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13章:ラン・カレイユ人質救出作戦
9話:人質奪還作戦(マーロウ)
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その夜、着飾った美女達が籠に沢山のワインの瓶を持ってルミノラ監獄へと向かった。
そして何故か、マーロウの側にはチュウェンという女性がついている。
「ドゥーくんが良かった」
「まだそれを言うのですか? 男のくせに面倒臭い」
「ドゥーくんの方がずっと優しい」
薄い金髪、美しい顔立ち、慎ましいボディーライン。黙っていれば男が放っておかない美女なのに、口を開けばこんな感じだ。何か気に障ることをしただろうか。
「私、貴方のような男が嫌いですの」
「嫌われる事した覚えがない」
「存在が嫌いですわ」
そらすいませんでした。
ドーニャが先頭を行き、数人の美女がその後に続く。そうしてまずは町側の詰め所のドアをノックしている。その様子を、離れて騎士団が待機し、伺っているのだ。
声までは届かない。だが出迎えた兵達は誰もが上機嫌で振る舞われたワインを喜んでいる。その中に翌朝までぐっすりな睡眠薬が入っているなんて疑ってもいない。
更に美女が二人示し合わせて詰め所の中に入っていく。これで準備はOKだ。跳ね橋が降りる。
今回、彼女達は砦の者に呼ばれたという事で中に入り、ついでに良いワインが入ったからと振る舞う。そのワインに睡眠薬が入っているのだ。
女性達が側について酒を皆に振る舞う。当然詰め所の兵が普通に跳ね橋を下ろす合図を出してくれて彼女達は安全に監獄に入る事ができる。そして跳ね橋を渡った先でも女達が同様に酒を振る舞う。
戦える者などないと高をくくっているこの監獄の兵達はあちこちで酒を飲んではそのまま転がる事も珍しくないので、今更数人が門前でグースカ寝ていても疑われないとのこと。
まったく、騎士団じゃあり得ない。これが見つかったら減俸確定だろう。
作戦はすこぶる順調のようで、二十分もして詰め所に入っていた女性の一人が顔をだして腕で○を作る。直ぐさまグリフィス率いる第五師団が乗り込み、中の兵を一人残らず捕縛、数室に分けて詰め込み鍵をかける事になっている。
それも終えた段階で、マーロウは立ち上がり詰め所へと入った。
「あっさりだな。こりゃ、案外楽に落とせるかもな」
「彼女達の協力なくしてできない作戦だ。感謝する」
「いえいえ~。フーエルちゃんに意地悪な事しちゃったもの、このくらいお手伝いするわ~」
フーエルをいいように弄んでいた美女が笑いながらフーエルにウィンク。だが当のフーエルは怯えまくって隠れてしまった。
側でハクインがよしよししている。
それから少しして、一度上がっていた跳ね橋が降りた。そして潜入していたドーニャが橋の向こうでニッコリと笑った。
「予定通り進め。第四は人質救出を第一任務に。第五はグリフィス先頭に監獄の制圧」
「「了解!」」
グリフィス先頭に突撃していく第五の後ろを第四が続く。その後をマーロウは必死に追いつこうとしているのだが……何故か追いつけない。
「遅い!」
「な! おわぁ!」
「私が運びます」
隣を走っていたチュウェンが突然脇に抱えたかと思うと、すぐに肩に担ぎ直して爆進していく。
「俺は荷物か!!」
「軽いですね」
「なにぃぃ!」
がさつ! と何度も喚きながらマーロウは屈辱的に監獄の中へと入ることになったのである。
中ではきっちり縛りあげられた兵士が気持ち良さそうに眠っている。上へ向かう階段、左右の廊下。それぞれ第五が蹂躙中だろう。
下ろしてもらったマーロウは服を叩き、辺りを見る。その隣にはチュウェンがついた。
「それで、貴方はなんの為にここにきましたの?」
「現場指揮」
「この中で生き残れますの?」
「人のいない部屋を探してそこに潜んでる」
「本当についてますか?」
視線が股間に固定される。ついてるよ、未使用だけど。
「では、これから人のいなさそうな場所を探すと?」
「どっか手頃な場所……」
そんな事でふと窓の外を見たマーロウは、離れた建物に人が入って行くのを見て動きを止めた。着ているものは明らかに庶民っぽく、手には縄がされている。周囲には兵士らしい男が数人いた。
「あれ、なんだ」
「え? っ!」
チュウェンが視線を向け、ハッと口元を抑える。その反応だけで十分だ。
マーロウは外の建物へ向かって走っていた。突然の運動に心臓が悲鳴を上げ、脇腹が痛み、肺への酸素供給が間に合わない。それでも走る事を止められなかった。
処刑場。そう考えるのが当然だ。この時間、あんな格好の者達がゾロゾロどこに行く。考えられるとすれば処分だ。
ここの処刑はガス。万が一それが建物内に漏れたら大事になる。当然別棟に建物を作っているはずだ。それが、あそこだと考えた。
窓の外で重たい鉄製の扉が閉じられ、男達は同じ建物にある別の扉へと入っていく。そこが制御室だ。
方向を見失わないように走り、外に出る扉を見つけて飛び出し、そのまま兵士達が入って行ったドアを目指した。もう、頭がワンワンと鳴っている。血管切れそうだ。それでも、ここまで来て間に合わないなんて結果受け入れられるか。完璧は難しくとも、目の前で助けられる人を見殺しにして「仕方がなかった」なんて言えるか!
戦う術がほぼ無い。にも関わらず、マーロウはドアを開けた。中には十人ほどの男がいて、今まさに実行ボタンらしいものを押した所だった。
「止めろ!」
「なんだお前?」
「いいからそれ止めろ! お前等、何してるか分かってるのか!」
今目の前で殺されようとしている人間が何をした。なんの罪を犯した。何故理不尽に殺されないといけない!
