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3章:雪中訓練
2話:雪山初日
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あっという間に雪山行きの日、意気揚々とするウェインとは違いレイバンは寒そうにコートの前を握っている。
「信じられない……」
「レイバン遅れるよー」
「どうして皆そんなに平気なのさ!」
不満タラタラというレイバンはそれでも馬を走らせる。
「寒いよね」
「そのわりに余裕そうだよ、クリフ」
「そう? ロッカーナも田舎だったからかな?」
一番最後を行くランバートの隣で、ラウルは苦笑していた。
「大丈夫かな?」
「何が?」
「今日はとりあえずロッジに到着が目的だし、今日の食事は流石に持参だけど……四日間、これでもつかな?」
「保ってもらわないと困るだろ? そういう訓練」
「外泊もするんだよね?」
「穴掘って泊まるよ」
「レイバン、凍死しなければいいけれどな」
心配そうなラウルの表情は、それでも見守るように温かなものだった。
目的地は王都から十時間程度の山の峰。そこには高床のロッジがあり、風呂は温泉掛け流しという恵まれた場所だ。
外が暗くなる時間に目的のロッジに到着すると、中から一人の青年が顔を出す。大半の者がその人物に最大限の警戒を示した。
「やっとついた。食材の運び込み終わってるよ」
「悪い、チェルル。一人で任せたな」
「いいって、前日入りしてるし。それで……俺の事って、もう話たんだよね?」
ランバートへと問いかけるチェルルは、自嘲気味な笑みを見せる。そして全員の前に出ると、思いきり頭を下げた。
「ごめんなさい!」
「…………え?」
「散々な事をして、正直どの面下げてここに居るんだって思ってるだろ? しかも、図々しく」
全員が言葉も無く顔を見合わせる。それは図星だったからだろう。
ただ、ランバートとラウルにはもうチェルル達への怒りはない。犠牲になった仲間の事はある。その点では今も許せていない部分がある。
だがそれは、彼らだって望まない未来だった。憑きものの落ちた様な今の彼らを見れば、あの当時が異常だったのだと分かる。
「でも」
「?」
「でも、助けて欲しい。償いはその後でするから、今だけは……お願いします」
誠実な相手に不誠実で返す者はここにいない。ゼロスが前に出て、そっとチェルルの肩を叩いた。
「正直、まだ恨んではいるし、痛む部分はある」
「……うん」
「だが、お前に同情もしている」
「……うん」
「今だけ、手を結ぶ。お前も味方として協力するんだろ?」
「勿論!」
「じゃ、一時休戦でいい」
なんだかんだで、ゼロスはリーダーの風格がある。そういう人物が相手を許すというのは、意外なほどに場の空気を変える。事実、ある程度の人物がこれで緊張を緩めたのだから。
「ってことで、今日は親睦会でいいよね!」
パンと手を打ったハリーがニコニコしてランバートとウェインを見ている。二人ともそれに顔を見合わせ苦笑しながら頷いた。
ロッジの中はかなり立派だ。入ってすぐはリビングダイニングでかなり広い。大きな暖炉があり、火が赤々と燃えている。
二階には数部屋あり、確認すると一部屋にベッドが二つずつ。部屋割りは適当に決めたが、チェルルはラウルと一緒になり、ランバートはゼロスと。コンラッドはハリーと一緒だが、夜中にイチャつくのは禁止された。そもそも壁が薄い。
そして意外なのが、チェスターがリカルドと同じ部屋を希望した事だった。
そういえば、チェスターはリカルドを気にしている事を思い出す。懐いているだけかと思ったが、案外本気なのかもしれない。
一方のリカルドは何故かいい顔をしないが、拒むでもない。溜息をつき、「分かりました」と抑揚なく言うばかりだった。
現在はランバートとコンラッドが今日の料理を作り、クリフが手伝っている。
その間、暖炉前のコの字型ソファーではチェルルを囲み何やら話がされている様子だった。
▼チェルル
正直に言って、何発か殴られる事は覚悟していた。
話がされているのは分かっていたけれど、それでもだ。
お人好し……。その言葉を何度も皮肉たっぷりに思いながら、胸の中は言いようのない嬉しさに痺れている感じがした。
「そういえばさ、ハクインって元気?」
ソファーに場所を移して談話の流れ。何となくいたたまれなくてランバートの手伝いでもしようと思っていたけれど、その手はラウルに捕まってしまった。
