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3部 王のピアノと風見鶏
第24話 物置のピアノ
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王の名前と謝辞を書いた紙を次の日、そっと隠した。自分が望んだ通り、王は俺に触れなくなった。それなのに悲しいと感じるのはあまりに手前勝手に思えた。だからこの日の戒めにこの紙を持っていようと思ったのだ。
今日は午前中、足を動かそうとノアが王宮の中を案内してくれた。夜、目が覚めてしまわないようおぼつかない足取りでも運動をする。そんな俺に、ちょうどいいから物置まで行って、背が届かない場所にある本を取ってほしい、とノアは言う。ノアは小さい。バーンスタイン卿が愛するには小さすぎて心配になる程だ。
ノアが扉を開いた時、埃の匂いが鼻につく。書物というのは、普通物置にしまうものなのだろうか。放置の歴史を感じる匂いに、少し心がソワソワとする。
「リアム、あそこの本を取りたいんだけど、届くかな?」
俺は頷き、手を伸ばす。本の背表紙に指をかけた時に思ったのだ。あの不思議な力で本を動かせるのではないか? と。
顔を見ようと体を捻らせたら、バランスを崩してそのままノアを下敷きに倒れてしまった。そしてその後に本が降ってきた。俺は慌てて起き上がりノアを見る。
「ご、めんね。そういえば魔法でできるね」
ノアがえへへ、と笑ったから安心して体を起こした時、奥にあるピアノに目が止まる。布を被されて随分使っていないのだろう。今立てた埃が窓から差し込む光で、キラキラと輝いて見えた。
「リアムはピアノ弾けるの?」
ピアノはもう10年弾いていない。しかし、俺はピアノに吸い寄せられていく。マリーの言う通り、俺は鞭で打たれてから、ピアノを弾かなくなった。
でもずっと疑問に思っていたのだ。なぜマリーはピアノを弾き続けたのだろうと。
俺がピアノに着くより前に、ノアが走り出し、全体を覆っていた布を畳みながらどかしてくれた。鍵盤の蓋を開けて白鍵にそっと手に置く。マリーが弾いていた美しいピアノの旋律が脳裏を駆け巡る。
マリーは俺を愛してなどいなかった。むしろ真実を見ようとしない俺を憎んでさえいた。でもあのピアノの音は、誰かを憎んでいるような音ではなかった。例え俺のために弾いていたのではなかったとしても、その音は幸福で満ち溢れていたのだ。
鍵盤をひとつ押した。
そこから無我夢中でピアノを掻き鳴らし、ノアに声をかけられるまで、鍵盤から指を離さなかった。どんなに指がもつれても、ペダルが踏めず不協和音が残っても、止めることができなかった。
「り、リアム! すごく上手だね!」
ノアは顔を真っ赤にして興奮している。一体どのくらい弾いたのかわからないほど熱中してしまっていた。
「リアム、今日王様に、指から治療してもらうように言ってみるね! すごく、すごく、素敵な演奏だった!」
両手を胸の前で握り締め、ノアは確信的な瞳で、それがいいと何度も頷く。
俺はこの日から、どんなに指がもつれてもピアノを弾くことをやめられなかった。
それは、日中彷徨い歩き回ることと似ていた。俺はマリーのピアノの音や、王への疑問で、心にポッカリ穴が空いたようだった。その穴を埋めるために、俺はピアノにのめり込んだ。
ノアの提案通り、治療と呼ばれるあの拷問は、左手を中心とした腕や手に集中するようになり、物置にあったピアノは王の寝室に移された。
王は相変わらず夜になれば俺の腕を触り、そうしてそれが済めば同じベッドで別々に寝る。そうした王の対応が、まるで俺の願望だけを優先させているように思えて、心苦しかった。そのやり場のない気持ちが俺をピアノへと向かわせた。
