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番外編
第五章-番外編:君の隣にいることを中編-
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――この子は凡人だ。
最初に失望させたのは、六歳の冬だった。
親戚一同が集まった正月行事で、侑李は始めて父親から札の使い方を教わった。意識を集中して紙で出来た鳥を空に飛ばすという簡単な術だ。
「見てなさい。こうやるんだ」
父親が懐から一枚の札を取り出すと、軽く念じただけでみるみる白い鳥へと変化し、淡い琥珀色の光を放ちながら侑李の周りを飛び回った。カラスくらいの大きさの白い鳥は優雅で美しい。
「わあ、きれい」
父親がフッと軽く息を吹きかけると、元の白い札へと戻った。はらりと膝の上に落ちたそれは、やがて琥珀色の光の粒となって消滅する。
新たな札を取り出し、侑李の手に渡すと父親は柔らかい笑みを浮かべた。
「お前もやってごらんなさい。頭の中で鳥の姿をイメージして“飛べ”と念じるだけでいい」
「はい、父さん!」
自分と同じように、親戚の子供たちも親から術を教わって次々と紙の鳥を飛ばしている。
「頭の中で“飛べ”と命令する……」
言われたとおり、侑李は一枚の札を手にして念じた。
「あれ……?」
飛べ、と何度念じても札は鳥へ姿を変えない。それどころか光すら発しなかった。
「なんで? どうして?」
焦る侑李は何度も心の中で“飛べ”と叫んだ。
(飛べ、飛べ、飛べ! なんでだよ、飛べってば!)
呼吸が荒くなり、視界がぐるぐると回る。
「…………」
隣にいる父親の表情が険しくなっていくのを気配で察した。それが余計に侑李を焦らせ、集中力は乱れる。
「侑李くん、どうしたのかしら?」
「もしかして、霊力がない?」
「まさか……。朱遠さんの息子さんよ? 母親の杠葉さんだって、神官一族の血を引いてらっしゃるのに、霊力がないなんてあり得ないわ」
周囲の囁く声に、侑李は頭の中がぐちゃぐちゃになっていく。
「あ……ああ……」
早く札から鳥へ変身させないといけないのに、札は全く反応しない。どうしたらいいのか。どうすればこの状況を変えられるのか。
なにより――。
「はあ……」
「――っ」
父親のため息が聞こえた。侑李は息が詰まり、身を震わせる。
「飛べよ!」
何でもいいから、成功してほしくて半泣きで叫んだ。
すると、侑李の札は黄色の光の発して鳥の姿へと変化する。
「やった! ……え?」
――パタパタ……。
父親のような大きさの鳥ではなく、もっと小さい――スズメくらいの小鳥だ。他の子供たちは、もっと大きな鳥だったのに自分だけ弱々しい姿だったので、侑李は顔を真っ赤にさせて震えていた。
「まあ、可愛らしい」
「小っちゃなスズメね」
「初めてだもの。あのくらいでもいいんじゃない?」
侑李の生み出した小鳥を見て、くすくすと笑う声がする。
「う……っ……」
恥ずかしい――とボロボロと涙の雫を零し、俯く。今すぐ消えてしまいたい衝動に駆られた。
「この子は凡人だ」
「――っ!」
そして、父親の言葉が深く胸に突き刺さる。
「ごめんなさ……」
「…………」
顔を上げ、謝る侑李を一瞥するだけで、父親は祖父の元へ向かうと頭を下げた。
「お見苦しい所を、申し訳ございません」
「良い。まだ霊力を満足に操れないだけだろう。お前の息子だ。いずれ才能を開花させるはずだ」
「だといいのですが……」
霊力も高く、上層部にも名を連ねる由緒正しい高千穂一族の血を引いておきながら侑李の能力は、あまりにも平凡だった。
× × ×
審議官として上層部に名を連ねる高千穂朱遠、神官一族の出である杠葉を母に持つ一人息子・侑李は、生まれながらに恵まれていた。特殊能力者が畏怖の対象になる世の中で裕福な暮らし、日々の食事にも眠る場所に困らないどころか豪邸で育った。
「ミャウ」
「ニャーン」
「ニャア」
三匹の猫は血統書つきのミヌエットで、手入れが行き届いた美しい毛並みをしていた。
「アンジュ、ルナ、アル」
侑李が名前を呼ぶと、猫たちは尻尾をピンと立てて擦りよってくる。一人っ子の侑李にとって、この子たちは兄弟のように共に育った。家を出るまでは――。
「ふふっ、元気そうだな」
久しぶりに実家に顔を出したが、侑李のことを覚えていてくれたのは素直に嬉しい。猫たちの頭を撫でながら、侑李は思わず笑みが零れた。
「今年の正月も顔を出さなかったのに、どういう風の吹き回しだ?」
リビングのソファーに腰を下ろし、タブレットに視線を注いだまま朱遠は侑李に話しかけた。
休日のある日の昼下がり。久しぶりに実家に戻ってきた息子を笑顔で出迎え、リビングでくつろぐ家族の仲睦まじい様子とはほど遠い緊迫した空気が漂っている。
「……お久しぶりです。父さん」
猫たちから視線を移し、背筋を伸ばす。振り返らない父親の背中を見つめ、侑李はゴクリと唾を飲み込んだ。
父親と会話をする時は、いつも緊張してしまう。喉がヒリついてうまく喋れない。何度も失望させてきたからだろうか。ため息を、眉間に深い皺が刻まれるのを、侑李が何かする度に目を伏せるのを見るのが辛かった。
手を挙げたりなどの暴力を振るわれたことは一度もない。ただ“期待外れだと失望した表情を見せる”だけである。それが子供ながらに深く傷ついた。
「あなた、侑李。久しぶりに家族三人が揃ったのですから、こっちでお茶を飲みながら話しましょう。ちょうど婦人会でいただいた美味しいクッキーがあるの」
「あ、用事が済んだら、すぐに出るから気にしないで」
「そんな悲しいことを言わないで。左目だって怪我してるじゃない。しばらく家で療養した方がいいわ」
「これは……。見た目ほど大した傷じゃないから」
苦笑を漏らし、侑李は眼帯に触れる。
「先の外国人墓地での戦闘で傷を負ったそうだな。それも『破壊者』ではなく、悪霊に取り憑かれた仲間に傷つけられたとか」
「……はい」
朱遠はタブレットから視線を離すと、ゆったりとした動作でソファーから立ち上がった。ようやく侑李の顔を見ると、眉間に深い皺を刻む。
