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1章:祝福の家族絵を(エリオット)

6話:すれ違い(オスカル)

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 翌日になっても、エリオットは硬い表情のまま少し気まずい感じがある。
 エレナには詳細を話さないまま「話し合ってきた」とだけ言っておいた。

 安全確保と、時間稼ぎのつもりだった。
 オスカルにも妹が二人いて、幸せを願っているからこそ許せなかった。
 相手の身分とかはどうでもいい。大事なのは、その相手を愛しているか。幸せになれるかどうか。それが一番だとオスカルは考えている。
 だからこそ、エレナが無理矢理結婚を迫られているのが、しかも言いなりにならざるを得ない状況にさせられているのが許せなかった。

 ちゃんと調査すればセオドールなんて小物どうとでもできる。聞けば結構な事をしているし、住民達からも不評だ。
 町で聞き込みをしてみたが、批判と不評が溢れる程出てきた。
 それによると、酔っては難癖をつけて食事代を踏み倒す。店の女の子に手を出す。イライラすると奉公人を叱責し、罵倒し、時には暴力を振るう事もある。
 そのくせ町の管理となればずさんなのだと言う。

 初日にエレナが掴まえた盗人も、元は真っ当な仕事をしていたのがセオドールの言いがかりによって農場をクビになったのだと言う。
 それで盗人本人の罪が消えるわけではないが、同情はしてしまった。

 こんな人間に町を預けておくほど国は甘くはない。
 管理役人は小さな町の管理が仕事であり、僅かだが国から給金が払われている。さらに町には一定の税が課せられているが、税よりも町の収入が上回ればその分は管理役人へと入ってくる。それを町の発展に活かすよう言われている。

 町は国の基盤。その町を任される貴族が無能であっては国が傾く。
 故に内務が指導、監督するのが仕事だが、今年はとにかく忙しい年だった。中央で優先されることが多すぎて、地方のこうした小事は見逃されてきたのだろう。

 しかも、訴えかける者もいなかった。

 こうした事はその地に住む者が訴えるか、内務監査が抜き打ちで入らない限りは分からない。見逃される事も多い。

 王都に戻ればすぐに内務へセオドールの事を報告し、調査してもらえるように訴える。だがお役所を動かすのは時間がかかり、尚且つ奴のやり口は証明が難しい。住民の訴えだけで貴族を追い出すのは無理だ。精々注意くらいで、結果は何も変わらない。
 追い出す程の調査を待っている間に、エレナが無理矢理結婚なんてさせられたら……。それを思うからこそ、まずは手っ取り早く手切れ金と署名で縁を切らせた。

 同意を強要された結婚は破談にできる。
 だが、経歴に傷がつく。特に女性へのダメージは大きい。若い彼女の経歴に『離婚』という傷をつけるのは、避けたい事だ。

 でもこれは、結果エリオットを怒らせ悲しませた。一番大事な人を傷つけてしまった。

「はぁ……」

 町の片隅、人の少ない酒場に腰を下ろしたオスカルは何度目かの溜息をつく。外は朝から降り出した雪が本格的に地面を埋めていく。時刻は既に夕刻で、外は暗くなっている。

「帰らないとな……」

 とは言え、エリオットになんて言えばいいのだろう。相当怒らせてしまった。

 ちょっと考えれば分かった事だ。エリオットは甘えるのが苦手だ。そして、オスカルの家との格式の違いをどこかで気にしている。
 今ではアベルザードの家もエリオットを受け入れているし、エリオットも馴染んでいる。だからこそ失念していた。彼は最初、身分の低い騎士家の自分と王都伯爵家のオスカルでは釣り合わないと考えていたのだ。
 同じ騎士で、同じ団長。立つステージは同じなんだと説得して、彼もそこは受け入れた。けれど金銭という物が出てきて、思いだしたにちがいない。
 格式の違い、身分の違い。そんな、これから薄れ行くものが彼を縛る。苦労してきたからなのか、貴族社会に飛び込んで周囲から言われてきたからか。

 騎士団入団当初、エリオットへの風当たりは強かった。
 ルースの父が団長になってから、貴族主義的な考えと組織形成は進んでいった。
 そこへ地方出身、しかも貴族ではなく騎士階級のエリオットが入ったのだ。周囲からの圧力や嫌がらせは酷かった。
 同じ騎士階級でもクラウルは元騎士団長の息子で、格式ある騎士家の息子。それはもう貴族に等しい家柄だったから平気だ。
 でも、エリオットは違った。陰湿な苛めや、仕事の押しつけ、陰口。扱いの違いはオスカル達にも分かった。
 だからこそ同室同士みなで彼を支えたし、側にいた。

