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15章:王弟の落日

7話:それぞれの再出発(アルブレヒト)

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 凱旋パレードという華やかな空気は、そこにはなかった。
 目の前にナルサッハの遺体を置いて、その日はずっと涙が止まらなかった。
 絡みつくように、縋るようにこちらに向けられる強い絆は確かに細く繋がっていたのにアルブレヒトは、その糸をたぐり寄せる事ができなかった。
 炎に消える彼の顔が、今も頭を離れない。皮肉っぽく笑いながら、泣いているようだった。

 それに気がかりもある。通常死んだ人の魂は光が迎えにくる。もしくは地の底に沈む。だがナルサッハの魂は何処かに吸い寄せられるように飛んで行った。
 もしかしたら、まだ何処かにいるのかもしれない。本人の望むものであればいいが、そうでなければ今度こそ……人として救えなくても、魂だけは救ってやりたい。


 数日が過ぎて、どうにか涙が止まって、報告を聞いて整えるべき事を整えた。
 キルヒアイスは奥方達に毒を盛って余計な事を喋らせなくしたのと、自分が逃げる為の目くらましをさせたかったらしい。
 確かにあの城には秘密の脱出路もあったが、それを知っていたのはナルサッハだけ。ヒントとして「塔にある」とだけ聞いていたようだが、見つけられずに追い詰められた。
 子供達も邪魔になるし、女には興味があっても生まれた我が子は元からぞんざいで、奥方達は決してキルヒアイスに子を任せなかったらしい。
 奥方の国葬をしっかりと家臣達は整えて日取りだけをアルブレヒトが決めた。良い日を選んだつもりだ。

 そしてセシリアの遺体とも対面した。
 前にも会ったが、彼女は本当に凛とした美しい女性だ。まだこの世に何かしらあるのか、彼女の魂は遺体のすぐ側にあってアルブレヒトが会いに行くと微笑んで会釈をした。
 その手に、生まれなかった我が子を抱いていた。

「辛いですか?」

 問いかけると、少し困ってから優しく首を横に振った。そこに、嘘はないようだ。

「申し訳ありません」

 俯き、手を握って震えるアルブレヒトに困ったセシリアはふわりと目の前に来て、手を握ってとても小さな声でアルブレヒトに伝言を託していく。どうやらそれが、彼女の思い残しだったようだ。

「ベリアンスと、レーティスの事は任せてください。彼らの意に添うようにします」

 最後に伝えると、彼女はニッコリと笑う。そして、大事に我が子を抱いて上を見た。柔らかく、光の帯が迎えに来ていた。
 アルブレヒトが手を組んで祈ると、その光はよりしっかりと輝き下りて、母子を包み込んでいく。背に羽をつけた者達が二人を誘い、そうして消えていった。

 申し訳が立たない。結局、救ってあげられなかった。今回の事で一番割を食ったのが彼女だ。おそらくアルブレヒトがベリアンスを重用した事で目をつけられたのだ。女性としても、人としても、彼女には辛い思いをさせ通しになってしまった。
 それでも最後、凛と美しく、そして子を慈しむ姿を見られたのは彼女の強さであり、慈悲だった。
 今してあげられることは彼女の安らかな眠りを守り、弔い続ける事。そして、彼女が最後まで気にしていたベリアンスとレーティスを立ち上がらせてあげる事だろう。

 ベリアンスは不気味な程に静かだった。表情も見えなかった。何かを訴えるわけでもない。ただ瞳は暗く、先が見えない様子だった。

 レーティスはあれ以来部屋に閉じこもり、食事も一日をかけて最低限しか口にしていない。
 だたこちらはたった一人、悲しみや苦しみを訴え、感情をぶつけている相手がいる。
 オーギュスト。彼の騎士からだけ、彼は嫌がりながらも食事を食べる。眠る時も、食事も、他の事も、オーギュストだけは受け入れる。
 もしも誰も側に寄せないならアルブレヒトが側にいようと思った。もう、ナルサッハの時のような後悔はしたくない。触れる事を恐れ、見守ろうなんて思っていては取り返しのつかない事になってしまう。
 でも、今は申し訳ないがオーギュストにお願いしよう。アルブレヒトが行っても彼はシュンとするばかりで言葉がなく、今は必要とされていないのだと分かるから。


