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8章:亡霊は夢を見る
11話:光明
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作業用に用意された小会議室の片隅で、ランバートは眠っていた。それというのも、体力的に限界だった。思えば炎の館を脱出してすぐ消火活動に参加して休んではいなかったし、立て続けに起こった事で仮眠程度しか取っていない。その後は大急ぎで王都に戻って、今に至るのだ。
さすがに顔色が悪かったらしい。クリフが気づいてあれこれしてくれた。多少、熱が出ていたようだ。「風邪ではないから」と言えば「いいから休んで!」と怒鳴られてしまった。昔とは立場が逆転している。
それでもこの場所を離れたくない。そう訴えればボリスが野宿用の寝袋と毛布を持ってきてくれて、それに包まっている。疲れていたんだろう、落ちるように眠った。
これでも昨夜のうちにかなりの部分の訳が終わった。ハリーは古代ウル語を完璧に使いこなしていて、多少訳が面倒な部分があった。ニュアンスは伝えられるけれど、正確ではない。そこを埋めてくれたのはコナンだった。彼は書庫から古代語の辞書を引っ張り出して、丁寧に言葉を拾って訳してくれた。おかげで、残す所一ヶ月程度だ。
コンラッドが中心となって日記に書かれた事が事実かどうか、軍の記録などからも調べてくれている。それで分かったのだが、ハリーは単独であれこれ動いていた。
一番驚いたのが孤児院への出入りだった。教会併設の孤児院によく足を運び、そこで孤児達と遊んだりしていた。これは孤児院のスタッフが覚えていてくれた。子供達もだ。
ただ、これだけでは埋まらない。日記に書かれていない部分も疑わしいと言われるのが嫌で、今はそこを埋めている。
「ランバート、平気?」
目が覚めている事に気づいたクリフが近づいてきて、額に触れる。まだ少し体はだるいが、寝る前から比べるとよかった。
「平気」
「そんな風に見えない。もう少し休んで」
「でも」
「みんな、まだ裏が取れてなくて先に進めない」
秋からの行動だけだが、ゆうに数ヶ月分。人の行動の裏を取るというのはこんなにも大変な事なのだと、ランバートは改めて思ってしまった。
その時、不意にノックの音が響いた。クリフが扉を開ける。そこには数人の、あまり顔を合わせない人達がいた。
「あの?」
「ハリー・バスカヴィルの無実を証明しているんだろ?」
「えっ」
クリフは固まって、表情を硬くする。だがランバートはそう言った人物を知っていた。去年の年末パーティーで一発芸を披露した暗府の先輩だ。
「リュークス先輩?」
「ランバート、コイツから話を聞いた。クラウル様の許可ももらったし、手伝う」
とても簡潔に言った青年の横で、大柄な人物が頷く。長身で体躯が良く、濃いめのブラウンの髪を後ろに流し、緑色の瞳をした先輩だった。
「ネイサンという。ランバート、お前にも迷惑をかけてしまった。俺が奴らの企てに気づいていれば、今回の事は起こらなかった。せめてもの罪滅ぼしだ、手伝いたい」
「ですが」
「任せろ、ランバート。俺達はこういう事は得意なんだ。それに、暗府が諜報でしくじったなんて汚名、さっさと返上したいしな。手伝わせろ」
強引なリュークスに、ランバートは戸惑う。あまり事を口外したくないのだ。だがそれはネイサンによって払拭された。
「暗府の仕事は口外しない事も含まれる。知った事は全て仕事が終わった時点で忘れるようにしている。例えそうではなくても、墓の下まで持っていくように訓練されている。安心して使ってくれてかまわない」
これに、ランバートとクリフ、そして軍の調書をひたすら読んでいたボリスも顔を見合わせて頷いた。
「お願いします」
