容赦なくかかる。温かい……命そのものが。
「あ……あぁ!」
戦慄く唇から声が出る。一撃で十分な刃は彼の腹を複数突き破り、一気に抜けた。
崩れた体がドサリと地に落ちる。銀の髪が血に汚れて……それでもまた死ねなくて呻いている。その体を、ルークは抱きしめた。
こんな……こんな事態にならないように側にいたのに。この光景を、見たくなかったのに。
「クリス!」
名を呼んでも焦点が定まらない。どんどん肌から血の色が抜けていく。止めたくてもルークは回復魔法なんて使えない。いや、例え使えたってこんな傷は治せない。もう、命を繋ぐ大半の臓器が潰れている。
嫌だ……。涙が伝って落ちていく。ゆっくりと体温を失うのだろう人の死を、受け入れられない。自分の痛みなど忘れて抱きしめて、少しでも温めようとしても無駄だ。分かっている、それでも……それでもこれだけは容認できない!
「はははははっ! いい犠牲となってくれました! 憎いでしょう? その憎しみが貴方を堕とすのですよルーク団長!」
憎い……あのクソ魔族も、力のない自分も憎い。大切な命一つ守れない不甲斐なさが憎い。
沸き起こる破壊衝動は自分から発せられているのか、この魔石に乗っ取られつつあるのかもう、分からない。でも、わかった事がある。
こいつも同じ怒りを感じている。大切な何かを失った痛みに身も心も灼かれて、絶望が心を満たしたんだ。
押さえ込む事が馬鹿らしくなってきた。こいつが同じ感情を抱えているなら、全面的に味方になれる。己の内に渦巻く絶望と悲しみが体を破りそうなんだ。全て破壊し尽くしていいんだと言われているんだ。
もう、守りたい者は……。
「ピュリ、フィ……オ」
微かな声が聞こえて、ハッとする。焦点の定まらない目で、口元を血で濡らした人は魔石に触れて、願いを口にする。自分が死にそうなのに、託すように。
「あ……」
意識が戻ってくる。そうだ、願われた。戻って来いと、言われている。絶望に身を任せるのではなく……。
「ピュリ、フィ、ティオ」
繰り返す言葉に、僅かに浄化の魔法が乗る。これだけで奇跡だ。
涙が溢れて、ルークはクリスを強く抱きしめた。もういいと、口にしていた。苦しいだろう、声を発するだけで奇跡だ。今もまだ、僅かでも意識を保っているだけで奇跡なんだ。
「もう、やめてくれ。クリス、もういい」
聞こえているか分からない。それでも震えながらルークは口にしていた。幸い、僅かに正気は残っている。剣もある。自分の手でこの首を刎ねれば終わる。だから。
だが、その思いは次の瞬間温かなもので覆われた。
『ピュリフィティオ』
強い力が己の中に流れ込んでくる。苦しさが消えて、黒い淀みのような意識が薄れていく。何が自分の体に流れてきているのか、ルークは分からなかった。
徐々にはっきりとしてきて……これがクリスの命そのものだと気付いた瞬間、ルークは止めようと必死になった。
「やめろクリス! 頼むから、止めてくれ!」
大事にしたい人の命を吸い取っている、その悲しみで潰れそうになって叫んでもクリスには届かない。溢れる程の銀の光が包んで、馴染んで……慟哭を上げた。
もはや魔石に邪悪な魔力などない。それどころか神々しい金色の魔力を放ち、ルークに味方するように思いを伝えてくる。
悲しみ、喪失感、苦しみと……それを上回る愛しさ。
魔王は、誰かを愛していた。己の存在が崩れ去って、墜ちる程に誰かを……。
痛いほどに分かる。今、この思いを発散させたくてたまらない。壊す事でこの痛みが消えるならきっとそうする。
でも、違うんだ。そうじゃないと、託された何かが言っている。こいつは、なんて残酷なんだろう。
落ちているクリスの剣を握り、ルークは眼前を睨む。そして、溢れる程の魔力を思うままに足へと集め、加速をかけた。
パリンと、薄い硝子のような結界を突き破り一直線に飛び出したルークを、ローブの男は予想しなかっただろう。虚を突かれた男の胸に深々と剣を突き立てたルークはそのままそこに金の魔力を流し込んだ。
「そんな! まさか!」
「どうだ、あいつが俺に託したものの味は」
突き刺した部分から黒い煙と散りが舞う。光は広がって、その度に魔族の体は崩れていく。
自然と、感情は凍った。何も感じていないまま見つめる先で、魔族は憎らしい様子で睨み付けていた。
「我等が宿願が……魔王復活の狼煙がぁぁ」
「……お前達、その魔王の大事な者を殺しただろう」
冷たい声で言えば、魔族の男はニタリと笑う。
「まだ終わらん。それは砕けた魔石の一欠片……いずれ全てを融合させ、魔王復活は成されるのだ! その時にはお前を取り込み、完璧な」
「長い」
おしゃべりな頭をぐしゃりと踏むと散っていく。それを見つめ……ルークはクリスの元へと急ぎ戻った。
「クリス!」
腕に抱いた彼はまだ本当に僅かだが息があった。だから……大教会に連れていけば……!
