林檎の蕾

八木反芻

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ご『“友だち”の有効活用/ゆれる秋』

11 金と塵で積もった安寧秩序は乱れない

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 陽も落ちて一段と冷え込む街。ビルの隙間を吹き抜ける風に、サキは(こんな道通るんじゃなかった)と後悔しながら肩をすぼめた。
「う~寒いね、あっちで一緒に暖まろうよ」
 突然話しかけてきた男は、いきなり距離を詰めてくると、耳元で「……君いくら?」と囁いた。
 驚いて振り向くと男は笑顔を向ける。
「えっ、え、えっと……?」
 一見優しそうに見える顔。サキは恐怖を感じた。男は戸惑うか細い腕を無理に引っ張る。
「寒いから早く行こう、ね」
「いや、あの……」
「どうしたの、優しくするよ?」
「そんなつれない子より、アタシと遊ばない? おにいさん?」
 知らない声が二人の足を止めた。見ると、ブレザーの制服を着た、高校生くらいの金髪のお姉さんが立っていた。お姉さんは二人に近づき、嫌がる少女を離そうとしない男の腕にしがみつく。
「おにいさんはどんなことしてくれるの? すごい興味そそられちゃう」
 お姉さんは困惑している男の手を掴み、自分の太ももへあてがう。そして、男の耳元で囁く。
「アタシね? 今日ぉ、履いてないんだぁ……朝からずうっ……と……」
 ゆっくりと上へ滑らせる手が、スカートの裾をめくると、サキを掴む力が徐々に緩んでいく。
「おにいさんみたいな人にぃ、いっぱいイタズラされたくてぇ……そういうことずうっと考えてたのぉ……」
「ぇえ? 朝から? 一日中?」
「うふっ」
「一日中考えてたココは今どうなっちゃってるのかな? おにいさんが見てあげよう」
 スカートの中に侵入しようとする手を止める。
「まだダぁメ。中に入るまで我慢して? おにいさんだってぇ、お巡りわんわんに捕まりたくないでしょお?」
 サキを捕らえていた手は完全に離れている。お姉さんは(今のうちに逃げろ)と目配せするも、サキは立ち尽くしている。
 鼻息荒くする男は、棒立ちするサキの体に手を伸ばし、強引に引き寄せた。男の腕の中で縮こまるサキを見たお姉さんは、心の中で舌打ちした。
「じゃあみんなで、三人で一緒に入ろう! ね! それがいい!」
「アタシおにいさんと二人っきりじゃないとイヤ! 一人占めしたいもん……おにいさんのこと好きになっちゃったから……アタシだけを見てほしいの……」
「……しょうがないなぁ」
 男の表情は明らかにデレていたが、渋々といった感じを表に出しながら、サキを離した。
 膝が崩れそうになるのを必死に堪えて、サキは遠ざかる二人の背中を見つめた。