「もっと上手く立ち回れないのか。仮にも狙撃手だろう。目をやられてどうする」
「申し訳ありません……」
「何度も言っているが、お前に狙撃手は無理だ」
「そんなことありません」
ムッとして侑李は反論するが、朱遠は真っ直ぐ見据えたまま言葉を続ける。
「お前も入隊して五年だ。充分、実戦経験を積んだと言える。むしろ、お前がいることで部隊の足を引っ張ることになりかねん。何故なら、お前の能力は平凡で、特別優れたものなど持ち合わせていないのだから」
「そんなこと百も承知です!」
淡々と告げられる事実を、侑李自身が一番理解している。
「だからって、父さんの言う通りに本部付きになった所で変わらないじゃないか。むしろ役立たずのままだ! そんなの……僕は嫌だ。自分の力で、ひとりでも出来るんだって証明したい!」
「お前には無理だ」
「……っ」
ヒュッと喉が鳴った。
「勝手に決めつけるな! 僕は……父さんの人形じゃない! 僕は僕だ!」
「侑李、落ち着いて……」
見かねて杠葉が口を挟むが、侑李は無視して叫び続ける。
「親の七光りだと揶揄されるままじゃダメなんだよ! 僕は自分の力で上を目指す! 功績を挙げれば周りの見る目も変わる。現に、僕はどの部隊よりも『破壊者』に近い場所にいる。宗像隊長のもとにいれば、いずれ奴らと再び対峙する時がくるんだ! そうすれば、父さんだって鼻が高いだろ……」
「自惚れるな!」
朱遠は声を荒げた。力を込めているのか、タブレットを持つ手が震えている。
「七つの大罪に、お前ごときが敵うはずもない。凡人のお前が満足に札も操れず、銃の成績も平凡でしかないお前が、だ!」
沈着冷静で有名な朱遠が、ここまで声を大にするのは非常に珍しい。もし、この場に同僚や部下がいたら目を大きく開き、ぽかんと口を開けていただろう。
「!!」
侑李も家を飛び出した時以来だったので身をすくませた。
「私に会いに来たのも、部隊にいる後方支援・美華の除隊を撤回するよう頼みにきたのだろう」
「それは……」
グッと言葉を飲み込んだ侑李に朱遠は目を細める。
「お前は矛盾している。私を否定しておきながら、私に救いを求めるのだからな。都合のいいことだけ利用しようとするのは虫が良すぎるぞ」
「違う。僕は……」
「どう違う? それ以外に何がある?」
朱遠は持っていたタブレットの画面を侑李の方へ向けた。
「報告書は既に届いている。明日、美華の件は審議に入るだろう。一度にならず、二度までも憑依され、部隊に被害を与えたのだ。相応の処罰は下る」
「――っ!」
侑李は一歩足を踏み出した。何か言おうと唇を動かすも、音になって発することができない。
「次は『数字なし』だけで済まないかもな」
「あ……」
「で、お前は彼女をどうしたい? 除隊を止めさせたいから、私に頭を下げに来たのではないのか?」
「…………」
苦渋に満ちた表情で、侑李は朱遠から視線を逸らした。
逆らえない――。
圧倒的なプレッシャーに押し潰されそうになる。
――ピンポーン。
不意にインターホンが鳴った。緊迫した空気に水を差すような機械音に、杠葉は急いでカメラのモニターを確認する。
「はい、どちらさまですか?」
『突然の訪問、失礼します。宗像です』
「まあ、宗像さん!?」
「宗像隊長!?」
侑李も予想外の訪問者に目を瞠る。
「……案内なさい」
朱遠も深いため息をついた後、いつもの落ち着いた声音で促した。
「は、はい」
パタパタと玄関へ向かった杠葉を見送り、朱遠は侑李を一瞥するとテーブル席へ移動した。遅れて侑李もかつて自分が座っていた席に腰を下ろす。
(何故、隊長が家に?)
困惑した表情を浮かべながら、政宗が姿を見せるのを待った。
× × ×
「いやぁ、アポもなしに申し訳ありません。あ、これつまらないものですが高千穂審議官がお好きだと聞いたもので、どうぞ」
「まあ、最中ですね。ここの主人が好物だって、よくご存知で」
「御託はいい。さっさと本題に入ったらどうだ?」
手土産を渡している政宗に向かって朱遠が冷めた声で言うと、へらへら笑っていた表情から真顔に変化した。背筋を伸ばし、敬礼をしてから政宗は口を開く。
「美華の件で話があります」
「だろうな。うちの息子と同じで、君も除隊を撤回してほしいと頼みにきたか」
「話が早くて助かります。……と、その前に侑李はあなたの息子ですが、私の部下でもあります。今回の単独行動は後ほど厳重注意するので、どうかご容赦を」
フッと笑い、政宗は侑李に視線を移した。
「宗像隊長、あの……」
「後は任せろ」
短くそう言うと、席に腰を下ろした。侑李の隣の席で、朱遠とは向かい合う形になる。
「どうぞ……」
「あ、どうも。お構いなく」
政宗の手土産に合わせて緑茶が用意される。小皿に載せられた最中を、侑李と杠葉の膝に乗ってきた猫たちがスンスンと鼻を鳴らしながら匂いを確かめていた。
「あ、こら」
「ダメよ、あなたたちは」
「猫のおやつも用意すれば良かったな」
和やかな空気になろうとしていたが、鋭い眼差しを注ぐ朱遠に気づき、政宗も表情を引き締める。
「私の一存で、美華の除隊が撤回できると思うのか?」
「できます」
「ほう……」
真意を探るように、朱遠は政宗を真っ直ぐ見つめる。
「理由を聞かせてもらおうか」
「二年前、美華に憑依していた悪魔を浄化し、救出したのが他でもない高千穂審議官――あなただからです」
「えっ!?」
「…………」
初耳だったので、侑李は朱遠と政宗を交互に見やる。
「本来、あの時点で美華は除隊させられていたでしょう。場合によっては、仲間殺しで刑務所に送られていた可能性もある」
「そんな……!」
チラリと侑李を横目で見てから、朱遠へ視線を戻す。
「しかし、美華は『数字なし』となっただけで済んだ。当時の事件は上層部が内々に処理したとありますが、そうしたのは高千穂審議官、あなたですよね?」
「…………」
朱遠は答えない。黙って政宗の言葉に耳を傾けている。
(二年前の事件現場に父さんがいたなんて初めて聞いたぞ。しかも美華を助けた本人って、どういうことだ?)