ニコニコしながら「大丈夫」というこの顔を見ると、ちょっとホッとする。それってのもつい最近、彼には人生最大と言っていいほどの不幸と幸福が押し寄せたのだから。
ラウルに連れられてソファーに座らせられると、すかさず気の無い様子でハリーが問いかけてくる。
これも不思議。こいつの兄はハクインの計略で命を落としたと言ってもいい。ハクイン自身それを泣きながら詫びたみたいだけれど、肉親を殺されてそれで許すのだろうか。
「ねぇ、聞いてる?」
「あっ、うん、元気。最近飲食店で手伝いしてるよ。料理が趣味になったみたいで、毎日新しいレシピ覚えてくる」
「へぇ、充実してんじゃん。リオガンは?」
「元気だよ。自警団で町の治安維持してる」
「そっか、あいつもう平気か。それならいいんだ」
「それならいいんだ」という言葉をどう受け取っていいものか。チェルルはとても不思議な気持ちになってしまう。
「? なに?」
「いや……恨んでないのかなと思って」
思わず呟いた言葉に、ハリーは途端に嫌な顔をする。それを見て分かった。恨んでないわけじゃない。ただ、許したんだと。
「全部を許したわけじゃないよ。でも……やっぱ兄貴は駄目だったんだって、最近思う。話を聞けば聞くほど病んでた。例え今生きていたとしても、病み具合が加速して余計に見ていられなかったと思う」
俯き加減のハリーはそれでも真っ直ぐな目をしている。それは、メンタルの強さだ。
「もしもは考えない。それに俺は最後に、本当の兄貴に会えた。だからもう、それでいい」
「あの……」
「それにハクインが本当に心から腐ったゲス野郎じゃないのは、あの涙を見れば分かる。リオガン抱えて死にそうな顔してさ。なんか、憎めないよねあいつ」
「それは俺も思うよ」
何だかんだで皆に可愛がられる弟分を思いだして、チェルルは小さく笑みを溢した。
「いい機会だから、少し話が聞きたいな。チェルル、ジェームダルってどんな国なの?」
ボリスが多少興味深い様子で問いかけてくる。それにチェルルは多少困った。
なにがって、あまりに悲惨な国で現実味がなさそうだったからだ。
それでも、これから潜入する国の情報を知りたいと思うのは当然のこと。チェルルは頷いて、全員の注目を浴びる中話し始めた。
「ジェームダルってのは……貧しい奴が弱くて、金持ってる奴が偉くて強くて……上に上がれなくて、弱い奴はどんな理不尽も受け入れなきゃいけない、そんな国。何を搾取されても文句は言えなくて、学もないから上にも行けなくて……奴隷は奴隷のまま、ずっと……」
自分で言っても救いのない国だなと思い自嘲気味になる。だが、これが現実だ。これが、あの国だ。
全員の顔が妙な感じになっている。納得していない感じだったレイバンですら、哀れみのある表情をしている。
だから、余計に思う。自分の故郷はとても可哀想な国だって。
「まるで、かつてのスラムだな」
ゼロスが呟くように言った言葉に、チェルルは思わず頷いた。
ランバートの事を調べるにつれて、チェルルはかつてのスラムを知った。その時に思ったのだ「これは自国そのものだ」って。
「まぁ、そんな感じ。弱ければ殺されたって表にでない。強ければ何人殺したって罰せられない。王様がもの凄く権力を持ってるから、その王様が腐ってると周囲も腐る。前の王様はまっとうで、少し良くなってきたのに今また……正直国民は、希望すら見てないと思う」
それでも逃げ出せない。抗えない。圧倒的な兵力を持つ国に武器を持たない平民が立ち向かったってどうにもならない。瞬殺される。それを嫌と言うほど植え付けられているから、逆らおうという気力さえないんだ。
ただ平穏に、波風立てず過ごせば穏やかな暮らしはできる。それでもう、納得するしかないんだ。
「俺達は地方の、国境の町で生活してた。中央から捨てられた人間の掃きだめで、守ってすら貰えなくて、いつも隣国や盗賊、放牧民族の侵攻に震えてた。だから俺達は自分の町を自分で守る事を選んで、辺境義勇兵を立ち上げたんだ」
沢山の悲劇や苦しみに、もう耐えられなかった。その結果だ。
「国はなんとかしなかったの?」
ボリスが深刻そうに問いかける。それに、チェルルは頷いた。
「町よりも内側に砦がある。俺達の町は砦の盾で、時間稼ぎだった。町が蹂躙されている間に砦は準備を整えて、壊れた町に雪崩れ込んで住民巻き込んで駆逐する。終わったら復興もほったらかしにして砦に戻っていく。そんな、使い捨て」
