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15章:王弟の落日

6話:咎人の末路(ダン)

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 第二の王都アズラク・カスル。青の都と呼ばれる水の都は静まりかえっている。その道を進み、深い水の堀がある城へと乗り込んだのは早朝の事だった。

「私はナルサッハを探します。ファウスト殿達はキルヒアイスの身柄を」

 そう言って、アルブレヒトは呼ばれるように違う方へと向かっていく。その背は、何かを背負って見えた。

 ダンはナルサッハとは数度会った程度だった。仮面をつけ、いけ好かない顔をしていた。他を嘲るような、そんな顔だ。
 それでもアルブレヒトとの間にはもっと深いものがあるのだろう。だから止めなかった。どんな結末でも、自分で幕を引かなきゃならないことはあるのだから。

 ダンはこの城に来たことがあった。だから大体だが、内部を知っている。

「行こう」

 ファウストの声に、ダンは頷いて走った。
 ランバート、クラウル。そして、どうしても行くときなかかったレーティスとベリアンスが続く。そして、イシュクイナとオーギュストも来た。

 他は町で待機になり、城には少数だけできたのだ。

 城の内部はそんなに複雑じゃない。真っ直ぐ進めば玉座がある。
 そこにいるかと思った。だがそこに広がっていたのは、寒気のするような光景だった。

「なん……だ……?」

 そこには綺麗なドレスを着た女性が複数倒れていた。皆口元から血を流していたり、泡を吹いたりして既に死んでいる者が大半だった。

 流石に全員がこの光景に釘付けになっていた。
 そんな時、一人の女が僅かにうめき声を上げた。

「おい、大丈夫か!」

 慌てて声の方へと近づき、仰向けに抱き起こす。女は真っ青な顔をしたまま、僅かだが瞳を開けた。

「たす、けて……」
「あぁ、今助けっから」
「ちが……子供、が……地下に……」
「なっ!」

 その言葉に、ダンは恐ろしくなり声を殺した。
 地下に子供? それの意味する所は惨い事だ。

「ここに、セシリアという女性はいないか」

 ベリアンスが切羽詰まった顔で女に問う。それに、女は震える声で一方を指さした。

「塔?」
「ぐっ!!」

 苦しみだした女の目が、ぐるんとひっくり返り、体を掻きむしる。そして他の女と同じように泡を吹いた。

 流石に、抱いている事が怖くなって離れた。その間に、女もまた事切れてしまった。

「キルヒアイスは塔の上だ」
「あぁ。だがそれよりも、こいつらの子供がやばい!」

 ダンはクルリと向きを変えてファウスト達を見た。

「この城の地下には特殊な処刑場がある。牢に堀の水を引き込むんだ」
「それって……水攻めってやつじゃ」
「あぁ。そしてそこにこいつらの子供……多分キルヒアイスとの子供がいる」

 事態の重さを知ったランバートとファウストが青い顔をした。だが、事態はそれだじゃない。セシリアはキルヒアイスに連れられて塔の上だ。逃げようとしたが、攻め込まれて自棄でも起こしたんだろう。

「俺は地下牢に向かう。何人か、手を貸してくれ」
「俺が行く。ランバート、上を頼む」
「私も行くわ。こんなの見過ごせない」

 ファウストとイシュクイナが名乗りを上げてくれ、残るメンバーが塔の方へと向かう事となった。
 ダンは彼らと別れ、急いで地下へと向かう階段を駆け下りた。そして、水門の操作レバーのある部屋に飛び込んで……憎らしさに足を踏みならした。

「畜生! 壊されてやがる!!」
「どうにかならないの!」
「牢を開けるしかない! 鍵も見当たらん! ここにあるはずなんだが」

 壁に掛かっているはずの鍵がない。持ち去られたか、処分されたか。
 なんにしても急がなければ牢にいる子供が死ぬ。更にもう一つ階段を駆け下りて行くと、そこにいたのは子供だけではなかった。
 ここに無理矢理連れてこられたのだろう医者や、メイドや従者なども牢にギチギチに入れられて迫る水に怯え声を上げていた。

「畜生がぁぁぁ!!」

 鍵もない、水も止められない。その状況でも助けない訳にはいかない。
 ダンは駆け出し、膝下まできている水をかき分けて牢の入口に立つと太い南京錠を剣の柄で殴りつけた。
 見ればファウストも同じように、他の牢を開けてようとしている。何度も打ち付けてようやく鍵が壊れて落ち、牢が開いて人が階上へと逃げ出した。