頭を下げると、暗府隊員は笑みを浮かべて頷いた。
暗府の仕事はあまりに早い。これまでの進捗を話すとすぐさまそれぞれの役割を話し合い、散っていく。そうして早い段階で、確かな証言や裏付けがされていく。
これならハリーを助けてやれるかもしれない。昼頃に再起動したランバートは残る日記を翻訳しながら、徐々に埋まるハリーの行動記録に光明を見たのだった。
◆◇◆
どのくらい寝ていたのか。自然と意識が浮上すると、既に日は高く昇っていた。そして部屋のソファーに一人の人を見た。
「起きたか」
「クラウル様?」
立ち上がり、近づいてきた人の姿にゼロスは寝ぼけながらも戸惑った。騎士団の制服を着ていない。髪を下ろし、黒のズボンにチュニック姿だった。
「顔を洗ったら、まずは昼飯を食べに行くぞ。帰りに食材も買い込む」
「え? あの」
「まずは動け、時間が勿体ない」
戸惑いに答えが貰えないまま、言われるままに顔を洗いにいく。頭はかなりスッキリして、気持ちもシャキッとした。そうして部屋に戻ると、クラウルはコートを手に取って立ち上がった。
「動けるか?」
「はい。ですが、どうして」
「半日休みを取った。この件が片付くまでな」
「え!」
驚き、同時に申し訳ない気持ちになる。クラウルは暗府の団長だ、そう簡単に休みなど取れないはずなのに。
だがクラウル本人はとても穏やかに微笑んで近づき、ポンと肩を叩く。力の入っていない、とても自然な表情だった。
「人を増やせないのは俺の勝手でもある。この一件は時間も限られているんだ、これでもギリギリだ」
「ですが」
「気にするな。それに、そもそも暗府が企みに気づいていれば防げた事だ」
そう言われてしまうと、なんと言えばいいか。ゼロスは眉を寄せながら、それでも頼もしく、そして嬉しく思ってしまう。少しだけ力が抜けた気がした。
「まずは、ちゃんと食べるぞ」
「はい」
服装を整え、ゼロスはクラウルの隣に並んで屋敷を後にした。
食事と買い出しをして、後は黙々と作業を続けた。夕食時になってクラウルがキッチンに立ったのには驚いた。出された料理はランバートのような繊細さはなく、どこか男臭いものだった。野菜と肉を炒めたものや、魚と野菜のスープ。買ってきたパンと果物が少し、チキンソテーを添えた料理はしっかりと腹に溜まる。
「料理、できるのですね」
食卓に座らせられるだけのゼロスが言えば、クラウルは苦笑して同じように座った。
「これを料理と言っていいかは分からないが、困らない程度にはな。暗府は潜伏先で普通に生活をするから、困らない程度の家事能力が必要だ。だから、クオリティーよりも簡単さだな」
頂きますを言って食べれば、はっきりとした味の料理ばかりだ。だがどれも手料理らしい温かさと美味しさがある。しっかりとそれらを胃に収めていけば、目の前でクラウルは楽しそうに笑っていた。
その後はひたすら作業を進めた。既に十冊以上を読んでいる。深夜を過ぎて頭が少しボーッとし始めている。クラウルがコーヒーにミルクを入れて持ってきてくれたのを飲み、また読みふける。眠気を振り払うように頭を振り、そうして新たな日記を手に取った。
「ノーラント大使……酒を飲ませて……はめ……?」
「!」
ぼんやりと文字を拾う。既に独り言のように口に出していた。それに気づいたクラウルが急いでこちらへと近づいて、手元の日記を食い入るように見た。
「これだ!」
「え?」
「ゼロス、見つかったぞ!」
促されて、改めて日記を読み込む。そうして読むうちに頭が覚醒を始めた。
『ノーラント大使を使い彼の地の足がかりにする。陛下のやることに俺が口を挟む事はできない。だが、これは本当に正しい事なのか?
何も知らない大使に薬を混ぜた酒を飲ませて前後不覚にし、不義を働いた側室を殺したように見せるなんて。これは本当に、許される行いなのか?
