恋愛騎士物語2~愛しい騎士の隣にいる為~

凪瀬夜霧

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8章:亡霊は夢を見る

10話:真実を探して

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 スノーネルの砦で、ファウストは一人項垂れていた。その側にはオリヴァーとウェイン、そして全てを聞いてしまったチェスターがどうすることも出来ずに座っていた。

「ハリーが俺の拉致に関与したというのは間違ってはいません。ですがそれは、俺を助ける為でした。俺はあの夜、別働隊にいるはずのハリーを森の中で見て追いました。そこで、数百人のフェシュネール派の兵に囲まれたのです。ハリーが俺を眠らせ、庇わなければ、俺はあそこで死んでいました」

 ランバートは素直に事実を述べた。それに、ファウストも頷く。

「オーギュストという男が話してくれた。おおよそ、お前の言う事と同じだ。そこにハリーの関与はないと断言した。だが、ハリー自身がそれを認めない。それにハリーは去年の六月、ヴィクトランと会っていると言っていた。あいつの関与が疑われているのに、身の潔白を完全に晴らしてやれない」

 オーギュストは事の全てを話たらしい。そして、ハリーの助命を願い出た。全てはヴィクトランと自分が行った事で、ハリーは巻き込まれたのだとはっきり証言した。
 だがこれは身内の意見でもある。オーギュストにとってハリーは仕えるべき家の人間で、庇っているんだと判断されても反論できない。真実に曇りがあって裏付けができなければ、ハリーの判断が難しくなる。

「ランバート、チェスター。二人はクリフも連れて直ぐに王都に向かいハリーの身の潔白を証明しろ」
「え?」

 二人は顔を見合わせる。そこには困惑ばかりだ。だがファウストの判断は早かった。手元に紙を引っ張り出し、何やら忙しく書いている。

「ランバート、お前はフリムに乗れるな?」
「はい」
「しばらく貸す。クリフをそこに乗せて王都に戻り、シウスに俺の手紙を渡してくれ。お前とチェスター、そしてこの件に必要だと思える隊員に特別任務を出すよう頼んでおく。ハリーの行動を調べ、去年の六月以降にこいつらと接触していないか、行動の裏付けをしてくれ」
「それって」

 途方もない事だ。隊の中にいる間は誰かしらが見ているだろう。けれど全てではない。休日は? どこに行って、誰に会っていたかなんて全て調べるのは難しい。第一、そんな事全てを知っている人物がいるか分からない。

「他にもある。ハリーは今のところハインリヒとして生きようとしている。ハリーは助けてやれるが、亡国の王子となればその身に自由はなくなる。一度謀反を起こした亡国の王子なら、一生幽閉生活だ」

 これにも、ランバートとチェスターは息を呑んだ。そんな事、絶対に認められない。ハリーは何もしていないはずだ。国に弓を引くような事はしていない。でもそれを納得させなければならない。

「まずは身の潔白を。同時に、あいつの無念を断つ必要がある。俺がここで聴取を引き延ばす。王都に戻ってしまえば直ぐに軍法会議となるだろう。陛下がどのように判断をなさるかだ。あの方は優しい方だが、国を脅かす者に対してはその限りではない。とても難しいだろう。だが、頼めるか」

 クラウルがこの件に関して調べていた。それでも正しい歴史は分からないままだ。ハリーの望みは帝国におけるノーラント王国の扱いを改善させること。十七年前に何が起こったのかを明らかとすること。そんな事が本当に可能なのか分からない。
 それでも、やると決めている。ランバートはハリーに助けられたのだ。何よりも友達で、仲間だ。彼を助けない理由がない。

「勿論だ」

 頷き、隣のチェスターとも頷いて、ランバートは外へと駆け出した。旅装を整えフリムに鞍をつけ、クリフを連れて。詳しい話しは道中ですると言って引っ張っていく。そうするうちにファウストが分厚い手紙を持ってランバートに託した。
 炎の夜から間を置かず、ランバートは一路王都を目指して駆けていった。

