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1章
6話 特別な人(2)
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◇◆◇
目が覚めた時、辺りは暗くぼんやりとしたランプの明かりだけがあった。その手はとても温かくて、そちらを見ると紫色の瞳が心配そうに見つめていた。
「あ……」
精悍な人だと、改めて思う。お綺麗な顔をして、中身は案外雑で、俗物で……優しくて、強い人。死地に立って、それでも一番にクリスを思ってくれた人。
その強い瞳が濡れる。ぐっと噛みしめた口元を見ていると、手が肩に触れ、覆い被さるように抱きしめられた。
「よかった……」
押し殺した声は震えている。感じる熱や重みは、思った以上に身に染みる。動く手を背中に回して抱きしめてみたら、存外自分も安堵と喜びが込み上げて涙が出た。
「はい」
震えた声で応じて、言葉もなく抱きしめあったまま、今はこの時間をただ感じていたくて、二人は互いを抱きしめあっていた。
その日はなんとなくまだ疲れていたのか、気付けば眠ってしまっていた。ルークも気付けば自分の布団で寝ていたが、クリスが起きると目を開けて近付いて甲斐甲斐しくしてくれる。それがちょっと面白かったりした。
「うん、体は何も問題ないね。食欲は?」
「すごく……」
既に朝食を存分に食べた後でハロルドの診察を受けている。以前のような怠さも痛みもなく、快調そのもの。ただ、もの凄く腹が減ってしかたがなく、運ばれた食事では足りなくておかわりをして、それでもまだ食べられる気がしている。
「一気に食べると体の負担になる。寝ていたんだ、胃も突然じゃ驚くぞ」
「そうだね。お昼も消化にいいものにして……でも、多めに用意はするね。あと、お菓子とか果物とか用意しておくよ」
「すみません」
「ううん。クリスがいなかったら今頃どうなってたか。ルーク団長の恩人は、この第三騎士団の恩人だよ」
そんな風に言ってハロルドは出ていく。
上半身を上げたまま落ち着いた気持ちでそれを見送って、クリスは隣に座るルークを見ている。彼もまた遅すぎる遠征休暇らしく、しばらくは休みらしい。
空気が柔らかい。心なしか表情も柔らかく、そうしたら色んな部分が見えてきて少し内側が騒がしい。
綺麗な顔をしていると思っていたけれど、こんなにじっくりと見るのは初めてだ。
睫が長く、切れ上がった目はキリッとしている。唇、薄いけれど形がいいんだな。色も白い。なのに黒髪だから余計にコントラストがはっきりとして、鋭く際立って見える。
紫色の瞳が、こちらを見る。
「どうした?」
「あぁ、いえ。貴方の顔をこんなにじっくり見るのは初めてだったなと……」
思わずそのままを口にして、気合いが抜けていることに気づいてハッとしてアタフタした。何を言っているんだ。
言われた方はキョトッとして……次に可笑しそうに笑った。
「俺の顔はお気に召したか?」
「いや、それは! なんて、いうか……」
心臓が音を立てるのは、慌てたからだと言いたい。この不意の熱は思わぬ所で恥を晒したからだと思いたい。
思わず胸元を握ると、その手にルークが触れて、そっと甲に唇が触れた。
「……え?」
「惚れたと言ってくれれば、いっそ簡単なのにな」
「え?」
それは、どういう……。
真剣な紫色の瞳がジッとクリスを見る。ふざけた様子も、からかいもない。真っ直ぐ心を向けてくる、それが分かる視線に魅入られてしまう。
「クリスティアン、好きだ」
「え……」
「お前がこういう事を信じられないのも、嫌悪感すらあるのも知っている。それでも、この想いを伝えないままではいたくないと思った。あの時、俺はそれを思い知った」
……真剣だ。視線が、声が真っ直ぐ届いて胸が締め付けられる。この言葉を、想いを嘘だなんて言えば人でなしだ。
心臓が暴れている。嬉しいと、ジワッと痺れる。気持ちが感覚となって広がるなんて、怒り以外では感じたことがない。
クリスだって知っている。あの時、思ったんだ。これで終わりなんて、嫌だと。
「直ぐに答えを求めたりはしないし、上司と部下なら今まで通り俺はきっと容赦しない。それでも……俺はお前を求めている。もっと、お前個人のことが知りたい。好きな物はなんだ? どうされたら嬉しい? 俺が触れるのは……嫌か?」