確かに彼の国の鉄鉱は、これから大きく国土を広げようという陛下に必要なものだ。だが奪い取ってまで求めるのか。今のままではいけないのか。確かに建国の時代よりも領土は減らしている。だがそれを今更取り戻す事に、意味はあるのか。
この非道が、後の国に影を落とさないとも限らない。陛下は、どのようにお考えなんだろうか』
求めていた最初の日記だ。ゼロスは僅かに震えていた。これが本当なら、やはりノーラント側に非はなかったのだ。全ては帝国の謀。これをハリーに……いや、カール皇帝へと渡して歴史の見直しをお願いできないだろうか。そうすればハリーの憂いはなくなる。無念は果たされるはずだ。
「ゼロス、お前はそれを調書として書き写しておけ。そこから、ノーラントの文字が出てこなくなるまでだ。俺は軍の報告書や作戦指令書を探す。その日記の裏付けが必要だ」
「俺もそっちを手伝います」
「ダメだ。書き写すだけでも時間がかかる。二人で資料を探して書き写してなんて、とてもじゃないが時間がかかりすぎる」
言われればそれ以上は言えない。ゼロスは室内の机に向き直り、日記をそのまま間違いなく書き写していく。調書用のレポート用紙に書き込みながら読みすすめ、当時の王国が何をしたのかを知った。
先王は、実に狡猾な人だったのだろう。そして、野心家だ。
王国を本来の姿に戻す。この本来というのは、建国当時の事を指している。その為にまず、金や銀、そして何より鉄鉱を求めた。その全てを持っていたのがノーラントだったのだ。
最初は国同士の取引で得ていたが、それが面倒になってきたのだろう。何よりもその軍備を純粋な行軍に当てたかった。だから、ノーラントを攻めた。だが、こちらが一方的に攻めたのでは後々その土地を支配するのに都合が悪い。だからこそ、大使の乱心が必要だった。
薬を混ぜた酒を飲ませて深く眠らせ、他の男と密通していた側室を大使の部屋で殺し、大使が殺したように見せかけた。その後大使は弁明の場も貰えずにその場で斬り殺されている。
そうしてこれを理由に軍を編成して攻め入った。ノーラント側としては突然だったに違いない。
そして五歳のハリーを保護したのは、やはりアラディンだった。乳母と飛び出してきた彼を保護し、知り合いで既に一線から退いていたバスカヴィル伯爵の養子にと、裏であれこれと動いていた。乳母を付けない事、ハリー個人に謀反の意志がないことを条件に受け入れられ、その後は平穏に過ごしている。
安堵の気持ちが書かれていた。幼い子供を殺す事に抵抗があったアラディンは、その後健やかに、明るく育つハリーの様子に安心していた。この時点で、将来ハリーを騎士団に入れる事が条件になっていたそうだ。ただこの約束自体、当時を知る者のない状態では無視していいものだったが。
ゼロスの気持ちも沈んでいく。ゼロスはハリーのとぼけた様子や、どこか戯けた明るさしか知らない。時々見せる真剣な目も知ってはいるが、悲しみや苦しみは見た事がない。これほど、辛い思いをしていたはずなのに。
見せなかったのだろうか。それとも、既にこの記憶は薄れていたのか。持ち前の明るさだったのか、無理だったのか。
「ゼロス」
名を呼ばれ、顔を上げる。その頭を不意に撫でられて睨み付けた。子供のような扱いに反発があった。
「今は感情に飲まれるな。助けたいんだろ?」
「……俺は友をちゃんと知らなかったのだと思えば、情けない気持ちになっただけです」
「そんな事はない。お前の知っているハリーが、あいつの見せたかったハリーだ。お前だって、素顔を隠して接しているだろ。それと同じだ。人は全てを晒して生きているわけじゃない」