◆◇◆

 王都に到着したのは三日後、さすがにファウストのようには操れなかった。何よりランバートの体力は限界だった。途中顔色の悪いランバートにクリフが気づき、数時間仮眠を取らされた。それもあって、少し遅れてしまった。
 ランバート達はその足ですぐに宰相府の執務室を訪ねた。慌ただしくノックをして、出てきたシウスがランバートを見て嬉しげに僅か涙を浮かべたが、今はそれに付き合えない。早々にファウストからの手紙を出すと嫌な顔をされたが、中身を改めて行くうちにまた顔色が悪くなった。

「事の経緯はよう分かった。正直、楽な話しではない」
「分かっています。ですが、可能性はゼロではありません」
「ほぉ?」
「フェシュネール派で取り仕切りをしていたオーギュストという人物の話では、建国祭で城を襲撃した者の片方が昨年の秋に接触し、砦乗っ取りに加担したそうです。砦を出る前に似せ絵を元々の砦の兵に見せたところ、覚えている者が複数いました。信憑性があります。この計画が持ち上がったのが秋。ならばそのくらいからの行動を調べ、裏を取ればハリーが本当にヴィクトラン・フェシュネールと接触し、今回のテロを起こしたのかが判断できます」

 ほんの少しだが範囲を狭められる。初夏から調べるとなるともっと手間だろう。
 シウスも頷いた。だがその表情はまだ厳しいままだった。

「だが、それだけでは不足ぞ。ハインリヒを助けてやることは出来ぬ。軍法会議にてあやつが、あくまでハインリヒとして今後を生きると我を張れば、我々とて手の打ちようがない。危険分子を放置できぬ。それに、陛下がどのような判断をするか。国の過去に傷がつく程度なら容認されようが、そこが火だねとなって反乱が起こるかもしれぬとなれば認められぬ。ノーラントの事は、後者になりかねぬ」

 それも問題だ。ハリーは兄の無念を晴らしたいと願った。その為に命を張るつもりでいる。それだけの覚悟を持った人を納得させるか、諦めさせるかしなければならない。十七年前のノーラント王国滅亡の真実を、探さなければ。

「なんにしても時間が惜しい。特別調査部隊の編成を許可する。メンバーは第一師団よりゼロス、コンラッド、ボリス。第二師団よりチェスター。第三師団よりトレヴァー、トビー、ピアース。第四師団よりクリフ、コナン。第五師団よりレイバン、ドゥーガルド。以上のメンバーでよいな?」
「はい!」
「責任者はランバート、お前が務めよ。小会議室を用意しておく。必要な事があれば言うがよい。可能な限りは協力しようぞ」

 シウスが笑い、引き出しの中から鍵を取り出す。それを受け取ると、チェスターが素早く西砦へと走った。まだギリギリ街警が明けていないのだ。

「俺達はハリーの部屋を調べよう。何かあるかもしれない」
「うん」

 クリフと頷きあい、ランバートは二階のハリーの部屋へと駆け込んだ。同室は四年目の先輩で、声をかけると立ち会いをしてくれた。
 ハリーは案外物持ちだった。整頓されていない訳ではないけれど、物が多い。本や、巷で噂のボードゲーム、服や小物も多い。それらをかきわけるように手がかりを探す。手紙などがあればいいんだが、見当たらない。

「ハリー、怪我でもしたのか?」

 同室の先輩はランバート達の様子を見てそのように思ったようだ。彼の事はまだ騎士団の中では広まっていない。当然広めるつもりもない。もしも身の潔白が証明されても、変な話が横行しては戻ってきづらいだろうから。

「はい、そんな所です。巻き込まれて怪我を」
「そうなのか! 大丈夫かな、あいつ」

 案外心配している同室者に微笑み、ランバートは「療養すれば平気です」と話を合わせた。

「あぁ、それなら日記も持ってってやってくれよ。あいつ、毎日書いてるんだぜ? もういい加減書く事ないだろうにさ」
「日記?」

 ランバートはクリフと顔を見合わせ、ハッとして探した。日記があれば行動が分かる。何をしたかも分からない状態で聞き込みをするよりもずっと楽になる。
 日記は数冊あった。衣装ダンスの下のほうに、まるで隠すようにあったのだ。一番上に置いてあるものを手に取って、軽く中を見てランバートは思わず息をつめた。

