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第四十一章

出発

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 五日後――

「お世話になりました。皆さん」
 ナディはカーリャと旅立つ。良い天気の早朝だった。
「アンジェラにもくれぐれもよろしく」
 予定より二日遅れたのは、先日の決闘騒ぎの後始末が長引いたせいだ。こちらが被害者とは言え、二十人以上の死傷が出ているし、そもそも無許可である。領主である侯爵家がカーリャについていなかったら最悪牢獄にぶちこまれていたであろう。
「ようございました」
 城市の外れまでノーラとメイド二人が見送りに来てくれた。それぞれメイド姿のままで腰には剣を吊るしている。さらにブリッタは槍を、オクタビアは大槌矛まで携えていた。護衛のつもりだろう。彼女らの存在はアルトバインではよく知られているらしく、ここまでですれ違った住民も役人も、ぎょっと驚いてはいたが、誰も何も言ってこなかった。
「聖友堂騎士団との話はつきましたので。カーリャ殿も今後は気兼ねなく旅が出来るでしょう」
 ノーラが淡々と言う。相変わらずに無表情だが、ここ数日の付き合いでナディもカーリャもこの姫騎士の微妙な声音の違いがわかる様になっていたので不快には思わない。
「ありがとうございます」
 カーリャが深々と礼をする。顔にはいつもの布は無く、その少女の様な美貌を惜し気もなく晒していた。もう隠さねばならない危険はなくなったはずなのだから。
「姫様の元・婚約者がたいそう働いてくれたそうです」 
 ノーラの言う通りである。ナディはほんの一刻前にアンジェラ本人からそう自慢されていた。その人とはかって婚約破棄した関係なのに、今は悪い関係でもないらしい。
 ちなみにアンジェラとは城で別れた。ナディには気さくな年上の親友でも、ここアルトバインでは侯爵家の姫様であるから勝手気ままに動き回るのは難しいのである。
「それでも万々が一と言う事はあり得ますので、カーリャ殿。道中も今後もお気をつけ下さい」
「はい。これでも騎士のはしくれですから。お任せ下さい」
 カーリャが力強く言う。なんか自分を守ってくれる宣言の様にも聞こえてナディはすごく恥ずかしい。
「あと先日申しました様に、わたしは二人目でも構いませんから、考えておいて下さい。カーリャ殿」
 ノーラがカーリャを真っ直ぐに見てそう言った。ナディの右頬がぴくりと動く。今のはどう言う意味かしら?
「あはは。いや、まあ、わたしはその」
 苦笑するカーリャ。笑うべき事だろうか。なんだろうか。騎士の間だけにわかる諧謔とか何とかか。
「傍らに知勇を揃えるのもよろしいでしょう?」
 なのにノーラの無表情が真顔で言っている様にしか見えないのも困ったものである。
「さらにわたしとブリッタとオクタビアは義姉妹ですから、御希望なら三人一緒に」
 ノーラの台詞に長身の戦乙女と大柄な剣闘士は恥ずかしそうに頬を染め、視線をずらす。その初々しい可憐な所作がナディの不安を増大させた。
「もちろん二人も喜んで。これで戦力だけでなく、メイドに医師と料理人も込みで実にお得な――」 
「の、ノーラさん?」
 ナディが二人の間に割って入った。カーリャの右腕に両手でしがみつく。
「それって、ど、どう言う冗談なのでしょう?」
 カーリャとの事はアンジェラにも説明してある。これから二人でカーリャの故郷に行って、そこでこれからの事を、とアンジェラがきゃあきゃあ騒いでいた隣にこの美人のメイド長もいたではないか。
「もちろん冗談ですよ。ナディ様」
 なのに無表情な姫騎士は人形の様に感情を込めない声で言った。
「そうですよね? 冗談ですよね?」
 心持ちカーリャの腕を引っ張りながらナディが返す。ちょっと声が震えている。ひょっとしたら人生初の修羅場なのかも知れない。
「はい。大事なお話はすでに夜に済ませておりますから」
「ノーラさぁんっ!」


