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第11話 洞窟の仮住まい
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連れて行かれた先は近くの崖の麓にぽっかりあいた洞窟だった。火をおこしてあるのか、洞窟の奥に薄ぼんやりと漏れる橙の光。
俺は異形の種族に抱かれながら、ヒタ、ヒタ、と洞窟の地面を踏みしめる足を眺める。人間のそれとは全く違う、鳥のような、しかし鱗でびっしり覆われていることからトカゲのようでもある足。ダーニャはわかるが大男の俺も片手で抱えるのだ。体の大きさもさることながら、足は特に巨大で、その先に生えた爪は黒曜石のように固く、鋭かった。
彼はこんな姿形をしているのにかろうじて服を着ていた。人族でいう長いシャツのようなものを羽織り、下ははいてない。それもそのはず、足の間から後ろに太い尻尾が垂れ下がっていた。
洞窟の奥は少し広く、端に焚き火、その反対側に巨大な寝藁が敷いてあった。異形の者がゆっくりと俺だけを地面に降ろす。
「ここは……あなたの住処なんですか?」
「この大陸で特定の住処を持っている種族は少ない。今日はダーニャを借りる予定だったから急遽拵えた寝床だよ」
嵐の夜の風のような低く、しかし高音も伴う不思議な声が洞窟に響き渡る。
「貴方がダーニャの客だったんですか……。これから幼いダーニャを慰み者にするのですか?」
俺に助けは必要かと連れ出しながら、その実ダーニャの客だということが信じられず、含みのある言い方をしてしまう。
「ああ……ダーニャをこどもだと勘違いして、サニアとあんなことになったのかい?」
勘違いもなにも、どう見てもダーニャは人族の幼い少年だった。俺が答えに窮していると、異形の者はダーニャを抱えながら寝藁の上に座った。
「ダーニャは淫魔とよばれる種族で、人の精気……いわゆる発情した雄の情欲を吸って生きる。だからこうやって吸いたい対象に人気のありそうな姿に擬態しているんだ。今日は君の精気を吸いたかったのだろう」
玄関先で駄々をこねていたダーニャの姿を思い出し、愕然とする。
「精気を吸うとは?」
「レジーは心配性だな。ほら、もう今吸っているよ。一晩こうやってくっついているだけさ」
唐突に呼ばれた愛称にびっくりして、少し後ずさった。長い首をグルンと回し、異形の者は俺を見つめる。
「今日、サニアとダーニャが待ち合わせ場所に来なかったから、家まで迎えに行ったんだ。それで君とサニアとの一部始終を見てしまった。気を悪くしないで。レジーと呼んでも?」
俺はゆっくり頷いた。
「貴方のお名前は?」
異形の者はしばらく考えあぐねていたことから、聞いてはならないことだったのかと失言を悔やむ。
「種族が特殊でね。この大陸で俺しかいないんだ。だから名前がない」
しばらく思考が停止して、なにも返せなかった。
そして種族の個体が大陸で唯一という壮大な話に、俺は自分の常識の狭さを痛感する。ダーニャの件にしてもそうだ。帝国の常識という物差しでは測れないことばかりだった。それを自分のちっぽけな正義を振りかざし、あんなことになるなんて……。
薪が爆ぜる音で、急に寒くなった気がして身震いする。片腕で胸を抱き、今日味わった屈辱を頭から追い出そうとした。
「顔が青いよ、レジー。怖かったかい? こっちへおいで」
この世のものとは思えない不思議な声と洞察力に、少し体を強張らせ、両手を広げる彼との間にしばらくの沈黙が横たわった。
「怖いのは、俺か。今寝藁を少し分けるから、今日はそこで寝るといい。ほら、ダーニャ少し離れるんだ」
離れたくないと駄々をこねるダーニャよりも、苦虫を噛み潰したような異形の者の顔に、体を突き動かされた。走り寄り、服を掴む。
「貴方が怖いわけではありません。今日助けていただいて感謝しています。その辺で寝ます。これ以上気をつかわないでください」
異形の者は、その大きな手でゆっくり肩を撫でる。そして恐る恐る、俺を抱き寄せた。