 キルヒアイスの子供達とも面会した。母親を失って不安そうにしながらも耐えている子供達を見ると意地らしくて、たまらなかった。
 男の子が二人、女の子が一人、まだ赤ん坊が三人だ。その子達を抱きしめ、アルブレヒトは全員を引き取る事を決めた。元々そのつもりだったのだし。
 少し年上の子達はアルブレヒトが「今日から全員、私の子です」と言うと緊張が解けたのか、ワンワンと泣いていた。
 惨い事をしてしまった。幼くとも親を亡くした傷はきっと深い。その傷を、不安を、心細さを、どこまで埋めてあげられるだろう。
 子育てなど経験はない。だが、抱きしめた彼らのまだ柔らかな光は愛おしく思えた。それより沢山の愛情で包み込んであげられればいい。子を残す事はできないアルブレヒトの、これは一つの父性だったのかもしれない。


 そうして会わなければならない人に会い、やるべき事を整えて、アルブレヒトが足を向けるのは中庭にある心地よい木立の下。そこには今、小さいながらも綺麗に整えた墓石がある。

 ナルサッハとキルヒアイスの裁判は真っ先に行われ、キルヒアイスは火刑が決まり、後日カールにも知らせて両国が見守る形で行われる事が決まった。現在、予定地に簡易の刑場が作られ、民などにも知らせている。
 ナルサッハも首謀者として最も重い罪状が下されたが、当人は既に死んでいる。しかも、生きながらに焼死したのだ。
 中には「晒すべきだ」と主張した者もいたがアルブレヒトが断固拒否した。彼をこんなにしたのはそもそもがこの国だ。腐った主流派がいなければ今頃彼は側にいて、今回の争い自体なかったはずなのだ。
 それに、己の変わり果てた姿に絶望したのも知っている。死んで尚、彼を人前に晒す事だけは拒んだ。

 それでも公に墓を残す事はできなかった。そうしていたら、きっと荒らす者がある。
 それに、アルブレヒトは彼を側においておきたかった。いつでも会いに行ける場所にいたかった。

 中庭の木立の下。二人でよく空を見上げ、風を感じ、来るはずの未来を語り合った場所。そこに身内だけで彼を弔い、小さな墓を建てたのだ。

「とりあえず、やる事を終えましたよナル」

 柔らかく微笑み、墓石の隣りに腰を下ろす。そこにナルサッハの魂はない。それでもそっと撫でる真新しい石碑からは、何かを感じていられそうだった。

「おかしいですかね。お前はここにいないのに、私はお前の亡骸を手放せなかった。妙な気持ちです、失ってから……私はお前を求めている」

 失う事はとっくの昔に分かっていた。そうするのが王としての責務であり、私情を挟んではならないのだと。
 だがその度に胸に沸き上がるのは、短くとも濃密に過ごした時間。語り合った事、微笑み合ったこと。肉親を亡くし泣きじゃくる彼の側にずっといた事。
 戻らない幸せを辿るようで苦しく、どれほど悲しんでも戻る事はないと言い聞かせ、それでも止める事ができなかった。

「ねぇ、お前はどこにいるのですか? お願いですから教えてください。私はもう一度、お前に会いたい」

 墓石をなぞるその指先に、ふと触れた細い細い絆の糸。それは王都のどこかへ向かう。そして悲鳴の様な「助けて!」という声が聞こえた気がした。

「! まさか……」

 居ても立ってもいられない気分で腰が上がる。この感覚が確かなら、ナルサッハのいる場所に心当たりがある。
 自然と体が震えた。死して尚、あの地獄に戻されたのかと思うと自然と涙が溢れた。
 彼はまだ、助けを求めている。今度こそ、その声は届いた。

「っ! ダンを呼んで、それから……」

 今夜にも迎えにいくと決めて、アルブレヒトはバタバタと城の中へ戻っていった。


▼ベリアンス

 王都は静かだ。ようやく戦が終わってもお祭り騒ぎはない。王があの様子では、表だって祝うような空気にはならないだろう。
 涼しい夜の王宮、そのテラスから静かに街を見下ろしていたベリアンスの手に剣はない。そして心には、ぽっかりと穴が開いた。