「おい、ここに子供いないか!」
「一番奥の牢に、王子様達が!」
「一番奥って……」

 入口から一番遠い。そして、もっとゴツい鍵がついているはずだ。

「すまないファウスト殿、ここを頼む! 王子達を助けてくる!」
「分かった、無理をするなよ!」

 ファウストが必死に鍵をこじ開け、次へ次へと向かっていくのを見て、ダンは牢を右に折れた最奥を目指した。

 そこには、まだ幼い王子や姫がいた。手には泣き叫ぶ赤ん坊を抱いている。

「大丈夫か!」
「助けて!!」

 悲鳴が木霊して、赤ん坊の泣き声も響いてくる。
 ダンは一旦、赤ん坊を受け取る事にした。両手に三人の赤ん坊を、格子のギリギリを通して受け取りそれを抱えて走り、階段下まで降りてきていたイシュクイナへと引き渡して来た道を戻る。
 そうすると次は太い南京錠を剣で打ち付けた。
 無駄に頑丈なのもどうなんだよ。いや、通常は罪人を繋いでおくんだからこうじゃなきゃいけないのも分かるんだが。

「おじちゃん、溺れちゃうよぉ!」
「しっかりしろ!」

 水は見る間に腰の位置まできている。完全に牢の入口が水没したら水圧で開かなくなる。
 逸る気持ちをどうにかして、必死になって鍵を開けた。そうして腰を越える頃にようやく、鍵の一つが壊れた。
 だが、鍵はもう一つある。そっちも壊している間に、水は胸の位置。入口を開けるのもギリギリだ。

「くっそがぁぁ!!!」

 力一杯、腕の筋肉がぶち切れるんじゃないかという力でようやく開いた牢屋の扉。水に潜ってそこを通り、アップアップしている王子二人と、姫を二度に分けて外に出した。

「大丈夫か! 泳げるか!!」
「むっ、無理だよぉぉ!!」

 今にも溺れそうな三歳くらいの王子が泣き出す。それもそうだ、この幼さで服も着ている。着衣水泳なんて軍人くらいしか訓練しないもんだ。

 だが時間はない。既に天井が迫ってくるほどに水位が上がっている。簡単に水が押し寄せるよう、ここは天井を低く作ってある。

「いいか、泳げるのはついてこいよ! 坊主は俺の腕に掴まれ!」

 片腕に三歳の王子をラリアット状態で引っかけ、片腕で泳ぐ。だが、予想以上に疲れる。装備はなるだけ外したが、それでも布が水を吸って思うように動かない。そこに子供だ、どうしたってくたびれる。

「私、もうダメ……」
「僕も、苦しいよぉ」

 どう見たって四歳くらいの王子達と姫だ、音を上げたって仕方がない。むしろ今まで良く耐えた方だ。

「いいか、最低限浮いてろよ!」

 ダンは一人を抱えて更に泳ぐ。角を曲がり、階段まで。足の付くところに王子を一人放り投げると、戻ったまた一人を連れてくる。

 肺が息を吸えないくらいしんどい。体力には自信があるが、それでも水の中は本来得意じゃない。最後に残っていた王子は、水が天井につく寸前で水面に顔を出しているのが精一杯な状態だった。

 大きく息を吸い、ダンは水の中に潜る。そして王子を掴み、息を止めさせ、必死に泳いだ。足や腕が鉛みたいに重くても止める訳にはいかない。子供が犠牲になるのなんて、これ以上見ていられない。
 故郷では沢山の子供が真っ先に犠牲になった。そんなのを腐るほど見てきたんだ。あんな胸くその悪いもの、もう見ていたくない。

 意識が狭くなって、息を吸いたくてたまらない。溺れるってのはこんな感じかと思う。
 王子もまた意識がなかった。それでもどうにかその子を連れて、階段までは辿り着いた。


▼ファウスト

「ダン!!」

 イシュクイナが慌てた様で子供と、そしてダンを抱き上げようとするがダンは無理だ。重すぎる。ファウストが駆け寄り、脇に腕を入れて担いだがこの時既にダンの息は止まっているように感じた。
 子供はすぐに上にいたメイド達が引き取り、心肺蘇生がされている。
 だがダンはその場に倒れ込んで、そのまま動けなかった。

