林檎の蕾

八木反芻

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ご『“友だち”の有効活用/ゆれる秋』

7 これでもいたって健康体

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 無糖のストレートティーが入った小さいペットボトルを片手に、いつもの喫煙室に入ると、田儀と足立が携帯電話のゲームで遊んでいた。
「お疲れさまです」と挨拶すると、ゲームに夢中なのか、条件反射的なテキトーな声が返ってきた。
「グワッ! 雑魚キャラに負けたー!」
「愛の勝利!」
 どうやら二人は対戦していたようで、そのゲームに金も時間も人一倍費やしてきた足立が負けたらしい。
「なんでそのキャラなんすか。誰も使ってないっすよ?」
「俺が使ってるだろ、かわいいもん」
「『かわいいもん』って……」
 田儀の愛用キャラクターは、ニンジン形のロケットを背負ったウサギ耳の小さな女の子。名前はロサ。体力や防御力はかなり劣るが、瞬発力は他のキャラより優れていて、自慢の脚力を生かした攻撃をするのが特徴。必殺技はその脚力と、体力を補うためのロケットを組み合わせた『バーニングスターシュート』。ロケットエンジンフル回転させるため、自爆覚悟の攻撃である。髪型がショートカットだからか、初め男の子だと勘違いしていたらしい。
「いいか? キャラクターを育成するコツは、金じゃなく愛を注ぎ込むんだよ」
「いや、カンペキ俺の判断ミスっすね。つか係長も課金してるじゃないっすか」
「俺はロサくんの限定ガチャしかやらねぇよ」
「それにいくらかけたんすか、絶対人の事言えねぇっすよ」
 足立は銜えたタバコに火を点けようとライターをカチカチさせるも、なかなか点かない。見かねたハルが自分のライターで点けてあげた。
「あ、すんません」
 吐き出した煙を見つめる足立。
「……係長煙少ないっすよね」
「ん?」
 田儀の口から漏れるタバコの煙は、他の人に比べて非常に少なく、足立は気になっていた。
 タバコ片手に目を閉じたままうつむく田儀。返答がなく、ハルが適当に答える。
「もったいないからですよ」
「そうそう、もったいないから……その方が煙がウマイからだよ」
「えー、口の方が美味くないっすか?」
「人それぞれだ。それよりこの前、本数減らしましょうって言われた」
「ああ、健康診断ですか」
「ん」
 ハルはタバコを灰皿に押し付け火を消し、ペットボトルのキャップに手をかける。
「お子さん産まれますし、今度こそ本格的に禁煙した方がいいのでは?」
「キープはしてる」
「キープ?」足立が聞き返す。
「昨日の本数越えないようにキープしてっから」
「それ意味あるんすか?」
「どうでしょう。そういえば、前に火葬の話をしていて」
「どんな話してんすか」
「『棺桶には花じゃなくてタバコ敷き詰めてほしい』って言ってましたね」
「絶対禁煙できないじゃないですか」
「最後くらい禁煙したご褒美にくれよ」
「火葬場の人困るからやめましょうって」
「全身をタバコの煙で蒸されるのが俺の夢……嘘だよ」
「なんか怖いんで俺そろそろ戻りまーす」
「嘘だって、嘘だからな! 嘘!」
「失礼しまーす」
「足立!」
「はい?」
「絶対言うなよ」
「……はぁい!」
 不敵な笑みを残し、足立は去っていった。後味の悪い喫煙室で二人きり。
「喫煙禁煙って言葉もそのうちなくなるんじゃないか? もはや死語だな」
「田儀さんが生きているうちはなくなりませんよ」
「んじゃ、あと50年は平気だな」
「どれだけ生きるつもりですか、あと5年の間違いでしょう」
「あと5年かー……だったら仕事辞める! 仕事辞めてお前と余生を謳歌しよう」
「私を巻き込まないでください。その前に家族を大切にしなさい」
「そうだ、京都行こう」
「いってらっしゃい」
「一緒に行くんだよ。そうだ、温泉旅行しよう」
「嫌です」
「浴衣姿色っぽいからなぁ。近場の温泉地は……」
 さっそく携帯電話で調べ始める田儀。
「田儀さん」
「なんだ?」
「行きません」
「箱根、草津、鬼怒川辺りか」
「聞いてください」
「あ?」
「私は行きません」
「いっそ北海道はどうだ?」
「どこも行きません」
「まあ行くなら冬だろうなぁ。雪見風呂だ、最高だろ。あー、冬が待ち遠しいなぁ」
「行かないって……」
「そんなら熱海はどうだ? 一昔前の新婚旅行って感じだな、はっはっはっ」
「人の話を聞け」
「富士山登るかー! この体力じゃ厳しいな……」
「勝手に話を進めるな」
「山を舐めちゃあいかん。まずはジムで」
「田儀さん」
「ん?」
「一回黙って」
「なんだよ、温泉嫌いか?」
「嫌いなのは温泉ではありません」
「ん? ……俺か! そんなこと言うな、照れるだろ」
「変人……」
「褒め言葉として受け取っておくわぁ。つーわけで、筋トレするぞ」
「田儀さんは必要ないでしょう。筋肉つきやすいんだから。これ以上体力つけないでください……」
「お前に付き合うんだよ」
 ハルの腹部に手を添えた田儀は違和感を覚え、確かめるように何度も脇腹を掴んだ。
「ん? 少し痩せた? 飯食ってるか?」
「人並みに」
「どこか悪いんじゃないか? 結果は?」
「嫌なくらい異常なしでした」
「心配だな……。よし、飯食いに行こう。旬の物を食おう。サンマの炭火焼きなんてどうだ?」
「そのあとが目的でしょう?」
「まあ、否定はしないが……。最近しっかり触ってなかったからなぁ。俺が定期健診してやろう」
 ハルは白い目を向ける。
「……生憎ですが、今夜は予定がありますので」
「つれないなぁ。その予定って、あの、俺より大切な友達、って奴か?」
「そうですね」

「妻」以外に使える言葉ができてしまった。不本意だったが、今夜は「友達」を利用させてもらうことにした。
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