飛び出したマーロウは、だが剣を持たない。当然中の兵士達は全員が剣を持っている。それにも関わらず飛び出したマーロウを、屈強な兵士は易々と首を捻り上げてしまう。
「うぐっ……」
「どこのバカだ? 随分ひょろい」
「おい、囚人逃げたんじゃねーだろうな?」
嘲るような声に、脳みそがパンパンになりそうだ。息ができない。手をかけても力が入らない。
情けない。そんなのは十分に分かっている。どうせ誰にも必要とされず朽ちて行くんだと思っていた。実家の書庫にこもり、そこが自分の棺桶だと思って生きて来た。
そんな無価値だった人間に価値をつけたのが騎士団であり、シウスだった。性格拗らせてひん曲げて生きてきたのに、無理な条件を出したのに、それでいいと言ってくれた。
正直に、嬉しかったのだ。自分に価値が付いた。誰かに必要とされた。無理な事を強要されず、このままのマーロウという人間を受け入れてくれた場所だ。
だがこんな時だけは、武力が欲しい。折れそうな腕じゃなくて、グリフィスのような太い腕が。風邪ひとつで死にそうになる貧弱な体じゃなくて、誰もが持っている健康な体が。
やばい、意識が切れる。手が下に落ちようという頃、マーロウの脇を何やら凄い勢いのレイピアが通り過ぎ、拘束している男の肩を貫いた。
「ぎゃぁぁ!」
「うっ、げほっ! がっ、あっ……」
急速に供給される酸素に咽せて涙目で見上げると、そこにはあまりに勇敢なチュウェンが立っていた。
「弱いくせに一人で勝手をしないでください」
「っ!」
分かっている、そんなこと。そこをいちいち抉られるとこちらだって意地になるんだ。
睨み上げるマーロウと、チュウェンの緑色の瞳がぶつかって、彼女は僅かに笑った。
「でもその気概、好感が持てます」
「え?」
「大人しく後ろにいてください」
チュウェンが前に出て、男達は怯んだ。何人かは彼女の名前を呼んでいる。きっと、知っているのだろう。
だがチュウェンのほうはまったく容赦する気がない。レイピアを綺麗に構えて、男達を睨み付け武力を行使していく。肩を、足を貫かれた男達は悲鳴を上げた。
だが、無力化は完全じゃない。彼女は強いが、人を殺す事に躊躇いがあるのだろう。これがエリオットならば容赦なく相手の首や心臓、目を一突きにしている。
「こっ……のぉ! もう許さねぇ!!」
「くっ!」
足を押さえていた男が飛び出し、チュウェンを後ろから押し倒しにかかる。彼女が強くても体格や筋力に差がある。屈強な男に押し倒されたら倒れるしか無い。
床に倒されたチュウェンに男が群がる。長い足や腕を掴まえる男達はすっかりマーロウを忘れている。
「この女、今すぐ犯し倒してやる!」
「っ!」
強がりな彼女がギュッと身を縮込ませたような気がした。それを見て、マーロウは懐から銀の小さなケースを取り出し、羽だけを出したそれを男の一人へ向かい投げつけた。
「あぁ?」
首の後ろに刺さったそれを、男は訝しんで摩る。それを構わず、マーロウは次々にケースから出る羽根つきの針を他の男へも投げた。動く事はほぼできないが、狙いだけは絶対に外さず。腕でも、足でも、どこでもよかった。
「おい、あの男まだ生きてやがったぜ」
「こんなの投げて、何がしたいってんだ」
ゲラゲラ笑った奴等の注意はあくまでチュウェンだろう。マーロウには目もくれない。だが、十本の針全てを投げ終えたマーロウの口元は笑みを作り、静かなカウントが胸の中で繰り返される。
十、九、八、七、六、五、四、三、二、一…………
「地獄を見ろ」
口元に浮かぶ薄い笑みは、いっそ残酷な形をしていた。
そしてカウントが終わると同時に最初に針が刺さった男が突如胸を掻きむしり苦しみに呻き、口から泡を吹いて白目を剥き、仰け反るように転がった。
それは他の者も同じだ。突如として十人の屈強な兵士が痙攣を起こし泡を吹き胸を掻きむしって、中には嘔吐しながら白目を剥いて倒れ、そして数度痙攣して動かなくなる。
服を半分脱がされていたチュウェンは呆然とする。
その中でマーロウは慌てて立ち上がり、操作パネルを見回し緊急停止のボタンを押した。
「換気、換気は……」
レバーがあり、それを引くが動かない。錆びているのか動きが悪い。少し時間がたっているから、多少ガスが入ってしまったかもしれない。換気しないと中の人間は結局死んでしまう。
「うっ、ごか……っ!」
白い腕が伸びて後ろからレバーを握り、さも簡単に動かしてくれる。ガコンッ! という重い音がした。管理棟にある小さな窓から見た内部では、鉄製の窓やらが開いたのが見えた。
「よか……」
安堵した途端に、力が抜けてそのまま倒れていた。でも、寝落ちと違う。体が痛くて、頭が割れるように痛くて、体が熱い。完全にオーバーワークだった。
側に寄ったチュウェンがそっと、マーロウの頭を自分の膝に乗せる。思ったよりも柔らかな感触に驚いていると、上から心配そうな顔が覗き込んでいた。
「あれ、なんですか?」
「あれ……?」
「男達が突然倒れました」
「あぁ、毒。俺、剣は無理だから」
「毒って……あんなにすぐに」
「アコカンテラって植物の毒……それに、他も混ぜて使う。猛毒の心臓毒で、数分で心臓止める……。針も研究して、鳥の羽根の構造を利用して毒を針に吸い上げされて、塗り込むよりも人体に入るようにした……」