「しっかりなさい! ダン!!」

 仰向けにしたダンの胸を必死な様子でイシュクイナが押す。胸元を緩めての心臓マッサージに胸はちゃんと沈み込んでいるが、自発的な息は戻ってこない。
 何度も心臓マッサージがされ、人工呼吸がされる。温かな毛布を持って来た従者が湯も沸かしてくれた。それでも、ダンは中々戻ってこない。

 医者を。思い立ち上がったその時、突然頬を張る小気味よい音が響いてギョッとした。

「根性出しなさい、ダン! こんな所で死んでいいわけがない! 戻ってきなさい!」

 焦れたイシュクイナが気合を入れるかのごとく、ダンの頬を一発殴る。そうして心臓マッサージを更に始めるとようやく、コポリと口元から水が溢れ、ヒュッという細い空気の通る音がした。

「ダン!!」

 起き上がらせ、今度は背中を思いきりバンバン叩き出す。腹を圧迫しながら背中を叩かれ、ダンの口からは更に水が溢れ出て、その度に呼吸はしっかりしていった。

「逞しいな……」

 それでも蘇生はできた。弱いながらも息を始めたダンを、イシュクイナは安堵したように抱きしめる。その目からはポロポロと涙がこぼれて、口元には嬉しそうな笑みが浮かんでいた。

「牢に閉じ込められていたのは、これだけでいいんだな?」
「はい。大変、お世話になりました」

 囚われていた者に確認すると、これで全部だという。
 地下はすっかり水で満たされたが、これ以上水位が上がる事はないとのこと。一定以上の水位になると自動的に堀へと排出されるそうだ。

「ったく、最後の最後まで面倒をかけてくれる」

 恨み言を呟き、濡れた衣服を絞ったファウストはダンを抱え、開いている部屋へと運ぶ。医者にも頼んで診察をしてもらいつつ、冷え切った彼らを温める事が先決だと動き回った。

 その頃塔の上では更なる事態が展開されていることを、彼らは誰も知らなかった。


▼ランバート

 ベリアンスを先頭に塔へと向かう。人が二人並べば狭い螺旋階段をドンドン上がり塔の上に到着したとき、そこには追い詰められたかつての王と、囚われた女性がいた。

「来るなぁ!!」

 キルヒアイスは喚きながら塔の縁まで下がり、片腕に女性の首を捕まえ、もう片方の手に剣を握り絞めていた。

「セシリア!」

 ベリアンスの悲痛な声に、女性は苦しそうにしながらも片目を開けた。
 綺麗な女性だった。痩せてしまっていたけれど、それでも凛とした瞳は印象的だった。

「来るな! 貴様ら、そこから動いたらこの女をぶっ殺すぞ!」

 ベリアンスも、そしてレーティスも動けない。今にも泣きそうなレーティスは震えている。
 ランバートとしてもこの状況で手を出す事はできない。クラウルとアイコンタクトを取ったが、彼も同じように苦虫を噛みつぶしたような顔をしている。

「要求を呑め! そこをどけて俺を解放しろ! そうしたらこの女を放してやる!」

 到底叶えられる要求じゃない。ここまでの事をした張本人だ、生け捕りにして責任を取らせなければこの戦いは終われない。
 それでもキルヒアイスは傲慢なまでの目でこちらを見てくる。叶えられるのだと考えている顔だ。

 どうするのがいい。要求を呑んだフリをして警戒を解かせ、隙をついて拘束しようか。ランバートとクラウルなら咄嗟の事でもその位は可能だ。相手はほぼ素人みたいなものなのだから。

 だが、その要求を聞いたセシリアの目に何か、炎のようなものが灯った。

「私は…………私は、枷じゃない」

 呟いた彼女は突如バタバタと足をばたつかせ、キルヒアイスの腕に噛みつく。突然の痛みに驚いたのだろうキルヒアイスが彼女を蹴りつけ、彼女は呻いたがそれでも声を上げた。

「私はこの国の枷にならない! 兄様の、レーティス様のお荷物になりたくない!!」
「貴様!!!」

 更に噛みついたセシリアは振り払われ、塔の縁に背中を強く打ち付ける。
 人質を失ったキルヒアイスへとクラウルは素早く動いたが、それよりも早くレーティスが飛び出してセシリアへと向かっていく。
 ランバートもそこへと向かった。だがそれより前にセシリアは立ち上がり、そして塔の縁に体を預けた。