「だから、知っている顔を信じろ」と言われてしまい、ゼロスは飲み込む。確かに、ゼロスも口の悪さや性格の悪さを誰にでも見せたいわけじゃない。思わず素が出る事もあるが、常にそうではないし相手も選んでいる。
ハリーも、そうだろうか。知っている姿だけを、追ってやればいいのだろうか。
「今は手を動かせ。他にも探す資料はあるんだぞ」
促され、ゼロスは必死に手を動かす。腕が重怠くなってもまだ、その手は止まることがなかった。
さすがに顔色が悪かったらしい。クリフが気づいてあれこれしてくれた。多少、熱が出ていたようだ。「風邪ではないから」と言えば「いいから休んで!」と怒鳴られてしまった。昔とは立場が逆転している。
それでもこの場所を離れたくない。そう訴えればボリスが野宿用の寝袋と毛布を持ってきてくれて、それに包まっている。疲れていたんだろう、落ちるように眠った。
これでも昨夜のうちにかなりの部分の訳が終わった。ハリーは古代ウル語を完璧に使いこなしていて、多少訳が面倒な部分があった。ニュアンスは伝えられるけれど、正確ではない。そこを埋めてくれたのはコナンだった。彼は書庫から古代語の辞書を引っ張り出して、丁寧に言葉を拾って訳してくれた。おかげで、残す所一ヶ月程度だ。
コンラッドが中心となって日記に書かれた事が事実かどうか、軍の記録などからも調べてくれている。それで分かったのだが、ハリーは単独であれこれ動いていた。
一番驚いたのが孤児院への出入りだった。教会併設の孤児院によく足を運び、そこで孤児達と遊んだりしていた。これは孤児院のスタッフが覚えていてくれた。子供達もだ。
ただ、これだけでは埋まらない。日記に書かれていない部分も疑わしいと言われるのが嫌で、今はそこを埋めている。
「ランバート、平気?」
目が覚めている事に気づいたクリフが近づいてきて、額に触れる。まだ少し体はだるいが、寝る前から比べるとよかった。
「平気」
「そんな風に見えない。もう少し休んで」
「でも」
「みんな、まだ裏が取れてなくて先に進めない」
秋からの行動だけだが、ゆうに数ヶ月分。人の行動の裏を取るというのはこんなにも大変な事なのだと、ランバートは改めて思ってしまった。
その時、不意にノックの音が響いた。クリフが扉を開ける。そこには数人の、あまり顔を合わせない人達がいた。
「あの?」
「ハリー・バスカヴィルの無実を証明しているんだろ?」
「えっ」
クリフは固まって、表情を硬くする。だがランバートはそう言った人物を知っていた。去年の年末パーティーで一発芸を披露した暗府の先輩だ。
「リュークス先輩?」
「ランバート、コイツから話を聞いた。クラウル様の許可ももらったし、手伝う」
とても簡潔に言った青年の横で、大柄な人物が頷く。長身で体躯が良く、濃いめのブラウンの髪を後ろに流し、緑色の瞳をした先輩だった。
「ネイサンという。ランバート、お前にも迷惑をかけてしまった。俺が奴らの企てに気づいていれば、今回の事は起こらなかった。せめてもの罪滅ぼしだ、手伝いたい」
「ですが」
「任せろ、ランバート。俺達はこういう事は得意なんだ。それに、暗府が諜報でしくじったなんて汚名、さっさと返上したいしな。手伝わせろ」
強引なリュークスに、ランバートは戸惑う。あまり事を口外したくないのだ。だがそれはネイサンによって払拭された。
「暗府の仕事は口外しない事も含まれる。知った事は全て仕事が終わった時点で忘れるようにしている。例えそうではなくても、墓の下まで持っていくように訓練されている。安心して使ってくれてかまわない」
これに、ランバートとクリフ、そして軍の調書をひたすら読んでいたボリスも顔を見合わせて頷いた。
「お願いします」
頭を下げると、暗府隊員は笑みを浮かべて頷いた。
