林檎の蕾

八木反芻

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ご『“友だち”の有効活用/ゆれる秋』

6 理想は理想、現実主義者はお呼びでない

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「結婚させられそうになってるって?」
「マスターの押しがさ……」
「ああ。マスターにとってお前は、我が子みたいなもんだからなぁ。手元に置いておきたいんだろ」
 のどかは半ば閉じた目で、チキンライスをくるむ固めの玉子をつつく。目の前の不服そうな顔を見て、田儀は短くなったタバコを灰皿へ押し潰した。
「たかしくんいいじゃないか、堅実そうで。たかしくんと結婚したらお前、経営者の妻だぞ?」
「そんな肩書きいらない。あたしは、イケメン外国人にナンパされてイケメン外国人と結婚して、海外に飛んでイケメン外国人の家族と一緒に暮らしてイケメンライフを謳歌するのが夢なの。だから無理」
 薄焼き玉子をスプーンで破り、チキンライスに悪質な嫌がらせのように埋め込まれたグリーンピースを丁寧にほじくり、どかして食べた。
「それこそ無理ってもんだ。現実みて、たかしくんに決めなさい」
「えー年下じゃん。てか大学一年生だよ? 私いくつだと思ってんの」
「よんじゅう……」
「おい」
「……28なんて、たいして変わらねーよ」
「あのねー、ハタチと25過ぎたババアじゃ全然違うのよ」
「俺たちから見りゃあ、同じだよなあ」
 のどかの隣に座っていたハルはうなずき、田儀に同調する。
 なんにもわかっちゃいないと、のどかは長い長いため息を吐いた。
「女はハタチ越えたらババア扱いされんだからね。なにがJKブランドじゃ! キッショイわ! ロリコンが!」
「おまえっ、声が大きい……!」
 田儀は前のめりになって、のどかの顔の前で手をかざしたり、自分の口元に人差し指を添えたりして、「静かにしなさい」と、慌ただしくジェスチャーする。
 それに飽きたのどかはまたため息を吐いて、「お客はあんたらしかいねーわ」と脚を組んだ。
「若ければ若い方がいいのよ。男ってのはそういう風にできてんだから」
「俺は年上の方が好きだけどな」
「はっ。10個下の女と結婚しといてよく言うわ」
「それはまあ……成り行きというか……」
 お茶を濁す田儀を、ジトリと睨むのどか。田儀は咳払いする。
「……お前、ホントに結婚する気あるか?」
「あるよ」
「だったらたかしくんを選びなさい。たかしくんの方は満更でもないみたいだし、お前みたいな口の悪いおてんばさん、もらってくれる奴なんざそうそういないぞー?」
 皿の端っこに溜まっていくグリーンピースに視線を向けていた田儀は、箸を伸ばして一粒食べた。
「だいたいお前、英語どうするんだ。相手がどこの奴かわからんが」
「そんなの愛があれば乗り越えられるし」
「そんななぁ……。甘い幻想抱きなさるな少年」
「向こう行けば英語なんてあっという間に覚えられるっしょ。日常会話が英語なんだから」
「お前それきついぞ~? 行ってすぐ帰ってくるパターンだ」
「あれ、おっかしいな……否定できない自分がいる……」
「ようし。ひと肌脱いで俺が教えてやろう」
「なにを」
 田儀はのどかが寄せたグリーンピースを器用に摘まんで、ポンポンとリズミカルに全て口へ運ぶ。
「英語に決まってんだろ」
「え。田儀さんしゃべれんの?」
「なに疑ってんだ、あたぼうよ」
「だって見るからに……」
「人を見た目で判断するな。仕事柄、英語を使うときもあるんだよ」
「そうなの?」と、黙って携帯電話をいじっているハルに確かめる。
「はい」
「だったら波瀬さんに教わりたーい」
「な~んでだい! 俺じゃ不満か!」
「田儀さんじゃモチベーション上がんないしぃー」
「うるせーな……」
 のどかは両手でハルの手を握った。
「波瀬さん教えて?」
「では、授業料はいくらにしましょうか」
「えっ! お金取るの!?」
「ヘッヘッへ~ざまぁみろ。その点俺はタダで見てやるよ。まあ、その代わりと言っちゃあなんだが、コーヒー一杯サービスしてくれ」
 ハルの手を払い、ウインクかます田儀を睨み付ける。
「ケチ! みんなケチ! は~あ、アニメだったらペラペラペ~ラで通じるのに……。なんで田儀さんが英語しゃべれんのか意味わかんない」
「そう考えれば俺たち、結構ハイスペックだよなぁ……。3高知ってる? 高身長、高学歴、高収入の」
「こうしゅうにゅう? だったら先月分のツケ、きっちり耳揃えて返してもらいましょかあ?」
 勢いよくテーブルを叩いたのどかは、身を乗り出し、田儀の胸ぐらを掴んで引き上げようとする。
「ごめんなさいごめんなさいすいません払います今日払いますいい今払います」
 慌ててポケット探る田儀の手が、止まった。
「……あ、いっけね、財布持ってねーや」
「手ぶらで来るんじゃねえ! 端からツケる気満々じゃねぇか!」
「のどかさん、ここは私が払います」
「波瀬さんはいいの、イケメンだから」
「なんだその差別! 理由になってねーぞ」
「おいゴルァ! ゴリラのくせになに人様に歯向かっとんじゃ!」
「なんだこの国は……! ゴリラに人権はないのか!?」