侑李は動揺を隠せなかった。問い詰めたいのを堪え、ふたりの会話を聞き漏らすまいと必死だ。
「美華が所属していた部隊の隊長は、選民思想の持ち主でした。スラム出身で、女性である彼女を入隊当初から軽んじていた。優れた能力者であったとしても悪魔に殺されても構わないと、かなり無茶な命令を下していたのを、あなたは知っていましたね」
「……ああ。当時も各部隊の視察という名目で、彼女の所属する部隊を訪ねる予定だった。まさか、あそこまで稚拙だとは思わなかったがな」
当時を思い出しているのか、朱遠は眉間に深い皺を刻み嘆息した。
「TJ部隊に所属している者の多くは、神社関係者や聖域を守護する神官一族、そして陰陽師だ。その他、一般家庭でクラフトに目覚めた才能ある者。後者の数は少ない」
「ええ。ですが、時に家柄や血の濃さに関係なく優れた能力者もいます。うちの部隊がいい例かと」
にっこり笑顔で答える政宗に、朱遠は片眉をあげた。
「リーダーの神条輝斗、元狙撃手で現在諜報の東幸弘。実動隊の増田威、桜庭羽鳥、そして美華か」
「はい、みんな優秀ですよ」
「わざと集めたの間違いじゃないか?」
「さあ、どうでしょう」
曖昧に答える政宗に、朱遠は射貫くような視線を注ぐ。
「君が本部でなんと呼ばれているか知っているか? “貧乏くじ”だ」
「光栄ですね」
さらっと答える政宗に、今度はため息をついた。
「はあ……。神条輝斗と東幸弘は八年前の候補生の時に起きた悪魔の件。これは白瀬聖――『破壊者』に繋がる大事件だ。そして御堂忍、彼もまた他都市から引き抜いてきた時は、何を考えているのかと呆れたものだが……」
「輝斗とバディを組んで上手くやっていますよ」
(どうだろう……)
侑李は心の中で呟いた。無鉄砲な輝斗に忍がいつも怒っているので、バディとして良い関係を築いているとは言い難い。
「あまりに強力すぎる故に、誰とも組ませることが困難とされていた草薙千景を迎え入れた件でも揉めたな」
「本人が上層部入りを拒んだので、だったらうちに来ないかと誘ったまでです」
(そうだったんだ)
確かに全部隊の中で千景の右に出る者はいない。本部も喉から手が出るほどほしい逸材だろう。千景自身は出世欲が皆無なので今の立場に満足しているようだが、入隊当時は大騒ぎになったのは容易に想像できる。
「更に美華を引き取ると言い出した時も、物好きも大概にしろと言ったはずだ」
「覚えておりますとも。彼女がうちに来てくれたおかげで、華やかになりました」
「うちの息子も受け入れると言い出した時も、君は笑っていたな」
「はい」
「何故、本部の意向に逆らう? 己の立場を危うくしてまで、何を求めるんだ?」
政宗の行動は出世街道から外れることばかりだ。己の立場を危うくするばかりで、自己犠牲にしか映らない。
「しいて上げるとすれば“希望”でしょうか」
「なんだと?」
「人種、家柄、性別に関係なく、志を同じくする者が一丸となって悪魔を殲滅する。私は若者たちに希望を、夢を抱いているのです」
澄んだ眼差しで政宗は答える。
「本部付きの者は家柄と血筋重視で固まっていますが、実際悪魔と対峙してどれだけ戦えますか? 優れた能力者は何人いますか? 血が薄まり、満足にクラフトを操れる者は少ないと……誰よりも高千穂審議官、あなたが危機感を抱いていますよね」
「…………」
表情こそ変わらないが、朱遠は政宗の質問に答えない。そして、隣で聞いていた侑李自身も耳が痛い話だった。
(僕がいい例だ。父さんのような優れた能力者じゃない。どんなに家柄が良くても、血が尊ばれても……僕は東さんみたいな優れた狙撃手になれない)
「もちろん、実力主義が良いとも限りません。ただ、消すには惜しい人材なのです。才能ある者、努力する者をきちんと評価する組織であってほしいと、私は願っています」
ということで、と政宗は笑みを深めた。
「美華の才能を高く評価しているあなたならば、今回も見逃してくれるのではと期待しているわけです」
「そんな軽いノリが通じるほど父は甘くないですよ……」
さすがに無理があるのではないか、と侑李はぽつりと呟いた。
「まったく……君は入隊当初から変わらんな」
呆れた眼差しを向けると、朱遠はテーブルの上に手を置き、人差し指でトン、と軽く叩いた。
「彼女は二度目の憑依だ。前線に立つことがより困難だろう。どこまで動けるか怪しいが……問題児ばかりの君の部隊だ。まして『破壊者』に最も接触率が高い。後方支援として治癒能力は役立つ」
「それじゃあ……!」
侑李の表情が明るくなる。しかし、朱遠は厳しい表情で言葉を続けた。
「いわば君の部隊はスケープゴートだ。犠牲が出たところで、奴らの情報を引き出すこと。あわよくば、始末させるのに体のいい駒にすぎない」
問題児が集まっているのは好都合で、利用するために生かされていると言っているようなものだ。
「……っ」
言葉を失っている侑李に視線を移すと、朱遠は低い声で言った。
「引き返すなら今のうちだぞ」
捨て駒として生きる道を選ぶというのか、と念を押している。
「僕は……宗像隊長のもとで功績をあげると誓いました。父さんの元に行くつもりはない」
それでも構わない――と侑李は決然とした眼差しで、はっきりと口にした。
「まったく……誰に似たのか」
「父親のあなたじゃないですか?」
軽い調子で政宗が口を挟むと、朱遠は不機嫌そうに眉を寄せた。
「君は口が減らないな」
「ふふっ」
黙って話を聞いていた杠葉も口元に手を当てて笑っている。
「明日の審議は何とか話をつけよう。勘違いするな。君の部隊に“利用価値がある”からだ」
「ありがとうございます」
「えっと……ありがとうございます」
政宗に続き、侑李も頭を下げた。
それから、政宗は席を立つと背もたれにかけていたコートを手に取った。
「捨て駒だと言いますが、私はそうは思いません。我ら悪魔狩りと悪魔の長年の戦いに大きな変化をもたらす波、または風ですね。運命とも呼べるものに、私の部下たちは引き寄せられた。その大きな歯車の中に、あなたも飛び込んでみたくありませんか?」
「私を巻き込むんじゃない。あくまで公正に判断するだけだ」
「そうですか……。いやはや、話が早く済んで良かったです。それでは、失礼いたします」
敬礼した後、政宗は退出した。
「そろそろ僕も行こうかな」
「あら、泊まっていけばいいじゃない」
「ううん。隊長にお礼も言いたいし、今なら追いつくから」
「侑李」
急いで帰り支度をしていると、朱遠が名前を呼んだ。
「本当にいいんだな?」
政宗の部隊に所属したままでいいのか、という確認だ。
「僕が選んだ道だから」
「……そうか」
それ以上、朱遠は何も言わなかった。
侑李は頭を下げ、玄関へ向かおうと身体の向きを変える。
「正月休みの時くらい、戻ってきなさい」
「……え?」
「親戚の集まりに顔を出さなくていい。せめて、家に戻るくらいはできるだろう。母さんが心配している」
視線はテーブルに向けられていたが、侑李を気遣う言葉だった。
「……はい」
再び頭を下げ、今度こそ侑李は家を後にした。
× × ×
家を飛び出してから、侑李は駆け足で政宗の後を追った。車で来ているはずだからと、家の近くのコインパーキングへ向かう。黒い車の運転席のドアを開けようとしている政宗を発見し、大声で名前を呼ぶ。
「宗像隊長!」
「ああ。侑李。見送りに来てくれたのか」
息を切らせながら近づく侑李に、政宗は笑いかける。