「そんなんおかしい!」
憤慨したのはウェインだ。怒りに目を釣り上げると、徐に近づいて来てチェルルの手を強く握った。
「僕はお前等嫌いだけど、今は頑張れと思う! 守って貰えないから自分たちでなんて……真っ当な奴だったんだな」
「あっ、有り難う」
「こんな風に頑張れる奴を非道な道に追い込むなんて、今の王様が絶対に悪い!」
「あぁ、うん……」
戸惑う。けれど、嬉しい。またジワジワと胸の奥が締め付けられて、痺れる。ちょっと、泣きそうなのかもしれない。
「……現状分かった。お前達の主ってのは、真っ当な人だったんだろ?」
「うん。俺達が地方で頑張っているのを知って、国軍引き連れて助けにきてくれた。王族なのに馬を降りて、傷ついた人を助けてくれた。俺達の事を、誰よりも勇敢な騎士だって言ってくれて……」
まずい、思いだしたら苦しくなる。チェルルは慌てて目を擦って無理矢理笑った。思いだして泣くなんて、恥ずかしいから。
けれど隣のラウルは心配そうにハンカチを出して渡してくれる。散々な事をしたのに、お人好し。
「俺達の事を直下に置いて、騎士にしてくれた。アルブレヒト様は弱い人の味方で、神の声を聞く。国民もこの人が王様になれば国が変わるって期待して……でも……」
生きている。信じている。でも……
思いがこみ上げると苦しくて、手を握ってしまう。なにせ何年も顔を見ていないのだ。
だがここで、意外な人物が声を上げた。
「神を降ろすアルブレヒト? その方は、もしやエルの一族ですか?」
「え? あぁ、うん」
ずっと静かに聞いていただけのリカルドが声を上げた事に、チェルルは驚いて見てしまう。主と似た白い髪が、ほんの少し感傷に触れる。
「聞いた事があります。確か、シウス様と同じ集落だったと」
「はい、そうみたいです。兄のように慕った人だと」
ラウルが答え、リカルドは唸る。そして徐に、チェルルを見た。
「神の声を聞くという力を、その方は何度も使いましたか?」
「え? あぁ、うん、たまに」
「その後、体調を崩す事はございませんでしたか?」
「……たまに」
どうしてそんな事を知っているのだろう。妙な不安がこみ上げてくる。
「でも、ちょっと疲れてただけだって。半日もすれば……」
「神は人の願いに対価を求めます。こちらの望みを易々と聞き入れない為です」
「……なに、それ?」
知らない話に、チェルルの喉はゴクリと鳴った。真っ直ぐに見つめるリカルドが嘘を言っていないのは分かる。けれど、それならどうして。いつもじゃない、たまにだ。その違いはなに?
「神は自らの意思を勝手に神子に降ろします。この時は平気です、神の意志ですから。ですが人が願って神の力を求める時、対価が発生します」
「……例えば」
「主に加護が薄くなるそうです。神子は神に愛される。その寵愛の分、加護が強くなる。願いを口にすると、その加護を他に分け与える事になるのです。加護は無限ではない。回復もしないと伝わっています」
「失えば、どうなるの?」
「守られていた力を完全に失うのです。当然そこに良くないものが付けいる。極端に失えば様々な病にかかったり、体が弱ったり。良くない者が寄ってきて食い物にしたり。これまで加護が厚かった分、失えば急激に取り込まれ落ちていきます。そうして亡くなったのが、聖ユーミルだと伝えられています」
心臓が痛くなる。思わず握ったその手に、お守りが触れた。
恐る恐る取り出したそれは黒く変色している。珍しい銀のそれは、騎士になった時にアルブレヒトがくれたもの。「これが貴方を守り、いざとなれば代わりとなってくれるから」と。
途端に怖くなった。毒を浴びたのでもないのに黒くなった銀のお守り。これが黒く変色するにつれて、チェルルの体は回復した。絶望的かもしれないと言われたのに。
「聖ユーミルって、どのような亡くなり方をしたのですか先生。俺達、そこまで知らないですよ」
「悲劇的だったと言われています。建国の王を助ける為に自らの加護を使い果たした人は、宮中の陰謀に巻き込まれ成す統べなく追われ、逃げてもまだ命を狙われ、人に騙され、傷を負い、その傷から腐っていったと」
「悲劇的過ぎない?」
「そうですね。それでも聖ユーミルは人を恨まなかった。誰を恨む事もなく、自らの天命が尽きたのだと静かに死んでいったそうです。故に神が彼の魂を拾い上げたと」
それが、アルブレヒトの身にも襲いかかっていたら?
