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3章:雪中訓練
3話:それぞれの夜(チェルル)
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ランバートとコンラッドのご飯はびっくりするくらい美味しかった。これが野宿でも食べられるなら贅沢だ。
それにしてもあの人、なんで騎士やってるんだろう? これを言ったらランバートには嫌な顔をされ、周囲からは笑われた。
温泉はロッジとは別棟だけどすぐ近く。二グループに分かれて入る事になってランバート達と一緒にした。
ランバートの腹には今も肉が盛り上がったような傷がある。ルースの所でついた傷だ。それだけじゃない、ドゥーガルドの傷は赤く薄らだが無数に残っていたし、チェスターの肩と足にも傷跡が見えた。
落ち着かなかった。自分の罪を見るみたいで、申し訳なくていたたまれない。
しょぼくれたように俯いたチェルルの肩を叩いた面々はニヤリと笑い、そこからは何故か水掛け大会になっていった。案外子供だ。
風呂も終わって、二階の部屋。ラウルのいない静かな室内は妙に感傷に触れた。静かに雪が降り始める外を眺めながら、さっき知ったばかりの事を考えていた。
アルブレヒトは、対価を払っている。
命の対価って、何? それは同じ命じゃないの? もしかしたら本当に、もう居なくなっていたりしないの? そして殺したのは、自分たちじゃないの?
考えたら震えが止まらない。会いたいと思っているのに、会えなくしているのは自分達かもしれない。
リカルドは言っていた。神は神子を愛すると。神子と呼ばれるほどの人物はエルの一族でもほぼいない。神子の魂はたった一つ。かつて森の神と乙女の間に産まれた最初の子の魂。それが死んで、生まれ変わって聖ユーミルになった。そして、今……
ギリギリと歯を食いしばり、痛いほどに手を握った。
聖ユーミルは悲惨な最期を遂げたとリカルドは言った。では、同じ魂をアルブレヒトが持っているとして、最後は悲惨なんじゃないのか?
簡素な木の椅子の上で膝を抱えて座り、顔を埋める。静か過ぎて、悪い事ばかりを考えている。
「チェルル?」
声がかかってチラリとそっちを見れば、風呂から戻って来たラウルが心配そうな顔をしていた。
駄目だ、ちゃんとしなければ。蛆虫な自分は嫌いなんだ。
「おかえり。ここの風呂、贅沢だよな」
「あはは、本当にね」
笑ったラウルがベッドに座り、チェルルを見ている。明るいライトブラウンの瞳が、探るみたいに。
「なんだよ」
「ん? うん。大丈夫かなって」
「なんだよ、それ」
ズキッと痛んでたまらない。チェルルはラウルを睨んだけれど、その目はとても揺れていた。
「さっきのリカルドさんの話、辛そうだったから」
「……辛くないわけないじゃん」
ギュッと服の前を握ったチェルルは顔を上げた。
「辛くないわけないよ。だって、対価ってなんだよ。俺達、知らずにあの人の命削ってたかもしれないんだ。大事な主なのに、結局その人に守られて……あの人死んだら、俺等どうしよう……」
弱音がスルスル出てくるのは、もう強がっても仕方のない相手だから。ラウルとランバートにだけは素直に言える。弱い部分を晒した相手に今更無理もない。バレてるだろうし。
ラウルは心配そうに瞳を揺らして立ち上がると、そっとチェルルの頭を抱きしめる。そして、そっと髪を撫でた。
「大丈夫、間に合うよ」
「無理だよ。俺に、リオガンに、レーティスに、ダンクラート様もだろ……何人の命肩代わりしたんだよ……今どうしてるんだよ……嫌だよ……」
「頑張るから」
「会いたいよ……どうしよう、俺あの人に恩返ししてないのに、また……」
「探して、恩返ししようよ。間に合うって、思わないとどうしようもないじゃん」
「……」
ギュッとラウルの背中に手を回して、胸の辺りに顔を埋めて、こっそりと涙を拭った。ラウルは分かっていて、何も言わずに髪を撫でている。苦しいけれど、一人じゃないのは良かった。
「間に合わせよう、チェルル。それに、これからできる事もある」