「どうしたの?」
「あぁ、うん。ではこれを、ハリーに届けます」
「おう、そうしてやってくれ」

 素早く他の日記も手に取り、ランバートはハリーの部屋を後にして用意された会議室へと向かった。

 会議室の前には呼び出された他のメンバーが、硬い表情でランバートを待っていた。鍵を使って室内に入ると、それぞれが不安を口にした。

「ランバート、どういうことだ? ハリーが大変だからと呼び出されたんだが」
「あいつ、何かあったのか? 今、遠征に行っているんだろ? お前達は戻って来たのに、どうしてハリーはいないんだ」

 ゼロスが怪訝な顔をし、コンラッドが眉根を寄せて不安を口にする。他のメンバーも同じようなものだった。

「……今から話す事は、秘密にしてほしい。重要な……ハリーの命に関わる話だ」

 前置きをしたランバートは一度息を整え、スノーネルで起こった事件をできるだけ詳細に全員に伝えた。
 見る間に顔色が変わっていく。察しのいいゼロスなどは序盤で事の重大さに気づいたのだろう。目を見開き、口元を硬く結んでいる。レイバンも、コンラッドも、ボリスも、予想以上の状況に固まっている。コナンは泣きそうな顔をしていた。

「……馬鹿な奴だ、ハリーは」

 全てを話し終えた後、コンラッドはぽつりと呟いた。手を握りしめ、俯いて。

「背負い込まなくていいもの、背負い込んだんじゃないか。今更」
「その今更が重要な事だってある。あいつは情が深いからな、同調したんだろう」

 俯いたまま肩を震わせるコンラッドの背を、ゼロスが叩く。そしてキリッとした目でランバートを見た。

「状況は分かった。どうする」
「ハリーの日記を元に行動確認をする班と、ノーラント滅亡の真実を探る班とに分けたい。どちらも人手がいるが、あまり事を公にできない。この人数でやるしかない」

 時間がどのくらい許すのか。ファウストが取り調べているにしても、そう長く引き留めてはおけないだろう。移動に七日、もしくはもう少しかかる。単騎移動ではなく馬車だから。

「俺はハリーの行動を追う」
「俺もそっちを手伝うよ。正直、調書と睨めっこはむいてない」
「俺もそっちだ! ぜったい、ハリーを助けるぞ!」

 コンラッド、レイバン、ドゥーガルドが名乗りを上げる。その後でおずおずと、ピアースとクリフも手を挙げた。

「僕たちはまだ王都の地理に疎いから、ランバートのサポートとかをしたい。集まった証言や調書をとりまとめたり、そういう事」
「俺もその方がいい」
「有り難う、ピアース、クリフ」

 ランバートは笑う。そして、手元にある日記を広げた。そこには見慣れない言葉が書き付けられている。骨張った枝のような文字だ。レイバンやボリスがそれを覗き込んだが、同時に困惑していた。

「この文字、なに?」
「古代ウル語。北の方の国々で使われてた文字で、ノーラント王国ではこれが公用語だったんだ。そこが滅んで、今じゃ滅んだ言語になりつつある。古書の解読や、あの地方の遺跡探索をする人なら読める」

 ハリーがノーラント出身で、五歳までいたのなら考えておくべきだった。現在の帝国公用語はノーラントでも公用語になりつつあっただろうが、伝統を重んじる王家では古代ウル語をまずは教えたのだろう。当時のハリーはこれしか書けなかった。
 おそらく日記は書かされていたに違いない。それは、ハリーの行動や思想を見定める為だったはずだ。微妙な年齢だったハリーにもし少しでも謀反の気持ちが、帝国を憎む気持ちがあったら、彼は処分されていたのかもしれない。

「これ、読める人を探さなきゃいけないのか」
「いや、俺が読める。でも、訳すのに少し時間が欲しいんだ」
「ランバート読めるの!」
「一番上の兄が、こういう古い言語の本を読むのが好きでね。付き合わされて覚えた」