 ホテルへ消えて、1時間も経たないうちに、お姉さんだけが出てくるのが見えた。ビルとビルの隙間に身を潜めていたサキは急いで駆け寄る。
「すみません……!」
「……なに、まだいたんだ。とっとと帰んな、ここいたら危ないよー」
「さっきはありがとうございました! 大丈夫、でしたか……?」
「へぇ、アタシの心配してくれるんだ……」
 一度聞いた甘ったるい声と口調が違うことに一瞬ドキリとする。お姉さんはサキに迫った。顔が近づき、目が泳ぐ。
「えっ、えと……?」
 そのままキスされて、何事かとびっくりしたサキはお姉さんの体を強く押し返す。
「なっ、なにするんですか!」
「ん~……一目惚れってやつ?」
 ニコッと綺麗に笑うお姉さん。サキは口を拭いながらも頬を赤らめた。
「わたし、女ですよ……!?」
「キミの中に、女の子同士はダメってルールあるの?」
 お姉さんは、伏せ目がちなサキの胸元のスカーフをスルリと触る。
「でっ、でも、こういうことは、好きな人とするもので……」
「好きだよ?」
「うぇえ……!? 初めて会ったばかりの人を、好きになんて、なるはず、ない……」
「一目惚れって言ったじゃん」
「やだ!」
 サキの慌てふためく様子にお姉さんは眉をひそめて笑う。
「キミ、好きな人いるの?」
「い、ませんっ……!」
「……あれ? もしかして、初めてだった?」
「違います……」なんて正直に答えたことを少し後悔する。
「じゃー、その相手は好きだった人?」
「……そんなこと、なんで答えなきゃいけないんですか……!?」
「当ててやろうか」
「へ?」
 お姉さんはポケットから携帯電話を取り出し、少しいじってサキに画面を見せた。
 画面には一枚の写真が。そこに写っていたのはハルだった。
「えっ」
「お、その反応はビンゴ? キミ、この悪いオッサンとどういう関係?」
「悪い……?」
「金くれる悪ぅ~いオッサンだろ?」
「ハルさんは悪くないし、おじさんじゃない……!」
「なんじゃそりゃ」
「あなたこそどういう関係ですか!?」
「キミより親しい関係」
 そう答えたとき、サキの眉がピクリと動いたのを、お姉さんは見逃さなかった。
「キミたちの関係性聞いてないからたぶんだけど。で? どうなの?」
「……友だち……」
「友だちってなんだよ」
 お姉さんはおかしそうにケラケラと笑う。「は~あ」と、ため息まじりに一息ついて、ムッとしているサキを見た。
「あの人の弱点教えてやろうか」
「弱点?」
「ちょっとだけアタシに付き合ってくれたら、教えてあげる」
「付き合うって……?」
「簡単なゲームだよ」
 お姉さんは、不愉快そうな顔をするサキの顎をクイと持ち上げて言った。
「アイツの弱点、知りたくない?」


「まっ、待って……!」
「いーち、にー、さーん……はい待った」
 ベッドに押し倒されたサキ。覆い被さるお姉さんの体を力一杯押し返そうとするが、非力な腕では抗えない。
「ただ入るだけって言ったじゃないですか!」
「アタシのこと簡単に信じるんだーへーかーぅわいー」
 抵抗するサキの制服を脱がせる。
「やめてっ」
 年齢が少し違うだけで、こんなにも力が強いなんて。とはいえ、お姉さんの体に筋肉がついているようにも見えない。これは本当に女性の力だろうか。
 顔を覆うサキの手を掴む。
「隠すなって……」
 腕を広げられ、サキは涙が浮かんだ目をつぶり顔を背けた。

 ──カシャ──

「よぉーし! もういいぜー?」
 サキははだけた制服を急いで直す。
 ベッドの端っこに座るお姉さんは、サキのことなどそっちのけで、悪い笑みを浮かべながら携帯電話をいじっている。
「なにしてるんですか?」
「だから、ゲームっつったじゃん?」
 眺めていた画面を、嫌悪感たっぷりのサキへ見せた。
 ついさっき撮られた写真とともに『拉致った』と一言、メッセージが表示されている。
「誰に送ったんですか!?」
「アイツに決まってんだろー」
「……ハルさんですか?」
「そうだよ。一緒にアイツのこと遊んでやろーぜ」
 ほくそ笑むお姉さんの横顔に、サキは後ろめたさを感じた。
 送られた写真を見て(少しでも心配してくれるかな)なんて、一瞬でも考えてしまった自分を殴りたい。
「嫌です」
「なぁんで!?」
「友だちだからです!」
「あーそういうこと……。別になんでもいいけど、黙って待ってんのも退屈だし、なんか面白いことしよっか」
 警戒するサキは身を縮こまらせた。
「いやいや、アタシ、キミみたいなお子ちゃまに興味ないから。アタシは色気のある美人がタイプだから。それともキスしたからその気になっちゃった?」
「違います!」
「なあ、キミがキスした相手ってアイツだろ?」
 顔が真っ赤になっていくのを見て、お姉さんはまたケラケラと笑う。
「で、ヤったんだ?」
 サキは激しく首を振って否定する。
「ああ、まだ友達だもんねぇ。アタシはヤったよ?」
 心臓がドキンと跳ねた。
「うらやましい?」
 なんだか体がゾワゾワする。
「じゃあさぁ……彼を喜ばせるために、練習、しとこうか」
「練習……?」
「そ。アタシが教えてあげる。あの仏頂面、喜ばせてみたくない?」
 サキは戸惑いつつも小さくうなずいた。
 ニヤリと笑うお姉さんはベッドを這って近づき、おののくサキの耳元で囁く。
「意味わかってんの?」
 その声に困惑したサキは目を見開く。突然現れた男っぽい低い声に、胸の辺りがざわついて、見た目と声の不一致に、お姉さんの顔が見られなくなった。
「あっちより、アタシたちの方が健全だと思わない……?」
 目が泳ぎ硬直するサキに、お姉さんは容赦なく迫る。頬に手が触れ、顔が近づく。サキはギュっと目をつぶり口を固く閉ざした。