「いえ……僕も帰る所だったので」
「じゃあ、途中まで送ろう。乗りなさい」
「ありがとうございます。失礼します」
助手席のドアを開け、おずおずと中に入る。
「これから美華の見舞いに行くんだが、侑李はどうする?」
「あ、僕も美華の様子を見に行こうと思ってたので、一緒にいいですか?」
「じゃあ、向かう先は病院でいいな」
政宗の運転で美華が入院している病院へ向かう間、侑李は先ほど実家で話していたことを切り出していいのか考えていた。チラチラと横目で政宗の顔を窺う。
「色々聞きたいことがあるんじゃないか?」
「あ、えっと、その……はい」
しどろもどろになりながら頷くと、政宗は小さく笑った。
「父さんのこと……信頼しているんですね」
「まあな。上層部の中で数少ない話の分かる人だ」
そうなのだろうか、と侑李は小首を傾げる。公正明大な審議官として有名なのは知っているが、他の連中と同じく家柄と血を尊ぶのは変わりない。だからこそ、侑李が才能に恵まれていないと知ると、早々に本部付きの事務になった方がいいと進路を決めてきた。
勝手に決めないでほしいと憤り、口論の末に家を飛び出したので、侑李は政宗の言葉が信じられない。
「父親としては一人息子を心配するのは当然だ。わざわざ危険な道を歩かせたくなかったんだろう」
侑李の表情から何を考えているのか察した政宗は苦笑を漏らした。
「僕だって、もう子供じゃありません。自分の道は自分で決めます」
「それもまた正しいさ。子供は親の所有物じゃない。しかしだ。高千穂審議官は、お前のことを大切に想っている」
「どうでしょう……。僕は父を失望させてばかりです」
期待されるような結果を出せたことがない。学業でも、スポーツでも、クラフトでもため息をつかせてばかりだ。
「というか、お前は自分に自信がなさ過ぎる。もっと胸をはっていい」
「無理ですよ。僕は東さんのような優れた狙撃手じゃない。神条さんのように努力しても結果が伴わない。草薙さんのような能力者にもなれません。凡人が、どんなに頑張ったところで特別には敵いません」
「そうかな。お前にしかないものがあるのに」
「例えば何です?」
「ん? それはまあアレだ」
曖昧に答える政宗に胡乱な眼差しを向ける。
「やっぱりないじゃないですか」
「自分で気づけない間は、まだまだってことさ」
赤信号で車が停車すると、政宗は左手を伸ばしてきた。
「わっ!?」
侑李の頭に手を置き、くしゃりと軽くかき混ぜる。
「お前のそういう拗ねた顔は可愛いと思うよ。きっと審議官も同じ気持ちだろうな。いやぁ、若い若い。青春を大いに楽しんでほしいもんだ!」
「はあ……?」
よく分からない、と侑李は乱れた髪を手で整えながら首を傾げる。
揶揄われているだけかもしれないが、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。
(隊長は不思議な人だな。飄々としているのに、この人なら信じてもいいかもしれないって思わせてくれる)
きっと自分だけでなく、部隊に集った仲間たち全員が思っているはずだ。
(運命に引き寄せられた、と言っていたけど、僕からすれば隊長の下に僕たちが引き寄せられたんじゃないかな)
家柄や血を尊び、実力に見合わない者たちが牛耳る組織を変えたくて、今も政宗は奔走しているのだろう。
(だからって、僕が隊長の役に立てるとは思えないけど)
けれども、変わりたいと思った――。
親の敷いたレールではなく自分の足で歩きたいと思い、政宗の部隊に入ることを選んだ。
その決断は、自分自身で選択したことで誇りに思っている。
(ねえ、美華。君も僕と同じじゃないかな。隊長の下だったら、自分らしくいられるって思ったんだろ?)
窓の外の景色を見ながら、美華のことを考える。病院に着いたら何を話そう。部隊に留まっていられることは、政宗が伝えるはずだ。良かったね、と笑いかければいいだけだが、そのためだけに見舞いに来たのは格好がつかない。
「あの、隊長。一つお願いがあるんですが……」
「なんだ?」
前を向いたまま、政宗は返事をする。信号が青になり、車が走り出した。
「途中で、花屋に寄っていいですか?」
「構わんが……ああ、なるほどな」
ニヤリと口角を上げ、政宗はうんうんと頷く。
「そういう気遣いが出来る男、俺は嫌いじゃないぞ。応援している。頑張れ」
「深読みしないでください! 手ぶらなのが申し訳なかっただけですから!」
頬を赤く染め、侑李はぶっきらぼうに答える。
誤解をしているようだが、これ以上突っ込んだら墓穴を掘るような気がして黙ることにした。
むくれている侑李をチラリと見てから、政宗は話題を変えた。
「そういえば、高千穂審議官は最中が好きらしいが、さっきお前の前に置かれたのはクッキーだったな」
「はい」
母親が侑李の前に置いたのがクッキーだったことに気づいていたのか、と侑李は振り返りながら答える。
「僕、あんこ嫌いなんです」
「そうなのか?」
「なんかぼそっとしているっていうか……」
食感が苦手なのが半分。もう半分は父親の好物だから。
(……なんて言えないけど)
意識しすぎだと笑われる気がして、侑李は言葉を飲み込んだ。
どこまでも父親を意識してしまう時点で情けない自分なのだと分かっているが、吹っ切れるには勇気も実力も足りない。
変わりたいけど変われない。もどかしい想いを抱えているのを、政宗にはばれているだろう。
「やっぱり、お前は親御さんに愛されてるよ」
「だから違うって言ってるでしょう」
「はいはい」
誇らしい息子だと褒められたことは一度もない。
期待に応えられない凡人の子供。
――いつになったら、認めてもらえるのだろう。
まだ確かな自信を持てないが前へ進むことを諦めたら、それこそ自分が許せない。出来ることは何があるのか。どうすれば強くなれるのか。仲間の役に立てるのか……。
考えるほど暗い考えに支配されて沈んだ気持ちになってしまう。
(こんな気持ちのまま、美華に会うのは申し訳ないな。違うことを考えよう)
侑李は窓の外の景色に集中することにした。
花屋に寄って、病院に着いたら意識を切り替えよう。不安な気持ちを彼女に伝染させたくない。
最初に失望させたのは、六歳の冬だった。
親戚一同が集まった正月行事で、侑李は始めて父親から札の使い方を教わった。意識を集中して紙で出来た鳥を空に飛ばすという簡単な術だ。
「見てなさい。こうやるんだ」
父親が懐から一枚の札を取り出すと、軽く念じただけでみるみる白い鳥へと変化し、淡い琥珀色の光を放ちながら侑李の周りを飛び回った。カラスくらいの大きさの白い鳥は優雅で美しい。
「わあ、きれい」
父親がフッと軽く息を吹きかけると、元の白い札へと戻った。はらりと膝の上に落ちたそれは、やがて琥珀色の光の粒となって消滅する。
新たな札を取り出し、侑李の手に渡すと父親は柔らかい笑みを浮かべた。
「お前もやってごらんなさい。頭の中で鳥の姿をイメージして“飛べ”と念じるだけでいい」
「はい、父さん!」
自分と同じように、親戚の子供たちも親から術を教わって次々と紙の鳥を飛ばしている。
「頭の中で“飛べ”と命令する……」
言われたとおり、侑李は一枚の札を手にして念じた。
「あれ……?」
飛べ、と何度念じても札は鳥へ姿を変えない。それどころか光すら発しなかった。
「なんで? どうして?」
焦る侑李は何度も心の中で“飛べ”と叫んだ。
(飛べ、飛べ、飛べ! なんでだよ、飛べってば!)
