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6章:東の森を越えて行け

1話:いざ森へ

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 王都を発って砦を経由しつつ、東の森の手前に辿り着いたのは二年前よりも早かった。あの時は大人数だったからだろう、今回は少数だ。

「よう、来たか!」

 手を上げたエルの青年フェレスは、騎士団の面々に比べれば随分軽装に見える。だが同じように隣りにいるリスクスも同じくらい。やはり、育ちの違いが見えてくる。

「フェレスさん、リスクスさん、よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします。早く全てを終わらせて、安心してここで過ごせるようになりたいですから」

 ゆったりと笑ったリスクスの目が不意にチェルルへと向かった。その視線に、チェルルはとてもバツが悪く俯き加減になってしまう。
 言いたい事が沢山あるだろう。ここを直接襲ったのがチェルルだ。
 それでもリスクスは優しい。事情も知っている。安易な行動を起こせないのだろう。

 そんな中、フェレスだけは近づいていってチェルルの前に仁王立ちした。腕を組み、睨み付けている。
 場が緊張した。全員がこの状況を静観するしかない。今更ここで「こいつだけは連れて行けない」と言われればランバートが宥めるが、他はどうしたら。

「おい!」
「っ!」

 大きく声を張ったフェレスの拳骨が一つ、チェルルの上に落ちた。痛そうに頭を押さえて蹲ったチェルルは涙目で見上げたが、その後のフェレスは溜息をついて、殴った頭をポンポンと撫でた。

「悪い事したら謝れ。ガキでも知ってる事だろ」
「あ……」

 見守っていたリスクスが小さく笑った。その気持ちは、ランバートも分かった。
 起こした事の大きさに対して、やっている事は子供を叱るようなものだ。これで収めようというのだ。

「ごっ、ごめんなさい」
「よし! んじゃ、これで終わりにしてやる」

 キョトッとするチェルルに背を向けたフェレスを、ランバートもリスクスもニヤニヤしながら見る。ガラにもなく顔を赤くしていたからだ。


 馬は手前の砦に預けてきた。
 徒歩になった全員が森に入っていく。以前は川沿いを歩いたが、この季節は雪が深く川と岸辺の境が曖昧になって危険だと、彼らは森の中を案内してくれた。
 砦が見えなくなった頃、以前世話になった山小屋が見えて来た。案外近いその場所に安堵する。ラウルとチェルルはやや複雑そうだが、互いに流しているから何も言わなかった。

「ちょっと待ってくれ。ここであいつらを呼ぶから」
「あいつら?」

 皆疑問そうにするなかで、フェレスが鋭く指笛を吹く。すると続々と狼が十数頭現れた。

「狼!!」

 チェスターが緊張した様子で構える。雪山行軍で狼に襲われたのだから当然の反応だろう。だがランバートはむしろ懐かしく思えた。大きく凜々しいグレーの狼が、こちらを見て僅かに瞳を眇めた。

「マケ」

 呼んでみるとグレーの狼、マケが前に出てフェレスの隣りに並ぶ。そして少し遅れて真っ白な狼も前に出た。

「ソルも元気そうだ」
「おうよ。離れてる間、こいつらの事がとにかく心配だったんだがな。なんて事はない、元気だよ」
「当然ですよ。彼らは貴方の子飼いではありますが、野生なのですから」

 リスクスがおかしそうに笑い、フェレスは少し照れている。心配しすぎの兄のようだ。

「この狼って、フェレスさんが飼ってんの?」

 レイバンが不思議そうな顔で言う。興味津々の様子に皆が苦笑するが、側でドゥーガルドがやや怯えていた。

「飼ってるわけじゃねぇよ。一緒に育った兄弟だ。俺は獣の声を聞き、獣に語る声を持ってる。特に狼とは親和なんだ。こいつら俺の家族だよ」
「エルの特別な力ってやつか。いつ聞いても不思議だ」

 警戒していたゼロスも多少安心して警戒を緩める。
 ランバートなどは知っている狼が多少いて、ラウルと一緒に側に行って少し硬い毛を撫でていた。

「ここからはこいつらが周囲を警戒しながら先導もしてくれる。厄介な獣に遭遇しても、こいつらの鼻と耳で早く検知できるからな」
「厄介な獣?」

 眉根を寄せたボリスが途端に険しい顔をする。それに、リスクスはとても言いづらそうな顔で伝えた。

「熊です」
「熊って……普通冬眠するよね?」

 実に当然とハリーが眉尻を下げた。他も困惑した様子だ。ランバートだって困惑する。冬の深い季節、熊は冬眠するものというのが一般的な常識だ。
 だがリスクスはとても深刻そうな顔で首を横に振った。

