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1章
6話 特別な人(1)
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アスナ村の事件から二週間。王都に戻って一週間が経った。
それでもクリスは眠り続けている。今もルークの部屋のベッドで静かに目を閉じている。その側で私服姿のまま、ルークは手を握って俯いている。
事件は第三の中でとりあえず口止めをし、ウィルフリードには報告をした。神のことや魔王のことも含めてだ。
あまりに多い情報量に流石のウィルフリードも慌て、最終的にガックリと肩を落として「それは一国の王太子には荷が重すぎる」と嘆いた。
丸投げされたこっちは一介の騎士なのだが。
とりあえず保留……というか、何から手をつけていいのか分かりもしない。だが、魔族が相手となれば備えは必要になる。あの人の偉い所は手の届かない高みなど最初から手を伸ばさず、まずは出来るところから始めることだ。
教皇に「魔族が復活する予兆がある」として、ルークが持ち帰ったローブ男の魔石と角を渡し、備えさせている。
同時に冒険者にも警戒を促し、宮廷魔術師などには魔王時代の文献を読ませ有効と思われる魔法の再現をさせている。
だが、秘匿されたこともある。クリスとルークのことだ。
クリスはおそらく神の加護を得た。それだけで教会からすれば聖人扱いだが……逆に動きが取れなくなる。何よりこいつ自身がその扱いを嫌がりそうだ。
同時にルークの体に魔王の魔石の一部が入っているなんてバレたら、牢獄か何かに閉じ込められてモルモット確定だ。
この辺り、ウィルフリードは心得ていて「大丈夫か?」と問いはしたが、問題ないとわかると「それなら今まで通り」となった。有り難いが、いいのだろうか。
『あの王子は器が大きいな』
「魔王様のお墨付きか」
己の内側でする声にも少し慣れた。そして、この人物が魔王であり神であることは理解できた。
この魔王はどうやら、元は神だったらしい。しかも一級の神だった。
だが人を好きになり、お忍びで人界に降りていた。そこを魔族が利用したらしい。
魔王の思い人を今回のクリスと同じように目の前で残酷に殺し、その憎しみや悲しみ、喪失感で力の源である聖石を穢した奴等は魔法道具と呪いで雁字搦めに縛り付け、魔王にしたそうだ。
「いつ聞いても最低な野郎共だ」
憤るルークに魔王は苦笑する。今となってはとても穏やかな様子だ。
『私も悪い』
「それはそうだ。反省しろ」
『面目ない』
まぁ、相当に痛かったのは分かる。身を裂かれるよりも痛かった。それはルークも感じたものだ。
目の前で懇々と眠り続ける人を見つめ、握る手に力を込める。力の入らない手を持ち上げ、額をそこに押し当てて。
「早く起きてくれ、クリス。お前の声が聞きたいよ」
そうして、この思いをちゃんと言葉にする。そう、決めたんだ。
◇◆◇
ふわふわとした空間にずっといた。そこには銀髪の女神がいて、大半が愚痴だった。
どうやらこの女神は魔王となった元神の妹らしい。お人好しの兄が人の娘に恋をしたあげく、魔族に利用されて魔王に落ちた。その時は人と神の世界も近くて干渉できて、勇者を立てて加護与えまくってどうにか倒したけれど、一度落ちた兄を本当に救う事は出来なかったそうだ。
砕けた魔王の魔石は世界中に散り、今は眠っている。何もなければそのまま眠って、自然と浄化されれば回収して天界に連れ帰り、戻せたという。
けれど魔族がその魔石の一部を保有し、穢れはそのまま。それどころか砕けた魔石を人に埋め込み器とし、育てた後に一つに統合。魔王の完全復活を目論んでいるとか。
その器の一つに選ばれたのがルークだったらしい。
壮大すぎて意味が分からない。そしてそれに巻き込まれた自分はなんなのかと思っていると、女神は「丁度良かったのよ」と無責任なことを言った。
