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5章:恋人達の過ごし方

おまけ2:不安を埋めるのは(レーティス)

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 チェルルが屋敷を出て数日、ハムレットは毎日心ここにあらずという様子でいる。

 ペーパーナイフで指を切ったのはもう何度も。あの子がいる間はどれだけよそ見をしていてもこんな事はなかった。

 側で見ていて苦しく思う。本当に、魂が抜けたように呆ける時間が増えた。『仕事』となると仕方なく立ち上がるが、そうでなければ日がな一日ぼんやりと、少し苦しそうに東の空を見上げている。

「大丈夫ですか?」

 思わず声をかけると、ハムレットは気の無い顔で振り向いて「うん」とだけ短く答えてまたぼーっとしてしまった。

 分からない事ではなかった。別れをちゃんとしないと、ずっと心に引っかかったまま。小骨が刺さったように痛いままだ。
 それは、レーティスも同じだった。


 レーティスには、セシリアという婚約者がいる。ベリアンスの妹で、慎ましく芯の通った女性だ。
 清い仲だった。昔から一緒にいて、自然と互いの距離が近く、親の勧めもあって婚約した。手を繋ぐことすら気恥ずかしく、共にある時間だけが過ぎていった。

 そんな彼女がキルヒアイスの人質となった時、レーティスは一緒に逃げようと出来なかった出来なかった。
 せめて何かを伝えたかった。何か……何を伝えたらいいかも分からないのに。
 人質となった時、騎士でしかないレーティスと彼女とでは立つ場が違ってしまった。それからずっと、彼女は王都の後宮にいるはずだ。

 兄であるベリアンスからは一言「すまない」と言われた。彼女の部屋からは置き手紙が見つかった。「忘れて、新しい人を見つけて欲しい」と。
 心がないのではない。既に彼女は自らの未来を痛いほどに予感していた。女好きのキルヒアイスが若く美しいセシリアを放っておくなんてしない。王の慰み者になる未来を、彼女は受け入れざるを得なかった。幼き時を共に過ごした、レーティス達の為に。


 思えば、暗く心が落ち込む。彼女が去った部屋で、レーティスは何日も泣いていた。助けられない不甲斐ない男である事を悔いた。何一つ手に付かず、最後には魂が抜けたように呆然としていた。

 今のハムレットは、どこかその時のレーティスに似ている。だから見ていて気持ちが落ち込んだ。


 ハムレットから離れて自室に。午後の時間はわりと自由だ。そうして暫くやる事もなく過ごしていると、不意に来客を告げられた。
 見れば手土産を持ったオーギュストが、穏やかな様子でレーティスの部屋へと入ってきた。

 彼との距離を量りかねている。薬の影響が抜けてもまだ、彼はこうして訪ねてきてくれる。「必要ない」と言っても、そうしたいんだと言われてしまう。

 断りながら、何処かで望んでいる矛盾は理解している。冷たくあしらうのに去りそうになると不安なのだ。この温かな腕の中は卑怯なくらい優しい。

「そう心配する事もありませんよ、オーギュストさん」
「俺が来たいと思うんだ。迷惑か?」
「……べつに」

 迷惑じゃない。ただ、この腕に縋りそうなのだ。それが怖いんだ。
 婚約までした恋人がいる。助け出したい人は主だけじゃない。なのにこの腕が強くて、温かくて、心地よくてたまらないのだ。
 縋るのは簡単だ。けれど抜け出す事は難しい。一人で立たなければならないのに、できなくなりそうだった。

 オーギュストは苦笑して側にきて、テーブルに品物を置く。そして大きな手で、レーティスの頭を撫でた。

「なんですか?」
「何をむくれているんだ?」
「そのような事は……」
「では、何を一人で抱えているんだ?」

 その言葉に、レーティスはビクリと肩を震わせた。
 穏やかな緑色の瞳は、それでも逃げを許してくれない。温かいのに、正直に言えと迫ってくる。
 卑怯だ、こんな穏やかな気持ちをかけるなんて。憎い相手だろうに、オーギュストはいつもこの様子でレーティスを弱くする。

「分かるんだよ、レーティス。一人で抱えて飲み込んで、追い込む人間の目を俺はずっと見続けてきたんだ」

 彼の主を、言っているのだろう。ヴィクトランとはタイプが似ているらしいから。

 ふと、胸にモヤモヤとした感情が湧く。「一緒にするな」と訴えている。そして同時に、一緒にされたくないのかと戸惑う自分もいる。

「お気遣い頂かなくても大丈夫です。私は、そんなに弱くはありませんので」
「そうか」

 おかしそうに笑いながら、オーギュストが立ち上がる。そして扉の方へと向かってしまう。

「え?」

 行って、しまうのか。手が自然と求める様に前に出た。けれど扉が閉じる。本当に、行ってしまった。

 途端に胸が苦しい。憎まれ口を叩きたかったんじゃない。可愛げのない自分の態度が嫌いだ。思わず駆け出し、扉を開けた。その前に、大きな人の厚い胸があった。

「あ……」
「追ってきてくれなっから、流石に寂しかったな」

 引き寄せられ、抱きしめられる。逞しい腕の力、厚い胸板、落ち着く匂い。ほんの少し、形だけの抵抗は抵抗とも呼べないものだった。

「騙したんですか」
「少しな」
「卑怯です」
「思い詰めていて、素直じゃないからだ」

 低く笑う声に胸の内はザワつく。ドキドキと不意に鼓動が早まる。落ち着かないのに、この場所が心地よい。

「言いたくない事を無理に聞き出そうとは思わない。だが、一人で抱えて潰れてしまうのはやめてくれ。言えないなら側にいるだけでもできる。いつか話しが出来るまで、こうして側にいる」
「そんな日、来ないかもしれませんよ?」
「それならそれでいいさ。いつまでも、側にいる」

 妙な人。こんなめんどくさい人間の側に好んでいるなんて。

 でも、この胸から出ていく事はできなかった。寄り添ったまま、レーティスは心の内が静かになっていくのを感じ、そっと瞳を閉じた。
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