「ね、え。もしも、誰かの命を助けてなんて祈ってしまったら……どう、なるの?」
チェルルの回復はとても早く、ハムレットが「奇跡的」と言った。リオガンも、レーティスもそうだった。
若いからだって、思っていた。ハムレットの腕がいいからだと思っていた。でも、変なんだ。リオガンのお守りはその後見てみたら、無数の傷がついていた。レーティスのお守りも、一つ大きく傷があった。
リカルドはしばし悩んだ後で、とても言いづらそうな顔をしていた。
「私は神の声を聞くわけではないのですが。おそらく、相当の対価を支払っています。極端に体が弱っているか、あるいは酷い暴力などに晒されているか。庇った相手の苦痛を、形は違えど自らの身に受けるのです。それが命の肩代わりとなれば、到底耐えられる苦痛ではないかと」
「!」
どうしよう、きっとそうだ。アルブレヒトが守ったのだ。
それなら、死にそうだった人を守った対価はなんだったの? 死んでしまいそうな苦痛を味わったの?
震えが止まらなかった。己のバカさ加減を改めて悔いた。今も知らない場所で苦しんでいるかもしれない。思えば辛くて、涙が出そうだ。
「……早く、救い出そう」
ゼロスが静かに、そして重々しくそう言った。
「信じられない……」
「レイバン遅れるよー」
「どうして皆そんなに平気なのさ!」
不満タラタラというレイバンはそれでも馬を走らせる。
「寒いよね」
「そのわりに余裕そうだよ、クリフ」
「そう? ロッカーナも田舎だったからかな?」
一番最後を行くランバートの隣で、ラウルは苦笑していた。
「大丈夫かな?」
「何が?」
「今日はとりあえずロッジに到着が目的だし、今日の食事は流石に持参だけど……四日間、これでもつかな?」
「保ってもらわないと困るだろ? そういう訓練」
「外泊もするんだよね?」
「穴掘って泊まるよ」
「レイバン、凍死しなければいいけれどな」
心配そうなラウルの表情は、それでも見守るように温かなものだった。
目的地は王都から十時間程度の山の峰。そこには高床のロッジがあり、風呂は温泉掛け流しという恵まれた場所だ。
外が暗くなる時間に目的のロッジに到着すると、中から一人の青年が顔を出す。大半の者がその人物に最大限の警戒を示した。
「やっとついた。食材の運び込み終わってるよ」
「悪い、チェルル。一人で任せたな」
「いいって、前日入りしてるし。それで……俺の事って、もう話たんだよね?」
ランバートへと問いかけるチェルルは、自嘲気味な笑みを見せる。そして全員の前に出ると、思いきり頭を下げた。
「ごめんなさい!」
「…………え?」
「散々な事をして、正直どの面下げてここに居るんだって思ってるだろ? しかも、図々しく」
全員が言葉も無く顔を見合わせる。それは図星だったからだろう。
ただ、ランバートとラウルにはもうチェルル達への怒りはない。犠牲になった仲間の事はある。その点では今も許せていない部分がある。
だがそれは、彼らだって望まない未来だった。憑きものの落ちた様な今の彼らを見れば、あの当時が異常だったのだと分かる。
「でも」
「?」
「でも、助けて欲しい。償いはその後でするから、今だけは……お願いします」
誠実な相手に不誠実で返す者はここにいない。ゼロスが前に出て、そっとチェルルの肩を叩いた。
「正直、まだ恨んではいるし、痛む部分はある」
「……うん」
「だが、お前に同情もしている」
「……うん」
「今だけ、手を結ぶ。お前も味方として協力するんだろ?」
「勿論!」
「じゃ、一時休戦でいい」
なんだかんだで、ゼロスはリーダーの風格がある。そういう人物が相手を許すというのは、意外なほどに場の空気を変える。事実、ある程度の人物がこれで緊張を緩めたのだから。
「ってことで、今日は親睦会でいいよね!」
パンと手を打ったハリーがニコニコしてランバートとウェインを見ている。二人ともそれに顔を見合わせ苦笑しながら頷いた。
ロッジの中はかなり立派だ。入ってすぐはリビングダイニングでかなり広い。大きな暖炉があり、火が赤々と燃えている。