「ねーわ! さっさと金払え!」
 のどかはグイと顔を近づけ、鬼の形相で田儀を威圧する。
「……かわいい顔が台無しだぞ?」
 笑顔でほっぺをつつくとのどかは仰け反った。
「触んなセクハラゴリラッ!」
 プリプリと腹を立て、空になった賄いの皿を片付けようと席を立ったのどかは、二階から下りてきたサキと出くわす。
「あれ、もう帰る?」
「はい」
「ちと待ってね、プリンあるから食べてって!」
 サキがカウンター席に座ろうとすると、タバコに火を点けた田儀に呼ばれた。
 どっちに座ろうか迷っていると、田儀はソファの座面をポンポンと叩いた。
「パパの隣においで。あ、また間違えちった」
 サキは笑いながら田儀の隣にチョコンと腰を下ろす。
「あっ」と思い出したように、田儀は急いで点けたばかりのタバコを消そうとしたが、サキはその手を掴んで止める。
「わたし、タバコのにおい結構好きなので、気にしなくても大丈夫です……!」
 ゆっくりと手を離すサキ。
 目を細めてうっすらと笑った田儀は「悪い女になりそうだ」と、減っていないタバコを押し潰して消した。
 その手元を気にするサキの顔を、田儀はチラリと見た。
「……あ~、ほら、サキちゃんの隣で吸ってるとマスターに怒られっから。あの人こえんだ~」
「すみません……」
「いいのいいの、禁煙の練習にもなるしな。そうだ、サキちゃんの将来の夢はなに?」
 田儀の何気ない質問に、サキは体をモジモジさせる。
「お嫁さんです……」
「おー、今時珍しい子がここにもいた。お嫁さんかぁ……。俺たちみたいな男には、引っ掛かってほしくないなぁ」
「どうしてですか?」
 田儀とハルは口を揃えて「不幸になる」と答えた。
「好きな人と結婚して、なんで不幸になるんですか?」
「んー……結婚イコール幸せってわけではないからなぁ……。それに、好きな人と結婚できるってわけでもない」
「ちょい待ち、中学生に聞かせる話じゃないから。もっとさぁ、夢のある話をしましょうよ」
 のどかは呆れながら、ホイップクリームや果物で綺麗にデコレーションした豪華なプリンをサキの前に置いた。
「はい、プリンアラモード」
「あらどーも」
 田儀が透かさず返すと即座にのどかに睨まれた。
「……わたしは、好きな人と結婚できるなら、不幸になってもいいです」
「そいつは、危ない考えだ……」
「大丈夫。クソみたいな男がサキちゃんに手ぇ出そうもんなら、あたしが握り潰してあげるから」
 田儀は思わず股間を押さえた。
「恐ろしい……」
「握力鍛えなきゃ~」
 目を見開き体をウキウキさせるのどかは、プリンを指差す。
「そんなことより、これあたしが盛ったの、かわいくない? 超女子力感じない?」
「女子力ってお前……女だったのか」
「出禁にしてやろうか?」
「ああ~悪かった! 勘弁! のどかちゃんは立派なレディだよ」
「心こもってねーんだよ。女心勉強して出直してこい」
 少し寂しそうに微笑する田儀はぬるくなった水を飲む。
「お前はなんで俺にだけ冷たいの。そういやぁ、俺が結婚してから当たり強くなったよな」
「は?」
「さてはお前、俺のこと好きだったんだろ~」
「自惚れんなジジイ」
「嫌よ嫌よも好きのうちっていうだろ?」
「あたしその言葉大っ嫌い」
 呆れ返るのどかはため息をつく。
「……そんなんでよく結婚できたよね。こんなオッサン選ぶ物好きがいるなんて」
「俺ぁ、子供産めりゃ誰でもいいんだ」
「最低」と、のどかは小さく苦笑する。
 おとぎ話のお姫様みたいなプリンを眺めるサキに、田儀は一言声をかけ、退かして立ち上がった。
「ちょっくらうんこ行ってきまーす」
「いちいち言うな」
「家で流行ってんだぞ? チビスケどもが毎日連呼してんだから。うんこちんこれんこよ」
「くっだらない……」
「お腹はよく下りますけど」
「ほんと下品」
 田儀は笑い「嫌いじゃないだろ?」と、のどかのお尻を軽く叩く。が、いつもの雷撃が来ない。
「あれ?」
「……今日はもう怒り疲れた、閉店。つかオジサンたちさぁ、ここで油売ってていいんですか? いい加減早く帰ってくださいよ」
「油なんか売ってねーよ、ガソリンスタンドじゃねんだから」
 付き合いきれないと、飽き飽きした顔でバックヤードへ戻るのどかの背中を、田儀は見送り、振り向く。
「照れてんのか? あいつ」
 よくわかっていない田儀に、ハルは頭を振り、サキは気まずそうに首を傾げる。
 二人きりになったテーブル。
 サキはスプーンですくったプリンにホイップクリームを付ける。携帯電話をいじるハルは、ティーカップに手をかけた。
「ハルさんみたいな人と結婚すると、不幸になるんですか?」
「そうだよ」
 からかうように笑うサキを見て、半分残っていた紅茶を一気に飲み干した。
「後悔してもいいって思えるくらい好きなら、それは幸せなことだと、わたしは思います」
 スプーンの上で柔らかく震える、安価に手に入る甘い罪。サキは大きく口を開け、パックンと食べた。
 ハルは目頭を押さえる。
 安易に求めてしまった柔い光は、眼球の奥まで突き刺さるほど、鋭くて、青すぎた。
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