暗府の仕事はあまりに早い。これまでの進捗を話すとすぐさまそれぞれの役割を話し合い、散っていく。そうして早い段階で、確かな証言や裏付けがされていく。
これならハリーを助けてやれるかもしれない。昼頃に再起動したランバートは残る日記を翻訳しながら、徐々に埋まるハリーの行動記録に光明を見たのだった。
◆◇◆
どのくらい寝ていたのか。自然と意識が浮上すると、既に日は高く昇っていた。そして部屋のソファーに一人の人を見た。
「起きたか」
「クラウル様?」
立ち上がり、近づいてきた人の姿にゼロスは寝ぼけながらも戸惑った。騎士団の制服を着ていない。髪を下ろし、黒のズボンにチュニック姿だった。
「顔を洗ったら、まずは昼飯を食べに行くぞ。帰りに食材も買い込む」
「え? あの」
「まずは動け、時間が勿体ない」
戸惑いに答えが貰えないまま、言われるままに顔を洗いにいく。頭はかなりスッキリして、気持ちもシャキッとした。そうして部屋に戻ると、クラウルはコートを手に取って立ち上がった。
「動けるか?」
「はい。ですが、どうして」
「半日休みを取った。この件が片付くまでな」
「え!」
驚き、同時に申し訳ない気持ちになる。クラウルは暗府の団長だ、そう簡単に休みなど取れないはずなのに。
だがクラウル本人はとても穏やかに微笑んで近づき、ポンと肩を叩く。力の入っていない、とても自然な表情だった。
「人を増やせないのは俺の勝手でもある。この一件は時間も限られているんだ、これでもギリギリだ」
「ですが」
「気にするな。それに、そもそも暗府が企みに気づいていれば防げた事だ」
そう言われてしまうと、なんと言えばいいか。ゼロスは眉を寄せながら、それでも頼もしく、そして嬉しく思ってしまう。少しだけ力が抜けた気がした。
「まずは、ちゃんと食べるぞ」
「はい」
服装を整え、ゼロスはクラウルの隣に並んで屋敷を後にした。
食事と買い出しをして、後は黙々と作業を続けた。夕食時になってクラウルがキッチンに立ったのには驚いた。出された料理はランバートのような繊細さはなく、どこか男臭いものだった。野菜と肉を炒めたものや、魚と野菜のスープ。買ってきたパンと果物が少し、チキンソテーを添えた料理はしっかりと腹に溜まる。
「料理、できるのですね」
食卓に座らせられるだけのゼロスが言えば、クラウルは苦笑して同じように座った。
「これを料理と言っていいかは分からないが、困らない程度にはな。暗府は潜伏先で普通に生活をするから、困らない程度の家事能力が必要だ。だから、クオリティーよりも簡単さだな」
頂きますを言って食べれば、はっきりとした味の料理ばかりだ。だがどれも手料理らしい温かさと美味しさがある。しっかりとそれらを胃に収めていけば、目の前でクラウルは楽しそうに笑っていた。
その後はひたすら作業を進めた。既に十冊以上を読んでいる。深夜を過ぎて頭が少しボーッとし始めている。クラウルがコーヒーにミルクを入れて持ってきてくれたのを飲み、また読みふける。眠気を振り払うように頭を振り、そうして新たな日記を手に取った。
「ノーラント大使……酒を飲ませて……はめ……?」
「!」
ぼんやりと文字を拾う。既に独り言のように口に出していた。それに気づいたクラウルが急いでこちらへと近づいて、手元の日記を食い入るように見た。
「これだ!」
「え?」
「ゼロス、見つかったぞ!」
促されて、改めて日記を読み込む。そうして読むうちに頭が覚醒を始めた。
『ノーラント大使を使い彼の地の足がかりにする。陛下のやることに俺が口を挟む事はできない。だが、これは本当に正しい事なのか?
何も知らない大使に薬を混ぜた酒を飲ませて前後不覚にし、不義を働いた側室を殺したように見せるなんて。これは本当に、許される行いなのか?