呼吸が荒くなり、視界がぐるぐると回る。
「…………」
隣にいる父親の表情が険しくなっていくのを気配で察した。それが余計に侑李を焦らせ、集中力は乱れる。
「侑李くん、どうしたのかしら?」
「もしかして、霊力がない?」
「まさか……。朱遠さんの息子さんよ? 母親の杠葉さんだって、神官一族の血を引いてらっしゃるのに、霊力がないなんてあり得ないわ」
周囲の囁く声に、侑李は頭の中がぐちゃぐちゃになっていく。
「あ……ああ……」
早く札から鳥へ変身させないといけないのに、札は全く反応しない。どうしたらいいのか。どうすればこの状況を変えられるのか。
なにより――。
「はあ……」
「――っ」
父親のため息が聞こえた。侑李は息が詰まり、身を震わせる。
「飛べよ!」
何でもいいから、成功してほしくて半泣きで叫んだ。
すると、侑李の札は黄色の光の発して鳥の姿へと変化する。
「やった! ……え?」
――パタパタ……。
父親のような大きさの鳥ではなく、もっと小さい――スズメくらいの小鳥だ。他の子供たちは、もっと大きな鳥だったのに自分だけ弱々しい姿だったので、侑李は顔を真っ赤にさせて震えていた。
「まあ、可愛らしい」
「小っちゃなスズメね」
「初めてだもの。あのくらいでもいいんじゃない?」
侑李の生み出した小鳥を見て、くすくすと笑う声がする。
「う……っ……」
恥ずかしい――とボロボロと涙の雫を零し、俯く。今すぐ消えてしまいたい衝動に駆られた。
「この子は凡人だ」
「――っ!」
そして、父親の言葉が深く胸に突き刺さる。
「ごめんなさ……」
「…………」
顔を上げ、謝る侑李を一瞥するだけで、父親は祖父の元へ向かうと頭を下げた。
「お見苦しい所を、申し訳ございません」
「良い。まだ霊力を満足に操れないだけだろう。お前の息子だ。いずれ才能を開花させるはずだ」
「だといいのですが……」
霊力も高く、上層部にも名を連ねる由緒正しい高千穂一族の血を引いておきながら侑李の能力は、あまりにも平凡だった。
× × ×
審議官として上層部に名を連ねる高千穂朱遠、神官一族の出である杠葉を母に持つ一人息子・侑李は、生まれながらに恵まれていた。特殊能力者が畏怖の対象になる世の中で裕福な暮らし、日々の食事にも眠る場所に困らないどころか豪邸で育った。
「ミャウ」
「ニャーン」
「ニャア」
三匹の猫は血統書つきのミヌエットで、手入れが行き届いた美しい毛並みをしていた。
「アンジュ、ルナ、アル」
侑李が名前を呼ぶと、猫たちは尻尾をピンと立てて擦りよってくる。一人っ子の侑李にとって、この子たちは兄弟のように共に育った。家を出るまでは――。
「ふふっ、元気そうだな」
久しぶりに実家に顔を出したが、侑李のことを覚えていてくれたのは素直に嬉しい。猫たちの頭を撫でながら、侑李は思わず笑みが零れた。
「今年の正月も顔を出さなかったのに、どういう風の吹き回しだ?」
リビングのソファーに腰を下ろし、タブレットに視線を注いだまま朱遠は侑李に話しかけた。
休日のある日の昼下がり。久しぶりに実家に戻ってきた息子を笑顔で出迎え、リビングでくつろぐ家族の仲睦まじい様子とはほど遠い緊迫した空気が漂っている。
「……お久しぶりです。父さん」
猫たちから視線を移し、背筋を伸ばす。振り返らない父親の背中を見つめ、侑李はゴクリと唾を飲み込んだ。
父親と会話をする時は、いつも緊張してしまう。喉がヒリついてうまく喋れない。何度も失望させてきたからだろうか。ため息を、眉間に深い皺が刻まれるのを、侑李が何かする度に目を伏せるのを見るのが辛かった。
手を挙げたりなどの暴力を振るわれたことは一度もない。ただ“期待外れだと失望した表情を見せる”だけである。それが子供ながらに深く傷ついた。
「あなた、侑李。久しぶりに家族三人が揃ったのですから、こっちでお茶を飲みながら話しましょう。ちょうど婦人会でいただいた美味しいクッキーがあるの」
「あ、用事が済んだら、すぐに出るから気にしないで」
「そんな悲しいことを言わないで。左目だって怪我してるじゃない。しばらく家で療養した方がいいわ」
「これは……。見た目ほど大した傷じゃないから」
苦笑を漏らし、侑李は眼帯に触れる。
「先の外国人墓地での戦闘で傷を負ったそうだな。それも『破壊者』ではなく、悪霊に取り憑かれた仲間に傷つけられたとか」
「……はい」
朱遠はタブレットから視線を離すと、ゆったりとした動作でソファーから立ち上がった。ようやく侑李の顔を見ると、眉間に深い皺を刻む。
「もっと上手く立ち回れないのか。仮にも狙撃手だろう。目をやられてどうする」
「申し訳ありません……」
「何度も言っているが、お前に狙撃手は無理だ」
「そんなことありません」
ムッとして侑李は反論するが、朱遠は真っ直ぐ見据えたまま言葉を続ける。
「お前も入隊して五年だ。充分、実戦経験を積んだと言える。むしろ、お前がいることで部隊の足を引っ張ることになりかねん。何故なら、お前の能力は平凡で、特別優れたものなど持ち合わせていないのだから」
「そんなこと百も承知です!」
淡々と告げられる事実を、侑李自身が一番理解している。
「だからって、父さんの言う通りに本部付きになった所で変わらないじゃないか。むしろ役立たずのままだ! そんなの……僕は嫌だ。自分の力で、ひとりでも出来るんだって証明したい!」