 ──ピリリリリ……ピリリリ──

「おっ、電話かかってきた。よっぽど心配なんだろうな。キミの声聞かせてやったらどんな反応するか、見てみたくね?」
(迷惑かけたくない)
 サキは、携帯電話を掲げるお姉さんの手を両手で押さえた。
「な……なんでもします……だから、ハルさんには……」
 お姉さんは、瞳を潤ませ必死な顔で乞うサキの手を払い、着信を拒否した。
「そうやって誰とでもヤるんだ? 見かけによらず軽いんだね」
「そんなつもりじゃ……」
「だったらどういうつもりで『なんでもします』って言ったの?」
「それは……」
 サキはハルに怒られたことを思い出した。なにも成長していない。溢れてくる涙が邪魔だった。

(我慢しなきゃ……)

 眉をひそめ唇を噛む。

(お願い……泣かないで……)

「なにその態度。アタシとアイツに気ぃつかってるつもり? 自分が傷つきゃそれでいいって思ってんの? クソ偽善者が」

(あぁ……)

「キミみたいに人の顔色ばっか見てる奴、スッゲームカつくんだよ。自分の意思はねーの?」

(ごめんなさい……)

「ただそうやって泣くばかりで、なにも言わない。そういうのズルくね? 悔しいから泣いてんじゃねーの? 言いたいことあんなら言えばいいじゃん。嫌われたくないとか、どうでもいいこと考えてんの?」

(涙を止める方法を教えてください……)

「フッ……こんなこと言われてどう思った? なんか言ってみろよ。なあ。自分の意思はねーの? ……ああ、そうだね、キミにはないか。さっきの変態クズ野郎のいいなりになってたもんなー」

(教えて……今すぐ……)

「大人のいいなり優等生ちゃん」

(ハルさん……)
 
「本当はアイツともヤったんだろ? アイツも、キミみたいに誰とでも寝るから」
「ハルさんはそんなことしません……!」
 さっきまで大人しく黙っていた少女の、突如発した覇気ある声に驚いた。
 目を丸くするお姉さんは、少し困惑した様子で口元をゆるめ呟く。
「は……なに言うかと思ったら……。なんか幻想抱いてるみたいだけど、アイツもそういう男だよ」
 相手なんて誰でもいいし、なんでもかんでも金で解決しようとする。お金じゃ心の穴は埋められないのに。
「この世界はズルくてクズな大人ばっかり……」
「ハルさんは違う!」
 お姉さんは、本気で怒るサキの目を怪訝そうに見つめる。
「ああ……キミの目にはフィルターがかかってんだね」
「どういう意味?」
「ん? お子ちゃまって意味」
 ベッドから降りたお姉さんはサキを横目で見下ろした。
 にらみ合うふたり。
「めんどくせー……」
 小さく呟いたお姉さんはくるりとサキに背を向け、どこかへ電話をかける。
「……もしもーし……まだ見つかんないの? ヒントあげたじゃん。早くした方がいいよー。今は我慢してあげてるけど、アタシいつ爆発するかわっかんないよ? じゃ、ガーンバ」
 電話を切ってベッドに放る。
「どうしてこんなことしてるの?」
 テレビをいじるお姉さんの手が止まる。
「なにが?」
「今の電話、ハルさんでしょ……?」
 ホッとした。背中越しの彼女が問うた意味とは違えど、核心を突くような質問に、鼓動が急いだのは絶対に秘密。
(バッカみてー。人に偉そうなこと言って、オレも言えねーじゃん。……別に、赤の他人に言う必要もないか)
 嘘をついて、その嘘がどんどん積み重なって、立派な大人に近づいていくのをまた実感させられた。
「だってさぁ、アイツの困ってる顔、超見たくない?」
 電話がかかってきたとき本当は嬉しくて、サキは罪悪感にさいなまれた。
「ハルさんのこと、好きじゃないの……?」
「アイツのこと好きっていう奴の方がおかしいだろ。まあ、そんなおかしな奴がここに一人いるけどなー」
「好きなの……?」
「は? ……ホンっトバカだな!」
「嫌い?」
「好きとか嫌いとかバカバカしい……。説教くさくて大嫌いだよ。金くれるから、アタシがアイツと遊んであげてるだけ。アタシはね、おごり高ぶってる偉っそうな金持ちのオッサンにしか手ぇ出さねぇから……」 
 お姉さんはテレビ近くの棚をゴソゴソと漁って、なにかを引っ張り出す。
「ちゅーわけで、早くやろーぜ」
「え……?」
「だから、ただ待ってんのは暇だろ? 金ももったいねーし」
「なに、するの……?」
 振り向いたお姉さんは、さっきまで見せていた表情とはまったく違う、夏の虫取少年とサイダーを混ぜたような爽やかな笑顔で、テレビゲーム用のコントローラーを掲げた。
「簡単なゲームだよ!」