「レジーは強情なこどものようだ。こんなに体を冷やして……。どうしてそんなに自分を犠牲にするんだ。こんなに美しいのに」
ダーニャと反対側の太腿に乗せられ、そのまま片手で抱き竦められた。その言葉と体温に、さっきからずっと目頭に立ち込めていた熱が溢れ出しそうだった。俺は異形の者の服を掴み、しがみつく。そのしがみついた胸から懐かしい匂いがして、痛む胸が限界を迎えていた。
異形の者のもう一方の手が俺に伸びてきた。何度か頭を優しく撫でたら、再びダーニャの方に戻りそうだった。もう少し撫でて欲しくて、その腕の袖を掴んだ。
「怖くない?」
その言葉で服を着ている理由がわかった。俺のシーツと同じで、彼は相手のために体を隠している。今までの優しく、しかし怯えるような態度の意味も、彼が抱く孤独も、何もかもが自分と重なり、胸に迫ってくる。袖からのぞくさまざまな色のウロコを撫でた。
「綺麗で、温かい。美しいのは貴方の方だ。なぜ服を着ているのです?」
異形の者は急に両手で俺を抱きしめた。だからずっと我慢していた涙が溢れて、彼の服に涙の痕を散らしてしまう。
しばらく彼の胸で肩を震わせていたら、胸から声が響いてきた。
「こんな体だけど、唯一自慢ができる場所があるんだ。ちょっといい? 気に入ってくれるといいけど」
彼は指先の爪を器用に使って、胸元のボタンを外しはじめた。中から様々な色の毛が飛び出してくる。恐る恐る触ってみると、とてもしなやかで柔らかで、顔を埋めたいという欲望に抗えなかった。無言で顔を突っ込む俺の頭を、震える巨大な手が包んだ。
「この醜い姿を美しいなんて言ってくれた人は、レジーが初めてだよ。ありがとう。レジーに想われる人が羨ましい」
思い焦がれた皇帝は、征服欲のためだったら俺を抱いてくれたのだろうか。そんな浅ましい考えが俺の胸を潰し、肩を震わせる。
俺は両手で彼の腰にしがみつき、体ごと彼の胸に埋まる。俺の首に彼の長い首がそっと近づいた気配がした。
「今日ダーニャがいてよかった。レジーを抱きたくて、みっともない姿を見せるところだったよ」
俺は聞き分けのないこどもにように、彼の胸に埋めた顔を横にふり続けた。自分でもなぜそうしたのかはわからない。だから彼がどう思ったのかもわからなかった。
俺は異形の種族に抱かれながら、ヒタ、ヒタ、と洞窟の地面を踏みしめる足を眺める。人間のそれとは全く違う、鳥のような、しかし鱗でびっしり覆われていることからトカゲのようでもある足。ダーニャはわかるが大男の俺も片手で抱えるのだ。体の大きさもさることながら、足は特に巨大で、その先に生えた爪は黒曜石のように固く、鋭かった。
彼はこんな姿形をしているのにかろうじて服を着ていた。人族でいう長いシャツのようなものを羽織り、下ははいてない。それもそのはず、足の間から後ろに太い尻尾が垂れ下がっていた。
洞窟の奥は少し広く、端に焚き火、その反対側に巨大な寝藁が敷いてあった。異形の者がゆっくりと俺だけを地面に降ろす。
「ここは……あなたの住処なんですか?」
「この大陸で特定の住処を持っている種族は少ない。今日はダーニャを借りる予定だったから急遽拵えた寝床だよ」
嵐の夜の風のような低く、しかし高音も伴う不思議な声が洞窟に響き渡る。
「貴方がダーニャの客だったんですか……。これから幼いダーニャを慰み者にするのですか?」
俺に助けは必要かと連れ出しながら、その実ダーニャの客だということが信じられず、含みのある言い方をしてしまう。
「ああ……ダーニャをこどもだと勘違いして、サニアとあんなことになったのかい?」
勘違いもなにも、どう見てもダーニャは人族の幼い少年だった。俺が答えに窮していると、異形の者はダーニャを抱えながら寝藁の上に座った。
「ダーニャは淫魔とよばれる種族で、人の精気……いわゆる発情した雄の情欲を吸って生きる。だからこうやって吸いたい対象に人気のありそうな姿に擬態しているんだ。今日は君の精気を吸いたかったのだろう」
玄関先で駄々をこねていたダーニャの姿を思い出し、愕然とする。
「精気を吸うとは?」
「レジーは心配性だな。ほら、もう今吸っているよ。一晩こうやってくっついているだけさ」