「ごめんね……生んであげられなくて」

 涙声が一言、次にはその身は塔の縁を乗り越え、消えていく。

「セシリア!!」

 レーティスが手を伸ばした。その手は僅かに彼女の服に触れたような気がした。けれど、掴めない。彼女の体はすい込まれるように堀の中へと消えていった。

「うそ、だ……セシリア……セシリア!!」
「落ち着けレーティス!」
「いや! 嫌だ! セシリア!!」

 涙と一緒に悲鳴を上げた彼は、今にも塔を飛び降りそうになっている。慌てて掴まえたランバートを振り払うように暴れる彼を、ベリアンスも無事な右手で掴んでいる。
 それでも、人はこの状況でとんでもない力を発揮する。手を振り払い、後を追いそうなレーティスを縁から引き下ろす事も困難なくらいだった。

 だが、更に横合いから伸びた逞しい腕がレーティスの首根っこを躊躇い無く掴み、後ろに引き倒す勢いで力を込める。ドタンと音がして石造りの硬い床に投げ出されたレーティスを、遅れてきたオーギュストが目を覆って拘束した。

「いや! 離して! 離してぇ!!」
「落ち着けレーティス!」
「こんな、こんな……あああぁぁぁぁぁ!!」

 悲鳴が心に痛い。心からの叫びは、こんなにも辛い。
 見ればベリアンスも押し黙ったまま、今にも死んでしまいそうな顔色で歯を食いしばり、爪が食い込んで血を流すほどに拳を握り締めている。俯いたまま、涙も流せないままだ。

 その背後で、「何をする、離せ! 俺は王だぞ!」という耳障りな声がしている。クラウルに引き倒され、後ろ手に拘束されたキルヒアイスはこの状況を理解していないような罵詈雑言を浴びせている。

 こいつは、今が見えていないのか? バカなのか? こんなにも多くの悲劇を生んで、自分勝手に振る舞って、それでもまだ「自分は悪くない」と言えるのか。そんな事が通用するのか。
 レーティスの悲鳴が、ベリアンスの耐えるような顔が、下で死んでいた女性達が、戦場で死んでいった多くの人が、ランバートの中で混ざり合っていく。そして、世界の音は消えていく。
 久しぶりだった、腹の底が冷えるような怒りなんて。デュオを失った時の、あの怒りが戻ってくる。頭の中は沸騰しそうなくらい憎しみに焼かれ、胸は怒りで燃え上がるのに、腹に落ちてくる時には冷たいのだ。

 一瞬、剣に触れた。断罪の剣は血を求めているのだと思えた。
 けれど違う。これは騎士として、正当な裁きの為にある。誓ったじゃないか、私刑などもうしないと。

 クルリと向きを変え、ランバートは足早にキルヒアイスへと向かっていく。そしてうつ伏せに拘束されたままのキルヒアイスの襟を締め上げるように掴み、顔を思いきり殴りつけた。
 血と一緒に折れた前歯が転がり、ランバートの手も切れた。けれど、痛みはなかった。

「お前、この状況が見えてないのか。お前が生んだ悲劇の結末が、見えていないのか」
「俺は知らん!」
「知らないで済まされるか! お前が彼女を、下にいる女性達を、多くの民を殺した! その責任を逃れる事が出来ると思うのか! 王として冠を頂いた人間が、自分勝手に知らん顔をするな!」

 怒鳴り声にビクリと肩を震わせたキルヒアイスを、ランバートは見下す。途端、虚しさが襲ってきた。

「お前はこれから、犯した罪の責任を負って処刑される。お前が殺した人々が、お前を地獄に引きずり込む。逃げられるものじゃない。逃げていい事じゃない。王だと言うなら、責任を全うしろ」

 もうそれ以上、何も言えなかった。

 こうして長きに渡ったジェームダルと帝国の戦争は、後味の悪い終わりを迎えた。

 国王キルヒアイスは枷を付けられて頑丈な馬車に放り込まれ、助け出された王子と姫はメイド達に連れられて護送された。
 堀の水がすぐに抜かれ、セシリアの遺体も引き上げられた。とても、誇らしい安らかな顔をしている。
 そして、毒を盛られて息絶えた王妃達は綺麗に整えられて幌馬車に入れられた。
 合流したアルブレヒトはその腕に、焼け爛れた人を抱えて泣いていた。その側にシウスもついている。
 この人が、ナルサッハなのだろう。かつては綺麗だったと聞いたが、その面影はあまりに少なかった。
 アルブレヒトは彼と共に幌馬車に乗り、シウスが側につくこととなった。

 戦勝凱旋の馬車列は、まるで葬送の列のような重苦しい空気のまま王都へと向かっていった。
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