 姫騎士と戦乙女と剣闘士と言う、存在が派手なメイド三人に見送られてナディとカーリャはアルトバインの市街から出た。これから街道を東に向かう。カーリャの領地のあるブレイブまで順調にいって五日と言うところだろう。
「ぷうぅ」
 いつもの様に黒馬に騎乗しているナディはむくれていた。理由ははっきりし過ぎている。
「ナディ殿」
 轡を取りながら馬と並んで歩いているカーリャの声が苦笑していた。
「機嫌を直して下さい」 
「カーリャ様が悪いのです!」
 きっぱり言ってやった。この騎士様はわたしにあんな告白とあんな……をしたのに、そのわたしの目の前でメイド三人とイチャイチャと。
「ノーラ殿の事なら冗談ですよ。ひっかかっちゃ駄目です」
「でも真剣そうでしたけど?」
「ノーラ殿はいつでも表情を崩しませんから、いつもそう見えるんですよ」
「ブリッタさんとオクタビアさんもですかあ?」
 とかくナディは記憶力が良いから言い合いでは手強い。カーリャも将来の日々がこれで想像出来ただろう。
「一夫多妻なんてわたしは認めませんからね」
「もちろん。わたしが娶りたいのはナディ殿だけですから」
 さらりとカーリャが言った。う、とナディが顔を赤くする。こう言う処は未経験なだけに脆い。たったこれだけなのに、もう文句も忘れて急にもじもじし始めた。
「ほ、本当ですか?」
「わたしはナディ殿に嘘はつきませんよ」
 この恥ずかしい状況で堂々と胸を張って言い切るのだから、カーリャも大物なのかも知れない。決して女慣れはしていないようだが、その分、真っ正面から突撃である。
「……」
 ほら、ナディが真っ赤な顔で鞍の上で小さく悶えている。改めてこの騎士と自分は――と考えただけでこの有り様だ。ある意味でお似合いの二人かも知れなかった。
「か、カーリャ様は馬には乗られないのですか?」
 恥ずかしさのあまりにナディは無理矢理話題を変えた。それがわかっているのか、カーリャも素直に話についてくる。
「まだナディ殿の馬術が不安ですから」
「わたし、だいぶ練習しましたよ」
「こっちの街道は整地が甘いですから。用心もあります」
 もう一頭の白馬には二人の荷物が積まれ、さらにラージャがどっかりと乗っている。
「もっと郊外に出て回りに人がいなくなったら練習がてら二人で乗りますか?」
「は、はい」
 それはつまり、この鞍にカーリャと前後に身を寄せあって、いっそ重なる様にして、吐息も、熱さも、カーリャの身体も感じて……きゃああぁぁぁっ とナディはもう胸をどきどきさせていた。
「か、カーリャ様の御領地までいかほどでしょうか」
 自分のやましい考えを誤魔化す様にまたナディが話を変える。
「順調にいって五日くらいでしょうか。道のりの半分以上は従騎士の頃に何度も行き来していますからご安心下さい」
「……宿はどのように?」
 アルトバインではカーリャは怪我人で、同じ部屋で看病していたけど、今日からは元気なカーリャ様と一緒で、つまり――はしたないナディの妄想が止まらない。
「街道筋に幾つか宿場町があります。まあ野宿はしないでいいかと」
 でもまた外で、星空の下と言うのもいいわねえとナディはもじもじする。王立図書館には男女を扱った叙情詩や求愛詩、恋愛譚などもこっそりごっそりあるが、ああ、あれをもっと読んでおけばよかったと身悶えしそうなくらいに思う。
 ――まだ半分くらいしか読んでいないの。わたしったら
「そしてブレイブに着いたら父に紹介します。それから領民や教会や、町の取引先にも。ああ、わたしの騎士の師匠の処にもお連れしましょう」
 紹介? なんて言われるのだろう。結婚相手? 妻? こんなわたしでも誉めてキスしてくれるカーリャ様ですもの。きっと素敵な笑顔で、きっとわたしを――後ろの白馬の上のラージャが何か言いたげな目になったくらいにナディは鞍の上で身体を歓喜に揺らしている。
「で、でもわたしのこの痣は……」
「ナディ殿は全てが美しく聡明で気高いとわたしは思っています」
 ナディのいつもの不安にも、カーリャは間髪も入れずに言い切った。嬉しくてナディはちょっと涙目になる。そう。そうよ。このお方がいるのだから、このお方の為にも、もうわたしはいじける事を止めよう……
「だからずっとわたしの傍にいて下さい。ナディ殿」
 なんの臆面もなく、なんのてらいもなく言う。女への手練手管ではなく、純粋に本気で言っている。とんちんかんかも知れないが、邪気は全くない。
「え、ええ……ふつつかものですが」
 街道の平凡な光景の中で、いきなりナディは空にまで浮きそうになる。たったこれだけで? と向こうでラージャが呆れているのにも気づかない。
「まあ、結婚式はだいぶ先になりますが」
 さらりとカーリャが言った。
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