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15章:王弟の落日

5話:断罪(ナルサッハ)

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 数年ぶりに再会したアルブレヒトは、もはや神の子ではなかった。瞳には人としての強い意志が宿り、手にした剣は間違いなく他を殺める力を持っている。

 ナルサッハはゆっくりと近づいた。アルブレヒトは拒まなかった。こちらが丸腰なのは知っているはずだ。ナルサッハは武力を持たないから。

 触れられる位置に来て、手を伸ばした。赤黒く焼け爛れた手でそっと、白い頬に触れる。五年の陵辱に耐えたとは思えない肌の艶。地獄を知ったとは思えない強い瞳。あんなめに遭ってまだ、この人は気高いままだ。

『ナル、お前は私を恨んだかい?』
「?」

 恨んだ? 違う、憎しみばかりではない。私はこんなになってもまだ、貴方に恋い焦がれた。貴方に触れたかった。貴方の側にいたかった。貴方は……綺麗過ぎた。

「お久しぶりです、我が君。とても良い目をなさいますね」
「ナル」
「私を、恨みましたか?」

 問いかける、それにアルブレヒトは首を傾げる。そして、首を横に振った。

 途端、流れ込むのは懐かしい故郷を思い出す風と光。温かく柔らかな、忌々しいまでの光だった。
 怖くなって手を離した。あんなもの、今更見たくない。あんな光、今更見せられても苦しい。あの場所には帰れない。あそこは眩しすぎて、綺麗過ぎて、今の私は異端でしかない。
 蔑みの中、闇の中がいい。醜い体も心も許される。どれほどの欲望も飲み込んでくれる。だから貴方が墜ちてくれるのを待った。貴方が墜ちて、私を求めてくれたのならば私は喜んで迎えに行った。そして私と貴方、二人で仄暗くとも過ごして行けた。

 絶望した。この人は人に近くなろうとも神の子だった。残酷なまでの光を放つ、眩しい存在だ。そこにあるだけで人々を希望に導く、そんな……そんな、光の王なのだ。

「ナル、私はお前を恨んでいない。五年の間、私はお前を感じていた。あれが、お前の受けた地獄なのだろ? お前こそ、私を恨んで」
「違う! 私は……私は貴方に同じものを感じて欲しかった。絶望して、心を壊して、他を恨み、憎み、救われない絶望に墜ちて欲しかった。そうすれば! そうすれば、貴方は私のものになると……」

 なると、思ったのだ。化け物の愛を、受け入れてくれると。壊れた人形でもいい、側にいたかった。私だけを求めるものが欲しかった。だって、そうだろ? 誰がこんなもの、愛してくれる。受け入れてくれるんだ。
 知っている。この人の隣に立つ度に、「化け物」という心の声が聞こえた。私の能力は地獄を知る度に強くなった。体が、魂が、危機を感じて自己防衛をしようとしたのだろう。
 分かっている、そんなこと。私だって思うのだ、醜い化け物だと。
 一方隣にいるのは神の子だ。美しすぎて、触れられないものだ。
 劣情なんておこがましい。それでも、触れていたい。この人の側にいたい。

「側に、いたかったのです」
「ナル……」
「醜い私と同じになれば、貴方の側にいられると思った」

 貴方の臣でありたかった。貴方と未来を共に歩みたかった。貴方の友ではなく、もっと近い場所にいたかった……。

 ふわりと抱き寄せられる体の温かさ。包まれる光。伝わる心は『私も同じだ』と言っている。
 同じ? 側にいたいと、思ってくれた?

 涙が溢れる。既に見えない、濁った左の目からも涙が溢れた。この方を陥れてから、私の涙は枯れた。心はどんどん醜く爛れた。この顔や体のように。

「お前は醜くなんてない。お前は、何も変わらなかったんだ」

 あぁ、なんて慈悲深い。こんな私を、貴方は許してくれるのか。貴方を陥れたのに。貴方を傷つけたのに。貴方を壊そうとしたのに。

 優しい光、強い光、なんて温かくて、なんて残酷なのでしょうか。

 ナルサッハはアルブレヒトを突き飛ばし、燭台を床に落とした。途端、炎が大きく二人の間に線を引いた。

「ナルサッハ!!」
「残念です、アルブレヒト様。貴方は墜ちなかった。あれだけやって、壊れなかった。貴方の中には未だに、清廉な心が残っている。神の子アルブレヒト、お恨み申し上げます。貴方の光が、私に地獄を見せるのです」

 なんとなく予想もしていた。民を導く貴方の噂を聞いていた。腐敗した者を次々に切り捨てている事を知った。
 お優しいばかりだった貴方が優しさを一部捨てたと聞いて、それでも強さと光を失わないのを知って、私はどこかで「やはりか」と諦めた。
 貴方が私の隣に来る事はない。私は、一人相応しい地獄に落ちるのだ。

 用意していた油をナルサッハは自分にかけた。そしてあの日の再現のように、自らの服に火をつけた。

「ナル!!!」

 燃えていく。あの地獄の熱が体を舐める。けれど心地よくもあった。これでようやく終わる。望んだ終わりではなかったけれど、やっと諦めがついた。私では、この人の光を消し去ることができなかった。

「ナル!」

 布が、私の燃える体を叩く。あの日と同じ、消そうとしている。あの炎の線を越えてきてくれたのか。
 でも、ダメなのは知っている。息が吸えない。熱気が喉を焼いたのだろう。体もこれだけ焼ければ、命はない。あの男がそうだった。
 それにこれだけ燃えれば、もう醜い左側を隠す事もない。全部が同じ色に染まる。

「アルブレヒト兄、危ない!」

 違う声が響き、足音が遠ざかる。そして少しして、水がかけられた。
 見ると長い白髪の男が私と、アルブレヒトを見て辛そうな顔をしている。
 あぁ、これが帝国の白の宰相か。私とは違う道を歩んだ、恵まれたエルか……

「ナルっ」

 焼け爛れ、濡れた体を抱き寄せるアルブレヒトが爛れた顔を撫でる。汚れてしまうのに、躊躇いがない。

 何を間違ったのだろう。どこで間違ったのだろう。分不相応な願いなど持たなければよかったのか。貴方の優しさに素直に縋ればよかったのか。貴方と共に、辺境へと赴けばよかった? 焦ってサルエンを選ばなければよかった?
 分からない。けれど、過ぎ去った時を戻る方法はない。

 意識が消える。温かな腕の中で、私は最後の息を吐き出した。ろくでもない人生でも、最後に涙を流してくれる人がいたのは、幸いだったのだろうか。

 私は知らなかった。地獄はまだ、終わっていないのだと。
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