 それでも、エリオットにとっては苦しかったのか。身分も力も身につけた今でも、遺恨を残す程に……。


 グラスの氷がカランと音を立てる。飲んでいるのに、酔えていない。

 このまま、超えられないのだろうか。お金でも、地位でもいい。持っている全てで彼も家族も守ってあげたい。けれどそれは彼を傷つけるのだろうか。悲しませてしまうのだろうか。

 不安や悲しみが胸を埋めていく。
 そんな時、入口のベルが鳴ってコート姿のエレナが顔を出した。

「いた!」
「あぁ……」

 見つかってしまった、どんな顔をしていいか分からなくて避けていたのに。

 エレナが近づいてきて、隣りに座る。そしてエリオットに似た瞳をオスカルへと向けてきた。

「ごめんなさい、オスカルさん」
「え?」
「私の事で、兄さんと喧嘩したんでしょ?」

 気遣わしく瞳が伏せられる。しょんぼりとした表情に、オスカルは苦笑して柔らかな髪を撫でた。

「気にしないで、話し合いが足りなかっただけ」
「でも」
「……話し合ってみるから」

 できるだろうか。いや、できなければ彼との結婚は遠ざかる。それともこの思いも焦りすぎている? もっと時間をかけなければいけないのか? 時間をかけ、寄り添って、彼の不安全てを取り除いて。

 して来たつもりだった。けれど、本当にできていた? 寄り添う時間は日にどのくらいあったんだ。

 また溜息が出る。エレナの前なのに、落ち込む自分を浮上させられなかった。

「兄さんも、泣きそうな顔してた」
「え?」

 隣のエレナが不安そうに見つめる。その目をマジマジと見つめて、オスカルもまた泣きそうな顔をする。

「兄さん頑固だし、意地になってる部分もあると思う! 本当はオスカルさんと話したいんだと思う。なんて言えばいいか、話し始めが分からないんだと思うの」
「エレナちゃん……」
「私のゴタゴタに巻き込んじゃって、私もこのまま二人の仲が拗れるのは嫌だよ」

 エレナが腕を引き、行こうと促す。
 オスカルも帰りたかった。エリオットの顔を見て、謝って、抱きしめて……。

 立ち上がり、代金を置いて店を出ようとした、その時。俄に店の前が騒がしくなる。そして間を置かず、狭い店内に数十人の男が手に剣や棒を持って押し入ってきた。

「なっ、なんだぁ!!」

 店主がびっくりしてカウンターの下に身を隠す。オスカルはエレナを背に庇って、ジリジリと後ろへ下がっていった。

「どいてくれないかな?」

 一応は言ってみた。だが、それでどくならそもそも押しかけてはこないだろう。

「オスカルさん……」
「逃げられるように準備してて」
「でも、外にも。幌馬車が五台停まってる」
「っ!」

 一台に十人程度と考えて、五十人以上? この狭い店内で冗談じゃない。

 オスカルは剣を抜くのを躊躇った。この狭い店内で、これだけの人数がいて武器を振り回せば思わぬ怪我をさせかねない。それに、エレナもいる。万が一彼女に怪我をさせたら……それが顔だったり、深傷だったら取り返しが付かない。

 剣を抜かず、構えるオスカルをエレナは不安そうに見つめる。
 そのうちに、一人が緊張した空気に耐えきれず棒を振りかぶって向かってきた。

 相手は素人だとすぐに分かる。体の使い方がなっていない。
 振りかぶった相手の腕を掴み、直ぐさま足をかけて横に投げ飛ばし、握りの甘い棒を掴む。素手よりは多少いいだろう。これなら精々青痣か、悪くて骨折程度だ。

 驚いた奴が同じように攻撃するが、何せ隙が多い。がら空きの胴を殴り、沈めたら放置。剣を構えているのは厄介だが、握りも甘い。手元を狙って棒で弾けば簡単に剣を落とす。

 なんだ? 彼らは一体なんなんだ? 傭兵でも、自警団でもない。そもそも武器を持って戦った経験などあるのだろうか?

 だがいかんせん数が多すぎる。十人以上を倒してもまだ店内に人は溢れ、更に外から補充されている。一人ずつはド素人でも数が多ければ疲弊する。テーブルも椅子も邪魔くさい!