曰く、世界には複数人、不遇な者がいるそうだ。己の努力では抗えない理不尽を課せられている者。その大半が潰れてしまうが、中にはクリスのように抗い、周囲の力を借りながら強く生きようとする者がいる。
そういう者の中から神は試練を与え、その試練を超えた者に加護を与える。クリスにも与えられたらしく、これから聖属性魔法がバカみたいに使えるようになるという。ただ、魂の性質上回復魔法は無理そうだと。確かに、誰かを癒そうなんて慈悲の心はないだろうな。
『加護を与えた者を通してしか、私達は地上に介入できません。魔族の暗躍と魔王復活は絶対に阻止しなければなりません』
これが女神の言い分だ。まあ、分からないではない。クリスとしても流石にそんなのは許容できない。
そしてどうやら、ルーク共々クリスはしっかりとこれに巻き込まれている。おそらく、中心と言って良いほどに。
『あの男は兄様の魔石に取り込まれない強靱な精神を持っている稀な者。そして相性も良かった。あの男の中で浄化された兄様の聖石が守られているうちは完全な復活はありえませんわ』
「では、もう大丈夫なのでは?」
『いいえ。必ず穢そうと魔族はくる。兄様の魔石に耐えられる人間も珍しいのです』
確かに強靱な精神はしていそうだ。思い出してもあの人はけっこう図太いと思う。
女神は小さく笑う。そしてチョンと、クリスの頬に触れた。
『惚れてませんの?』
「え?」
『貴方、もっと素直になる方が可愛くてよ? 人の一生など短いのですから、素直に生きる方がよいのです。勿論、邪な欲望に落ちて堕落した生き方はいけないわ。でも、貴方は少し天邪鬼ね』
そう言われても少し困るし、今更生き方を変えろと言われても難しい。
でも……思いは少しだけ、動いていると思える。あの人を守りたい、助けたいと思った気持ちの大きさと強さは今考えると驚くべきもので……失う痛みは息が出来ない程だった。
「殺せ」とあの人に言われた時、クリスは一瞬思ったのだ。この人が死んだら、自分はどうなるのか。きっと、息が止まるほど悲しくて苦しくて辛いだろうと。
この思いの根を掘ると、そこにはとても大きな気持ちがある。それを認めるのがまだ、怖いんだろう。
「誰かを想うとか、そういうの向いてないですよ。理不尽なものを見過ぎてしまって、本物なんて見つけられる自信はないんです。一方的に渡すことはできても、貰うのは」
『確かに、貴方の人生はそういうもの。偽りと悪意にまみれ、その中で頑なに心を硬くしていくしか己を守る方法はなかったでしょう』
そうだと思う。それほど、周囲はクリスを理不尽に扱った。
不遇のまま死んだ母。大好きな人の死を悼む者はなく、ゴミを処理するように雑に埋葬された姿を見て。
見てくれが綺麗だからと色んな人の欲望に晒され、手を伸ばされて抵抗して、抵抗すれば暴力を受けて。
抗う努力は全て実力通りに見られなかった。不正などしていないのに、まるで卑しい方法を取ったのだと真実のように広められて嘲笑と蔑みの目で見られて。
孤独で……いつしか誰も自分を理解してくれないのだと思い、差し伸べられる手を弾き返すようになった。
不意に手が触れて、頭を撫でられる。無表情なままの女神が「よしよし」と言っているのを見て、ちょっと笑った。
『その顔で笑えるなら大丈夫。あの男の思いを、ちゃんと見ることよ。素直に甘えてみることも大事。そろそろ、心の武装を解いてもいい頃だわ』
「そう、ですかね?」
でも……会いたいな。会ったら、どんな顔をしているだろう。どんな顔を、したらいいだろう。もうずっと会っていないような気がしている。
『そうね。目覚める頃ね。急激に回復させて、枯渇分を入れたから体に力が馴染むまで時間がかかってしまったわ』
「いえ。女神様がいなければ俺は死んでいました。ありがとうございます」
素直に頭を下げると、女神がその頭を撫でる。そしてほんのりと笑みを浮かべた。
『大変なことを押しつけたから、気にしないで。これからも見守って、手に余る時には力を貸すわ。大丈夫、もう加護を与えた者だから手遅れになる前にちょっとだけ。修行はしてね』