二階には数部屋あり、確認すると一部屋にベッドが二つずつ。部屋割りは適当に決めたが、チェルルはラウルと一緒になり、ランバートはゼロスと。コンラッドはハリーと一緒だが、夜中にイチャつくのは禁止された。そもそも壁が薄い。
そして意外なのが、チェスターがリカルドと同じ部屋を希望した事だった。
そういえば、チェスターはリカルドを気にしている事を思い出す。懐いているだけかと思ったが、案外本気なのかもしれない。
一方のリカルドは何故かいい顔をしないが、拒むでもない。溜息をつき、「分かりました」と抑揚なく言うばかりだった。
現在はランバートとコンラッドが今日の料理を作り、クリフが手伝っている。
その間、暖炉前のコの字型ソファーではチェルルを囲み何やら話がされている様子だった。
▼チェルル
正直に言って、何発か殴られる事は覚悟していた。
話がされているのは分かっていたけれど、それでもだ。
お人好し……。その言葉を何度も皮肉たっぷりに思いながら、胸の中は言いようのない嬉しさに痺れている感じがした。
「そういえばさ、ハクインって元気?」
ソファーに場所を移して談話の流れ。何となくいたたまれなくてランバートの手伝いでもしようと思っていたけれど、その手はラウルに捕まってしまった。
ニコニコしながら「大丈夫」というこの顔を見ると、ちょっとホッとする。それってのもつい最近、彼には人生最大と言っていいほどの不幸と幸福が押し寄せたのだから。
ラウルに連れられてソファーに座らせられると、すかさず気の無い様子でハリーが問いかけてくる。
これも不思議。こいつの兄はハクインの計略で命を落としたと言ってもいい。ハクイン自身それを泣きながら詫びたみたいだけれど、肉親を殺されてそれで許すのだろうか。
「ねぇ、聞いてる?」
「あっ、うん、元気。最近飲食店で手伝いしてるよ。料理が趣味になったみたいで、毎日新しいレシピ覚えてくる」
「へぇ、充実してんじゃん。リオガンは?」
「元気だよ。自警団で町の治安維持してる」
「そっか、あいつもう平気か。それならいいんだ」
「それならいいんだ」という言葉をどう受け取っていいものか。チェルルはとても不思議な気持ちになってしまう。
「? なに?」
「いや……恨んでないのかなと思って」
思わず呟いた言葉に、ハリーは途端に嫌な顔をする。それを見て分かった。恨んでないわけじゃない。ただ、許したんだと。
「全部を許したわけじゃないよ。でも……やっぱ兄貴は駄目だったんだって、最近思う。話を聞けば聞くほど病んでた。例え今生きていたとしても、病み具合が加速して余計に見ていられなかったと思う」
俯き加減のハリーはそれでも真っ直ぐな目をしている。それは、メンタルの強さだ。
「もしもは考えない。それに俺は最後に、本当の兄貴に会えた。だからもう、それでいい」
「あの……」
「それにハクインが本当に心から腐ったゲス野郎じゃないのは、あの涙を見れば分かる。リオガン抱えて死にそうな顔してさ。なんか、憎めないよねあいつ」
「それは俺も思うよ」
何だかんだで皆に可愛がられる弟分を思いだして、チェルルは小さく笑みを溢した。
「いい機会だから、少し話が聞きたいな。チェルル、ジェームダルってどんな国なの?」
ボリスが多少興味深い様子で問いかけてくる。それにチェルルは多少困った。
なにがって、あまりに悲惨な国で現実味がなさそうだったからだ。
それでも、これから潜入する国の情報を知りたいと思うのは当然のこと。チェルルは頷いて、全員の注目を浴びる中話し始めた。
「ジェームダルってのは……貧しい奴が弱くて、金持ってる奴が偉くて強くて……上に上がれなくて、弱い奴はどんな理不尽も受け入れなきゃいけない、そんな国。何を搾取されても文句は言えなくて、学もないから上にも行けなくて……奴隷は奴隷のまま、ずっと……」
自分で言っても救いのない国だなと思い自嘲気味になる。だが、これが現実だ。これが、あの国だ。
全員の顔が妙な感じになっている。納得していない感じだったレイバンですら、哀れみのある表情をしている。
だから、余計に思う。自分の故郷はとても可哀想な国だって。
「まるで、かつてのスラムだな」