「穴持たずという熊がいるのです」
「穴持たず?」
「体が馬鹿でかくて、寝床に出来る穴が見つかんなかった熊だ。主にオスが多い。こいつらは厄介だ、とにかく凶暴でデカイ。普通は冬眠して食料や体力を温存してるのに対して、こいつらは常に飢えてやがる。狼も人間も、こいつらにかかると食われる」

 その言葉に、全員が一瞬凍り付いた。
 そんな脅威があることは想定していなかった。寒さや吹雪に対する備えはしてきたが、まさか熊を相手に戦う事になるかもしれないとは。

 だがリスクスは困ったように笑い、フェレスも苦笑して全員を連れて更に奥へと入っていく。後に続く騎士団の面々が、むしろ動きが硬くなった。

「なに、心配すんなよ。そんなの会うほうが珍しい。そんな何匹もいるわけじゃねー」
「人に近いこの辺にはいませんよ。熊は本来臆病な生き物です。大きな音や突然の光を嫌いますから、人に近い場所には余程の事がない限りは近づかないんです。森には十分な恵みがありますから、人里まではいきませんよ」

 安心させるために言ったのだろうが、これからどんどん奥へと入っていく。そうなると遭遇する可能性は高くなるわけだ。

 そうならない事をただ願うばかりだ。


 その夜、リスクス達の誘いで早いうちに隠れ家にこもった。そこは元々リスクス達が使っていた隠れ家の一つで、簡易ではあるが家具のようなものがある。
 天然の洞窟を補強しつつ、空気穴などを完備し、入口には木戸がついている。入ってすぐはリビングのようで広く作られ、焚き火をしても煙がこもらないように空気穴がある。
 彼らは元からここで一晩明かすつもりだったようで、多少の食料を備えてくれていた。

「快適だー」

 獣の皮を敷いたラグの上で、ゴロンとハリーが寝転がる。確かにわりと快適だ。酷く冷え込むのかと思っていたがそうでもない。

 コンラッドが用意されていた肉や野菜でスープを作り、そこにパンをつけながら腹を満たす。運んでいる食料は有事の時に使うようにと温存した。

「ここの食料を多少ソリに乗せて運ぶ。狼に引いてもらうから心配すんな」
「そんな事までしてもらって、なんだか申し訳ないね」

 クリフが少し心配そうに言う。確かに彼らに助けられっぱなしだ。今も外にいて、辺りを警戒している。

「さっき、言われた通りに出汁取った後の骨をあげてきたけど……あんなんでいいのか?」
「あいつらはあいつらで狩りをする。この森は豊かだって言っただろ? 冬でも動いてる動物はかなりいる。そんなのを狩って食ってるんだ。餌付けは逆にあいつらから野生を取っちまう」
「彼らはあくまで協力してくれるだけですよ」

 自然と人とが共にある事の線引きは難しい。それを妙に実感する。

 ゼロスはスープを飲みながら、ふとフェレスへと視線を向けた。

「さっき話しのあった穴持たずという熊だが」
「ん?」
「貴方は獣と会話ができるのだろ? それとも、熊とはできないのか?」

 問われ、フェレスは難しい顔をする。腕を組み、うーんと唸っていた。

「できなくはない。ただ、話しができるんであって操る事はできない」
「と、いうと?」
「相手が聞く耳持てば会話ができる。だが、こっちの話を聞く気のない奴相手は無理だ。しかも交渉しても決裂すると結果は悪い。相手は人間よりも単純な欲望で動いてる。腹ぺこ相手に『食わないでくれ』と言っても、聞き入れられねーよ」

 これには全員が納得せざるを得ない。確かに動物は三大欲求に忠実な感じがする。

「マケ達はあれで優秀でな。見境なく人間襲って食うほど飢えてないし、小さな頃から人の側にいた。人間を食い物と認識してねぇ。だからこれだけ側にいても平気なんだ」
「普通の獣はそうではありませんからね」

 二人の話にそれぞれ納得して、十分に気をつけようと明日は陣形を取る事にした。


 その夜、数時間おきに交代で火の番をする事になった。ランバートは夜中に起きて焚き火のある場所に向かう。そこには既にパートナーが大人しく座っていた。

「あぁ、ランバート。起きたの」
「待たせたか、チェルル」
「ううん、平気。なんか色々考えてて、眠れなかったし」

 そう言ったチェルルは火を絶やさぬように気をつけながら側にいる。その側に座ったランバートは、ずっと気になっている事を聞いてみた。

「その首のやつ、首輪……だよな?」
「ん?」

 チェルルのコートの首元、ほんの少し上から見ると見えるのだ。丁寧になめした赤い革製で、ベルトタイプ。そこに一粒、緑色の宝石が埋まっている。革の表面には幾何学模様が彫り込まれていて、一目でオーダー品だと分かるものだ。