得意分野が武器になる。多様な武器を扱う人を見て、マーロウは真面目に考えた。戦場に出なければならない場面を想定すると、何かしらの武器は必要だ。ただ、剣は今からどうしたって無理。扱えない武器を持つなんて愚は犯さない。
ならばなんだ。考えた時、知識量の豊富さと集中力、そして開発という武器が自分にはあると考えた。
そうして手に入れたのはこれだ。当たれば確実に相手を殺せる武器。これを抜くときは、相手は確実に殺す。だからこそ、絶対の場面じゃ無ければ出さない武器だ。
チュウェンは少し泣きそうな顔をして、ずっと頭を撫でている。その手が、ちょっと冷たい。
「動けますか?」
「無理……多分、熱ある。動き過ぎた……頭痛い……」
「ちょ! そういう事は早く言ってください! お医者様!」
「いや、指揮……」
「判断間違いますわよ!」
言うが早いか、彼女はマーロウを軽々とお姫様抱っこして走り出る。
そこに第五が合流したから、扉を開けて異常が無いかを確認後、中の人を運び出すようにだけ言った。
それにしても情けない格好じゃないか。女の人に男の自分がお姫様抱っこだ。
あぁ、本当にとんだ生き恥だ……。思いながら、満足に笑って眠った。
▼グリフィス
ドーニャの案内で最上階の司令官室を目指すグリフィスは拳一つで迫り来る雑魚を一掃していった。
帝国では野獣なりなんなりと言われている野性味のある動きに、緩みきった兵士が対応する事は難しい。愛用のバスターソードの出番はまったくありはしない。
「殴り倒して放置でいいのかしら?」
「あ? どうせ後から来た奴がふん縛るっての。殺すのも面倒だ」
脇を走るドーニャが呆れたように言うが、これが本音。しかも最近胸くその悪い仕事ばかりでイライラしている。
何よりいちいち留め刺さなくても部下がやってくれる。下で言えばレイバンやドゥーガルドが良い具合に仕上がってきた。入団当初は何かとあった奴等だが、今じゃ第五の主力になってくれている。若いうちに苦労させておくもんだ。
そうして見えてきた司令官室のドアを、グリフィスとドーニャは見事な破壊力の蹴りで破壊した。はじけ飛んだ蝶番と、ガタリと落ちたドアが転がる。
その奥に居たのは、いかにもな老兵の姿だった。
見た目に六十は近いだろう。皺の深く刻まれた顔に、年相応に薄くなっている頭髪。目が細く見えるが、それを開き青い眼光が睨めつけると流石の貫禄があった。
「ほぉ、騒がしいと思ったら大きな鼠が入ってきていたか」
立ち上がった時の体が、大きい。とても老兵に見えない見事な体躯だ。肩や腕、胸の筋肉が厚く盛り上がっている。上腕なんて小山のようだ。体が見事に大きく傷だらけなのに対して頭が小さく、妙なバランスに見えた。
「どれ、いい体をしているな小僧。一つこの老いぼれと戦ってみんか?」
「言われなくても、お前さんを殺らないとこっちも話が進まん」
「儂を、殺る?」
小ぶりな頭がコテンと傾げられる。そして次には揺らぐような大きな笑い声が発せられた。
「ぶはははははっ、良いぞ! 実に良い! お前のような命知らずの小僧が今は少なくて、丁度退屈していたのだ!」
ビリビリするような殺気混じりの笑い声、鋭く見下ろす目。グリフィスはその全てにゾクゾクと痺れるような高揚を覚えて笑った。
感じられる。この老将は自分と同じだ。戦場に生き、戦場を楽しむイカレた戦闘狂だ。
「ドーニャ、離れてろよ」
背負のバスターソードに手をかけながら、グリフィスは姿勢を落とす。この状況で笑っているグリフィスを見たドーニャも、大人しく部屋の隅に寄った。
「では行くぞい、小僧。一撃で沈むような体たらくにはなるなよ」
「こいよ爺さん。俺が引導渡してやる」
ニヤリと笑った老将が、手にでかい斧を持ち上げる。到底老人が持てる部類じゃないが、それが軽々だ。なるほど、これを振り回すならあの筋肉は必要だ。
緊張した空気に、ゾクゾクする。体が疼き高揚していく。ワクワクするのだ、こんな時。強い者と戦う瞬間が、たまらなく好きなんだ。
どちらともない。だが、ほぼ同時に真正面からぶつかった。上から振り下ろされた斧を、グリフィスは堂々下から受け止めた。
あまりに重い斧の一撃に腕から上腕が一気に盛り上がったのが分かる。この老体のどこからこれだけの力が出るのか。信じられないほどの豪腕だ。
「いいぞ小僧! 儂の一撃を受け止めた奴などどれくらいぶりか!」
「あぁ、俺も楽しいぜ爺さん! 戦いってのはこうでなきゃなんねぇ!!」
振り抜いて斧を弾いたグリフィスから仕掛けた斬撃を、老将は斧の柄で軽々と受け流す。鉄製の柄は中もそれなりに詰まっているのだろう。容易に折れる代物じゃない。
互いに一度間合いを取った。そして室内に、二人分の楽しげな笑い声が響いた。
「良いぞ! 小僧名は何と言う!」
「帝国騎士団のグリフィスだ。爺さん、あんたは」
「ジェームダル王国のアヌンドじゃ」
「その名、確かに刻んだ」
ニヤリと笑ったグリフィスからの攻撃は獣のそれだ。低い姿勢からの鋭い斬撃は重たい武器であっても早い。
だが老将アヌンドはそれを斧で軽々と受けると振り払い、姿勢の僅かな崩れを狙って戦斧を振り回す。
だがグリフィスもそれを受けるような戦士ではない。避ける、受ける、更に攻撃をする。
室内はあっという間にズタボロだ。重厚な書棚、中の本、机は剣と斧によって修復不可能なほどに傷が付いて割れ、スタンドやら衣類掛けやらが半分になっていく。