「うん、ある。皆にこれを知らせて……怪我、しないように……」
「僕も手伝うよ。僕もね、チェルルにお世話になったんだから」
言われて、顔を上げた。まだちょっと痛そうな顔をするラウルが、優しく見下ろしながら頷いた。
「僕も、君に返すよ」
「いいよ、あのくらい。まだ、足りないし……」
ラウルは少し前まで数年分の記憶を失っていた。精神的な要因だって聞いて、不安にもなった。そこから回復したって聞いて、ホッとしたのだ。
「僕にしたらとても大きな事だよ。あのままだったら僕、本当に心を壊していたかもしれない。記憶ばかりか、僕じゃなくなっていたかもしれない」
「平気だろ、あの宰相さんなら。なんせ溺愛もいいとこでしょ」
「……僕が平気じゃない。僕はシウスに幸せになってもらいたいのに、その僕があの人を悲しませてしまうなんて」
苦しそうな瞳を見つめて、チェルルもまたギュッと抱きしめた。抱きついたになったのは言わないでもらいたい。
「よかったな。あと……結婚、おめでとう」
「んっ、有り難う」
「……俺も、頑張る」
「ん?」
「……俺も今、好きな人がいるんだ。全然、相手にされないんだけど」
頭に浮かんだ人はちょっと苦しそうな顔もする。不器用とか、そういう以前の問題。あの人の愛は自分発信の一方的で盲目的。もらう愛情が分からない寄り寄り添うような愛情を知らない。あんなに飢えているのに、その飢えがどこから来るのか本当に分からない。
「もしかして……」
「あぁ、言わないで。どうせ俺、あと一ヶ月もしたら居なくなるんだから」
そう居なくなる。ここを出て行って、全部が終わったら国外追放になる。そうしたらどうしたって会えなくなる。
そうなったら、先生はどんな風に思うのかな? 少しは、寂しいって思ってくれるのかな?
「……きっと、大丈夫だよ」
色んな事が確信ない。それをラウルも分かっていて、それでもこれ以外言葉がないみたいで、チェルルもまた「うん」としか返せなかった。
▼リカルド
賑やか過ぎる場所に長くいるのはあまり得意とは言えない。やるべき事があればどんなに騒々しくても平気なのだが、ここではその役目もあるかどうか。
何かあったときの為の同行だ。何もないのが一番ともいえる。つまり医者である自分は暇をしているほうが平和なのだ。
明日はまぁ、平気だろう。ロッジの前で午前中は雪合戦大会が行われるという。
遊びに思えるが、そうでもない。大人が本気でやる子供の遊びは壮絶なものがある。雪の中をひたすら走り、連帯をとって行動する。まずは雪の中できっちりと動く感覚を掴む為だ。
その後、昼食をとってからは雪山に穴を掘り、そこに身を潜めてもらう。穴を掘るのも大変だ。
でも、とりあえず医者の役目はないだろう。明日の予定は彼らの雪合戦を観戦することだ。
まだ少し水気のある髪の先を拭きながら、ベッドへと移動していく。同室のチェスターはまだ一階にいた。早く寝なければ明日は辛いだろうに。
息をつき、ふと視線を目の前の窓へと移したリカルドはその手を止めた。
目の前に映っているのは、自分の姿。その首に、黒い輪が描かれて……
「!」
後退ったリカルドは震えながら口元に手を当てた。叫びそうなのを堪える為だった。逃げるように壁際まで下がった背に、冷たい感触がある。ズルズルとへたり込み、止まらない震えをやり過ごせずに自分を抱く。
声が、出なかった。震えが止まらない。どうしたらいいのだろうか……
その時、ガチャっとドアが開いて当然のようにチェスターが入ってくる。まだ、髪を濡らしたまま。
「先生、もう寝……先生?」
ドアの影にかくれたリカルドを探す声。その視線が、ドアの後ろに隠れて震えているリカルドを見つけて青くなった。
「先生、どうしたの!」
慌てた声がして、ドアが閉まって、すぐに近づいてきたチェスターは周囲を警戒しつつも触れてくる。リカルドはその手を振り払った。
「なんでも……ありません……」
何でも無い事なんてない。今も震えている。出た声が震えている。
それでも近づかせたくない。巻き込む訳にいかない。誰も……誰も!