 こっちはようやく謝りにいく決心がついたってのに、水を差すのもいい加減にしろ! エレナがいなければ全員斬って終わりだってのに!

 エレナも落ちた棒を掴んで果敢に戦っている。力に押されながらもそこは技術でカバーしているらしい。オスカルに言われた通り出入口方面を目指している。
 さすがはエリオットの妹だ。度胸が据わればやるべき事が分かっている。

 このまま押し進み、入口まできたらとにかく走る。追いつかれそうになれば撃退。外に出れば剣だって安全に使える。

 そう思い、倒した奴等を無視しどんどん前へと進んでいた。その時、エレナへと伸びる手を見てオスカルは咄嗟に走り出て、その手を思いきり殴りつける。一際強い力で殴った手首は確かに「バキッ」という手応えがあった。

「!!」

 声もなく逃げ去った手の正体は掴めない。目深に被ったフードで顔が見られなかった。
 まぁ、そんな事をしなくても相手など分かるが。

「ありがとう、オスカ! オスカルさん!」

 悲鳴のような声がした直後、後頭部を強い衝撃が襲う。脳みそが揺れるというのはこういう事だ。世界が揺らいだ次の瞬間には、体が半分まで落ちていた。踏みとどまったけれど、上手く体を真っ直ぐにできない。

「今のうちだ!」

 椅子の足を掴んだ男が叫び、周囲も騒々しくオスカルへと向かってくる。
 青い瞳に殺気が宿った。踏みとどまった足で、男達へと向き直るその動きのまま一気に三人の胴を棒が凪ぐ。どれも手応えがあった。

「ぐはぁ!」
「ぐげぇっ」
「がはぁ……」

 倒れた奴らを見て尻込みした後続。その前で、オスカルは殺意の滲む目で全員を見渡した。

「どうした、殺されにこい」
「あ……」
「基本、拘束。けれどこれ、基本でしかないから。殺そうとしている相手に、手を緩めてやる必要もない」

 オスカルの怒気と殺気に気圧された面々が下がっていく。
 だが一つの声が場の状況を一変させた。

「何をしている! お前達の家族が待っているんじゃないのか!」
「なに!」

 聞いた事のある金切り声にオスカルの危機感は増した。戦うでもない御者に触発され、ド素人の襲撃者達は必死の形相をする。

「オスカルさん、この人達」
「胸くそ悪い。こんなの、殺せないじゃんか」

 殴られた後頭部がガンガンと痛み、足もふらつく。だが敵はまだ三十人前後いる。とても相手にしきれない。

 オスカルはエレナの手を掴むと出入口を目指し走った。もつれそうになる足、斬りかかる男の剣を棒で弾き、そうして入口を抜け、尚も走った。

 外は雪が降り続いている、寒い夜だ。
 新雪に二人分の足跡と、流れ出る血がポタポタ道を作っていく。

 視界が霞む、けれど足は止められない。地理が分からないけれど、このままエリオットの所には行けない。迷惑をかけてしまう。

 だいぶ逃げた。周囲に人の気配もない。町を抜けて、森の中へと来たらしい。

「オスカルさん」
「エレナちゃん、ごめん、一人で行って」
「駄目! 早く怪我を……」
「うん、でもね。僕がいると、見つかると思う。ここの場所、分かる?」

 問えばエレナはちゃんと頷いてくれる。それなら大丈夫だ。

「僕がここで、追っ手を抑える。エレナちゃんはエリオットの所まで逃げるんだよ」
「そんなの駄目に決まってます!」
「邪魔なんだ、君がいると。怪我させられないから、剣を握れない」

 エレナは驚き、そして悲しそうな目をする。
 分かっている、傷つけたのは。嫌われるのも覚悟だ。でもどうしても、君を巻き込めない。君には逃げてもらわないといけないんだ。

「こっちだ!」
「!」

 姿は見えないが声が聞こえる。足跡に血が混じって、だいぶ見つけやすい。

「行って」

 不安そうにしながら、エレナは雪原の奥へと入っていく。遠回りしてくれると助かるのだが。

「いたぞ!」

 エレナの姿が見えなくなったくらいで、とうとう姿が見えた。へっぴりの腰、震える手。そんなもので追い詰めてくる。

 オスカルの手には剣ではなく、棒が一つ握られている。彼らの正体も、理由も、何となく分かってしまった。だからこそ殺せない。

「仲直りに、どれだけ時間かかるのかな?」

 乾いた笑いを浮かべ、オスカルは立ちはだかる。少しでも時間を稼ぐために。

◆◇◆
▼エリオット

 オスカルと話ができない。エリオットは何度目か分からない溜息をついて自室にいた。

 彼がしたことは確かに驚いたし……嫌だった。
 対等でありたい。思うが、やはり違うように思えてしまう。あんな大金を簡単に出せてしまう。しかも、あんな男に……。
 こちらはやましい事などしていない。ならば堂々と奴を断罪すればいい。そう、思ったのだが。

