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7章:クシュナート王国行軍記

6話:素直じゃない(ボリス)

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 男の給仕の服を借りて、手にはあいつの夕食を持ってジョルジュの後に続いた。終始無言、静かについていく。
 連れてこられたのは奥院の端にある部屋。普通の扉を開けるとそこは警備の兵の部屋で、二人の兵が常駐していた。その奥にもう一つ扉があり、警備部屋からのみ開く小窓がある。

「お前等も休憩いってこい。その間は俺がいる」
「いいのですか、将軍」
「二時間程度で戻って来いよ」
「分かりました」

 一礼して出て行く兵士。ジョルジュは確認してドアに鍵をかけ、ボリスに溜息をついた。

「物好きだな、お前さんは。まぁ、あまり苛めてくれるなよ」
「そんなつもりないけれど?」
「……お前さん、自分の今の顔を知っているか?」

 知っている。多分、楽しいんだろう。

 ジョルジュがドアを開けてボリスを奥の部屋の中に入れる。明かりはなく、鉄格子のはまった窓から月明かりが差し込むばかり。
 簡素なテーブルに、椅子が二脚。ベッドも簡素なものが一つ。ただそれだけの部屋だった。

 その窓際、月明かりの差すベッドの上でフェオドールは膝を抱えて顔を伏せていた。小さく丸まっている。

「お食事です」

 声を変えて硬く言ったが、反応がない。身動きもしない。頑ななその様子に、ボリスは食事のトレーを置いて腰に手を当て、溜息をついた。

「いつまでそうしてるつもり? 食べないと辛いのは、君だと思うけれど」
「!」

 呆れた様子の声に、ようやくフェオドールは顔を上げた。アーモンド型の瞳は涙で濡れて、擦ったんだろう目尻は赤くなっている。

「なに情けない顔してるわけ? あっ、それともこんな扱い初めてでビビったとか?」
「な! 何故お前がここに! 誰か……衛兵!!」
「いるわけないじゃん、バカなの?」

 口元に笑みを浮かべてボリスは近づいていく。そして、はっきりと顔の見える所まで出た。
 わりと好きなタイプなのだ。意地らしい部分とか、苛めがいのありそうな部分とか。

 フェオドールは驚いて体を引く。そして、溢れた涙をもう一度ゴシゴシ擦った。そんなにしたら真っ赤になるのに。痛くなりそう。知った事はないけれど。

「なんでお前がいる!」
「ご飯持って来たよ、ご主人様?」
「バカにしてるのか!」
「うん、おおいに。お馬鹿さんの王子様をちょっと見学しにきただけ。どう? 惨め?」

 心に刃があるのは知っている。従順なタイプに惹かれないのも知っている。だからって従わない相手はもっと苦手だけれど。だから恋人なんていない。いると不幸そうだし。
 兄貴の性癖もどうかと思うけれど、対極にある自分も大概だ。これは親にも知られていない。仲間も気付いていても知らないフリをしてくれる。

 ここに来たいと思ったのは、連行されていく中で見たフェオドールの顔が好きだったから。屈辱や、驚きや、絶望が見える目に惹きつけられたから。

 フェオドールはまた新たな涙を浮かべ始める。真一文字に結ばれた口がプルプルしている。それでも声は上げずに、震えながら耐えている。またゴシゴシ擦ろうとした手を掴んだボリスは顔を寄せて、目尻に唇を寄せた。

「!」
「擦ったら痛くなるけれど?」

 そう、そういう驚いた顔が好き。大きな目を更に開いてこちらを見ている。

 もう片方も溢れ落ちる前に唇で触れた。少しくすぐったそうな仕草がをするフェオドールが、状況を理解できずにオロオロしている。

「なにそれ、面白いね君。玩具みたい」
「失礼な!」
「まぁ、知ってる。ところでご飯、どうするの? 冷めるけど」
「いらない!」

 意地っ張りな表情で言ったフェオドールは手を払うように体を振り回す。だが途端に鳴ったのは、大きな腹の虫だった。

「ぷっ、ふふふふふふふふふっ」
「な、なぁ!! 笑うな!」
「だって……あっ、はははははっ!」
「無礼者!」
「いや、盛大な腹の虫響かせて何が無礼なのさ。やせ我慢して」
「煩い!!」

 もう怒鳴るばかりのフェオドールは耳まで真っ赤にしている。ひとしきり笑ったボリスは側を離れてフォークにゆで野菜を一つ刺すと、それをフェオドールの口の前に持って来た。

「はい、あーん」
「バカにしてるのか!」
「だって、そんな事してるとまた腹の虫がなるよ?」

 こう言えば、流石にフェオドールは黙り込む。そしておずおずと小さな唇を開けた。
 放り込んだゆで野菜を咀嚼して、飲み込む。言葉では拒絶しても、空腹に食べ物が入った安堵感はあるのだろう。緩まった表情に、ほんの少し笑みが浮かんだ。