だが当人達は実に楽しそうだ。瞳孔が小さくなり、口元には笑みが絶えない。互いに心から楽しみ、胸の底から歓喜を感じて沸き起こる興奮に身を委ねている。
「いいぜ……良いぜアヌンド。これだ、これだよ! 戦いってのは弱っちいのをぶっ殺すもんじゃねぇ! 強い奴と戦ってこそ興奮するってもんだ!」
「くくっ、分かるぞグリフィス。お前は儂と同じ戦闘狂じゃ。年取って疎まれる前に殺してくれるわ!」
「残念だな爺さん! うちにはもっとスゲぇ、化け物みたいなのがいるんでよ!」
何合も打ち合った二人は互いに相手を弾き、間合いができる。グリフィスは踏ん張り、バスターソードを引きずるように下方に構えて走った。
アヌンドも同じように走り、戦斧を振り上げる。
互いの武器が激しい音を立ててぶつかりながらも振り抜いた。
激しかった音が、ピタリと止んだ。振り抜いたまま、まるで時が止まったような静寂。互いに背を向けたまま、追撃を仕掛ける事もなく、ただただ時が経つ感じがある。
グリフィスの肩から、血がダラダラと溢れて服を染めた。一瞬痛みに顔を歪めて剣を置いたグリフィスの背後で、アヌンドから静かな声がした。
「良い戦いだった、グリフィス。年老いてなお戦に狂い、疎まれた儂の最後の相手がお前のような男で、儂は満足だ」
巨体がぐらりと揺らぎ、音を立てて仰向けに倒れていく。その胸には斜めに深く走る傷があり、ドクドクと血を流していた。
グリフィスは肩を押さえながらそこに近づいていく。見下ろした先で、アヌンドは穏やかな顔をしていた。
「俺も光栄だ、アヌンド。アンタみたいな戦いがいのある敵と、久しぶりにやりあった。後は送ってやるから、安心して眠れよ」
「くくっ、言いよるわ小僧……あぁ、最高の最後だ。感謝しよう」
細かった目が閉じて、次にはもう開くことはなかった。それでも傷だらけの手で握りしめた斧は手放さない。死んでも尚、貫禄と威厳を感じた。
「戦士の最後に、敬意を払って」
グリフィスは胸に手を当てて一度ドンと叩く。そして深く一礼をした。
気が抜けると途端に傷は痛む。ズキズキと痛み出す肩を掴む手に力が入り、膝をついた。
「男って、本当にどうしようもないバカばかりですわ」
「ドーニャ? イッて!!」
溜息をついて近づいてきたドーニャが、強く傷ついた肩に布を巻き付けて縛りあげる。その強さは一般的な女性のそれではない。捻りあげるような強さに涙目になったグリフィスの額をコツンと突いた彼女は、それでも穏やかな笑みを浮かべていた。
「だから、女がしっかりしなくてはなりませんのよ」
「ははっ、面目ねぇな」
苦笑してバスターソードを背に戻す。そして、傷ついていない方の手で引き上げられた。
その時、内部制圧を行っていたリオガンが困った顔で部屋に転がり込んできた。
「あの、グリフィス、さん」
「どうした?」
「様子の違う人が、捕まってる。酷い状態、だけど生きてる」
「あぁ?」
様子の違うとは、どんなんだ。
「地下ではないの?」
「違う。石造りの、個室。壁に手錠で、全身傷だらけ。鍵、ここにない?」
「鍵?」
ドーニャが執務机を探るとすぐにそれらしい鍵束が出てくる。それを持って、グリフィスも一緒にリオガンについてその部屋へと向かった。
部屋に鍵はついていなかった。他は木製のドアにも関わらず、この部屋だけは鉄製で格子がはまっている。鍵穴もあるが、鍵はかかっていない。側で見張りらしい男が伸びていた。
「あぁ、よかった! リオガン、早く!」
室内にいたハクインが戻って来たリオガンを迎えて安堵の息を吐く。そしてそこに縫い止められたように動かないボロ雑巾のような男を見て、ドーニャは口元に手を当てて悲痛な目をした。
「ナクシット!」
駆け寄り、壁に取り付けられた手錠の鍵を外す。途端、男の体はぐらりと傾きドーニャに向かって落ちて行く。受け止めたドーニャが腕に抱いて揺すると、薄らと茶色の瞳が開いた。
「ナクシット! しっかりなさい!」
「ドー、ニャ……殿?」
掠れて声にならないほど小さな声。だが男の目に、薄らと安堵が浮かんだ。
「あぁ、無事であった……よかった……」
「貴方こそ、どうしてこんな」
「戦いに、敗れ……こうして……」
体中、ミミズ腫れと切り傷、無残に裂けた肌、焼けたような傷口に、擦り切れた痕、青痣。殴られ、鞭を振るわれ、そこに火を当てられたのだろう。できたばかりの傷に火を近づけられる痛みはかなりの激痛だ。
「とにかく今は第四と医者に任せようぜ。このままじゃ真っ当に話せもしないぜ」
「そう、ね……」
「マーロウの奴も探さねーと。どっかにきっと隠れて……」
「グリフィス様!!」
「今度はなんだ!」
駆け込んできたドゥーガルドを怒鳴るようにグリフィスは唸る。それにビクリとなったドゥーガルドだが、すぐに報告を開始した。
「マーロウ様が倒れて、現在医者の診察受けてます」
「なに!! あいつ、何したんだ!」
「処刑されようとした人を助けたようで……」
「あぁ、もう」
それじゃ責められねぇ。
ガシガシ頭をかいたグリフィスは溜息をつきながらも、それぞれに指示を飛ばした。
「拘束した兵士は地下の牢獄にでもぶち込んでおけ! 助けた奴らは話を聞いて希望者は町に、それ以外はこの監獄に留まってもらえ! 前線に早馬! 怪我人は第四の治療、酷いのは医者先生に診てもらえ!」
「あい、大将!」
ドタドタ走っていくドゥーガルドを見送り、グリフィスもドッカリと床に腰を下ろす。そして、深い溜息をついた。