「お前には無理だ」
「……っ」
ヒュッと喉が鳴った。
「勝手に決めつけるな! 僕は……父さんの人形じゃない! 僕は僕だ!」
「侑李、落ち着いて……」
見かねて杠葉が口を挟むが、侑李は無視して叫び続ける。
「親の七光りだと揶揄されるままじゃダメなんだよ! 僕は自分の力で上を目指す! 功績を挙げれば周りの見る目も変わる。現に、僕はどの部隊よりも『破壊者』に近い場所にいる。宗像隊長のもとにいれば、いずれ奴らと再び対峙する時がくるんだ! そうすれば、父さんだって鼻が高いだろ……」
「自惚れるな!」
朱遠は声を荒げた。力を込めているのか、タブレットを持つ手が震えている。
「七つの大罪に、お前ごときが敵うはずもない。凡人のお前が満足に札も操れず、銃の成績も平凡でしかないお前が、だ!」
沈着冷静で有名な朱遠が、ここまで声を大にするのは非常に珍しい。もし、この場に同僚や部下がいたら目を大きく開き、ぽかんと口を開けていただろう。
「!!」
侑李も家を飛び出した時以来だったので身をすくませた。
「私に会いに来たのも、部隊にいる後方支援・美華の除隊を撤回するよう頼みにきたのだろう」
「それは……」
グッと言葉を飲み込んだ侑李に朱遠は目を細める。
「お前は矛盾している。私を否定しておきながら、私に救いを求めるのだからな。都合のいいことだけ利用しようとするのは虫が良すぎるぞ」
「違う。僕は……」
「どう違う? それ以外に何がある?」
朱遠は持っていたタブレットの画面を侑李の方へ向けた。
「報告書は既に届いている。明日、美華の件は審議に入るだろう。一度にならず、二度までも憑依され、部隊に被害を与えたのだ。相応の処罰は下る」
「――っ!」
侑李は一歩足を踏み出した。何か言おうと唇を動かすも、音になって発することができない。
「次は『数字なし』だけで済まないかもな」
「あ……」
「で、お前は彼女をどうしたい? 除隊を止めさせたいから、私に頭を下げに来たのではないのか?」
「…………」
苦渋に満ちた表情で、侑李は朱遠から視線を逸らした。
逆らえない――。
圧倒的なプレッシャーに押し潰されそうになる。
――ピンポーン。
不意にインターホンが鳴った。緊迫した空気に水を差すような機械音に、杠葉は急いでカメラのモニターを確認する。
「はい、どちらさまですか?」
『突然の訪問、失礼します。宗像です』
「まあ、宗像さん!?」
「宗像隊長!?」
侑李も予想外の訪問者に目を瞠る。
「……案内なさい」
朱遠も深いため息をついた後、いつもの落ち着いた声音で促した。
「は、はい」
パタパタと玄関へ向かった杠葉を見送り、朱遠は侑李を一瞥するとテーブル席へ移動した。遅れて侑李もかつて自分が座っていた席に腰を下ろす。
(何故、隊長が家に?)
困惑した表情を浮かべながら、政宗が姿を見せるのを待った。
× × ×
「いやぁ、アポもなしに申し訳ありません。あ、これつまらないものですが高千穂審議官がお好きだと聞いたもので、どうぞ」
「まあ、最中ですね。ここの主人が好物だって、よくご存知で」
「御託はいい。さっさと本題に入ったらどうだ?」
手土産を渡している政宗に向かって朱遠が冷めた声で言うと、へらへら笑っていた表情から真顔に変化した。背筋を伸ばし、敬礼をしてから政宗は口を開く。
「美華の件で話があります」
「だろうな。うちの息子と同じで、君も除隊を撤回してほしいと頼みにきたか」
「話が早くて助かります。……と、その前に侑李はあなたの息子ですが、私の部下でもあります。今回の単独行動は後ほど厳重注意するので、どうかご容赦を」
フッと笑い、政宗は侑李に視線を移した。
「宗像隊長、あの……」
「後は任せろ」
短くそう言うと、席に腰を下ろした。侑李の隣の席で、朱遠とは向かい合う形になる。
「どうぞ……」
「あ、どうも。お構いなく」
政宗の手土産に合わせて緑茶が用意される。小皿に載せられた最中を、侑李と杠葉の膝に乗ってきた猫たちがスンスンと鼻を鳴らしながら匂いを確かめていた。
「あ、こら」
「ダメよ、あなたたちは」
「猫のおやつも用意すれば良かったな」
和やかな空気になろうとしていたが、鋭い眼差しを注ぐ朱遠に気づき、政宗も表情を引き締める。
「私の一存で、美華の除隊が撤回できると思うのか?」
「できます」
「ほう……」
真意を探るように、朱遠は政宗を真っ直ぐ見つめる。
「理由を聞かせてもらおうか」
「二年前、美華に憑依していた悪魔を浄化し、救出したのが他でもない高千穂審議官――あなただからです」
「えっ!?」
「…………」
初耳だったので、侑李は朱遠と政宗を交互に見やる。
「本来、あの時点で美華は除隊させられていたでしょう。場合によっては、仲間殺しで刑務所に送られていた可能性もある」
「そんな……!」
チラリと侑李を横目で見てから、朱遠へ視線を戻す。
「しかし、美華は『数字なし』となっただけで済んだ。当時の事件は上層部が内々に処理したとありますが、そうしたのは高千穂審議官、あなたですよね?」
「…………」
朱遠は答えない。黙って政宗の言葉に耳を傾けている。
(二年前の事件現場に父さんがいたなんて初めて聞いたぞ。しかも美華を助けた本人って、どういうことだ?)
