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13章:ラン・カレイユ人質救出作戦

10話:監獄事変後記(リオガン)

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 ルミノラ監獄を奪取して人質を無事に解放してから一週間。監獄とは思えない清潔で快適な生活環境となっている。
 人質になっている人達が協力して内部を綺麗に清掃したり美味しいご飯を作る手伝いをしてくれたりしている。
 治療の必要な人は現在も治療を受けている。ガス室に入れられた人も最初少量のガスを吸ったようで意識が朦朧としていたけれど、新鮮な空気の場所に移された事で意識を取りもどし、今は普通の生活をしている。
 中には拷問を受けていた人もいて、その人達の治療は今も継続して行われている。

 穏やかな時間。けれどこれはどうしようもない理由もある。指揮官のマーロウが未だに伏せっているのと、グリフィスも怪我をしている。そしてもう一人、色々と知っていそうなナクシットという人物の治療が優先されているのだ。

 リオガンは明るく風の通るようになった監獄の二階を歩いていた。二階は主に上級士官用の綺麗な部屋で、今は重傷患者やここで働く女性達優先で使われている。
 リオガンとハクインも二人で一室使っている。それというのもハクインの接触過敏がまだ治らないから、大部屋では不安が残るからだった。

 そうした部屋の一室。リオガンはここに使用済み食器を下げるためと、医者から処方された薬を届けに来た。
 けれどドアの前まできて、中から聞こえる声になかなか踏み入る勇気が出なかった。

「ですから、野菜もちゃんと美味しく味を付けて食べやすくしていますわ!」
「野菜は食べない! もがぁ!!」
「つべこべ言わずに食べてください!」
「やめ! 口突っ込むのやめ! ぎゃぁぁ!」

 あぁ、またやっている。毎回ここに来ると必ず聞こえる攻防戦に、リオガンは困って立ち尽くすしか無い。

 指揮官マーロウは三日ほど熱で伏せっていた。その間、彼の看病などをしていたのはチュウェンだった。とても甲斐甲斐しい女性で、助けられたのだと言っていた。
 その後起き上がれるようになっても、彼女はマーロウの世話を焼いている。
 「野菜も大事」「肉は適度に」「砂糖を取り過ぎる」「薬を飲め!」と、周囲が苦笑するほどの世話の焼きようだ。
 当然マーロウはそれらを拒絶しているし抵抗しているのだが、何せ力業では敵わない。無理矢理口に突っ込み力業で食べさせ、持ち歩いている甘味も取り上げ、薬も口に突っ込み水を流し込んで飲ませている。

 ちょっと、可哀想。けれどそのおかげでマーロウの体調は良好になり、熱も早く下がった。そして全員が思っていた事であるが、実行できなかった事でもある。結果、見て見ぬふりをして任せている。

 最初、こっそり隠れて甘味を食べているのを見とがめたチュウェンがお菓子を取り上げリオガンに笑顔で渡した事がある。が、その時のマーロウの恨めしい目を見ると怖くて食べられず、夜中にこっそり返しにきた。

 やがて、マーロウのエグエグという声が聞こえてきたので部屋に入る事にした。ノックをして、出迎えてくれるにこやかなチュウェンの背後で青い顔をしたマーロウが涙目になっている。
 聞こえる「助けて」という心の声を聞かないようにして、リオガンは招かれるままに中に入った。

「あの、お薬……」
「もういらない! 熱ない!」
「体を少し強くするために……」
「余計なお世話! ふぎゃん!」
「つべこべ言わずにお飲みになってくださいね」

 綺麗な顔に青筋が浮かんでいる。笑顔が怖い。チュウェンは薬包を受け取るとマーロウの鼻をつまんで顎を握って口を開けさせ、さっさと薬包の中身を流し込み水を注ぎ、次には顎と頭をサンドした。
 これを見ると、可哀想。お医者様から「口直し」に甘いお菓子をもらって来た。少しは喜んでもらえるだろうか。