そして何故か、マーロウの側にはチュウェンという女性がついている。
「ドゥーくんが良かった」
「まだそれを言うのですか? 男のくせに面倒臭い」
「ドゥーくんの方がずっと優しい」
薄い金髪、美しい顔立ち、慎ましいボディーライン。黙っていれば男が放っておかない美女なのに、口を開けばこんな感じだ。何か気に障ることをしただろうか。
「私、貴方のような男が嫌いですの」
「嫌われる事した覚えがない」
「存在が嫌いですわ」
そらすいませんでした。
ドーニャが先頭を行き、数人の美女がその後に続く。そうしてまずは町側の詰め所のドアをノックしている。その様子を、離れて騎士団が待機し、伺っているのだ。
声までは届かない。だが出迎えた兵達は誰もが上機嫌で振る舞われたワインを喜んでいる。その中に翌朝までぐっすりな睡眠薬が入っているなんて疑ってもいない。
更に美女が二人示し合わせて詰め所の中に入っていく。これで準備はOKだ。跳ね橋が降りる。
今回、彼女達は砦の者に呼ばれたという事で中に入り、ついでに良いワインが入ったからと振る舞う。そのワインに睡眠薬が入っているのだ。
女性達が側について酒を皆に振る舞う。当然詰め所の兵が普通に跳ね橋を下ろす合図を出してくれて彼女達は安全に監獄に入る事ができる。そして跳ね橋を渡った先でも女達が同様に酒を振る舞う。
戦える者などないと高をくくっているこの監獄の兵達はあちこちで酒を飲んではそのまま転がる事も珍しくないので、今更数人が門前でグースカ寝ていても疑われないとのこと。
まったく、騎士団じゃあり得ない。これが見つかったら減俸確定だろう。
作戦はすこぶる順調のようで、二十分もして詰め所に入っていた女性の一人が顔をだして腕で○を作る。直ぐさまグリフィス率いる第五師団が乗り込み、中の兵を一人残らず捕縛、数室に分けて詰め込み鍵をかける事になっている。
それも終えた段階で、マーロウは立ち上がり詰め所へと入った。
「あっさりだな。こりゃ、案外楽に落とせるかもな」
「彼女達の協力なくしてできない作戦だ。感謝する」
「いえいえ~。フーエルちゃんに意地悪な事しちゃったもの、このくらいお手伝いするわ~」
フーエルをいいように弄んでいた美女が笑いながらフーエルにウィンク。だが当のフーエルは怯えまくって隠れてしまった。
側でハクインがよしよししている。
それから少しして、一度上がっていた跳ね橋が降りた。そして潜入していたドーニャが橋の向こうでニッコリと笑った。
「予定通り進め。第四は人質救出を第一任務に。第五はグリフィス先頭に監獄の制圧」
「「了解!」」
グリフィス先頭に突撃していく第五の後ろを第四が続く。その後をマーロウは必死に追いつこうとしているのだが……何故か追いつけない。
「遅い!」
「な! おわぁ!」
「私が運びます」
隣を走っていたチュウェンが突然脇に抱えたかと思うと、すぐに肩に担ぎ直して爆進していく。
「俺は荷物か!!」
「軽いですね」
「なにぃぃ!」
がさつ! と何度も喚きながらマーロウは屈辱的に監獄の中へと入ることになったのである。
中ではきっちり縛りあげられた兵士が気持ち良さそうに眠っている。上へ向かう階段、左右の廊下。それぞれ第五が蹂躙中だろう。
下ろしてもらったマーロウは服を叩き、辺りを見る。その隣にはチュウェンがついた。
「それで、貴方はなんの為にここにきましたの?」
「現場指揮」
「この中で生き残れますの?」
「人のいない部屋を探してそこに潜んでる」
「本当についてますか?」
視線が股間に固定される。ついてるよ、未使用だけど。
「では、これから人のいなさそうな場所を探すと?」
「どっか手頃な場所……」
そんな事でふと窓の外を見たマーロウは、離れた建物に人が入って行くのを見て動きを止めた。着ているものは明らかに庶民っぽく、手には縄がされている。周囲には兵士らしい男が数人いた。
「あれ、なんだ」
「え? っ!」
チュウェンが視線を向け、ハッと口元を抑える。その反応だけで十分だ。
マーロウは外の建物へ向かって走っていた。突然の運動に心臓が悲鳴を上げ、脇腹が痛み、肺への酸素供給が間に合わない。それでも走る事を止められなかった。
処刑場。そう考えるのが当然だ。この時間、あんな格好の者達がゾロゾロどこに行く。考えられるとすれば処分だ。
ここの処刑はガス。万が一それが建物内に漏れたら大事になる。当然別棟に建物を作っているはずだ。それが、あそこだと考えた。
窓の外で重たい鉄製の扉が閉じられ、男達は同じ建物にある別の扉へと入っていく。そこが制御室だ。
方向を見失わないように走り、外に出る扉を見つけて飛び出し、そのまま兵士達が入って行ったドアを目指した。もう、頭がワンワンと鳴っている。血管切れそうだ。それでも、ここまで来て間に合わないなんて結果受け入れられるか。完璧は難しくとも、目の前で助けられる人を見殺しにして「仕方がなかった」なんて言えるか!
戦う術がほぼ無い。にも関わらず、マーロウはドアを開けた。中には十人ほどの男がいて、今まさに実行ボタンらしいものを押した所だった。
「止めろ!」
「なんだお前?」
「いいからそれ止めろ! お前等、何してるか分かってるのか!」
今目の前で殺されようとしている人間が何をした。なんの罪を犯した。何故理不尽に殺されないといけない!