 アレクシスは個人の趣味で古語研究をしていた。ランバートはそんなアレクシスの側で遊んでいて覚えた。アレクシスもまた面白がってあれこれ教えていたのだ。
 ただそれでも久しぶりだし、全ての言葉を知っているわけではない。読める部分を読み進め、読めない部分は辞書を引くか推測するかだ。

「そういう事なら、ランバートは音読すればいい」
「え?」

 ピアースがニンマリと言う。ランバートはそちらを見て、緩く笑った。

「俺の音読を書き起こしてくれるのか?」
「任せろよ。これでもオーソン様の手伝いとかもして、事務仕事出来るようになったんだ。それに、元が商家の子だぜ? 言われた事を書き留めるのは得意だ」
「これならランバートの負担も減るし、きっと早い」

 ピアースを、コンラッドを見回し、ランバートは頷いた。実際、訳を紙に書き写してそれを皆に回すよりも早い。ピアースが調書用に紙に起こし、聞いた奴が行動確認をしに街に出たり仲間に聞いて回ったりすればいい。

「そっちは概ね固まったな」

 ゼロスは腰に手を当ててこちらを見ている。それに、ランバートも頷いた。どうにか動けそうだった。

「ランバート、十七年前の事件を調べていたのはクラウル様なんだな?」
「あぁ」
「そちらは俺がいく。少しの間、任せてくれないか?」
「ゼロスが?」

 ゼロスとクラウルの間で年始に何かあったらしいというのはボリスから聞いていた。それが今も続いているのだろうか。

「分かった、頼む」
「あぁ」

 ゼロスは踵を返す。その背を、ランバートは頼もしく見送った。

◆◇◆

 ゼロスは真っ直ぐにクラウルのいる暗府執務室へと向かっていた。その扉の前で、一瞬躊躇う。新年以後、結局話す事はなかった。街警で接点がなかったからだ。
 しかも今回は仕事の話であり、国の歴史にも関わる。仲間を助けたいという思いだけで動いてくれるか分からない。国の事を優先すれば、なんの利益もないのだから。
 だが、信じたかった。クラウルはそんな人ではないと。助けてくれると、信じたかった。

コンコンッ

「誰だ」
「ゼロスです。クラウル様、お話があります」
「……入れ」

 あの夜のような柔らかい声音ではなかった。硬く、ほんの僅かに威圧感のある声。近づいた距離がまた離れた、そんな気すらした。
 だが、ハリーを救うのに躊躇っている時間はない。「失礼します」と言って、ゼロスは執務室へと入った。
 暗府の執務室へは初めて入ったが、綺麗だった。騎兵府執務室のように書類が積み上がっている事もない。整然としている。扉の正面、執務机に座ったクラウルがチラリとゼロスを見て顎をしゃくった。

「ドアを閉めろ」
「はい」

 黒髪を後ろに撫でつけ、隙なく制服を着込む人は仕事の顔をしている。ゼロスはその彼に、正面から向き合った。

「話とはなんだ?」
「……ハリーの事は、ご存じでしょうか」

 問えば、クラウルの手は止まった。真っ直ぐにゼロスを見るその視線から、既に知っているのが分かる。これなら話は早いだろう。

「シウスから聞いた。厄介な事になったな」

 感情の見えない声に胸の奥が軋む。本当はこんな無機質な人ではない。これが、プライベートと仕事の差なのか。思えば、拒絶されているようで嫌だ。

「それで、俺に何を求める?」
「ハリーの生家で何が起こったのか、それを追いたいのです。クラウル様は今回の事で当時の事を調べていると伺いました。お願いします、お力をお貸し下さい」

 丁寧に腰を折って最敬礼をしたゼロスは、なかなかその頭を上げられなかった。クラウルがどんな顔をしているのかも気になるが、無機質に見られているのなら見たくはない。
 なかなか、答えが返ってこなかった。駄目なのかもしれない。今更帝国の過去をひっくり返し、新たな火種を作るよりもハリーを処罰してしまった方が簡単ではある。テロリストの仲間として、処刑でも幽閉でもしてしまったほうが憂いがないのは確かなのだ。
 だが、それは嫌だった。ハリーはもう仲間で、友人だ。その友人が不幸になるのを見ている事はできない。
 ゼロスは床に膝をついた。そして、床に手を添えた所で正面からその腕を引き上げられた。