「鬼! 悪魔! 人でなし! 怪力女!」
「何とでも仰って下さい」

 まったく相手にされないマーロウが泣いている。リオガンは側に行って、お医者様から渡されたお菓子を渡した。

「あの、お医者様から。頑張ってお薬飲めたら渡して下さいって……」
「リオガン、君最高だよ!」
「甘いものは……」
「あの、過剰摂取じゃなければ良いと言う事で」

 マーロウは取られないうちにと渡された飴玉を口に放り込み、ほこほことした笑みを浮かべている。この顔を見ると本当に無害そうな人に思える。

 それにしても、顔色が良くなっている。体調も悪くはないようで、便秘気味だと言っていたのがここ数日改善されたらしい。青白い肌に血色が戻ってきている。
 更に薬の中に少しだけ眠くなる成分が入っているようで、薬を飲んで一時間もしないうちに眠ってしまう。そのおかげか、目の下の隈が大分薄くなった。
 チュウェンが毎日お風呂の後の濡れ髪をきちんと乾かし、精油をつけてブラッシングしている。だからパサパサで艶の悪かった髪が今はとても綺麗な光を取りもどしている。

 これを見ると、誰もチュウェンに文句がない。指揮官殿の体調が、今後にも大きく響くのだから。

「あの、夜にまたご飯持って来ます。それと、明日からは薬無くていいと……」
「ほんとう!」
「では、少し体力作りをいたしませんとね。流石に今のままではなりませんわ」
「もう、放っておいてよ!!」

 泣きわめくようなマーロウを気の毒に思いながらも、散歩くらいはしてもいいんじゃないかとリオガンは思うので、なんとも言えず食器を下げて部屋を出る。今日も綺麗に完食だった。

 食器を下げたら次はグリフィスの所。司令官室に行くと声がして、入るとお医者様が傷の具合を診ているところだった。

 グリフィスの傷は案外深かったけれど、筋や神経には響かなかった。戦争という事で、服の下に革の肩当てを当てていたのが良かったらしい。多少刃先が滑ってくれて、切断ということにはならなかった。

「おう、報告かリオガン。悪い、少しまってくれや」

 軽く声がかかり、素直に頷く。お医者様は傷に薬を塗って包帯を巻き直していた。

「概ね良好ですよ。ただ、まだ重い物を持ったりはなさらないでください」
「悪いな、爺さん」
「いえ、このくらい。リオガンくん、マーロウさんの様子はどうでしたか?」
「食事、完食させられてた。薬も、飲まされた。甘い物、喜んでた」
「全部自発的じゃねぇってところが、流石マーロウだな。あのお嬢さんが世話についてくれて助かったぜ」
「本当に困った方ですね」

 お医者様も苦笑しているけれど、食事も薬も飲んだ事には安心したらしかった。

 「他の人の診察をします」と、お医者様は出て行く。残されたリオガンは砦の中の様子とか、マーロウの様子とかをグリフィスに伝えた。
 痛々しい三角巾を吊ったまま話を聞いたグリフィスが、大きく頷きひとまずの平穏に息を吐いた。

「まぁ、今後の事を知ってそうな奴がまだ辛そうだし、チェルルも戻らんからな。それに、マーロウの話じゃ姫さんは殺されない。ここいらでしっかり体を休めて調整するのもありか」

 グリフィスは言って、ぼんやりと天井を見上げた。

 ドーニャの話で、イシュクイナ王女が幽閉されているだろう場所の目星はついた。
 ジェームダルの国境に位置するユノーラ城。ここにいるだろうということだ。
 本当は王都監禁だったのだが、好色なキルヒアイスが美女の話を聞きつけて自国へ連れ去ろうとしたらしい。その時、ラン・カレイユの近衛騎士五人がナルサッハの前で「国外に出さず、身の保証と純潔を守る約束に反する」と抗議を口にし、割腹の後果てたそうだ。
 これがラン・カレイユ国内で起こった事で一度捕らえた近衛騎士も再び反乱を起こしそうになり、もしも足先少しでも国外に出たならば全員が割腹すると宣言した。
 せっかく手に入れた強い駒を失う事はできないと、宰相ナルサッハが姫を国内から出さず、キルヒアイスはそれは荒れたそうだ。
 更にキルヒアイスが姫に近づいたと分かった時には全員が自死を選ぶと言われては、どうしようもない。