飛び出したマーロウは、だが剣を持たない。当然中の兵士達は全員が剣を持っている。それにも関わらず飛び出したマーロウを、屈強な兵士は易々と首を捻り上げてしまう。
「うぐっ……」
「どこのバカだ? 随分ひょろい」
「おい、囚人逃げたんじゃねーだろうな?」
嘲るような声に、脳みそがパンパンになりそうだ。息ができない。手をかけても力が入らない。
情けない。そんなのは十分に分かっている。どうせ誰にも必要とされず朽ちて行くんだと思っていた。実家の書庫にこもり、そこが自分の棺桶だと思って生きて来た。
そんな無価値だった人間に価値をつけたのが騎士団であり、シウスだった。性格拗らせてひん曲げて生きてきたのに、無理な条件を出したのに、それでいいと言ってくれた。
正直に、嬉しかったのだ。自分に価値が付いた。誰かに必要とされた。無理な事を強要されず、このままのマーロウという人間を受け入れてくれた場所だ。
だがこんな時だけは、武力が欲しい。折れそうな腕じゃなくて、グリフィスのような太い腕が。風邪ひとつで死にそうになる貧弱な体じゃなくて、誰もが持っている健康な体が。
やばい、意識が切れる。手が下に落ちようという頃、マーロウの脇を何やら凄い勢いのレイピアが通り過ぎ、拘束している男の肩を貫いた。
「ぎゃぁぁ!」
「うっ、げほっ! がっ、あっ……」
急速に供給される酸素に咽せて涙目で見上げると、そこにはあまりに勇敢なチュウェンが立っていた。
「弱いくせに一人で勝手をしないでください」
「っ!」
分かっている、そんなこと。そこをいちいち抉られるとこちらだって意地になるんだ。
睨み上げるマーロウと、チュウェンの緑色の瞳がぶつかって、彼女は僅かに笑った。
「でもその気概、好感が持てます」
「え?」
「大人しく後ろにいてください」
チュウェンが前に出て、男達は怯んだ。何人かは彼女の名前を呼んでいる。きっと、知っているのだろう。
だがチュウェンのほうはまったく容赦する気がない。レイピアを綺麗に構えて、男達を睨み付け武力を行使していく。肩を、足を貫かれた男達は悲鳴を上げた。
だが、無力化は完全じゃない。彼女は強いが、人を殺す事に躊躇いがあるのだろう。これがエリオットならば容赦なく相手の首や心臓、目を一突きにしている。
「こっ……のぉ! もう許さねぇ!!」
「くっ!」
足を押さえていた男が飛び出し、チュウェンを後ろから押し倒しにかかる。彼女が強くても体格や筋力に差がある。屈強な男に押し倒されたら倒れるしか無い。
床に倒されたチュウェンに男が群がる。長い足や腕を掴まえる男達はすっかりマーロウを忘れている。
「この女、今すぐ犯し倒してやる!」
「っ!」
強がりな彼女がギュッと身を縮込ませたような気がした。それを見て、マーロウは懐から銀の小さなケースを取り出し、羽だけを出したそれを男の一人へ向かい投げつけた。
「あぁ?」
首の後ろに刺さったそれを、男は訝しんで摩る。それを構わず、マーロウは次々にケースから出る羽根つきの針を他の男へも投げた。動く事はほぼできないが、狙いだけは絶対に外さず。腕でも、足でも、どこでもよかった。
「おい、あの男まだ生きてやがったぜ」
「こんなの投げて、何がしたいってんだ」
ゲラゲラ笑った奴等の注意はあくまでチュウェンだろう。マーロウには目もくれない。だが、十本の針全てを投げ終えたマーロウの口元は笑みを作り、静かなカウントが胸の中で繰り返される。
十、九、八、七、六、五、四、三、二、一…………
「地獄を見ろ」
口元に浮かぶ薄い笑みは、いっそ残酷な形をしていた。
そしてカウントが終わると同時に最初に針が刺さった男が突如胸を掻きむしり苦しみに呻き、口から泡を吹いて白目を剥き、仰け反るように転がった。
それは他の者も同じだ。突如として十人の屈強な兵士が痙攣を起こし泡を吹き胸を掻きむしって、中には嘔吐しながら白目を剥いて倒れ、そして数度痙攣して動かなくなる。
服を半分脱がされていたチュウェンは呆然とする。
その中でマーロウは慌てて立ち上がり、操作パネルを見回し緊急停止のボタンを押した。
「換気、換気は……」
レバーがあり、それを引くが動かない。錆びているのか動きが悪い。少し時間がたっているから、多少ガスが入ってしまったかもしれない。換気しないと中の人間は結局死んでしまう。
「うっ、ごか……っ!」
白い腕が伸びて後ろからレバーを握り、さも簡単に動かしてくれる。ガコンッ! という重い音がした。管理棟にある小さな窓から見た内部では、鉄製の窓やらが開いたのが見えた。
「よか……」
安堵した途端に、力が抜けてそのまま倒れていた。でも、寝落ちと違う。体が痛くて、頭が割れるように痛くて、体が熱い。完全にオーバーワークだった。
側に寄ったチュウェンがそっと、マーロウの頭を自分の膝に乗せる。思ったよりも柔らかな感触に驚いていると、上から心配そうな顔が覗き込んでいた。
「あれ、なんですか?」
「あれ……?」
「男達が突然倒れました」
「あぁ、毒。俺、剣は無理だから」
「毒って……あんなにすぐに」
「アコカンテラって植物の毒……それに、他も混ぜて使う。猛毒の心臓毒で、数分で心臓止める……。針も研究して、鳥の羽根の構造を利用して毒を針に吸い上げされて、塗り込むよりも人体に入るようにした……」
得意分野が武器になる。多様な武器を扱う人を見て、マーロウは真面目に考えた。戦場に出なければならない場面を想定すると、何かしらの武器は必要だ。ただ、剣は今からどうしたって無理。扱えない武器を持つなんて愚は犯さない。