「先生?」
「……疲れたので、寝ましょう」
そうだ、布団に入って考えよう。いや、諦めよう。誰の身にも起こる事なんだから、足掻いたって……。
立ち上がり、背を向けた。その背中から強く抱きしめられる。驚いて、身動きがとれなくなった。
「大丈夫なこと、ないじゃん」
「大丈夫ですよ」
「だって、凄く震えてんじゃん!」
怒ったような声にビクリとして、その後は動けない。
窓が見える。首には、黒い輪が見える。
「なんでもないんです。少し、驚いただけです」
「先生!」
「寝れば忘れますから」
手を、降ろさせて布団に入った。その様子をジッと、チェスターは見ているようだった。けれどしばらくして諦めたように布団に入っていく。明かりが落とされ、部屋は暗くなった。
息をつき、整える。恐れる事なんてない。誰の上にも必ず来るものだ。順番が巡ってきただけなのだから……
それにしてもあの人、なんで騎士やってるんだろう? これを言ったらランバートには嫌な顔をされ、周囲からは笑われた。
温泉はロッジとは別棟だけどすぐ近く。二グループに分かれて入る事になってランバート達と一緒にした。
ランバートの腹には今も肉が盛り上がったような傷がある。ルースの所でついた傷だ。それだけじゃない、ドゥーガルドの傷は赤く薄らだが無数に残っていたし、チェスターの肩と足にも傷跡が見えた。
落ち着かなかった。自分の罪を見るみたいで、申し訳なくていたたまれない。
しょぼくれたように俯いたチェルルの肩を叩いた面々はニヤリと笑い、そこからは何故か水掛け大会になっていった。案外子供だ。
風呂も終わって、二階の部屋。ラウルのいない静かな室内は妙に感傷に触れた。静かに雪が降り始める外を眺めながら、さっき知ったばかりの事を考えていた。
アルブレヒトは、対価を払っている。
命の対価って、何? それは同じ命じゃないの? もしかしたら本当に、もう居なくなっていたりしないの? そして殺したのは、自分たちじゃないの?
考えたら震えが止まらない。会いたいと思っているのに、会えなくしているのは自分達かもしれない。
リカルドは言っていた。神は神子を愛すると。神子と呼ばれるほどの人物はエルの一族でもほぼいない。神子の魂はたった一つ。かつて森の神と乙女の間に産まれた最初の子の魂。それが死んで、生まれ変わって聖ユーミルになった。そして、今……
ギリギリと歯を食いしばり、痛いほどに手を握った。
聖ユーミルは悲惨な最期を遂げたとリカルドは言った。では、同じ魂をアルブレヒトが持っているとして、最後は悲惨なんじゃないのか?
簡素な木の椅子の上で膝を抱えて座り、顔を埋める。静か過ぎて、悪い事ばかりを考えている。
「チェルル?」
声がかかってチラリとそっちを見れば、風呂から戻って来たラウルが心配そうな顔をしていた。
駄目だ、ちゃんとしなければ。蛆虫な自分は嫌いなんだ。
「おかえり。ここの風呂、贅沢だよな」
「あはは、本当にね」
笑ったラウルがベッドに座り、チェルルを見ている。明るいライトブラウンの瞳が、探るみたいに。
「なんだよ」
「ん? うん。大丈夫かなって」
「なんだよ、それ」
ズキッと痛んでたまらない。チェルルはラウルを睨んだけれど、その目はとても揺れていた。
「さっきのリカルドさんの話、辛そうだったから」
「……辛くないわけないじゃん」
ギュッと服の前を握ったチェルルは顔を上げた。
「辛くないわけないよ。だって、対価ってなんだよ。俺達、知らずにあの人の命削ってたかもしれないんだ。大事な主なのに、結局その人に守られて……あの人死んだら、俺等どうしよう……」
弱音がスルスル出てくるのは、もう強がっても仕方のない相手だから。ラウルとランバートにだけは素直に言える。弱い部分を晒した相手に今更無理もない。バレてるだろうし。
ラウルは心配そうに瞳を揺らして立ち上がると、そっとチェルルの頭を抱きしめる。そして、そっと髪を撫でた。
「大丈夫、間に合うよ」
「無理だよ。俺に、リオガンに、レーティスに、ダンクラート様もだろ……何人の命肩代わりしたんだよ……今どうしてるんだよ……嫌だよ……」
「頑張るから」
「会いたいよ……どうしよう、俺あの人に恩返ししてないのに、また……」
「探して、恩返ししようよ。間に合うって、思わないとどうしようもないじゃん」
「……」
ギュッとラウルの背中に手を回して、胸の辺りに顔を埋めて、こっそりと涙を拭った。ラウルは分かっていて、何も言わずに髪を撫でている。苦しいけれど、一人じゃないのは良かった。
「間に合わせよう、チェルル。それに、これからできる事もある」
「うん、ある。皆にこれを知らせて……怪我、しないように……」
「僕も手伝うよ。僕もね、チェルルにお世話になったんだから」
言われて、顔を上げた。まだちょっと痛そうな顔をするラウルが、優しく見下ろしながら頷いた。
「僕も、君に返すよ」
「いいよ、あのくらい。まだ、足りないし……」
ラウルは少し前まで数年分の記憶を失っていた。精神的な要因だって聞いて、不安にもなった。そこから回復したって聞いて、ホッとしたのだ。
「僕にしたらとても大きな事だよ。あのままだったら僕、本当に心を壊していたかもしれない。記憶ばかりか、僕じゃなくなっていたかもしれない」
「平気だろ、あの宰相さんなら。なんせ溺愛もいいとこでしょ」
「……僕が平気じゃない。僕はシウスに幸せになってもらいたいのに、その僕があの人を悲しませてしまうなんて」
苦しそうな瞳を見つめて、チェルルもまたギュッと抱きしめた。抱きついたになったのは言わないでもらいたい。
「よかったな。あと……結婚、おめでとう」
「んっ、有り難う」
「……俺も、頑張る」
「ん?」
「……俺も今、好きな人がいるんだ。全然、相手にされないんだけど」
頭に浮かんだ人はちょっと苦しそうな顔もする。不器用とか、そういう以前の問題。あの人の愛は自分発信の一方的で盲目的。もらう愛情が分からない寄り寄り添うような愛情を知らない。あんなに飢えているのに、その飢えがどこから来るのか本当に分からない。
「もしかして……」
「あぁ、言わないで。どうせ俺、あと一ヶ月もしたら居なくなるんだから」
そう居なくなる。ここを出て行って、全部が終わったら国外追放になる。そうしたらどうしたって会えなくなる。
そうなったら、先生はどんな風に思うのかな? 少しは、寂しいって思ってくれるのかな?
