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1章:祝福の家族絵を(エリオット)

7話:凍れる刃

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 しんしんと雪が降る闇を、エリオットは単騎駆け抜けた。
 腕には騎士団の腕章をつけ、腰にはレイピアを一本引っかけている。


 エレナの行方が分からなくなったのはすぐに発覚した。騒ぎを聞いた砦から騎士団の人間が派遣され、その場にいるエリオットとオスカルに右往左往していた。
 彼らの話で、エレナが砦に到着していない事が分かった。森を探した結果、馬車らしい車輪の跡が見つかり、連れ去られた可能性が出て来た。

「助けに行きます」

 オスカルの怪我を治療した後、エリオットは静かに言う。母は止めようとした。だが、オスカルは黙って頷いていた。

「ごめんね、動けなくて」
「いいえ、貴方は休んで。頭の傷、平気だとは思いますが悪化してはいけません」
「……戻って来たら、温めてくれる?」

 甘えた様な言いように驚き、次には場に似合わずふわりと笑い、誓うように額にキスをした。

「はい、勿論」

 その為にも、今日で終わらせなければならない。現在騎士団も車輪の跡を追っているが、どこに行こうというのか。
 それに、家族を人質に取られた人達をどうしようか。人質もまだ見つかっていないのだ。

 思案していると、不意に来訪者があって全員がそちらを見る。招かれた男は丁寧に、エリオットとオスカルへ頭を下げた。

「お前、セオドールの執事」
「元、でございます。残念ながら失業いたしました」

 場に似つかわしくない丁寧な物言いに、全員が腰を折られたような感じがする。
 だが当人はあまり気にもしていないのか、真っ直ぐにエリオット達の所へと進み出て、広げられていた周辺地図の一点を指さした。

「おそらくではございますが、人質はこちらにいるのではと」

 執事が指さしたのは屋敷から少し行った先にある場所だ。何もない場所に見える。

「ここに、小さいものですが小屋がございます。粗末なものですので、早い救出がよろしいかと」
「すぐに人をやるぞ!」

 騎士団が動き出し、バタバタと辺りが騒ぎ出す。
 その中で執事は更に、馬車が向かったと思われる先にある場所を示した。

「ここに、一つ屋敷がございます。元主が鹿狩りの時に使うものです」
「ここに?」
「このような雪の日に野宿ができるほど、我慢強い主ではございませんので」

 淡々とした執事の目に、ようやく感情らしいものが浮かぶ。酷く気疲れしたものだ。

「どうして、今更……」
「先に申し上げた通り、失業いたしました。これが元とはいえ尊敬すべき主であれば庇い立ていたしますが、生憎とそのような点が一つも見当たらないものでして。これ以上人様に迷惑をかけてはならないと、恥を忍んで参上つかまつったしだいでございます」

 馬鹿に丁寧な物言いをしながらも、執事は苦笑する。それだけで気苦労が滲み出ていた。

「これが少しでも仕事なりに力を注いでいただけていたら、お支えしようと思っておりました。それが、本当の主人の願いでした。ですが実際は仕事もせずに酒を飲み、貴族だと口ばかり。責任を果たさずして何が貴族なのかと呆れながらも、任された町の事を必死で行っておりました」
「では、貴方が町の事を?」
「えぇ。本来の主人に育てられ、支えておりましたので」

 有能な執事がありながらこの有様とは、セオドールの無能もここまでくれば清々しい。切り捨てるのに一切の躊躇いもない。

「奴は私兵を三十人ほど連れております。元の家からこちらに移ってくる時に雇い入れた者達で、奴と一緒に好き放題にしていた者です。お急ぎに」
「分かりました」

 エリオットはオスカルに後を任せ、外へと飛び出し馬を繰った。


 執事の言った通り、そこには屋敷が一つあった。明かりを灯したそこへ向かうエリオットの心は、この空よりもずっと冷たく冴え渡っている。
 そうしてドアを開ければ守りを任されているらしいごろつきが十人ばかり、一斉にエリオットを見ていた。

「なんだお前?」

 一人が訝しそうに問うが、エリオットは答えない。答える必要もないのだ。

「おい、あの嬢ちゃんに似てないか?」
「そういや、騎士団の兄ちゃんがいるらしいぜ」
「はっ、騎士団なんていっても俺達の事に気付きもしないヘボばっかだろ」
「しかも一人でときた」
「残念だったな、兄ちゃん。あの嬢ちゃんなら今頃セオドールの旦那がお楽しみ中だろうよ」

 不愉快、極まりない

 高笑いを浮かべた男の顔面にブーツの底がめり込み、鼻がへしゃげて折れる音がしたのは直後だった。
 エリオットの瞳は狼のように冷たく、そして冴え冴えとしている。
 突然の攻撃に驚いた奴等が剣を抜く暇を、エリオットは与えなかった。

 レイピアの切っ先は的確に剣を握る右の肩を貫き引き抜かれる。その正確さは寸分違わず男達の腕を潰す。
 剣を抜いた男が斬りかかろうとも握る手元を蹴り上げ、太股の一点をレイピアで貫き。
 エリオットには見えている。人の体の構造、どこを突けば無力化できるか、剣が引っかからないか。
 殺すも生かすも、エリオットは熟知している。