体に腕を差し入れ抱き上げようとした、その時。不意に白い羽が天から舞い落ちてクリスの上に落ちた。
その直後、銀の光が飛び散りクリスの中に消えていく。それだけで、空になった彼の体が満たされていくのを感じた。
『愛しい子、よく頑張りました』
抑揚の少ない女性の声がする。見れば目の前に一人の女性が立っていた。
短くふわふわとした銀髪に、青く大きな瞳。白磁の肌と、煙るような睫を憂いに伏せた彼女はほっそりとした手をクリスの上にかざした。
圧倒的な魔力が流れていく。それがクリスの傷ついた体を綺麗に治し、それどころか失っただろう血まで補っていく。過剰な程に魔力を受け入れたクリスは意識こそ戻っていないが、明らかに息を吹き返していった。
『これで良いでしょう。神の奇跡を授けるに十分な働きでしたよ』
ニッコリと微笑んだ人の視線が上がって、ルークへと向かう。対峙して……ひれ伏したい気持ちと同時に苛立ちを感じた。
「見ていたなら何故手を貸してくれなかった。それとも、神は魔王の復活を容認するのか」
厳しく責める気持ちが先に立って口を開くと、目の前の女性は明らかに不服そうな顔をする。だが、現状はそれを許さないだろう。見回して、息を吐いた。
『そう簡単に手を出せないのが神なのです。介入するには楔がなければ』
「楔?」
首を傾げるルークに、彼女は頷きクリスを指差す。その意味する所がルークには分からなかった。
『神が与える試練に負けない、強い魂と心を持つ者にだけ、神は恩恵を与えられる。その者を通してのみ、神は人の世界に干渉できる。面倒なルールですが、これがなければこの世界は神の玩具に成り下がる。魂を弄ぶなんて悪趣味はありませんが、それが可能である状況がいけません』
「面倒臭い」
『まったくですね。特例についてはその限りではない、というルールも付けておけばよかったと、今では反省しています』
そう言いながら、彼女はクリスの額に唇で触れる。するとそこに僅かな紋が浮かび上がり、全身に回った後で消えた。
『ひとまず加護はこんなところ。次は貴方です』
そう言って、彼女はルークの胸の魔石に触れ、そこに更に魔力を流していく。胸の中が熱くなって、少し苦しいほどになっていく。それでもまだ、耐える事はできた。
『あら、本当に強い。これなら大丈夫ね』
「なにがだ」
僅かに顔をしかめるルークの目の前で、魔石は彼女の細い指で更に押し込まれ……体に完全に埋まって見えなくなり、表に肉が盛り上がる。そうして完全に、見た目は元通りになった。
『これでよし』
「何もよくない!」
『強力な守りですし、守護ですわ。それにその石はもう魔石ではなく、聖石。かつて神であった者の欠片です。大事になさって』
「余計にいらん! 取りだしてくれ!」
『それはできませんわ。それはかつての神であり、魔王だった一部。綺麗に揃えば取り出して天界へと持ち帰りますが、そうでなければ砕け散ってしまいますもの』
綺麗に揃うところなんて見たくもないわ!