 違うのだろうか。彼は、何を考えたのだろう。分からない……。

 その後はもう話せなかった。何を言っても彼を責めてしまいそうで嫌だった。本当は話し合えばいいのに、気持ちが尖ってなじってしまいそうなのだ。

「はぁ……」

 溜息が出る。その時、ノックする音がしてエリオットは腰を上げた。
 ドアの前に立っていたのは母セリーヌだった。とても真っ直ぐな目をしてエリオットを見ている。この目を知っている。説教をする時の母の顔だ。

「母さん」
「いいかしら」

 静かな声に、エリオットは母を招き入れる。
 幾つになっても母がこれから説教をするのだと分かると萎縮する。エリオットは母の対面に座り、話し出すのを待っていた。

「オスカルさんと、喧嘩したのですね」
「はい……」
「謝りましたか?」
「……」

 沈黙は状況を表す。分かっているのに、声が出ない。
 母は溜息をつき、エリオットの顔を真正面から見据えた。

「貴方は本当に、お父さんと私の悪い所を引き継いでしまって」
「え?」
「お父さんの頑固。そして私から、意地っ張りと甘え下手を」

 そんな事を言われたのは初めてで、キョトッとしてしまう。

「エリオット、貴方は本当にオスカルさんを愛しているのですか?」
「勿論です! 彼の事を大切に思っています」
「それならどうして、歩み寄りをしたり謝罪をしたり、話し合いをしたりしないのですか」
「それは……」

 なんて言って声をかければいいか分からなかった。
 オスカルが気遣わしい顔でこちらを伺っていたのは知っている。その時に気持ちは動こうとした。けれど、何処かで思ってしまっていた。

 間違った事なんてしていない。と……

 違う、そうじゃない。悪いとか、悪くないとかじゃない。このままでは彼との距離ができてしまう。話しかけたい。そして、胸の中にあるモヤモヤを解決したいのに。

「エリオット、失ってしまってからでは遅いのですよ」
「え?」

 失う? オスカルを? そんなこと……

 ないとは言い切れない。オスカルは近衛府、カールに何かあればその身を晒しても守るのが役割。そしてエリオットも前線で治療をする。何もないなんて言えない。
 いや、むしろ今のような喧嘩が尾を引いてしまえば、彼とは。

 先が見えない。隣りにある温もりが消えてしまったら、差し伸べられる手を失ったら、自分はいったいどこへ向かって歩いていくのだろう。

「……私は、今も後悔しています」

 母は静かに話し始めた。とても、辛そうな声で。

「そろそろいい年だし、騎士の仕事は辞めて田舎で静かで暮らしましょう。そう言ったのに、あの人は『今は団長が代わったばかりで、新人と古参との間に溝ができている。今自分が辞める訳にはいかない』と、そればっかり」
「母さん……」
「私も意地っ張りで……甘える事が下手でした。『そう』としか、言わなかった」

 気丈な母の肩が僅かに震える。皺の増えた手を握り、エリオットは思いだしていた。
 父は穏やかなのに、頑固だった。決めた事を譲らない人だった。

「挙げ句の果てに、戦で命を落として……。あの時私がもっと強く言っていれば。もっと、素直にあの人にお願いをしていればもしかしたら……。今でも、後悔しています」

 握った手の上から、母が手を重ねる。そして、とても真剣な目でエリオットへと訴えかけてきた。

「彼は貴方を大切に思い、それを口にしている。貴方はどうなの、エリオット。ちゃんと大事な事を伝えているの? 愛している、一緒にいて、他の事でもそうです。貴方はちゃんと、自分の思う事を彼に分かってもらおうとしているのですか?」
「それは……」

 多分、できていない。

 愛しているは、たまに言う。恥ずかしくて、なかなか出てこないけれど。
 好きは、もう少し楽に出るようになった。それでも、オスカルの半分以下。
 大事な事はきっと言えていない。仕事の話はできるのに、個人の思いになった途端に出てこなくなる。なんて言えば伝わるか分からなくて、結局口をつぐむのだ。