「誰か!!」

 たまらず叫んだ声に人が増えるがそれも構うものか。
 エリオットの歩みを誰も止められない。一足飛びに間合いを詰められ、剣を抜く暇も与えられずに地面に転がる。肩や肘の内側といった関節部を的確に破壊し、太股を貫かれて動きを封じられ。
 蹴りは顔面を、鳩尾を狙い沈めていった。

 そのまま階段を駆け上がったエリオットの目に、明かりの漏れる部屋が見える。走り込み、強烈な足の一撃でドアの鍵を破壊したエリオットの目の前で、今まさにセオドールと御者の男はエレナの服を剥ぎ取ろうとしていた。

「きっ、貴様何故!」

 金切り声が耳障りだ。エリオットは正面から御者の喉仏めがけ蹴りつける。妙な音を口から漏らすのも無視した第二撃は顔面へと沈み鼻と前歯をへし折って沈んだ。

「動くな!」

 震えたセオドールがエレナの首を掴まえて剣を突きつけている。

「ぅ、うぅごけば、この女の首を!」

 奴が全てを言い終わるよりも前にエリオットの剣は動いている。剣を握る手の甲を刺し貫き、落としたのを見て更に肩を狙って突き刺す。
 自由になったエレナの腕を掴まえて引き寄せると同時に、動けないよう両足をレイピアの切っ先が貫いた。

「ぎゃあぁぁぁ!」

 悲鳴を上げて床をのたうつセオドールの肩をエリオットは足蹴にし、グリグリと抉り出す。剣で切ったわけではないが、肩の太い血管と筋を狙って貫いた。ジワジワと床に赤い色が広がっていっても、エリオットの目は冷たいままだった。

「エレナと、オスカルと、お前が傀儡とした者達の全ての代弁者として、こうして断罪にきたわけですが」
「ぐあぁぁぁ!」
「もどかしいばかりです。心臓一突きで容易く殺せるというのに、それは過剰な攻撃となる。精々やれるのはこの程度の事だなんて」

 太股も真っ赤になっていく。当然だ、太い血管を突いてやった。レイピアは攻撃タイプが突撃のみ、その威力も剣ほどではない。
 だが人体というものを知り、的確にそれらを狙う鋭さと速さ、そして正確さがあれば十分な武器となる。
 エリオットはこのレイピア一本で数多の戦場を渡った。彼と対した敵のほとんどは即死。傷は、たった一撃であることが多かった。

「騎士団がここに乗り込んでくるのに、どのくらい時間がかかるか。その間に死んでくれると私の溜飲も下がるのですが……。何にしてもその手に二度と感覚が戻る事はないでしょう。お前がしたことを、反省するのですね」

 これ以上見ていても腹が立つ。エリオットはセオドールに背を向け、エレナの肩にコートを着せかける。
 エレナは怯えていた。セオドールではなく、エリオットにだろう。

 苦笑が漏れる。彼女も、母も、戦場のエリオットを知らない。二人の中ではいつまでも穏やかで、少し頑固な兄の姿のまま。
 だが違う。そんなものは騎士団に入ってさっさと捨てた。生き残る為に誰かを殺す事を躊躇っていられなかった。
 入団後二年で、エリオットはファウストの右腕となっていた。

「こん……こんな事をして……! 騎士程度が貴族を害してただで済むと思っているのか! 騎士団の横暴を訴えてやる! そっちの女もだ! 平民風情を貴族の妻にしてやろうという俺の親切心を理解しない無能者め!」

 心が凍る。この感覚は久しぶりだ。何にも感情が動かなくなり、心に一欠片の温かさもなくなる。発せられるのはただ、『殲滅』という言葉のみになっていく。

 手にしたレイピアの一撃は確実にセオドールの心臓を狙っていた。躊躇いもなかった。

 だがその切っ先が奴の胸に埋まるよりも前に、エリオットは止まった。後ろから抱きとめる温かな腕、知っている香りがする。

「これ以上は駄目だよ、エリオット。こんな奴の為に君が怒られるのは、僕は見過ごせない」

 暗くて冷たい心の中に、途端ポッと温かさが宿る。張りつめた気持ちが緩くなっていく。力が抜けて、回された腕に手を乗せた。

「怖い顔をしたエリオットを見ると、僕が辛い。戻ってきて、エリオット。君には温かい笑顔が似合っているよ」
「オスカル……」

 不思議だ、彼がいるだけでこんなに温かい。感覚も、心も戻ってくる。憎しみも怒りも消えて、気持ちも全て抱きしめられている気がする。

 レイピアは床に落ち、騎士団の人間が部屋に雪崩れ込んでセオドールも御者も拘束する。けれどそんなの全部どうでもよくて、エリオットは縋るようにオスカルの腕に手を回していた。


 事情聴取やらを騎士団砦でして、一緒にオスカルの検査もして、気付けば夜は明けてすっかり外は明るくなっていた。
 エリオットの行いは過剰防衛気味ではあったが、敵は複数でエリオットは一人。しかも身内を人質にされていたということで、おそらく厳重注意程度になるだろう。悪くて謹慎だろうが、逆に残業と言われる可能性もあった。