そんな風に優しく問われると困る。苦しくなる。泣きたくなる。今更、誰かに甘えるなんてやり方も分からないし、愛され方も愛し方も知らないのに……泣きたい程苦しい。
震える肩をそっと抱きしめられて、引き寄せられた。触れた体は自分より熱くて、胸の音が聞こえる。同じくらい速い鼓動を聞いたら、少し安心した。
「悪いクリス。泣くほど、嫌か?」
「違いますよ、バカ」
嬉しくて泣くなんて、経験がない。涙は出るのに温かくて笑えるなんて、変な感じがする。
「……俺、天邪鬼ですし……可愛くないし、素直じゃないし、貴方のこと容赦なく罵るし、だらしないと怒るし、負けたら悔しいけれど勝ちを譲られたらもっと腹立ちます」
「おっ、おう」
「そういう、面倒くさい人間です。正直あまりお勧めできない不良物件ですけれど……いいんですか?」
口にすればするほど面倒くさい。普通はこんなの、嫌だろう。
でも目の前の人は驚いて、次にはとても柔らかい表情をする。甘やかす、狡い男の顔だ。
「十分、可愛いよ」
言いながら、よりしっかりと抱きしめてくる腕の中でクリスはほんの少し身を預けてみた。存外それは悪くなくて、自然と甘えられると思う。
体がほんの少し離れて、紫色の瞳がこちらを覗き込む。それが近付いてくるだけで、求められることは分かってしまう。
「ん……」
触れた唇から、ほっとしたものが流れてきた。嬉しいと思う気持ちが染みてきて、抱きしめられる腕が強くなって。嫌悪のある行為だったはずなのに、そんなものは何一つ感じなかった。
触れるだけのそれはきっと一瞬だったんだろう。それでもクリスにはとても長く感じた。
頭を撫でられて、額にもキスをされる。甘やかす人なんだろうか。
「今度改めて、デートがしたい。受けてくれるか?」
「え? あっ、はい。勿論です」
「良かった」
そう言って彼は頭を撫でて腰を上げる。それを不思議に見ていると、「ちょっと野暮用」と言って出ていってしまった。
触れていた唇を指でなぞると、感触を思い出してドキリとした。薄いけれど、柔らかかった。それに、いい匂いがした。胸板とか、腕とかがっちりとして……男として悔しいけれど、安心もした。
「……キスって、気持ちいいんだな」
二十年以上生きてきて初めて感じた他人の唇が心地よくて、誰もいないからとその後も何度か反芻するように指で触れて……クリスはしばしそうして幸せの中にいた。
目が覚めた時、辺りは暗くぼんやりとしたランプの明かりだけがあった。その手はとても温かくて、そちらを見ると紫色の瞳が心配そうに見つめていた。
「あ……」
精悍な人だと、改めて思う。お綺麗な顔をして、中身は案外雑で、俗物で……優しくて、強い人。死地に立って、それでも一番にクリスを思ってくれた人。
その強い瞳が濡れる。ぐっと噛みしめた口元を見ていると、手が肩に触れ、覆い被さるように抱きしめられた。
「よかった……」
押し殺した声は震えている。感じる熱や重みは、思った以上に身に染みる。動く手を背中に回して抱きしめてみたら、存外自分も安堵と喜びが込み上げて涙が出た。
「はい」
震えた声で応じて、言葉もなく抱きしめあったまま、今はこの時間をただ感じていたくて、二人は互いを抱きしめあっていた。
その日はなんとなくまだ疲れていたのか、気付けば眠ってしまっていた。ルークも気付けば自分の布団で寝ていたが、クリスが起きると目を開けて近付いて甲斐甲斐しくしてくれる。それがちょっと面白かったりした。
「うん、体は何も問題ないね。食欲は?」
「すごく……」
既に朝食を存分に食べた後でハロルドの診察を受けている。以前のような怠さも痛みもなく、快調そのもの。ただ、もの凄く腹が減ってしかたがなく、運ばれた食事では足りなくておかわりをして、それでもまだ食べられる気がしている。
「一気に食べると体の負担になる。寝ていたんだ、胃も突然じゃ驚くぞ」
「そうだね。お昼も消化にいいものにして……でも、多めに用意はするね。あと、お菓子とか果物とか用意しておくよ」
「すみません」
「ううん。クリスがいなかったら今頃どうなってたか。ルーク団長の恩人は、この第三騎士団の恩人だよ」
そんな風に言ってハロルドは出ていく。
上半身を上げたまま落ち着いた気持ちでそれを見送って、クリスは隣に座るルークを見ている。彼もまた遅すぎる遠征休暇らしく、しばらくは休みらしい。
空気が柔らかい。心なしか表情も柔らかく、そうしたら色んな部分が見えてきて少し内側が騒がしい。
