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第三十二章

ひどい女

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「へええ。騎士がねええ。護衛して連れてきてくれたの」
 四半刻近くもナディの話は続いた。アンジェラが合間合間に質問し、メイド達は黙って菓子を食べながら聞いてくれる。皆、興味津々に見えた。
「そうなんですよ。カーリャ様は本当に礼儀正しい立派な方で」
「でもナディは会って最初にその騎士の結婚の申し込みを断ったんでしょ?」
 アンジェラが不思議そうに首を捻る。
「それは……そうですけど」
「なのに三日も付き合って。親切に何の見返りもなく」
「まあ、その」
「さらになんの無礼も悪戯もなく」
「はあ……」
 アンジェラに真顔で聞かれるとナディも理不尽な話の様に思えてくる。ごく自然にカーリャと三日間過ごして二人で旅をして楽しかったのだが、あれって不自然だったのだろうか。
「そんな親切で下心のない男なんているのかしら?」
「……」
 親切だったし、下心なんか微塵も感じなかった。これって不自然なのかしらとナディも心配になってきた。
「ひょっとしてノーラみたいな姫騎士?」
「それは違います。立派な男の人です」
 これは自信を持って言える。だが即座にアンジェラがにんまりと笑った。
「ほうら、やっぱり。なんかされたんでしょう?」
 まあとブリッタとオクタビアも声をあげた。
「騎士が男とわかる様な事を」
「そ、そんな事はされていません!」
 思わずナディの声も大きくなる。同時にそう言う可能性もあったんだと初めて気づいた。
「じゃあなんで断言出来るのよ?」
「そ、それは」
 泉の水浴びを覗いたなんて言ってもいいのだろうか。ものすごく恥ずかしく感じる。
「自分をふった女にそこまで尽くすなんて、なんかやっぱり不自然よ?」
 アンジェラの追求はずけずけと続く。
「そ、そうかしら」
「普通、ふられた相手なんて顔も見たくないものよ」
 二回婚約者と別れたとされるアンジェラが言うとものすごく説得力がある。ブリッタとオクタビアも菓子を頬張りながらうんうんとうなずいている。
「そう……かも」
 ナディは急に不安になった。口には上手く出せない焦燥を感じる。あの騎士様が、あのカーリャ様がと胸がじんわりと痛い。
「ナディージュ様。一つよろしいでしょうか」
 ノーラが口を開いた。無表情の顔をナディに向けている。
「あら、ノーラ。ナディでいいわよ。そうじゃないとナディが恐縮するわ。もちろんブリッタとオクタビアもね」
 勝手にアンジェラが決める。ノーラは了解の意味なのか一度頭を下げてからまたナディを見る。
「ナディ様。カーリャ・リィフェルト卿へのご対応はわたしがさせていただきました」
 最初の先触れからの事だろう。
「その時を思い出して気づいたのですが、カーリャ殿はナディ様の文通相手が姫様だと知らされていましたか?」
 質問はわかった。問われた意味はまだわからなかった。
「えっと、お名前は伝えておりません」
 これには理由がある。最初に会った時からアンジェラが自分の事は他人には話さないように頼んでいたからだ。ずっと不思議だったが、侯爵家令嬢だとわかった今では理由あっての事だとわかる。
「では、ひょっとしてカーリャ殿はナディ様が会いにいくお相手が女性だとは知らないのでは?」
「……」
 性別の話もしていない。そもそも騎士様は相手の事を一切聞いてこなかった。不自然だったかも知れない。でもそれってどう言う意味だったのだろうか。
「どう言う事? ノーラ」
 固まってしまったナディに代わってアンジェラが質問する。
「カーリャ殿はナディ様が男に会う為にアルトバインに来たと勘違いされているのですよ?」
 え? とナディは目を見開く。
「最初に蝋印付きの手紙を渡されました。その時にカーリャ殿はぽろりと『ナディ殿の想い人』と漏らされたのですよ」
 その単語は何処かでナディも聞いた記憶があった。そも時は特にひっかからずに流してしまったが。
「えええ。じゃあ何? その騎士は自分をふった女がその女の恋人に会いにいく手助けをしたってことぉ?」