 夜に戻る事にしたエリオットとオスカルは、今は騎士団の宿舎一室を借りている。

「あーぁ、疲れていなければエリオットが欲しいのになぁ」
「はははっ、流石に無理ですよ」

 同じベッドの中、ふて腐れるオスカルはそれでもエリオットを抱きしめたまま。エリオットも彼の腕の中で笑っている。

「眠い。でも、寝るの勿体ない」
「馬鹿を言わずに寝てください。私も眠いですよ」

 気持ちが落ち着いたら途端に眠気が襲ってくる。緩やかな眠気が落ちてきて、気持ち良い時間が過ぎている。

「エリオット」
「はい」
「……ごめんね。僕たちもっと、話せばよかった」

 オスカルの突然の言葉に、エリオットは驚いて見上げる。真っ直ぐに見下ろす青い瞳には本当に申し訳なさそうな光が揺れていた。

「僕はね、内務の調査とかが入るより前にエレナちゃんがいいようにされてしまうんじゃないかって思ったんだ。そんなの絶対に嫌だし、あんなのに付きまとわれているのも可哀想だし。だから、てっとり早くお金で解決しちゃった。でも、それが嫌だったんだよね?」

 考えていてくれたんだ。思えばそれだけで胸が熱くなる。分かってくれていたことが嬉しい。

「私こそ、すみません。貴方の気持ちを考えずに、自分の想いばかりを押しつけて。そのくせ、私は貴方に何もいわないままで」
「いいよ」
「駄目です。……私は貴方と、同じ場所に立っていたい。けれど家柄や格式は超えられない。散々に言われたのです。「田舎の騎士風情が、王都の騎士団で何ができる」と。悔しくて、でも本当だから超えられなくて。この思いを今も引きずっている」

 騎士団に入ってすぐに植え付けられた侮蔑の視線と感情。嫌な仕事はエリオットへと回って来た。
 父の残した騎士の家柄を捨てるものか。自分が守らなくて誰が守るんだ。そう思い、悔しさや不安を押し殺して耐えてきた。その思いは今も本当には消えていないのだろう。

 オスカルは分かっているというように微笑み、額にキスをする。肌に触れるほんの少しのくすぐったさに、エリオットは笑った。

「失念していた僕も悪いよ」
「そんな。そればかりではありません。私は頑固で、強情で……貴方に甘えたいと思っても、気恥ずかしくてできなくて」

 オスカルの背に手を回し、抱きしめてみる。胸に顔を寄せれば心地よい心音を感じる。安らぎと温かさを感じるのに、これすら普段のエリオットは恥ずかしくて身を硬くする。ランバートのように甘えられない。

「もっと、素直になりたい。せめて貴方と二人の時には……素直に貴方を感じていたい。頑固は直らないけれど、それでも」

 忘れたら、また思いだして。そうして穏やかに隣りにありたい。そう、願っている。

 オスカルの手が背中に回って、唇に温かな唇が触れる。絡まる舌はとても熱くて、そして深い。ゾクゾクと背を伝った痺れは甘く体を解していく。

「欲しい、エリオット」
「でも……」
「可愛い事を言う君が悪いよ。分かるでしょ?」

 色気のある声で囁かれ、唇が首筋に触れていく。ゾクゾクとした感覚が肌を撫でていき、エリオットの唇からも甘い声が漏れていく。
 実家では流石に声が筒抜けてしまうからと抱き合う事はなかった。その反動のように体が熱くなる。

「エリオットは? 欲しくないの?」

 欲しい。素直に湧いて出た言葉を口にしようとした。その時だった。

「失礼します! お休みでしょうか?」
「「!!」」

 ノックの音と共に声がかかり、二人は飛び上がって体を離した。オスカルを寝かせたまま、エリオットが対応する。呼ぶよう言われたらしい兵は対応したエリオットの不機嫌な顔にビクリと肩を震わせた。

「なんでしょうか?」
「あっ、容疑者達の護送などは、どうしようかと……」
「主犯の男と御者、屋敷に転がっていた男達については王都へ送って罪を追及します。加えて奴等の屋敷を捜索し、事件性のありそうなものを押収してください。町の住人達についても聞き取りを。人質を取られて罪を犯した者達は仮釈放として、沙汰を待つよう言って下さい。ただし、心配するような罪にはしないと言ってあげてください」
「畏まりました」

 そそくさと頭を下げて行ってしまう兵を溜息で送り出し、エリオットは部屋に戻る。オスカルは落ち着いた様子で笑っていた。

「あーぁ、冷めちゃった」
「えぇ」
「ねぇ、エリオット。帰り、どこかで少しいい宿取ろうよ。そこで、ね?」

 オスカルからの誘いに、エリオットは笑って頷いた。

 降り続いた雪は止み、空は青さを取りもどしている。日差しを届ける窓にカーテンを引き、エリオットは再びオスカルの隣りに寝転び今度こそ瞳を閉じた。
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