 現在姫は国境の城で、宰相ナルサッハの腹心が預かっているという話だ。

 この話を聞いたマーロウは直ぐさま「姫は生きて無事」と判断した。
 根拠は二つ。一つは好色なキルヒアイスが美姫と言われるイシュクイナを殺すはずがない。一度手を付けようとして邪魔が入ったならば、余計に欲しいと思うだろう。そういう意味で、ジェームダル側が姫を害する可能性を否定した。
 そしてもう一つが、姫自身による自殺の可能性を切った。マーロウとしては、この可能性を最後まで持っていたそうだ。
 敵国に落ち、王家は彼女一人。部下は自分の為に望まぬ戦いを強いられている。この状態で普通の姫であれば世を儚み、仲間の自由を思って名誉の自死、という事もあると。
 だがドーニャ達の話を聞くとこのような考えは持っていない。むしろ王族最後の一人として、国の行く末を見届け生きて部下を取りもどすという気概に満ちた人らしい。
 これらの事から彼女は生きて比較的元気なのではないか。自由はなくとも、身の危険に晒されていたり、不自由な生活はしていないのではないか。との結論に達した。

 これもあり、今日も監獄は比較的穏やかである。

「後はナクシットという男が真っ当に動ける様になって、話が聞けるといいんだがな」
「……うん」

 リオガンもそれには、深く頷いた。

 独房で拷問されていた王立騎士のナクシットは、救い出された後も意識が混濁している。熱も高くて、かなり衰弱していた。何よりも劣悪な環境での拷問が体にこたえたようで、今も熱にうなされている。
 命の危険は去ったらしいが、長話をする体力はまだないだろうとお医者様は判断して、看病をするドーニャ以外の面会を遮断した。

「まぁ、なるようにしかならん。前線は大丈夫だろう、なにせファウスト様だ。しかもランバートまで加われば鬼に金棒ってなものよ。あぁ、軍神にニョルニルか?」
「なに?」
「俺等の国の神話だ。軍神はニョルニルっていうデカイハンマーを持って、雷落とすんだぜ」
「……怖い」
「だろ。戦場でファウスト様を敵に回してみろ、しょんべんちびるぜ」
「汚い」
「あぁ、わりーな。どーもお育ちが雑でよ」

 グリフィスの気の抜けた声にリオガンはほんの少し笑みを見せる。そして、一つお辞儀をして部屋を出て行った。


▼マーロウ

 監獄解放から二週間が過ぎてようやく、ナクシットの容態が安定して話が聞けるようになった。
 その報告を受けたマーロウとグリフィス、そして何故かチュウェンが彼の病室を訪れると、ナクシットはとてもぎこちない様子で迎えてくれた。

「この度は助けて頂き、有り難うございます」
「いや、それは成り行きだからいい。体は?」
「……足や腕に痺れが残っておりまして、もう騎士としては……。それどころか、普通の生活も少し難しいだろうと言われました。一生誰かが側にいてくれないと、生きていくことは」
「……そうか」

 ナクシットの茶色の瞳から、光が陰る。このような状態では、今後を悲観するのも頷ける。なにせ最初が屈強な騎士だ。手足の自由がままならないなんて状況では、絶望してもおかしくはない。

 マーロウは側の医師にも顔を向ける。彼は少し言いづらそうにしながら、頷いた。

「私の腕ではこれが限界です。神経系にもダメージが深く、末端に痺れが残っています」
「リハビリや、手術では回復できそうなのか?」
「手術というのは難しいかもしれません。リハビリも余程根気よくやれれば多少の改善は望めるでしょう」
「そうか」