ならばなんだ。考えた時、知識量の豊富さと集中力、そして開発という武器が自分にはあると考えた。
そうして手に入れたのはこれだ。当たれば確実に相手を殺せる武器。これを抜くときは、相手は確実に殺す。だからこそ、絶対の場面じゃ無ければ出さない武器だ。
チュウェンは少し泣きそうな顔をして、ずっと頭を撫でている。その手が、ちょっと冷たい。
「動けますか?」
「無理……多分、熱ある。動き過ぎた……頭痛い……」
「ちょ! そういう事は早く言ってください! お医者様!」
「いや、指揮……」
「判断間違いますわよ!」
言うが早いか、彼女はマーロウを軽々とお姫様抱っこして走り出る。
そこに第五が合流したから、扉を開けて異常が無いかを確認後、中の人を運び出すようにだけ言った。
それにしても情けない格好じゃないか。女の人に男の自分がお姫様抱っこだ。
あぁ、本当にとんだ生き恥だ……。思いながら、満足に笑って眠った。
▼グリフィス
ドーニャの案内で最上階の司令官室を目指すグリフィスは拳一つで迫り来る雑魚を一掃していった。
帝国では野獣なりなんなりと言われている野性味のある動きに、緩みきった兵士が対応する事は難しい。愛用のバスターソードの出番はまったくありはしない。
「殴り倒して放置でいいのかしら?」
「あ? どうせ後から来た奴がふん縛るっての。殺すのも面倒だ」
脇を走るドーニャが呆れたように言うが、これが本音。しかも最近胸くその悪い仕事ばかりでイライラしている。
何よりいちいち留め刺さなくても部下がやってくれる。下で言えばレイバンやドゥーガルドが良い具合に仕上がってきた。入団当初は何かとあった奴等だが、今じゃ第五の主力になってくれている。若いうちに苦労させておくもんだ。
そうして見えてきた司令官室のドアを、グリフィスとドーニャは見事な破壊力の蹴りで破壊した。はじけ飛んだ蝶番と、ガタリと落ちたドアが転がる。
その奥に居たのは、いかにもな老兵の姿だった。
見た目に六十は近いだろう。皺の深く刻まれた顔に、年相応に薄くなっている頭髪。目が細く見えるが、それを開き青い眼光が睨めつけると流石の貫禄があった。
「ほぉ、騒がしいと思ったら大きな鼠が入ってきていたか」
立ち上がった時の体が、大きい。とても老兵に見えない見事な体躯だ。肩や腕、胸の筋肉が厚く盛り上がっている。上腕なんて小山のようだ。体が見事に大きく傷だらけなのに対して頭が小さく、妙なバランスに見えた。
「どれ、いい体をしているな小僧。一つこの老いぼれと戦ってみんか?」
「言われなくても、お前さんを殺らないとこっちも話が進まん」
「儂を、殺る?」
小ぶりな頭がコテンと傾げられる。そして次には揺らぐような大きな笑い声が発せられた。
「ぶはははははっ、良いぞ! 実に良い! お前のような命知らずの小僧が今は少なくて、丁度退屈していたのだ!」
ビリビリするような殺気混じりの笑い声、鋭く見下ろす目。グリフィスはその全てにゾクゾクと痺れるような高揚を覚えて笑った。
感じられる。この老将は自分と同じだ。戦場に生き、戦場を楽しむイカレた戦闘狂だ。
「ドーニャ、離れてろよ」
背負のバスターソードに手をかけながら、グリフィスは姿勢を落とす。この状況で笑っているグリフィスを見たドーニャも、大人しく部屋の隅に寄った。
「では行くぞい、小僧。一撃で沈むような体たらくにはなるなよ」
「こいよ爺さん。俺が引導渡してやる」
ニヤリと笑った老将が、手にでかい斧を持ち上げる。到底老人が持てる部類じゃないが、それが軽々だ。なるほど、これを振り回すならあの筋肉は必要だ。
緊張した空気に、ゾクゾクする。体が疼き高揚していく。ワクワクするのだ、こんな時。強い者と戦う瞬間が、たまらなく好きなんだ。
どちらともない。だが、ほぼ同時に真正面からぶつかった。上から振り下ろされた斧を、グリフィスは堂々下から受け止めた。
あまりに重い斧の一撃に腕から上腕が一気に盛り上がったのが分かる。この老体のどこからこれだけの力が出るのか。信じられないほどの豪腕だ。
「いいぞ小僧! 儂の一撃を受け止めた奴などどれくらいぶりか!」
「あぁ、俺も楽しいぜ爺さん! 戦いってのはこうでなきゃなんねぇ!!」
振り抜いて斧を弾いたグリフィスから仕掛けた斬撃を、老将は斧の柄で軽々と受け流す。鉄製の柄は中もそれなりに詰まっているのだろう。容易に折れる代物じゃない。
互いに一度間合いを取った。そして室内に、二人分の楽しげな笑い声が響いた。
「良いぞ! 小僧名は何と言う!」
「帝国騎士団のグリフィスだ。爺さん、あんたは」
「ジェームダル王国のアヌンドじゃ」
「その名、確かに刻んだ」
ニヤリと笑ったグリフィスからの攻撃は獣のそれだ。低い姿勢からの鋭い斬撃は重たい武器であっても早い。
だが老将アヌンドはそれを斧で軽々と受けると振り払い、姿勢の僅かな崩れを狙って戦斧を振り回す。
だがグリフィスもそれを受けるような戦士ではない。避ける、受ける、更に攻撃をする。
室内はあっという間にズタボロだ。重厚な書棚、中の本、机は剣と斧によって修復不可能なほどに傷が付いて割れ、スタンドやら衣類掛けやらが半分になっていく。
だが当人達は実に楽しそうだ。瞳孔が小さくなり、口元には笑みが絶えない。互いに心から楽しみ、胸の底から歓喜を感じて沸き起こる興奮に身を委ねている。