「ゼロス!」

 正面からとらえた瞳は、あの夜と同じだった。黒い瞳に温かさがある。ちゃんとゼロスを見ているんだと分かる光がある。

「簡単に頭を下げるな」
「俺の頭一つで友人を救えるなら、何度でも下げます。俺に出来る事なら何でもします。クラウル様、お願いします。力を貸してください」

 ランバートが、城にはろくな資料が残っていないと言っていた。帝国史を裏付けるようなものしかないと。知りたいのはそれじゃない。本当の事が知りたいんだ。
 クラウルは少し迷うようだった。黒い瞳が僅かに揺らいでいる。だがそれは、本当に少しの間だった。一度閉じた目が再び開いた時、そこに揺らぎはなかった。

「死んだ人間の名誉よりも、生きている人間の未来の方が大事だな」

 言ったクラウルはゼロスを立たせ、頷いた。腕を引き、執務室を出ると鍵をかけてしまう。そうして行き先も伝えないまま、腕を引いて歩き出していった。


 クラウルが連れてきたのは小さな屋敷だった。普段人を置いていない様子の寂しい家の外壁には蔦が絡まっている。その扉を開け、なおもクラウルは進んでやがて、大きな両開きの扉を開けた。

「これは……」

 何と言えばいいか……簡単に言えば酷いありさまだった。床の上に積み上げられている冊子はどれもが山のようだ。それが三つほど分けられている。表紙の色などで分類分けされているのが分かった。

「あの、ここは?」
「俺の父が残した資料だ。ここは父が生前使っていた私邸で、今は俺が引き継いでいる。人も住まわせていないから、少し埃っぽいが」

 そう言って、クラウルは山の上にある冊子を一つ手に取って、それをゼロスへと手渡した。受け取り、中を開く。そしてすぐにここにある資料の重要性と機密性を知った。手にした資料は当時の軍の報告書だったのだ。

「これは!」
「俺の父は、前王陛下の忠臣だった。重要な作戦には全て出たほどだ。そしてここにある物は全て、当時の報告書を父が書き写して残したものだ」

 王宮では既に廃棄され、隠蔽された歴史の裏がここに集約されている。ゼロスは呆然と見回し、その量の多さに目眩がした。当時は他国への侵略が盛んだったと聞いているが、ここにはその全てがあるのだろう。
 クラウルについて奥へと向かう。そこには赤い表紙の冊子が積み上げられている。手にして、それが日記だとわかった。

「筆まめな人だったんだ。どこかに吐き出さなければ潰れてしまいそうだったのかもしれない。この日記は、父が十代で騎士見習いになった頃から、死ぬ一ヶ月前までの記録がある。そこに、何かしらの手がかりがあるだろう。それらを元に軍事報告書や記録を探れば、概ね当時何があったのかを知る事ができる」

 ゼロスが手にした日記は、おそらく年老いてからの物なのだろう。生真面目そうな文字が僅かに震えている。書き残されていたのは、残される息子を案じる言葉や、残して逝く奥方への言葉、病状や、その日の会話などだ。

「この日記が一番多い。だが二人なら、少しは早く目的のものを見つけられるだろう」
「……二人?」

 見ればクラウルは上着を脱いで机の背にかけ、冊子を手に取っている。ゼロスはそれを呆然と見ていた。

「何をしている。時間がないぞ」
「あの、クラウル様も?」
「当たり前だ。こんなの一人で探して見つかるわけがない。書くだけ書いて整理もせずに放置した父を今更ながら叱りたいが、死人ではそうもいかないしな。夜通し探せば少しは進む」