思わず悪態が内心を埋める。が、それに反応するように内で男の声がした。
『手間をかけてすまない』
本当に申し訳ない様子で謝られてしまうと驚く。思わずビクッとすると、女性も驚いたようだった。
『あら、本当に相性がいい。一部でも目覚めているなら説明は不要ですわね。後はそいつに聞いてくださいな』
「な! そういうことじゃないだろうが!」
『十分過ぎるくらい加護も与えましたし、その子も少しすれば目が覚めますわ。選ばれし者よ、その子を大事に。その子は天界と人界を繋ぐ楔です。その子を失えばまた数百年待たねばならないかもしれない。魔族共が再び動き出したのに、それでは間に合いませんわ』
「おい!」
そう言って、なんとも自分勝手に女性は消えていく。
その跡を見つめ呆然とするルークに、重ねるように男が『本当にすまない』と謝ってくる。なんたるカオスだ。
だが、腕の中で確かな呼吸をする大事な者を見つめているとひとまずは息ができる。味あった絶望が遠ざかった事は間違いなく嬉しいのだから。
「団長!」
「団長!」
声が遠くから聞こえてくる。その声が一瞬で日常を引き連れてきたようで、ルークはどっかりと地に座り込み息を吐くのだった。
意識が浮上した時、目の前にはクリスが立っていた。必死に浄化の魔法を掛けている彼を見て、嬉しさが込み上げた。絶望しかない今、最後に彼の顔を見られた事にルーク個人が安堵したのだ。
だが同時に、苦しくもあった。自身の中の荒れ狂うものは止まらない。今少し時間が延びただけだ。
だからこそ、口にしなければならない。
「殺せ」
きっとクリスも事態を理解している。だからこそ、この言葉も理解できる。
それでも目を見開き、動きを止めて小さな声を漏らした人を、ルークは申し訳なく見つめた。こんな後始末を、頼む事になるなんて。
「俺が俺であるうちに、殺せ」
「そんな……そんなの!」
「俺は、魔王になんてっ! ならない!」
「っ!」
クリスは賢い。だからこそ、分かるだろう。もう、救う術などないと。
涙が流れる、その顔を見つめる事がこんなに苦しい。嫌な事を頼んでしまった。やらなければならない状況に、追い込んだ。
それでも剣を抜いただけ、彼は強い。
ルークもまた、何処か穏やかですらあった。彼の手にかかるなら許してやれる。悪くない人生だって思える。
だが、事態は一変した。
剣を振り下ろす寸前、地中から飛び出た刃がクリスの体を串刺しにした。飛び散った血飛沫がルークの顔にも容赦なくかかる。温かい……命そのものが。
「あ……あぁ!」
戦慄く唇から声が出る。一撃で十分な刃は彼の腹を複数突き破り、一気に抜けた。
崩れた体がドサリと地に落ちる。銀の髪が血に汚れて……それでもまた死ねなくて呻いている。その体を、ルークは抱きしめた。
こんな……こんな事態にならないように側にいたのに。この光景を、見たくなかったのに。
「クリス!」
名を呼んでも焦点が定まらない。どんどん肌から血の色が抜けていく。止めたくてもルークは回復魔法なんて使えない。いや、例え使えたってこんな傷は治せない。もう、命を繋ぐ大半の臓器が潰れている。
嫌だ……。涙が伝って落ちていく。ゆっくりと体温を失うのだろう人の死を、受け入れられない。自分の痛みなど忘れて抱きしめて、少しでも温めようとしても無駄だ。分かっている、それでも……それでもこれだけは容認できない!