 アンジェラが大袈裟に呆れた。そうされるとナディもものすごく居心地が悪くなる。
「いや、そんな訳では」
「いや、その通りよ」
 アンジェラだけではない。ノーラが無言で首を横に振り、ブリッタとオクタビアは天を仰いでいる。
「ナディ。あなた、可愛い顔して相当にえぐい事をしたわね」
 アンジェラは加減をしない。
「で、ですから」
「自分に惚れた男の弱みにつけこんで、たっぷり利用した女って話になっているわ」
 露骨に指摘されてナディは絶句した。自分がこの三日間、あの騎士様にした事がそんなひどい仕打ちをしたなんて信じられない。だが事実だ。出会った最初に拒絶した相手にここまで連れてきてもらったと言う事を騎士様がそうとらえているであろう事は。
 つまり自分はあつかましい無神経なとても嫌な女だと、あのカーリャ様に……かたかたとナディの身体が震える。
「姫様。ナディ様に悪意があった訳ではありませんから」
 ノーラがとりなす。口許がほんの少しだけ微妙に弛んでいる。
「説明が足りなかっただけです。そしてカーリャ殿が確認もせずに早とちりしただけなのでしょう」
「う~~ん。でもそんな早とちりで三日間も旅のお供をしてくれる男っている? なんの悪意も見返りも無くよ?」
 疑わしそうなアンジェラ。この姫様は諸般の事情により男には厳しい。
「そこは騎士ですから」
 ノーラはきっぱりと言った。
「女性への誠意。弱者への労り。困った人への援助。どれも騎士の徳目である『奉仕』の精神ですわ」
「騎士はみんなそう言うけど、綺麗事のおためごかしでしょう? その通りに実行する騎士なんて見た事も聞いた事がないわ」
「ええ。わたしも人生で初めて拝見致しました。感動です」
 この無表情な姫騎士はひょっとして喜んでいるのかも知れない。
「ナディ様」
 そしてノーラはナディの顔を見つめた。
「あなたが成すべき事はわかりますね?」
「……」
 そう言われてもわからない。ナディは感じた事もない罪悪感と羞恥心混じりの後悔で血の気を失う程に動揺している。声も出ない。  
「カーリャ様に事情をお話しして、謝罪と感謝を申し上げるのですよ」
 無表情のノーラの声はたいそう優しかったが、ナディには遠くでしか聞こえなかった。
「まあそうね。それが筋よね」
 アンジェラが手を伸ばしてナディの頭をよしよしと撫でる。この文通相手の反応から色々悟ったらしい。『図書館の魔女』の噂はアルトバインまでも聞こえてきたけど、本の知識だけで実生活はまだまだ子供ねえとでも思っているのだろう。
「女としてとてもひどい事をしちゃったけど、そんないい男なら許してくれるわよ。きっと」
 わざわざ思い出させる処にちょっぴり悪意がこもっていたが。
「姫様。そのカーリャ殿をここにお招き致しましょう」
「いいわよ。そんな希少価値の男ならわたしも会ってみたいわ」
「わたしも同じ騎士として敬意を表したいですし」
 ずきずき胸が痛くて視界まで震えてきたナディには構わず、回りが勝手に話を進めていく。
「で、その騎士は今、何処にいるの?」
「ナディ様をここへ送り届けてからすぐに去られました。ですが、宿は聞いております。『海の門』亭です」
「あら、かなりお高めなとこね。お金持ちなのかしら」
「身なりは良かったです」
「じゃあそこへ使いを出してお招きしなさい」
「ブリッタに行ってもらいましょう。姫様のお客様ですから」
「いいわ。ブリッタ。お願いね」 
 すらすらと女達の間で話がまとまってしまった。固まっているナディの意思など確認もしない。賢明な判断だろう。
「あ、あの」
 だが急に思い出した事があった。
「ひょっとしたらその宿にはおられないかも知れません」
 確かここに来る途中でそんな話題をちょっとだけしていた。
「ああ、憂さ晴らしに酒屋とか女の店かしら?」
 アンジェラはちょっと意地悪である。
「カーリャ様はその様ないかがわしい店にはいきません!」
 ナディもちょっとむきになる。元気が出たようでもある。
「冗談よ。でも宿にいないって何処へ? ナディに心当たりでもあるの?」
「旧知の方がどうとかで『イガゴーの丘』へ行くとか何とか」

 このナディの一言でざわっと空気が変わった。

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