「はい」
そう言って女神が手を振ると、ふわりと意識が浮き上がる。それに任せていると徐々に、クリスの意識に体が結びついて行くのが分かった。
それでもクリスは眠り続けている。今もルークの部屋のベッドで静かに目を閉じている。その側で私服姿のまま、ルークは手を握って俯いている。
事件は第三の中でとりあえず口止めをし、ウィルフリードには報告をした。神のことや魔王のことも含めてだ。
あまりに多い情報量に流石のウィルフリードも慌て、最終的にガックリと肩を落として「それは一国の王太子には荷が重すぎる」と嘆いた。
丸投げされたこっちは一介の騎士なのだが。
とりあえず保留……というか、何から手をつけていいのか分かりもしない。だが、魔族が相手となれば備えは必要になる。あの人の偉い所は手の届かない高みなど最初から手を伸ばさず、まずは出来るところから始めることだ。
教皇に「魔族が復活する予兆がある」として、ルークが持ち帰ったローブ男の魔石と角を渡し、備えさせている。
同時に冒険者にも警戒を促し、宮廷魔術師などには魔王時代の文献を読ませ有効と思われる魔法の再現をさせている。
だが、秘匿されたこともある。クリスとルークのことだ。
クリスはおそらく神の加護を得た。それだけで教会からすれば聖人扱いだが……逆に動きが取れなくなる。何よりこいつ自身がその扱いを嫌がりそうだ。
同時にルークの体に魔王の魔石の一部が入っているなんてバレたら、牢獄か何かに閉じ込められてモルモット確定だ。
この辺り、ウィルフリードは心得ていて「大丈夫か?」と問いはしたが、問題ないとわかると「それなら今まで通り」となった。有り難いが、いいのだろうか。
『あの王子は器が大きいな』
「魔王様のお墨付きか」
己の内側でする声にも少し慣れた。そして、この人物が魔王であり神であることは理解できた。
この魔王はどうやら、元は神だったらしい。しかも一級の神だった。
だが人を好きになり、お忍びで人界に降りていた。そこを魔族が利用したらしい。
魔王の思い人を今回のクリスと同じように目の前で残酷に殺し、その憎しみや悲しみ、喪失感で力の源である聖石を穢した奴等は魔法道具と呪いで雁字搦めに縛り付け、魔王にしたそうだ。
「いつ聞いても最低な野郎共だ」
憤るルークに魔王は苦笑する。今となってはとても穏やかな様子だ。
『私も悪い』
「それはそうだ。反省しろ」
『面目ない』
まぁ、相当に痛かったのは分かる。身を裂かれるよりも痛かった。それはルークも感じたものだ。
目の前で懇々と眠り続ける人を見つめ、握る手に力を込める。力の入らない手を持ち上げ、額をそこに押し当てて。
「早く起きてくれ、クリス。お前の声が聞きたいよ」
そうして、この思いをちゃんと言葉にする。そう、決めたんだ。
◇◆◇
ふわふわとした空間にずっといた。そこには銀髪の女神がいて、大半が愚痴だった。
どうやらこの女神は魔王となった元神の妹らしい。お人好しの兄が人の娘に恋をしたあげく、魔族に利用されて魔王に落ちた。その時は人と神の世界も近くて干渉できて、勇者を立てて加護与えまくってどうにか倒したけれど、一度落ちた兄を本当に救う事は出来なかったそうだ。
砕けた魔王の魔石は世界中に散り、今は眠っている。何もなければそのまま眠って、自然と浄化されれば回収して天界に連れ帰り、戻せたという。
けれど魔族がその魔石の一部を保有し、穢れはそのまま。それどころか砕けた魔石を人に埋め込み器とし、育てた後に一つに統合。魔王の完全復活を目論んでいるとか。
その器の一つに選ばれたのがルークだったらしい。
壮大すぎて意味が分からない。そしてそれに巻き込まれた自分はなんなのかと思っていると、女神は「丁度良かったのよ」と無責任なことを言った。
曰く、世界には複数人、不遇な者がいるそうだ。己の努力では抗えない理不尽を課せられている者。その大半が潰れてしまうが、中にはクリスのように抗い、周囲の力を借りながら強く生きようとする者がいる。