ゼロスが呟くように言った言葉に、チェルルは思わず頷いた。
ランバートの事を調べるにつれて、チェルルはかつてのスラムを知った。その時に思ったのだ「これは自国そのものだ」って。
「まぁ、そんな感じ。弱ければ殺されたって表にでない。強ければ何人殺したって罰せられない。王様がもの凄く権力を持ってるから、その王様が腐ってると周囲も腐る。前の王様はまっとうで、少し良くなってきたのに今また……正直国民は、希望すら見てないと思う」
それでも逃げ出せない。抗えない。圧倒的な兵力を持つ国に武器を持たない平民が立ち向かったってどうにもならない。瞬殺される。それを嫌と言うほど植え付けられているから、逆らおうという気力さえないんだ。
ただ平穏に、波風立てず過ごせば穏やかな暮らしはできる。それでもう、納得するしかないんだ。
「俺達は地方の、国境の町で生活してた。中央から捨てられた人間の掃きだめで、守ってすら貰えなくて、いつも隣国や盗賊、放牧民族の侵攻に震えてた。だから俺達は自分の町を自分で守る事を選んで、辺境義勇兵を立ち上げたんだ」
沢山の悲劇や苦しみに、もう耐えられなかった。その結果だ。
「国はなんとかしなかったの?」
ボリスが深刻そうに問いかける。それに、チェルルは頷いた。
「町よりも内側に砦がある。俺達の町は砦の盾で、時間稼ぎだった。町が蹂躙されている間に砦は準備を整えて、壊れた町に雪崩れ込んで住民巻き込んで駆逐する。終わったら復興もほったらかしにして砦に戻っていく。そんな、使い捨て」
「そんなんおかしい!」
憤慨したのはウェインだ。怒りに目を釣り上げると、徐に近づいて来てチェルルの手を強く握った。
「僕はお前等嫌いだけど、今は頑張れと思う! 守って貰えないから自分たちでなんて……真っ当な奴だったんだな」
「あっ、有り難う」
「こんな風に頑張れる奴を非道な道に追い込むなんて、今の王様が絶対に悪い!」
「あぁ、うん……」
戸惑う。けれど、嬉しい。またジワジワと胸の奥が締め付けられて、痺れる。ちょっと、泣きそうなのかもしれない。
「……現状分かった。お前達の主ってのは、真っ当な人だったんだろ?」
「うん。俺達が地方で頑張っているのを知って、国軍引き連れて助けにきてくれた。王族なのに馬を降りて、傷ついた人を助けてくれた。俺達の事を、誰よりも勇敢な騎士だって言ってくれて……」
まずい、思いだしたら苦しくなる。チェルルは慌てて目を擦って無理矢理笑った。思いだして泣くなんて、恥ずかしいから。
けれど隣のラウルは心配そうにハンカチを出して渡してくれる。散々な事をしたのに、お人好し。
「俺達の事を直下に置いて、騎士にしてくれた。アルブレヒト様は弱い人の味方で、神の声を聞く。国民もこの人が王様になれば国が変わるって期待して……でも……」
生きている。信じている。でも……
思いがこみ上げると苦しくて、手を握ってしまう。なにせ何年も顔を見ていないのだ。
だがここで、意外な人物が声を上げた。
「神を降ろすアルブレヒト? その方は、もしやエルの一族ですか?」
「え? あぁ、うん」
ずっと静かに聞いていただけのリカルドが声を上げた事に、チェルルは驚いて見てしまう。主と似た白い髪が、ほんの少し感傷に触れる。
「聞いた事があります。確か、シウス様と同じ集落だったと」
「はい、そうみたいです。兄のように慕った人だと」
ラウルが答え、リカルドは唸る。そして徐に、チェルルを見た。
「神の声を聞くという力を、その方は何度も使いましたか?」
「え? あぁ、うん、たまに」
「その後、体調を崩す事はございませんでしたか?」
「……たまに」
どうしてそんな事を知っているのだろう。妙な不安がこみ上げてくる。
「でも、ちょっと疲れてただけだって。半日もすれば……」
「神は人の願いに対価を求めます。こちらの望みを易々と聞き入れない為です」
「……なに、それ?」
知らない話に、チェルルの喉はゴクリと鳴った。真っ直ぐに見つめるリカルドが嘘を言っていないのは分かる。けれど、それならどうして。いつもじゃない、たまにだ。その違いはなに?