確かに彼の国の鉄鉱は、これから大きく国土を広げようという陛下に必要なものだ。だが奪い取ってまで求めるのか。今のままではいけないのか。確かに建国の時代よりも領土は減らしている。だがそれを今更取り戻す事に、意味はあるのか。
この非道が、後の国に影を落とさないとも限らない。陛下は、どのようにお考えなんだろうか』
求めていた最初の日記だ。ゼロスは僅かに震えていた。これが本当なら、やはりノーラント側に非はなかったのだ。全ては帝国の謀。これをハリーに……いや、カール皇帝へと渡して歴史の見直しをお願いできないだろうか。そうすればハリーの憂いはなくなる。無念は果たされるはずだ。
「ゼロス、お前はそれを調書として書き写しておけ。そこから、ノーラントの文字が出てこなくなるまでだ。俺は軍の報告書や作戦指令書を探す。その日記の裏付けが必要だ」
「俺もそっちを手伝います」
「ダメだ。書き写すだけでも時間がかかる。二人で資料を探して書き写してなんて、とてもじゃないが時間がかかりすぎる」
言われればそれ以上は言えない。ゼロスは室内の机に向き直り、日記をそのまま間違いなく書き写していく。調書用のレポート用紙に書き込みながら読みすすめ、当時の王国が何をしたのかを知った。
先王は、実に狡猾な人だったのだろう。そして、野心家だ。
王国を本来の姿に戻す。この本来というのは、建国当時の事を指している。その為にまず、金や銀、そして何より鉄鉱を求めた。その全てを持っていたのがノーラントだったのだ。
最初は国同士の取引で得ていたが、それが面倒になってきたのだろう。何よりもその軍備を純粋な行軍に当てたかった。だから、ノーラントを攻めた。だが、こちらが一方的に攻めたのでは後々その土地を支配するのに都合が悪い。だからこそ、大使の乱心が必要だった。
薬を混ぜた酒を飲ませて深く眠らせ、他の男と密通していた側室を大使の部屋で殺し、大使が殺したように見せかけた。その後大使は弁明の場も貰えずにその場で斬り殺されている。
そうしてこれを理由に軍を編成して攻め入った。ノーラント側としては突然だったに違いない。
そして五歳のハリーを保護したのは、やはりアラディンだった。乳母と飛び出してきた彼を保護し、知り合いで既に一線から退いていたバスカヴィル伯爵の養子にと、裏であれこれと動いていた。乳母を付けない事、ハリー個人に謀反の意志がないことを条件に受け入れられ、その後は平穏に過ごしている。
安堵の気持ちが書かれていた。幼い子供を殺す事に抵抗があったアラディンは、その後健やかに、明るく育つハリーの様子に安心していた。この時点で、将来ハリーを騎士団に入れる事が条件になっていたそうだ。ただこの約束自体、当時を知る者のない状態では無視していいものだったが。
ゼロスの気持ちも沈んでいく。ゼロスはハリーのとぼけた様子や、どこか戯けた明るさしか知らない。時々見せる真剣な目も知ってはいるが、悲しみや苦しみは見た事がない。これほど、辛い思いをしていたはずなのに。
見せなかったのだろうか。それとも、既にこの記憶は薄れていたのか。持ち前の明るさだったのか、無理だったのか。
「ゼロス」
名を呼ばれ、顔を上げる。その頭を不意に撫でられて睨み付けた。子供のような扱いに反発があった。
「今は感情に飲まれるな。助けたいんだろ?」
「……俺は友をちゃんと知らなかったのだと思えば、情けない気持ちになっただけです」
「そんな事はない。お前の知っているハリーが、あいつの見せたかったハリーだ。お前だって、素顔を隠して接しているだろ。それと同じだ。人は全てを晒して生きているわけじゃない」
「だから、知っている顔を信じろ」と言われてしまい、ゼロスは飲み込む。確かに、ゼロスも口の悪さや性格の悪さを誰にでも見せたいわけじゃない。思わず素が出る事もあるが、常にそうではないし相手も選んでいる。
ハリーも、そうだろうか。知っている姿だけを、追ってやればいいのだろうか。
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