侑李は動揺を隠せなかった。問い詰めたいのを堪え、ふたりの会話を聞き漏らすまいと必死だ。
「美華が所属していた部隊の隊長は、選民思想の持ち主でした。スラム出身で、女性である彼女を入隊当初から軽んじていた。優れた能力者であったとしても悪魔に殺されても構わないと、かなり無茶な命令を下していたのを、あなたは知っていましたね」
「……ああ。当時も各部隊の視察という名目で、彼女の所属する部隊を訪ねる予定だった。まさか、あそこまで稚拙だとは思わなかったがな」
当時を思い出しているのか、朱遠は眉間に深い皺を刻み嘆息した。
「TJ部隊に所属している者の多くは、神社関係者や聖域を守護する神官一族、そして陰陽師だ。その他、一般家庭でクラフトに目覚めた才能ある者。後者の数は少ない」
「ええ。ですが、時に家柄や血の濃さに関係なく優れた能力者もいます。うちの部隊がいい例かと」
にっこり笑顔で答える政宗に、朱遠は片眉をあげた。
「リーダーの神条輝斗、元狙撃手で現在諜報の東幸弘。実動隊の増田威、桜庭羽鳥、そして美華か」
「はい、みんな優秀ですよ」
「わざと集めたの間違いじゃないか?」
「さあ、どうでしょう」
曖昧に答える政宗に、朱遠は射貫くような視線を注ぐ。
「君が本部でなんと呼ばれているか知っているか? “貧乏くじ”だ」
「光栄ですね」
さらっと答える政宗に、今度はため息をついた。
「はあ……。神条輝斗と東幸弘は八年前の候補生の時に起きた悪魔の件。これは白瀬聖――『破壊者』に繋がる大事件だ。そして御堂忍、彼もまた他都市から引き抜いてきた時は、何を考えているのかと呆れたものだが……」
「輝斗とバディを組んで上手くやっていますよ」
(どうだろう……)
侑李は心の中で呟いた。無鉄砲な輝斗に忍がいつも怒っているので、バディとして良い関係を築いているとは言い難い。
「あまりに強力すぎる故に、誰とも組ませることが困難とされていた草薙千景を迎え入れた件でも揉めたな」
「本人が上層部入りを拒んだので、だったらうちに来ないかと誘ったまでです」
(そうだったんだ)
確かに全部隊の中で千景の右に出る者はいない。本部も喉から手が出るほどほしい逸材だろう。千景自身は出世欲が皆無なので今の立場に満足しているようだが、入隊当時は大騒ぎになったのは容易に想像できる。
「更に美華を引き取ると言い出した時も、物好きも大概にしろと言ったはずだ」
「覚えておりますとも。彼女がうちに来てくれたおかげで、華やかになりました」
「うちの息子も受け入れると言い出した時も、君は笑っていたな」
「はい」
「何故、本部の意向に逆らう? 己の立場を危うくしてまで、何を求めるんだ?」
政宗の行動は出世街道から外れることばかりだ。己の立場を危うくするばかりで、自己犠牲にしか映らない。
「しいて上げるとすれば“希望”でしょうか」
「なんだと?」
「人種、家柄、性別に関係なく、志を同じくする者が一丸となって悪魔を殲滅する。私は若者たちに希望を、夢を抱いているのです」
澄んだ眼差しで政宗は答える。
「本部付きの者は家柄と血筋重視で固まっていますが、実際悪魔と対峙してどれだけ戦えますか? 優れた能力者は何人いますか? 血が薄まり、満足にクラフトを操れる者は少ないと……誰よりも高千穂審議官、あなたが危機感を抱いていますよね」
「…………」
表情こそ変わらないが、朱遠は政宗の質問に答えない。そして、隣で聞いていた侑李自身も耳が痛い話だった。
(僕がいい例だ。父さんのような優れた能力者じゃない。どんなに家柄が良くても、血が尊ばれても……僕は東さんみたいな優れた狙撃手になれない)
「もちろん、実力主義が良いとも限りません。ただ、消すには惜しい人材なのです。才能ある者、努力する者をきちんと評価する組織であってほしいと、私は願っています」
ということで、と政宗は笑みを深めた。
「美華の才能を高く評価しているあなたならば、今回も見逃してくれるのではと期待しているわけです」
「そんな軽いノリが通じるほど父は甘くないですよ……」
さすがに無理があるのではないか、と侑李はぽつりと呟いた。
「まったく……君は入隊当初から変わらんな」
呆れた眼差しを向けると、朱遠はテーブルの上に手を置き、人差し指でトン、と軽く叩いた。
「彼女は二度目の憑依だ。前線に立つことがより困難だろう。どこまで動けるか怪しいが……問題児ばかりの君の部隊だ。まして『破壊者』に最も接触率が高い。後方支援として治癒能力は役立つ」
「それじゃあ……!」
侑李の表情が明るくなる。しかし、朱遠は厳しい表情で言葉を続けた。
「いわば君の部隊はスケープゴートだ。犠牲が出たところで、奴らの情報を引き出すこと。あわよくば、始末させるのに体のいい駒にすぎない」
問題児が集まっているのは好都合で、利用するために生かされていると言っているようなものだ。
「……っ」
言葉を失っている侑李に視線を移すと、朱遠は低い声で言った。
「引き返すなら今のうちだぞ」
捨て駒として生きる道を選ぶというのか、と念を押している。
「僕は……宗像隊長のもとで功績をあげると誓いました。父さんの元に行くつもりはない」
それでも構わない――と侑李は決然とした眼差しで、はっきりと口にした。
「まったく……誰に似たのか」
「父親のあなたじゃないですか?」
軽い調子で政宗が口を挟むと、朱遠は不機嫌そうに眉を寄せた。
「君は口が減らないな」
「ふふっ」
黙って話を聞いていた杠葉も口元に手を当てて笑っている。
「明日の審議は何とか話をつけよう。勘違いするな。君の部隊に“利用価値がある”からだ」
「ありがとうございます」
「えっと……ありがとうございます」
政宗に続き、侑李も頭を下げた。
それから、政宗は席を立つと背もたれにかけていたコートを手に取った。
「捨て駒だと言いますが、私はそうは思いません。我ら悪魔狩りと悪魔の長年の戦いに大きな変化をもたらす波、または風ですね。運命とも呼べるものに、私の部下たちは引き寄せられた。その大きな歯車の中に、あなたも飛び込んでみたくありませんか?」
「私を巻き込むんじゃない。あくまで公正に判断するだけだ」
「そうですか……。いやはや、話が早く済んで良かったです。それでは、失礼いたします」
敬礼した後、政宗は退出した。
「そろそろ僕も行こうかな」
「あら、泊まっていけばいいじゃない」
「ううん。隊長にお礼も言いたいし、今なら追いつくから」
「侑李」
急いで帰り支度をしていると、朱遠が名前を呼んだ。
「本当にいいんだな?」
政宗の部隊に所属したままでいいのか、という確認だ。
「僕が選んだ道だから」
「……そうか」
それ以上、朱遠は何も言わなかった。
侑李は頭を下げ、玄関へ向かおうと身体の向きを変える。
「正月休みの時くらい、戻ってきなさい」
「……え?」
「親戚の集まりに顔を出さなくていい。せめて、家に戻るくらいはできるだろう。母さんが心配している」