「神は自らの意思を勝手に神子に降ろします。この時は平気です、神の意志ですから。ですが人が願って神の力を求める時、対価が発生します」
「……例えば」
「主に加護が薄くなるそうです。神子は神に愛される。その寵愛の分、加護が強くなる。願いを口にすると、その加護を他に分け与える事になるのです。加護は無限ではない。回復もしないと伝わっています」
「失えば、どうなるの?」
「守られていた力を完全に失うのです。当然そこに良くないものが付けいる。極端に失えば様々な病にかかったり、体が弱ったり。良くない者が寄ってきて食い物にしたり。これまで加護が厚かった分、失えば急激に取り込まれ落ちていきます。そうして亡くなったのが、聖ユーミルだと伝えられています」
心臓が痛くなる。思わず握ったその手に、お守りが触れた。
恐る恐る取り出したそれは黒く変色している。珍しい銀のそれは、騎士になった時にアルブレヒトがくれたもの。「これが貴方を守り、いざとなれば代わりとなってくれるから」と。
途端に怖くなった。毒を浴びたのでもないのに黒くなった銀のお守り。これが黒く変色するにつれて、チェルルの体は回復した。絶望的かもしれないと言われたのに。
「聖ユーミルって、どのような亡くなり方をしたのですか先生。俺達、そこまで知らないですよ」
「悲劇的だったと言われています。建国の王を助ける為に自らの加護を使い果たした人は、宮中の陰謀に巻き込まれ成す統べなく追われ、逃げてもまだ命を狙われ、人に騙され、傷を負い、その傷から腐っていったと」
「悲劇的過ぎない?」
「そうですね。それでも聖ユーミルは人を恨まなかった。誰を恨む事もなく、自らの天命が尽きたのだと静かに死んでいったそうです。故に神が彼の魂を拾い上げたと」
それが、アルブレヒトの身にも襲いかかっていたら?
「ね、え。もしも、誰かの命を助けてなんて祈ってしまったら……どう、なるの?」
チェルルの回復はとても早く、ハムレットが「奇跡的」と言った。リオガンも、レーティスもそうだった。
若いからだって、思っていた。ハムレットの腕がいいからだと思っていた。でも、変なんだ。リオガンのお守りはその後見てみたら、無数の傷がついていた。レーティスのお守りも、一つ大きく傷があった。
リカルドはしばし悩んだ後で、とても言いづらそうな顔をしていた。
「私は神の声を聞くわけではないのですが。おそらく、相当の対価を支払っています。極端に体が弱っているか、あるいは酷い暴力などに晒されているか。庇った相手の苦痛を、形は違えど自らの身に受けるのです。それが命の肩代わりとなれば、到底耐えられる苦痛ではないかと」
「!」
どうしよう、きっとそうだ。アルブレヒトが守ったのだ。
それなら、死にそうだった人を守った対価はなんだったの? 死んでしまいそうな苦痛を味わったの?
震えが止まらなかった。己のバカさ加減を改めて悔いた。今も知らない場所で苦しんでいるかもしれない。思えば辛くて、涙が出そうだ。
「……早く、救い出そう」
ゼロスが静かに、そして重々しくそう言った。
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