・・・

 ホテルを出ると、そこにハルの姿があった。
「アタシらが出てくんの、大人しくずっと待ってたんだ。犬かよ」
 チラリと隣の様子を伺うと、サキはあからさまに嬉しそうな顔をしていた。
「って、こっちにも尻尾振ってる犬がいるわー……」
 その顔を見ていると、意地悪したくなって、サキにだけ聞こえるように小さく「キミらがキスしてるなんて思えないなー……」と言うと、ゆるんだサキの表情が強ばり、頬を赤らめうつむいた。
 微笑するお姉さんはハルへ近づく。
「ねぇ、アタシとサキがここでナニしてたか知りたい?」
「いいや」
「じゃあなにしに来たわけ?」
「助けに来た」
「だったら普通ここで待ってないっしょ。乗り込むぐらいしろっつーの。ったく、どいつもこいつも……。知りたいから来たんじゃねぇの?」
「……なにをしていた」
 面倒くさそうに鼻で笑ったお姉さんは、ハルのネクタイをグッと引っ張り、前のめりになったハルの耳元で言う。
「セックス」
 お姉さんはネクタイを掴んだまま、ハルの顔をじっと見つめた。彼の動揺を期待して放った言葉だったが、ハルは顔色ひとつ変えない。
「チッ……なんだよ、あのガキが弱点じゃねぇのかよ、あーつまんねぇー」
「俺はあんたを信用している」
「嘘つけオッサン」
「……あの娘の顔を見ればすぐわかる、そんなことをしていないと」
「あー……確かにね。もしアタシとヤってたら、あーんな呑気な顔していられるわけないもんねぇ……」
「で、なにをしていた」
「……あのバカなお子ちゃまが、はらわた煮えくり返るほどイイ子ちゃんぶってるから、キミみたいにお仕置きしてあげただぁけぇ」
「あの娘は巻き込むな」
「……キミらどういう関係?」
「友だちだ」
「変なの」
 ネクタイを掴む手を緩めると、ハルはサキの方へと歩き出した。
「また遊ぼーよ、クズ野郎!」
 地球上で二番目に大嫌いな人と一緒に帰る彼女の背中を眺めていると、ふと彼女が振り向いた。遠慮がちに小さく手を振る彼女。無意識に振り返していた手を慌てて下ろした。
 わけのわからない感情にムシャクシャして、お姉さんはふたりに背を向け走り出す。

『どうしてこんなことしてるの?』

 こだまする言葉を吹き飛ばすように。

「ただの憂さ晴らしだっつーの……」

 道端に落ちていた空き缶をおもいっきり蹴ったあと、ゴミ箱に捨てた。
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