視線はテーブルに向けられていたが、侑李を気遣う言葉だった。
「……はい」
再び頭を下げ、今度こそ侑李は家を後にした。
× × ×
家を飛び出してから、侑李は駆け足で政宗の後を追った。車で来ているはずだからと、家の近くのコインパーキングへ向かう。黒い車の運転席のドアを開けようとしている政宗を発見し、大声で名前を呼ぶ。
「宗像隊長!」
「ああ。侑李。見送りに来てくれたのか」
息を切らせながら近づく侑李に、政宗は笑いかける。
「いえ……僕も帰る所だったので」
「じゃあ、途中まで送ろう。乗りなさい」
「ありがとうございます。失礼します」
助手席のドアを開け、おずおずと中に入る。
「これから美華の見舞いに行くんだが、侑李はどうする?」
「あ、僕も美華の様子を見に行こうと思ってたので、一緒にいいですか?」
「じゃあ、向かう先は病院でいいな」
政宗の運転で美華が入院している病院へ向かう間、侑李は先ほど実家で話していたことを切り出していいのか考えていた。チラチラと横目で政宗の顔を窺う。
「色々聞きたいことがあるんじゃないか?」
「あ、えっと、その……はい」
しどろもどろになりながら頷くと、政宗は小さく笑った。
「父さんのこと……信頼しているんですね」
「まあな。上層部の中で数少ない話の分かる人だ」
そうなのだろうか、と侑李は小首を傾げる。公正明大な審議官として有名なのは知っているが、他の連中と同じく家柄と血を尊ぶのは変わりない。だからこそ、侑李が才能に恵まれていないと知ると、早々に本部付きの事務になった方がいいと進路を決めてきた。
勝手に決めないでほしいと憤り、口論の末に家を飛び出したので、侑李は政宗の言葉が信じられない。
「父親としては一人息子を心配するのは当然だ。わざわざ危険な道を歩かせたくなかったんだろう」
侑李の表情から何を考えているのか察した政宗は苦笑を漏らした。
「僕だって、もう子供じゃありません。自分の道は自分で決めます」
「それもまた正しいさ。子供は親の所有物じゃない。しかしだ。高千穂審議官は、お前のことを大切に想っている」
「どうでしょう……。僕は父を失望させてばかりです」
期待されるような結果を出せたことがない。学業でも、スポーツでも、クラフトでもため息をつかせてばかりだ。
「というか、お前は自分に自信がなさ過ぎる。もっと胸をはっていい」
「無理ですよ。僕は東さんのような優れた狙撃手じゃない。神条さんのように努力しても結果が伴わない。草薙さんのような能力者にもなれません。凡人が、どんなに頑張ったところで特別には敵いません」
「そうかな。お前にしかないものがあるのに」
「例えば何です?」
「ん? それはまあアレだ」
曖昧に答える政宗に胡乱な眼差しを向ける。
「やっぱりないじゃないですか」
「自分で気づけない間は、まだまだってことさ」
赤信号で車が停車すると、政宗は左手を伸ばしてきた。
「わっ!?」
侑李の頭に手を置き、くしゃりと軽くかき混ぜる。
「お前のそういう拗ねた顔は可愛いと思うよ。きっと審議官も同じ気持ちだろうな。いやぁ、若い若い。青春を大いに楽しんでほしいもんだ!」
「はあ……?」
よく分からない、と侑李は乱れた髪を手で整えながら首を傾げる。
揶揄われているだけかもしれないが、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。
(隊長は不思議な人だな。飄々としているのに、この人なら信じてもいいかもしれないって思わせてくれる)
きっと自分だけでなく、部隊に集った仲間たち全員が思っているはずだ。
(運命に引き寄せられた、と言っていたけど、僕からすれば隊長の下に僕たちが引き寄せられたんじゃないかな)
家柄や血を尊び、実力に見合わない者たちが牛耳る組織を変えたくて、今も政宗は奔走しているのだろう。
(だからって、僕が隊長の役に立てるとは思えないけど)
けれども、変わりたいと思った――。
親の敷いたレールではなく自分の足で歩きたいと思い、政宗の部隊に入ることを選んだ。
その決断は、自分自身で選択したことで誇りに思っている。
(ねえ、美華。君も僕と同じじゃないかな。隊長の下だったら、自分らしくいられるって思ったんだろ?)
窓の外の景色を見ながら、美華のことを考える。病院に着いたら何を話そう。部隊に留まっていられることは、政宗が伝えるはずだ。良かったね、と笑いかければいいだけだが、そのためだけに見舞いに来たのは格好がつかない。
「あの、隊長。一つお願いがあるんですが……」
「なんだ?」
前を向いたまま、政宗は返事をする。信号が青になり、車が走り出した。
「途中で、花屋に寄っていいですか?」
「構わんが……ああ、なるほどな」
ニヤリと口角を上げ、政宗はうんうんと頷く。
「そういう気遣いが出来る男、俺は嫌いじゃないぞ。応援している。頑張れ」
「深読みしないでください! 手ぶらなのが申し訳なかっただけですから!」
頬を赤く染め、侑李はぶっきらぼうに答える。
誤解をしているようだが、これ以上突っ込んだら墓穴を掘るような気がして黙ることにした。
むくれている侑李をチラリと見てから、政宗は話題を変えた。
「そういえば、高千穂審議官は最中が好きらしいが、さっきお前の前に置かれたのはクッキーだったな」
「はい」
母親が侑李の前に置いたのがクッキーだったことに気づいていたのか、と侑李は振り返りながら答える。
「僕、あんこ嫌いなんです」
「そうなのか?」
「なんかぼそっとしているっていうか……」
食感が苦手なのが半分。もう半分は父親の好物だから。
(……なんて言えないけど)
意識しすぎだと笑われる気がして、侑李は言葉を飲み込んだ。
どこまでも父親を意識してしまう時点で情けない自分なのだと分かっているが、吹っ切れるには勇気も実力も足りない。
変わりたいけど変われない。もどかしい想いを抱えているのを、政宗にはばれているだろう。
「やっぱり、お前は親御さんに愛されてるよ」
「だから違うって言ってるでしょう」
「はいはい」
誇らしい息子だと褒められたことは一度もない。
期待に応えられない凡人の子供。
――いつになったら、認めてもらえるのだろう。
まだ確かな自信を持てないが前へ進むことを諦めたら、それこそ自分が許せない。出来ることは何があるのか。どうすれば強くなれるのか。仲間の役に立てるのか……。
考えるほど暗い考えに支配されて沈んだ気持ちになってしまう。
(こんな気持ちのまま、美華に会うのは申し訳ないな。違うことを考えよう)
侑李は窓の外の景色に集中することにした。
花屋に寄って、病院に着いたら意識を切り替えよう。不安な気持ちを彼女に伝染させたくない。
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