そういう者の中から神は試練を与え、その試練を超えた者に加護を与える。クリスにも与えられたらしく、これから聖属性魔法がバカみたいに使えるようになるという。ただ、魂の性質上回復魔法は無理そうだと。確かに、誰かを癒そうなんて慈悲の心はないだろうな。
『加護を与えた者を通してしか、私達は地上に介入できません。魔族の暗躍と魔王復活は絶対に阻止しなければなりません』
これが女神の言い分だ。まあ、分からないではない。クリスとしても流石にそんなのは許容できない。
そしてどうやら、ルーク共々クリスはしっかりとこれに巻き込まれている。おそらく、中心と言って良いほどに。
『あの男は兄様の魔石に取り込まれない強靱な精神を持っている稀な者。そして相性も良かった。あの男の中で浄化された兄様の聖石が守られているうちは完全な復活はありえませんわ』
「では、もう大丈夫なのでは?」
『いいえ。必ず穢そうと魔族はくる。兄様の魔石に耐えられる人間も珍しいのです』
確かに強靱な精神はしていそうだ。思い出してもあの人はけっこう図太いと思う。
女神は小さく笑う。そしてチョンと、クリスの頬に触れた。
『惚れてませんの?』
「え?」
『貴方、もっと素直になる方が可愛くてよ? 人の一生など短いのですから、素直に生きる方がよいのです。勿論、邪な欲望に落ちて堕落した生き方はいけないわ。でも、貴方は少し天邪鬼ね』
そう言われても少し困るし、今更生き方を変えろと言われても難しい。
でも……思いは少しだけ、動いていると思える。あの人を守りたい、助けたいと思った気持ちの大きさと強さは今考えると驚くべきもので……失う痛みは息が出来ない程だった。
「殺せ」とあの人に言われた時、クリスは一瞬思ったのだ。この人が死んだら、自分はどうなるのか。きっと、息が止まるほど悲しくて苦しくて辛いだろうと。
この思いの根を掘ると、そこにはとても大きな気持ちがある。それを認めるのがまだ、怖いんだろう。
「誰かを想うとか、そういうの向いてないですよ。理不尽なものを見過ぎてしまって、本物なんて見つけられる自信はないんです。一方的に渡すことはできても、貰うのは」
『確かに、貴方の人生はそういうもの。偽りと悪意にまみれ、その中で頑なに心を硬くしていくしか己を守る方法はなかったでしょう』
そうだと思う。それほど、周囲はクリスを理不尽に扱った。
不遇のまま死んだ母。大好きな人の死を悼む者はなく、ゴミを処理するように雑に埋葬された姿を見て。
見てくれが綺麗だからと色んな人の欲望に晒され、手を伸ばされて抵抗して、抵抗すれば暴力を受けて。
抗う努力は全て実力通りに見られなかった。不正などしていないのに、まるで卑しい方法を取ったのだと真実のように広められて嘲笑と蔑みの目で見られて。
孤独で……いつしか誰も自分を理解してくれないのだと思い、差し伸べられる手を弾き返すようになった。
不意に手が触れて、頭を撫でられる。無表情なままの女神が「よしよし」と言っているのを見て、ちょっと笑った。
『その顔で笑えるなら大丈夫。あの男の思いを、ちゃんと見ることよ。素直に甘えてみることも大事。そろそろ、心の武装を解いてもいい頃だわ』
「そう、ですかね?」
でも……会いたいな。会ったら、どんな顔をしているだろう。どんな顔を、したらいいだろう。もうずっと会っていないような気がしている。
『そうね。目覚める頃ね。急激に回復させて、枯渇分を入れたから体に力が馴染むまで時間がかかってしまったわ』
「いえ。女神様がいなければ俺は死んでいました。ありがとうございます」
素直に頭を下げると、女神がその頭を撫でる。そしてほんのりと笑みを浮かべた。
『大変なことを押しつけたから、気にしないで。これからも見守って、手に余る時には力を貸すわ。大丈夫、もう加護を与えた者だから手遅れになる前にちょっとだけ。修行はしてね』
「はい」
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