 剣を失った。その時に、騎士としての自分を諦めた。どれほど握ろうとも一時間握る事ができない。ビリビリと腕から先が痺れて、手を柄に添えている事すらできなくなってしまった。
 苛立ちはあった。焦りもあった。だがそれを過ぎると、虚しさばかりが心を支配した。
 今まで騎士であった父の背を追いかけ、誇りを持って力のない人々を守ってきた。その誇りが崩れ去ってもまだ、この手に剣があれば縋り付いていられた。

 お前にその剣を持つ資格はない。
 それを突きつけられた気がした。

 それでも生きていたのはセシリアがいたからだ。唯一の肉親を助け出す。それだけを心の支えにしてきた。だが……

 目を閉じるとあの瞬間を今も見る。慈しむような顔をして乗り越えた体。呟かれた言葉。遺体も見たが、ここ暫くで一番安らかで美しい顔をしていた。

「お前は、受け入れたのか。憎みながら、恨みながらも自らに宿った命を、慈しむ覚悟をしていたのか?」

 助けてあげられなかった。セシリアは「私が選んだ」と言うが、選ばせてしまったのはベリアンスだ。それ以外の選択がなかったのと同じだ。
 どこで間違えたのだろう。何が幸せな道だったのだろう。未来は見えない。アルブレヒトですら、望まない未来だったに違いない。変わり果てたナルサッハを抱き寄せ、あんなに泣き濡れる人を見たことがない。
 未来を見る人ですらも幸せな道を選べない事もある。それを目の当たりにして、諦めた。

 ベリアンスは力の入る右手で体を支え、テラスの縁に足をかけた。下には夜の闇と、城の庭がある。まるで呼んでいるようだ。
 いや、望んでいるのだ。

 ゆらゆらと不安定な体で、ベリアンスは多少前へと体重をかける。簡単だ、一瞬なのだから。

 だがその体を後ろから強い力が捕まえ、投げ捨てるように後ろに引き戻される。強かに腰を打ち付けたベリアンスは、そこに燃えるような瞳をしたダンを見た。

「ダンクラート……」
「おいテメェ、なに楽になろうとしてやがる」
「……」

 久々に聞いたドスの利いた声に苦笑が漏れる。小さな頃はこいつのこの声も時々聞いた。気の短いダンと、意固地なベリアンス。自然と喧嘩になり、悪化するとこいつはこんな目をした。

「もう、いいだろ。勘弁してくれ、ダンクラート」
「逃げんな」
「……では、何をしていけばいい。俺にはもう、未来が見えない。支えるものもない。唯一の肉親も亡くし、剣も失った」
「甘えてんじゃねーぞ」
「お前に何がわかる。五年、悔しさと憎さを噛み殺し、それでも仲間と妹を守ろうと必死になっていたんだ。なのに……両方失った」

 かつての仲間まで失ってなるものか。唯一の肉親まで失ってなるものか。どれだけ泥水を啜ろうと、それだけを胸に生きてきた。なのに……

「お前はまだ故郷に親が生きている。キフラスも生きている。剣を握れる。お前に俺の何がわかる」
「あぁ、分からん! だがお前だって、俺の気持ちは分からないだろ」
「お前の、気持ち?」

 何かあっただろうか。思い出そうとしても出てこない。それだけ、色んなものが抜け落ちた。

 ダンは憎らしくギリリと奥歯を噛み締め、グッとベリアンスの胸ぐらを握った。ゴツい顔が近づいて、パッと眼帯を取る。大きく傷つき開くことのない目が、そこにはあった。

「生きているのに死んだことになって、故郷の窮状を知っても助けに行けなかった悔しさが。亡霊として彷徨わなければならなかった虚しさが。片目を失い感覚を失い剣を握るも苦労した、俺の焦りをお前は知っているのか」
「あ……」

 そう、だった。こいつが目の前に現れたとき、ベリアンスは生きている事を隠すよう提案した。全ては囚われているアルブレヒトを探す手がかりを得る為だった。
 だが、そうか。それはすまないことをした。生きているのに死んでいる、そんな妙な状態で知り合いの多い場所に長居はできなかったか。この国にも、長くいられはしなかったか。