「はははははっ! いい犠牲となってくれました! 憎いでしょう? その憎しみが貴方を堕とすのですよルーク団長!」
憎い……あのクソ魔族も、力のない自分も憎い。大切な命一つ守れない不甲斐なさが憎い。
沸き起こる破壊衝動は自分から発せられているのか、この魔石に乗っ取られつつあるのかもう、分からない。でも、わかった事がある。
こいつも同じ怒りを感じている。大切な何かを失った痛みに身も心も灼かれて、絶望が心を満たしたんだ。
押さえ込む事が馬鹿らしくなってきた。こいつが同じ感情を抱えているなら、全面的に味方になれる。己の内に渦巻く絶望と悲しみが体を破りそうなんだ。全て破壊し尽くしていいんだと言われているんだ。
もう、守りたい者は……。
「ピュリ、フィ……オ」
微かな声が聞こえて、ハッとする。焦点の定まらない目で、口元を血で濡らした人は魔石に触れて、願いを口にする。自分が死にそうなのに、託すように。
「あ……」
意識が戻ってくる。そうだ、願われた。戻って来いと、言われている。絶望に身を任せるのではなく……。
「ピュリ、フィ、ティオ」
繰り返す言葉に、僅かに浄化の魔法が乗る。これだけで奇跡だ。
涙が溢れて、ルークはクリスを強く抱きしめた。もういいと、口にしていた。苦しいだろう、声を発するだけで奇跡だ。今もまだ、僅かでも意識を保っているだけで奇跡なんだ。
「もう、やめてくれ。クリス、もういい」
聞こえているか分からない。それでも震えながらルークは口にしていた。幸い、僅かに正気は残っている。剣もある。自分の手でこの首を刎ねれば終わる。だから。
だが、その思いは次の瞬間温かなもので覆われた。
『ピュリフィティオ』
強い力が己の中に流れ込んでくる。苦しさが消えて、黒い淀みのような意識が薄れていく。何が自分の体に流れてきているのか、ルークは分からなかった。
徐々にはっきりとしてきて……これがクリスの命そのものだと気付いた瞬間、ルークは止めようと必死になった。
「やめろクリス! 頼むから、止めてくれ!」
大事にしたい人の命を吸い取っている、その悲しみで潰れそうになって叫んでもクリスには届かない。溢れる程の銀の光が包んで、馴染んで……慟哭を上げた。
もはや魔石に邪悪な魔力などない。それどころか神々しい金色の魔力を放ち、ルークに味方するように思いを伝えてくる。
悲しみ、喪失感、苦しみと……それを上回る愛しさ。
魔王は、誰かを愛していた。己の存在が崩れ去って、墜ちる程に誰かを……。
痛いほどに分かる。今、この思いを発散させたくてたまらない。壊す事でこの痛みが消えるならきっとそうする。
でも、違うんだ。そうじゃないと、託された何かが言っている。こいつは、なんて残酷なんだろう。
落ちているクリスの剣を握り、ルークは眼前を睨む。そして、溢れる程の魔力を思うままに足へと集め、加速をかけた。
パリンと、薄い硝子のような結界を突き破り一直線に飛び出したルークを、ローブの男は予想しなかっただろう。虚を突かれた男の胸に深々と剣を突き立てたルークはそのままそこに金の魔力を流し込んだ。
「そんな! まさか!」
「どうだ、あいつが俺に託したものの味は」
突き刺した部分から黒い煙と散りが舞う。光は広がって、その度に魔族の体は崩れていく。
自然と、感情は凍った。何も感じていないまま見つめる先で、魔族は憎らしい様子で睨み付けていた。
「我等が宿願が……魔王復活の狼煙がぁぁ」
「……お前達、その魔王の大事な者を殺しただろう」
冷たい声で言えば、魔族の男はニタリと笑う。
「まだ終わらん。それは砕けた魔石の一欠片……いずれ全てを融合させ、魔王復活は成されるのだ! その時にはお前を取り込み、完璧な」
「長い」
おしゃべりな頭をぐしゃりと踏むと散っていく。それを見つめ……ルークはクリスの元へと急ぎ戻った。
「クリス!」
腕に抱いた彼はまだ本当に僅かだが息があった。だから……大教会に連れていけば……!