 とても嬉しそうにチェルルは自分の首輪に触れている。それは見た事のない、幸せそうな表情だ。これだけで彼の気持ちが知れる。

「マジか……」
「分かる?」
「あの兄上が好きとか、強者」
「そんな事ないよ。先生、とてもいい人で優しいよ」
「アレのどこがいい人で優しいんだ」

 関心のない人間の生死に一切の頓着をせず、どれほど非道をしようが屁とも思っていない。コレが始末となると凄く楽しそうだ。人体実験も平気な人なんだ。

 だが、ランバートの思いを見透かしながらもチェルルは苦笑する。そしてとても大切に首輪を撫でている。

「言いたい事、分かるけれどね。どうでもいい相手に対してもの凄く冷淡だって言いたいんでしょ?」
「分かってるなら……」
「でも、懐に入れた相手にはとても親切で、優しいんだよ。それに、寂しがり屋だと思う」
「……」

 チェルルの目にはどんな風にハムレットは映っているのだろう。間違っているわけでも、極端に歪曲されているわけでもない。そこを含めて、彼は「好き」なんだ。

「俺さ、身よりもないし、いい生活はしてないし、汚れ仕事ばっかでね。信頼とかはあっても、あんなに側を許された事って仲間以外だとないんだ」

 ぽつりと溢すような言葉を聞きながら、焚き火に薪をくべる。黒い瞳に、炎の赤がゆらゆらと揺れた。

「とても楽しくて、癒やされた。何も求められないって、くすぐったいね。日がな一日のんびりしてても怒らないし、側に寄れば適当に撫でて、時々もの凄く構ってきて。でも、大事にはしてくれるんだ。そういう温かい場所、初めてだったんだ」
「チェルル」
「こんな風に側にいるとね、不器用な部分とか、欠けてる部分とか、寂しさとか伝わる。先生、自分の事嫌いなんだね。大好きなのはランバートばっかり。他は何にも頓着しないんだ。だから俺が、大事にしてあげたいんだ」
「……うん」

 思えばあの兄の個人的な望みを聞いた事がない。いつもランバートや、家族。自分の為にって言わない。医者になったのもきっと、ランバートが関わってる。小さな頃に病弱だったハムレットを治したいから医者になると言った言葉を覚えていたのかもしれない。
 裏世界を牛耳るようになったのも、ランバートに汚れ仕事をさせないため。技術を磨くのは趣味と実益。
 全部、他人だ。

「正直に言えば、お別れくらい言いたかったんだけどな」
「はぁ? 言えなかったのか」
「拒否られてさ。そのかわりこの首輪をくれたんだ、秘書の人が」
「あの兄……」

 よりにもよって別れを言わないとか。本当に何を考えてるんだよ、まったく!

 でもチェルルは軽く笑った。ちょっとだけ寂しそうに。

「いいよ、多分泣きそうだったんじゃないかな? 最後に顔を合わせた時も泣きそうな顔してたし。変にプライド高いじゃん? だから、沢山の人の前で泣くとかできないよ」
「ダメ兄……。チェルル、悪い」
「いいよ」

 ケラケラっと笑うチェルルは大事に首輪を一撫でして、真剣な顔でランバートに向き直った。

「俺、本気なんだ。ランバート、許してくれる?」

 頭を下げるチェルルに、ランバートは複雑な顔をする。
 正直、簡単じゃない。まず国を跨いでいる。しかもその国と現在交戦間近だ。
 そしてチェルルは帝国内でテロ行為を行っていた。今命があって、これといった罰を受けていないのが不思議なくらいだ。

「……難しい問題が、多いと思う。俺がどうこう出来る話じゃない」
「分かってる。それでも、戻りたい。どんな罰でも受けるつもり。一生強制労働でも、何か差し出せっていうのでも。俺に出せるものは全部差し出すつもりでいる。命まで取られないなら、それでいい」

 そこまで考えているのか。覚悟を見て、なんだかすっきりとした。
 ランバートは笑い、クシャリと黒い髪を撫でた。

「そこまであの兄を思えるなら、俺は何も言わないよ。むしろ任せる」
「ほんと! 良かった。ここでつまずいたらどうしようと思った」

 ほっと胸を撫で下ろしたチェルルが笑う。その笑みはとても素直で、生意気な印象のある彼とはまた違った愛らしい印象をランバートに与えた。
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