 帝国でなら、リハビリや治療に多少期待ができるかもしれない。それも思いながら、とりあえずは必要な事を聞く事にした。

「ナクシット、お前はどこでどのように囚われたんだ? そこに姫はいたのか?」
「はい、おりました。俺達は王都陥落前に王都を脱出し、姫様と近衛騎士団、そしてドーニャ率いる女官騎士団と共にここ、ルミノラ監獄に近い砦に立てこもり、最後まで抵抗をしていました」
「姫様は可能ならば帝国へ民を避難させたいと願っておりましたわ」
「帝国に?」

 ドーニャの言葉に、マーロウは首を傾げる。そこまでの交流がこの二国間にあっただろうかと、疑問に思ったのだ。

「かつて両国の関係が悪化した際、帝国との戦争に最後まで反対し、宰相シウス殿との話し合いを持つよう陛下をお諫めしていたのが姫様です」

 それは知っているようで知らない情報だ。その当時の報告書も読んだが、王の英断となっている。そこにイシュクイナ王女の名は出てきていない。
 ただ今回、シウスが姫の事を気に掛けているらしいことは察せられた。報告書に書かなかっただけで、何かしらの面識と評価はしていたのかもしれない。

「根気強く最後まで交渉の窓口を開いていてくださったシウス様を、姫様はとても信頼なさっておりました。あの方ならば崩れゆく自国の民だけでも救ってはくれないかと、願っての事です」
「ですが結局、ジェームダルのベリアンス、そしてナルサッハの両軍に追い詰められここで籠城するしかなくなり、結果姫は囚われ、抵抗した我等王立騎士は討ち死に、もしくは投獄。そして姫の安全を担保に出された近衛騎士達はジェームダル、ベリアンス隊の傘下に入る事を余儀なくされました」

 ナクシットはギリギリと手を握る。それでも緩く手を握れる程度の握力しかないようで、それが余計にもの悲しかった。

「近衛騎士団長のテクムとは、騎士学校の同期で仲が良かった。王女が囚われた時のあいつの顔は、まるで修羅のようでした。こんな事を帝国の皆様にお願いするのは、筋が違うのかもしれません。ですがどうか、姫様と、そしてテクムを救っていただけないでしょうか?」

 薄らと涙の浮かぶ瞳を向けられて、Noと言えるほど冷血ではない。
 だがこれは決して人助けではない。マーロウはややあって、静かにナクシットを見つめた。

「テクム率いる近衛騎士団の無力化の為に、イシュクイナ王女の救出を考えている。姫の救出については俺達に任せてもらいたい。出来る限り無事な状態での解放を速やかに行う」
「有り難い」
「だが、テクムは我等が騎士団の主力と、現在交戦中と思われる。我等が最前に立つのは軍神と言われるファウスト様。あの方についてはいかな宰相とて予測を遙かに超えてくる。間に合えば進言するが、既にということもある。これについては絶対と言えない。それでも良いか?」

 嘘で希望を見せる事はしない。本当に前線が今どこまでせり上がっているのか、誰と対峙しているのかが分からない。何せ相手はファウストだ。あの人の武力はその時々によって大きく変動する。良心的な心で対峙しているならば見境の無い蹂躙はしないだろうが、ひとたび怒りに火がつけば周囲は肉塊の山だ。そんなもの、宰相シウスですらも完璧な予想などできはしない。

 ナクシット、そしてドーニャは僅かに俯く。だが、しばらくして二人とも前を見た。

「それでも構いませんわ」
「そうか」
「戦いに身を置く者ですもの、覚悟はできています。テクムについては多くを望みません。それに、騎士の誉れでしょう。そのように強い方と戦えたのでしたら」
「一方的な殺戮になりそうなんだがなぁ、あの人と戦場で当たると」
「それほどの武人ですの? やはりあの時、帝国と戦争にならなくて良かったですわ」