綺麗な顔をしていると思っていたけれど、こんなにじっくりと見るのは初めてだ。
睫が長く、切れ上がった目はキリッとしている。唇、薄いけれど形がいいんだな。色も白い。なのに黒髪だから余計にコントラストがはっきりとして、鋭く際立って見える。
紫色の瞳が、こちらを見る。
「どうした?」
「あぁ、いえ。貴方の顔をこんなにじっくり見るのは初めてだったなと……」
思わずそのままを口にして、気合いが抜けていることに気づいてハッとしてアタフタした。何を言っているんだ。
言われた方はキョトッとして……次に可笑しそうに笑った。
「俺の顔はお気に召したか?」
「いや、それは! なんて、いうか……」
心臓が音を立てるのは、慌てたからだと言いたい。この不意の熱は思わぬ所で恥を晒したからだと思いたい。
思わず胸元を握ると、その手にルークが触れて、そっと甲に唇が触れた。
「……え?」
「惚れたと言ってくれれば、いっそ簡単なのにな」
「え?」
それは、どういう……。
真剣な紫色の瞳がジッとクリスを見る。ふざけた様子も、からかいもない。真っ直ぐ心を向けてくる、それが分かる視線に魅入られてしまう。
「クリスティアン、好きだ」
「え……」
「お前がこういう事を信じられないのも、嫌悪感すらあるのも知っている。それでも、この想いを伝えないままではいたくないと思った。あの時、俺はそれを思い知った」
……真剣だ。視線が、声が真っ直ぐ届いて胸が締め付けられる。この言葉を、想いを嘘だなんて言えば人でなしだ。
心臓が暴れている。嬉しいと、ジワッと痺れる。気持ちが感覚となって広がるなんて、怒り以外では感じたことがない。
クリスだって知っている。あの時、思ったんだ。これで終わりなんて、嫌だと。
「直ぐに答えを求めたりはしないし、上司と部下なら今まで通り俺はきっと容赦しない。それでも……俺はお前を求めている。もっと、お前個人のことが知りたい。好きな物はなんだ? どうされたら嬉しい? 俺が触れるのは……嫌か?」
そんな風に優しく問われると困る。苦しくなる。泣きたくなる。今更、誰かに甘えるなんてやり方も分からないし、愛され方も愛し方も知らないのに……泣きたい程苦しい。
震える肩をそっと抱きしめられて、引き寄せられた。触れた体は自分より熱くて、胸の音が聞こえる。同じくらい速い鼓動を聞いたら、少し安心した。
「悪いクリス。泣くほど、嫌か?」
「違いますよ、バカ」
嬉しくて泣くなんて、経験がない。涙は出るのに温かくて笑えるなんて、変な感じがする。
「……俺、天邪鬼ですし……可愛くないし、素直じゃないし、貴方のこと容赦なく罵るし、だらしないと怒るし、負けたら悔しいけれど勝ちを譲られたらもっと腹立ちます」
「おっ、おう」
「そういう、面倒くさい人間です。正直あまりお勧めできない不良物件ですけれど……いいんですか?」
口にすればするほど面倒くさい。普通はこんなの、嫌だろう。
でも目の前の人は驚いて、次にはとても柔らかい表情をする。甘やかす、狡い男の顔だ。
「十分、可愛いよ」
言いながら、よりしっかりと抱きしめてくる腕の中でクリスはほんの少し身を預けてみた。存外それは悪くなくて、自然と甘えられると思う。
体がほんの少し離れて、紫色の瞳がこちらを覗き込む。それが近付いてくるだけで、求められることは分かってしまう。
「ん……」
触れた唇から、ほっとしたものが流れてきた。嬉しいと思う気持ちが染みてきて、抱きしめられる腕が強くなって。嫌悪のある行為だったはずなのに、そんなものは何一つ感じなかった。
触れるだけのそれはきっと一瞬だったんだろう。それでもクリスにはとても長く感じた。
頭を撫でられて、額にもキスをされる。甘やかす人なんだろうか。
「今度改めて、デートがしたい。受けてくれるか?」
「え? あっ、はい。勿論です」
「良かった」
そう言って彼は頭を撫でて腰を上げる。それを不思議に見ていると、「ちょっと野暮用」と言って出ていってしまった。
触れていた唇を指でなぞると、感触を思い出してドキリとした。薄いけれど、柔らかかった。それに、いい匂いがした。胸板とか、腕とかがっちりとして……男として悔しいけれど、安心もした。
「……キスって、気持ちいいんだな」
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