「……きっと、大丈夫だよ」
色んな事が確信ない。それをラウルも分かっていて、それでもこれ以外言葉がないみたいで、チェルルもまた「うん」としか返せなかった。
▼リカルド
賑やか過ぎる場所に長くいるのはあまり得意とは言えない。やるべき事があればどんなに騒々しくても平気なのだが、ここではその役目もあるかどうか。
何かあったときの為の同行だ。何もないのが一番ともいえる。つまり医者である自分は暇をしているほうが平和なのだ。
明日はまぁ、平気だろう。ロッジの前で午前中は雪合戦大会が行われるという。
遊びに思えるが、そうでもない。大人が本気でやる子供の遊びは壮絶なものがある。雪の中をひたすら走り、連帯をとって行動する。まずは雪の中できっちりと動く感覚を掴む為だ。
その後、昼食をとってからは雪山に穴を掘り、そこに身を潜めてもらう。穴を掘るのも大変だ。
でも、とりあえず医者の役目はないだろう。明日の予定は彼らの雪合戦を観戦することだ。
まだ少し水気のある髪の先を拭きながら、ベッドへと移動していく。同室のチェスターはまだ一階にいた。早く寝なければ明日は辛いだろうに。
息をつき、ふと視線を目の前の窓へと移したリカルドはその手を止めた。
目の前に映っているのは、自分の姿。その首に、黒い輪が描かれて……
「!」
後退ったリカルドは震えながら口元に手を当てた。叫びそうなのを堪える為だった。逃げるように壁際まで下がった背に、冷たい感触がある。ズルズルとへたり込み、止まらない震えをやり過ごせずに自分を抱く。
声が、出なかった。震えが止まらない。どうしたらいいのだろうか……
その時、ガチャっとドアが開いて当然のようにチェスターが入ってくる。まだ、髪を濡らしたまま。
「先生、もう寝……先生?」
ドアの影にかくれたリカルドを探す声。その視線が、ドアの後ろに隠れて震えているリカルドを見つけて青くなった。
「先生、どうしたの!」
慌てた声がして、ドアが閉まって、すぐに近づいてきたチェスターは周囲を警戒しつつも触れてくる。リカルドはその手を振り払った。
「なんでも……ありません……」
何でも無い事なんてない。今も震えている。出た声が震えている。
それでも近づかせたくない。巻き込む訳にいかない。誰も……誰も!
「先生?」
「……疲れたので、寝ましょう」
そうだ、布団に入って考えよう。いや、諦めよう。誰の身にも起こる事なんだから、足掻いたって……。
立ち上がり、背を向けた。その背中から強く抱きしめられる。驚いて、身動きがとれなくなった。
「大丈夫なこと、ないじゃん」
「大丈夫ですよ」
「だって、凄く震えてんじゃん!」
怒ったような声にビクリとして、その後は動けない。
窓が見える。首には、黒い輪が見える。
「なんでもないんです。少し、驚いただけです」
「先生!」
「寝れば忘れますから」
手を、降ろさせて布団に入った。その様子をジッと、チェスターは見ているようだった。けれどしばらくして諦めたように布団に入っていく。明かりが落とされ、部屋は暗くなった。
息をつき、整える。恐れる事なんてない。誰の上にも必ず来るものだ。順番が巡ってきただけなのだから……
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