 オスカルは伝えてくれる。嬉しい、楽しい、悲しい、寂しい。
 愛している。大好きだよ。

 半分も返せているだろうか? エリオットから求めた事はきっと数えるくらい。オスカルが求める時も、エリオットの体調とかを考えてくれている。

 気付いたら、言葉もなく苦しさに潰れそうになる。どうしてこんな、可愛げのない相手を彼は大事にしてくれるのか、それすらも疑問なレベルだ。

「エリオット、私は貴方の結婚に反対したりしない。けれど今のままでは、いずれ大きな壁にぶつかりますよ」

 母の態度の理由が見えてきた。エリオットを心配し、気付けと無言のままに伝えていたのだ。

 立ち上がる。空は夕方から夜の気配を強めている。

「ごめん、母さん。オスカルと話してくる。夕飯、いらないから」
「分かったわ」

 コートを羽織り、外へと出る。朝から降り続く雪で道は白く雪化粧をしている。そこに、エレナの足跡が僅かに残っていた。エリオットが探しに出ないものだから、彼女が心配して探しに出たのだ。

 足跡を追って、町の中へ。そうして少し裏の方へと向かった。静かに酒が飲める店がこの辺は多い。

「?」

 白い地面に、ほんの小さく赤い点が落ちている。

 血?

 不安がこみ上げ、その点を追った。そうすると徐々に騒がしい声が聞こえだす。一軒の酒場の前が人だかりだ。

「エリオットさん!」
「マスター! 一体何が」
「エレナちゃんが男に追われてる! ありゃ、セオドールの所の御者だった」
「!」

 まさか、そんな。ではこの血は?

「一緒に若い兄ちゃんがエレナちゃん連れて逃げたんだけど、怪我してるみたいで」
「そんな!」

 間違いなく、オスカルだろ。では、この血は……

 血の気が引ける。気付いた時には走っていた。点々と落ちる血を追って、やがて森の方へと抜ける道を。それでもまだ落ちている。

 失うかもしれない? そんなの、考えていない。彼とずっと、これからもずっと!

「あ……」

 広がっていたのは、打ちのめされた男達の転がる場所。その中、一本の木に凭れたオスカルがぐったりと頭を落としていた。
 肩に血がついている。柔らかなクリーム色の髪が一部赤く染まっている。
 そればかりじゃない。あちこち、切れて……。

「オスカル!!」

 悲鳴を上げて駆け寄り、冷えてしまった体を抱いた。後頭部に手を差し入れるとほんの僅かヌルリと手が濡れる。

「あ……いや、だ……」

 頬が濡れていく。真っ白になる……

「エリオット?」

 小さく、でも確かな声が呼びかけてくる。腕の中で、オスカルは青い瞳を確かに開けて微笑んでいた。

「オス、カル……」
「ごめん、ね? ちょっと、疲れて……」
「そんなの! あっ、頭、痛む?」

 混乱に言葉が足りない。
 オスカルの手が伸びて、頬を撫でる。やんわりと微笑む彼は、立ち上がろうとしてふらついた。額に手をやるのを見て、痛むのだとすぐに分かった。

「座って!」
「大丈夫……」
「大丈夫じゃありません!」

 座らせて、マフラーで頭を固定して、エリオットはできるだけの診察をする。指を動かしてちゃんと眼球が正しく追うか。吐き気や、目眩は? 指の数がちゃんと認識出来るか、四肢に痺れ等はないか。

 オスカルは笑って、全部大丈夫だと答えた。

「その様子じゃ、エレナちゃんとは会ってない?」
「えぇ。どこへ向かいましたか?」
「この先へ」

 森の奥を指す。それならきっと。

「騎士団の砦?」
「そう、なの?」
「えぇ。徒歩で五時間程度ですが、エレナならきっと三時間程度で」

 もしかしたら、これを騎士団に知らせにいったのかもしれない。大きな事件だ、彼女なら。

「探して。セオドールの仕業。あいつ、ここに転がってる人達の家族を人質にエレナちゃんを攫おうとした。僕がここで彼らを足止めしたけれど、別動がいたら」
「それは私がやります。貴方はまず治療が必要です」

 オスカルの肩を担ぎ、一歩ずつ歩き出す。エリオットの瞳に、優しさは何も残されていなかった。
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