「すまない……」
「おい、その一言で済まそうとしてんじゃねーぞ」
「では、何をしろと言うんだ。俺は、もう……」
「俺がした苦労をお前もしろって言ってんだ!!」

 怒鳴る声が耳に痛く、投げ出される体に痛みを感じる。そこに、無骨な剣がギラリと光った。

「テメェ、俺に生きろと苦労押しつけるだけ押しつけて、お前は勝手に楽になろうなんてんなこと許すと思ってんのか。お前の生き様、それでいいわけあるか。足掻け、這いずれ! 俺はそうやってつかみ取ったんだ。お前や他の野郎の希望を背負って、足掻いて今の剣を得たんだ。お前も同じだけ苦しめ」
「勘弁してくれ……」

 呟いた。だが、ギラギラした野性味のある瞳を見ると許されないのだと思う。

「捨てんのかよ、剣」
「左手が言う事をきかないんだ。どうしろという」
「本当に道を探ったのか? お前、やれる事探してから言ってんのか」
「右手一本でどうなる!」
「どうにかなる剣だってあるんだよ!」

 ビクリとベリアンスは肩を震わせた。そんなベリアンスの前に、ダンは一本の剣を投げよこした。

「お前の治療をしていたエリオット先生はレイピアの達人だ。あれは左腕の負担が少ない。お前はセンスもいいだろ、できる」
「一からやれと?」
「いいじゃねーか、すっからかんならそこに有意義なもの突っ込め。お前の中が色んなものできっちり詰まるまで、俺がここを守ってやる」
「……え?」

 守ってやるとは、どういうことだろうか。
 ベリアンスは見上げる。凛と雄々しい男の目は、黙ってベリアンスが立つのを待っている。

「俺は正直実戦は好きだが、人前に出るのは苦手だ。騎士団長なんて柄にねーよ。だから、今は仮にしてもらった。お前が戻ってきたらお前に丸投げするんだからな。きっちり穴塞いでこい」

 驚きすぎてリアクションができない。まだそこに席があるなんて思っていなかったから。全てが終わったのだと、思ったから。

 転がされた剣に手を伸ばす。軽く、華奢な剣。今まで扱ってきた剣とは大違いなそれは、だが導くように光って見える。

「今のお前が死んだところで、あの世で嬢ちゃんには会えないさ。アルブレヒト様に聞いたが、嬢ちゃんは立派に美しく、母として天に昇ったそうだ。その前に出て恥ずかしくないように、精々生き恥さらそうぜ」
「はっ、お前もか?」
「恥が多すぎて穴掘って埋まりたい気分だぜ、まったく。この目だぞ、憎たらしい。帝国じゃ頭下げっぱなしよ。上には上がいるのも思い知った。悔しくてたまんないだろ」
「軍神か。あれは諦めろ、規格外だ」
「アルブレヒト様も『神に近い化け物』と言ってたからな。人間様は足元にも及ばん」
「はははははっ、それはいいな」

 声を出して笑ったら、少しだけ心が軽くなった。そして、自分の足で立ち上がる事ができた。
 そのベリアンスの前に、二通の手紙が差し出される。一つはベリアンス宛、もう一つはレーティス宛。文字は、セシリアのものだった。

「嬢ちゃんが過ごした部屋の、引き出しの裏に隠すみたいに貼り付けてあった。お前の様子見て渡してくれと頼まれたが、今のお前なら大丈夫だ。嬢ちゃんの思いを、ちゃんと受け止めて歩け。あと、レーティスにはお前が渡せよ」
「……受け入れてくれるだろうか。レーティスの傷は、俺以上に深いだろ」
「生真面目で優しすぎるからな、あいつも。それでもアルブレヒト様がそうしろってよ。他の誰でもないお前が嬢ちゃんの思いを受け止められたら、レーティスに渡せ。同じ痛みを共有できるのは、お前だけだからな」
「……わかった」

 受け取った手紙は少し重たい。だがもう、絶望には落ちない。この手紙にどれほどの恨み言が書かれていても受け入れるつもりでいる。そしていつか天命が尽きた時には、彼女の前に堂々立てるようになっていたい。

 真新しいレイピアを腰にして、ダンの暑苦しい腕が肩に回って、「酒だ!」と叫ぶ男を見ながらベリアンスは、軋みながらも何かの歯車が回り始めたのを感じていた。
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