王は俺がピアノを弾くと喜ぶ。それが唯一の救いであり、俺がここに存在できる唯一の理由だったのだ。
だから午前中にはノアに文字を習い、残りの時間はピアノの練習に没頭する日々が続いた。
今日は午前中、足を動かそうとノアが王宮の中を案内してくれた。夜、目が覚めてしまわないようおぼつかない足取りでも運動をする。そんな俺に、ちょうどいいから物置まで行って、背が届かない場所にある本を取ってほしい、とノアは言う。ノアは小さい。バーンスタイン卿が愛するには小さすぎて心配になる程だ。
ノアが扉を開いた時、埃の匂いが鼻につく。書物というのは、普通物置にしまうものなのだろうか。放置の歴史を感じる匂いに、少し心がソワソワとする。
「リアム、あそこの本を取りたいんだけど、届くかな?」
俺は頷き、手を伸ばす。本の背表紙に指をかけた時に思ったのだ。あの不思議な力で本を動かせるのではないか? と。
顔を見ようと体を捻らせたら、バランスを崩してそのままノアを下敷きに倒れてしまった。そしてその後に本が降ってきた。俺は慌てて起き上がりノアを見る。
「ご、めんね。そういえば魔法でできるね」
ノアがえへへ、と笑ったから安心して体を起こした時、奥にあるピアノに目が止まる。布を被されて随分使っていないのだろう。今立てた埃が窓から差し込む光で、キラキラと輝いて見えた。
「リアムはピアノ弾けるの?」
ピアノはもう10年弾いていない。しかし、俺はピアノに吸い寄せられていく。マリーの言う通り、俺は鞭で打たれてから、ピアノを弾かなくなった。
でもずっと疑問に思っていたのだ。なぜマリーはピアノを弾き続けたのだろうと。
俺がピアノに着くより前に、ノアが走り出し、全体を覆っていた布を畳みながらどかしてくれた。鍵盤の蓋を開けて白鍵にそっと手に置く。マリーが弾いていた美しいピアノの旋律が脳裏を駆け巡る。
マリーは俺を愛してなどいなかった。むしろ真実を見ようとしない俺を憎んでさえいた。でもあのピアノの音は、誰かを憎んでいるような音ではなかった。例え俺のために弾いていたのではなかったとしても、その音は幸福で満ち溢れていたのだ。
鍵盤をひとつ押した。
そこから無我夢中でピアノを掻き鳴らし、ノアに声をかけられるまで、鍵盤から指を離さなかった。どんなに指がもつれても、ペダルが踏めず不協和音が残っても、止めることができなかった。
「り、リアム! すごく上手だね!」
ノアは顔を真っ赤にして興奮している。一体どのくらい弾いたのかわからないほど熱中してしまっていた。
「リアム、今日王様に、指から治療してもらうように言ってみるね! すごく、すごく、素敵な演奏だった!」
両手を胸の前で握り締め、ノアは確信的な瞳で、それがいいと何度も頷く。
俺はこの日から、どんなに指がもつれてもピアノを弾くことをやめられなかった。
それは、日中彷徨い歩き回ることと似ていた。俺はマリーのピアノの音や、王への疑問で、心にポッカリ穴が空いたようだった。その穴を埋めるために、俺はピアノにのめり込んだ。
ノアの提案通り、治療と呼ばれるあの拷問は、左手を中心とした腕や手に集中するようになり、物置にあったピアノは王の寝室に移された。
王は相変わらず夜になれば俺の腕を触り、そうしてそれが済めば同じベッドで別々に寝る。そうした王の対応が、まるで俺の願望だけを優先させているように思えて、心苦しかった。そのやり場のない気持ちが俺をピアノへと向かわせた。
王は俺がピアノを弾くと喜ぶ。それが唯一の救いであり、俺がここに存在できる唯一の理由だったのだ。
だから午前中にはノアに文字を習い、残りの時間はピアノの練習に没頭する日々が続いた。
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