 唸るグリフィスに返すドーニャ。これにはマーロウも苦笑を返すしかなかった。

「では、準備が整い次第この砦を発ち、姫のいるだろうユノーラ城を目指す。だが、行くあての無い人質の護衛も必要になる」
「それについてはご心配には及びませんわ。私たちがここで、人質となった者達と過ごします。そのかわり、一人同行させて頂いても?」
「あぁ、構わないが……」
「ではチュウェンを」
「げっ」

 名が上がった途端、素直な感情が声に出たマーロウを、側のチュウェンが睨み付ける。すっかり苦手意識ができてしまった。

 そんな様子をドーニャが笑う。鈴を転がしたような声に、マーロウは彼女を睨み付けた。

「良いではありませんか、マーロウ殿。最初よりもずっと、お顔の色が良いようで」
「……ふん」
「ふふっ」

 まったく、これだから女は苦手なんだ。

 マーロウの密かな悪態は誰にも気付かれていない。と、本人は思っているのだった。


 その夜、マーロウは珍しく時間を持て余していた。以前だったら眠くて仕方がなかったが、最近はそれほど酷い眠気を感じる事が少なくなった。日中に居眠りもしてしまうからか、夜も早い時間では眠れない。

「眠れませんか?」

 チュウェンの問いかけに「う~ん」と曖昧に答えている。眠れない。が、これといってやりたい事も思い浮かばない。

「お酒でもお持ちしましょうか?」
「いらない。体質に合わなくて悪酔いする」
「では、温かなお茶でも?」

 それもあまり引かれない。お腹は空いていないから。

「少し、夜風に当たろうかな」

 徐々に夏が近づいてきているのか、空気にじっとりとした湿気を感じる。偏頭痛がしないから、雨は降らないだろうが。

「そういう事でしたら、ご一緒します。中庭が気持ちいいですよ」
「ん」

 のんびりと答えたマーロウは上着だけを軽く引っかけて中庭へと通じる廊下を歩き出した。

 中庭は広く空が抜けていて、夜空も月も綺麗に見える。草地に腰を下ろし、気持ちよく寝転がって澄んだ空を見上げてふと「いつぶりだろう」と呟いた。こんな風に考えも無く空を見上げるなんて、もう何年もしていない気がする。

「体力が付きましたのね」
「ん?」

 同じく隣りに腰を下ろしたチュウェンが、穏やかな声で言う。返したマーロウは多少恥ずかしく、ぷいっと顔を背けた。

「どっかのお節介が毎日のように散歩に連れ出すからね」
「私とて、誰にでもこのようなお節介を焼くわけではありませんわ」
「そう? 君って、お節介な世話好き人間かと思ってた」

 多少の恨み言、半分は照れ隠し。チュウェンに背を向けたマーロウは、言葉ほど棘のある顔はしていない。

「……助けて、頂きましたから」
「は?」

 沈んだ声に驚いて起き上がり、チュウェンを見ると、彼女は思いのほか静かで沈んだ顔をしていた。

「男達に押し倒された時、貴方には助けて頂きましたから。だから」
「あの、俺それほど特別な事はしてないけれど。あの状況で放っておく奴の方がどうかしてると思う」
「貴方にとってはその程度でも、私にしたらとても深い恩ですわ。女として、望まぬ相手に好き勝手されることほど苦痛な事はありません」

 そんなものかと、マーロウは思う。そのわりにフーエルは好き勝手やられていたと思うが。

「娼館で働いていながら、今更何を綺麗事をとお思いになりますか?」
「別に? 情報集めもあっただろ?」
「……それでも、私は割り切れませんでした。大恩ある姫様の為とは言え、望んでもいない相手に身を任せる事に抵抗があり、辛くて、何度も泣きました」
「そんなに恩があるわけ?」
「大ありです!」

 チュウェンはクワッと緑色の目を見開いてそこは力説する。その迫力には、ちょっと押された。
 でも、疑問でもあった。ドーニャといい、チュウェンといい、女官騎士達はよほど王女に恩義があるように見える。それはどういう事なのか、マーロウには理解ができなかった。