体に腕を差し入れ抱き上げようとした、その時。不意に白い羽が天から舞い落ちてクリスの上に落ちた。
その直後、銀の光が飛び散りクリスの中に消えていく。それだけで、空になった彼の体が満たされていくのを感じた。
『愛しい子、よく頑張りました』
抑揚の少ない女性の声がする。見れば目の前に一人の女性が立っていた。
短くふわふわとした銀髪に、青く大きな瞳。白磁の肌と、煙るような睫を憂いに伏せた彼女はほっそりとした手をクリスの上にかざした。
圧倒的な魔力が流れていく。それがクリスの傷ついた体を綺麗に治し、それどころか失っただろう血まで補っていく。過剰な程に魔力を受け入れたクリスは意識こそ戻っていないが、明らかに息を吹き返していった。
『これで良いでしょう。神の奇跡を授けるに十分な働きでしたよ』
ニッコリと微笑んだ人の視線が上がって、ルークへと向かう。対峙して……ひれ伏したい気持ちと同時に苛立ちを感じた。
「見ていたなら何故手を貸してくれなかった。それとも、神は魔王の復活を容認するのか」
厳しく責める気持ちが先に立って口を開くと、目の前の女性は明らかに不服そうな顔をする。だが、現状はそれを許さないだろう。見回して、息を吐いた。
『そう簡単に手を出せないのが神なのです。介入するには楔がなければ』
「楔?」
首を傾げるルークに、彼女は頷きクリスを指差す。その意味する所がルークには分からなかった。
『神が与える試練に負けない、強い魂と心を持つ者にだけ、神は恩恵を与えられる。その者を通してのみ、神は人の世界に干渉できる。面倒なルールですが、これがなければこの世界は神の玩具に成り下がる。魂を弄ぶなんて悪趣味はありませんが、それが可能である状況がいけません』
「面倒臭い」
『まったくですね。特例についてはその限りではない、というルールも付けておけばよかったと、今では反省しています』
そう言いながら、彼女はクリスの額に唇で触れる。するとそこに僅かな紋が浮かび上がり、全身に回った後で消えた。
『ひとまず加護はこんなところ。次は貴方です』
そう言って、彼女はルークの胸の魔石に触れ、そこに更に魔力を流していく。胸の中が熱くなって、少し苦しいほどになっていく。それでもまだ、耐える事はできた。
『あら、本当に強い。これなら大丈夫ね』
「なにがだ」
僅かに顔をしかめるルークの目の前で、魔石は彼女の細い指で更に押し込まれ……体に完全に埋まって見えなくなり、表に肉が盛り上がる。そうして完全に、見た目は元通りになった。
『これでよし』
「何もよくない!」
『強力な守りですし、守護ですわ。それにその石はもう魔石ではなく、聖石。かつて神であった者の欠片です。大事になさって』
「余計にいらん! 取りだしてくれ!」
『それはできませんわ。それはかつての神であり、魔王だった一部。綺麗に揃えば取り出して天界へと持ち帰りますが、そうでなければ砕け散ってしまいますもの』
綺麗に揃うところなんて見たくもないわ!
思わず悪態が内心を埋める。が、それに反応するように内で男の声がした。
『手間をかけてすまない』
本当に申し訳ない様子で謝られてしまうと驚く。思わずビクッとすると、女性も驚いたようだった。
『あら、本当に相性がいい。一部でも目覚めているなら説明は不要ですわね。後はそいつに聞いてくださいな』
「な! そういうことじゃないだろうが!」
『十分過ぎるくらい加護も与えましたし、その子も少しすれば目が覚めますわ。選ばれし者よ、その子を大事に。その子は天界と人界を繋ぐ楔です。その子を失えばまた数百年待たねばならないかもしれない。魔族共が再び動き出したのに、それでは間に合いませんわ』
「おい!」
そう言って、なんとも自分勝手に女性は消えていく。
その跡を見つめ呆然とするルークに、重ねるように男が『本当にすまない』と謝ってくる。なんたるカオスだ。
だが、腕の中で確かな呼吸をする大事な者を見つめているとひとまずは息ができる。味あった絶望が遠ざかった事は間違いなく嬉しいのだから。
「団長!」
「団長!」
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