 そう言って笑った顔は、ゼロスの知っているものだ。手元の日記を見る。おそらくこの日記の中には色んな秘密がある。それこそ、国家にとって都合の悪いものだ。それを、これから知る事になるだろう。
 それでもその中に友を助ける切っ掛けがある。ゼロスは向き直り、床にどっかりと腰を下ろして日記を手に取り始めた。


 クラウルの父は本当に筆まめな人だったんだろう。これを読むということは、その人の人生を生々しく知る事に繋がった。関係なさそうな物を飛ばして読んだが、それでも重たい痛みがあった。
 クラウルの父、アラディンは悩んでいた。十代から二十代前半は自身の職務に希望を持っていたが、前王が目をかけてからは悩み出した。それというのも、アラディンが関わるようになったのは王国から帝国への転換期、他国を侵略し始めた頃だった。
 その為に、多くの策略が動いていた。都合良く他国を吸収するため、非は相手国にあるように仕向けていた。そうして吸収した国の民には寛容になり、以前と同じかそれ以上に十分な生活をさせていた。
 その為だろう、現在吸収された領土の人は帝国を悪し様に言わない。それどころか、もうどこがそういう土地だったのか分からない。
 アラディンは人として感情が豊かで、仕事熱心で、忠義の人だった。だから表だっては王に従い不平を言わなかった。そしてその裏で、こうして苦しい思いを日記に書いていたのだ。

「……」

 むき出しの感情が見える。こうした物に飲まれないようにと思っているのに、気づけば引きずられている。ゼロスは眉根を指でもみほぐし、息をついた。外はすっかり暗くなっている。ランプの下でひたすら読み進め、読み終わったものには背表紙に印をつけて書架に入れて行った。それでもまだ山のようだ。騎士人生だけで四十年以上あるのだ。
 不意に、少し離れた所で同じように読みふける人の顔を見る。クラウルが真剣に読んでいた。この人は、これを読んで何を思うのだろうか。ふと思うのだ、アラディンはどこかクラウルに似ている。不器用そうで、情が深くて、忠義の人で。無表情にみせて、実は感情が豊かだと思う。心に感じている感情は、ゼロスよりもずっと豊かに思う。
 そうして手に取った日記をめくっていくと、とある一日の日記に目がとまった。

『今日、二人目の子が生まれた。大きな子で、少し難産だった。黒髪に黒い瞳なんて、俺に似ている。妻なんて顔立ちまで似ているなんて言うんだ。
名は、クラウルとつけた。俺を見て、目元だけで笑う。とても可愛い子だ。俺の指を掴んだまま離さない。
この子がもう少し大きくなったら楽しみが増える。どこかにキャンプなんかもいいだろう。剣も覚えてくれるだろうか。筋がいいといいんだが』

 思わず顔が緩んだ。クラウル自身も知らない自分の事だろう。それを、ゼロスはこうして知った。親ばかな人だ。どれほど生まれた子が可愛かったんだ。
 そんな風に思っていると、不意に日記が手元から奪われる。見れば少し赤い顔をしたクラウルが日記を手に取り簡単に中を読んで書架に持っていく。耳まで赤くなるから、恥ずかしいのだと直ぐに分かった。

「もう少しそれ、読みたいのですが」
「読まなくていい」
「恥ずかしいんですか? 可愛いじゃないですか」

 言えば睨まれるが、その目に力はない。息を吐いたクラウルは辺りを見回した。

「少し休憩を入れよう。さすがに疲れる。食事に行こう」
「ですが」

 時間が惜しい。そう言いたかったが、クラウルは首を横に振った。

「適度な休憩は効率を上げるのに必要だ。長丁場になる、序盤で気力を使い果たしては尻すぼみになるぞ」

 そう言われてしまうと抵抗する気力がなくなる。立ち上がると、少しふらついた。足が重く感じる。背や腕、腰なども凝り固まっているのか軋む。ぎこちなく体を解していると、クラウルがきてランプを持って部屋を出て、近くの部屋に入った。
 シンプルな部屋のベッドの上にうつ伏せにされたゼロスは、何が起こるのかと身を固くした。ないとは思うが、まさかだった。
 だが直ぐに違うのだと分かる。腕を、腰を、足を軽く揉まれる。血流を促すような動きは固まった体には有り難い。次に肩を後ろに引かれたりして解されると、体はスッキリと軽くなった。

