奥様は安倍晴明

天羽ヒフミ

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第三十二話

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「で、俺からはコレ」

史郎は小さな一枚の一つ折りにされた白い紙を晴明に手渡した。
晴明は訝しみながらなんだろうと紙を広げる。
そこにはカタカナでこう書かれていた。

「マガツノミコト――?ってコレ……史郎!!!!」

口に出してその文字を読んでしまったことで自分のしでかしたことを晴明は思い知らされた。
史郎の魂を自分自身が完全に縛ったことに気がついたからだ。
それは神様から与えられる魂に付けられた名前だった。
生涯を共にする人にしか伝えてはいけない大切な名前。
その名を口にすればその人物の魂を縛ることになるもの。
縁も運命も命さえ全て口にした人のものになるのだ。
つまり、命よりも重い名前だった。
それを晴明にプレゼントとして史郎は渡したのだ。

「――嬉しい。ようやくお前に縛られた。俺もお前からプレゼント貰っちゃったな」

頬を染めて嬉しそうに史郎は言う。
晴明は何か解く術式はなかったかと頭をフル回転させた。
絶対にプレゼントにしちゃいけないもののひとつだと彼女はよくわかっているからだ。
必死で晴明は脳内を探る。
そんな彼女の様子とは反対に穏やかな様子で史郎は見つめて言った。

「この縛りを解く術式は存在しねぇよ。葛の葉姫がそう言ってた」
「母上……あの人……余計なことを」
「ちなみにお前さんの母親は俺なら結婚しても良いって言ってくれた」
「マジか」

葛の葉姫が解く術式がないと言うのならそれは本当のことなのだろう。
晴明より長い年月を生きている妖狐の神様だ。
それに葛の葉姫は晴明に陰陽道を教えた張本人。言わば師匠である。
だからこそ晴明は史郎の言葉を信じる他なかった。

「晴明。俺との約束、覚えてるよな?」
「……」

史郎の言う約束がなんのことなのか、いくら恋愛に鈍い晴明でも分かっていた。
知り合って数年もの間、何度も何度も言われた続けた言葉だからだ。
『晴明が十六歳になっても好きでいるなら婚姻を承諾することを考える』――何年もかけて史郎が晴明に取り付けた約束だった。
史郎は晴明の手を取って真っ直ぐ見つめる。蒼い瞳は燃え盛るように熱かった。

「誰よりも愛してる。だから俺の奥さんになってください。――一生幸せにする」

蕩けてしまうような甘く熱を持った言葉だった。
晴明は史郎の視線と言葉をどう受け止めればいいのか分からなかった。
自分の魂の名前を読ませるほど愛される理由が分からないのだ。
確かに晴明は幼い頃に史郎のことを助けた。
それがきっかけだと史郎は言っていたが彼女にとっては大したことではなかった。
だから、史郎の気持ち晴明にはよくわからない。

「咲は今日俺がプロポーズしたいって言ったら一緒に行くのを遠慮してくれたんだ」
「……そうなの」

(……史郎が嘘をつく奴じゃないってわかってる。でも私は――)

平安時代、散々男たちが半妖を差別していた言葉を思い出す。
現代だったら国が動くレベルで差別が酷かったものだ。
この時の晴明はどうしてなのかわからないが、史郎の言葉を聞いてかつての記憶が蘇っていた。
当時はまだ傷ついていたことすら気がついていなかった。

「一生お前の隣に居る権利が欲しいんだ。お前を守りたい。……まだ時間は必要か?」
「……本当に私でいいの?私、史郎のことまだ恋愛対象とは見てないよ?」
「それでもいい。俺は晴明が他のあやかしや人間に嫁ぐ可能性を完全に潰したい」
「……後悔しない?」
「何度も慎重に考えた。俺は晴明を妻にしたい。後悔なんてあるわけがない」

握りめている史郎の手は少し汗ばんでいる。
緊張しているのかなと冷静に晴明は考えていた。

(仕方ない。もう折れてあげるか……)

「わかったよ。これからよろしくね。旦那様」

晴明は手を握り返して花が咲き誇るような笑顔でそう言った。
その笑顔を見た史郎は心の底からホッとしたような表情をする。

――やっと折れてくれた。俺の奥さんになってくれるって言ってくれた。

長い片想いがほんの少し報われた瞬間だった。




それからはというものの二人は結婚の準備と結婚後の生活を整えることで忙しかった。
総大将が安倍晴明と結婚することをあやかし達に知らせると盛大に祝うことが決まった。
婚礼衣装の準備、新居の準備、儀式の確認、招待客の案内……やることは沢山だった。

そんな忙しない日々を送りつつ結婚式数日前。
晴明は十年間お世話になった児童養護施設を新居が完成した為に出ることとなった。
沢山の思い出が詰まった場所を離れるのは少し寂しく思えた。

「晴ちゃん。結婚式に私を呼んでくれてありがとう。……離れるのは正直寂しいけど、私は誰よりも貴女の幸せを願ってる」
「ありがとう。雫姉ちゃんも結婚式には呼んでね。私も貴女の幸せを1番に願ってるよ」
「もう、気が早いよ」
「ふふっ。……またね、雫姉ちゃん」
「うん。またね」

晴明は小さく手を振りながら荷物を持って施設を出て行く。
外には史郎が待っており、晴明の荷物を軽々と取り上げた。

「重いから良いよ」
「恋人の荷物くらい持たせてくれよ」

そう言って史郎は譲らなかった。
隣を歩く晴明は一気に手ぶらになってしまい、少し落ち着かなかった。
そんな彼女に史郎は尋ねる。

「施設を離れるのは寂しいか?」
「……どうだろ。あまりそんなことを考えたことはなかったな。だって、また会えるからさ」

晴明は微笑んでそう答えた。
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