「いいぜ……良いぜアヌンド。これだ、これだよ! 戦いってのは弱っちいのをぶっ殺すもんじゃねぇ! 強い奴と戦ってこそ興奮するってもんだ!」
「くくっ、分かるぞグリフィス。お前は儂と同じ戦闘狂じゃ。年取って疎まれる前に殺してくれるわ!」
「残念だな爺さん! うちにはもっとスゲぇ、化け物みたいなのがいるんでよ!」
何合も打ち合った二人は互いに相手を弾き、間合いができる。グリフィスは踏ん張り、バスターソードを引きずるように下方に構えて走った。
アヌンドも同じように走り、戦斧を振り上げる。
互いの武器が激しい音を立ててぶつかりながらも振り抜いた。
激しかった音が、ピタリと止んだ。振り抜いたまま、まるで時が止まったような静寂。互いに背を向けたまま、追撃を仕掛ける事もなく、ただただ時が経つ感じがある。
グリフィスの肩から、血がダラダラと溢れて服を染めた。一瞬痛みに顔を歪めて剣を置いたグリフィスの背後で、アヌンドから静かな声がした。
「良い戦いだった、グリフィス。年老いてなお戦に狂い、疎まれた儂の最後の相手がお前のような男で、儂は満足だ」
巨体がぐらりと揺らぎ、音を立てて仰向けに倒れていく。その胸には斜めに深く走る傷があり、ドクドクと血を流していた。
グリフィスは肩を押さえながらそこに近づいていく。見下ろした先で、アヌンドは穏やかな顔をしていた。
「俺も光栄だ、アヌンド。アンタみたいな戦いがいのある敵と、久しぶりにやりあった。後は送ってやるから、安心して眠れよ」
「くくっ、言いよるわ小僧……あぁ、最高の最後だ。感謝しよう」
細かった目が閉じて、次にはもう開くことはなかった。それでも傷だらけの手で握りしめた斧は手放さない。死んでも尚、貫禄と威厳を感じた。
「戦士の最後に、敬意を払って」
グリフィスは胸に手を当てて一度ドンと叩く。そして深く一礼をした。
気が抜けると途端に傷は痛む。ズキズキと痛み出す肩を掴む手に力が入り、膝をついた。
「男って、本当にどうしようもないバカばかりですわ」
「ドーニャ? イッて!!」
溜息をついて近づいてきたドーニャが、強く傷ついた肩に布を巻き付けて縛りあげる。その強さは一般的な女性のそれではない。捻りあげるような強さに涙目になったグリフィスの額をコツンと突いた彼女は、それでも穏やかな笑みを浮かべていた。
「だから、女がしっかりしなくてはなりませんのよ」
「ははっ、面目ねぇな」
苦笑してバスターソードを背に戻す。そして、傷ついていない方の手で引き上げられた。
その時、内部制圧を行っていたリオガンが困った顔で部屋に転がり込んできた。
「あの、グリフィス、さん」
「どうした?」
「様子の違う人が、捕まってる。酷い状態、だけど生きてる」
「あぁ?」
様子の違うとは、どんなんだ。
「地下ではないの?」
「違う。石造りの、個室。壁に手錠で、全身傷だらけ。鍵、ここにない?」
「鍵?」
ドーニャが執務机を探るとすぐにそれらしい鍵束が出てくる。それを持って、グリフィスも一緒にリオガンについてその部屋へと向かった。
部屋に鍵はついていなかった。他は木製のドアにも関わらず、この部屋だけは鉄製で格子がはまっている。鍵穴もあるが、鍵はかかっていない。側で見張りらしい男が伸びていた。
「あぁ、よかった! リオガン、早く!」
室内にいたハクインが戻って来たリオガンを迎えて安堵の息を吐く。そしてそこに縫い止められたように動かないボロ雑巾のような男を見て、ドーニャは口元に手を当てて悲痛な目をした。
「ナクシット!」
駆け寄り、壁に取り付けられた手錠の鍵を外す。途端、男の体はぐらりと傾きドーニャに向かって落ちて行く。受け止めたドーニャが腕に抱いて揺すると、薄らと茶色の瞳が開いた。
「ナクシット! しっかりなさい!」
「ドー、ニャ……殿?」
掠れて声にならないほど小さな声。だが男の目に、薄らと安堵が浮かんだ。
「あぁ、無事であった……よかった……」
「貴方こそ、どうしてこんな」
「戦いに、敗れ……こうして……」
体中、ミミズ腫れと切り傷、無残に裂けた肌、焼けたような傷口に、擦り切れた痕、青痣。殴られ、鞭を振るわれ、そこに火を当てられたのだろう。できたばかりの傷に火を近づけられる痛みはかなりの激痛だ。
「とにかく今は第四と医者に任せようぜ。このままじゃ真っ当に話せもしないぜ」
「そう、ね……」
「マーロウの奴も探さねーと。どっかにきっと隠れて……」
「グリフィス様!!」
「今度はなんだ!」
駆け込んできたドゥーガルドを怒鳴るようにグリフィスは唸る。それにビクリとなったドゥーガルドだが、すぐに報告を開始した。
「マーロウ様が倒れて、現在医者の診察受けてます」
「なに!! あいつ、何したんだ!」
「処刑されようとした人を助けたようで……」
「あぁ、もう」
それじゃ責められねぇ。
ガシガシ頭をかいたグリフィスは溜息をつきながらも、それぞれに指示を飛ばした。
「拘束した兵士は地下の牢獄にでもぶち込んでおけ! 助けた奴らは話を聞いて希望者は町に、それ以外はこの監獄に留まってもらえ! 前線に早馬! 怪我人は第四の治療、酷いのは医者先生に診てもらえ!」
「あい、大将!」
ドタドタ走っていくドゥーガルドを見送り、グリフィスもドッカリと床に腰を下ろす。そして、深い溜息をついた。
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