「集中して読みふけっていたからな。体勢を変えたり、適度に立ち上がって歩くなどしないとこうなる」
「すみません、お気遣い頂いて」
「いや、構わない。俺はこれから食事に出るが、お前はどうする」
「お付き合いします」

 こうして二人で連れ立ち、遅い夕食となったのであった。

 その後、一時間程度の外出を経て再び屋敷に戻り、作業は再開された。だが、一向に目的の資料は見つからない。気づけば外が僅かに白んでいる。さすがに頭が重く軽い頭痛を感じていると、肩に手がかかった。

「今日はもうこの辺にして眠れ」
「ですが」

 まだかなりある。日記だけならまだしも、軍の報告書などもある。これらも調べるとなれば膨大だ。その間にハリーの状況が変われば、とてもじゃないが間に合わない。
 だがクラウルはそんなゼロスの焦りも見抜いているのか、静かに首を横に振った。

「疲れていては大事なものを見落とす。何より効率が悪い。食べる事、寝る事。これらを十分に取らなければ良い仕事はできない」

 そう言われてしまえばどうしようもない。ゼロスは手元にあったものを手早く読み、書架に収めて向き直った。
 そういうクラウルも少し疲れているようだ。眉根を指で揉み込んでいる。

「大丈夫ですか?」
「あぁ、問題ない。正直、父の日記をこんなにしっかり読んだのは初めてで、少し困惑もしている。家族にはとにかく大きく、優しい父だったからな」

 その裏に葛藤があったのだとしても、それを口にするような人ではなかったのだろう。ゼロスは頷き、側へと寄った。

「尊敬できる、強い方だったのだと思います。騎士として、憧れを感じます」

 言えばクラウルは少し恥ずかしそうに笑う。心なしか、嬉しそうに。

「どこか、クラウル様とも似ていますよ」
「俺に?」
「表と裏の顔を使い分け、背負うように立つ姿とか。案外感情が豊かな所とか。少し不器用な部分とか」
「そんな事は」

 言いよどむその頬が、耳が、僅かに赤く染まる。こういう部分を可愛いと思ってはいけないのだろうか。年上で、立場も上の上官に対してこのような感情は不敬だろうか。

「クラウル様はとても、人として温かい方です」

 穏やかに伝えた言葉に嘘はない。クラウルはそれを正面から受けて、恥ずかしそうにそっぽを向いた。
 クラウルは日中マッサージをした部屋にゼロスを案内した。

「ここを使ってくれていい。時々は掃除をしにきているから、寝具などは汚れていないはずだ」
「使ってって」

 ゼロスは困惑する。ここにある資料は機密文書だ。当然クラウルがいない時には見る事は出来ないだろうと思っていたのだ。
 だがクラウルはまったく問題ない様子でいる。

「あの、勝手に見てもいいんですか?」
「あぁ。そうでなければ仕事もはかどらないだろ」
「それはそうですが! でも、ここにあるのは機密文書ですよ。そんなに俺を信じて、いいのですか?」

 少しだけ戸惑いがあるのだ。この人の懐に入りたいとは思ったし、今も思っている。だが仕事においてもこんなに信頼を貰えるとは思っていなかった。こんな大切なものを自由にする権限を貰えるとは、思っていなかった。
 クラウルは笑みを浮かべて頷いた。少しキリリとした、締まりのある笑みだ。

「お前を信用できなければここに連れてくることはできない。それにお前はここにあるものの重要性と重大性を十分に理解している。不用意に口外はしないだろう」
「信じて、いると?」
「あぁ。だから、お前以外の者をこの作業に加えられない。多くの者に見られていいものではないからな。作業効率が悪くてすまない。せめて、存分に調べられる環境は作る」

 そう言いながら、クラウルは確かに頷き肩を二度ほど叩いた。
 単純に、嬉しかった。信用されて任される事はこんなにも心地よい。今ならランバートがファウストの背を守ると言った気持ちが分かる。こんなにも、気持ちがシャンとする。