「帝国がどのような国なのか分かりませんが、この国では女の地位というのはとても低いものです。余程の才能があるか、家柄がよければ人生を選べるかもしれません。でも、私もドーニャ様も下級貴族や領主の娘。しかも長女ではなくもっと下。そんな娘、親が勝手に相手を選んで年端も行かぬうちに嫁に出してしまう。女児の多い所など、幼い子を娼館に売り飛ばしますわ」

 そのような現状を、マーロウは知らない。少なくとも帝国ではあり得ない事だ。帝国では男も女もある程度の人権を主張する。地方では徹底されていなかったりもするが、理不尽な事に対して国民が声を上げるようになった。
 ラン・カレイユはまるで、一昔前の帝国のようだ。

「姫様はそんな女性達を集め、武芸や芸事、礼儀、品位というものを教え、自らの私兵として抱えて下さった。私達を始まりとして、女性の地位を上げようとしてくださいました。なのに、志半ばでこのような事になってしまいましたわ」
「革命派の王女だったわけだ」
「才能にも溢れていました」
「だろうね」
「ラン・カレイユの王家は長年、争いの絶えないお家でしたが、姫様だけは民を大事にしようとしていました。だからこそ、色々な人があの方に付いていこうとしたのです」

 これは、思ったよりもずっと頼もしい人材かもしれない。何より自分よりも確実に戦力だ。

「マーロウ様」
「様?」
「姫様をお救い下さい。どうか、お願い致します。あの方がいらっしゃればこの国は本当の意味では死にません。あの方こそ、民が望む本当の王なのです」
「……できるだけ、頑張る」

 マーロウの言葉に、チュウェンは穏やかに、そして柔らかい笑みを見せた。


 数日で行軍の準備が整い、ドーニャ達を監獄に残した騎士団は出発する事となった。
 マーロウは、ドゥーガルドの背に乗ってはいなかった。自分の足で歩く事にしたのだ。
 とは言え途中で疲れて歩けなくなる事も考えて、背負子は持ってもらったのだが。

「おーい!!」

 不意に馬蹄と呼び止める声がして、全員がそちらを見る。そしてそこに、馬を飛ばすチェルルを見て全員が表情を明るくした。

「チェルル!!」
「遅くなってごめん!!」

 馬を側につけたチェルルが地面に降り立つ。怪我をしたという右足は、まったくそうは見えなかった。

「チェルル、足」
「もう平気。先生からも完治の診断書貰ってきたよ。まぁ、これを書かせるのにもの凄く苦労したんだけど」

 肩をすくめたチェルルは苦笑している。そしてマーロウに診断書を手渡した。

 診断書には確かに完治との証明がある。だが特記事項に、医者の抵抗が見られた。

特記事項:
右大腿部の肌への色素沈着あり。突然の疼痛の恐れあり。痛みを訴えた場合は帰すように。

 だいぶ、手放したくなかったのだろう。そもそも色素沈着はどうしようもないことだろうし、精神的後遺症では無いと本人が認識しているなら後遺症ではない。疼痛も分かるが、おそらく痛み続けるわけじゃない。

「大変だな、君も」
「あぁ、うん。ってか、マーロウさん何かあった? 肌色いいし、毛艶いいし、ドゥーガルドの背中に乗ってないし」
「……うん、色々あった」

 それ以上の事は割愛させてほしい。

「そういえば先生が、こっちで怪我の酷い人がいたら東砦で受け入れるって。国境付近に狼隊がいるから、案内してくれる。ある程度の診断書持ってくれば診察するって」

 それを聞いて、すぐにマーロウはナクシットを東砦に送ることを決めて医師に診断書を書かせ、輸送を言い渡した。
 今更かもしれない。だが、やらなければこのままだ。ほんの少しでもいい方向に行けばいい。

 かくして一路、国境ユノーラ城を目指すのだった。
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