林檎の蕾

八木反芻

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ご『“友だち”の有効活用/ふれる冬』

4 壁のない部屋に閉じ込められて

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 気がつくと暗い空間に立っていた。
 周りを見渡してもなにも見えない。
 どんなに目を凝らしても、自分の手のひらさえ見えないほど真っ暗。

 ──ドッドッドッドッドッ──

 速まる鼓動が耳から聞こえる。
 暗闇の圧迫感に、サキの呼吸が乱れ始めた。
 首をひねると顔に糸状のものが触れて、サキは「わあっ!」っと声を出して尻餅をついた。
 腰を打ったが痛みはない。
 サキはなにかがあった方向へ、恐る恐る手を伸ばしてみるが、なにもない。もう少し体を起こして探してみると、それに当たった。
 糸は揺れている。ぶら下がっているようだ。
 サキはその糸を掴んだ。
 引っ張ってみると、遠くの方でパッと明かりが点いた。
 サキは立ち上がり、その光を目指して歩く。暗闇が追いかけてくるように感じて足取りが早まる。
 全速力で走るサキ。
 光が大きくなってくると、椅子に座る背中が見えた。
(人だ!)
 人の姿が見えた瞬間、サキは安心して歩を緩めた。
 サキが息を切らしてたどり着いた場所は知らない部屋。といっても、辺りはやはり真っ暗で、光に照された空間だけが部屋のようになっている。
 遠くから見えていた人は男性で、その見覚えのある後ろ姿に、落ち着いたはずの鼓動がまた速まった。
 その男性は、近づくサキには気づいていない様子で、窓際の机に向かって黙々となにかを書いている。そっと後ろから覗き込んで見るとそれは手紙だった。でも便せんにはなにも書かれていない。男性が握るペンはインクが切れているのか、いくら文字を書いても紙にはなにも写らない。
 それでも男性は書き続けている。横書きの便せん。最後の行の端まで書くと、また一番上の行に戻って書き始める。
 その繰り返し。
 いつまでも真っ白の手紙。
「あのっ……」
 サキは思いきって男性に声をかけてみた。が、無反応。手を止める様子はない。
 少し怖かったが、この人が誰なのか確かめたくて、机の横に回った。
(やっぱり……)
 その男性はサキの思ったとおりの人だったが、顔つきが今よりもずいぶんと若く見えた。
「ハルさん」
 サキは名前を呼ぶ。しかし応答はない。何度呼び掛けても、返事はないし、見向きもしない。でも無視をしているようには感じなかった。
 ハルの目の前に手をかざしても、丁寧に呼んでみても、サキの声はハルには聞こえていない。視界にも入っていない。ただ手紙を書き続けるばかり。まるで、サキがここに存在していないよう。
「会えたのに……」
 ハルに気づいてもらうために、サキはペンを取り上げた。見ればペンのインクは満タンだった。
 ペンを失ったハルは、それでも文字を書くように、見えないペンを持って手を動かしている。
 仕方なく意味のないペンを返したサキは、ふと机上の置き時計が気になった。
 針が動いていない。
 正確には、時針と分針が止まっていて、秒針だけは動いている。しかも左回り。
 サキは時計を手にとって、後ろのゼンマイを回してみた。ゼンマイはクルクルと回るが、肝心の針は動かない。
(壊れてるのかなぁ)
 未だ真っ白な便せん。破り捨てようかとも考えたが、さすがにそれは心が痛む。
 手紙に向かう、真っ直ぐな視線。
 サキはその横顔を見つめた。
「ハセさん……」
 そしてようやく気づく。
(夢……?)
 そう、これは夢。だが崩れない。前は夢だと気づいた瞬間、世界が崩れて目が覚めた。なのに今回は覚めない。覚めてくれない。
 サキは思い出す。
(この夢、何回目だろう……)
 壊れた時計を持ったまま、サキはその場に座り込んだ。
(このまま出られなかったらどうしよう。せめてハルさんと話ができたら、怖くないのに……)
 膝を抱えて座るサキは、手紙を書き続けるハルの足元で、夢が覚めるのを待ち続けた。
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