「だがまずは寝る事だ。しっかりと寝て、起きてからまた作業を開始すればいい」
「分かりました、有り難うございます」

 丁寧に頭を下げると、クラウルは少し寂しそうに笑う。そうして自身は出て行った。
 堅苦しい服は脱いで、そのままベッドに寝転んだ。温かな布団と毛布をかけて目を閉じれば、簡単に眠りが落ちてくる。こんなに強い眠気や疲労感は久しぶりだった。
 そうしてゼロスは急速に、夢も見ないほどに落ちていった。
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目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

「自由に生きていい」と言われたので冒険者になりましたが、なぜか旦那様が激怒して連れ戻しに来ました。

キノア9g
BL
「君に義務は求めない」=ニート生活推奨!? ポジティブ転生者と、言葉足らずで愛が重い氷の伯爵様の、全力すれ違い新婚ラブコメディ! あらすじ 「君に求める義務はない。屋敷で自由に過ごしていい」 貧乏男爵家の次男・ルシアン(前世は男子高校生)は、政略結婚した若き天才当主・オルドリンからそう告げられた。 冷徹で無表情な旦那様の言葉を、「俺に興味がないんだな! ラッキー、衣食住保証付きのニート生活だ!」とポジティブに解釈したルシアン。 彼はこっそり屋敷を抜け出し、偽名を使って憧れの冒険者ライフを満喫し始める。 「旦那様は俺に無関心」 そう信じて、半年間ものんきに遊び回っていたルシアンだったが、ある日クエスト中に怪我をしてしまう。 バレたら怒られるかな……とビクビクしていた彼の元に現れたのは、顔面蒼白で息を切らした旦那様で――!? 「君が怪我をしたと聞いて、気が狂いそうだった……!」 怒鳴られるかと思いきや、折れるほど強く抱きしめられて困惑。 えっ、放置してたんじゃなかったの? なんでそんなに必死なの? 実は旦那様は冷徹なのではなく、ルシアンが好きすぎて「嫌われないように」と身を引いていただけの、超・奥手な心配性スパダリだった! 「君を守れるなら、森ごと消し飛ばすが?」 「過保護すぎて冒険になりません!!」 Fランク冒険者ののんきな妻(夫)×国宝級魔法使いの激重旦那様。 すれ違っていた二人が、甘々な「週末冒険者夫婦」になるまでの、勘違いと溺愛のハッピーエンドBL。

悪役令息を改めたら皆の様子がおかしいです?

  *  ゆるゆ
BL
王太子から伴侶(予定)契約を破棄された瞬間、前世の記憶がよみがえって、悪役令息だと気づいたよ! しかし気づいたのが終了した後な件について。 悪役令息で断罪なんて絶対だめだ! 泣いちゃう! せっかく前世を思い出したんだから、これからは心を入れ替えて、真面目にがんばっていこう! と思ったんだけど……あれ? 皆やさしい? 主人公はあっちだよー? ご感想欄 、うれしくてすぐ承認を押してしまい(笑)ネタバレ 配慮できないので、ご覧になる時は、お気をつけください! ユィリと皆の動画つくりました! お話にあわせて、ちょこちょこあがる予定です。 インスタ @yuruyu0 絵もあがります Youtube @BL小説動画 アカウントがなくても、どなたでもご覧になれます プロフのWebサイトから、両方に飛べるので、もしよかったら! 名前が  *   ゆるゆ  になりましたー! 中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!

わがまま放題の悪役令息はイケメンの王に溺愛される

水ノ瀬 あおい
BL
 若くして王となった幼馴染のリューラと公爵令息として生まれた頃からチヤホヤされ、神童とも言われて調子に乗っていたサライド。  昔は泣き虫で気弱だったリューラだが、いつの間にか顔も性格も身体つきも政治手腕も剣の腕も……何もかも完璧で、手の届かない眩しい存在になっていた。  年下でもあるリューラに何一つ敵わず、不貞腐れていたサライド。  リューラが国民から愛され、称賛される度にサライドは少し憎らしく思っていた。  

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