唐突に呼ばれた愛称にびっくりして、少し後ずさった。長い首をグルンと回し、異形の者は俺を見つめる。
「今日、サニアとダーニャが待ち合わせ場所に来なかったから、家まで迎えに行ったんだ。それで君とサニアとの一部始終を見てしまった。気を悪くしないで。レジーと呼んでも?」
俺はゆっくり頷いた。
「貴方のお名前は?」
異形の者はしばらく考えあぐねていたことから、聞いてはならないことだったのかと失言を悔やむ。
「種族が特殊でね。この大陸で俺しかいないんだ。だから名前がない」
しばらく思考が停止して、なにも返せなかった。
そして種族の個体が大陸で唯一という壮大な話に、俺は自分の常識の狭さを痛感する。ダーニャの件にしてもそうだ。帝国の常識という物差しでは測れないことばかりだった。それを自分のちっぽけな正義を振りかざし、あんなことになるなんて……。
薪が爆ぜる音で、急に寒くなった気がして身震いする。片腕で胸を抱き、今日味わった屈辱を頭から追い出そうとした。
「顔が青いよ、レジー。怖かったかい? こっちへおいで」
この世のものとは思えない不思議な声と洞察力に、少し体を強張らせ、両手を広げる彼との間にしばらくの沈黙が横たわった。
「怖いのは、俺か。今寝藁を少し分けるから、今日はそこで寝るといい。ほら、ダーニャ少し離れるんだ」
離れたくないと駄々をこねるダーニャよりも、苦虫を噛み潰したような異形の者の顔に、体を突き動かされた。走り寄り、服を掴む。
「貴方が怖いわけではありません。今日助けていただいて感謝しています。その辺で寝ます。これ以上気をつかわないでください」
異形の者は、その大きな手でゆっくり肩を撫でる。そして恐る恐る、俺を抱き寄せた。
「レジーは強情なこどものようだ。こんなに体を冷やして……。どうしてそんなに自分を犠牲にするんだ。こんなに美しいのに」
ダーニャと反対側の太腿に乗せられ、そのまま片手で抱き竦められた。その言葉と体温に、さっきからずっと目頭に立ち込めていた熱が溢れ出しそうだった。俺は異形の者の服を掴み、しがみつく。そのしがみついた胸から懐かしい匂いがして、痛む胸が限界を迎えていた。
異形の者のもう一方の手が俺に伸びてきた。何度か頭を優しく撫でたら、再びダーニャの方に戻りそうだった。もう少し撫でて欲しくて、その腕の袖を掴んだ。
「怖くない?」
その言葉で服を着ている理由がわかった。俺のシーツと同じで、彼は相手のために体を隠している。今までの優しく、しかし怯えるような態度の意味も、彼が抱く孤独も、何もかもが自分と重なり、胸に迫ってくる。袖からのぞくさまざまな色のウロコを撫でた。
「綺麗で、温かい。美しいのは貴方の方だ。なぜ服を着ているのです?」
異形の者は急に両手で俺を抱きしめた。だからずっと我慢していた涙が溢れて、彼の服に涙の痕を散らしてしまう。
しばらく彼の胸で肩を震わせていたら、胸から声が響いてきた。
「こんな体だけど、唯一自慢ができる場所があるんだ。ちょっといい? 気に入ってくれるといいけど」
彼は指先の爪を器用に使って、胸元のボタンを外しはじめた。中から様々な色の毛が飛び出してくる。恐る恐る触ってみると、とてもしなやかで柔らかで、顔を埋めたいという欲望に抗えなかった。無言で顔を突っ込む俺の頭を、震える巨大な手が包んだ。
「この醜い姿を美しいなんて言ってくれた人は、レジーが初めてだよ。ありがとう。レジーに想われる人が羨ましい」
思い焦がれた皇帝は、征服欲のためだったら俺を抱いてくれたのだろうか。そんな浅ましい考えが俺の胸を潰し、肩を震わせる。
俺は両手で彼の腰にしがみつき、体ごと彼の胸に埋まる。俺の首に彼の長い首がそっと近づいた気配がした。
「今日ダーニャがいてよかった。レジーを抱きたくて、みっともない姿を見せるところだったよ」
俺は聞き分けのないこどもにように、彼の胸に埋めた顔を横にふり続けた。自分でもなぜそうしたのかはわからない。だから彼がどう思ったのかもわからなかった。
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