 可愛い顔で笑えると思う。元の素材は悪くないんだ。心がトゲトゲ過ぎるけれど、自然な顔は毒気が抜けている。

 無言で、今度はウィンナーを差し出した。今度は反応が早くてすぐに口に入れる。もぐもぐと唇が動いている。

「動物の餌付けって、こんな感じかな?」

 思わず言ったらフェオドールは顔を真っ赤にして睨み付け、立ち上がって椅子に座る。そしてトレーを抱えて食べ始めた。

 ボリスもその前に座る。そして食べている様子をずっと見ていた。

「見るな、気が散る」
「いや、可愛いじゃん。小動物っぽいね。クソ生意気だけど」
「いちいち失礼な奴だな!」

 君もいちいち反応するよね。それが面白いんだけれど。

 一通り食べて、腹が満たされたらどうするか。見ていたら、やっぱり落ち込んだ。もの凄く落ち込んでいるのに意地っ張りだから目の前のボリスを睨み付けている。その目が可愛いなんて言えば、どんな顔をするんだろう。

「その目、俺はゾクゾクするけど襲われたいの?」
「変態!!」
「反応も好きだけど、やっぱ誘ってる?」
「誰がお前なんか誘うか!」
「違うの? 今なら伽もしてあげるよ。突っ込まれんの君だけど」
「やめろ!!」

 ズザーッ! という効果音がつきそうな勢いで引かれた。予想よりも大きな反応に満足してボリスは笑う。流石にそんな気はないのだ。相手は王族だし、襲ったら流石にまずいのは明らかだ。

「まぁ、それだけ元気なら大丈夫でしょ。暫く大人しくしてるんだね」
「……兄上は」
「ん?」
「兄上は、私の事が嫌いなんだ」
「!」

 潮時かと背を向けていた。だから振り向いて、驚いた。
 月明かりの下、服の裾を掴んで睨み付けるような目をしたフェオドールの目から、沢山の涙がこぼれていた。口は今度こそへの字に曲がって、ブルブル震えている。

 流石に、からかう気にならなかった。心から痛んでいるのがわかったから。

「兄上は私が……私の事なんてもう……」

 本格的にバカなの、この子? そんなわけないじゃん。あれはこの子を守る為で、確かに冷たく言ったけれどそれは演技で……。

 あぁ、演技と本物が分からないんだ。

 そっと近づいて、逃げないのをいい事に腕の中に収めていた。ちょっと、衝動的な気がした。でもこれがボリスの思いだったから、それでいいんだと思えた。

「本当に君って、バカだね。脳みそ入ってる?」
「煩い! 今はお前の事なんて……」
「あれ、演技だからね」
「え?」
「アルヌール様のあの態度、演技だから。君を側近や外部の悪意から守るのに隔離しただけだし、本気に見せないと効果がないから冷たくしただけ。っていうか、分かろうよそこ」
「だって、あんな! あんな顔、見た事ない……」
「それだけ、弟の事心配してるってことだよ」

 本当に、一つ一つ言わないと分かんないんだ、この子。それだけ真っ直ぐに、向けられる言葉を飲み込んでいる。悪意にも気付かず、陰謀も気付かず、知った時には飲まれている。
 アルヌールとは、まったく違う。

 ボリスは腕の中の頭をポンポンと撫でた。ずっとしゃくり上げている。服が濡れていく。胸元に縋った手が、震えている。大きく声を上げない事だけが意地らしく見えた。

「ホント、バカなんだね君。王族でその世渡り下手、致命的じゃない?」
「煩い! うっ、バカにするな、わた……私だって……」
「はいはい、男なら簡単に泣かないでよ、面倒だし。ってか、鼻水つけたら怒るから」
「っ!」
「……もうつけてるでしょ。お仕置きね」
「いっ、嫌だ!!」

 涙でぐしょぐしょの顔がパッと上がって逃げていく。その腕を掴まえて、振り向いた顔を覗き込んで、ボリスはそっと唇を奪った。ほんの少し、柔らかく触れる程度。

 楽しいんだ、多分。全部が本気のフェオドールの表情や態度が。

「はい、お仕置き」
「なっ! ぶっ、無礼者!」
「いいじゃん、減らないし」
「そういう問題じゃない!」
「生娘みたいな事を言うんだね、面倒。あ、童貞か」
「!」

 からかって言った、その瞬間、空気が冷たく張りつめた。些細な変化、それに気付いて見てみれば、フェオドールの表情が怖いくらいに固まっていた。

 何かある。

 思ったけれど、問いただしはしなかった。してはいけない気がする。本当に恐れるみたいな顔をしているから、多分傷になっている部分だ。何か……

 探ろう。そう心に決めて、ボリスは体を離して背を向けた。

「じゃ、また明日の朝ね。ちゃんと食べて寝ておかないと、体力もたないよ」
「あ……」
「じゃ、おやすみ」

 ヒラヒラっと手を振って、ボリスは部屋を出た。そしてそこで暢気にしているジョルジュを見て、瞳を吊り上げた。

「ねぇ、ジョルジュ将軍」
「なっ、なんじゃいボリス」
「殿下の側近ってさ、いつから側にいるわけ?」
「そうさな……十三くらいからか。って、なんで殺気立つんだ!」
「……べつに?」

 童貞かとからかった。もしそうなら、ドゥーガルドみたいに恥ずかしそうに赤くなるのが本当。
 フェオドールは恐れた。怖がった。幸せに童貞卒業してるならそんな顔はしない。失恋だったりしても、寂しそうな顔をしているもんだ。

 あれは、無理矢理散らされた奴の顔だ。

「ニコラ……だっけ? いつまで男でいられるかな」

 ジョルジュにも聞こえない小さな声。そこに浮かんだ笑みは深い三日月の形をして、瞳には紅蓮の炎が宿っていた。
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